水 晶 は 塵 を 受 け ず、 そ し て 花 火 は 烈 花 の 如 く
僕がスケッチブックを取り出すと、そんなものまで持ってきているのか、とキンブリーが妙に感心した声を出した。
頷きながら、僕はスケッチブックを捲る。こればかりは錬成できないから、と言うと、何故か彼は笑った。
先程とは別のテントである。
レガーは寝ると言ってあの後すぐに出て行った。それについていくように出て行ったマスタングは何も言わなかったが、ただ僕にきつい視線をくれた。僕は何も言えず、去っていくマスタングを見ているだけだったけれど。
そして僕らは、僕の荷物の置いてあるテントを締め切って、キンブリーをスケッチすることになった。水晶を彫ると言っても、イメージを掴むためにスケッチをする。モデルが実在の人物であるならなおさらだ。
「職人と言うよりは、芸術家のようですね」
言って、くすくすとキンブリーは笑う。
「これはほとんど趣味ですから。――カンを取り戻すためにも拘りたくて」
テントの中央辺りに入り口を背にして立っている彼を見ながら、僕は紙に鉛筆を走らせた。キンブリーはこっちを見ている。珍しく軍服をきっちり着込んでいた。夜の寒さもあるのだが、軍人を彫るからには軍服を着て欲しいと僕がリクエストしたからだ。快諾してくれたのは意外だったが、そちらの方が僕には都合がいい。
キンブリーはやや細身で、軍人らしい体格とは言えないが、それなりに鍛えられていることは軍服の上からでも解る。恐らくトレーニング不足などではなく、単に体質だろう。それに多分、少食なのだ。彼の体を見つめ、僕は簡単に把握するがてら感想を漏らした。
眼は殊更鋭く、鼻は高くも低くもなく、唇は薄い。眉間に皺が寄っているのは常からだ。口元に浮かべた笑みと相俟って、彼の皮肉げな印象を強調する。顔立ちは全体的にすっきりしている、と思う。背はそう高くないが、小男と言うわけでもない。美形かどうかは僕には解らないが、女性にはモテそうな気がした。戦場に限って言えば、男性にも。そう言う、どこか――好色そうな匂いがする。キンブリーと言うのはそう言う人だ。自分の趣味ばっかりに生きてるように見せて、そんな。
……火薬の匂いが薫った。それと砂と埃の。戦場の匂いだ。彼を見つめ、僕は鉛筆を強く握り締めた。テントの中に、鉛筆が紙を擦る音だけが響く。
背中を汗が滑り落ちるのを感じた。
「……何を怖がってらっしゃるんです?」
「怖がってなんか」
答えて、僕は途中で言葉を切った――既視感。テントの中を照らすのは、ランプの心許ない明かりだけだ。少し前に、同じことを言われた。目の前で、彼の眼が僕を見上げて。
目の前が歪んだような気がした。
怖がっているわけじゃない。違う、僕は――
「昼間も貴方は怯えていらっしゃった。何をそんなに、私を恐れるんです?」
「……そんな」
キンブリーの言葉に、僕は書く手を止めて顔を上げた。ぎくりとする。
彼の眼が、僕を真っ直ぐに見つめていた。
「あ」
何も言えなくなる。何だ……、これは。
「――私の錬金術を恐れますか? この手に刻まれた錬成陣を。その力を」
僕は答えられずに、馬鹿みたいに口を開けたまま彼を見ていた。
「違う、それならば貴方は、貴方にだって同じような力がある。マスタング少佐にも、そしてロックにも」
ロック、と彼は呼んだ。ロック・レガー。旧知だとレガーは言った。どこか似て、だがレガーがキンブリーを馬鹿にする振りをして近づかない。彼らの繋がりは、密接なようで離れている彼らの関係の真実は、僕には関わりのないことだ。
「それなのに貴方は私だけを恐れる様子だ。ぎこちないでは済まされない。私に対する何か、耐え難い恐怖が貴方にはあるようだ」
「……」
「貴方の頼みを引き受けたのも、それを知りたいと言う気持ちがどこかにあった」
近づいてくる。一歩、二歩。
僕は椅子に座ったまま硬直していた。彼の掌に刻まれた錬成陣。触れられれば――終わり、「石」のある今は、離れていても安全ではない。僕は彼を恐れている。彼の錬金術を、僕を今にも殺しかねない彼の気性を――そのはずだ。
だが、彼は違うと言う。僕が恐れているのは、もっと他のものだと。
「……何をそんなに怖がっているんです、少佐?」
「僕は――」
「私の何が、貴方をそんなに怯えさせるんです?」
例えるなら、母が子を宥めるように。その視線で、声で、キンブリーは僕を嬲った。慈しむような態度で甚振っているのだ。僕はスケッチブックと鉛筆を取り落とし、自分の息が上がっているのに気づいた。発汗が酷い、僕は、僕はそんな。
「――少佐?」
「厭……」
厭だ。
彼の眼がこちらを見ている。声が纏わり付き僕を撫ぜる。僕を見ている。キンブリーが……
「厭だ、ち、近寄らないで下さい!」
自分の体を抱きしめるようにして、僕は俯いて叫んだ。声は掠れ、喉から出たのは息が殆どだったが、彼には声が聞こえただろう。彼の足音が、止まった。
荒い息。僕の息遣いだけが、酷く大きく響く。鼻先から汗が滴り落ち、地面に落ちた。
「厭だ、何で、こんな、厭だ……こんなことを、こんな――」
何を言っているのか解らない。
ぐるぐると頭の中で色々なことが回っている。マスタングの平気なのかと言う言葉、レガーの趣味の悪い冗談、水晶となって全ての生命を停止した人々。キンブリーの笑い声、今の彼の言葉、僕は――
「……僕は……」
僕は、怖いのか。そんなに――彼のことが?
「大丈夫ですか? 少佐」
案じたような声。
キンブリーは苦笑していた。僕は、息を整え、呆然と彼を見上げて。
……僕は、僕は彼が怖いのか。本当にそうなのか。
本当に……僕が怖いのは。
「少佐?」
キンブリーがこちらを見て、怪訝な顔をした。
本当に僕が怖いのは、彼ではなく。
違う、そんなはずはない。そんな。
「少佐――酷い汗ですよ」
言って、彼はこちらの額に触れてきた。ただの手だ。彼が僕を爆破することが可能だからと言って、そんなことを恐れることはない。僕が――
僕が恐れているのは……僕は。
彼の眼を見返す。彼はこちらを見ている。不思議そうな顔、ただ、僕が何も言わないのに少し苛立っている。
立ち上がり、僕はキンブリーを見下ろした。キンブリーの手が額を離れ、僕は大きく息を吐く。
「キンブリー少佐」
「……何でしょうか、少佐」
少し警戒の色を浮かべて、キンブリーは聞いてきた。僕は何も言わずに彼の肩を掴み、そして。
国家錬金術師が戦場に投入されて一年半、そして「石」が配られてたった一ヶ月で、イシュヴァールの内乱は終結に向かっていた。あの石だ。国家錬金術師たちはまさしく人間兵器となって、各地でイシュヴァール人を殺して回った。――その中には、もちろん僕たちもいた。
水晶細工は遅々として進まなかった。一ヶ月も彫れないでいると言うのは異常なことだ。そんなに手をかけて作っているつもりはないのに、ゆっくりと。
思い通りに動かない、と言うわけではない。気が進まないのかも知れない。何故か僕は、キンブリーの姿を水晶に彫り込むことに躊躇いを覚えていた。そして、彼が、僕の細工のモデルになることを承諾したのかも解らなかった。
紅蓮の錬金術師。爆炎を好む。物体を爆発させるその瞬間の「花火」を、彼はこよなく愛する。それだけに人生を注いでいるようなものと言ってもいい。無生物だろうが生物だろうがお構い成しに、彼はそれだけを、愛する。そして、その美しい「花火」を愛する。――その彼が、自分の姿を留めておくような真似を、何故許してくれる?
僕は作りかけの細工を手の中で転がしながら嘆息した。今日は戦闘がない。みんな退屈している。僕もそうだ。テントの中一人で、ぼんやりとしている。あの時のことを考える。
……キンブリー。
僕は、目を閉じて、息を吐いた。細工を握り締める。汗が伝う。喉が渇く。
彼は、僕の名を呼んでいだ。何度も、何度も――彼が僕の名前を、名前だけを呼んだのは、あれが初めてだった。僕は。
――僕は。
「少佐」
声。
僕が顔を上げると、テントの入り口の布を捲り、キンブリーが外から顔を覗かせていた。僕は立ち上がって、眩しさに目を瞬いた。
「……何でしょう、キンブリー少佐」
「ちょっと野営地を回りませんか。どうも、何かある気がするんでね」
それならば、一人でもいいような気がする。彼は十分強いのだ。イシュヴァール人が襲撃してきたところで、彼が殺されるはずもない。
「――いいですよ」
だが、僕は頷いて立ち上がっていた。水晶細工を横に置く。彼がどんなつもりであっても、別に僕に関係はないし、それに――何か。
何か違和感があった。
笑みを浮かべて踵を返す彼の背を見つめ、僕は目を細める。あの日、あの夜――
僕は首を振った。何を考えているんだと自分を責める。そんなことを思い返したって仕方ない。仕方ないのだ。
彼の後についてテントを出た。
空は晴れている。雲のひとつもなく日差しは厳しい。イシュヴァールは年中そうだ。僕は流れ落ちる汗を拭った。暑いばかりではない、僕は緊張している。何故、こんなに僕は動揺しているのか。
キンブリーは早足だった。
野営地を一通り回り、ふと、彼は立ち止まった。
「キンブリー少佐? 何か――」
「もうすぐ、戦争が終わりますね、少佐」
訝しげに問う僕を振り返らず、彼はそう言った。
「国家錬金術師の投入、殲滅戦、ここに来て二年経つ」
彼は目だけで、僕を振り返った。――彼は僕を見ていた。あの目だ。鋭い、鋭い彼の目だ。あの夜と同じ。
……ぎくりとした。
「戦争が――終わってしまう。その恐さが解りますか? 少佐」
答えようもない。戦争が終わってしまう恐怖。そんなものは知らない。彼だって僕だって、この戦場が初めてのはずだ。だが、彼は違う。決定的に、何かが違う。
「駄目なんですよ。ここは居心地がよすぎた。ここから去らなければならない。もう焔も、血砂も、水精も、そして紅蓮も――居場所を失うんだ。英雄になって何になるって言うんでしょう? 私たちはここにしか居場所がないって言うのに」
いつになく酷く饒舌だった。目に強い輝きが灯っている。熱っぽい口調。彼らしくない、矢継ぎ早な言葉。
「私はどうすべきだと思いますか。これから私は自分で望んで入った軍に、自分の場所を奪われる。
この先何年も各地で暴動や反乱は起きる。むしろ大総統閣下はそれを望んでいる風ですらある……けれど、それに全て
国家錬金術師が派遣されるわけではない」
「そ、んな……僕には、そんなことは」
僕の声は震えていた。彼は――
彼の言いたいことは、よく解った。彼はこの戦場で本当に楽しげに、芸術的に、執拗に――人を殺し続けた。いや、「花火」を作り続けた。町を破壊し、砂漠を蹂躙し、――戦場を駆けた。彼はこの戦場の英雄の一人だ。だが、彼は英雄になんかなりたくない。軍での地位も彼には無意味だろう。彼の本当の望みなんてものは――
彼は笑っている。笑みを浮かべている。だが、迷子の子供のような心許なげな表情をしている。僕は、答えられずに首を振って後ろに下がった。彼は僕の手を掴み、それを許さない。
「ねえ、――」
僕は一歩足を踏み出し、彼の手を振り払い諭すこともできただろう。殴りつけて説得することもできただろう。だが、僕にはその両方とも不可能だった。できなかった。僕は。
「……」
彼が僕の名を呼んだ。
背筋に悪寒が走る。裏腹にどっと汗が噴き出した、彼が僕を見ている。彼は僕を見ている。掌が、僕の左腕に触れた。
「」
二度目の囁きは。
――爆発と重なった。
「あ、」
僕は何も言えずに地面に膝を突き、呆然とキンブリーを見上げた。左腕が肩から無くなっていた。吹き飛ばされた腕はもう跡形もなく、肩からはぶすぶすと煙が上がる――彼の、目が、真っ直ぐに僕を見下ろしている。何で、何故こんな。
彼の両の掌が僕に伸びる。頬を包み込むように。
――殺される。
「」
吐息に乗せて彼は囁いた。あの夜の、あの睦言のように。何度も何度も、僕の名前を呼ぶ。
僕は彼から、目を逸らせず。
不意に。
彼が何かに気づいたようにちらりと視線を横に逸らした。その頬に、拳が叩き込まれる。キンブリーは、そのまま横に吹っ飛んだ。僕の頬から彼の手が離れていく。呪縛から解けたように、全身からぶわっと汗が噴き出した。肩が、痛い。悲鳴も上げられず、僕は肩を押さえる。じゅっと、指が灼ける嫌な音がした。
「……レッツェン」
キンブリーがきょとんとした顔で呟く。僕が顔を上げると、彼を見下ろしたまま、ロック――ロック・レッツェンが拳を握り締めていた。彼女はこの戦場でつい先日婚約者を失って、亡くなった婚約者のそれに改姓したのだった。
彼女は見たことのない、強張った顔をしていた。怒っている。あるいは恐怖、している。何かに。そう見える。
「何を……している、キンブリー!」
震えた声を押さえるように、彼女は殊更低い声で叫んだ。口の中を切ったか、キンブリーの口の端から血が伝う。
彼はそれを拭って、にやりと笑みを浮かべて立ち上がった。
「……そんなに怖いですか、レッツェン」
キンブリーも僕と同じことを感じ取ったのか。
だが、レッツェンは馬鹿にしたような顔になった。
「何のことだ? 私はお前のことなんか……」
「違いますよ」
キンブリーが目を細める。つまらなそうな目。退屈そうな表情、興味がないと言う色を、前面に押し出した顔。
「そんなに彼が大事でしたか? レッツェン」
「そんなことは今関係ないだろ。……私が聞きたいのは、何でお前がこんなことをしたのかだ。
言え。答えようによっては、ここで私が殺す」
「簡単ですよ」
それに気づかずか、あえて知らない顔をしているのか。黒手袋に刻まれた錬成陣を示し圧するように言うレッツェンに、キンブリーは肩をすくめて見せた。血混じりの唾を吐き捨て、未だ地面に膝をついたままの僕を見る。
「彼が、私を抱いたからですよ」
「はあ?」
場違いな程に気の抜けた声を出し、レッツェンは僕の方を見た。僕はすぐに俯いて、彼女と視線を合わせないようにする。彼女は舌打ちしたようだった。
「……が気に入ったのか? キンブリー?」
手袋を外しながら、レッツェンは聞いた。手袋の下、掌に傷跡が残っている。錬成陣の傷跡だった。ついこの前やっと包帯が外れたばかりだ。
「はい」
その声は彼らしくなく朗らかで、僕は思わず顔を上げる。
キンブリーは笑っていた。
「そうか」
レッツェンは特に何も感情を込めずにそう呟いて、無造作にキンブリーに歩み寄った。ふと屈み込み、砂を掴む、さらさらと指の間から砂が零れ落ちた。彼女の掌が地面に押し付けられ、そして。
それでほとんどその場は収まった。レッツェンに拘束され、キンブリーは抵抗らしい抵抗もしなかった。
僕のところには衛生兵がやって来て、十分とは言えない治療をされた。ドクター・マルコーは、つい数日前に石と研究資料を持って、遁走したばかりだった。
……そこで、僕のイシュヴァール戦争はひとまず終わりを告げる。
数日間高熱が続き、それが落ち着いたころに――僕は他の怪我人と一緒に、
中央へ返されることになった。
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再度ぶつ切り。
いろんなところに むりがある。