テニスのページへ戻る






 「赤也」
 「なんすか」
 「お前、なんでまだ帰らねえの」
 「そう言う先輩こそ着替えもしないでなにぼけっとしてんすか」
 「なんもする気おきねんだから仕方ねえだろ。それよりお前、質問してんのに答えねえで逆に質問をしてくるそのクセ、いい加減直せよ。けっこうムカツクんだけど」
 「あー……そりゃスンマセンネ」
 いま部室には赤也とブン太の二人しか居なかった。部活はもう三十分も前に終了しており、他の部員は全員退室している。
 赤也も着替えは済んでいるが、ブン太がまだなのだ。
 どこで臍を曲げて来たのか、部室に入るなりパイプイスに座り、それきりそこに陣取ったまま動こうとしないのだ。
 根でも生やす気でもあるのか、誰が呼び掛けても、返事は返しても頑として立たなかったのである。
 イスを窓際に引っ張っていってからは、仁王やジャッカルともろくに会話をすることもなく、ああやってずっと外を眺めたままなのだ。
 ……ホントにどこで曲げてきたんすか。わっかんなきゃオレだってなんも出来ないっすよ……。
 かれかこれ三十分、そろそろそれ以上になる時間こうして付き合わされてる身としては、そろそろ本当にいい加減にしてくれと怒鳴りつけてやりたくなってきている。
 だが、実際にそれをしても暖簾に腕押し、いや、あそこまで意固地になられてしまったら何を言ったところで馬耳東風であろう。
 「先輩」
 「んー?」
 「そろそろ帰り支度してくださいよ」
 「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけねんだよ。帰りたきゃ一人でとっとと帰りゃいいだろが」
 「それが出来ねえから、こうしてあんたを待ってんでしょうよ。それくらい察してくださいよ」
 「……」
 「なんでそこで急に黙るんすか。言いたいことあんだったらためたりなんかしねえでその場で言ってくださいよ。いっすよ。聞きますんで」
 「…………」
 「あっそ。じゃあさ、提案があるんすけど聞いてくれます?」
 ずっと、背中を預けていた姿勢からその姿勢をただし、ロッカーから離れると赤也も近くからイスを引いてきて開くと、そこで再び語り掛けた。
 「オレもそっち行っていいすか。つーか、あんたを待つ都合上隣に居たいんすけど」
 来るなと言われる覚悟でいたのに、思いに反してブン太は素直に赤也の願いを受け入れた。
 それでも隣にイスを並べている間は、ちらとも赤也のことを見ようとはしない。赤也もこの場は黙っていた方が吉と出るかもしれないと考え、口を固く閉ざして位置を探り、決まるとブン太にならって赤也も目を外へと向ける。
 しかし外を見ると言っても、部活棟の裏は奥行きが二メートルほどはあるが、見て時間を潰せるようなものは何もないのである。
 昼間であれば人も通るだろうが、とうに下校時間は過ぎているし、そろそろ守衛の見回りも始まろうとしている時間帯だ。
 ブン太が何を見て時間を潰していたのかは知れないが、こんな真っ暗な空間だけでよくなん十分も同じ格好をしていられるよなと、赤也には呆れることしか出来ない。
 実際、ものの数分も経ってはいないと言うのに既にもう赤也は落ち着きを無くしてきている。
 このまま沈黙を守っていけると言う自信も少しづつだが崩れ始めていた。
 「ねえ」
 「……」
 「じゃあ、いっすよ。オレが一人で勝手に喋るんで気が向いたらあんたも加わってよ」
 「………」
 「単刀直入に聞くっすけど、あんたが臍曲げてんのって、原因ってオレっすか」
 「……」
 ちらりと、視線が向いたのは恐らく肯定されたのだろう。
 「思い当たることなんもないんすけど」
 「……」
 「じゃあ、あれっすか。あんたが気に食わなくなるような態度、オレ、取ったんすか」
 「…………」
 「なんか合図くらいくださいよ」
 「……」
 つつくと、赤也を見る目つきが急に鋭くなった。
 恐らく、赤也がとった態度で気に食わないところがあったのだろう。
 「あっそ。じゃあ、それっていつよ」
 「……」
 「部活んときっすか。つーか、あんた始まる前は普通にオレと喋ってたよな。てことは部活の最中か。けどそこまでわかっても、まだ思い当たること見つからねんすけど」
 「…………」
 「……」
 横顔を向けるブン太に、ふんぞり返りながらパイプイスを軋ませながら訊ねた赤也は、頑なに口を割ろうとしない態度に溜息を零し、立ち上がるとブン太と向き合えるようにイスの位置を変えた。
 「あのさ、言いたくないんだったら別にいっすよ。だけどあんたと帰ろうと思ってまだ残ってるオレの気持ちを無視すんのはやめて欲しいんすよね。仮にもあんた先輩だろ。後輩のこと振り回すのよくねえっすよ」
 「ああ? 赤也、てめぇ……その言い方だとまるっきしオレが悪いみてえじゃねえか」
 「悪ぃでしょうよ。実際こうしてオレのこと苛めてんだから」
 「苛めてねえよ! つーかお前うるせえよ。いいからホントもう帰れよ」
 「まだそういうこと言うんすか」
 「るせえ! オレはいまてめえのツラなんか見ていたくねんだよ! おら! 帰れ帰れ!」
 「そう言いますけど……マジでオレが帰ろうとしたらあんた絶対キレるっすよ。その座ってるイス振り上げて投げることくらいのこと、平気でやりかねないアンタを『じゃ、お先に失礼します』なんて置いてけねえです」
 「…………」
 赤也はたしかに後輩だが、ブン太の『恋人』というポジションにもついているのだ。平静時であれ感情的になっているときであれ恋人であるブン太の質くらいとうに把握済みだ。
 特に彼が機嫌を損ねているときの扱い方については、付き合いながら……いや、痛い思いをしながら勉強してきた甲斐あってか、こういうときはこうすれば大丈夫と、絶対の自信が赤也にはあるのだ。
 赤也も相当根性が曲がっているが、ブン太もなかなかどうして、張り合えるほどの天の邪鬼なのである。
 だが部内の誰もが認めている『お調子者な』ブン太は、赤也にはもう一つの顔を見せ、赤也の前では甘ったれだ。
 そしてそんな彼も恋人である赤也の甘えには、くすぐられるらしく、寛大なところがあった。
 「そろそろ守衛が見回る頃っすよ」
 ほらと、袖をまくって腕時計を見せるとようやっと気を変えてくれたか、長く居座ったイスからブン太が立ち上がる。
 そして赤也に背を向けるとロッカーを開き、着替えを黙々と始めた。
 「――――あ」
 しばらく着替えをするブン太の背中を眺めていた赤也だったが、途中ではたと、気付いてしまった。
 「…………」
 ブン太が不機嫌になった原因が、多分それで間違っていないだろうと思い当たった赤也は、髪を掻きながら、ネクタイを締めている最中のブン太の背中に視線をじっと注いだ。
 「先輩」
 「あと少しだ。待ってろ」
 「いや、……あんたさ……もしかしてさっきの練習のことで臍曲げたんすか?」
 赤也が言うと、それまで動いていた手が急に止まり、それきりぴくりとも動かなくなってしまった。どうやら、ビンゴであったらしい。
 「……けど、あれは仕方ないっすよ」
 「……」
 また黙ってしまったブン太に、やれやれと赤也はまた髪を掻く。
 ようはこう言うことなのであろう。
 次の試合に合わせて先日オーダーが発表されたのだが、シングル要員に入っていた為に柳生と軽く打ち合ったのがどうやらブン太の気に障ったらしいのだ。
 たしかに柳生が練習とは言え赤也と打ち合うのは珍しいことだ。赤也も覚えている限りでは三回くらいしかなかったように記憶している。
 だが今回のは、柳の指示でもあったのだ。彼の指示に逆らえる者はまず部内には存在しない。あの皇帝、真田でさえ柳の指示には従順だ。いくら怖いもの知らずと言われている赤也でも、やり辛いので『誰かほかの人にしてください』なんて言おうものなら地獄のかまどの蓋が開くだろうと、危険を察知するセンサーが働き、柳に向かって異を唱えることなど出来なかった。
 そしてブン太もまた不満ではあったのだろうが、横槍を入れなかったのだから、つまりは彼もまたいちゃもんがつけられなかった口なのであろう。
 それなのにあとになってグチグチと言われても、それは八つ当たりと言うものだ。
 「……文句はオレにでなくて柳先輩に言ってくださいよ。オレがお願いしたわけじゃないんすから」
 「……お前……勘違いしてる」
 「勘違い? そうですかね? 柳生先輩とコートに入ったオレの態度にムカツいてるんじゃねえの?」
 「でもオレは文句なんか言ってねえだろが」
 「……まあ……たしかに。でも実際あんたまだ拗ねてんじゃん」
 「だから! 文句は言ってねえだろ!」
 腹立ちを表すように乱暴にロッカーを蹴り、荒っぽい仕種で荷物を持つと、勢いに任せて手にしていたそれを赤也に向けて、ブン太は投げつけた。
 「……っぶねぇな……。なんなんすかいったい。今度は逆切れっすか。ったく、ほんとあんたガキっすね」
 「うるせぇ! お前がとんちんかんなことを言い出したかと思ったら延々とそれを語るからいけねんだよっ! 言ってんだろ! オレは文句なんか口にしてねぇって!」
 「…………」
 仁王立ちして怒鳴りつけてくるブン太に、バックを肩に掛け終えてから赤也は足を向けた。
 「なっ! なんなんだよっ……! やろうってのかよっ……!」
 「それこそ勘違いっすよ。ハズレっす」
 ゲンコツ一つ分の距離をあけた位置に立つと、毛を逆立てているみたいなブン太に手を伸ばして、そのまま自分の方へと引き寄せた。
 胸におさめられたブン太は最初、なにが起きたのかわからなかったのか一瞬だけはおとなしかったが、赤也の手が背中に添えられると初めて状況を把握したのだろう、さする手の下ではおおいに暴れてくれた。
 「離せ! どさくさに紛れててめえなにしやがるっ! 聞いてんのか赤也っ!」
 「そんだけでかい声だせば端っこに居たって聞こえますよ。ちょっと、そんな暴れるこたぁないでしょうよ。オレ、あんたのコイビトなんすよ」
 「るせえっ! そんなのはいまは関係ねえんだよっ! 触るな! 畜生っ! お前こそたまにはオレの言うこと素直に聞けよっ!」
 「あんたが素直に腕ん中におさまってくれたらオレも言うこと聞いてやりますよ。どうします? あんた次第っすよ?」
 「……汚ぇぞ……てめぇ……」
 「なに言ってるんすか。決定権をあんたに譲ってやったんすよ。優しいオトコじゃないっすか」
 「ろくな選択肢しか与えねえでよく言うぜ。けど……ほら落ち着いてやったぞ……言うこと聞いてやったんだから赤也も聞けよな……」
 「ちぇっ……残念。こういうときこそ頑なに自分の意思を貫いてくださいよ。あっさりオレの言うこと聞くなんて、今日は置き傘ねえのにこのあと嵐でも呼ぶ気なんすか。勘弁願いますよホント」
 「てめぇっ……」
 長引くかと思われた抵抗は、らしくないほどにあっさりと治まり、長引けばそれはそれで労力も使ったのだろうけど、長いこと触れていられたのに期待が外れて残念と、本気で赤也はがっかりした。
 とは言え約束を交わそうがそれを反故にすることくらい、赤也にとっては『へ』でもないことだ。
 しかし今日はなぜか、難癖をつけるのが面倒に思え、すんなりと赤也も身を引いてやった。
 ところが赤也にからかわれたのが気に食わなかったのか、正面を立つ赤也に、険しい眼差しをブン太は向けてくる。
 「ジョークっすよ、ジョーク。それより支度終わったんならさっさとここ出ましょうよ」
 さらりとかわしたあと、言って、赤也は先に歩き出した。
 カギを預かっているブン太がカギを掛けるのを見届けたあとは、今度は並んで正門へと向かう。
 お互い口をきかない状態が続いてはいるが、そんな中でも赤也は、ブン太の気配を、彼自身には気付かれぬよう注意を払いながら、こっそりと探り続けている。
 先の部室での遣り取りは、途中からばたばたとしてしまい、応酬の途中で強引に幕を引く形で終わらせてしまったが、ブン太が臍を曲げていた原因をいま一度振り返り、改めてブン太の心の内を、赤也なりに覗こうとしている。
 ブン太が取っていた行動を、見たまま推測すれば、それは間違いなく、拗ねていたと言えよう。
 では、なぜ彼は拗ねてしまったのか。
 これも、既に赤也は回答を手にしている。
 きっとコート上の自分は、楽しくて仕方がないと言う顔をしていたに違いない。それを見ているうちに、多分、面白くない気分にでもなったのだろう。
 実際、柳生との打ち合いは赤也には楽しいものであった。相手を叩き潰すと言うような球を打つような人間ではなかったが、結構なクセ球を多用して、終始、赤也を翻弄させてくれた。闘争心を掻き立てられながらも、冷静沈着かつ神業的なコントロールでもって、最後まで赤也を飽きさせなかったのである。
 ブン太とではこうはいかない。技術面が劣っていると言うのではなく、クセのない彼との打ち合いは全然ドラマチックでないのだ。柳もそう思っているのだろう。学ぶものは仁王や柳生からのが多いだろうと、三人のプレースタイルを考慮した上で、今回も打たせた可能性がある。データを取る目的も勿論あるだろう。興味深いデータを収集したいが為に、柳はメニューを組むことが多いのだ。
 それにブン太は次の試合でもダブルスのオーダーが出されていた。これも、もしかしたらこれまでに集めた膨大なデータから、シングルスよりはダブルス向きだと、判断したからなのだろう。
 データをもとにして柳が考えたメニューは、たしかに立海テニス部にとってはプラスとなるが、今回ばかりはプラスなことばかりでもなかったらしい。思わぬところで暗雲を呼ぶ者を一人、産んでしまったようである。
 「あー、ねえ先輩」
 「あぁ?」
 昇降口の前を通り過ぎ、一際照明が照らされた地点に着くと、通用門の鍵を開けようとしていたブン太に、うしろから声を掛け、赤也は切り出した。
 「このあとどっか寄ってきませんか。つーか、軽く腹になんか入れてかないっすか。家までもたないっすよ、オレ」
 「パス」
 「オレのおごりっすよ」
 「じゃ、行く」
 「なに食いたいっすか。今月結構余裕あるみたいなんすよ。ファミレスとかでもいっすよ」
 「……」
 「先輩?」
 ちょうど鍵を掛け終えたブン太に、月に二度ほど、小遣いをもらった直後あたりに足を運ぶことの多いファミレスを挙げるとぱたりと彼は喋らなくなってしまった。
 「どうしたんすか?」
 「なんなんだよ急に」
 重い鉄の門に背を預けて、正面に向き合ったところでブン太から不満そうな声が上がった。
 「なにって、なにがっすか」
 「なに急に甘やかしてんだよって言ってんだよ」
 「あんた甘やかされるの好きじゃん。だからっすよ」
 「だからって、……なんで急に……」
 「そりゃ急にあんたを甘やかしたくなったからっすよ」
 「……だから、なんで……急にそんなこと思うんだよ……」
 「拗ねたあんたの機嫌をとにかく直してやりたいんすよ。素直になれないあんたに代わってオレがとにかくあんたのこを可愛がってやりたいんす」
 「なんだ……そりゃ……」
 「まんま言葉の通りっすよ。あんたが可愛く見えて仕方がねえんすよ。ほら、んなところに引っ付いてねえで行きますよ」
 ここでもう一度繰り返すことになるが、赤也はブン太の恋人なのである。事細かな説明なんてものなくたって、ブン太がとったであろう行動くらいちょっと想像すれば見えてくるのである。
 なにせ目の前のこの恋人の質ならとうに把握済みだ。
 赤也がコートに立っているあいだに、暗雲を呼んだものの責めどころがなかったブン太は、とにかく一人ぶすっとむくれ顔を作るしかなかったのであろう。
 恋人のそんな姿を想像してしまったら、急に愛しいと想う気持ちが赤也の中で膨らんできてしまった。
 「ほら、なにしてんすか、行くっすよ」
 赤也が手を掴むと、あからさまに嫌そうな顔をしながらもブン太はおとなしく従い、引かれるままに歩を進める。

 

 素直に絡んでくれればよかったのに。

 らしくないっすよ、あんた。

 

 抑えることが叶わず口元が綻ぶが、それは仕方がないだろう。愛しくて愛しくて、そうやって募る想いと一緒に心も弾んでしまうのだ。

 

 

 「ね、ブン太先輩。オレもあんたもこと、愛してるっすよ」

 赤也が指を絡めるようにして、握っていたブン太の指の間を割ったのはそれからすぐのことだった。

 

 

 


END
(04.04.07)


 

赤ブンです。有島の理想・赤ブンは、とにかく対等。カラーは湿っぽくなく、青臭く。見た目は仲良しくん。実際にも仲はいいけど、後輩・先輩と言ったことにほっとんど興味なしなのでまるで同級生みたいに仲良しってことで。

男らしさは赤也の方が勝ってると思う。そんで頼り甲斐もある。あれは絶対いい男に育つよ。うん。

ブンちゃんは気侭に愛に餓えてて欲しいかも。でもあれで赤也一筋なんでラブラブ。

テニスのページへ戻る