――ゼロス!
 声が響く。が、聞き取れたのは自分の名だけで、その先は――聞こえなかった。
 ……残念ですねえ……
 彼は、心の中だけで、嘆息した。先ほどまで思考を奪っていた、全身の激痛はもうなく、代わりにすべてがぼやけて闇と化す。あの明るい瞳も。
 ――すべて。
 彼は言葉を紡ぎ出す代わり、最後の力で、手を栗色の少女の頬に添えた。乾ききっていて、涙なんぞ望めそうもない。彼はかすかに苦笑した。
 ――心の中だけで、だが。
 ――あなたたちの声……もう、僕は聞けないんです……ね……
 腕は、やがて力なく頬からずるりと離れる。
 そして。
 地に落ちる前にそれは消えた。




 白い――
 白い灰となって。




精神世界面アストラル・サイドにて




「全く……リナさんたちったら、僕が『死んだ』だけだってのに、あんなに大騒ぎするなんて。
 自分が殺したってのに……甘いもんですね」
 くつくつと、楽しそうに彼は言った。
 『精神世界面アストラル・サイド
 それが、彼が本来身を置くべき場所だった。
 そして、この世界の向こう――紙一重で重なる世界は、しかしある程度力のあるものでないと行けない、手の届かぬ世界――
 まぁ、彼ならばさほど努力しなくても、簡単に行ける世界ではあった。
 だが。
 今、彼は『死んで』いる。
 向こうの世界への物理的干渉力を失っているため、彼女たちの世界に行くことができないのだ……もっとも、そんなに大したことではない。
 ほんの数百年ほど、我慢するだけでいいのだ。別に――大したことではない。
 ――にしても……僕が『死ぬ』なんて、それこそ何百年ぶりでしょうねぇ……
 彼は軽く目を閉じた……まぁ――ここは精神世界面、彼の本来の姿は『黒い錐』なため、『目』なんぞないのだが、今はとりあえず人間の姿を取っていた――その方がややこしくなくていい。
 まぁ何にしても、彼にとって『死ぬ』のは、本当に久しぶりだった。
 ――人間の寿命は約百年。魔道を行使しても、たった数百年。
 彼があの世界に戻る頃には、あの少女はもう老婆か……それとももう死んでいるか、はたまた転生しているのか。
 もっとも――生きていたとしても彼のことを覚えていないかも知れない。
 もたらされた強大過ぎる魔力の為、かの少女は多くの試練――言いかえれば、避けることのできない『厄介ごと』がこれまでも多くあったし、これからもそうだろう。
 彼とて、彼女にとってはその『厄介ごと』の一つでしかないのだ。
 しかも、彼はもう過去の存在だ――彼女が速攻で忘れても無理はない。
 ……もしかしたら……次に会うのは金色の母のところ、何て言うことも、あるかもしれませんし……さっさと世界が滅んで下されば、手っ取り早く会えるのかもしれませんしね。リナさんや、ガウリイさん、アメリアさん、ゼルガディスさんとかと……
 彼はまた心の中で苦笑した。心に思い浮かぶのは人間ばかりだ――魔族のものなど思い浮かばない――
 ――そういえばシェーラさん、滅んでしまわれましたけどお元気でしょうかねぇ……
 ぼーっ、と彼は考えた。滅んだのに元気も何もないもんだが。
「ゼロス」
 声が聞こえた。
 かの少女の声とは違う……大人の女性の声だ。彼はそちらの方を振り向く。
「……あ、ゼラス様……」
 間の抜けた声で呟いて、はた、と気づく。
 ――その気づいた問題を、弁解する前に女性が指摘した。
「いつからお前は私のことを名で呼べる身分になったのだ?」
「あ、ああああっ! すいませんすいませんっ! いや今ちょっとぼーっとしてたもんですからっ!」
 彼は――ゼロスは慌てて謝った。自分の主に、そして我が親に。
 金の髪を短くまとめた、どことなく――鋭い感じを受ける女性。それが、彼女だった。その女性――獣王グレーター・ビーストゼラス・メタリオムは、呆れたように眉をひそめた。
「まぁいい。それより……
 ゼロス――人間に殺されるなど、お前らしくもない――いや――」
 獣王は、一瞬目を伏せた。次に開いた瞳は、鋭いものだった。
「――お前は、人間にしか『殺され』たことがない。竜族すら圧倒するお前が、どうして人間ばかりに『殺され』る? あのような小さき存在ものたちに……」
 それは――おそらく彼女の単純な好奇心だろう。
 ゼロスは獣王ではなく、その後ろにいる――見えそうで見えぬものを見つめる。
「例えば――ドラゴンは、安定した戦力を誇っています……そして――エルフも、非力ながらも、魔力でなら人間を軽く凌駕している……」
「つまり、安定していない――不安定な力を持つ人間は、予想がつかないと……そういうことか?」
「さぁ……僕は、人間じゃあありませんから、そこまでは――」
 彼は口調に笑みを含ませた。口元には――苦い笑み。
 ――もし彼が『錐』だったのなら、それでしか相手に感情を伝える方法がなかっただろう。結局のところ、人間の姿と言うのは相手に自分の『感情』を伝えるのに、一番手っ取り早い方法だったのだ。
「そうだな……確かにそうかもしれん。
 だが――」
 両の目が閉じられかけ、またこちらを見据えた。
 ――押し寄せる、圧迫感プレッシャー
 今までとは比べものにならないほどの。
「お前は時々魔族らしからぬ行動をするからな……」
「……そうですか? 僕が?」
 ゼロスは微かに眉を寄せる。苦笑、と言ってもいい顔になった。
「そうだろう? あの――リナ=インバースとか言ったか――あの娘に関わってからお前は恐ろしいぐらい『変』だったぞ」
「う゛っ!」
 思い当たることがあるのか、ゼロスは呻き声を上げた。彼女はそんなことは気にもせず、ずかずか話を進める。
「気ぐるみ着たり、テニスやったり! 女装したりッ!
 ――降魔戦争の時期も、あそこまでヒドくはなかったぞ!」
「あああああああっ! それはアニメ版の方なんですから触れないで下さいよぅっ!
 ……第一、それならシェーラさんだって、コスプレしてたじゃないですかぁ(本編十二巻参照)……」
「あれはれっきとした任務だっただろう!
 ……それよりなんか今妙な間がなかったか?」
「そうですか?」
「……………そのことはまぁいい。
 それよりもっ!
 降魔戦争の時は降魔戦争の時で――悪ノリしまくってただろーがっ!
 我らが出番失くしてお前一人で目立ってっ! 竜族こてんぱんにして!
 ……まぁ魔族の力を見せつけるのには十分だったとは言え、ちなみにあのことは覇王がネに持ってたぞ」
「それは獣王様のキャラぶち壊しますから、触れない方がいいと思います……
 ……覇王様はまぁ……そちらのほうに触れるとなんか落ちてきそうだからやめますが」
 おろおろと言うゼロス。
「――お前がそうなったのは、いつからだったか……」
 本気で悩み始める獣王。ゼロスは頭を抱えていた。
「そもそも創造つくり方を誤ったのかも知れないな……
 ――いったんお前を滅ぼして、別の奴を創造ってみるか?」
「やめてくださいぃっ! だいたい僕ほどの実力とか持った神官プリーストとか将軍ジェネラルは、そーそーには創造れないと思うんですがっ!」
 慌ててゼロスは叫んだ――『性格が気に入らないから』と言う理由なんぞで滅ぼされた日には、混沌の母に大笑いされるのがオチである。
 なんとしてでもそれは防がねばッ!
 ――が、彼は墓穴を掘るのが好きだった。
「……実力『とか』……?」
 疑問の声を上げた獣王に、ゼロスは首を傾げて見せて、
「――え?
 ボキャブラリーとか料理とか――あ、あと僕は繊細です! 精神攻撃効きまくりですっ!」
「……やっぱり創造りなおそう……今度は女にした方がいいか?」
「じ、獣王様ぁぁぁぁぁぁっ!」
 精神世界面に、獣神官の悲痛な叫びがこだました……




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