「ヴィリシルアさん、僕と結婚して下……」
ばきぃぃいっ!
黒い髪に黒い瞳をした男――
獣神官ゼロスのたわけたセリフが終わるその前に、金髪の美女ヴィリシルア=フェイト――ヴィリスの紅く光る回し蹴りが彼を襲った!
お昼のごはんどき、どこにでもあるようなふつーの食堂でのできごとである。二階は宿屋で、フェイトとガウリイはまだ寝ているようだった。
しかし……今の、どう見ても魔力込めてたよなぁ……
ツッコミとはいえ、だんだん手加減情け容赦無用の何でもありになってきてるぞ。ヴィリス。
ともあれ、壁にぶつかり倒れ伏すゼロスに彼女はつかつかつかっと近づいて、
「どぉぉぉっして、そぉんなことを言い出したのかなぁ。お前はー――」
ぐりぐりと足蹴にしながらなんだか怖い口調で言う。その足にも魔力が込められているようで、ゼロス、心なしかいつもよりかなり苦しそうである。
ま、いいか。ゼロスだし。
彼もそのまま足蹴にされているのも嫌ならしく(当たり前だが)、引きつり気味の笑顔を作り、
「ほ、ほら、僕ってば人間研究熱心ですから♪」
「わけ解らんわいっ!」
「えっと、先日、書物を漁っていたら、神父が新郎新婦に言うセリフが目にとまりまして。ほら、誓いの言葉の時の!」
言われて彼女は少し考えて、
「……『いついかなる時も共にあることを誓いますか?』」
「ええ! そうそうそれです!
――それで、僕とヴィリシルアさんが結婚すれば、ヴィリシルアさんもフェイト君も魔族に入ってくれるかなー♪ なぁんて……」
「つ、ついにプライドを捨てたか……」
ため息をつきながら、あたしは呟いた。
それにゼロスはむっとした表情を形作る。そしていつの間にかヴィリスの足から逃れて立ち上がり、力強く叫んだ。
「ほっといてください!
――いつまでも任務が終わらないから怒られるし、獣王様は覇王様と仲が険悪で八つ当たりは僕に来る――そんな地獄のような生活が終わるんだったら、どこぞのワガママ黄金竜とだって仲良くしますよ!」
「……された方もされたほうで不気味だと思うけどね」
あたしは言いながら、ゼロスにそんな事をされた時の『ワガママ黄金竜』の顔を想像してみる。
――ちょっと面白いかも……
あたしの心中はともかく、ヴィリスはうんざりとした――それでいて呆れたような顔になり、
「どうでもいいけどお前、なりふり構わなくなってくにつれて頭も悪くなってるような気がするぞ……」
同じく呆れたような声で呟いた。
「……ほっといてください」
自覚はあるのか、彼はかすかに頬を膨らませた。
――おいおいおい。見た目二十歳実年齢千歳以上の男(?)が、それをやるか?
しばしあたしはジト目でゼロスを見つめ――やがてゆっくりと口を開く。
「…………あんた、ほんっっっとうに五人の腹心以外の魔族で一番強いわけ……?」
「はっはっは。リナさん、気にしちゃ負けですよー」
誰に負けるんだ。誰に。
心中のツッコミは、当然のことながらゼロスにはとどかない。彼はなにやらぐっ! と拳を握り締めて、
「ともかくッ! そんなわけで指輪もちゃんと持ってきました! 教会もちゃんと確保してあります!
さあ、この婚姻届にサインを……」
「す・る・かぁぁぁぁぁぁ!!」
半ば本気で放ったと思われる魔力衝撃波(強)は、ゼロスと、ついでに周りのテーブルやらなにやらを、ものの見事に吹っ飛ばした。
あたしはそれを見ながら、心の中でこう呟く。
食堂のおっちゃん、ごめん……と――
平和主義者の魔王様
「――で? マジな話、一体何の用できたんだよ。お前」
しばし倒れたまま痙攣を繰り返していたゼロスを踏みつけて、ヴィリスは眉を寄せて問うた。
彼は意味なく朗らかに笑い、虚空を渡ってふわりとあたしの横に現れ、ヴィリスの方向を向くと、
「いやぁ、ヴィリシルアさん察しがいいですねぇ。
――どうしたわかったんです?」
言われて彼女は困ったように、
「なんつーか……お前が何かふざけた調子で現れた時は、何か厄介すぎる事件が起こる予感がするような気がしてだな……
「ああ成程」
納得するんかい。それで。
――まぁ、あたしも何かゼロスが厄介ごとを運んできたような気がしたのは事実である。ヴィリスの言っていることが本当かどうか――本気か否かはともかくとして、あたしは彼の方を見て、
「それで、何の用?」
「ですからヴィリシルアさんに
婚姻届にサインをしてもらいに……」
「それはもういいんじゃい!
……いや、確かにそれも遠慮したいし厄介事ではあるが……それはともかく!
本題の方を言えって言ってんだよ! 私は!」
ゼロスは少し沈黙し――やがて口を開いた。
「実はリナさんたちに一緒に来て欲しいんです。
――頼みたいことがあるんですよ」
『頼みたいことぉ?』
ハモってあたしとヴィリスは一様に、ゼロスをジト目で睨みつける。
「魔族のあんたが、あたしたちに『頼みたいこと』?」
「はい」
「……なんかもう、その時点で怪しさぷんぷんなんだが?」
「そうですねえ」
あたしとヴィリスの問いに、おもっくそひとごとのように答えるゼロス。
はあぁあぁぁぁぁ……
あたしは大きくため息をつくと、
「――じゃあ、聞くわ。
あんたは『どこに』『なぜ』あたしたちを連れて行きたいの?」
「……『どこに』は――ライゼール王国の端の端に位置するとある山村とだけ言っておきましょう。
『なぜ』かは――」
「秘密だ――と?」
ヴィリスの問いに――
予想通りというかなんと言うか、ゼロスはこくりと頷いた。
「そういうことです」
『………………ヤだ』
あたしとヴィリスは、見事にハモってそう呟いたのだった。
――めでたし、めでたし。
「ってリナさんヴィリシルアさんッ!? 何か何事もなかったかのようにカウンターの方に去らないで下さいよぉッ!」
「やっかましいッ!
あんたのせいでヴィリスが行った破壊活動のおかげで、弁償しなきゃなんないのよッ!
引き止めるならあんたが弁償代払う!?
それにッ! ンな怪しさ大爆発なセリフちらつかされて、のこのこついていったら、単なるドアホか物好きよッ!
それだったら婚姻届の方がまだまだ可愛げがあるってもんよ!」
あたしはゼロスに大声で、一息にそう叫び――
「…………リナ」
ぎく。
ヴィリスの限りなく低い声に、思わず硬直する。
「気にしないで。ヴィリス。
言葉のあやよ」
「何がだ」
いたって本気なあたしの言葉に、彼女は非情にもそう呟いたのだった。
――ツッコまないように。
と。
「ゼロス様――まだやってたノ?」
ぎぃぃ……ちりりん。
声と共に――食堂の扉が開く音。今のちりりん、という音は、鈴の音だろう。ドアのところに鈴がついていて、開けると鳴る仕組みである。
ちょっと間抜けだぞ。
――ともあれ、聞き覚えのある声と共に現れたのは――
「グロゥ――?」
眉を寄せ、ヴィリスが呟いた。
そう、そこに立っていたのは、水色の髪に黄緑色の瞳、という、おおよそ冗談のような容姿をした二十歳前後の青年――に見える高位魔族、
覇王神官グロゥだった。
って…………あれ?
何かちょっとした違和感に、あたしは眉を寄せ――
「お前、髪――?」
口の中だけで呟くヴィリスに続いて、あたしも首を傾げる。
――ああ。解った。
「髪が――長くなってる?」
疑問形で呟いたものの、考えてみれば当たり前である。
彼は魔族で、人間ではない。魔族とは、『実体』とゆーものを持たない精神生命体。つまり、ころころと姿が変わろうが――要するにちょっと髪が伸びようが、全然驚くには値しない、ということである。
「君ら、僕に会う度にいちいち驚くクセやめたら?」
彼はため息混じりにそう言って、ゼロスの傍に歩み寄る。近くで見ると、やはり髪は長くなっていた――あたしより長いんじゃないだろうか?
しっかし、会う度にころころ姿が変わるなんて――
ヘンな魔族。
「――ふん」
ヴィリスはグロゥの言葉を鼻で笑うと、
「余計なお世話だ。ゼロスみたいに毎度毎度変わりばえしないってのも問題だが、お前みたいにころころ姿が変わるのもお断りだな――定食屋のだっさい日替わりメニューじゃねぇんだ。ちったぁ落ち着いた姿でいろよ」
……うっわぁ……
なんとゆーか、普段敵対するものに見せる毒舌の、それにもましてキッツいセリフである。
――まぁ、それも当然と言えば当然か。
少し前の話だが、グロゥは彼女の義弟を操って人を殺させまくった挙句、ヴィリス自身にも大怪我を負わせているのである。彼女のグロゥに対する態度も、それを知っていれば頷ける。
――が。
これはかなり意外――グロゥはまったく動じなかった。いつもならぎゃーぎゃーと騒ぎ始めるはずなのに、である。
「悪いケド、今は君なんかに構ってる暇ないんだよネ」
「『なんか』……?」
うわっ……
完全に馬鹿にしきったグロゥの言葉に、ざわりっ、とヴィリスから威圧感が芽生えた。
声は静謐だが、込められた意思は明確だ。殺意と、怒り。
――こ、こりゃかなりキてるぞー……
しかし。
それにもグロゥは、呆れたようなため息をついただけだった――さすがは
ピエロ魔族ッ! ゼロスと格が違う! いやゼロスの方が強いけど!
――いや、それはともかく。
グロゥはもう一度ため息をつくと、ゼロスに向かって、
「急いでいるってわけでもないケド――のんびりしていたくもないんだヨネ。
――ゼロス様。イイ?」
「まぁ――リナさんたちは了承してくれないでしょうし」
一人の魔族の問いに、もう一人の魔族がこともなげに答える。
――じょ、冗談じゃない!
あたしは相手の意図を察して、思わず顔が引きつった。
「じ、実力行使ってワケ!? ンなの卑怯よッ!」
その言葉に、グロゥはにぃっと笑った。
「実力ネェ――
まぁ、こぉいうのも一応実力――カナ?」
ぅえ……ッ!?
グロゥがそう言った途端。
視界が揺らぎ――途方もない眠気に、頭がふらふらし始めた。
あたしは思わず膝をつく。
――
眠り――
強力な眠りの魔法だが、これは――それをさらに数倍、眠気がキツい。
まぶたが持ち上げられないほど重い。あたしのまぶたは鉛製でも鋼製でもないんだが……
そして、意識が――ぷっつりと、途絶えた。
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