テニスのページへ戻る







 ふと、視線が走ったそこは――窓際のいちばんうしろの席。
 座って、ぼけっと外を眺めている姿は非常に珍しい。
 ――あ、眠そうな顔してる……。
 彼がそういう表情を見せることもまた珍しい。
 もっとも。明らかな変化を見せる彼ではないので仕種や表情からそのときの彼の心境を目敏く読める明敏な者はそう多くはいない。
 彼のことがスキな鳳は元来目敏い部類には入っていなかったが、よくこうして彼のことを見てきたせいなのか、今では誰よりも的確にそしていち早く彼の変化に気付くようになった。
 恋をするといっとき人は性格も変わるらしい――ことは鳳も知らぬことであったが好きな人のことはどんなことでも知っていたい鳳だったので自分の性格の変化には全然戸惑うことなどなく、むしろもっと彼のことが知りたいと彼への興味は強くなり、それと同時に好きと想う気持ちも貪欲に、益々と膨らんでいった――。そんなわけで彼の小さな変化に気付いてしまった鳳はその横顔に釘付けになりながら、こっそりと、彼への想いを噛み締めては胸のどきどきを高めていくのであった。

 

 


 「日吉、お昼今日はなに?」
 「弁当。お前は?」
 「俺も弁当。じゃ今持ってくるから待ってて」
 昼休み。食堂を利用することもよくあるが弁当を持参する日も割と多い。今日のように二人共に弁当を持参してくる日は週にだいたい二回くらいあるだろうか。揃って持参した日は食べるのは教室でというのが決まりみたいなものになっている。どちらかが学食もしくは購買を利用する時は、持ち込みが許されている食堂へと足を向けるかもしくは空き教室を利用したりしている。
 「あ、笹、イス、借りるね」
 「んー」
 日吉の前の席からイスを引っ張ってきた鳳は、その途中でその席に座るクラスメイトを廊下側の席で見つけ、一声掛けた。
 その彼と一緒に昼を食べるのだろう別のクラスメイトはたまたまなのだろうけど鳳の席からイスを持ち出している。好き勝手に移動が始まる昼休み、グループを作って食べるとこも多く、次の時間になったら自分のイスではないよそのとこものが適当に戻されているという事態も珍しいことではなく、ブレザーやジャージなどの私物が背もたれ部分に引っ掛けられている場合は、一応、声を掛けておくべきだろう――みたいな決まりがなぜか出来上がっていた。
 ちなみに鳳のイスには目印になるようなものはない。座って初めてそれまでと座り心地が違うなと言う違和感を覚えなければ気付くこともないだろう。
 ……ま、別に違っても俺は構わないけどね。
 女子は割りと気にするらしいのだが鳳はそこまで神経質ではないので。足ががたがたするとか、そういう問題がなければイスなんてどれも同じと考えている。
 「あ。日吉の今日はサンドだ。美味そー」
 先に包みをほどいた彼の弁当に、結び目に手を掛けたまま鳳は真剣に目を輝かせる。
 彼の母親が作る料理が美味いことは、遊びに行った時にご馳走になったことで学習済みなのだ。ごくたまにではあるが、弁当を一口もらえることもあり、鳳は今日もそれを期待していた。
 「……お前まだ自分の弁当も開けてねえのに卑しいぞ」
 「うーん、だって日吉のお母さんの作る料理ってどれも美味いんだもん。それももう見ててよだれ出てくんだよ。ねね、それ、そのタマゴの隣ってもしかしてコンビーフ? すげえ美味そう!」
 「お前うるさい。て言うか落ち着け。まずは自分のそれ、開けろよ」
 「あ。俺のは今日やきとり丼なんだ。詰めたの俺なんだよね。ちょうどいいとこに来たわ、長太郎、自分でお弁当詰めなさい、そこに取り分けてあるのうまく入れなさいって言われてさ、おかげで開ける楽しみ今日はないんだよね」
 「そうか――ちょっとそれ貸せ」
 ぶつくさ言いながら開いた蓋を横にのけて箸を持つ鳳の前に急にぬっと、手が伸びてきた。
 「なに?」
 「その箸を貸せと言ってるんだ」
 「これ? いいけど……でも日吉は今日サンドだろ? 箸なんて使う必要ないじゃん。まさかお前、具だけ取り出して食べる気か?」
 「ばーか。俺がお前のそのやきとりを一口頂くんだよ。そしたらこのコンビーフ、半分わけてやるよ」
 「ラッキー! 日吉、やっさしー!」
 うるさいと、一言置いてからつまんだやきとりを口に放り込んだ日吉は、口をもぐもぐ動かしながら長方形をしたサンドを半分になるように神経を使ってさいていくと、見た目、少しこっちの方が大きいかもしれないという方を鳳へと差し出した。
 鳳は柔らかく目元を緩めて、素直にそれを受け取った。
 「ありがと。あ。俺のももっと食っていいよ。さっきの一口とこれを交換したんじゃ不公平過ぎるもんな。あ、ほら。遠慮しないで手、出していいから。あ! なんだったら俺が取って口に運んであげよっか! あーんとかって、うわ、すげ楽しそっ……痛っ!」
 「黙れ。うるさい。なにばかなことをべらべら喋りまくってんだ。
食事のときくらい落ち着けよ。こっちまでも落ち着けなくなるだろ」
 「だからっていきなり蹴ることはないだろ! 脛を狙うのはよせって前にも言っただろ。そこは特別痛いんだよ。それでなくたってお前は絶対容赦なく入れんだからさ。知ってるか、お前にここ蹴られっと確実にあとで青くなるんだよ。絶対これもあとで青くなってくんだぜ」
 「やかましいお前が悪い。それに前にも言ったとかで抗議するんなら俺も言わせてもらうが、頭が悪く聞こえる発言は慎めと以前より注意を与えてあったはずだが?」
 「そ、……れはまぁ、……そうだったっけ?」
 威勢良く文句を並べていた鳳は、真正面から見返してくる彼の目つきが剣呑にすっと、細まったのを見て、慌てて言葉を呑み込んだ。不愉快そうな表情をしているのには早くから気付いていたが彼がそういう表情するのは珍しくなく、見慣れていたせいもあって全然気にもとめないでいたが、さすがに不機嫌そうな顔をされてしまうとそのあとの彼の動向が気にかかりそれまでと同様に調子に乗ってもいられなくなってくる。
 不機嫌を極められて『お前とはもう一緒にメシは食べない』なんて言われてしまったらすごく困るのだ。
 昼休みは数少ない、日吉とふたりで過ごせる貴重な時間なのだ。
 それを愚かにも自らの手でなくしてしまうわけにはいかないわけで、遅きにもあらず――という雰囲気がすでにもうあるようだがここはやはり下手に出て、『調子に乗り過ぎました。ごめんなさい。以後気をつけます。許してください』と、頭を下げておくべきなのであろう。
 「ほんっとうにゴメンナサイ。調子に乗り過ぎました。ごめんなさい! 許して! この通り!」
 下げていた頭を少しだけ浮上させてちらっと、日吉の今の様子を窺ってみる。
 実は彼が、鳳がこうして謝り倒す姿に弱いことを鳳は既に学習して知っている。
 「ごめんなさい」
 ――――あ。
 不機嫌そうな表情は見た目まったくかわってないように見えて、口元が少し困ったように薄く開かれてくる。
 彼がその仕種を見せるとき、確かに彼は困っているのだ。
 素直でない性格が彼を黙らせ言葉を呑み込ませるのだろう。
 もういいよと、たったそれだけのことが言えないらしいのだ。
 彼にとても悪いことしているなと、それを見ている鳳だって胸が痛むが可愛いなぁと口元が綻んでくるのを、どうしても鳳には我慢することができない。
 彼のそういうちょっとした仕種で彼の心境が読めてしまえることは、とても嬉しいことだ。
 正直に吐けば彼が結果的にこういう仕種を見せるだろうことがわかっていてわざと謝り倒しているのだ。
 自分の言動によって困る仕種が見たいと思っているなんて知ったらきっと彼はもっと不機嫌になるだろう。
 だから鳳がタネを明かすことはまずないことだろうし、そもそも鳳自身がまだ、困らせてしまいたくてつい、どうしても、こんな風にして困らせてしまうことを自重する気もなかったりする。
 ……その困った顔が見たくてつい困らせてしまうんだなんて言うこの不埒な気持ちを知ってしまったなら、日吉でなくともきっと、むかつくであろう……。からかって茶化そうとか面白がって溜飲を下げているとかそういう理由でこういうことしてんじゃないから信じてよ、……なんて訴えても今の彼の目には誠実さが欠けているようにしか見えぬであろう。好きなのにいじめたくなるこの気持ちをわかれと打ち明けたところでいじめられる側にはやはり理解できないものだ。
 ……ほんと、ごめんね、日吉……。
 密やかに、こそりと、心中で吐くしかなかった彼の心情はまさに、切ない、である。
 困る顔ももう見られたしいつまでもこのままにしおくのも可哀そうだしもういいかと、――堪能したと言うか気の済んだことから言葉に窮して固まったまま動かない意固地な彼の為に話題をかえて少し居心地を良くしてやろうと、思いやるのと同時に実は企てていた案をさも突発的に思いついたようなふりを装って彼に話を持ち出すのに今がいいタイミングかもしれないと思いついて、鳳は顔を上げた。
 「あ。そうだ。ね、あさって暇? デートしようぜ? 連れて行きたいとこあるんだ。ね、付き合ってよ。お昼とか晩とか俺が奢るからさ。ね?」
 「…………」
 「あーもう、機嫌直してよ。ね? 楽しめるとこ連れてあげるからさ、ね?」
 日吉が、お願いにも弱いことは学習済みだ。
 使える手は存分に、有効に使わなくては勿体ないと言うものだ。
 「あのさ、あさって七夕じゃん? 平塚の七夕祭りに行ったことある? 露天とかもちろん出てるし仙台の方の七夕に出る飾りとかもあってけっこうでかい祭りなんだよ。去年初めて行ってさ、すげえ楽しかったんだ。だからもし行ったことないんだったら案内してあげるし、行ったことあるんだったら……その、遊びに行こうよ。ね?」
 「……平塚? どこだよ、それ」
 「あのね、湘南の方。江ノ島の近くって言えば近くかな? こっからだと小田急で藤沢ま出てあと東海道線に乗り換えるか、東京からもうそのまんま東海道線に乗って行くか、どっちかで行けるんだけど早いのは東海道線かな。運賃はちょっと高くなるけど乗り継ぎない分楽かも」
 「……あさってって、……土曜?」
 「そう。多分火曜日までやってると思うんだけど平日は無理じゃん? 日曜は多分人出も多いだろうから土曜の方が楽かなと思って」
 「……」
 「行こうよ、ね? マジで俺がメシとこは奢るから。ね?」
 「……どうせ焼きそばとかたこ焼きとかそういう類のもんなんだろ」
 「あー、まあ、そりゃ一応お祭りだからそういうもんしかないかもしれないけど色々遊べるような店も出てたし、商店街でもそれなりに遊べるとこあったと思うんだよ。だからまあ、楽しめるとは思うんだけど……なんだったら足伸ばして江ノ島とか行ってみてもいいし。まあ行ってそのときの気分次第でどこにでも行けるってことでどう?」
 「……江ノ島、か……」
 「え? なになに、なんか思うとこあんのそこに」
 身を乗り出した鳳の行動に驚いたのか、日吉がすっと背を引いた。
 「えっと、……ひとごみが好きでないんなら別にそっち行かなくてもいいし、日吉が江ノ島だっけ? そっちに行きたいんだったらそっちに行ってもいいし、その、日吉の好きな方を選んでよ」
 「ひとごみは別にイヤじゃないよ、……」
 「えっと、じゃあ、平塚までデートしてくれる?」
 「……デートとか、言うなよばか、……」
 ぱくんと、それまでずっと手にしていたサンドに食いつく様子があまりにも可愛らしくてついつい鳳は我慢が出来なくて、ふにゃらぁーと、にやけてくる顔をもろに披露してしまった。
 笑うなと、日吉が耳たぶまで紅くさせながら睨んできても、だるだるに崩れてくる頬の緩みは直せなかった。
 どうしよう! 可愛い! 抱き締めたくなってきた!
 「いつまでもにやてんな、ばか」
 「や、だって日吉がいきなり照れるからさ、……」
 「照れてねえよ!」
 「え、でも日吉の耳たぶすっごい紅くなってるよ。お前って顔に出さないけど耳とか目とかそういうとこに変化出るじゃん」
 「人のこと観察すんなよ!」
 「観察なんてしてないよ。よく見てたら気付いちゃったんだもん」
 「見るな! ばか!」
 あ。なんか今少しあかみが増したかも。
 「ねえ、嬉しい?」
 「ばーか! もうこっち見んな! 変態!」
 「言われても困るよ。目で姿追ってるのって俺、ほとんど無意識にやってんだもん」
 好きなコのことは色々と気になるもんなんだよ……そう続けたあと、絶句した表情と共に無言の――多分照れ隠しなのだろうけど飛んできた蹴りは、やっぱり、容赦のないものだった。
 「……お前、もう黙れ!」
 「……痛いよ日吉……」
 「自業自得だ。ばか。下らないことばっか言ってないでさっさと食っちまえ! 時間なくなるぞ」
 鳳は、ちらっと、視線を腕時計に向けた。
 「あ。ほんとだ」
 じゃあそろそろ返事をもらわなくちゃと、その視線を日吉へと移動させる。
 「……んだよ、……」
 「ん。返事。土曜日、いい?」
 「考えとく」
 「そっか。じゃあ十二時半に駅で待ち合わせよう?」
 「考えとく」
 「やっぱ楽な方がいいからさ、東海道で行こうと思うんだ。そうすると東京駅まで出なきゃいけないんだけど、交通費も俺が持つからキップは買わないでいいからね」
 「…………」
 日吉は考えとくとは言わなかった。
 だけど行けないとも、行きたくないとも言ってこない。
 遠回しながら、考えとくイコールわかった、と言うことなのだろう。
 「十二時半だよ? 遅れんなよ?」
 「……だから考えとくよ」
 「うん。考えといて」
 素直じゃないんだから……そう密やかに零して鳳は、
 「じゃあ念のためにもう一回言っとくけど、待ち合わせは十二時半に駅ね。改札口の前で待ってるから。いい?」
 ちょうどサンドを頬張ったところの彼に、時間と場所だけ確認を取っておくのだった。

 

 

 

END
(03.07.11)


 

七夕にアップしようと頑張ってたのに全然間に合ってません!

久し振りの鳳若です。デートに誘う鳳、恋に恋している鳳、ピヨにぞっこんラブ!な鳳、ピヨにめろめろめろめろりんな鳳、二人の日常、チュウボウらしく昼休みで鳳若!……目指してみたがどうなんでしょう?

鳳のラブラブ光線をもろに受けてボーボー燃えてしまってるピヨなんですが、両想いらぶらぶ全開なのが伝わっていればチューもしてないけど全然オッケー!七夕ネタをちょこっと出しただけで季節ものと言い切ってもいいですか? いいよな!

そんなわけで久し振りの鳳若でした。

あ。ちなみに平塚デートが終わったあとはトリんちへお泊りです。

当然トリの部屋で夜中にピヨは食われます。勿論食すひとはトリです。いやーん、ラブラブ。

テニスのページへ戻る