「――ん? リナ、お前だけか」
鼻をくすぐる、お茶のよい香りと共に。
ドアをノックして部屋に入って来たヴィリシルア=フェイト――ヴィリスは、そんな呟きと共に怪訝に眉を寄せた。
気持ちのよい昼下がり、開け放った窓から吹き込む風は暖かく、天気は快晴――雲は少なく、ちぎれ雲がぽつぽつと散って、蒼穹の鮮やかさを際立てる。
ゆったりとした休日を過ごすにはこれ以上ないだろう、と言うシチュエーションである。
……確かに、それにお茶の一杯も加われば、最高のぜーたく、と言う具合だが……
あたしはヴィリスが持つお盆と、その上に載った四人分のカップを見て、きょとんとした顔をする。
「ガウリイとエフエフなら、連れ立って町を散歩しに出かけたわよ。
けっこう騒がしくしてたけど――気付かなかった?」
「ん、厨房を借りてたからなァ」
あたしの連れと、彼女の弟。二人の名前とあだ名を聞いて、後ろ手に――いや、後ろ足にドアを閉め、ヴィリスはさして残念そうでもない顔で首を傾げた。
まあ、確かにあの二人に『優雅にお茶』と言うのは似合わないだろうし、いないならいないで、と言うことか。お盆には幸い、ティーポットが載せられている。お茶はまだあの中で、注がれるのを待っているはずだ。
――あ、お茶受けにクッキーも載ってる。
らっきー! 余った二人分をちょうどあたしたちで分けられる! 思考回路が多少意地汚いが、この喜びは隠しがたいっ!
「街の見物かな。ならすぐには戻って来ない?」
「たぶん」
ヴィリスの独り言にも似た問いに、こくこくと頷いててきとーなことを言うあたしの目は、完全にお盆とクッキーに向けられっぱなし。
それに気付いたのか、ヴィリスは壁際の机に盆を置くと、こちらを向いて緩い笑みを浮かべる。
「なら、食べちまおうか。クッキーはこれで全部ってわけでもないし」
「……なんか、あとからあとから出てくるわよね、そのお菓子」
「んー」
ヴィリスは何故かきわめて曖昧な笑顔のまま、
「リナ――甘いものは好きか?」
「うん。」
「つまりそう言うことだ」
即答したあたしに間髪入れずそう返し、ヴィリスは軽くポットの中身を確認した後、四つのカップのうちの二つにお茶を注ぎ始めた。
そう言うこと……って……いや、別に、美味しいからいいけど。クッキー。
なかなかどうして、ミステリアスに見せかけて単純なお子様と言う正体を持ちつつ、謎の部分もきっちり残す――微妙な案配を心得たものである。この女。
いや、意味不明だけど。
……いやいや、だがここで、『意味不明。いーから入手経路を吐け』とゆーのも、ミもフタもないと言うか、風情がないと言うか……
とりあえず、ここは流しておくのが正解だろう。
あたしは無理矢理気にしないことにして、ともあれカップを手に取った。
不可解なことはままあれど、白いカップの中で琥珀色の液体がゆるゆる波立てば、いいにおいに気分も安らぐ。
「……んー、相変わらずおいしいお茶ね」
一口、お茶を飲み下し、あたしは小さく呟いた。
使っている葉がいいのか、ヴィリスの淹れ方がいいのか、はたまたその両方か。
たまにヴィリスがこうして入れるお茶は、たいていの場合あたしをして旨いと言える味である。
……たまに香りがきつ過ぎたり、香りはいいのに味が微妙だったりと、ストレートではとてもいただけないようなお茶であることもあるが。
どうも独自のツテがあり、旅先ででも買い求めたりしているらしい。
お茶にそこまで情熱を注ぐのか、と思わないでもないが、人の無害な趣味に口を突っ込むのはそれこそ野暮と言うものだろう。
それに……こう言うまったりした時に呑むお茶は、さっきも言った通り格別の贅沢でもある。文句は言うものではない。
「趣味だからな。集めるのも。淹れるのも」
「相変わらず、年の割には妙に多趣味よねー」
あたしの言葉に、ヴィリスはクッキーをくわえたまま顎を引いた。
このヴィリス、見た目は二十代前半の美女だが、実年齢はたったの四年。ふつーでは趣味を作るような年齢ではないどころか、ただの幼女である。
しかし――彼女はただの人間ではない。
竜の技術と魔力を用いて作られた、特殊なホムンクルス――
人間をはるかに超越した
彼女は『弟』であるエフエフ――
このお茶集めにしてもそうだし、筆を取って絵を描きもするし、魔道の開発研究もしているようだ。
最後の魔道の研究を除けば、たった四年で興味を持つにしては――そして彼女の存在理由を考えれば、遊び心に溢れた趣味である。
「フェイトの母親が好きだったんだそうだ」
「……ああ」
クッキーをくわえて割って噛み下し、言ったヴィリスの言葉に、あたしは思わず声を漏らしていた。
フェイトの両親……父親は魔王竜で、母親は人間。どちらも既に亡いが、ヴィリスにとっても親のようなもの。それを慕って趣味を真似ても、なんの不思議もないのだろう。
「フェイトのお母さん……って、例の無茶な家系のひとよね?」
「そ。その辺りのコネも私が受け継いでる。お茶もね」
軽くカップを持ち上げて、ヴィリスは目を細めた。
会ったばかりの頃に聞いた話だ。竜にエルフ、果ては人魔の血までもが混ざり合う――フェイトの家系はそう言うところなのだと。
……そう言った
「マンドラゴラを煮出したお茶とか言わないわよね。これ」
「何、そんな茶があるのか!?」
目を輝かせるな。
「……ンなお茶、絶対呑みたくないってことよ」
怒鳴りながらヴィリスをどつき回すのをなんとか堪えて、あたしはそっとカップを置いた。
「ゲテモノは美味いって言うがなあ」
「持ってきたら
「解った解った」
降参と言う風に両手を上げて、ヴィリスは首を竦める。
「変な茶が手に入ったら、こっそり出すことにしよう」
「どつかれたいんかっ! あんたっ!」
あたしは言いながら、ヴィリスを叩こうと素早く手を伸ばし――
その瞬間、窓の外が白く輝き、爆音が立て続けに鳴り響く!
「なにっ?」
「――フェイト!」
あたしが眉をしかめて窓の外に目をやると同時に、ヴィリスは鋭く叫ぶと窓を開き、小さく口の中で呪文を唱えながら外に身を躍らせた。
直後、彼女の身体は風の結界を纏い、勢いよくどこかへ飛んで行く。恐らく、彼女の護るべき弟――エフエフのところに行ったのだろう。
窓からは町のあちこちで火の手が上がっているのが見えた。さっきの光からすると、十中八九火炎呪文によるもの――しかし、威力は大したことはない。せいぜい
んー……こちらに火が回ってくる様子はないし、あんまし関わり合いになりたくないところではあるが……
また変な魔族の襲撃や、レッサーデーモンの大量発生と言った可能性もある。何が起こっているかぐらいは確認した方がいいだろう。
あたしは口の中でちゃっちゃと呪文を唱えると、窓枠に足をかけ、
「
『力ある言葉』を吐き出すと同時に、町へと飛び出した。
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