ふわり。
 空に舞う。夜に。
 魔道士協会――世界中に支部があり、本部がないというその奇妙な組織である。
 そのひとつ。
 この町の『それ』はあまり規模が大きくなく、町政に携わるほど権力も持っていない。町自体が小さいという説もあるが、それはそれとする。


 ――浮遊レビテーション


 その呪文は簡単な構成だが、アレンジを加えることによって如何にでもなる、面白い呪文の一つである。
 だが、彼女はアレンジを使わずに、普通の浮遊を使うことにした――速さを競っているわけでもないので。
 協会の屋根の上に降りて、持ってきたバスケットを置く。
 ……夜の風は、ひやりと冷たかった。




せかいが うまれた ひに。




 小さなこの町でも、この日ばかりはにぎわう。
 年に一度。二日だけのお祭り――今日は、その特別な日。
 アトラス・シティやらプロキアム・シティやら――とまでは行かないが、明りライティングの光が町中を照らし、朝までにぎわう勢いだ。
 ……前準備は死ぬほど大変だったが。
 短い髪をぐいと引っ張って目の前に持ってくると、彼女ははぁとため息をついた。
「あぁぁぁー、髪が白く染まってるッス。ショックッス……」
「――おーい」
「んぁ」
「何。『んぁ』って」
 呼びかけに、変な声を漏らすと、声に苦笑が混じった。
 声の主は、屋根の下。
「評議長! お仕事終わったッスか!?」
「まぁ、そーいうことだな。
 ここにいるってことは。
 他の奴らも、どんどんやってくると思うぞ」
「そのうち此処も騒がしくなるッスね」
 笑えば。
 ふわり。
 屋根の上に、声の主がやってきた。
 ――評議長。
 そう自分が呼んだ彼は、笑う自分を見てから、屋根の下を見下ろした。
「此処からだと、町中が見渡せるな」
「そッスねェ」
 建物自体はあまり高くないけれど、坂の上にあるこの協会は、屋根の上から町中を見下ろせるほどに、高いところにある。
「そのバスケットは?」
「パンとお酒――ワインです。飲むッスか?」
「あぁ、ちょっと頂くよ――君は?」
「自分は酒は飲まないッスから……後から来た人たちに振舞うつもりで。
 自分、野菜しか食べなくても生きていけるッス。ていうか食べないでも、一週間は持つッス」
「燃費がいいんだね。君」
 ちょっと、と言いつつ水のようにワインをあおりながら、評議長は言った。
「自分が、というよりも……エルフの血ッス。エルフは偏食でも割りと不健康じゃないッス。
 レタスだけで生きていける人もいるッス。
 自分は半分だけですけど」
「――そっか」
「そッス」
 黒い空はたくさんの魔法の明りに照らされて青く見えた。人々のざわめきが伝わる――
 屋根の上は、少し寒かった。
「里を出て、もう十年にもなるッスねぇ……」
「……」
「半人の半エルフなんて、どっちつかずで……
 エルフの里からは人の血が入っていると嫌われて、一部の人間たちからは見世物扱い。
 あの頃は、生きる意味がないんじゃないかって、本気で思ってたッス」
「……」
 評議長は、応えない。
 ただ、不思議な表情でこちらを見返してくるだけだった。
「でも。
 評議長が自分のこと拾ってくれたッスから」
「……俺は大したことをしたわけじゃないよ」
「でも凄い嬉しかったッス。感謝ッス。
 一生かかっても恩に報おうと思ったッス」
「――
 君が街道に倒れてたのも、この日だったな」
 恥ずかしかったのか、それとも酒のせいだろうか。
 顔を赤くしながら、彼はまた屋根の下――町の方に目を向けた。
「そうなんですか?
 ……エルフの里には、こんな行事はなかったッスから……」
「そういえば、このイベントについて改まって話してことはなかったような気がするな……」
「どういう謂れがあるんッスか?」
「この日に世界が生まれた――とか。
 そういう伝説なんだよ。確か。
 昨日はその前夜。世界が生まれる前の日ってこと」
「世界がないなら夜も昼もないから、前夜って言うのはおかしいんじゃないッスか?」
「俺に聞かれても困るけど。俺がこの話を作ったわけじゃないし」
「……それもそッスね。あ。自分もちょっと飲むッス」
「酒は飲まないんじゃなかったのか?」
「今日は特別な日らしいッスから、自分も特別なことをするッス」
「……ま。いっか。
 ほら、グラス出して」
「うッス。頂くッス」
 慌てたように彼女はスッとグラスを差し出した。


 がっ。


『あ。』
 声がハモる。
 バスケットに肘がぶち当たっていた。
 もちろん。バランスの悪い屋根の上。
 落ちる。


 がっす。


「ぐはッ……」


 …………


 今。何か不吉な音がした。
 しかも、聞き覚えのある声での悲鳴もした。
 どうやら、見事命中してしまったようである。
「あぁあぁぁあッ?! サンドリットさんッスか、もしかして!?」
「……ジェーア、お前のことはきっと忘れない……」
「まだ大丈夫ッス! 傷は浅いッスッ!」




 まぁ、こんな感じで。
 とある町のとある坂の上、とある魔道士協会で。
 ……お祭りの夜は更けていく。
 魔法の光に、照らされて……





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