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 「部長」
 「越前?」
 「なんであんたがここにいるんスか」
 「それはこっちのセリフだ。一年は今の時間、体育館で総合学習のはずだが?」
 「あんなの授業じゃないっスよ。学年一斉で映画見るってなんスか。いまどき小学生だってそんな授業受けないスよ」
 「今までの授業枠を飛び越えたゆとりある教育をうたって設けられた時間割だ。文句を言ってもはじまらないぞ」
 「ところで部長。あんたはなんで?」
 「自習だ」
 「へぇ」
 「視聴覚室で学習するなり、図書室で学習するなりそれは生徒の判断に任されている」
 「ふぅん。で、ここはどこだっけ?」
 「理科実験室B」
 「ふーん」

 

 

                        

 

 

 移動教室の並ぶ階だからか教師、生徒が大勢いるはずの時間だというのに当たり前にあるはずの喧騒もなければ通りかかる人の姿も見かけない。
 使うクラスがなければこんなにも静かなところだったのか、いいトコかもね、さぼるのに割と適した場所かもしれないなと、黒板の前の教卓に肘をつきつつ越前は窓の方へと目を向ける。その彼の目に映ったのは手塚国光。広い机にたった一人、本を開いてうつむいて静寂な色を纏っている。
 ねえ部長。
 たった一言。それなのになかなか声をかけられなくて。邪魔をするなと注意を受けてはいないけれど、静かにしていろと、周りの空気が目を光らせている……気がするのだ。
 ちぇっ。
 つまらないの……。
 偶然とは言え広い学園の中でばったりと出会ったのだ。ラッキーと思ったあの瞬間はとても輝いていた。胸も弾んだ。期待もした。
 だけど。さすが手塚国光。生徒の自主性に任せて信用の元に放った生徒のうちの一人でありながら、移動の認められている視聴覚室でもなく図書室でもなく、自分のクラスから遠く離れた人もめったに通らないような階の空き教室に姿を現したかと思えば、エリア外だというのに気に掛ける風もなく堂々と読書などを始めてしまっている。
 信用した教師も哀れに思えてくるが会えてラッキーと少しでも喜んだ自分も同じくらい哀れだと、遠くから眺めるしかない越前の唇からはもう何度めかになるかわからない溜息が零れてくる。静かな時間も、今の越前にはもどかしいものでしかないのだ。
 どのくらいの時が経過したであろう。
 まばたきするのも惜しんでずっと眺めていた手塚の肩が小さく上下した。表情を覗おうとしたら、予期していなかったことにメガネが外されて疲れでもしたのかこめかみに長くてキレイな指が当てられた。
 「そんな日の差すとこで本なんか読むからだよ」
 越前が言うと、ゆっくりと顔が上がった。絡む、視線。
 しかし交わされる言葉もなく手塚の視線は逸れた。
 越前は緊張していた。ずっと言葉を封印していたのだ。チャンスが訪れたからとはいえ、なんと言って話を振ればいいのか、動揺している身で頭の中を探ってももたついて引き出せる言葉が見つからない。
 そうやってのろのろしている間に視線は外されてしまったのだ。
 もどかしすぎる。自分は元々会話することを得意とはしていない。海堂ほど苦手にしているわけでもないが、どういう場面においても滑らかに動く口なんてものは自分は持ち合わせていない。
 話すことがないのなら無理に探す必要はないんじゃないの? 彼は唐突に、自分に語りかけた。いつもみたく噛み合わない会話をすればいいんじゃないの? 柄にもなく考え込むからいけないんじゃない? だからこんなもどかしい思いをするんじゃないの?
 「ねぇ」
 メガネを掛けた手塚に、越前は席から立ち上がりその彼のもとへと向かった。
やけくそのような気分で口を開けば出てきたのは短いそれ。だけど突破口にはなるはず。
 「ねえってば」
 「なんだ」
 越前は安堵した。やっと口をきいてもらえた。別にこっちを向いてくれなくたっていい。無視しないで声を聞かせてくれたのだ。もう全然不安なんかない。
 「隣、いい?」
 「勝手にしろ」
 ガタンと、引いたイスが無粋な音を立てる。座ると、手塚との間には数センチの隙間しかない。もちろんわざとだ。触れてしまわない微妙な距離をちゃんと目算しての結果だ。
 「越前」
 溜息が零れた。
 「なに」
 「もう少し離れろ」
 「ヤだ」
 「邪魔だ」
 「本、読むだけじゃん。どこが邪魔なのさ」
 「…………」
 また溜息が聞こえた。
 「だめっ」
 手塚が離れようとした。本を閉じたその手を素早く掴んで制止の声を上げる。らちがあかないからって勝手に動くのは許さないよ。見上げて伝えると、これまでで一番盛大と思われる溜息が降ってきた。
 「なんのために俺がこの位置とったと思ってんの」
 「邪魔をするためだろ」
 「はずれ。すごく近くにいたいからだよ」
 さっきまでのしおらしさがウソのような滑らかさである。考えなくても言いたいことが自然と口をついて出てくる。こうでなくっちゃと、自分本来のテンポが戻って越前の気分はいい。
 「まだここにいても平気でしょ」
 手塚は答えなかったが表紙を指の先から放した。それを見て越前も掴む手を放した。
 「ねえ」
 「今度はなんだ」
 「俺がずっとあんたのこと見てたの知ってるよね。なんで無視してたのさ」
 「構うとお前はうるさいからな」
 「こんな風に?」
 「そうだ」
 「あんたってさ、俺には意地が悪いよね」
 「なんだそれは」
 どういう意味でそういう言われ方をされるのかわからないまでも『よくは言われてない』と感じたのだろう。越前を見る手塚の目が不愉快そうに細められた。
 「つれないって意味っスよ」
 「くだらんな」
 「ほら、つれない」
 「戯言に付き合う気はない」
 肘をついててのひらに方頬をのせて上目遣いで軽く挑発した越前を、メガネをくいと持ち上げて手塚はぴしゃりと拒絶した。
 取り付く島もないとはこういうことだねと、内心で舌を出して越前は薄く笑った。
 「たまには甘えさせてよ。厳しいばかりだとさすがに俺でもへこむっスよ?」
 「……」
 なに、その目。俺は珍獣かなにか? やめてよ。いくらなんでも失礼だよ。
 自分がどういうタイプの質の人間か、自分できちんと把握しているつもりだ。自分を特徴づけている傾向を崩した行動に出れば相手がどう反応を返すのか、自分なりに予測もしたつもりだ。相手の性格も熟知したつもりでもいたし。からかってちょっと楽しませてもらおうかなと、そういう軽い気持ちでずっと口を開いてきたのだ。
 だけどまさかここまでびっくりされるとは思いもしなかった。心にも思っていないことを言うなとか、あるいは冗談もほどほどにしとけとか、そういう答えが返ってくることを自分は普通に想像していた。まさかそんな、お前は本当に越前なのかと、そういう疑われるような目で見られるとは。
 「……ホントに失礼なヒトっスね。マジで傷ついたっス……」
 「あ、……すまん。おい、越前、お前は本当に越前か?」
 「それ、どういう意味で言ってるんスか」
 「いや、らしくないセリフが続くものだから……。お前は不撓不屈の精神力の持ち主だとばかり思っていたのでな……」
 「テニスに関しては弱気なんか見せませんよ。けどあんたが絡めば話しは別っスよ」
 手塚こそらしくないと、目を瞬かせながら威風堂々とした面影を消し去った目の前の人物を見つめつつ越前は思う。
 部活中はもちろんだが、校舎内でたまに見掛けたときも手塚の表情はいつも硬く笑顔を浮かべたとこなどめったに見れるものではない。その笑顔も満開というよりは口の端にうっすらとのせるだけで気付きにくいものだ。日頃から手塚に注目してなければ気付くこともなく見逃してしまうだろう。
 手塚の内面のわかりにくさは付き合う以前から承知していたことだが、わかり辛い状況にいつまでも指をくわえている越前ではなかった。それが性格だというのなら、自分が努力してわかるようになるまでだと頑張った。
 学年が離れているというハンデもしょってるのだ。
 「よそ見してる暇もなく観察させてもらったし、今だってまだ気を抜いてないし焦ってるって言ったら、あんたはまたヘンな顔するんだろうね」
 「なに? なんだって?」
 「別に。独り言っスよ。ねえ、それより部長。これって面白いの?」
 「珍しいな。いつもは俺が何を読んでいようと興味も示さないのに今日はいったいどんな心境の変化があったんだ?」
 本を指した越前に向けられたその顔は、もういつもの手塚のそれだった。
 「残念。もっと見ていたかったのに」
 「なにがだ?」
 「気にしなくていいよ。独り言だから」
 「……お前今日はほんとにおかしいぞ。ヘンなことを口走ったり本に興味を持ったり、なにを企んでいる?」
 「企むって、なにも企んでなんかいなスよ。ただ部長のことで頭がいっぱいだったからぽろっとなんか出てきちゃったんスよ。――ちょっと。なにその目」
 「お前絶対どこかおかしいぞ。熱でもあるんじゃないのか? 保健室行って計ってみろ」
 「それって心配してくれてんの? だとしたらあんまり優しくないね。もっと心込めて言ってよ。そしたら熱なくても言葉に従って計りに行くからさ」
 「なんだそれは」
 「愛のこもった言葉なら素直にきくよってハナシ」
 手塚の手が伸びて本を取り、ぺらぺらと捲る整った爪に目が釘付けになる。
 「なんだ? そんなに興味あるなら読んでみるか?」
 目の前に差し出されてきた本。表紙に日の光が薄くかかりタイトルが少しぼやけて見えた。誰のなんだろうか……『永井路子』……ナガイ? 誰、それ?
 「祖父から借りたものだ。越前には……退屈かもな」
 ちらりと見上げた越前の目に、笑みの浮かんだ口元が飛び込んできた。本はそのまま引き取られ端の方に置かれたが、越前の目はその穏やかで柔らかな笑みから離れることができない。
 「越前? ぼうっとしてどうした?」
 「……」
 手塚の笑顔はもとから貴重だが、こういう心をくすぐる微笑みをなんの前触れもなく見せてくれるのは反則だと思う。希少なだけに慣れていないからびっくりして心臓に悪いのだ。嬉しいけどドキドキがなかなか治まらなくて、気持ちもひどく波立ち不安になる中で自分を見失いそうで、こういう顔されると決まって落ち着かない気分になってくるのだ。
 「……やっぱりあんた……意地が悪いよ……」
 「……えちっ……」
 「黙って。なにも言わないでこのまま……」
 急に抱きつかれて手塚は驚いていた。だけど引き剥がされることを望まない越前の望みを叶え、肩にそっと手が置かれる。
 「どうした?」
 髪を梳きながら頭を撫でるその優しい指の動きが、子供をあやすような仕種だったことは越前にもすぐにわかった。いつもだったらきっとやめてくださいと言ってその手を払っている。でも今日はそう言う気になれない。むしろ、もっともっといっぱい撫でてと言いたい気分だ。
 優しいから気持ちがいいのか。気持ちがいいから心が緩むのか。心が緩むから気持ちが揺れるのか。気持ちが揺れるから感情が昂るのか。感情が昂るから涙腺が緩むのか。涙腺が緩むから気持ちが弱るのか。気持ちが弱るから我慢がきかないのか。
 「部長……」
 「なんだ?」
 「……俺のことちゃんと好きでいてくれてる?」
 キライって言わないで、心の中でこっそり綴った越前の耳に唇が寄せられた。
 「お前はどうなんだ?」
 落ち着いた優しい声色。鼓膜を揺すぶって心まで揺らした。
 「そんなの言わなくたってわかるでしょう」
 「いや、わからないが?」
 ウソだ。声が笑っている。越前が指摘すると手塚の指が殊更優しく髪を梳き出した。騙されないからねと、強気なフリをすると、耳の後ろにまで指が移動してきて艶かしく輪郭をなぞり出した。
 こそばゆい。いや、なんていうか、動きそのものが妖しい。
 「……ちょっと、……」
 耳の後ろが弱いことを知っていてわざと悪戯する指に抗議して首を振ると、その手が襟足にかかった。まさかと思った直後そこの髪を引っ張られて仰向けにさせられる。『あ』と思ったら『遅い。らしくなく勘が鈍っているな』と、間もなくして唇を塞がれた。
 優しく撫で付ける襟足の指の動きとは逆に、舌は口腔内を縦横無尽にまさぐり越前を激しく追い詰めてくる。
 求められことは嬉しい。だけど激し過ぎて苦しい。鼻でかろうじて呼吸はしているものの長びけば窒息するかもしれない。
 くるしい。
 自由を求めて腕を突っぱねた。その両の腕の一つである左の手を手塚の右手が拘束した。
 からまる。一本、また一本。なだめるようにして順々に指がからまってくる。押さえ込めるようにして全部の指が絡まったとき、越前は抵抗をやめた。

 

 

 


 ねえ、……。

 

 

 

 


 好きでもないヤツとキスなんてしないよ?

 

 

 

 


 焦れるような熱い想いが渦巻く胸の内で零した言葉は、だが結局その渦に巻き込まれて彼の口から出てくることはなかった。

 

 

 


END
(02.10.26)


 

小悪魔王子振り回されてます。悩んでます。

部長、天然なのかマジで意地が悪いのか、どっちよ。
夢見てる有島の中では彼は策士である。

王子が小悪魔なら部長はサタン。大魔王・国光!! 

よっしゃあ!!

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