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 窓を開け、身を乗り出して暗い空を見上げる。ひさしのおかげで顔に雨が降り掛かることはないのだが、それでもけっこうな降りなのだろう、かすかながらしぶきが皮膚に掛かるのがわかる。
 「……ブン太が言うとった通りとうとうやまんかったの……」
 仁王の、その独り言のようなセリフに柳生も面を上げ、窓の外へと目を向ける。
 室内の蛍光灯がもれる範囲内ではあるが、確かに黒い闇に降る銀色の線が見えた。
 「カサ、持ってきてらっしゃいますか?」
 ロッカーを閉め、額にかかる前髪をうるさそうに振り払うとぴっと水滴が散るがそれは汗ではなくてシャワーを浴びたばかりだからである。
 「いや。じゃが置き傘が確かそこいらにあるはずじゃ。見てみんしゃい」
 そこいらと言う言葉を受け取って柳生はワイシャツの襟を正したあと、造り付けの棚の中をざっと見回してみる。
 「……仁王くん」
 「うん? あったと?」
 「そうではありません。誰のものなのかは容易に判断がつきますが菓子だとか雑誌だとか果ては私服……あれは体操着ですね……。ああ、ちょっと信じられませんよ。教科書や書道具なんてものまでありますよ!」
 「そりゃあ菓子はブン太のじゃろ。書道は確か赤也がそんなもん選択しとったな」
 「まったく……! ここは物置き場ではありませんよ。あまりにもひどすぎます。真田君に言って注意していただかなくてはなりませんね」
 「落ち着けっちゃ。そげんこつしちまったら赤也はともかくブン太に恨まれちまうぞ。ヤツはうるさいっちゃよ。やめとけやめとけ」
 仁王の口から『ブン太』と、再び丸井のが名が出た途端に柳生の柳眉はつりあがっていた。
 チームメイトでもある丸井は、好きでもなければ嫌いでもない存在なのだが、最近どうも仁王と一緒につるむところを見てしまうと鬱陶しく感じてしまう人物なのである。
 恐らく仁王自身は気の合う友人としてしか見ていないだろうし丸井の方も遊び友達と言う風にしか見ていないのだうが、この二人が寄っているところを見てしまうと途端に面白くない気分になってくるのだ。
 仁王を束縛するつもりなど毛頭もないはずなのに、胸の奥がちりちりと痛むのはこれはどういうことなのか。人並みに持った恋愛感情が、結局は人並みに独占欲なんてものを抱かせるのか。
 だとしたら恐ろしいことであると、足元に視線を落とした柳生の顔が、将来を思うや曇った。
 自分の内にあるこの独占欲は、どうも、果てがないようなのである。
 まさか自分の人生の上に、人並みに嫉妬などというどろりとした感情を抱く日がやってこようとは、憧れたのは仁王が初めてで、これまで色事に縁がなくてこういう状況は想定もしていなかったことである。が、その暢気さが仇となり、最近では戸惑いだとか動揺だとか、それまで縁のなかった感情にいいように自分は振り回されてしまっている。おかげで、日に何度も気持ちが曇るなんてことももう珍しくもないことだ。
 ここ最近の負の感情が少々ディープ過ぎる気がするのも、ここしばらく気の休まらない日が続くのも、胸の痞えが取れにくくなってきているのも、思い悩み過ぎて心がゆとりをなくしてきているからなのだろうと、自分の置かれている状況を冷静に見つめつつ、内心で、柳生は大きな溜息をつく。


 …………参りましたね……。
 彼を恋うにつれて自分の感情だというのに思うままにいかないとは……。
 まるで身を焼くようにして、……想いとは厄介なものだ……。


 しかしそうは言っても逆に仁王から束縛されることには柳生の心は寛大だ。過剰なスキンシップや傍若無人の一歩手前とも言えるような我侭のオンパレード、そして赤面するばかりのあけっぴろげな行動や剥き出しにされた感情、仁王のそうした行為を一度として煩いと思ったことも煩わしいと感じたことも実はないのである。確かに口では悪態をつくこともあったが、彼の気持ちを重いと思ったことなどないのだ。


 ……こういうのを一途と、言うんですかね……。


 心中でとは言え、不意にそんなことを零してしまった自分に、はっと気づき思わず柳生は苦笑をしてしまう。
 そんな彼に不意に、
 「のう、柳生」
 と間近で声が掛かり、それにびっくりして柳生が顔を上げるその途中で眼鏡のフレームがロッカーの扉にぶつかり、その眼鏡を落しそうになる。
 「なんやっとると」
 しかし床に落ちる前に胸の付近で仁王の手がそれを受け止めた。
 「あ……すみません。ありがとうございます……」
 「どうしたと? ぼけっとしてたみたいやな。そん様子じゃオレの話なんて聞いとらんかったな」
 「……すみません」
 「悩みでもあると?」
 「え? ……いえ、そういうわけでは……」
 「ウソ、やな。お前がそうやって目を逸らす時は正直に語ってないことが多いけん」
 「そ……」
 そんなくせが自分にはあったのかと、柳生は思わず息を詰める。
 それにしてもやはり仁王は鋭い。
 「……あの、でも……たいしたことではありませんから」
 「そうなん? ならよかけど」
 詮索することなくあっさり引いた仁王に、顔に出すことなく柳生は笑んだ。
 仁王のこうしてかっきりと線引きの出来るところに、実は柳生の心はくすぐられる。
 なんで、どうしてと、あれこれと詮索されることを柳生は昔から好まない。
 その点で仁王は、付き合いが密な関係へと発展したあとも無遠慮に踏み込んで来たことがなく、手を焼いたことがない。かと言って仁王が淡白かと言うとそう言うことは全くなく、むしろ柳生よりも仁王の方から寄ってくることが多く、許す限りの時間を目一杯使って柳生にひっついている。
 柳生は思うのである、仁王と言う男は天成から甘え方が巧いのであろう、と。
 その特異な体質を持つ彼だからこそ、人が不快と感じるだろうギリギリのラインがもしかしたら、読めているのかもしれないと、あちこちの場面で柳生は思ったものである。
 仁王の甘えや束縛を重いと感じることがないのも、過剰とも思えるスキンシップを求められながらもこれまで嫌悪することなくやってこれたのも、恐らくはその辺の線引きが、そつなくきちっと出来ているからなのだろうと、この場面においてもやっぱり思ってしまう。
 言葉は悪くなるが、バランスの取れた付き合いがこうして出来るのは、偏に仁王が利口であったからであろうと、仁王が案外したたかであったことを思い出し、柳生はいま一度ふふっと笑んだ。


 「柳生。お前、また一人でどっかへとトリップしとるな」


 いきなり仁王が、もの思いに耽る柳生の躯を抱き締めた。そしてあやすみたいにして手のひらが優しく、腕の中におさまった柳生の背を摩り始める。
 「……そういうあなたこそ、なにを……してるのですか?」
 「わからん? 抱き締めとるんや」
 「それくらいわかります。ワタシが訊ねたのはそういうことではなくて」
 「やけん、抱き締めたくなっちまったから抱き締めてる。ただそれだけの話じゃ」
 「……窓は開けっ放しあかりもつけっ放し、これはかなり無用心だと思うのですが?」
 「こんな雨の日に覗き見する好き者はおらんよ」
 「仁王、くんっ……! 待ちなさい……!」
 勝手な見解を囁き掛けてきて、いきなりキスを仕掛けようとした仁王から間一髪で顔を背けた柳生は、せめてあかりくらい消して来てからになさいと、スイッチがある方向へと指を差し向ける。
 「なんやの。今日はえらく物分りがよかとね」
 「誤解をなさらないで下さい。キスがしたくば消して来なさいと言ってるんです。ワタシが許すのはその行為のみですから。こちらのほうはご自分でなんとかなさい」
 キスを許すにしたってこんな皓皓とした下でなんてイヤですよと、呆れる柳生の太腿には既に硬く隆起したものが当たっている。
 ぐいぐいと、やたらに腰を押し付けてくる仁王の性急さには『そうやってせっつかないでください……!』と呆れて眉を顰めてしまうも、
 「そんなに……溜まってらっしゃるんですか……?」
 と、ゆさゆさ揺する真似を見せる彼のその動きに思わず、魔が差してしまったのだろう……そろりと手をそこに向けてしまう。
 そして、やんわりと掴んだその形に、それに貫かれる自分のあられもない姿なんてものを一瞬、柳生の脳は想像してしまう。
 しかも半裸で。それも立ったままのうしろ姿だ。思わず嘆きたくもなるが、無理もないと思う。幾度となく関係を持ち彼が愛撫してくるその慣れた手つきは勿論、彼の体つきなどもしっかりと自分は覚えてしまっているのだ。
 一晩に数度無理矢理付き合わされ、結果、無茶をしたことで炎症を起こしたこともあるのだ。あそこも肉の塊を覚えているのだろう、ほんの一瞬想像しただけだというのにまるで既に挿入があったかのように結んでひらいてという規則正しいあの時の収縮を頻りに繰り出し始めている。
 さすがにその喘ぐ自分の姿には柳生も消え入りたくなり、躯の奥底から瞬く間に躯が火照ってしまった。
 「な? どうじゃ。すでに結構ビンビンじゃろ?」
 「……仁王くんあなた、……溜まるの早くないですか?」
 「アホなこと抜かすな。お前とヤったのなんてもう三日も前のハナシだぞ」
 「……『もう』、なんですか? どうやらズレがありますねワタシたち。『まだ』三日しか経ってませんよとワタシは言いたいのですけどね」
 「柳生の場合はズレとかやなく、淡白なんじゃよ。オレらの年やったら毎日マスかくんが普通じゃ。我慢はようない。毒素が溜まりよるけん。知っとうと? オレの本心はの、一日一回はお前とシたい、そう思っちょるんよ?」
 「あなたはワタシを殺したいんですか……? 付き合いきれませんよ……あなたのそんな考えになんか……」
 「やはりの。そう言うと思ったっちゃ。やからこうして気遣って日にちあけて誘ってやってんじゃねえか。なあ、もう限界じゃけぇ、いいじゃろ?」
 他愛無く会話を続けているあいだも仁王から離れず、柳生はずっと仁王と抱き合っていた。重みも温もりも声も肉付きも、躯で感じられるものはどれもが心地が好く。温もりに身を預けているだけで自然と気分が安らいできて、言葉が止まり、撫でられるだけになった今もまだほのぼのした気分は続いている。
 たしかにこのまま気分の良さに乗じて流されてみるのも悪くはないのかもしれない……。ほだされかけてきているのだろう、そう思いはしたものの、それでも柳生は、はっきりした返事を躊躇った。
 「ですが、ワタシもあなたもつい先ほどシャワーを浴びているのですよ? 着替えてあとは戸締りをして帰るだけなのですけどね……」
 柳生とてしたいと思う気持ちは芽生えつつある。しかしその一方で、まだしばらくこうして温もりを堪能していたいと、仁王の心地好い抱擁に心が揺らぐのだ。
 「お前の……こんとこまできてそれはなかとよ。シャワー浴びるのが面倒言うんやったらオレが責任持って後始末してやるから。なんだったら今日このままオレんち来いよ」
 「いえ、お邪魔したあとに再び雨の中を帰るのは面倒臭いですから、ご遠慮させていただきますよ」
 「じゃ、泊まれ」
 仁王がそう囁くのと同時に、熱い息がふっと無防備に晒していた柳生の首筋に吹きかかった。次はそこに来るな……と予想したその箇所にもやはり吸い付かれ、ねっとりとした吸いつきに呻いた柳生は、背筋を駆けのぼってくる鈍い痺れを知るとぶるりと、躯を震わせた。
 刺激自体は軽度で、躯への負担もまだない。それでも柔らかな部分への愛撫とあって、チカチカと、目の奥でフラッシュがたかれるような光が瞬くのが見えてくるのだ。
 「ん……ちょ、仁王くんっ……」
 その光も、仰け反らせた首のラインをなぞるようにして指が這い出すと引き、消えてなくなった頃には危険なことに、躯のあちこちに焔がともっているのが見えてしまった。
 「……っ……なにを……言ってるんですか……用も……ないのに平日には泊まれま……せんよっ……」
 「なん言うとうと。オレんとするんのやって用のうちはいるじゃろが」
 「屁理屈を捏ねてないで、さあ……もう離して下さい……」
 いつまでも首筋で遊んでいるもどかしい動きを見せる唇に柳生は焦れ、仁王の後ろ髪を引っ掴んで強引に顔を剥がすと、それを逆手にとって仁王が唇を合わせてきた。
 「ちょっ、仁……! んっ……っ……」
 焦らされていた分、仁王の動きは執拗でいささか強引だ。
 息継ぎを求めただけなのに逃れようとしているとでもとったか、何度もしつこく絡んでくる。
 「……仁っ……王くんっ……ちょっ……! 待ってくださいって……!」
 やっとの思いでなんとか引き剥がすのに成功すると、柳生はすぐさまに袖をあてがい、唇に残る湿り気を拭い消そうとする。仁王の熱は熱くて、心臓に良くないのだ。
 「こんとこまできとってなし言うんはそれこそナシやで柳生」
 「あなたはっ……ワタシを窒息死させたいのですか……! 手加減くらいなさい……」
 「そらすまんかった。やけん、もう辛抱できんと」
 「……まったく……わかりました。どうせこの雨です……お付き合いいたします。ですが。続きをなさりたいのであればあかりを消して来て下さい」
 「べつにもういいじゃねえか。どうせコトが進んでけばお前、気にしなくなるんやし」
 「気分の問題です。ワタシもこれは譲りませんよ。さあ、消して来て下さい」
 不埒にも勝手にワイシャツのボタンを外しに掛かった仁王のその手を叩いて、柳生も頑として意地を突きつけた。
 早く行きなさい、行かなければしませんからねと目で厳しく忠告を与えると、ようやく、従って出入り口へと向かい始める。
 そのあいだに柳生の方も窓を閉め、用心の為にしっかりと、鍵も掛けておくことにする。
 「おい、消すぞ」
 一瞬にして辺りは闇に染まった。
 どこに何があるのか置かれているのか頭で絵は描けても、実際にその姿が見えないとなると意外と動けないものであるらしい。
 「……ってぇ!」
 何かにぶつかったらしい音が立ったあと、次いで仁王の苦々しそうな声が聞こえてきた。
 多分そこいらに居るのだろう場所に目を遣って自分は一歩も動かずに、柳生は声だけを掛ける。
 「気をつけてくださいね。転んでケガなんかしないで下さいよ」
 「痛ぇっ! ったくなんやこれは! こっちにもなんかあるし!」
 やれやれである。言っているそばからなにをしているのか。
 「おい柳生! 周りに何があるのかまるっきし見えん!」
 「あなただけではないですよ。ワタシも見えていません。とにかく辺りにあるものを壊さずに注意しながらいらして下さいね」
 「それはないやろ。物ではのおてオレの心配をしてくれ。痛ぇ! おいなんか踏んだとよ。ぐしゃ言うたぞ。なんやいったい……つーか、誰や出しっ放しにしとるんは!」
 「切原くんか丸井くんではないのですか?」
 「くそっ……真田に言うて片付けさせないかんなやつ等は……っとと、な、なんだこれは……」
 どうやらここまで辿り着くにはまだしばらく掛かりそうですねと、足元の確保に苦闘している仁王が戻って来るまではと、柳生は床に座り込み壁に寄り掛かって、かすかに聞こえてくる雨の音にそっと耳を傾けた。
 不思議なもので、それまでまったく眠くなどなかったというのにそうやってじっと傾けているとどこからともなく睡魔が現れ、すっかりリラックスした状態で口元を覆った柳生の手のひらの内で欠伸が続けて零れるのだった。
 単なる雨音だと言うのにここまで心地が好くなるのはなぜなのか。雨のリズムか。暗闇の作用か。なんにしてもここで眠ってしまうのも悪くないですねと思わず横になりたくなるほどの心地好さを生む環境に、逆に柳生は安らぎを得てしまい、無意識的に外してしまった眼鏡を胸のポケットへとしまうのにもはや躊躇いはなかった。


 これは、……些かマズイ状況かもしれませんね……。


 無意識のうちに柳生が欠伸を噛み殺したその時にはもう半分近く瞼が落ちてきているようであった。
 「おい。柳生。やけに静かにしとるがまさかお前寝とらんじゃろな。――おいこら、返事くらいせんかい」
 ぼうっとする頭で一度目を擦ると、向こうに誰かの近寄ってくるらしい輪郭が見えはしたのだが……。


 あなたがいつまでもグズグズしてるからですよ……。


 おい柳生と、間近で聞こえたようなその声に、とうとう柳生は『すみません、少しでいいので眠らせて下さい』と願い出てしまい、強力な睡魔には逆らえずに彼はそのまま瞼を落としてしまった。


 「それはないやろ柳生! おい柳生!」
 悲壮そうに喚く声が聞こえ、拡散し掛けている意識をかき集めると、表情を探しながら薄目を開け、ぼんやりとしている意識の中で彼の顔を見つけると、
 「……でしたらあなたも一緒に……どう……で……すか……」
 揺さぶられる腕の中でそう紡いだあとは、そのまま胸に擦り寄り、『柳生!』と、依然として不服そうに呼び掛けてくる声も引きずり込むようにして、下りていく瞼と一緒に今度こそ柳生は意識を眠りの底へと突き落とした。


 恋しい恋人の腕の温もりに包まれているのだ。心地の好さは格別である。恐らく深い眠りにつけるだろう。ここずっと睡眠不足が続いていたが、十分、二十分と言う短い時間でも眠りが深ければきっと一気に睡眠不足なんて解消されるはずだ。


 夢見心地な中で、柳生は言葉を残した。


 おやすみなさい……。

 仁王くん……。

 

 

 


END
(04.04.23)


 

柳生がそこいらで寝こけるわけあるかぁーと、思うけど仁王と一緒だったらあるかもしれない。仁王の前では結構人間臭い柳生であってくれると嬉しかったりする。

さて、仁王なら絶対目の前に柳生が転がっていたら寝込みでも平気で襲うと思う。据え膳食わぬは男の恥。

でもたまにはおとなしく寝入る柳生を抱っこしたかっこうでまったり寛ぐ仁王なんてのもいい。

きっと今日はこのあと柳生は仁王んちへお泊りです。帰りも相合傘しながら帰るんだよ。どれもこれも仁王がお願いして拝み倒される柳生。可愛い…。

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