水 晶 は 塵 を 受 け ず、 そ し て 花 火 は 烈 花 の 如 く
「よっ! 大丈夫……じゃ、なさそうだな」
陽気な声が一転して怪訝な声に変わった。僕は地面に転がった水晶の屑を眺めるのをやめて、扉の方を見る。
イシュヴァールの内乱終結から二ヶ月、左腕を吹っ飛ばされてから半年。
僕は
中央の病院を退院して、自宅に戻ってきていた。左腕を失ったことで水晶細工を彫れなくなり、本職を失った形になっていた。……まあ、恨むとか恨まないとかではなく、あの言葉を信じるなら、僕が左腕を失ったのは、自業自得のようなのだけれども。
入って来たのは、イシュヴァールでマスタングの部下をやっていた、マース・ヒューズ大尉――今は少佐――だった。
眼鏡に無精髭、イシュヴァールの時と変わっていない。
彼は店内を見回し、散乱した石英の屑を踏まないようにしながら、無造作な風に僕の前に歩いてきた。
僕の顔を覗き込み、ヒューズは苦笑して、
「酷ェ顔してるぜ。さんよ。
店内も。……ここだけ、戦争でもあったのか?」
「そうですか?」
僕は返して、店の中――今は商品も並んでいないし、伽藍としている店内を見回す。床には錬成した石英の屑が落ち、外からの光を反射してきらきらと輝いている。不純物が入り混じって、透明ではなく赤や、青、橙、様々な色合いの石英。僕の目にはただ綺麗だと映るのだが、ヒューズには雑多な色が溢れているようにしか見えないのかも知れない。
……確かに、店内は、荒れているのかもしれなかった。
とにかく、僕はヒューズに視線を戻し、笑みを浮かべる。そう言えば、僕は彼にまだ挨拶もしていない。
「お久しぶりです。ヒューズ大尉――いや。
今は少佐、でしたか? 昇進、おめでとうございます」
「ああ、有難う」
言ってからヒューズはちょっと顔をしかめて、僕の左肩に視線を移し、すぐに逸らした。
「……ついでに頼みたいことがあったんだが」
「水晶ですか」
「――今度、結婚することになってな、それで」
どうも歯切れがよくない。
僕は息を吐いて、左肩に触れた。
「結婚指輪ですか」
「できるかな」
「残念ですが、これじゃ、無理ですね」
僕は店内を見回し、散乱している水晶の中の一つ、
蜜柑水晶を蹴り上げ、右手で取ろうとした。が、うまく力が入らず、オレンジ色のそれはがんっ、と音を立てて床に落ちる。
「僕、左利きだったんです。
今は
機械鎧のいい職人を探している最中で、もうすぐ、南部に行こうと思ってるんですよ」
「そっか。……なら、数年は南部行きだな」
機械鎧は通常、まともに使えるようになるまで三年から四年かかる。その前にも手術の際に伴う苦痛は、大の大人が絶叫を上げて痛がるほどだそうで、それは気が重いのだけれども。
「利き手も右手に矯正しようと思ってます。さすがに、機械鎧では力加減の調節が難しいので」
「色々、あんたも大変だな。それもこれも――」
「因果応報、って奴です。いちいち人を恨んでちゃきりがない」
ヒューズの言葉を遮って、僕はしゃがみこんだ。
紅水晶、
紫水晶、
青水晶、
黄水晶、……それから、
水晶。イシュヴァールから持ってきていた砂は、僕のイメージどおりに正確に、石英を作り出してくれる。
水晶を集めると、僕は右足で思い切りそれを踏みつけた。錬成の発光と同時に、水晶はすべて砂に還る。それをもう一度、今度は左足で踏み、一つの大きな白水晶にする。それを抱えるようにして拾い、カウンターの上に置いてあった布袋に入れた。
「暇なのは確かなんですけど、それだって仕方ないし」
「……奴のことなんだがな」
ヒューズの低い声に、僕は布袋を取り落としそうになる。慌てて抱え直し、僕はヒューズを振り返った。
「第二刑務所に入ることになったよ。
味方を吹っ飛ばしてそれだけで済んだから不思議な話だが……」
――レッツェンだ。
確か、軍法会議所に配属されたと聞いた。彼女なら、うまく立ち回って減刑することも可能だろう。そしてヒューズもそれを知っているはずだ。旧友が大事なのも解るが、と言うところだろう、彼の考えるところは。
「……ヒューズ少佐」
口が勝手に動いていた。ヒューズが薄暗い顔を上げて、僕の方を怪訝な顔で見る。
「何年かかるか解りませんけど……僕がもう一度水晶細工を彫れるようになったら、ワンセット、指輪をプレゼントしてもいいですか?」
「――結婚は、それまで待てないぜ」
「ええ、結婚指輪も別に作ってもいいです。ただ――リハビリする時にめげないように、目標を、作っておいた方がいいと思って」
「目標か――俺の方は別に構わないが、あんたの方は……」
「大丈夫です。絶対に、何年かかったって、プレゼントしますから、何年遅れになるか解らないけど、それが僕の結婚お祝いってことで……どうですか?」
「あんたに指輪を作ってもらえるのは嬉しいが……いいのか? そんな約束しちまって」
「はい」
僕は笑みを浮かべ、カウンターの上に布袋を置いた。
ごとん、と言う、重い音がした。
窓の外は既に暗くなっていた。カーテンを閉めながら、嘆息する。部屋の中も暗闇に落ちて、数歩先すら覚束ない状態だが、どうせ知った部屋の中だ。明かりなら、すぐにつけられる。
ヒューズはいろいろな話をして、帰っていった。大半はこれから貰う奥さんの話だったが……あんなに凄い勢いで惚気られたのは初めてだ。多分、よい女性なのだろう。イシュヴァールの二年で周りにいた女性と言えば、レッツェンや何やらと強烈な女性ばっかりだったから、そう言うのもあるのかも知れない。何だか、羨ましかった。
マスタングは相変わらず、中央にいて、国家錬金術師の推薦なんかをやっているそうだ。彼の噂は僕も聞いている。彼は、イシュヴァールの内乱においての英雄の一人だ。キンブリーがその存在すら秘密裏に処理され、未だ刑務所にいるのに対して、マスタングは殊更に、戦果を挙げた人間としての地位を強調された。そんなことしたって、キンブリーがいなくなるわけではないだろうに、軍上層部も、何かヒステリックになっているのか。
この国は、やはり、何かおかしいのだろう。
今の状態の僕が何を思ったところで、だからどうだと言う話ではあるのだけれど。
そして、レッツェン。彼女は週に一度、キンブリーのところに通っているとか――何を考えているか分からないとヒューズは言ったが、僕には少しだけ、解った、気がした。彼女はもうこの二ヶ月で、退屈してしまっているのだろう。彼女は性格や振る舞いの割りに節度を心得ていて、これ以上は駄目だと言うライン以上には踏み込まない。絶対に。――だが、イシュヴァールで、彼女は一度、そのブレーキを外してしまった。
彼女は成る程、天性の人殺しだ。マスタングに言わせれば、僕もまた兵士に向いてはいても、軍人に向いていない。レッツェンは……端から見れば彼女は立派な軍人だ。昇進がマスタングより遅れているのは、彼女が女性であると言うこと、素行、そして、マスタングには昇進する気があって、レッツェンにはその意思が希薄なこと――それぐらいに、過ぎない。
……キンブリーは。
キンブリーは、どうなのだろう。
彼は、軍人としては、駄目だと、普通は思う。ムラッ気があって、人を殺すのに躊躇わず、倫理を理解しても自分に都合が悪ければきっぱりと守らない。そしてその彼が軍属になり、イシュヴァール内乱に参加したその末が僕を殺そうとした彼の行動であり、刑務所へ入ると言う、結末、だった。――だが。
――
僕は顔を上げた。
暗い部屋の中は冷気に満ちていた。僕の吐く息も、部屋の中でもわずかに白い。ストーブもまだつけていなかった。明かりをつけようと、僕は一歩、足を踏み出し。
「……あっ」
声を上げて立ち止まった。俯き、視界がわずかに歪むのを確認する。吐き気が襲ってくるのを慣れたものとしてやり過ごそうと、僕は大きく息を吐く。嘔吐感、など、ここ半年で幾度となく、訪れていた。熱が出ることもあった。だが、そんなものは、問題ではない。
「……キンブリー」
僕はそう、小さく呟いた。それに応えるように。
「」、と。
呼ぶ声がした気がした。
――いや、気がするだけだ。幻聴だ。
僕は闇の中、額を押さえる。がんがんと、頭の中で鳴り響く音。
頭を抱え、首を振る。振り払う、その、つもりで。だが、幻聴は相変わらず聞こえていた。何度も何度も。僕の名を呼ぶ声だ。イシュヴァールで、爆発と重なった、彼の声が。
誰もいない。ここには僕しかいない。だが、彼が、いる。――ここに。
耳を塞いでも、声は滑り込んできた。耳で聞いている声では、ないのだ。そんなことをしたところでどうにかなるものではない。
首筋に、手が触れた気がして、僕は息を呑み、びくりと体を震わせる。
「やめてくれ……」
体の全てが持って行かれるような感覚。僕は自然、呟いていた。目を閉じても、他の感覚を鋭敏にするだけだ。肌を手が触れる。吐息が嬲っていく。膝を折り、僕は床に座り込んだ。声が。
「やめてくれ、キンブリー。僕は、」
首を振る。
頭が痛い。吐き気がする。体が熱く、寒気がした。そして声。
立ち上がり、重い体を引きずってランプまでたどり着き、震える手でマッチを擦って火を灯す。部屋の中がにわかに明るくなるのと同時に、幻聴は一瞬で聞こえなくなった。
脱力し、僕は息を吐く。汗が顎や背中を滑り落ちて行った。心臓が早鐘のように鳴り響いている。幻聴や幻覚が収まっても、頭痛は消えない。
「ああ……」
声を洩らし、僕は顔を覆う。俯き、膝を丸める。どうしようもなかった。あの日から、何度もこんな白昼夢を、見た。
……僕は、彼の物になってしまったのだ。この左腕、瞳、脚、皮膚、内臓、毛髪の一本一本から、この魂までも。彼が訪れ、所有権を主張する。せせら笑うように、僕の肌を撫ぜ、僕の名を呼び、そうしてすぐに去って行く。
「僕は……」
ああ。
……どうして。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
左肩が、彼に吹き飛ばされた左腕の付け根が、熱を伴ってずきずきと痛み出す。僕は瞼を閉じ、左肩を押さえ、ランプの弱々しい明かりを瞼越しに感じながら、眉を寄せた。嗚咽が漏れるのを、止めることができなかった。
左腕を違和感なく使えるようになるまで、結局四年かかった。
にわか景気の谷はイシュヴァールの内乱後、
機械鎧技術を急激に発達させて大きくなってきた街である。
僕が来た時は、僕が頼りにしてきた技師を含めてほんの十数名しか技師がいなかったのに、今ではあちらにもこちらにも、技師がいて、また、機械鎧を付けた人間――たいていは元軍人か、労働者――がごろごろしている。そんな街になっていた。
露天で売られる中古のパーツ、話し合う技師たち、板に貼り付けられた値段表、両脚が機械鎧の子供、たまにではあるが、機械鎧目当てではない観光客も、いる。
僕は錬成した石英を、右手で転がしながら、ぼんやりと街の様子を見つめていた。左腕は僕の機械鎧を作ってくれた技師が、整備をしている最中である。
「へえ、それで、その人って言うのは?」
茶髪に、そばかすの浮いた顔。かけた眼鏡は顔にしては少々大きめで、始終、ずり落ちた眼鏡を押し上げている。まだ若い、少年のような技師。
ケッセナ・アルバートンは、そんな人である。
四年前は、彼はまだ十八で、自分の店を持ったばかりだった。義肢装具師としては、これはひどく早い自立だそうで、つまり、アルバートンはいわゆる、天才肌の技師だった。
「今は、中央の軍法会議所で働いてる。マース・ヒューズって言う人なんだけど」
「ああ、手紙を送ってきてた人だね、こんな分厚いやつ、ほとんど娘自慢だったあれでしょ」
言いながら、アルバートンは笑う。
僕のことを気遣う手紙を、ここ四年ヒューズは幾度となく送ってくれた。冒頭に少し大丈夫かとか、中央の状勢を知らせてくれる内容が書かれてあって、後はほとんどが生まれた娘の自慢だと言う脅威の手紙だったが。
エリシアちゃん、と言ったか。計算が間違っていなければ、もう三歳になるはずだ。
四年、僕が中央を離れている間に、随分色々なことがあったようだ。マスタングは大佐になり東方司令部へ行き、最年少の国家錬金術師が生まれ、――これは中央の話ではないが、リオールで暴動が、起こった。イシュヴァールの民も、一部のものが各地で小規模なテロを起こしているようで、四年以上前の話であるのに、いまだにこの国は、あの内乱を引きずっている。
――レッツェンが亡くなった、と言う手紙が届いたのは、二ヶ月ほど前の話だ。
週に一度、いつものように、刑務所を訪れ、その帰りに殺されたのだと言う。内側から破壊されたような、二目と見れない、酷い死体だった、とヒューズは書いていた。
「色々さ、今中央も物騒みたいだから、大変だよね、人が死んだり、殺されたり」
今戻ったら危ないんじゃないの、と、アルバートンは、入念に、機械鎧をチェックしながら、言った。喋り方になんだか落ち着きがないのは、彼の性格で、人と視線を合わせず、ひどく早口に喋る。
「国境や、暴動が起きているところよりは平和だと思うよ。
南部でも、国境ではアエルゴといざこざが絶えないでしょう」
「ああ、嫌だね。あっちでも、こっちでもさ。戦争で飯食ってるような機械鎧技師が言うのもなんだけどさ」
首を振って、アルバートンは僕の左腕を軽く叩いた。もういいよ、と言う言葉に従って、僕は左腕を動かしてみる。意思通りに、機械の左腕は指先まできちんと動いた。
「動きにも問題ないみたいだし、定期的に整備に訪れてもらえれば大丈夫だと思うよ。僕の作ったやつだしね」
「ありがとう、アルバートン」
僕は頭を下げ、立ち上がった。明日、中央に帰ることにしたのである。最後の調整の、その最中だった。
「こっちも商売だし、いいよ」
彼は笑ってから、ふと、僕の右手の中の水晶に目を移した。僕の一番得意な、白水晶の結晶である。ヒューズに送る指輪はどうしようか、考えていたのだ。台座のデザインや、送る水晶の色やらは、まだ考えていない。中央に帰ってから、ゆっくり考えるつもりだった。
――実のところ、機械鎧のリハビリよりも、左利きを右利きに矯正するほうが、だいぶ時間がかかっていた。ただ文字が書けたりするようになればいいという話ではなく、以前のようにきっちり水晶が彫れるようになるまでならなければいけないのだ。かなり、苦労した。だが、少なくとも今は、かつての左手に遜色なく、右手を使えるようになっている、と、思う。
「指輪だっけ、その、ヒューズさんに送るのは」
「ああ。今は、どんなデザインにしようか悩んでいるんだ」
言ってから、僕はふと、言葉を止めた。誰かと前に、こんな会話を交わした気がした。
「」、と。
ふと、幻聴が聞こえた。
この四年に、何度も何度も、僕の耳に、吹き込まれた幻聴だ。熱を出すことがなくなって、頭痛が消え、左腕の痛みが消えても、この声は、この吐息の感触は、いつまでも僕から離れない。
僕はそれを首を振って払い、手の中の水晶を見つめた。あの、――水晶細工。あそこで彫っていた細工は、あの場で、壊してしまった。忘れてしまいたかった。
「?」
「いや、どうしようかな、と、思ってね。明日、汽車の中で考えるさ」
僕はアルバートンを見て、笑みを浮かべた。彼は何も言わなかったが、その狐のような、度の強い眼鏡の向こうの鋭い目が、なんとなく、一瞬だけ、金色に、揺らめいた気がした。
目を伏せ、僕は右手で水晶を転がし、別れの言葉を交わして踵を返した。
ラッシュバレーの、この喧騒から、自分だけが切り離されているような気分になりながら、僕は足早に宿へと急いだ。
ロイ・マスタング大佐が僕の店を訪れたのは、僕が中央に戻って一月ほど経ってからだった。店はまだ、閉めている。今はヒューズ夫妻のための指輪にかかりきりだった。
「こちらに、戻っていると聞いたのでな」
マスタングは私服だった。
僕は姿勢を正し、マスタングに向き直る。――彼は今、僕の上官にあたる。形だけでも礼儀を払おうと、何とはなしに思ったのだ。
「お久しぶりです。マスタング大佐」
「別に、かしこまる必要はない」
国家錬金術師。焔の、錬金術師。
鋭い黒い目が、どこか暗い色で、こちらを見つめた。
「東方司令部に、いらっしゃると聞いたんですが……」
「少し前に、な」
言い、マスタングはそこで、作業台に目を向けてきた。作りかけの指輪がワンセット、そこに置いてある。
「……指輪か」
「はい」
僕は頷く一方で、マスタングの微妙な表情に気づいた――怪訝な顔だ。ヒューズは、親友の彼に指輪のことを言っていないのだろうか。個人的なことだから、わざわざ言うことでもなかったのかも知れない。
「ヒューズ中佐との約束です。僕がまた水晶細工を彫れるようになったら、一番にヒューズ中佐のために、ワンセット揃いの指輪を彫ると」
「……」
僕の言葉に、何故か、マスタングは少し考えるような顔をした。視線はじっと、指輪に注がれている。
「――レッツェンが、死んだのは聞いたか」
「はい。ヒューズ中佐に、手紙で教えられました」
突然話題を変えられたのに違和感を覚えながらも、僕は頷く。マスタングはこちらを見、口を開いた。
「国家錬金術師が、狙われていた。
傷の男と呼ばれている、イシュヴァールの民の生き残りだ」
「……」
それは初耳だった。レッツェンが、イシュヴァールの民に――それは。
「イシュヴァールの民は私の管轄まで流れてきて、そこでひと悶着起こした。今は、生死不明だが――今回、君のところにやってきたのは、その、注意がひとつだ」
四年以上前のことなのだ。
僕はぼんやりと思う。僕にとっては、殺し、殺してきた記憶でしかない。そして、僕が戦線を離脱したのはキンブリーの、そして僕自身のせいだ。だが、イシュヴァールの民、彼らにとっては、殺されてきた、仲間を虐殺されてきた、その恨みを、溜め込んできた、四年であったのかも、知れない。
「もうひとつは、ただの感傷、だ」
「感傷?」
聞き返すと、マスタングは薄暗い表情をした。あの時より少し精悍になった顔が、イシュヴァールの頃の表情と、刹那、だぶる。
「イシュヴァールの」
声には感情が希薄だった。黒い、鋭い眼が、まっすぐに僕のことを睨む。
「あの内乱の時に、共に戦ったものたち――少なくなってしまったものだ。キンブリーは獄に入り、レッツェンに、グラン准将、……それに」
一瞬、告げていいものか迷うような色が覗いたが、僕は既にその先を、何となく察していた。マスタングの怪訝な表情、およそ感情が抜け出てしまったような声。
マスタングはちらりと作業台の、その上に乗った指輪を見つめ、ゆっくりと唇を動かす。
「……ヒューズも、死んだ。
二ヶ月以上も、前だ」
衝撃は、訪れなかった。
ただ空しさがじわりと胸のうちに広がっていく。まだ僕の手元には、四年間送ってもらった手紙と、写真があると言うのに。
数ヶ月前にも、手紙を送ってもらったばかりだと言うのに。
「ヒューズのところには、もう行っているものと思っていたが」
「指輪を作り終えてから、きちんとした形で伺おうと思っていました」
僕は作りかけの指輪を拾い上げた。まだ、石がついていない。色で少し、迷っていた。台座はきちんとできているのだが。
「……どうして、その……」
「分からない」
口ごもる僕を見、マスタングは下に、視線を流す。俯いた彼の目が、前髪に隠れて見えなくなった。
「分からないんだ」
ひどく頼りなげな声だ。
イシュヴァールで僕を怒鳴りつけたマスタングと、この、目の前のマスタング。イメージがわずかにずれた。
あの彼が、こんな風に弱々しげに見えるようになるものだろうか。あの赤い石を手に、その手で殺戮を行ったときにすら、彼はこんな表情を見せなかった。そのはずだ。
ヒューズは、彼にとって親友だった。無理もない、とは思うのだけれども。それでも、少し……意外な程に。
「……ヒューズは死んだが、彼の奥方は
中央にいる。指輪は、作って届けてやって欲しい」
少しの沈黙を置いた次の言葉は、先程よりは幾分しっかりしていた。彼はもう僕を見ていない。足は、もう店の外に向かっている。
僕は彼の背を見た。
「色で悩んでいるんです。どんな色に、したらいいかと思って」
「……さてな。
赤い色にでもしたらどうだ、それこそあの、石のように――いや」
一度突き放すように言ってから、マスタングは足を止めた。こちらを肩越しに振り返り、眉を寄せる。
「君が一番得意なので、いいんじゃないのか」
「そうでしょうか」
「それが、いいだろう。私は、そう思う」
言って、別れの挨拶もせず、彼は出て行ってしまった。からん、と扉の上に備えた鈴が鳴った。
僕は石のついていない指輪を見つめて、ふと、カウンターの方に視線を移した。
四年前、イシュヴァールから持ってきていた、あの砂漠の砂が、今もまだ、皮袋に入って、そこにあるはずだった。
ヒューズ夫人は、僕の訪問に少し怪訝な顔をし、僕が名乗ると、とても悲しげな顔をした。
「貴方のことは、亡くなった主人からお聞きしておりました」
言って、僕を家の中に招きいれようとしたけれど、僕はそれを断って、小箱を彼女に手渡した。
「お約束の品です。……こんなに遅れて、申し訳ありませんでした」
小箱を受け取り、ヒューズ夫人は困ったように、首を傾げる。逡巡した後、彼女は僕に目礼して、小箱をほんの少しだけ、開けた。
「真っ先に、もう一度細工が彫れるようになったら、結婚お祝いに差し上げるつもりでした。四年も、かかってしまいました」
小箱の中を見つめるヒューズ夫人に、僕は頭を下げた。ヒューズ夫人は、いいえ、そんなことはありません、と言って、小箱を閉じた。
「こんなに綺麗な物を、いいのですか?」
「ご主人との、約束でしたから」
「主人もきっと喜びます……有難うございました」
「お礼なんて、いいんです」
顔を上げ、首を横に振る。本当に、お礼なんて言われることはないのだ、僕は。約束したのに、こんなに遅れてしまった。直接、ヒューズの結婚を祝うことができなかった。四年も、僕は――
僕は、ずっと、世界から自分を切り離していたようだ。
そしてもう、そうやって目を背けているわけにも、いかなくなった。
「本当なら、お礼は僕の方が言いたいぐらいなんです。有難うございました」
もう一度、頭を下げ、僕はもうひとつ、小箱を取り出した。ヒューズが存命なら、うちの娘を口説こうなんてふてえ野郎だ、とでも、半ば本気で言っただろうか。僕は思いながら、ヒューズ夫人に箱を渡す。
「こっちは、遅れてしまったお詫びです。エリシアちゃんに、差し上げて下さい」
「――いいんですか?」
「はい」
申し訳なさそうに聞いてくるヒューズ夫人に、僕はやりきれない気持ちになった。こんな風になるはずでは、なかった。もっと僕が、早く腕を使えるようになっていれば、早く、細工を彫れるようになっていれば、もっときちんとした形で、この人に、ヒューズに、指輪を贈れるはずだったのに。
そんなことを思っても、仕方ない、それは、分かっている。それでも。
「エリシアに、会っていかれませんか、さん――」
夫人が言うのを辞退して、ヒューズ宅を去った。
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デフォルトネームと設定
ニキータ・コラール(Nikita Coral)「水精の錬金術師」
1887? 水晶細工の店に生まれる。独学で錬金術を学び、1906年19才で国家資格を得る。イシュヴァール殲滅戦に参加、内乱末期に左腕を失い、中央の病院へ。四ヵ月後退院して、中央の自宅へ戻る。その後、国家錬金術師の資格を返上し、南部で療養・機械鎧を装着。あ、しまった、返上したところを書くのを忘れてた。まあいっか。
水晶細工に錬金術を取り入れたのは彼の代から。そのことで父親と大喧嘩して家を出ている。父が亡くなる直前に和解、店を継いだ。
精神的マゾの気がある。自分を追い詰めやすいタイプ。
あ、しまった、オチてない。まあいっry 本当はあと一話あるんですが何か書けないので一応ここまで。