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2003年 12月15日〜12月21日

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 お約束の画像アップ。でも、この作業をするまでに僕の掲示板がとんでもないことになったのは言うまでもありません。



 シンちゃんの後ろには犬の背後霊がいてシンちゃんを護っているようです。しかし、僕のユニフォームを着たスヌーピーはいたずらをして「げん骨」をいただいたようです。

 ところで杉山選手や松崎・栗原選手の証拠画像の時に、皆様からご指摘をいただいた冬の扇風機は移動いたしました。現在、僕のPCは扇風機ナシでも正常に動いております。

 ここで一つ暴露話、高橋選手は、商業高校で鍛えられたせいか「かな入力」をするんです〜。それも結構速いんですよ!

 それでどうやってローマ字入力に戻すか知らなかったオヤジは大変苦労して直したのですが、何だか完全には元通りになっていないことに違和感を抱いているのでした(涙)!

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 帰宅して、妻がニコッとしてくれると何とも言えず良いものですが、それは時として「何か」あったりするもの・・・。で、今回は8時前には家に着いたので予測はしていたのですが、笑顔の後の妻のセリフは・・・「ラストサムライって良いらしいよ。」ご飯を食べていたのでちょっとむせながら「えっ!・・・。(やや困惑気味に)じゃあ行こうか?何時から?」と言う会話が成立し、なんとそれが、2時間半を越える超大作とは知らないオヤジは妻と共にレイトショーへ!

 いやいや凄い映画でした。ニッポン人の心を揺さぶるハリウッド映画だなあと思いました。トム・クルーズが、「日本人に見て欲しい。」とインタビューで言ってた理由が分りました。元々時代劇が大好きなオヤジとしては、殺陣も最高でした!しかし、何よりも印象的だったのは、誰一人として「死」を恐れていないことでした。彼らの間では、「死」にも明確な分類があり、戦場でどう死ぬかってことが凄く大事で、潔い壮絶な死は、敵味方関係なく高貴で名誉なものなんです。人格は死様によって完結するような感じなんです。

 学生時代に、はじめてブルース・リーの映画を観た後で無茶無茶に影響を受け、一緒に行った友達に跳び蹴りをした記憶があります。「あちょ〜〜!」と叫びながら…。

 さすがにこの歳になってそこまで影響は受けなかったつもりでした。しかし、夢に出てきてしまいました。死を怖れずに戦い続ける自分。「ハッ!」と目が覚めた5時半まで戦い続けていました。レイトショーで遅くなったからではなく、朝まで名誉をかけて全力で戦ってひどく疲れたオヤジでした(涙)。

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 朝からえらく天気が良い日!で、川崎市から横浜市に移動中の路上からも富士山がとってもはっきり見えていました。「冬の空気は澄んでいるんだなあ!」としみじみ思うオヤジでした。

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 午前中練習をしてから、現地に移動!三河安城まで「こだま」での移動でしたよ。たっくさんの「のぞみ」や「ひかり」に抜かれながら2時間半近くかけての移動。新幹線の中で、たまりにたまったメールの返信が60通くらいできたのでちょっと良い面もありましたが、やっぱり遅いのは辛いよね。超、飽きてしまいました!

 僕が、中学生の頃は、新幹線は岡山までしかなく、山口県出身の僕は中国大会には鈍行で行きました。岩国から岡山まで6時間くらいかかった記憶があります。

 さらに大学1年生の時の国体予選には、「あさかぜ」?とか言う夜行列車に乗って東京から山口の実家まで一晩かけて帰省しました。確か東京で4時半頃に乗って翌朝の7時代に岩国に着いたのではないかと記憶しています。約15時間の旅だったわけです(涙)。

 しか〜し、最近は「のぞみ」に乗れば新横浜から広島まで3時間半、広島で「こだま」に乗り換えて新岩国まで15分くらい?なんと4時間弱で行けるんですよね。

 それが当たり前となってしまい、身体が贅沢を覚えてしまったのでしょうか?新横浜から三河安城までの2時間半が、と〜ても長く感じられ、「のぞみ」や「ひかり」の通過待ちをする度に、駅に出て背伸びをしたオヤジでした。水戸黄門の時代ならどこにも行かへんなあ〜と思いながら…。

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 現地での練習!何度か来たことがある体育館だなあと思ったのですが、葛和さんは試合はしていないとおっしゃっています。よくよく考えてみると吉川監督の時代に2回来ているんですよね。それで、葛和さんは、視察と言う形で観戦に来られたそうです。その時に、なんとここ西尾の体育館から、三河安城まで車で送ってくださった親切なママさんがいらっしゃったそうなんです。その方にお会いできないかなあと言ってたのですが・・・。

 さて、その話が出た時に、もう一つ僕に関する話題も出てきました。ひょっとしたら、「NECのベンチに一番長く座り続けているのは岩崎ではないかと・・・。」「そうかなあ。」と思ったのですが、葛和さんがそう言うので間違いないかも・・・。

 僕がNECの公式戦に初めて顔を出したのが1986年2月14日、正式にベンチに座るようになったのは、その次の1986年12月に開幕したリーグ戦。と言うわけで今回のリーグが連続18回目となるわけです。いやいやオヤジになるわけですよ・・・と、ちょっとショックなオヤジでした!

20 デンソーさんのホームゲーム(西尾)
2−3で負け!

 夕べからの大雪。一面真っ白。テレビではあちこちの道路が閉鎖されたとか、新幹線が遅れたとかの報道。どうなってしまうのかと思いましたが、会場は一杯でした。それも立ち見が出るほどの超満員!正直、びっくりしました。デンソーさんのホームゲームであったにもかかわらず多くの赤ロケファンの皆さんも来られていました。本当に感謝・感激です。

 今回の敗戦は、いつも以上に色々な勉強になりました。あまり内容的なことをこの日記では触れたくないのですが、スパイク得点も、ブロックも、サーブも勝っていて試合に負けたのでは話になりませんね。自らが出した失点によって相手の得点を増やしているようでは苦戦するはずです。「勝つ」ことよりも「克つ」ことの難しさをチーム全員で実感した試合でした。

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 普通は、土日と2連戦があるのですが、今週については昨日デンソーさんのホームゲームだったために今日は試合がありませんでした。横浜のNEC体育館で昨日の反省点を修正するための練習がありました。

 また、NECが2月にホームゲームを行う予定の町田の体育館を中心に、高校生の私学大会が行われていて、いくつかの参加校がNECで練習をしていました。そのことを僕の掲示板にも書いてありましたね。私学大会の中から将来のスターが現れるのでしょうか?現れると良いですね!

 それにしても一番ショックだったのは、今年の春には一緒に祝勝会をしたNECグリーンロケッツ(ラグビー)、ブルーロケッツ(男子バレー)、そして我がレッドロケッツの全てのチームがこの週末、負けてしまったことです。ここから這い上がって3チームとも日本一になるしかないですね!

 リクエストもあったので、グリーンロケッツの応援のためのビデオ撮影の際の一駒をアップします。3チームの今後の活躍を祈念しながら!


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