テニスのページへ戻る






 それは、小さな悪戯だった。
 それまで身辺でおかしなことはなく、ある日から突然に仕掛けられるようになったのだ。
 それでも私物が忽然と消えてしまうとか、破損を受けるとか、躯になにかされるとか、そういうことはなかったのでなんら手を打たれることもなくそれは遣り過ごされてしまう。
 しかし土曜日になり、ふとしたことからその悪戯に意味があったことが判明したのである。
 翌日曜の朝方。振り回されていた二人の間では、振り返ったりしながらこんな遣り取りがされていた。


 『願うだけで自分の思う通りに事が運ぶのでしたらワタシだって御百度をふみますよ』
 『ならオレはそんあとを辿って、真似て御百度をふむかな』
 『真似て? あなた自身の願いは掛けないのですか?』
 『自分のはあとまわしにしてもよかっちゃ。まずはお前の願いってやつの手助けをしてやりたいんじゃよ』
 『それはまた、ありがとうございます。でもけっこうですよ』
 『あ? なして?』
 『余計なお世話だからです』
 『お前は冷たかねぇ』
 『知ってますか? 掛ける願は他人に漏らしたりしたらいけないんですよ。なにも知らないあなたにうしろをうろちょろされても気が散るだけです。はっきり申しまして邪魔ですよ』
 『甘いのぉ、柳生。お前から漏らさんでもオレにはお前の考えることなんざすーぐにわかるわ』
 『……でしたら、邪魔と言うよりもあなたのその行動の取り方はイヤラシイですよ……』
 『仕方なかろ。やってオレ、臆病者やけん。願っても叶わんかったら辛いじゃろ? じゃからオレは願なんか掛けん、そう決めてるんよ。やけえ、お前が願う言うんやったら茶々とかはいれん。黙って、ひっそりと、見守っちゃる。叶うといいの』
 『自分だけ逃げてズルくないですか、それって』
 『ストップ。思惑が違う言うだけの話じゃ。責めんでくれ。もうオレのことなんぞほっといていいからとにかくお前はオレをどうこうしたい思うんやったら遠慮なぞせずに切々と願いんしゃい。きっと叶うぜよ。ちうか、どんな願いだって叶えちゃる。な?』
 『そんなのは狡猾に立ち回っているだけじゃないですか。ズル過ぎですよ』
 考え込むような仕種を見せだす柳生の裸の胸を、とんっと拳で叩くと仁王は彼になおも続けた。
 『そう難しい顔ばするでなか。お前にとってもそう悪い話ではないじゃろが。お前の考えていることなんて簡単にわかる言うんは言い換えればオレがそれだけ深く真摯にお前を愛してるっちゅう証拠じゃけぇ。やからお前はその愛情に応えてオレをどうこうしたい思うんやったらとにかく切々と願えばいいと』
 言葉は乱暴だが、たしかにそこには愛情が詰まっているようにも聞こえるから不思議だ。
 そしてその言葉にあっさり誑かされて胸を躍らせしまう者がいるのだから、短くとも愛と言う言葉はなんのかんの言っても偉大である。
 だけれど――――
 『真摯にですって? ワタシにばかり言わせよう行動させようって言う魂胆が見え見えじゃないですか。ようはあなたはうしろに立って人の背中ばかり押そうとしてるだけじゃないですか。そういう方は臆病者とは言いません。厚かましい、と言うんですよ……』
 口車にまんまと乗せられたことを悟られるのは忌々し過ぎるからと、踊る胸から目を逸らしてうんざりといった様子をつくって仮面をかぶってから彼は反論した。ところが言い返してはみたものの、当の男が嫌味くらいで堪えるような繊細な心は持ち合わせていないことをすぐに思い出してしまい、結局またいい具合に振り回されていることに彼は気付いてしまう。
 すると嬉々とした声が不意に横から上がったのであった。
 『嬉しかねぇ。オレ言う人間のことをよお理解してくれてるっちゃ。愛されてるのぉ』
 愛想もよくしゃあしゃあとそんなことを口にする仁王の態度に、たちまち柳生の情緒は不安定となりあっという間に晒していた裸体が血色良く茹で上がっていった。


 悪戯様様だなと、一人だけ笑う者がいたわけだが、たかが悪戯されどまさか互いの気持ちを確認し合うきっかけになってしまうとはいつどこでなにが役に立つかほんとこの世の中はわからないと、質の違いなのだろうこそばゆくてそうですねなんて、柳生には一緒になって笑うことはできなかった。

 
 


             【上 履 き】

 

 

 「……またかい」
 下駄箱に来るなり、仁王がうんざりと呟いた。
 「どうかなさったのですか?」
 「ん? ああ……ちくっとな……」
 理由をはっきりと口にしない仁王を気遣い、柳生もそれ以上は突っ込まないで自分の上履きを取り出すことにする。
 「……よぉ意味がわからんとよ……」
 ちょうど上履きに履き替えたところで今度は、溜息がつかれた。
 顔を向けたときには上履きがぽいっと足元に投げられており、仁王の顔も不愉快そうに厳しいものにかわっている。
 「仁王くん?」
 「のぉ柳生……オレは嫌がらせをされとるんじゃろか……」
 「嫌がらせ? あなたが?」
 「おぅ」
 「随分と度胸のある方がいるものですね」
 柳生は、つい、笑ってしまった。あなたを嫌っている人間などこの学校にはいませんよとは言わないが、嫌がらせをしてくるほど憎まれているとも仁王の性格を考慮すればそのような者が存在しているとも思えないのである。
 妬みの類なら持たれていてもおかしくはないが、そう言う人間であればまずは嫌味っぽい言い方を日頃からしてくるであろうし、現在仁王にそういうことをしてくる人間が居るという噂も聞いたことがなければ柳生自身実際にそういう現場を目撃したこともなく、ここにきていきなり嫌がらせをしてくるような輩が居るとも思えない。
 「笑うことはないじゃろ。これでもオレは真剣に悩んでるとよ」
 「それは……失礼しました。けれどワタシにはどうしてもあなたに嫌がらせをしてくるような人間が居るようには思えなかったものですから」
 「悪意なんちゅうもんはそういうもんや。それまで潜んでたくせしてある日突然なんの前触れもなく目の前に突きつけられる。そういうんがほんもんの悪意っちゅうんじゃなかと?」
 「考え過ぎですよ。それとも仁王くんにはなにか心当たりでもあるのですか?」
 「ない」
 「でしたら考え過ぎと言うものです。で、なにをされていたのですか?」
 「ん、それが朝来ると決まって上履きが左右反対にされとるんじゃ」
 「は? 反対に?」
 三階へと上がっているその途中の踊り場で、仁王は『そ。これでもう四日連続じゃけぇ』と、うんざりとした口調で自身の足元を指して溜息までついてみせた。
 その仕種につられて柳生も足元へと目を落としたが、落書き等などの類のものは見当たらなくて。どこか傷められているところでもあるんだろうかと探ってもみたが、そういうものも見つからない。
 「……ただ左右反対にされているだけなんですか?」
 「そ」
 「……それはまた……あれですね」
 「他愛ない言いたいんじゃろ? オレもそう思うたよ。けどこう続くとさすがに気味が悪くなってくるっちゃよ」
 「……まあ、たしかに……でも、いったい誰がそんなことを四日も続けているんでしょう。嫌がらせ……とは少し違うような気もしますし……。なにか意味でもあるんでしょうか?」
 「相手がまったく見えてこんのに意図まで気が回るかよ。当事者のオレの方こそがすべてを知りたいわ」
 「でしたらこっそり隠れでもして相手がやって来るのを張りますか?」
 真実を知るにはもっとも最短であろうと思われる対応策を柳生が口にしてやると、即座に仁王の首が振られる。続いて彼が口にしたのは『面倒くさいことは嫌いじゃけぇ』と言う、自身のことなのにどこか他人事と捉えているようなのらりくらりとしたにべもない言葉。
 「あなたならそう言うだろうと思いましたよ。でしたらいましばらく様子を見てみることですね」
 左右反対にされるだけで別に他には悪戯されていないのだから、しばらくほっとけばそのうち止まるだろうと、このときは柳生も仁王もまだその悪戯を軽視していた。
 だがその翌日。
 やはり昨日と同様にその朝も仁王の下駄箱では悪戯がなされていた。
 「今朝も、ですか……」
 「……ん」
 「実害はなくてもたしかに気分の良い問題ではありませんね。来週になっても続くようでしたらご相談してみたらどうですか?」
 「……相談て……センセ、オレ、どうも意地悪されてるみたいなんじゃがってか?」
 自分で言っておいて、みるみる仁王の顔が心底嫌そうに歪んだ。こんな他愛のないことでそんな大袈裟なと、面倒に思っているのだろう。
 「たしかに些細なことですし嫌がらせと断定するのだって難しそうではありますが、それでもこんな出来事が長引かれるのはいささか困るんですよ。朝から不愉快そうな顔をしたあなたを見るワタシの気分もそりゃあ良くありませんから」
 さすがに八つ当たりというようなことはされないで済んでいるが、不機嫌そうな顔というのは見ているだけでも気分のいいものではない。ましてや仁王と居ることの多い柳生にしてみたら、誰よりも多く不快そうな顔を目にしなくてはならないだけでなく仁王を見る度に悪戯のことが思い出されてしまい、柳生自身もよろしくない気分にさせられるのだ。
 「あなたへのその悪戯は、目的はまだわかりませんがワタシにとっても不快なものです。誰がされているのかは皆目見当もつきませんが、連日こっそりあなたにちょっかいをかけているわけですからそりゃあ面白くありません」
 普段からほとんど心情を吐露することのない柳生が今回ばかりは我慢できずに零すと、それまでとは打って変わって仁王の顔が綻んだ。その露骨な変貌ぶりに柳生は一つ咳払いをすると、嬉々として口元に笑みを浮かべる仁王に『崩れ過ぎですよ……』と周囲の目を考慮して小声でその様子に忠告を与えるのだが、調子に乗ってしまった仁王のその態度は教室に入っても収まらず、結局この日はうっかり口を滑らせてしまった柳生だけが一人恨めしく思う羽目となり、彼一人だけが一日中苦い顔をしていなくてはいけなくなった。
 その苦い顔をしながら週末に入った柳生の表情が複雑に沈んだのは、土曜日の夕刻に鳴った携帯を受けてからだ。
 掛けてきた相手はブン太であった。
 仁王の携帯に掛けても繋がらないのだがそっちに行ってないかというお訊ねであったのだが、来てないと伝えたあとにも他愛ない話でしばらく会話を続けたのち、最近女子の間である行為が流行っていて柳や真田がいまそのターゲットにされていると言う話がブン太の口から飛び出したことで、思いがけなくでここ一週間仁王と柳生が悩まされていたあの悪戯の驚くべき全貌が判明したのである。
 話は実にシンプルで、またありがちと言ってしまえるような心理から発生したある種の流行遊びであったのだ。
 しかし流行とは言え、まじないの一種であったと聞き、胸のつっかえは取れはしたが柳生の気持ちは複雑なものであった。恋まじないであったのだ、なんの為にと聞くのは野暮と言うもの。いくら疎い柳生にでもわかるものである。
 「でもさ、単純ではあるけどやられる方にしたら気味が悪いよな。真田なんて新手の嫌がらせかと思ってオレを疑ったんだぜ。ったく、小学生じゃねんだしそんなイタズラをヤローになんかするかってんだよ。なあ柳生もそう思うだろ?」
 ブン太の意見はもっともだ。だけど柳生は素直に同意が出来ない。自分たちもずっと嫌がらせの類に考えていたのだ。恋まじないといった類のものは女子の間でひっそりと流行ると聞くが、連日の不可思議な現象を目のあたりにしながらも男というものは不審には思うことはあっても、そういう類のものであるのかもしれないという疑いは露ほどももたないものなのか。
 のほほんと眺めて、なにも知らなかったからとはいえ、願掛けが成就される日を黙って見届けようとしていたのだからこれほど滅入る話もないだろう。
 「……それであの……丸井くん……」
 成就させる為には条件はどうでなくてはならないのか。恋まじないと聞いたからには、その部分のみが柳生には非常に気になるところだ。
 「……どうなればそのおまじないは成功としたと言えるのでしょう? 丸井くんは知っているのですか?」
 「ああ、知ってるぜぃ。金曜日にクラスの女子に聞いたばっかだからさ、ばっちり覚えているぜ」
 「あの、教えていただけますか……」
 「なんだよ、えらい食い付きいいじゃんよ。なになに、柳生もされてんの?」
 「ち、違いますよ……こういう話はやはり聞いてしまうと落ちが気になるものなんです……」
 「なーんだ。つまんねえの」
 こちらの気持ちを知らぬ上での発言とはいえ、いまのは胸に痛い。だがいくら不愉快でもその怒りをブン太にまともに投げつけてしまうわけにはいかない。柳生には理由があることでも、ブン太は故意に柳生を傷つけようとしたわけではないし、悪意があってそれを口にしたのでもないのだ。ぶつけどころがなくて恨めしさが増していくが、ここはもう耐えていくしかない。
 「話題を……提供出来なくて申し訳ありませんがワタシもとにかく気になっているので、焦らしたりなさらないで正直に教えていただけませんか」
 柳生の性格上、気分に左右されて口調が荒れるということはないが、いささかの不快さは滲み出ていたかもしれない。
 「うわっ、ちょっ、……お前マジに怒るなよ。ちょっとからかっただけじゃん」
 調子に乗り過ぎたとでも思ったのか、非常に気まずそうな声が返ってきた。
 「……いえ、べつに怒ったわけではありませんから……その……気になさらないでください……」
 「そういや柳生ってこう言う手の話ってあんま好きじゃなかったもんな。その……からかうみたいな言い方して悪かったよ」
 「いえ、ですからワタシはべつに怒っているわけではないですから……その……落ち込まれたような声を出さないでください……」
 「あー……そりゃ無理。だって柳生怒らせると怖ぇもん。条件反射みたいなもんだからさ」
 「ですからっ……」
 「あ、そっか。オチな。えぇと……なんてったかな……あぁ〜……たしか……ああ、そうだそうだ。んとな、一週間反対にされ続けた靴を翌週も履いてたら今度はその次の日に裏にそいつの名前を書いて、それを相手が履き続けているとやがて想いが伝わるって、そう言ってたぜ。でもこれには諸説あって月曜から金曜まで反対にし続けなければダメってのと、何曜日から始めてもいいからとにかく五日間反対にし続ければいいってのがあんだよ。どうも学校ごとに違うみたいでさ、うちは月曜から金曜まで続けて週の明けた月曜にも履いてたら火曜に今度は名前を書くってことになってるらしいぜ」
 「月曜日から……そうですか……」
 ふと、それでは名前を書くのは絶対に裏でなくてはいけないのだろうかと、どうでもいいことのようにも思えるが、まじないであればかなり重要なのではとも思えてくるような疑問が柳生の脳裏に浮かんできた。
 それをブン太に問うてみたなら、だから諸説あって爪先ってのとかかとのとこってのもあるんだよと、余計に悩んでしまいそうな答えが返されてしまう。
 つまりは、書く場所なんてのはこの際どこでもいいと言うことなのだろう。彼女達が重要視しているのは、とにもかくにも一週間は粘り、名前を書くところまできたらあとはその書かれた名前を気付かれずに履いてもらえるか否か。経過を見守ることが重要と言うわけだ。
 だがもっけの幸いとでも言おうか。気長に様子を窺ってなければならずと言うことで、まじないに即効性はないと言うことが判明した。おかげで、当たるも八卦当たらぬも八卦と言ったようなものに近いではないかと、ここにきてようやく柳生が抱えているもやもやしたものも薄れようとしている。
 「ありがとうございます。丸井くんのおかげですっきりすることが出来ました」
 「いや、べつに礼を言われるようなことしてないし」
 「いえ、このままオチを知らないでいたならきっと落ち着かなかったはずですから。丸井くんが色々と情報を入手していて下さり本当に助かりましたよ」
 「あっはは。よくわかんねえけど役に立てて良かった」
 「ええ、ありがとうございます」
 「あ。長々と悪ぃな」
 「いえ」
 「あ、なあ。もし仁王のやつから携帯入ったらオレんとこに掛けるよう伝えてよ。このあとまた掛けてみっけど一応柳生も心にとめておいて」
 「わかりました。ええ。では」
 耳から離して画面を覗けば、話しも話し込んだり、一つのネタを突付くだけで三十分近くが経っている。これはブン太との間では最長記録となるだろう。
 「さて。次は仁王くんですね」
 ブン太が掛けていれば話中であるだろうが、ずっと繋がらないと言う言葉にちょっとばかし期待を寄せて掛けてみることにする。
 果たして、携帯からは『ただいま電話に出ることが出来ません』のアナウンスが流れてきた。出られないのであれば仕方あるまい。いったん携帯を手元から放し、柳生は一階へと下りてゆく。下へと着いてリヴィングへと足を向けると、自分の都合で悪いのだが今夜の夕食の時間を自分だけずらしてくれないかと、ソファに座り雑誌を捲って寛いでいた母親に頼んだ。
 そうしてまた二階へと上がり、そろそろどうだろうかと再度携帯に掛けてみることにする。
 今度のはうまく呼び出しているようなのだが、果たして本人が出るかどうか。
 「――――もしもし、柳生?」
 仁王の携帯には、自分の番号も登録されているから名乗る前からでもわかるらしい。開口一番名前を口にして貰えるのは嬉しいが、逆にコールされたきりずっと出ないときなどはわざと無視をされていやしないだろうかと不安になってしまう場面もあったりするので、この登録機能と言うものは自分にとってはまさに一長一短のある最もたるものであると言えるだろうと、柳生は思っていたりもする。
 「ええ。あの、さきほど丸井くんから言付かったのですが、電話をいただきたいそうですよ」
 「ああ。それな。ブン太ならさっき掛かってきたっちゃ。いまさっきまで話しとった」
 「そうですか。それはよかったです」
 「のぉ柳生」
 「はい?」
 「オレもさっきブン太から聞いたと。お前も聞いたんじゃろ?」
 「ええ。まあ。でも良かったですね、真相がわかりまして」
 「ん。じゃけぇ、気分はおもろくなかとよ」
 「……そう……ですね」
 不意に遠くなる声に、柳生は苦笑していた。いまこの場で自分に、ほかにどういう対応が出来ると言うのか。恨みごとを言うには少々立場が悪いし、腹立ちを表すのもそれはそれでいささか滑稽であろう。
 無様な様はいくら電話口だとは言えあまり晒したくはないものだ。
 不本意ながらではあっても、事の真相がわかって良かったと素直に胸を撫で下ろしてそのあとは苦笑をするのが無難なのではないだろうか。
 「でも自分の学校でいま、そのようなものが流行っていたなんてちっとも気付きませんでしたよねワタシたち」
 「ほんまにの。普段は喧しいくせしてこういうときだけ口を閉じる言うんのは女もズルイっちゃよね。じゃけぇ、お前には妹がおるのに知らんかった言うんは鈍いんとちがうか?」
 「なにを言いますか。妹と言えど同じ女性ですよ。こういう類のことには彼女らは家族にも口を噤むものです」
 「あー……たしかにの。うちの姉貴も知っとった言うしな。中学んときにやっぱ流行ってたそうや。ほんに、灯台下暗しやね」
 「そうですね……。で?」
 「ん?」
 「ですから、あなたはこれをどう対処なさるおつもりでいます?」
 「そうじゃの。どうするかの。柳生はどうしたらいいと思う?」
 「あなたの問題でしょう。あなたがご自分でお考えになりなさい」
 「つれないの。オレがうんざりしとったのを先週そばで見とったくせに。こういうときくらい愛想良くできんの?」
 「愛想が良くないのは性格です。あなただって知っているはずですよ。それよりも重ねて申しますがこれはあなたの問題です。あなたがきちっと考えて対処なさい」
 「ほんにつれんヤツよの……」
 ホームかその近くにでも居るのであろうか。音楽とともにアナウンスをしているらしき音声までもが途中からいきなり入ってきた。どこに居るのかと問えば、即座に聞きなれた駅名が告げられ、それを聞いて柳生の顔は今度は嬉しさで綻んだ。
 「奇遇ですね。ワタシも今夜はあなたがいらっしゃるような気がしまして、まだ夕食を取ってないんです」
 「うれしかね。離れとってもピピッと伝わったんじゃな」
 「のようですね。で、母にはこれからあなたがいらっしゃることを伝えますが、あなたも近くのコンビニでなにか買ってきてくれませんか」
 「ん、わかった。じゃあ買い物とかする時間を考慮して……そうじゃなぁ……二十分くらいか? そんなもんでそっちに着くように行くわ」
 「ええ。ではお待ちしております」
 「あ、柳生」
 「――――! あ、はいっ……」
 耳から少し離したくらいのところで再び仁王の声が聞こえ、慌てて柳生は持ち直すとぶつけてしまうような勢いでもってそれを耳に戻した。
 「えっと、なんでしょう?」
 「言い忘れてたことがあってな」
 「ああ、はい、なんでしょうか」
 「実はさっき新しく上履きを買ったと。あとで名前を書いて欲しいんじゃけど。頼んでもいいと?」
 「…………」
 仁王の口から出たその言葉は、つい先ほど柳生がどうするのかと訊ねたばかりの問い掛けの答えになるものであった。ブン太から聞いて真相を知ってそれで仁王はどうするつもりなのだと、いささかぼかしたような言い方でもって訊ねたときにはじゃあお前はどうして欲しいと思っているんだと、逆に問い掛けてきたくせしてタイミングをわざとずらしたこんな遣り方でもって答えをくれるとは仁王も人が悪い。しかもお願いつきである。どうすれば柳生が喜ぶか、柳生の質を熟知している仁王ならではの手であると言えよう。
 悔しいかな。それが仁王のズルイ手だと理解しながらも柳生の心はくすぐられ、さすがに今度ばかりは強がることができない。これまではブレーキをかけて気持ちを隠してきたが、仁王がストレートに伝えてくれた言葉なのである。喜びが溢れてしまい、嬉しいと思ってしまう気持ちに歯止めを掛けるなんてことは出来そうもない。
 「ワタシが断れないと知っての頼みなのでしょう。それなのに疑問符をつけるなんて人が悪いですよ」
 「そう責めんとって。オレはこれでも小心者じゃけぇ。自分が可愛いか思うちょる男やけんね。その場ですぐには本音が言えんのじゃ。様子ば見ようと相手の出方を探ってからでないと動けんのよ。すまんの」
 「……どうして謝るのですか? ワタシだって頑なになってましたし、お互い様だと思いますよ。それにあなたはなんだかんだおっしゃっても結局はきちんとワタシを喜ばせてくださってますよ。今日だってそうやってワタシが欲しかった言葉を下さいましたし。優しいのですよね。その優しさに目を瞑ってその頼みごとは是非、叶えさせていただきますから」
 「嬉しかねぇ」
 「ついでと言ってはなんですが、裏にもワタシの名前を書かせてくださいね」
 それは冗談のつもりで付け加えた柳生であったが、
 「おう、是非書いてちょ。願ってもなかとよその申し出わ」
 かえって喜ばれてしまい、『冗談ですよ、本気になさらないで下さい』とうろたえ、そして慌てる羽目となった。
 ブン太の話によれば裏に名前を書くのは念の篭もった文字が始終踏まれることで、やがて相手の存在にふとしたことで気付くことになるからだとか。同じくブン太から真相を聞いているはずの仁王の耳にはいまのは、常に自分に気を配っていてくださいねと、釘をさしているかのように聞こえてしまいはしなかったか。そんなつもりがあって名前を書かせてくれと口にしたのではない柳生は歯痒い思いで、にやついているのだろう仁王の顔を想像し、釈明に身を乗り出した。
 「仁王くん、聞いてますか? いまのは軽いノリで言ってしまったことなんです、本気にしないで下さいね! ちょっと仁王くん、聞いてますか? あとで書けと言い張られても困りますからね!」
 柳生は必死であった。
 しかしながら。調子に乗りやすい仁王のこと、既にもうかなり有頂天になってきているのではと、早々に嫌な予感もしてくる。
 「ちょっと聞いてらっしゃるんですか? ねえ仁王くん。仁王くん? 仁王くん! だいたいあなたは……」
 結局柳生はいつものようにぶちぶちくどくどと、所構わずすぐに調子に乗る仁王の身勝手さを責める言葉と事細かな説明つきの説教を、今日は沈黙の向こうでなにを考えているのか計り知れない仁王にだが、し始めていた。


 いくら柳生でも恋まじないを実践してしまうのは恥かしくて、黙ってなどいられない。
 それに。
 そんなことはしなくてもいいはずなのだ。
 想いは、とうに伝えることに成功しているのだから。

 

 

 


END
(04.05.17)


 

中学んとき、有島の学校でもすっげぇウソクサイまじないが流行ったことがある。なんでウソクサイとわかっててもあーも夢中になっちゃうんでしょう。しかもそのまじないでうまくいったって人物は決まって先輩の友人。トモダチのトモダチがねって、ヤツとまったく同じじゃーん。

さて。仁王はまじないも占いもくそくらえってタイプであればいいと思う。柳生はそんなものに運命をかけてみるつもりなんて毛頭もないと口では言いながらに実は隠れてこっそり実行してそう。でも仁王も柳生が関わればまじないも占いも気にしそうだ。可愛い。

仁王の『〜っちゃ』はべつにラムちゃんの真似をしてるわけではありません。
九州出身の後輩のコと携帯で話したときに連発してたのが耳からずっと離れないの…。

方言なのかどうかあらためて聞いたことないんでよくわかんないんだけど、そのコは語尾によく『〜っちゃ』をつけるのね。それまで全然気にもとめずに聞いてたんだけど仁王に出会ってからちょっとかなり、気になるようになりました。なのでちくっと今回使わしてみた。ヘン…かなぁ。でも実際に聞くとかわいかとよぉ。

たまらんっちゃね。

テニスのページへ戻る