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2003年 12月01日〜12月07日


 とっても天気が良い日でした。午前中は普通に練習しましたが、午後は各自の判断に任され、自主練をする選手、トレーニングをする選手などに分かれました。それぞれの選手が自分の課題を持っているので午後もかなり真剣な雰囲気なんですよ。

 でも、くたばっているオヤジは自分の部屋でウダウダしていました。全体練習の時には、必ず球拾いをしているのですが、自主練の時にはサボっていたりして(反省)。しかし、それもW選手が来るまでのつかの間の静けさでした。

 「岩崎さん、一緒に走りましょう!」ゲゲゲ!チーム内でも、速過ぎてランニングメイトがいなくなってしまったW選手に誘われてしまった〜!実際に走れるかなあと言う不安よりも、誘われたことの喜びの方が大きく、まんまと鶴見川の土手に出かけました。

 土手まで併走して行き、いつものコースにたどり着いた時、「もし、遅すぎたら自分のペースで行っていいよ。」と言いました。W選手は、「あ、はい。」とその瞬間に答え、脱兎のごとくいなくなってしまいました。結局、一人でいつものコースをよたよたと走って来たオヤジでした(涙)。


 今日は、津雲選手が僕のPCをいじっていましたよ。何だか最近の公式ホームページの動向が気になるらしくチェックしていましたよ。多くの選手が、携帯でチェックしていますが、監督も例外ではないんですよね(笑)。

 さて津雲選手は、広島の方(めがねさん)からの書き込みを見つけ、早速レスしたようです。その時の証拠写真は以下の通り・・・。喜んでいただけると良いのですが(笑)。



 それにしても、こうして画像で見ると僕のデスクは、整理整頓が必要なんだなあとつくづく思うオヤジでした。

開幕戦:対 久光製薬 0−3

 大懸選手にやられたって感じです。2年前にNECを引退。その後、あるボールメーカーで働いていた大懸さんは、結婚をし、姓が成田と変わったそうですが、どうしてもまたバレーをやりたいと言う気持ちが沸いて出てきたらしく、同年代が揃う久光製薬さんで復帰しました。

 NEC在籍時代には、アトランタ五輪にも出場、キャプテンも務め、全勝優勝をした第6回Vリーグでは最優秀殊勲選手賞を受賞しました。その後、シドニー五輪最終予選での悲劇などを経て、怪我を理由に引退したのですが、なんとこうしてネットを挟んで対戦することになるとは・・・。

 試合に関して言い訳は良くありませんが、これまで日本を散々苦しめてきた中国からの助っ人、呉選手を徹底マークし、その作戦は彼女を23%に抑えたことで成功したかに思われたのですが・・・・。

 NECの選手も、久光の選手も、ほとんど全員が40%以下になってしまう貧打戦となった今日の試合で、一人60%を決めた大懸選手にやられたって感じでしょう。やっぱり上手いのう〜と感心している場合じゃあないでしょう!と思いながらもメチャメチャ複雑な心境のオヤジなのでした。

第2戦 対 JT 3−0

 宿泊しているホテルの窓から、すっばらしい朝陽を観ることができました。いつものように6時ごろから掲示板のレスをしていたのですが、始めた頃は外も真っ暗な感じでした。カーテンを開けているとちょっと寒い感じがするのでその遮光カーテンを閉めて7時過ぎまでレスをつけていました。

 一通り終えてほっと一息。コーヒーを飲みながらカーテンを開けるとパーーーーーと朝陽が入って来ました。何だか感動的な瞬間でした。テレビでは、全国的に荒れ模様なんていっているのに、現実にはとっても快晴で、見事なまでの朝の光が僕の身体を通過するほどに強く差し込んできているのです。

 「こんなの多くの人が見ているんだ!」と分っていながら、何だか今日は良い事がありそうと・・・自分の一日に結びつけて考えたい心境だったんですよね。

 開始早々にミスを連発してしまった有田沙織選手には気の毒な試合でしたが、それ以外の5人のアタッカー全員が50%の決定率を残すと言う歴史的な快勝をしました。昨日のチームとは明らかに違った勢いとエネルギーを感じました。

 第10回Vリーグの初勝利でのインタビューは、高橋選手と栗原選手が呼ばれましたが、オヤジ的にはチーム全体にMIPをあげたい・・・そして素敵な朝陽にもありがとうを言いたい一日でした。

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