日吉と、ケンカをした。ささいなことが原因なので、きっかけとなってしまったその不幸な出来事は思い出さないように努めている。 そもそもケンカをすること自体は珍しくもない。日吉が怒ることなんてしょっちゅうだ。朝会って『おはよう』ってあいさつを交わしたその数分後に俺が日吉に無視されてるなんてこと、ほんとによくある話だ。 あいつは怒りんぼうだと思うのだ。 普通のヒトと比べて堪忍袋の緒が多分短いのだろう。だからああやってすぐ怒鳴ってくれるのだ。 「……あいつ絶対カリシウム足りてないよ。今度チーズでも買ってきて次に怒鳴られたときにあいつの口んなかに放り投げ入れてやろうか……」 「なにを入れてやるって?」 「っうわぁ!!」 びっくりした! 急に後ろに立たないでくださいよもぉ!! 「あ? 声は掛けたぜ? 聞こえてなかったみたいだけどな」 「……だったら近くまで寄ってきたときにまた掛けてくれたらいいのに。びっくりして心臓ドキドキ言ってますよもう……」 「贅沢言ってんなよ。で、なんでお前はこんなとこで黄昏てんだよ。昼めしはどうしたよ? 済ませてあんのか?」 答えを聞くよりも先に隣に並んで『やるよ』と宍戸先輩の手が袋を差し出してきた。 購買で購入したのだろう。中にはチキンカツサンドとミルクパンが入っていた。 「もらってもいいんですか?」 「どうせお前食ってないんだろ? 俺はもう食ったしそれあとで食おうと思ってたやつだから別になくっても困らねえからさ」 「ありがとうございます。遠慮なくいただきますね」 「おう」 窓枠の桟にもたれてカツサンドの封を切るその隣で、先輩もパックのジュースをすすっている。それほど待たなくても多分この人はまた問い掛けてくるのだろう。パンをくれたお礼ってわけでもないけれど次に問われたときはへたに隠さずにちゃんと答えようと思う。 て言うか、ついでに相談に乗ってもらおうと思うのだ。 先輩は聞き上手なとこがあって俺も聞いてくれるだけでもやもやが晴れるとこあるから、愚痴りたい気分の今の俺にはありがたい存在にもなっている。 「なぁ」 「はい?」 「それ食い終わってからでいいんだけど、話、聞いてやるから話せよ」 窓の外から、グラウンドで遊ぶ生徒の声がひっきりなしに上がってきている。そう長くはない昼休みに食べ終わった者が外へと出て玉蹴りやバレーだとか腹ごなしに運動をしているのだ。 教室でぼけっとしてても退屈だと言う者たちばかりだ。 確かに退屈だとは思うけどこの暑いのによく汗をかきに出て行けるなあってのが、まあ、俺の正直な感想だ。 誘われても俺はパスするなあ。 運動ならもう部活だけで十分足りてますってカンジだし。 「……さて、と。食い終わりました。ご馳走様でした」 「はは。お前さ、考え事すんのはいいけどさ、食うものは食ってからにしとけよな。今日はたまたま俺が発見したから良かったけど通らなかったらお前、食いっぱぐれてたぞ。腹へってたら部活なんて出来ねえだろが」 「ですよね。助かりました」 「で、食うこともしないで黄昏てた原因はやっぱアレか」 「あれとは?」 「とぼけても無駄。お前が日吉とケンカしてのなんてとっくにバレてんぞ。あれだろ。朝練のあとすぐにお前あいつの機嫌損なうようなことしただろ」 「宍戸さん、目敏いんですね」 「ばーか」 そう、日吉が俺と口きかなくなったのは朝練が終わって部室へと戻って行く途中からだ。 着替えをしている最中なんてずっと背を向けていて一度もこっちを見てはくれなかった。日吉って呼んでもずっと無視してた。いつもだったら一緒に教室に戻るのにさっさとひとりで戻って行ったし。 休み時間に声を掛けてもやっぱり無視されたし。 昼だっていつもは一緒に食うのにあいつ俺を置いてクラスのヤツと学食に行っちまうし。 一時間目から四時間目まであいつの背中しか見ていない。 「あいつ無視ばっかして全然こっちの方見てくれないんですよ。謝ろうにも謝らしてくれないって言うか……なんか背中ばっか見せられて、あいつの目にはもう俺の姿なんか映らなくなっちゃったんじゃないかって、背中を見ているだけで不安が押し寄せてくるんですよね……。さっきの四時間目なんて不覚にも泣きたくなりましたよ……ほんともう、限界……」 「……お、お前さ、さらりと惚気るなよ……」 「え? 惚気てるように聞こえました? や、全然そんな気なんてないですよ」 ストローを噛みながら俺を見つめる宍戸さんの目は、胡散臭そうな色を湛えていた。信じてくださいよと頼んでも苦虫でも潰したような歪んだ顔しかしてくれない。 「……えっと、まあたしかに日吉に冷たくされて凹んでる俺の気持ちはこのまま捨てられちゃったらどうしようってうろたえてるんであいつへの愛を切々と語ってることには違いはないんですけどね……そういうのがもしかしたらそういう風に見えちゃうのかもしれませんね……すみません……」 「なんで謝るんだよ。なんか俺が苛めてるみてえじゃねえか。ばか、そんなしょぼくれんなよ。らしくねぇぞ長太郎。ほらしゃきっとしろって!」 脇腹を小突いてきた先輩に、今度は俺が歪んだ顔をする番だった。 しゃきっとしろとか言って元気付けるときって普通は背中とかを叩きません? こういう場面で小突く人ってあんまりいないと思うんだけど……。 「なんだよ。なにじっと顔見てんだよ。なんかついてんのか?」 「あ、いえ……べつに……」 「あのさ長太郎……」 「あ、はい……なんでしょう?」 「いっそのこと土下座してみたら? さすがにそんなことされたらあいつだって無視はできねえだろ?」 土下座、ね……。 「そんなことしてもあいつのことだから『みっともねえ真似してんじゃない』って怒鳴られそうですよ……」 苦笑した俺に、宍戸さんも同じく苦笑した。 「あー……かもね。で、お前はいったいなにをやったわけ?」 「なにをって、べつにたいしたことしてないですよ?」 「ばーか。お前がそう思ってるだけで実際は日吉に無視されまくってんじゃないか。日吉にしてみたらイヤなことされたんだよ。だから頭きてお前とだけ口きかねんじゃねえか」 「まあされはそうなんですけど……そんなに怒るようなことかなぁ……」 「だからなにをしたんだよ」 「実はですね……」 俺は簡単に、ありのままあったことを話して聞かせた。 昨日の放課後女の子から呼び止められて好きですと告白されたこと。そしてもしいま誰とも付き合っていないのだったら付き合ってくれませんかとお願いまでされたこと。だけど俺はいま好きな人がちゃんといるから付き合えませんと断ったこと。 それを話してから俺は間違ったことしてませんよねと先輩にも尋ねてみた。 「……まあ、相手を納得さすには一番有効な手ではあるよな……。実際お前はその、……好きなやつがいるわけだし?」 「ですよね!」 ほらみろ。やっぱり俺は間違ってないじゃないか。日吉が頭固すぎなんだよ。 「で、それを日吉にも話したのか?」 「え? ええ、もちろんですよ。だって日吉と部室に向かう途中に呼び止められたんで俺が告白されてたことは知ってましたよ。もっともその日はなんとなく話しづらくて俺からは切り出すことなく過ごしたんですけどね。今朝、日吉のほうから昨日のあれどうしたのかと言われてさっき話したように日吉にも説明したんですよ。そしたらあいつ……ふーんて、……」 「ふーん、ね……まあ、日吉の性格からしたらそれが精一杯だったんじゃねえの? つーかさ、お前が言った好きな人が誰なのか心当たりがないわけじゃないんだしそこは答えようがねえのが本音なんじゃないの? 自分にまったく関係ねえ話ならもっと突っ込みが入ったと思うぜ?」 「どうでしょうねぇ……。俺が女の子に呼び出されるとこあいつ何度か見てるから珍しくはないんですけど、あいつが気に掛けるようなこと言ってくれたことなんか今までなかったんですよね。だから多分俺浮かれたんだと思うんですよ。ふーんって言われたとき俺、言ってやったんですよ……」 「ストップ!」 いきなり目の前に、パックジュースが飛び込んできた。 「急にどうしたんですか?」 「や、なんつーかその、……お前が言いそうなことがわかっちゃったって言うか……改めて聞かされたくないって言うか……」 「はは。宍戸さんてやっぱ鋭いですね。多分当たってますよ」 「は、はは……じゃあ言うな。つーか言わなくていいから」 「えー、そんなこと言わないで最後まで聞いてくださいよ。話せって言ってきたのは宍戸さんの方からですよ。途中で放り出すようなことしないでくださいよ」 それはそうなんだけどもう聞きたくないと、宍戸さんは激しく首を振ってくれた。ひどいなあ。 「じゃあ宍戸さんは勝手にそうやって首振っててください。俺はこれから独り言言いますから」 「お前なぁ!」 「まあまあ。だからこれは独り言ですって」 「どうせお前のことだ! 俺の好きなのは日吉だよわかってる? とかなんとかそういうこと言ったんだろ!」 そう一気に吐き出した先輩の顔はいつの頃からなのか真っ赤になっていた。 「当たりです」 そう答えると先輩は頭抱えて『あー! もうくそっ! 俺に言わすなばか!』と大きな声を上げた。 俺が言うのを聞かされるより自分で言った方がましだとでも思ったのだろう。 「もうこれでお前は言うなよ! いいな!」 「言いませんよ。二回も言うことじゃないと思いますし先輩に言ったところで意味なんてないですし」 そう、俺は日吉を見ていると自分の気持ちがちゃんと届いているのかすごく気になるのだ。 俺はよく好きとか日吉に向かって口にするけどあいつは全然言ってくれない。棒グラフにして見たらきっと俺のとこだけが突出しているだろう。 俺だけが舞い上がっているとは思わないけれど、無性に言葉にして言って欲しくなるときがあるのだ。二十回に一回でいいから俺だって言われたい。 「自分から言えないんだったらこっちから聞いたときくらい素直に答えてくれてもいいと思うんですけど先輩はどう思います?」 「なっ! 俺にフルなよ! どうせ俺の意見なんか聞いたって参考にする気なんかねえくせに」 「えーでも色んな意見聞いておいても損はないと思うんですよね」 「……」 不意に先輩が項垂れた。 「先輩?」 「……お前ってほんと優しいんだか意地が悪いんだかわかねーヤツな……」 「それどういう意味です? 俺、先輩に意地悪なんてしたことないですよ?」 「自覚してねーだけだよ。まあそんなのどうでもいいんだけどさ、あんま日吉追い詰めて遊ぶなよな? あいつが口下手なのはお前だって承知してんだろが」 「べつに追い詰めたりなんかしてませんよ」 「お前さ、誰もかれもがお前みたく気持ちをストレートに口に出来ると思ってんだったらいますぐその考え捨てた方がいいぞ。むしろお前が特異なんだよ。普通は恥かしくて言えねえもんだって」 「宍戸先輩が言いたいこともわかりますけどでもそれを認めちゃったら俺たちなんのために二人でいるのかわからないカップルになっちゃいますよ。お互いが自問自問するだけで悶々とした時間過ごすのが目に見えますもん。ダメですよそんなの。あいつあれで心配性なんです。俺が好きって言ってやらないと俺のこときっと疑うと思うんです。信じてもくれなくなります。俺、あいつに疑われることだけはしたくないんです」 「だったら追い詰めるようなことすんなよ。だいたい考えてもみろよお前があいつに『ねえ日吉、日吉は俺のことちゃんと好き?』とか聞いてみたとこであいつが『好きに決まってるだろ』とか言うわけねえじゃん。つーかお前にはそんなこと言うあいつが想像出来んの? 悪いが俺にはできねえぞ。相手はあの日吉だぞ? 夢を見てぇ気持ちもわからなくはねえけど絶対有り得ないから。悪いことは言わない、虚しくなるだけだからさっさとその夢は捨てろ。な」 「ちょっと宍戸さん、……そこで断言なんかしないでくださいよ……ひどいなぁ……宍戸さんこそ意地悪ですよ……。あーもぉ、ぐさっと胸抉られましたよ今の言葉には……」 「あー……悪い……言い過ぎた。でもお前相手はあの日吉なんだからさ、その、甘い夢つーか……色々期待すんのはやめといた方がいいぞ?」 「わかってますよそれくらい……」 「あー凹むなよ。らしくないぞ。あ、そうだこれやるよ」 そう言って先輩が差し出してきたのはパックのコーヒー牛乳だった。 「どうしたんですコレ?」 「あ? 岳人に頼まれてたやつだよ。あとでまた買いに行くからこれはお前にやるよ。飲んで元気出せ。な」 「いいんですか?」 「おう」 「すいません。いただきます……なんか先輩におごってもらってばっかですね。ほんとすいません」 「いいって。安いもんばっかじゃねえか。気にすんな。つーか、お前らの問題なのに色々言って悪かったな。余計なお世話だよな」 「いえ、そんなことはないですよ。むしろ色々と話せて鬱々してた気分が少し浮上したみたいです」 「そっか。そう言ってくれっとこっちも辛抱した甲斐があるよ。なんせ切々と惚気を語るお前の口を途中で塞ごうと思ってたからさ。いや塞がなくて良かったよほんと」 からからと笑って窓枠に肘をついて外を眺め出す先輩の背中にふと、目が釘付けになった。 なんでだろ? ――――――あ。 そうか。 俺は『そういうことか』とシャツの皺に目を運びながら頷いた。 「あ? どうした長太郎?」 「いえ、ちょっと」 「なんだよ?」 「先輩って身長いくつです?」 「身長? 172だけどなんで?」 「……え、いえ、……ちょっと、……そうですか……宍戸さん、172、あるんですか……」 「あ! お前その顔疑ってるな! あのな! 俺はこれでもマジで172あんの! 先週保健室で測ったんだから間違いはねんだよ! あ! そうだ岳人! あいつも一緒に居たから部活んときにでも証言させてやるよ!」 「や、別に疑ってはいませんて」 「あ? じゃあそのヘンな顔はなんなんだよ」 「……スイマセン。でもほんとに疑ってはいませんから」 「……そんならいいけどよ。けど急にどうしたよ?」 「いえ、なんとなく気になったって言うか……なんとなくですよ」 「ふーん……。まあべつにいいけどさ」 そうか172か……。横に並んだときの目線に覚えがあったから近い数字なんだろうとは思ったけどまさか同じとはね……ちょっと感動したかも。 見たカンジだと日吉の方が大きいかなって思わせるけどそうかそうか……。 胡散臭そうな目つきをしたままふいっとまた外に目を向けた先輩の背中に不躾な視線を注いだまま背中を一周させたが、やっぱり肩のあたりの目線がドンピシャリ。 こういうのを等身大の思い出とでも言うんだろうか。 宍戸さんには申し訳ないけどいま隣にいるひとは俺にしてみたらまさに日吉そのひとだ。 思うに、写真や思い出ばなし、あるいは愛用していたモノなどで偲ぶ感慨深さとは比較にもならない新鮮味、現実味が等身大の形には宿るのだろう。 先輩の背は、俺の網膜に過去にそうしていた日吉を生み、もしもいま振り返ればそこに居るのは日吉という気しかしない。 先輩を見つめるこの目線は、日吉と俺の距離だ。 会いたいと思ってしまったとしても不思議はないだろう。 日吉はいまなにをしているんだろうかとか、もうすでに教室に戻っているんだろうかとか、そんなことを考えつつ俺は先輩に声を掛けた。 「先輩」 「あ?」 「俺、そろそろ戻りますね」 「え? なに、もうそんな時間か?」 「いえ、時間はまだありますけど……ちょっと、……」 「……ふーん……ま、がんばれよな?」 日吉が絡んでいることを素早く察知した先輩は、それだけ言うとひらひらと手を振った。 俺は一礼したあとうしろのドアへと向かう。 先輩がいる手前落ち着いたフリをして歩いてなんかいるけど本当はすぐにでも走り出したかった。 日吉をぎゅって抱き締めてたくて、とくにへその奥のあたりが強くうずうずとしている。 ……でもぎゅって……したら怒るだろーなぁ……んー……どうして俺ってこうやってすぐ愛を溢れさしちゃうんだろ……。 垂れ流すなって怒られても怒られても……治らないよなー……。 人事みたいに言ってんじゃないって怒鳴る声も聞こえてきそうだし……。 四六時中『好き』って言ってたいんだから仕方ないと俺は思ってんだけど日吉はなぁ……うざいからやめろって言うんだよな……。 ……――――したいなぁ……。 ……したらまた当分口きいてくれなくなるんだろーなぁ……でもぎゅってしたいし……んーーーーーーーーー……。
かける気もなかったが、ブレーキをかけなかったせいで日吉への想いは降 り積もる雪のようにどんどんと募っていく。 ドアが閉まるのを見届けたらきっとすぐに俺は駆け出すだろう。 そのドアがいま、ようやく目の前で閉まった。 爪先が廊下を蹴り、それまでそんなこと考えてもいなかったのに、俺の脚は近道をとるため西階段を目指してそこから走り出す。
END (03.08.28)
宍戸先輩とトリは色恋抜きで仲良しさん。ピヨのことで相談したり色々と宍戸先輩にはなついている鳳ってのが好きな構図。 でもってそんな風に仲良しさんな二人にこっそりピヨは嫉妬メラメラ。態度で示すことはないけど内心くそ面白くなく思っている。そんな彼の相談相手はオッシ。 ↑ これ、勝手に捏造設定でアレではありますがけっこうツボにはまってたりしている。 かつて鳳と宍戸さんが遊びで付き合ってたことがあって、なんていう過去を持ったトリピヨにも萌え。 ……今度はソレ、いってみよーか……? いやいや、でもその前に原稿だ……。 つーかこれ、ピヨ出てきてないんだけどこれで鳳若だと言えるのか? |