テニスのページへ戻る







 「柳生、今日、ヒマか?」
 「今日、ですか? ええ、べつにこれといって用事は入ってませんけど」
 「よし、じゃ、ちょっと付き合え」
 部活を終えて、帰りの支度もそろそろ終わる頃といったタイミングを見計らってでもいたのだろうか、すっかりと支度を整え終わった仁王に、行き先も告げられず腕を掴まれて、柳生は部室から引っ張られるようにして外へと連れ出された。
 「どこへ行こうと、言うのですか?」
 途中何度かたずねたが、着いてくりゃわかるってと、そんな言葉で彼は誤魔化すばかり。
 なにごとかを画策しているらしい仁王にやれやれと溜息は出るものの振り払わなくてはならないような特別な用事があるわけでもないので、強引な彼に柳生はおとなしく付き合ってやることにした。
 十分後、駅へと着くとお前はここで待ってろと、一言残すやすたすたと券売機へと仁王が向かう。
 どうやら、今日は少しばかり遠出になるらしい。
 いったい切符など買ってどこへと向かうつもりなのか。
 「ほい、これ、柳生のな」
 渡された切符には三駅ほど上った駅名が印字されていた。
 さて、いったいこの駅にどんな用事があって、自分は連れ出されるのか。柳生が胸の中で問い掛けた答えを求め、改札口へと向かおうとしているらしい仁王をじっと凝視すると、
 「まあまあ、着けばわかるって。ほら、行くぞ」
 と、否応なしに腕が引っ張られ、答えてはもらえぬままに歩き出されてしまう。
 どうやら、着くまで、とにかく内緒にしていたいらしいようである。
 引っ張られるままに下へと降り、ホームの真ん中あたりで電車が到着するのを待っていると、うしろに並んだカップルから女性特有の甲高い歓声のような声が、うそぉ、と上がった。
 瞬間、反射的に振り返ると予期せず女性と視線が合ってしまい、またたくまに居心地の悪い思いに柳生は襲われてしまった。こういうとき、やばいとか早く目を逸らさなきゃとか、とにかくそういう考えは咄嗟に浮かぶのに、伝達がうまくいかないのか、なぜか躯の方の反応が遅くて。相手側から露骨に、なに見てるんだと言われんばかりの視線を投げつけられ、それからようやく躯が反応するが、相手の不躾にくれる視線を受けてしまったあとなだけに、鬱とした気分はすぐには晴れない。
 「柳生、どうかしたか?」
 「いえ、……べつに、なんでもありません……」
 線路の枕木を、ただなんとなくで眺めていたその視線をちらりと仁王に移し、気分の上昇を図ろうとしたがそう容易くコトが進むはずもなく、逆に、うしろから聞こえてくる声に自分がやけに敏感になっていることにはたと気付き、気を変えるどころかますますと滅入った。
 「……あの、仁王くん」
 「あ?」
 「すみませんが、あちらにある自販機にちょっと寄りたいんですが、いいですか?」
 「なんだよ、あともう少しで電車来るぜ?」
 「ええ、でもこんな先頭から乗らなくても構わないでしょう? べつに座りたいわけでもないですし」
 「まあ、そうだけどさ。で、なに買おうってんだよ」
 「なにって……あそこの自販機はたしか飲み物が入ってましたよね。温かいものがあればなんでもいいんですよ」
 「ふーん。珍しいこともあんだな」
 「ワタシにだって、そういう気分になることくらいありますよ。仁王くんにもなにか奢って差し上げますよ。行きませんか」
 「そうだな。買う時間くらいはあるからな。お前から奢ってくれるなんてセリフ、そうは聞けねえし、ありがたく買ってもらうとしますか」
 同意が得られたあと、先に歩き出した仁王のあとを追うようにして、ついに列から抜け出した柳生は、ひっそりと安堵の溜息をついた。
 さて、おかげで今度は電車に乗り込む前に飲み干せるよう頑張らなくてはいけなくなった。ほんとうは、それほど喉が渇いているわけでもなければ寒いから暖をとりたいというわけでもないが、なにかしらを購入して口に含まなくては誘ってしまった手前、仁王に悪いだろう。
 運良くもコートのポケットに転がっていた小銭を指で探りながら、そんなことを思いさっきとは違った意味で柳生は再びの溜息を零す。
 「なんだよ、お前さっきから様子おかしいぞ。どうしたよ」
 すでに、自販機の前で待機している仁王が、その背後に立った柳生に、低く、囁く。
 「べつになんでもありませんよ。それで、決まったのですか? 小銭を入れますから、先にどうぞ」
 投入するとぴっとセレクト音がし、続いて、カコンと、取り出し口から鈍い音が上がる。
 小さく屈んで取り出すのを見届けてから、再び投入。
 二秒くらいか、柳生の目は右から左へと、途中で止まることもなく流れていく。
 再びぴっと音がし、カコンと鳴る。
 いくつかの候補の中から柳生が選んだものは、ホットの生茶。しかも、ボトルタイプ。これなら飲み干せなくともキャップを締めれば持ち運べると思ったからだ。
 「お前、それ好きだったけか?」
 「いえ、それほど好きではありませんけど、コーヒーという気分でもなかったものですから……」
 「だったら紅茶とかコーンスープとかにすりゃよかったじゃねえか」
 「……」
 柳生は、薄く笑みを浮かべ、答えを濁した。
 仁王が口にしたそれら二つも、生茶同様柳生が普段から口にしているものではない。だけどそれらは缶で、最初から候補ではなかったのだ。
 だけどバカ正直にそれを言えば、飲みたくもないのにわざわざ買いに出向いたのかよと、答えに窮するような問いを投げ掛けられる危険がそこにはあった。それを避ける為に柳生は今もこうして黙している。
 「やっぱお前おかしいぞ」
 「そんなこと、ないですよ……あ、そろそろ電車入ってきますね。移動しましょうか」
 結局、手にしたそれを口にすることもなく、コートのポケットに押し込んで、柳生は足を進める。
 ホームに、普段なら見掛けるのだろう立海の生徒もさすがに終業式であった今日はこんな時間まで残ってはいないらしい。ざっと見回しても学生服を着た人間は仁王と自分だけのようだ。
 車内には少しくらいだったら見掛けるかもしれないと思ったが、乗り込んだ車両はおろか、前後の車両にも制服を着た人間は見つからなかった。
 「そう言えば、イブでしたね、今日は」
 「なんじゃ、急に」
 「いえ、学生はワタシ達だけのようなので」
 「ああ。テニス部だけやったしな、普段と変わらずに練習しとったの。けど制服着とらんだけで立海の生徒は乗っとるやろ」
 「私服だと全然わかりませんね」
 「そうじゃな」
 「仁王くん」
 「ん?」
 「あなたがこれから行こうとしてらっしゃる場所、制服を着てて目立つようなところではありませんよね? この格好は、今日はどこへ向かっても目立ってしまいますよ」
 「べつに目立ったかて、かまわねえよ。制服着てたらまずいってトコに行くわけじゃねえし。安心してていいぜ。大丈夫じゃけん」
 「そう言われましても、あなたの場合、少々図々しいところがありますから、着くまでは安心出来ません」
 「ひでぇ言われ様じゃな」
 「本当のことじゃないですか」
 「わかったけん。じゃったら着くまで警戒してんしゃい。ああ、けど少しは楽しみにもしとってや。ほれ、次じゃけん。もちっとドアの近くまで移動しよか」
 ちょうどサラリーマンらしき男がドアのまん前で、しかも真ん中になど立つから、二人は右と左に分かれて立つことになった。
 停車すると、そのドアから降りたのは自分達とその男だけであった。別のドアからは結構な人数が降りてきているのに、たまたま自分達の車両が少なかったのか。
 「柳生!」
 「え……?」
 「なにそがいなとこで足止めてぼけっとしてんだよ」
 「あ、……」
 「そんなに不安か?」
 「いえ、そういうことではありません……。ちょっと考えごとしてましたものですから」
 「紳士らしくもなかね。そんなとこで考え込むなよ。邪魔だろうが。ほら、早く来い」
 「すみません……」
 「とりあえず出たら右手な」
 「右手、ですね」
 階段を上がり、改札口でキップを機械口に差し込んで出ると、言われた通り右手の出口へと向かう。
 夕方のこの時間、待ち合わせをしている人間が多いのか、あちこちで人の輪が出来上がっている。駅に直結しているビルは、入口が華やかなイルミネイションで飾られ、たくさんの人が吸い込まれて行ったり吐き出されて来たりしている。
 「柳生、こっちだ」
 「ちょっと、待ってください」
 出入り口のところで流れに乗れなくて、人の流れが途切れるのを待つ柳生に、早く来いと、とっとと中へと入り込んでしまった仁王がガラスドアの向こうから招くのだが、その流れがなかなか途切れてはくれなくて。
 「さっさと入っちまえっての」
 「ですが流れが……」
 「そうやって待ってたって誰も止まってはくれんぞ。いいからその赤いコート着た女が出たら入って来い、いいな」
 足を止めて待つ柳生は、無神経に言葉を投げ掛けた仁王をガラスを通して睨みつけた。
 そんな大きな声で堂々と言わないでください、見てください、睨まれてしまったじゃないですか。
 さしもの柳生も居た堪れなくなり、そっぽを向きたくなった。
 そのまま逸らした視線で、ちらちらと映る赤い色を追って、通り過ぎていくのを待ってから、肩がぶつかること数回、舌打ちされることも二度ほどあったが、それでもなんとか無事に入り込むと、勢いに任せて仁王のコートを掴み、前方にあったスターバックスの入り口横へと彼を引っ張って躯を避難させた。
 「あなた、無神経過ぎますよ、少しは周りとワタシのことも考えてその口を開いて下さい、いいですね」
 「怒るなよ。お前がとろとろしとるからだろ。あんなもの、とっとと入ったモン勝ちじゃけん。律儀に待っとてもこの時間はみな忙しいから無視られるだけだぜ」
 「そうだとしても、見ず知らずの方を特定指しなさらないで下さい。ワタシが困ります」
 「わかったわかった、悪かったよ。それよりほら、こっちだ」
 「ちょっ、仁王くん! 手、この手を離して下さい!」
 「いいから黙ってついて来んしゃい。お前、とろくてほっとけんて」
 「とろくてすみませんね! けど人が見てます、こんな人の多いトコで手なんて繋いで歩いてたら変な目で見られてしまいますって……」
 「イブじゃけん。周りに目なんかいくヤツ、おらんとよ。おったとしても、そいつはきっと寂しい人じゃけん。見せ付けてやりゃいい」
 「馬鹿げてますよそんなこと、あなたと言う人は……本当に困った方ですね……」
 「ほら、いつまでもむくれてんな。こっちだ、奥のほうが空いてるからこのまま行くぞ柳生」
 手を繋いだまま、仁王に引っ張られながら進むそこは駅ビル内の休憩広場だ。
 十二階まであるが、地下一階から五階まで吹き抜けになっており、月に数回、色々とイベントが催されることでも有名だ。普段はカフェ風にテーブルとイスが出されていて、待ち合わせにも最適と言われている。
 しかし、イブであるはずの今夜、普段と変わらずにテーブルは出されたままになっている。珍しいこともあったものだと、外や周りの華やかさを思い出して、首を傾げたくなる柳生だったが、仁王がぐいぐいと引っ張っるものだから、足を止めて周りの様子をよく探ることも出来なかった。
 どうやら仁王が目指しているのは広場の真ん中あたりであるらしいことは予想出来るのだが、待ち合わせに使ったことはあってもここで休憩をしたことはこれまでになく、仁王がなにを考えてこの場にいるのかはいくら考えても柳生にもわからない。
 ふと、上を見れば。下を見下ろしている人間がやけに多いことに気付いた。
 なんなのだろう。柳生は首を戻すと広場を改めて見回した。
 確かに広場にはかなりの人が集まり、寛いでいる。が、それでも空席になっている箇所がないわけではなく、荷物が置かれていなかったイスも結構見掛ける。顔が知れているような有名人がいるようには思えないし、これからイベントが行われるような様子もない。ではなぜ、上の階にいる人達は下を覗くようにして見ているのか。あれはまるでなにかを待っている態度に近い。
 やがて、疑問だらけの柳生の手が呼ばれるようにしてぐいと、強く引っ張られた。
 「なにぼけっとしてんだよ」
 「あ、いえ……」
 「ぼけっとしてねえでそこのイス一つ持てよ」
 「え、ああ、……えっと、これですね」
 先に腰掛けていた女性に声を掛けてから、柳生がイスを持つと、再び、仁王が移動を始めた。
 向かっているのだろうテーブルにはイスが一脚も見当たらないだけでなく、菓子の空箱だろうか、そんなものが捨ててあるようだ。
 近くまで来て、やはりゴミであったと知って柳生は顔を顰めてしまうが、仁王の方はどうも全然気にしていないらしい。座れよと声が掛けられて、テーブルにはほかに誰も居ないというのにその彼にぴったりとくっついて柳生は座った。
 「ここで、なにをしようと言うのですか。ただの休憩をしようとしているなどとは言わせませんよ」
 「なんで言っちゃいけねんだよ」
 そう言うと寛ごうと言うのか、コートのボタンが外され、姿勢もひどく楽なものになった。
 そして、ちらりと腕時計に目が遣られる。
 ふと、気付けば、仁王だけでなくて周りも腕時計に目を遣るものが増えていた。
 「仁王くん?」
 「柳生、上、仰いでみろよ」
 「仰ぐ?」
 「いいから、ほら」
 さっさと仰げと言われんばかりに指を立てられたその瞬間、ふっと、一帯がブルーに染まった。
 何事が起きたのかと、慌てて仰ぐと、ちらちらと、舞い降りてくるものが見えた。
 いったいどこから降らせているのか、上の階に居たあの人々も、自分と同じように仰いでいる。
 それにしても、あの降って来ようとしているものは、果たしてなんなのか。照明がブルーに変わったのもいったいどんな理由があってのことなのか。アナウンスはないし、BGMもいまだ流れてはいない。照明が変わったことと、上から何かが降ってきたことで何かが起ころうとしているのは判断がつくが、これだけでは全貌はまだ見えてはこない。
 「あの、仁王くん」
 「黙って見てなって」
 仰がれたまま言われてしまい、仕方なく、柳生はまた仰ぎ見た。
 次の瞬間、上階からゆっくりと、オレンジ、レッド、ピンク、イエロー、グリーン、ブルーへと、流れるようにして色彩が変化を見せながら降ってきた。そして続いて歓声も降ってきた。
 驚いていると、固まる自分の顔に何かが落ちたのを知り、柳生は手を出しそこに触れてみた。

 水……?

 「雪じゃけん、ほんまもんの雪なんだとよ」
 指先を、まじまじと見つめる柳生に、くつくつと笑いながら仁王が言った。
 「雪? 雪が、降ってきているのですか?」
 まさかと思い、もう一度仰ぎ見て、手のひらも広げて感触を拾ってみることにする。
 手のひらに落ちてくると同時にそれはすぐにすっと消えてしまって、なにも手の上には残らなかった。だけど確かに湿った感触が、そこには何もなくてもうっすらとだが残っている。
 「……人口雪ではないのですか?」
 「違う。ほんまの雪を降らせてる言うのが売り文句や。夜の七時と九時、そして深夜零時に降らせてるんだと。23、24、25の三日間限定イベントなんじゃて」
 「まさかこれを見せようと思ってワタシをここへ連れて来たんですか?」
 「ああ。綺麗じゃろ?」
 「ええ。でも、仁王くんらしくないですよ、こんなことなさるなんて」
 「オレもそう思う。けど、たまにはいいじゃねえか。クラスの女が騒いでんの聞いて誘ってみるかって気になったんだ、前代未聞の珍事に違いはねえけど、珍事ついでってことでお前もケチなんかつけねえで素直に喜んどけよ。そうしてくれりゃ、なんつうかアレだ、オレも嬉しいからよ」
 「それは言い換えれば、気紛れって、ことですか?」
 「思いたければそう思ってくれても構わねえよ」
 素っ気無く捨てて、襟を引っ張ってから頬杖をついた仁王に、柳生は、ありがとうございますと、礼を延べ小さく頭を下げた。
 「こんなに近場なのに、こんなところでこのようなイベントが行われていたなんて全然知りませんでしたよ。イブなんて、それまで興味もありませんでしたが、こういうのも悪くないですね。女の子が騒ぎたくなる気持ち、なんとなくですけどわかった気がしますよ。仁王くん、ありがとうございます」
 「重ねて言うなよ。こそばゆか」
 季節ごとに街中で行われるイベントを、これまではうるさい、騒々しい、馬鹿馬鹿しい、下らないと思っていたが、雰囲気に酔わされるのもそう悪いものでもないのかもしれないと、ちらつく雪の向こうに居る、少し照れたようなカンジが残る仁王を見て、柳生もこの日初めて優しく口元に笑みを浮かべた。

 

 

 


END
(04.01.06)


 

恥かしすぎです、季節ネタ。だけどやっちまいました。友人に贈ったものです。本当は自分とこ用にも打っていたのですが、間に合いませんでした。人間、自分には大変甘いものです。間に合わないと思ったら速攻破棄して人様へ贈るやつに時間を費やしました。親しき仲にも儀はあります。一度した約束は守るぜ!

と、いうことで、新年になって下ろしてもらったところでまたまた引き取ってきました。

賞味期限すっかりと切れてますが、仁王柳生です。ぽい捨てなんてできません!!

しかしやつらにこんな甘い夢見るなよ自分…。

つーか、仁王が照れることなんかきっとないって。

いや、あったら可愛くて倒れるよ。

テニスのページへ戻る