「あ、忍足忍足!」 クラスが違うからそうそう一緒に居られるわけではなく、移動中だったりとか教室の前を通ることがあったりとかするとジローはとても嬉しくなる。 見つけようと思っていたわけでもないのにいつもいつもタイミング良く姿が発見できるから自分はスゴイなあっていつも感心してしまうし。とにかくジローにとって忍足は特別な存在なわけで、本日三回目の偶然の発見にまたも手なんか振ってみたりして。 当然、忍足は手なんか振ってはくれなくて。でもそれはいつものこと。でもそのかわりにいつもいつも柔らかくにこりと微笑んでくれるから見つけた甲斐はあるわけで、またもやっぱりジローは笑顔振り撒いて手はもうちぎれるかと思うくらいのぶんぶん振りをしてみせるのだ。
キ ミ と ぼ く の 距 離 「めずらしいやん。跡部がこんな時間にこんなとこおるなんて」 昼休み終了間際。なんとなくふと思い立ってのぼってきた屋上。時間的にもう誰も居ないと信じていたのにまさかまだ居ようとは。意外ではあったが別に驚いたわけではないのでそのまま忍足は進んだ。相手はなんか嫌そうな顔をしているように見えるがだいたいにおいてそういう顔をするのでとりたてて気にもしないで隣に並ぶ。雲一つない空を見上げて、 「もうすぐチャイム鳴るで?」 自分のことはちょいと棚に上げて聞けば、お前はどうなんだと無言なまま眼差しで問われて、思わず笑ってしまった。 「せやったねえ」 見上げることになった空はどこまでも青く、爽快。こんな上天気な日に教室に入っているのはもったいない。青い青い空もさぼってしまえと囁いてる風にも見えるし。それにあの重い鉄製の扉を開いた瞬間に感じた日差しの心地良かったこと、あれでもう戻ろうなんて気は吹っ飛んでしまっていた。 腹は脹れてるし日差しは心地いいし。風も適度に爽やか。横になったらきっとお休み三秒。心地良く眠れそうだ。 「お前こそ珍しいことするじゃねえか」 「珍しい? なにが?」 「めったにさぼらねえくせに今日はどうしちまったんだよ。あんま珍しいことすんなよな。せっかくの天気が崩れちまうじゃねえか」 「えー、それは困るわ」 からかわれて見上げて。それからフェンスに背をぐっと押し付けて跡部を見つめ笑ってやる。 「あぁ? なんだよ。気色悪いじゃねえか」 「跡部も一緒にさぼるんやったらそれもまた珍しい組み合わせやなあって思てな」 「ばーか。勝手に決めつけんな。俺はさぼらねえっての。あと少ししたら戻るつもりだ」 「あ、そうなん?」 「次の時間、しょっぱなからテストやんだよ。いなきゃまずいだろが」 「テストか。そりゃまずいわな。オレんとこは古典やし。まあ、おらんでもなんとかなるしな」 「あー、あのじーさんか。けど要注意だぜ。あのおやじ、口はうるさくねぇけど記憶力だけは怖ぇくらいにいいんだぜ。そう言えば忍足くん、きみ、いついつの時間居ませんでしたね、あの時はどうしたんですか、なんて忘れた頃に聞かれるぜ」 「あーなんかそうなんだってな。まあそん時はうまくごまかすわ。保健室で寝てたとか理由なんかいっくらでも作れるしな」 「保健室ねえ、――だったら利用ノートと保健医のハンコもらって来てねえとやばいんじゃねえの?」 「そうは言われてもなぁ、実際に利用するわけやないんやからないもんはないねんし、まあそん時はそん時や。適当にごまかすしかあらへんわ」 「ま、どうせ人事だし。俺には関係ない話だけどな」 「部長ってのは部活外でも気苦労せんとあかんもんなやねえ」 口も態度も決して良くないけど結構面倒見がいいことは親しくしている人間であれば誰もが知っていること。うわべしか見てない者や遠巻きでしか見られない者には決してわかってもらえない跡部の本当の姿。わかりにくいだろうけども彼のこの傲慢不遜な態度の裏にはちゃんと優しい心が隠れているのだ。勿論学年も一緒で且つ同じレギュラーで、こうやって構えもなく自然と話せる忍足は跡部を知る人間の一人だ。だから彼がどんなに嫌味たらしい口調を使おうとも忍足の気持ちがささくれだつとこは絶対にないのだ。 「わかってんならアレ、もう少し教育しとけ。廊下であんな風に騒ぐなって少しはお前からもちゃんと言っとけ」 「あれ? なんや跡部、あん時近くにおったんか」 「たまたま移動で下を通ってて聞きたくもねえのに聞いちまったんだよ。回りで笑うやつ大勢いたぜ」 「はは。オレに言われても困んねんけど」 「お前、ちゃんと可愛がってやってんのかよ。愛情が不足してるみてえじゃねえかアイツのあの態度見てっと」 アイツと、口にした瞬間顔でも思い浮かべたんだろうか、跡部が密やかに笑うのを見てしまい忍足は苦い笑いを零すことしか出来なくなる。 幸せそうに笑う彼の顔は無邪気で愛しくないわけはなく、じゃれてきてくれることが嬉しいなどと言ったら跡部は眉を秘めるだろうからここでは言わないけど、ぎゅっと抱きしめてやりたくなるのを堪えつつ実は彼が必死になってまとわりついてくれるのを狙ってスキンシップをほどほどに抑えているのが誰にも吐けない真実だったりするわけで。屈託なく笑う愛しい人の笑顔は思い出すだけでも、かたわらに居るはずもないのに忍足の心をこちょこちょとくすぐるのだ。 「おい、気味が悪くなるだろ。そのニヤついたようなデレデレ笑いなんとかしろよ。みっともねぇな」 「えっ。オレそないなヘンテコな笑いしとった?」 「自覚なしかよ。ったく揃いも揃って暑苦しいやつらだぜ。色ボケかますのもほどほどにしとけよな」 「心配してくれんでも大丈夫やよ。今んとこまだボケとらんし予定にも入っとらんしな」 「はっ。別に心配なんかしてねえよ。どうせ人事だ。お前がボケようがどうなろうが俺には関係ねえハナシだぜ」 「はは。いつものポーズやね」 「あぁ? 勝手に解釈すんなぼけが」 「だからまだボケとらんて。まあボケてしもうたときは跡部、見捨てんとよう面倒みたってな。頼りにしとるで」 「されたくねえよ。そういう寝言は俺のいねえとこで吐けよ。いい迷惑だ。俺は傍観者で充分なんだよ。巻き込むな」 「よう言うわ。そないなこと言いながらいよいよオレがボケてしゃんとできんようになったのを見てもうたら絶対お前はお世話焼くやん」 「あぁ? 焼かねえよ」 「や、お前は絶対焼くて」 「お前もしつけえな。この俺が自分から面倒事に巻き込まれにすすんで首なんか突っ込みに行くわけねえだろ」 「跡部こそ素直やないで。好奇心旺盛とかそういうんでなくてお前は目の前のごたごたには無関心装えんヤツや。口じゃあ素っ気無いこと言うといてあとでちゃんと世話焼いとるのオレなんべんも目撃しとるんよ」 きつい眼差しの上にある眉が段々と渋くかたどられるのを見て、跡部の強情さについつい笑いたくなるのをこらえながら真実を突きつけた忍足だったが、軽率にも、そのあとむすっと黙ってしまった跡部の肩にぽんと手を置いてしまい、『せやろ?』とまた一歩踏み込んでしまった。じろりと、睨みつけられて。 やばっ……。 「痛っ……!」 危険を察知するも間に合わず、忍足の向こう脛に蹴りが入った。 へそを曲げた跡部に容赦する気持ちは少しもなかったのだろう。熱い痛みに自然と涙目にもなる。 「ザマアミロ」 「……ひどいやん。これでもし走れんようになったら恨むで?」 「ばーか。これぐらいでなるかよ」 痛む足をさする、片足の忍足にも情けを掛ける気は起こらなかったらしい。バランスが悪くなっていると言うのに、平然と、軸にして支えている方の足にまで蹴りが飛んできた。 「おまっ、危ないやんっ……オレ、片足で立っとるんやで、やめてや」 「ちっ。そのままぶっ倒れりゃいいのによ。そしたら踏んづけてやったのに」 「お前最悪」 「るせえ。……なんだお前。心配いらねえじゃんよ。ちゃんと立ってるじゃねえか」 下がった跡部の視線を忍足も追った。 確かに……立ててはいる。だが痛みは全然引いてなどいない。いわばこの状況は危機回避の為に咄嗟にとった行動なだけで筋肉にぐっと力をこめたりすると痛めた箇所の痛みはより強くなるのだ。 「見掛けで判断するなや。これでもまだ痛いねんて」 「ああ? そうやって動かせるんだったら筋肉は傷めちゃいねえよ。あれくらいで骨が折れるわけもねえし。ま、あざにはなんだろうけど自業自得だ」 「なんで自業自得なん? オレの方は手も足も出しとらんのに。先に暴力振るってきたんは跡部の方やん。暴力はあかんやろ」 「るせえな。文句言うんならもう一発くれてマジで黙らすぞ」 「うわっ、それ、ストップ! あかんて……」 右の足を浮かした跡部に、慌てて忍足は二歩ほど引いた。冗談ではない。どうせまた容赦ないのだ。あれはマジで痛い。あんなものをもう一発喰らったらこのあと絶対歩くたびに痛みが走りそうだ。そうなれば当然今日の部活にだって支障が出る。帰るときだって同じだ。翌日だってわからない。階段は特にきつそうだ。青くなったりくすんできたり、変色した跡を見せるのだって格好が悪い。もうあんなものは喰らいたくはない。 「跡部、その足おろせや。もうこの話は終いや。な?」 「お前がほじくり返さないと誓いを立てんだったらおろしてやるよ」 「立てる立てる。もうせんて」 まさに、危機一髪であった。 だがまだ安心は出来ない。跡部のことだ、油断したところを狙うかもしれない。忍足は警戒して立ち位置だけは移さなかった。 「ばーか」 跡部が鼻で笑ったが忍足はむすっと口を閉じていた。 不満を残したまま見つめていると跡部が腕時計に目を移した。 そろそろチャイムも鳴るかもしれない――忍足がそう心中で呟いたとき、扉が開くような音が聞こえてきた。そちらを見遣ったのは偶然にも二人同時だった。 「ジロー」 跡部と忍足の声がこれまた偶然にも重なった。 「ジロー、どしたん? もうチャイム鳴るで?」 「うん。知ってる」 忍足が言うとジローはそう応えて、まっすぐに忍足が居る方へと歩いてくる。 「なんやジローもさぼりか」 続けて声を掛けるとちらっと跡部に視線が向かった。 「俺は違うからな。もう戻る。て言うかお前、さぼっちゃまずいだろが。次の時間テストあるじゃねえか」 「ああ、そうやん。お前らクラス同じやん」 「オレ、テスト受けない」 「おいおいジロー」 「ま、好きにすりゃいいさ」 「なに言うてんのや。そりゃまずいだろが。ちょお跡部こいつも引っ張ってけや」 戻ろうとする跡部と、目の前で立ち止まったジローのそれぞれの腕を掴んで跡部を止めようとすると、例のあの素っ気無い声が上がり、 「本人が受けたくねえって言ってんだからいいじゃねえか。好きにさせとけ」 「アホ言いなや。普通に授業さぼる言うんならええけどテストがある言うんやったらあかんて。どうせこいつのことや。授業中もほとんど寝てるんやろうからテストくらい真面目に受けとかなあかんて。頼むわ跡部、こいつもちゃんと連れてってや」 頼みながら腕を引っ張った跡部が『めんどくせぇー』と零す。めげずに忍足がもう一度腕を引いたその時。『オレが受けないって言ってるんだからほっといてよ』と、突然、ジローがその手を振り払った。 「ちょっ、ジロー待てや――て、あ、こら跡部! お前も待てや。こらお前らなに人の呼び掛けを無視しとんのや。おいこら、二人とも止まれて!」 一人はフェンスに向かいもう一人は扉のある方へと向かって行くのを忍足だけが突っ立ったまま『この場合どっちを先に追った方がいいのか』悩み動けずにいる。ジローを引きずって歩くのは……多分、大変だ。状況からして素直に従ってくれる率は、低い。駄々を捏ねるのは……あれではもう目に見えている。 「跡部」 足を止めるなら跡部の方が楽だとそう答えを出した忍足が追うと、案の定跡部は忍足のその呼び掛けに足を止めて待ってくれた。 「ほんまにあれなんとかしてや」 「ああ? 受けねえって本人が言ってんだからほっとけよ」 「せやから……ほっとかれへんからこうして頼んでるんやて」 「お前が気を揉んだってどうにもならねえよ。本人に戻る気が全然ねんだからムリ」 「ムリ言う前にちょお引っ張ってや。二人がかりで連れてくんやったらなんとかなるやろ」 「ならねえよ。ああいうときのあいつはガキ以下の行動を取るぞ。手足ばたつかせてそこいらに座り込むならまだマシだが寝込まれでもされてみろ、人が集まってきて嫌でも注目浴びなきゃいけなくなる。お前、そうなったときにあいつだけほっぽってさっさとその場を去れるのかよ? 例え立ち去れたとしてもだ、なにがあったんだどうしたんだって周辺がしばらくうるせえぞ。うぜえよそんなの。お前は適当にそういう連中もあしらえんだろうけど俺は絶対ムリ。キレル」 「……」 反論出来なかった。忍足にも容易にその絵が想像出来てしまった。ジローならやりかねないことだ。跡部は単品でも目立つのだ。なにかと有名なテニス部の部長を加えてレギュラーが二人揃ってなにをしてるんだと、嫌でも目立つ面子だ。 跡部が言うようにあしらえる自信なら、ある。だが跡部同様に忍足にとってもうざいことにかわりはない。 「ああもお……」 「だからほっとけっての」 忍足が、まいったと髪を掻く前で、跡部が仕方ないだろと言わんばかりに息を深くつく。忍足はのろのろとジローが居る方を振り返った。のん気なものである。背中をすっかりと預けてもう既に瞼を下ろしている。まだ寝てはいないのだろうが、あれではもう戻れと叫んだって顔は上げてはくれないだろう。 「……しゃあないなぁもぉ……」 「じゃ俺はもう戻るからな。あれの面倒はお前がきちっと責任持って見ろよ。授業なんかどうでもいいが部活だけは遅れて来んなよ。いいな」 「どうでもよくなんかないやろが……六限目はちゃんと出るしあれだって引っ張ってくわ……」 「ムリはすんなよ。じゃあな」 「ああ……」 「あ、そうだ」 行きかけていた足を止めて、跡部が戻ってきた。 「なん?」 「お前に言うことができた」 言うこと? 「さっきの話の続きだよ」 「続き?」 「俺が案外とおせっかい焼くの好きだって言っただろが。いいぜ。お前らの為に焼いてやっても」 本気で言っているのか。はたまた忍足をからかったのか。顔は真面目風で。口調も跡部らしく。 不遜ににやりと笑えばからかわれたと一蹴出来たのに。真剣な眼差しで見られて。どう答えていいのやら忍足の方が返す言葉をなくしてしまった。 「ま、ほどほどにな」 なにを? とはさすがに聞けない気持ちにさせられて。 「……跡部にだけは焼かれとうないわ……余計にこじれそうで怖いわ……」 跡部が消えるのを見送ってから、 「ジロー。どうせ寝とらのやろ」 そちらに向かうとぱちりと目が開いて、ジローが大きく伸びをして見せた。 「ほんまにええのんか?」 「テストのこと? いいんじゃない? 追試があるんだったらそれはちゃんと受けるし」 「なんでなん?」 「なにが?」 「ジロー。オレの質問の意味、ほんまはちゃんとわかってんのやろ。知らんふりするんはなしや。ちゃんと質問に答えてや」 「答えて欲しいの?」 「オレの質問に答えてからでないとオレも答えてやらんよ?」 「なーんか今日の忍足厳しくなってない? 忍足こそどうしちゃったのかなーってオレは思うんだけどこれもやっぱり最初の忍足の質問に答えてからでないと答えてもらえないんだよね?」 「そこまでちゃんとわかってんやったらはよ答えてや」 「早くって言われてもなぁ……。単に受けたくない気分だからここに居るんだけど」 「せやから受けとおない理由はなんや、て聞いとんのや」 「だからそういう気分なんだって。眠いから寝たいってのと一緒。受けたくないから受けないって言ったんだけど」 「ほんまにそれが理由か? もっと違う理由がほんまはあるんと違う?」 「ないよ。なんでそんなに今日に限って絡むのさ? ちゃんとオレも答えたんだから今度は忍足が答える番だよ」 「べつに絡んでへんよ。ジローの様子がおかしい思えるから心配しとんのや」 「オレ、へん?」 「どこぞで寝こけてて結果的にさぼってまうことはあっても自主的に授業ふけたことなんてこれまでなかったやん。そのお前が自分からテスト受けないなんて言うからびっくりしたわ。でもま、気分の問題や言うんやったら、そりゃ仕方ないわな」 「……うん。心配してくれてありがとね」 ようやくジローにも笑顔が見えた。彼の言い分を全面的に信じたわけではないが問い詰めても無駄なのがわかるから忍足は敢えてもうなにも聞かなかった。表情を緩めると隣に並び、忍足もまたジローと同じくフェンスに背を預ける。 「で、お前はここで寝るつもりなん? オレも時間潰しせなあかんからここにおるけど邪魔やったら言うてや。したらあっちの方へ移動するし」 「だめ」 ジローは、忍足に寄り掛るとそのまま肩にこつんと頭を寄せた。体重を預けて、楽な姿勢を取っただけにも見えるし臍を曲げている風にも見える。彼の髪の質はとても柔らかい。くせっけに見えて意外と指通りはいいのだ。その柔らかな質の髪をくしゃりと忍足は撫でた。 「んー……よお考えたら人がおっても気にせんと寝たあなったら勝手に寝てまうもんな自分」 「うん。オレ、気配とか音とかそういうの全然気にならないんだよね」 「オレもそうやけどでもあんま周りが騒々しいとそれはさすがに眠れへんよ。でもジローは全然平気なんやね。どっこででも寝てまうからちょお心配やねんけど今はどうなん? 眠いんか?」 「んー、眠たいような眠るほどでもないような……なんか微妙なカンジなんだよね。あ、でもこのままずっと忍足が頭撫でててくれたら寝ちゃうかも。だってすっげえ気持ちいーし」 「はは。そうなん? やったらしばらくこうしてよか?」 「うーん……それはとっても嬉しいことなんだけどでもやっぱりせっかく二人きりなんだからもっと違うことがしたいかも」 ジローのてのひらがすっと、忍足のふとももの上に乗った。 「あかんよ」 意図を察して、忍足はその手をのけた。二人きりだとしても、この太陽の下で不埒な行為はいくらなんでも似つかわしくない。と言うよりもむしろ忍足としてはこうして温もりをくっつけあってしばらくじっとしていたかった。この愛しい者の体温は、潤いを与えるみたいに忍足の躯に浸透してきて忍足に幸せな気分を与えるのだ。なにをするわけでもないけれど、この温もりを感じながら静かに過ごすということは、時間を共有すると言うよりもむしろジローと言う人間を独占しているように思えて、忍足としてはこの温もりをまだしばらく手放したくない。 「なんで? いいじゃん」 「いややて。ここは明る過ぎる。今日はがまんし?」 「明るいのがヤなの? じゃあ」 「ストップ」 忍足は急いでジローの口元にてのひらをあてがった。 『じゃあ』に続く言葉がどんなものなのか忍足にはわかった。冷や汗が流れてきてもおかしくないほど胸が忙しく騒いでいる。ジローが求めるものは脅迫されるよりも性質の悪いものだ。 当然提案なんかされても拒絶するが、事前にこうしてわかってしまった以上喋らせないし口を開くこと自体を忍足は禁じた。まさにこれは口封じをしている最中である。 そんな忍足の焦りなどジローは知りもしないのだろう。もがもがと暴れるだけで。手を離せば口を開いてしまうそうな予感。 「こら。そないに暴れんなや。お前はまっ昼間からなに言おうとしとんのや。ええか、よお聞いてや。オレはそおいう気分とちゃうねん。このままがええのや。オレのこの気持ちを無視してお前が我侭を続けるんやったらオレはここを立ち去るで。それとオレがこの手を離しても続きを言うたらあかんよ。聞きとうないセリフやねん。もしも言うてしまたら、――わかるやろ? 縋り付こうが詫びてこようが聞く耳持たんと立ち去るで? ええね? よう考えや」 しっかりと釘を刺してからてのひらを退けると、よっぽど忍足がこの場から去って行ってしまうのはイヤだったのだろう。おとなしく口を結んではいるが、忍足のケチ、意地悪、なんでそーいうこと言うのさと、そう言いたげな目を忍足に向けてきている。本当は物凄く忍足の出した条件に反論をかましたいのだろう。 「…………ったく、しゃあないなもぉ……」 甘いとは自分でも思った。それでも愛しさの方が勝ったのだろう。 呟いたあと、時を移さずジローがつけるネクタイをくいっと引っ張って、そのまま呼び寄せた。もとから緩んでいたネクタイだ。今さらどう崩れようが構いはしないだろう。きっと、ジロー本人も気には掛けていまい。 「ええよ。譲歩したるわ。感謝してや。キス、しよか?」 しかし、ジローからは大した反応もなく、 「なんやの。なにそないに難しい顔しとんのや。キスはしたないんか?」 たずねると、ようやく首が振られる始末で。忍足は、『なら、その不満そうな顔、やめてや。喜んでくれんと気持ちが萎えるわ』と、それを伝えてから再びネクタイを引いた。 「待って」 それが掛かったのは、もう触れるギリギリのところ。実際、発した言葉の息吹はもろに唇に当たっていた。 「……ジロー、いったいなんやの。お前らしくないで。まさかお前の口から『待て』が言い渡されるとは思わんかったわ」 「ゴメン。えっと、質問あるんだけどしていい?」 「質問?」 「うん、そう」 「それ、今でないとあかんものなんか」 「うん。キスする前でないと」 「……そうか。ならええよ。で?」 「うん。あのね、キスは一回きり? それともいっぱいしてもいいの?」 「オレは一回のつもりで『しよ』、言うたんやけどな。まあええわ。で、ジローが希望する回数は何回なん?」 「そんなの決まってるじゃん。飽きるまでだよ。ねえ、いっぱいしてもいい? させてよ。抱かせてくれないんだからキスくらいいっぱいさせてよ。ね? お願い?」 「お願い、ねぇ……。なんや前半の部分には強請ってるような色が混ざってたような気もするんだが……。まあええか。ええよ。ほな、いっぱいしよか?」 「うん」 元気良く答えて、ぱっと笑顔を作るジローのその嬉しそうな表情に、愛しさが膨らむ。 だからジローにされるよりも先に忍足がジローの唇を自分のそれで塞いだ。 そのまま離さないでネクタイから指を外して首へと腕を回す。 焦れたような手が、留まる場所を探しているのだろうか、忙しく背中を泳ぐ。 「ん、……」 ぬくもりが固定されたそこはウェスト。それでもまだ探るような動きに煽られて、忍足も興奮が抑え切れなくなってきていた。 唇を離すと、艶やかな唇が、名前を紡いだ。心許無くゆらゆらと心が揺れる。切ないからなのか、焦れてきているからなのか、もう自分でもわからなくなってきている。わかるのは、愛しさだけが募っていくということだけ。 「……な、ジロー……もっと深いの、しよ……」 唇を離すと、名残惜しそうに何度もジローが唇にちゅっちゅっと吸い付いてくる。 合間合間に紡ぐ忍足と言う言葉と共に零れてくる吐息の熱さに煽られて忍足の躯はどんどん熱を持ち始めている。その忍足の背中にぞくぞくしたものが走って、衝動的に忍足は舌を差し入れていた。 喰らい合うような激しい吸い上げだ。 「ん、……ぅ、ジ、ロ……」 ジローの口内を探る忍足の声はやけに甘ったるく、そして、もうかなり蕩けかかってきている。 背中を滑るジローの温もりが、一緒に忍足からちからを奪っていく。 やがて焦れたような手が、忍足の服を脱がせにかかった。 「……ジ……ロ、……あかん……」 言った直後、躯が揺れるのがわかった。 コンクリートの上に二人して倒れ込み、そして抱き合ったまま転がった。 「……忍足、ぎゅってして……もっと強く……」 掠めるようなキスをしたまま胸元に触れてくるジローに、忍足は惜しみなく抱擁を与えた。 預けられた重みですらも、愛しい。 「ね、触っていい? 触るだけだから……ね、いいでしょ?」 「あ、ああっ……」 ぶるっと、忍足の躯が震える。ジローがまるでからかうようにして乳首を弾いたのだ。 「なに、……すんねん、……あ……かんて、言うた……やん、……ん、ちょ、……っあ、ジ、ロっ……」 「イヤだったらもっとちゃんと抵抗してよ。……オレ、ホントにもう自分ではムリだから」 「オレかて……ムリや……。あかん言うてるけど、オレかてもう、自分ではムリやねん……」 「うん。そう見えるね。だったらもう流されちゃいなよ。ね? だって気持ちいいでしょ?」 それの問い掛けに、忍足は素直に頷いた。 気持ちが良くなってきているのはほんとうのことだ。否定してみせたところで密着させあってるその下半身がすでに反応を示しているのだ。ジローなどかなり前から腰が揺れているし。もしかしたら忍足だって揺らしていたかもしれないのだ。 だが――――。 「……気持ちは、確かにええねんけど……やけどオレは流されんよ…………」 「そっか。じゃ仕方ないね。オレはオレで頑張っちゃうから、忍足も頑張って?」 忍足は、苦い笑いを漏らした。 ジローならほんとうに頑張りそうだ。だが忍足はもうほんとうに頑張れない。 「勝てへんて……」 忍足はジローにぎゅっと抱きついた。柔らかな髪に指を突っ込み、くしゃりと握る。 「ほな頑張って流してみ? オレは抵抗せんし。せやけどアレやよ? 加減、してや?」 流れに身を任せることをよしとした忍足に、すぐさまジローが噛み付いた。噛まれた箇所は首の右側面。忍足は、目立つ箇所でないことを祈った。ジローは噛むのが好きだ。と言っても歯形を大きくつけるのではなくて、まるで肉を噛み切る寸前のような噛み方をよくする。だから跡は小さく、目立ちにくい。それでも数箇所に散らされてはそうしっかり管理は出来なくなる。うっかり見落とすことはままあり、『そこ、どうしたんだ?』と、見つかって指摘を受けることも珍しくはないのだ。 あれは、心臓に悪い。咄嗟にうまく言い訳をしてはきたが、居心地が悪く感じられて仕方ない。 出来れば、残して欲しくない跡だ。 だがそうやって忍足が杞憂している間にも、もうあちこち噛まれてしまっている。 ほんとうに、目立たない箇所であることを祈るばかりである。 END (03.05.29)
ジロ忍です。 中学生らしくまったりと青くいちゃつかせてみました。 有り得るかもしれないと言う色を意識して打ってたんだが果たしてどうなってしまったのか。 有島的には、受けでも忍足に女々しさはいらねーと思ってるんであまり可愛くないのですが、男のコしてて、まあ気に入ってます。ジローちゃんにいたってはいかにもジローちゃん風を意識したんですが、んー、果たしてジローがそんなにこまい神経しているか? と疑問に思うかもしれない『好きだけど好きだけどいったい忍足はオレのことどう思ってんだろ? ちゃんとほんとに好きでいてくれてんのかなあー?』と悩める中学生になっています。うむ。どーなんだろ。こんなじろーちゃんも有? で、この二人、有島の頭ん中ではしっかり最後までやっちゃってます。はーい、忍足クンはジロちゃんにめっさ甘いのです。なんだかんだで、お願いに弱い。流されまくりの忍足クンでした。 次こそはエロなジロ忍やりたいです。 ↓ おまけっす。 ジロ「忍足、平気?」 忍足「……めっさ疲れたわ。背中も痛いねん」 ジロ「えっと、その、ごめんね……」 忍足「いまさらあやまったかて遅いわ。加減して、言うたやん」 ジロ「ごめん。でもオレも途中まではちゃんと頑張って自分抑えたんだけど……でもさ、……」 忍足「でもなんや?」 ジロ「……でも忍足の気持ちよさそーな顔見てたら……とまんなくなっちゃったんだもん。忍足がいけないんだよ」 忍足「こら、なに人のせいにしとんねん。ってて……あかん。なんや肩のあたりがめっさ痛いねん。ちょおジロー、見てんか? どないになってる?」 ジロ「や、忍足、その格好はダメだって。なんかまたこうむらむらっとくるものがある……痛い! もう、いま本気で叩いただろ。ばかんなったらどうしてくれんだよ。責任取ってもらうからね……」 忍足「アホなこと言うからやろ。ほら、ごちゃごちゃ言うとらんではよお見て」 ジロ「あ、……んーちょっと擦り剥いたっぽい。けっこう痛いんだ?」 忍足「血はどうなん? 出とるんか?」 ジロ「ん、……少し。うっすらとね」 忍足「……そか。まあ少しくらいならこのままシャツ着はっても大丈夫やね。滲まんやろ?」 ジロ「うん。そんなにひどくはないし。って待って」 忍足「こらジロ! なにしとんねん! こらこら、舐めたらあかんて」 ジロ「消毒」 忍足「……やったらもうええやろ? そろそろはなせや」 ジロ「もう少しいいじゃん」 忍足「ダメや。こらこら、なに場所移動してんねん。そこは首の裏や。そこはなんともないで。こらジロー」 ジロ「減るもんじゃなし。いいじゃんどこ舐めたって。無防備に肌晒した忍足が悪いんだから」 忍足「痛っ! お前、噛むなや……」 ジロ「うるさいなぁ……て言うか色気無さ過ぎ。もっとこうまったり余韻に浸ってくれたっていいじゃん」 忍足「なに言うとんのや。ったくしょうがあらへんなもぉ……。いっつ……たた……ちょ、痛いねんけど。ちょ、こらジロ、少しは加減してや……」 ジロ「してるよ。ほんとは食いちぎりたいのを我慢してるもん。いいじゃん。跡くらい残させてよ」 忍足「痛っ!」 やー熱い熱い。 |