「部長」 「なんだ」 「やっぱいっス」 「越前、お前これでそれ何回目だと思ってる」 「さあ? いちいち数えてなんかいないスよ」 「なら教えてやる。六回目だ」 「部長って、神経細かいヒト?」 人を小馬鹿にしたような越前特有の薄い笑いを唇の端にのせ、じいっと心の奥までを覗うようなきつい眼差しを向けてくる彼に、俺はは小さく溜息を零した。 待っていてくれと頼んだ覚えもなければ、待っているかと、尋ねた記憶もない。帰りたければさっさと帰ってくれて一向に構わないのだ。むしろ、ここに残ってくれていない方が仕事がはかどる。 「越前、お前はいても邪魔だ。帰れ」 「冷たいスね」 「さきほどから何度となく邪魔をされ少し苛ついている。お前は暇そうだが俺はやることがあるんだ。それが終わらなければ帰れない。これ以上邪魔をするな」 「ぅース」 返事は素直でいいのだが、いかせん態度がよくない。ロッカーに凭れ掛かってしかも天井を見上げていったい誰に向かって答えたものなのか。 だがまあいい。邪魔はするなとちゃんと伝えたし、あいつもそれを了解した。これでようやく部誌に取り掛かれる。 はずだった。 「おい」 「なんスか」 「……」 「部長、溜息つくと幸せが逃げるって言いますよ?」 「だったら溜息つかせるようなことをするな」 いったいなにを考えて生きているのか。邪魔をするなと注意をしたばかりだというのに、いきなり隣に座り込んで、書き込んでいる最中だというのにその利き腕のある半身に寄りかかってくるとは。 これではきちっとした字を書くことは不可能だ。 これまで越前がしてきたことのなかで、これは、最大級の妨害行為である。 「越前」 「なんスか」 「俺がお前に注意したこと、まさか忘れてしまったのか?」 「邪魔、してるつもりはないっスよ」 「つもりがなくとも、充分邪魔をしている。のけ。字が書けない」 「あのさ」 シャープペンシルを机の上に置き、肩を押して越前をのかそうとしたのだが、手を掛けるとわざと体重を掛けてきて、上目遣いにきついのだがなにか意味を込めたような眼差しをこちらに向けてきた。 「なんだ」 「最後にキスしたのっていつだったか覚えてる?」 「……越前」 確かに。世間で言うところの恋人同士と言われる彼らがしているようなことを俺も、この突拍子もない質問を真顔でさらりとしてくる強心臓の持ち主越前としている。そういう意味では俺たちも恋人同士と言えるであろう。 だが。俺は二人の関係がどうだからと言われるよりも自分が果たさなければならない使命みたいな方に今は重要性を感じている。今この場において優先させるべきものはなんのか、比べて考えるまでもない。 「そういう問い掛けは、俺が暇なときにしてくれ。今はお前の相手をしている暇は小石の欠片ほどもない」 「ふーん。そう。ブチョーは忘れちゃってるんだ」 「越前」 「だったら思い出させてあげるよ」 「越っ……!」 強い力で肩を掴まれ、不意に立ち上がった越前。ヤツのその頭の中にある策に気付いた時にはもう手遅れだった。 されると、頭の中で警鐘が鳴ったと同時にまんまとヤツは俺の唇を塞いでいた。 「……おとといだよ?」 下唇を、わざと舐めて離れていったヤツは、可愛げのかけらもない強気なまなざしを向けてにやりと唇を緩めた。 舌を使われなかっただけましと思うべきなのだろうか。あまりの可愛げのなさに俺はあっさりとしていた口づけをわざわざ思い出して内心でこっそりと溜息を零していた。 どちらにしてもすっかり越前のペースにはまってしまっている。ここでなにを言ったところでヤツは口巧みにかわして擦り寄ってくるであろう。 まったくもって忌々しいヤツである。 「二分だけ待て」 「二分も待たす気なんだ?」 「越前」 「あ、また。部長のとこから今、幸せ逃げていきましたよ」 「……」 「そんなに皺深くさせないでよ。可愛くないよ? いいよ。二分だけだからね」 なぜ、こうも振り回されなくてはいけないのか。否、なぜもっときつく叱れないのだろうか。 俺の注意などこ吹く風とばかりに耳に入れてもまったく聞くつもりなどない態度を堂々と見せられては、言ってやりたいことが山とあったとしても、これ以上注意を促すのはなんだか馬鹿らしくなってくる。 「越前、その二分のあいだそうやって寄り掛かるのもやめてくれ」 「これくらい我慢しなよ」 「寄り掛かられてて字など書けるものか」 「部長、根性ないスね」 なにがそんなに楽しいのか。機嫌のいい表情を見せてネコのようにすり寄ってくる越前の頭を仕方なく障りのない箇所までずらして、ようやく書き込める体勢を取って部誌と向き合えば『根性なし』ときた。それも忍び笑いまでわざと漏らして。まったく、どこまで可愛げのない態度を見せればその気は済むのだろう。わざと俺を怒らせてるようにも思えるのだが、そんなにきつく叱られたいのだろうか。 いや、違うな。こいつは俺が反応を示すのが嬉しいのだろう。ことごとく邪魔をされたとしても無視仕切れないことを恋人であるヤツは当然知っていたはず。甘い俺もいけないのだろうが、注意をきかず妨害をし続けたのも、なんだかんだと言いながらも俺が相手にするとヤツは確信していたからだろう。 まったく、いい性格をしている。気紛れなくせして欲深なとこをこうもあっさり見せてしまうんだから質が悪い。 「越前」 目つきの悪さを差し引いてもこの顔は割と可愛い造りをしている方の部類に入ると思う。 「なんスか」 しかし鼻っぱしが強いところがあり、性格の方は、大胆で図々しい。 「望みをひとつ、叶えてやろう」 「は? 望んでることなんて別にないスよ?」 「そうか?」 書きかけていた部誌を閉じて机の上の方にずらしてメガネを外しに掛かった俺のその態度に越前ははじかれたように警戒のオーラを出し、それまで寄り掛かっていた半身からその身を起そうとした。 しかし俺はそれを許さなかった。 「痛いスよ。腕、はなしてくださいよ」 「断る、と言ったらどうする?」 「ちょっ、い……痛いって。なにそんなにきつく握るんスか」 「お前が逃げようとするからだろう」 「なにヒトのこと咎めてるんスか。痛いことされてたら黙ってなんかいられないっスよ」 「お前は本当に我侭だな」 散々ちょっかいをかけてきておいて、こっちが振り返った途端背中を向けるのか? 痛みを訴える越前の苛ついているような声を完全に無視して咎めると、『あんたが掴んでるとこ、痛いんだって。さっきも言ったけど痛いことされてたら黙ってなんかいられないよ』と、怒気を含んだ目つきを見せられ、強気な答えが返ってきた。 負けん気の強いとこも割と気に入っているが、やんちゃ坊主には、時にはお仕置きも必要だろう。 欲望に真っ正直なことはいいことだが、狙った獲物が網にかかったなら放置せず、ちゃんと捕獲すべきである。 「いっ、痛いっ痛いっ痛いってば!」 「暴れていると頭をぶつけるぞ」 「え?」 掴んでいた腕をそのままこちらに引っ張って、同時に自分の身は少しだけ後ろに下げて越前の躯を机の上に押さえつけてそのまま覆いかぶさって、非難される前にその唇を塞いだ。 抵抗することは許さなかった。可愛い輪郭をした頤を強く押さえ込み、かなり強引ではあったがすぐさまに舌を絡めとって最初から深く貪った。 不意をつかれた越前は、うまく息継ぎが出来なかったからなのか、苦しげに鼻を何度も鳴らしていた。 離せと、意思表示のつもりであったのだろう。押さえ込まれてた胸の下で小さく何度も胸の辺りを小突かれていた。 「……っんっ、……んっ……!……ぁ……はぁ……」 堪能し満足したところで解放してやり、息継ぎをさせてやると、当然なのだが小さな唇が薄く開かれて、赤みの強くなっているその濡れた唇をがわなないた。 「先に仕掛けてきたのはお前だということを忘れるなよ」 「してくれなんて、……頼んだ覚えはないんだけど……」 力の抜けた声を紡ぐ艶めく唇に指を這わせてなぞると、じゃれるように小柄な指が重なり、照れもなくこちらの考えを見透かすような眼差しを投げて寄こして、浅く、指の先を唇同士で挟んで肉と爪の間をつつくようにして舌を遊ばせ始めた。 「覚えがないくせにこういうことをするのか?」 「そうだよ。仕掛けたのはあんただよ。俺はただ早く帰りたかっただけなのに。キスしてくれなんて頼んでもないのに勝手にしてくるし、ここでしようなんて言ってもいないのにあんた俺を押し倒すし。ね、どう考えても仕掛けてるはあんたの方だよ?」 「それがお前の意見か。そうなると論が二つに分かれるな」 「あんたさ、こういう場面でよくそういう難しい言葉使えるね。もっと色気のあるセリフ吐けないの?」 「越前、それはお前の方から誘っていると取っていいのか?」 「あんたってホントに頭固いね」 「平然と人を悪者にしてしまえるお前を相手にするんだ。あとでたらたらと文句を言われそうだしな。そこでまた無理矢理だったなどと言われては困るんでな」 「ねえ、下級生虐めて楽しい?」 「最上級生を困らせるのは楽しいか?」 「あんたってホントにズルイね」 「そうか? 狡猾に立ち回ったお前に比べたら俺の狡さなど可愛いものだと思うが?」 「狡猾って? あんたの言い方って難しすぎて理解出来ないよ」 「おとなしくしていればよかったものを、執拗に俺に手を出してくるからこういう目に合うんだ」 「なんだ。やっぱりあんたが暴走してこういうことになったんじゃん」 「お前が俺の注意を聞いておとなしく待っていればこういう目に合うことはなかったぞ?」 「人のせいにしないでくれます?」 「ばかもの。それは俺の言うセリフだ」 これ以上会話をし続けても意見が一致することはないであろう。自分にそんな気はなかったのに俺が先に手を出してきたと言い張る、不敵な表情を見せるこの年下の恋人は、ずっと、勝ち気に二つの瞳を輝かせていた。こちらの言い分に耳を傾ける気はないらしい。 それならそれでいい。こちらの言い分はあらかた言い終えた。仕掛けてきたのは越前、自分はまんまとそれに引っ掛かっただけ。だけど越前は先に手を出したのは俺だと言い張る。その強情っ張り者の小柄な躯を押さえつけたままで、越前が仕掛けてこなければこういう状況にはならなかったと、そういう見方をしている俺。こういう状況できっかけを重要視するのは意味のないことだと思う。今、自分がなにを考えているのか。自分がなにをしようとしているのか。重要なのはそこだろう。 自分は今、越前を欲している。 当の越前に『NO』と言われても彼の言葉に耳を貸す気はない。 「越前、とりあえず暴れるなと、それだけ先に言っておく」 当然越前の答えを聞くまでもなく、括った両の手を頭の上の方で押さえつけて、勝手に唇を塞がせてもらった。始めの頃は抵抗して舌をなかなか捕まえさせなかったが、執拗に追いかけて追い詰めて、ついには観念させて絡めあい、深く貪りあう。 「ねぇ……」 再び真っ赤に濡れた唇が小さく開かれて掠れた言葉を紡ぐ。 「なんだ」 「ほんとにここでするつもり?」 「ああ」 俺の言葉を受けて、瞼が閉じられそして睫毛が心配げに揺れた。 「ねえ、帰ろうよ……」 「済んだらな」 優しく、瞼の上に唇を落として囁く。それを受けて、なにを言ってもムダとだと悟ったのか、越前は躯の緊張を解き、唇を初めて自分から合わせてきた。 「明日も朝練あるんだから、ちゃんと加減、してよね」 「少々の遅刻なら大目に見てやるぞ?」 越前に言われるまでもなく今日がまだ木曜だということは頭の片隅に残してある。当然明日は朝練どころか部活は放課後にもあることも忘れてはいない。 最悪。 ようよく、俺が本気だということを悟ったらしい。臍を曲げたかのように唇を突き出して文句を垂れる越前に向けて俺はこう返してやった。 「なにを言う。キスを仕掛けてきた時点でお前は俺とこうしたかったのだろう? そのお前の望みを叶えてやると言っているんだ。素直に喜んだらどうだ?」 すると越前は考えるような仕種を見せて、ちらりと、自分の頭上を見ようとするかのような目の動きを見せた。 「部誌か? 気にするな。ほとんど出来上がっている。あとはサインを入れるだけだ」 「ふぅん」 「わかったらこっちを向く」 相変わらずむくれた顔を続ける恋人の、柔らかそうなその唇に、ついばむようなキスを落とす。 人を振り回すことは好きだが、自分のペースを乱されるのはキライとはっきり口にしたことのある恋人の唇は、まだ固く閉じられたまま。 焦らず繰り返しキスを与え続け、ときに舌の先で唇の輪郭をなぞったり。 自分のペースを乱されることを好まない俺は、だが最近は、この小さな恋人に振り回されてばかりいる。しぶとい者同士、相手を扱いにくいと感じることはよくあることだ。だが、俺は越前を手放す気はない。恐らく越前の方も、そう思っているはず。それは越前の態度を見ていればわかる。アイツはかなり俺に執着している。 そうやって考えると、似たもの同士、お似合いとも言えなくないのだが、自分のペースに相手を引き込もうとするので先ほどのような意見の食い違いは珍しくなく、似過ぎているが故に、自分達の間に甘い雰囲気が流れてきたことはこれまで一度もなく、今後もないだろうと思われる。 そんなことを考えたらふと、笑いが零れてしまった。 その動きが唇を通して伝わったのだろう。越前が訝る視線を向けてきた。 「気にするな」 答えてやって、機嫌をこれ以上損なわせないよう気を遣い、ことさら優しく舌を這わせその輪郭をなぞってやる。 やがてうっすらと唇が開かれて、舌の先が出てきて『もっと』と言うかのように、ねだるような仕種を見せ始めたので、見ると、越前の瞳は欲に濡れて輝いていた。そしてそこに映し出されていた俺の表情にも欲が現れていた。 「……っん……」 もっとと、唇が動いた。欲気を隠そうともせずに堂々と晒す越前のその小さな胸に、まだ言葉に出していない気持ちがあるのではないかと思えたのでそこに手をあてると、てのひらを通して情火が燃えるのが見えた。 「……なに、してんのさ……焦らされるのって、……キ、ライ……なんだよね……」 「ああ、知ってる」 「……だったらっ……」 「うん?」 軽く、胸の突起を服の上から弄るだけでも、もどかしげに足をばたつかせていた。ボタンを外さないで合わさった隙間から指を差し入れて摘むと、びくんと、感電したように小柄な躯が感度良く跳ね上がった。 「今一番して欲しいことはなんだ? 素直に吐けば叶えてやるが? 言わなければしばらくはもどかしい思いをすることになるぞ?」 顔を近付けて囁くと、 「オ、……ニ……」 恨みがましく目を細めて、やっとで言葉を吐き出し、 「ほかに言うことは?」 撫で下ろすつもりで突起を指の先で掻いて促せば、 「……ッ……」 溜息に近い吐息が零れ、 「越前?」 堪えている彼の耳に唇を寄せてゆっくりその名を呼んでやると、 「キ、……ス、して……よ……それも、眩暈がするよ……なの……」 「それが今一番欲しいものか?」 「……そ……」 「いいだろう」 指を外すと越前は腕を伸ばしてきた。そうして縋るみたいにして首に腕を巻きつかせて唇に小さく笑みをのせ、そして自分からその唇を押し当ててきた。 越前の望みを叶えるべくして最初から深く口付けてやる。
求められたなら、
せがまれたなら、
催促されたのなら、
欲しいだけ与えてやりたい。
欲しがってくれると心が、悦ぶのだ。
求められると、やっぱり、嬉しいものである。
END (02.10.16)
小悪魔王子にちょっぴりエロおやじが入ったやる気満々な部長。 それがお題でした。どうよ、DAIちゃん、及第点取ってる? それともまだぬるい? でも楽しかったよ。本誌も何気に塚リョだったね。 |