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 富山行きの便は、調整中を示したきり既に三時間を経過していた。
 羽田空港の上空は二月のどんよりした灰色の雲に覆われていたものの飛べないほどの状態ではなかった。そのせいでゲート前では、痺れを切らした乗客がチケットを片手にカウンターに立っているスチュワーデスに苦情を持ち込んでいた。飛べない天候ではないだろと、この状況に納得出来ないでいるらしい。怒鳴るような声はさながら合図みたいなものなのか、誰かしら一人でも声を張り上げれば、対応に追われる人間に対して文句を言い出す人間が次第次第に円陣を組むような形で膨張していく。
 十二月から三月にかけて富山便に限らず雪の多い地方に飛ぶ便では、よく見られる光景だ。
 特に富山便は、少々の雪でも降っていると、大幅な遅れや、今のようなフライト見合わせが多くなる。これは、河川敷に沿って離着陸をする富山空港の立地条件の悪さに起因している。
 「仁王、あと少しだけいいか?」
 調整中の文字を見遣りながらブン太は、隣に座る仁王にたずねた。
 「かまわんよ。気の済むまで居たらいい」
 仁王はそれに対して足を組み替えながらのんびりと返した。
 目の前の殺気だった他の乗客を見学しているだけでも、いい時間潰しにはなっている。またどこからともなく罵声が聞こえてくるが、彼らにも興奮してしまう理由があるのだろう。こうしてゲート近くまで来ているということは、混雑をきたしている富山便に乗るわけでないにしても、調整中のいずれかに乗る為に一万いくらものチケットを購入してチェックも済ませてここに居るのである。JRの入場券などとは違ってたかだか百四十円ばかしを払ってホーム内に入っているのとは訳が違うのだ。
 隣のゲートでは、チケットを切り取る作業が開始され、次々と搭乗していく。これでそんな光景を見るのは、何度目だろうか。
 そのうち、アナウンスがかかった。
 『富山空港上空の天候が乱れている為、只今富山行きの便は、運転を見合わせております。ご利用のお客様には、大変ご迷惑をお掛けしておりますが、しばらくお待ち下さい』
 「なぁ」
 ブン太がチケットをまるめながら問い掛けてきた。
 「ん?」
 「思うんだけどさ、もう何便も飛んでないじゃん? あそこに居る人たちみんなどうすんだろな。振り替える便振り替える便みーんな欠航しちゃってさ、最終的に何人の人間がここを飛び立てて行けるんだろうね」
 「そやねぇ。とりあえず最終便をおさえておきゃなんとかなんじゃねえの?」
 ブン太は『フーン』と、気のない返事を返したきりまた、何も話さなくなった。
 もしもこのあと、飛行機が飛べるようになりゲートが開いたとしてもブン太は、恐らく乗らないであろう。何となくだがそんな気がした。
 自分もブン太も、富山には何度か足を運んだことがある。それも今の時期に。だからこの時期のフライト状況のあやふやさは、事前にわかってもいた。頭に入れた上で今朝自分たちが取ったチケットは、今日の一番便であった。
 だが今既に時計は昼を回っていて、自分たちが乗る予定だった便は、この天候のせいでやはりフライト中止になってしまったのだ。慌ててカウンターへと走るほかの客を尻目に、自分たちはほかの便への振り替えはまだ一回も行っていない。あとは一階のカウンターに行って清算手続きさえ取ればチケット代も、丸々払い戻されるのである。
 なのになぜまだここに留まっているのかと言うと、ブン太がここを去ろうとしないからである。今日だけは彼にのみ、決定権があるのである。仁王は、彼にただ付き合っているだけである。
 「……立山、見たかったな……雪、かぶってんだろな……」
 不意にブン太がぼそりと、まるで独り言のようにそれを呟いた。
 「なぁ……もう……いいかな?」
 細い声であっただけでなく、膝の上に置かれた拳も白く強張っている。あんなにきつく握り込んでいては爪で手のひらを傷つけてしまうだろうに。
 「お前がいい言うんならそれでいいとね。オレは今日はお前にとことん付き合う決めておるし」
 「……ん……そだな。そうだよな……もう、いいよな……」
 ブン太は、何度も何度もまるで自分に言い聞かせるように『いいよな』と言い続け、その内俯いたきり何も言わなくなった。その後しばらくして、大きく息をつくと初めて腰を浮かせた。
 立ち上がってしばらく俯いたままだったのを、仁王も立ち上がりその躯を抱き寄せた。
 「言うたじゃろ。最後まで付き合うてやると」
 抱き締めた躯は、コートを通しても思いのほか温かい体温を伝えてきていた。暖房の効いた施設内とは言え、コートを脱ぐにはいささか空調が弱かったし、足元などはまるっきりと言っていいほど寒く、自分などは足の指先がかじかむのを長い時間耐えていたというのにだ。
 「仁王、……ありがとな……」
 途中で、鼻を啜るのが聞こえた。
 抱き締めていた躯が小刻みに震え出すのが伝わってきて、仁王は、いっそう強くブン太のことを抱き締めた。ここまでの時間を、なにを思って彼は過ごしてきたのか。根を生やしたように長い時間腰を落ち着けていながらも胸の内は、悲しみで溢れ返っていたのだろう。彼の言葉の少なさがそれを証明してくれている。
 二人を見る周囲の目が次第に増え始めるが、当の二人には、気にもならないことだった。既に朝一番からこうしてずっと何をするわけでもなくここに居続けたのだ。特別に奇異な行動を取っていたわけでもないのにただ座っていただけでありながら、ゲート横のカウンターに居た案内係や、売店の売り子にまで不審そうな目をちらちらと向けられていたのだ。今さらである。
 いまだに顔を上げようとしないブン太の背を宥めるように叩いて、頷きが返ってくると仁王はこう言ってやった。
 「今日がこんなに調整中が続くんはきっと赤也が行くな言うとるんじゃな。やってあいつはもう向こうにはおらんし。仁王先輩と二人でどこ行こうっていうんすか、ダメっすよ先輩……そう言うとるんよ」
 『赤也』と言う言葉はブン太にとってはジグソーパズルのピースのようなものだ。中学、高校、大学と常に彼の傍に居た赤也は、だからこそ彼にしたら語る思い出も多く、思い浮かぶことも色々とあるはずなのだ。仁王がそれを口にした瞬間から、彼の脳裏にはそれこそ走馬灯のように思い出が巡ったことだろう。
 仁王の着るコートの脇に縋った手の強張りと震え。『赤也』と言う名を耳にしただけでこんなにももろく崩れてしまうのだ。悲しみが癒えるにはまだ少しの時間が必要であろう。
 「雪が解けて暖かくなってから訪ねんしゃい。オレもまた付き合うし。な?」
 肩が震えているその彼の背中をさすると、また、鼻が啜られた。
  


 仁王は知っていた。今彼が着ているコートの内ポケットに、ふた月前富山で事故死した彼の恋人の写真が入っていることを。
 その思い出の一枚の写真は、遺影にも使われていたが、手にすることが多くあったのだろう、撮影されたのはたしか昨年の五月頃であったはずなのに、端がだいぶよれてきていた。
 その写真を眺めて、朝な夕な彼と共に居た時間を振り返ったりしてたのだろう。
 そうやって偲びながら居なくなったことに慣れていく自分にやがて彼自身も気付き、ふと彼は思い立ってしまったのだろう。
 愛しい人が命を散らしたその現場を、自分の目でも見ておきたい、と。
 周囲の様子や周りの景色などはどこかしらはかわっているだろうが、やはり命を落とした現場なのである。近しい者であればこそ、一度でいいからそこに立ってみたいと思うのは普通なことではないだろうか。

 

 

 


END
(04.07.14)


 

赤ブンで、こんなお題を考えた。
別れのシーン。
とにかく別離をテーマにあんなのやこんなのドロドロなのまで広範囲に渡って思考を広げてみたのね。そしたらいの一番に出来たのがコレでした。
死をテーマにした話は一つは出てくるだろうと思っていたけど、季節外れなこんなのってどうなの?
や、病死はアレだっので肝心なトコもはしょってブンちゃんに浸ってもらいました。
悲しみにくれるブンちゃんの傍らにはやっぱ仁王だろと思ったのはなんでかな…?
多分仁王は居てくれるだけで支えになると思うのさ。

うむ。

次は元カレってタイトルで考えてまふ。

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