「そうか……『チーフ』が……」
『チーフ』のことを知っていたのか、青年がポツリと呟いた。『チーフ』は研究所の長――要するに所長だった。何故あの男が所長ではなく『チーフ』と呼ばれていたのかは知らないが。
「『チーフ』が拳銃を撃つのを止めようとして、俺が撃たれた。
庇ったなんてたいそうなもんじゃないですよ」
「……
印喰はそう思ったのか?」
「は?」
「君が自分を庇ったと」
「まさか」
思わず言って、俺は自分の左腕を指してみせた。
「俺はその前に、彼の左腕を吹っ飛ばしてるんですよ」
「だが君は生きている」
「……えぇ、左腕を喰われていない。
でもそれが何になると? 俺は未だ何をしたいか解らない……彼の為になるのは、彼を殺すことか、彼を生かすことかも」
青年はわずかに笑い、俺を見上げるように覗き込む。
「……君が何故、奴を殺そうとしたか。奴を庇おうとしたか、教えてやろうか」
「?」
「簡単さ。君は奴と一緒にいたかったんだろう。死のうと死ぬまいと」
「……え?」
意味を理解するのに、少し時間がかかる。青年は構わずに続けた。
「一緒に逃げるにも無事に研究所から出られるわけが無い。
印喰だけならば無事に逃げられるかも知れない。けれど、君はそれが許せなかった。
彼を庇ったことについても同じような話だ。彼が先に死んでしまったら、君はどうすればいいか解らなかった」
「……共に在りたいが為に、ですか」
俺は苦笑しかけて――そういう結論でもいいかも知れないと思った。
つい先程の過去よりも鼻先に広がるこれからだ。
……今、俺は何がしたいのか。
その問いに対して、この青年が答えを出してくれた。
「――彼を止めましょう」
俺の言葉に、青年は頷く。
「もうすぐも何も、俺は今日退院ですしね」
「そうなのか」
驚いたように言う青年に、俺は思わず笑った。
「
炎獣は傷の直りが早いんですよ。
知ってますか? 火トカゲって言うのは、炎を食って皮膚を再生するんです」
「へぇ」
青年は俺に感心したような顔をして、しかしすぐに顔をしかめる。
「……それは良いが、どう探す?
奴はこの街の何処にいるかも解らないんだぞ」
「俺が外に出れば、彼はすぐにやってきますよ」
「? 何故?
奴は君を殺さずにおき、どこかへ去り、君は死ぬ前に発見されて病院に運ばれたんだろう……いや、ちょっと待て、今のは変だった。
何故、奴は君を放ってどこかに行ってしまったんだ?」
「……彼は痛覚を除去されています。それに、怪我というものの存在も知らない」
青年は腕を組み、俺の話を聞いている。
「俺が怪我を負って動かなくなった時、彼は俺を死んだと思ったでしょう。出血し、意識を失っている。確認もしなかったでしょうし。
彼は第一研究所が自分を殺そうとしていることを知っていた――だから『死体の俺』を置いてどこかに逃げざるを得なかった」
「……ふん」
納得したのかしていないのか、青年は腕を組み直し、声を漏らした。
「それに彼は鼻が利きましてね」
「?」
「俺がこの消毒液臭い病院から出れば、俺の臭いをかぎつけてくれるでしょう」
「……成る程ね」
青年はなんともいえない笑みを浮かべる。俺もまた、苦笑した。
「
〇〇?」
「うん。そう、僕の
名前」
少年が頷くと、黒っぽい赤毛をかき回しながら男が苦笑した。何か自分はおかしなことを言ったのだろうか。
印持ちにナンバーがついているように、少年にも、彼の仲間にもナンバーがついていた。初めの番号……印持ちのナンバーは1から始まるので、少年たちは完全に別物になる。
「何か変な感じがしますねえ。ナンバーってこともあるかも知れませんけど」
「だったらこっちで呼ぶ?」
と、頬に走る黒い印を障りながら言うと、それもなぁ、と彼は苦笑した。
「名前っぽくないんですよね。俺みたいのならまだいいんですけども……あぁ。
どうせなら、新しく名前付けちゃいます?」
「えぇ?」
「いえいえ、本気ですって!」
笑う自分に、俄然やる気が出たように男は話した。
「確かに、ナンバーとかよりはいいかもね……でも何かペットみたいじゃない?」
「そんなこと無いですよ、ペットだなんて!」
「――あーでも、
炎獣。
それにしたって――どういう名前をつけるのさ?」
「そうですねえ」
男は考えながら、部屋を見回す。ベッドと天井と床と壁。窓も無い部屋だが。
「――あぁ、これがいいんじゃないかなぁ」
言いながら、ベッドの上のそれを取り上げる。白と、黒。裏表で色が違うプラスチックの石。
「どうでしょう?」
照れたように笑いながら、その男は言った。
オセロ
病院を出て、俺は久しぶりに外の空気を吸う。
実際のところ入院して二週間ほどしか経っていないのだが……俺が最後に外に出たのは五年前だ。俺は彼と同じように、あの狭い部屋にいたのだ――それを辛いと思わなかったのは、彼と共にいたからか。
俺の横に立ちながら、青年はこれからどうする、と聞いてきた。
「――今までの五人は、大抵夜中に殺されてる。
人間に見つからない程度の知恵はあるみたいだな」
「彼は頭がいいですよ。見つかればどういうことになるか知っている」
「……成る程、すぐさま軍隊が飛んでくるな」
言いながら青年は首を振った。
「そういえば――奴はどうして左腕だけを喰うんだ?」
「ああ、再生能力ですよ」
「……また腕が生えてくるとでも?」
流石に顔を引きつらせる。信じていない顔ではないが、信じられないという感じではある。
「実験では、切り落とした指は再生したそうです。俺は見ていないけど」
「……その為に印持ちは何人死んだ?」
「一人」
俺は黒い印の浮かび上がる左腕を指先までなぞりながら、
「俺たちの能力は腕や頭、足とかいう大雑把なところにありますよね。実験では、右腕の指を全て切り落とし……喰べたのは
切り裂きジャックの右腕だったそうですが」
「……それで……
腕を再生するには何人喰えばいいんだ?」
「十人前後だと思います」
「ああ、ようやく折り返し地点ってところか……」
ほとんど投げやりな口調で青年は首を振る。呆れているという表現が正しいだろう。
「……それと。
最後にもうひとつ」
「何です?」
青年はこちらを見上げ、睨みつけるように目を細めた。
「お前は、今度はどうする?」
――生かすのか、殺すのか。
俺は服の上から胸に触れた。硬い感触が返ってくる――彼から左腕を奪い、俺の胸を突き破ったのと同じモノ……拳銃。
「あなたはどうするんです?」
俺は逆に聞き返した。この青年にとっては、彼は親友の仇だ。
「さぁ……」
答えかけ――途中で青年は固まった。
「? どうしたんですか?」
目を見開いて硬直する青年に問いかける。
「……あれ……」
震える声で呟きながら、黒い印のつく右手を、ある方向に向けた、そして――
左腕の無い少年がそこに立っていた。
不思議そうにこちらを見つめる、紅い眼が見える。
緑色の髪は乾いた血で固まり、袖のない黒いシャツも、同じような状態だとうかがえる。
白いスラックスもどす黒い紅に染まっていた。元々そういう色だったように。
「
炎獣?」
絶句している俺と青年に――俺に、彼は首を傾げて問いかけた。
「何で此処にいるの……?」
顔が、見る見る歪んでいく。笑顔にも泣き顔にも……怒っているようにも見える。
「死んだんじゃ、無かったの?」
俺は後退しかけ……止めた。
代わりに歩き出す。彼に向かって。
「――お、おい!」
我に返ったのか、青年の慌てたような声が後ろから聞こえた。俺は振り返らない。聞こえないふりをした。
「……お久しぶりです」
四、五歩の距離で俺は足を止め、小さく頭を下げた。
「
炎獣……?」
少年は不安そうにこちらを見上げる。
「ごめんなさい――オセロ」
もう一度、今度は深く頭を下げた。
「何で謝るの……?」
忘れてしまったように彼は呟く……本当にそうならばどんなにいいことか。
笑みが自然に浮かんだ。
彼を見ながら、胸に手を当てる。
「俺は、もう決めました」
「――
炎獣!?」
これは青年の声だった。俺は答えないで、さらに彼に近づいていく。
「だから……」
しゃがみこみ、彼を抱きしめて。
「……だから、恨んでくれたっていいです。怒ってくれてもいいです」
「?」
首を傾げて、彼は笑った。手に触れる彼の背は、乾いた血の感触がする。
……最初からこうするしかないのは解っていた。だが踏み切れなかった。だから沢山、人を喪ってしまった。
「俺は、一緒には行けません」
懐から銃を抜き。
その先に触れる頭の硬い感触に、嘔吐しそうになったけれど。
「……ごめんなさい」
どんっ
引き金を引く。大きな銃声――血が、飛び散った。
頭部が破壊される……しかし。
「……っ……」
静寂に頭が痛くなる。血塗れになった少年は、わずかに痙攣を繰り返し。
服を掴む感触に、俺はため息を付いた。
――まだ、死ねないのだ。
彼は……
印喰というものは。
何てモノを、造ったのか。造ってしまったのか……人間は!
「……」
彼の口がわずかに動く。
「……」
俺にしか聞こえない声で、彼は囁いた。
「えぇ、そうですね……」
頬に散った血の上を、涙が伝う。
「そうですね……ッ……」
しゃくり上げ、俺は何度も頷いた。拳銃を取り落とし、強く、彼を抱きしめて。
彼は、笑っていた。
笑いながら、頷き返して。
「……
炎……」
言いかけて――動きを止める。
多分……永遠に。
「……オセロッ……」
『オセロをしようよ――
炎獣』
記憶の中の彼の声と、
現実の囁きが重なる。
答えられない願いに、それでも頷くしか術はなく。
「
炎獣……」
背後で聞こえた青年の声に振り向かず……俺は左腕を、指揮者のように振った。
腕の中に生まれた熱に歯を食いしばる。赤々と燃える炎が眼に焼きついて離れなくなる。
……彼の死体を残してはいけない。
解剖など……、馬鹿みたいな研究などさせてたまるものか。そんなものに何の意味がある!
顔に笑みを浮かべたまま、彼は燃えていく――炎がゆらゆら揺れた。
灰になっていく少年に、俺は笑いかけた。
「……すいませんでした」
呟いて。
俺は青年を振りかえった。
青年は燃える炎を見ながら。
――小さく、首を横に振った。
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