――その時彼は、ひどく哀しそうな顔をしていたので。




彼女の影を追って




「貴方は、死ぬのが怖いですか?」
「――」
 そう突然問われたとき、当然のことながら、私はきょとんとした顔をした。
「……何ですか。いきなり」
「いいから、答えてみてくださいよ」
 神父様は、笑いながらそう言われて……
「そら、怖いでしょうね」
 私はとりあえず、人事のようにそう呟いた。
「どうしてです?」
「……人ですから。
 人間誰でも死にたくないと思いますよ。本当に死にたい、と思ってる奴なんかいないと思うし。
 神父様だって怖いでしょ?」
「……」
 とても涼しい、終わりかけた夏の日だった。
 木漏れ日がまぶしくて。
 ……神父様は、その問いに答えなかったけれど。
 それでも構わず、私は続けて呟いた――私は知らなかったから。『神父様』の心中を、察することなぞできなかった。
「死にたくないから神に祈るわけでしょう。
 ……神を利用してるんです。
 死にたくないから。その一心で、神様に祈るんです。
 神が本当にいるとしても、私たちは神様を――利用している」
 そこでふと、苦笑がこみ上げた――神に仕えるものの前で、何を言っているんだ。私は。
「ちょっと不信心でしたかね。神父様――」
 神父様は答えなかった。
「……神父様?」
 ただあいまいな笑みだった。
 あいまいな笑みを浮かべていた。
 ……その時は、ただ――




 ――その時彼はひどく哀しそうな顔をしていたので。




 だから僕は。




 ……血の尾を引いてぼたりと落ちたのは、友人の首から上だった。
 古びた木の床に、ぱっと血だまりが広がる。首をなくした胴体が、かすかに痙攣を引き起こしていた……目を背けたくなるような凄惨な光景。しかしそれは紛れもなく――現実。目を背けることなどできるはずがない。
 呆然としているしかない。紙を破いていくように人が死んで。逃げ惑うことには意味がなく。そして。
「あ゛、あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
 悲鳴はそのまま断末魔に変わり、妹の腹に穴が開いた。
 血の臭いをゆっくりと知覚する。途端ひどい吐き気が襲ってきたが、身を追って嘔吐するには至らない。
 それでも何が起こっているのか解らない。ただ呆然としているしかない。

 ――亜魔族、と呼ばれるバケモノ達が増え始めたのは、つい最近のことだった。

 彼は――この村が襲われないのは、この村があまりにも小さいからだと思っていた。
 だが……
「……ッ……あ゛ッ……ぁあ゛ッ……
 …………」
 悲鳴が止まり、痛いほどの沈黙が訪れた。
 しかしやはり――呆然としているしかなかった。
 ――妹が死んだ。それにも意識が置けなくなっている。
 妹を殺したのが。
「し……んぷ……さま……?」
 呆然と呟く。
「あらら――もう死んじゃいましたか。どうやら『違う』ようですね。
 てっきりこちらだと思っていたんですけれど」
 ヒトの命を奪ったことが全くどうでもいいような表情で神父――そう呼ばれていた男――魔族が言った――わけが解らない。
 解らない。『違う』とはどういうこと……なのか。
「じゃぁ、貴方は――どうでしょうねぇ?」
 男がこちらを向いた。その笑みすらこもった視線に、へたん、と尻餅をつく。濡れたものに手が触れたと思ったら、それは血だった。
「ッ………!」
「声が出ないんですか? 可哀想にねぇ」
「――!」
 どかっ!
 腹を蹴り飛ばされて、仰向けに転がる。
「……ッ……」
「これでも駄目ですか?」
「……!」
 もう一度、蹴りつけられると、視界が一瞬フラッシュした。ごろごろと世界が揺れる。
 かはッ……
 口から漏れたのは息ではなく空気だった。鈍い痛みが全身に走り――目に涙がたまり、目に見えるものが歪みぼやけていく。
 げほっ! ごほっ……
 咳き込むと、ひゅーひゅーという音がした。
「……まだ、死んでもらっちゃ困りますよ。『確かめて』ませんからね」
「? ……ッ!」
 ぐいっ。
 降ってくる声に問いかける暇もなく、髪の毛を掴まれ、引きずり上げられて顔をしかめる。
 目の前に弱いものをいたぶる強者の、喜悦の表情があった。
 ――立たない足で立たされて、ふらふらと足元がゆれる。
「弱いものですね。人間は。
 昨日生きていたと思ったら、もう死んでしまう。
 弱くて……それで生きる意味があるんですか?」
「…………」
 歌うように問いかけられて、ぼやけていた意識が一瞬覚醒した。
 彼は驚いたように、目の前にいる魔族を見つめる。それは。
 ――『殺す』ことに何の疑問も感じていない目だった。その問いは紛れもなく、魔族にとっての『素朴な疑問』なのだ。
「…………いつだったか」
 彼は沈黙した後、やがて口を開いた。
「……聞きましたよね。いつだったでしょうか?
 死ぬのが――死ぬのが怖いか? って。
 僕は……死にたかありません。意味なんかない。けど僕は生きていたい」
 流れるように言葉は出てきた。身体の痛みも消えつつあって、妙に頭がさえている。自分が死に掛けているとするのならば、自分の遺言を聞くのは自分を殺した相手というわけだ――それも魔族……滑稽さを感じて――それだけが理由ではないのだが――苦笑がこみ上げた。
「……生きてることに意味がなくったって、それでいいんです。
 死ぬのが怖くないなんて……おかしいじゃないですか」
「……それは――人間だけの感覚なんでしょうね」
 その魔族の呟きが、あまりにも哀しげで――寂しげだったから。
「違います」
 彼は思わず否定していた。きっぱりと否定していた。
「人間だけじゃない。僕らだけじゃない……魔族だってそう。例外じゃない」
 魔族は――きょとん、とした顔をした。
 そして、微笑んだ。


「あぁ、そうか。良かった。
 『あなた』だったんですね」


「え」
 その言葉に、彼は呆然とした呟きをもらした。
 男は答えずに、ただ軽く笑んだまま――


 とんっ。


 軽い音がした。
 足の力が抜けて、がくりと膝をつく。それを魔族が抱えた。
 ぱたぱたと、血が流れる。血を吐いて、咳き込んで、彼はようやく自分が魔族に何かされたのだと気づいた。血が――止まらない。
「……かつて、まだセイルーンという大国があった頃――
 僕らは一人の人間を見ました。
 彼女は――僕ら魔族の天敵でもあり、また魔族ぼくらに新しい道を示してくれる存在でもあった」
 何を話しているのか理解はできなかったが、その話が自分にかかわりのあることなのだろうことは、何となく解った。
「多く魔族を滅ぼし、『魔を滅せしもの』なんて称号ももらってましたっけね……」
 苦笑しながら言う。そして――ふと、笑みを消した。
「――僕が殺しました。彼女も。彼女に関わった多くの者たちも」
「……………」
 魔族は話していたいのだろう――そして自分もまた聞いていたいのだろう。魔族は、無表情のまま、
「――あっさりとみな死んでいきましたよ。
 彼女が多くの魔族を殺すことが――滅ぼすことができたのは、人間への嘲りと、彼女への憧憬がごっちゃになっていたからです。
 僕は――」
「……れと……何の関係が?」
「彼女と血がつながっていると思われるものはみな殺しました。姉に手を下したのは僕ではありませんが、その人もやはり死にました。
 でもね――知ってます?
 世の中には、輪廻転生という言葉があるんですよ。『リナ』さん――」
「! ――」
 視界が暗くなり始めた。血を失い過ぎたらしい。もう、死ぬ……のだろう。




「貴方が女性ってことは、ずいぶん前に知ってたんです。
 ご両親は貴方が『そう』であることを知っていたようですけど、貴方には伝えていなかったんでしょうかね?
 まぁ、結局はこれで終わりですが……ねぇ? リナさん。僕はね」








 何度も何度も貴方を殺す。
 ……転生てんしょうの輪が回り続ける限り。
 世界が滅びる、その時まで――








 ……その時彼はひどく哀しそうな顔をしていたので。




 あぁ、だから僕は。

 ……彼に彼女の影を見た。

 殺し続けてあげましょう。

 それが罪だと解っているけれど。

 貴方は貴方の魂が再びこの世にあることを望まなかったから。

 自分と同じ目にあうものがいることを望まなかったから。

 ……殺し続けてあげましょう。世界が。




 世界が滅びる、その時まで。




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