「オセロ」
 口の中で呟いて、少年は笑った。
「オセロか、オセロ……うん、いいね」
 頷きながら、ベッドの上から飛び降りる。男に手を差し出してプラスチックの石を受け取り、
「じゃあ、今日からそれが僕の名前だ」
「そんな簡単に決めて、いいもんですかねぇ」
「自分で言っておいて、それは無いんじゃないッ?」
 苦笑する男に問い返し、石を放り投げ、またキャッチして。
「僕の名前は、オセロ」
 次に石を投げると、それは上手く緑の盤の上に着地した。
「僕と、炎獣サラマンダだけの名前。
 ……他の奴には秘密だよ?」
「ええ、そうですね」
 男は盤をベッドの上から取り上げて、滑り落ちてきた石を手に取った。
 少年は男に近寄って、いたずらっぽい笑みを浮かべ、見上げる。
「――呼んでみてよ」
「?」
「僕の名前」
「……はい」
 男は笑って、盤をベッドの上に落とし、少年の頭を軽く叩いた。
「オセロ――それが、貴方の名前です」




オセロ




 砂利を踏むと、足の裏に感触が返って来る。がり、という音がした。
 俺は足を止めて、高く晴れた空を見上げる。
 数週間後。
 第一研究所は所長以下百数十人の犠牲を出して壊滅し――国は遺品を遺族に引き取らせ、研究所は壊して、慰霊碑と公園を造る予定のようである。
 綺麗な更地になった研究所跡は、運動場並に広く。
 あんなことがあったなど思い返せないように、乾いた地になっていた。
 やがてこの上に木々が立ち、石畳が引かれ、大仰な慰霊碑が建てられる。印喰マーク・イーターのことなど誰も知ることなく……それが一番いいのだろう。
 人が知るようなものではないのだ。彼のことも、彼の仲間のことも。
 砂利を踏みしめながら、俺は歩いてく。更地の向こうにはビルが立ち並んで、人通りもまばらだった。
 ――そうして俺は。
 広い研究所の、元は彼がいた部屋があった場所で――そう思われるところで――、足を止めた。そうかも知れないし、違うかも知れない。どちらにせよ砂利と砂だけがあり、何の思いも湧いて気はしない。
 だが。
「……!」
 ――俺は口の中で小さく叫ぶ。
 しゃがみこみ、それを手に取った。
 引き取られなかった、引き取り手がいるはずも無い遺品。
「……ああ……」
 俺は声を思わず上げていた。拾い上げるが、すぐにそれは地面に落ちる――手に力が入らない。
 地に手と膝をついて、俯く。
「……ああああっ……!」
 声が漏れた。何も言えない。言いたいことは沢山あった。けれど何一つ言えずに。
 水滴を弾き、太陽の光を反射して。
 安っぽい、プラスチックの――オセロの石がきらめいた。




 空は酷く晴れていた。風一つ無い日だった。




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