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 九時四十五分。
 そろそろかなと時計に目を遣ったその瞬間、まるでそれをどこかで見ていたかのようにしてリヴィングの電話が鳴った。
 赤也からである。いま駅に着いたからと言う電話だった。
 『なんか買ってくもんあるっすか?』
 いわゆる『帰るコール』というやつだ。帰りが八時を回るときには必ずそれを入れろと同居を始めた当初より厳しく躾けてある。朝、出る前に「今日は帰りが遅くなるから」と伝えてあってもだ。とにかく帰りが八時を回るときは駅に着いたら必ず家に電話を入れろと日頃から度々厳しく言ってある。
 たいてい赤也の方がこうやって遅くなるのだが、こうして近くのコンビニで何か買う物があるかと聞くのもまた決まりみたいなことになっていた。
 「んー……今日は別に……あっ、待った! 確か俺の飲むビールがねえ。それ買ってきて。あと水も。あと食パン。いつもの六枚切りのヤツな。うん、そんなもんでいいよ」
 『それだけっすか?』
 「ああ。今日はそれくらいで……待った! あとゴミ袋な。あの半透明なヤツ」
 『ああ、あれね。あとは?』
 「ない」
 『わっかりやした。じゃっ』
 「おう、よろしくな」
 電話を元に戻すとそのままキッチンまで足を運んで、ハンバーグの入っているフライパンの下に火を点した。
 次に向かったのは冷蔵庫。中から水菜とハムをオリーブオイルで和えて冷やしておいたボウルを取り出し、こしょうと青じそのドレッシンクを適当にそこに混ぜ、素早く菜ばしでもってかき混ぜる。少し濃いぐらいの味付けが好みの赤也に合わせてここでオレの分だけは先に皿に盛ってしまう。
 「……あっ!」
 盛り付けを終えたその瞬間、オレはあることを思い出した。
 水だ。
 オレが飲むミネラルウォーターがもうなかったことに気付いたのだ。
 確か一本はまだ残っていたはずなのだが、アルコールが入ると普段より喉が渇きベットボトルの五百mlなんて一気だ。一本はどう考えたって頼りない。最低でも二本は欲しい。氷を入れてポットの湯を注いで水を作り出すことも出来なくはないが、冷たいのが欲しいときにそれでは物足りない。手を掛けなきゃいけないというのも面倒だ。冷えててすぐ飲めるといったらやっぱり市販のペットだろう。
 「……やっべぇ……こうしちゃいらんねぇや……」
 オレは急ぎ電話まで走った。
 こういうとき携帯ってありがたい。ナンバーを押しただけでどこに居ようと本人をとっ捕まえることが出来るのだから。
 今ならまだ赤也はコンビニか、あるいは出たとこくらいであろう。
 「……――」
 ところがである。
 ナンバー押し終えた途端返って来たのは『留守番電話サービスセンターに接続します』の案内であった。
 「は? なんで?」
 オレは再度掛け直してみた。
 だが結果は同じだった。
 「はぁ? どういうこと?」
 繋がらない現実に、オレはいつの間にやらイラ立っていた。だってほんの数分前まで話が出来ていた相手なのだ。なのにこっちから掛けたら繋がらないってどういうことよ? なにやってんのアイツ?
 ぶちぶちと零しながら、それでもオレは何回かトライをしてみた。でも結果は同じで。聞こえてくるのは同じ口調のあの案内ばかり。
 「ホントマジであいつなにやってんの!?」
 怒りのあまり受話器を戻す手はかなり乱暴だった。あいつが帰ってきたら間違いなく怒鳴りつけるであろう。だってなんの為の携帯よ。いざってときにこんな使えなくてどうすんだあのバカ!
 思わず声に出た『バカ』の言葉をリヴィングに残して、むかついた気分のままキッチンへと戻る。コンロに点いていた炎を消してボウルを抱え、取り敢えずは遣り掛けだった仕事を済ませてしまうことにした。
 あれだけ掛けても繋がらなかったのだ。もう繋がることはないだろう。
 「……チクショー……オレの水!」
 帰ってきたらまず携帯が繋がらないと文句を言ってそれから水が欲しかったのにと続けてやらねばなるまい。
 「一本じゃ足りねんだって……!」
 多分今オレが怒っているのは、携帯が繋がらなかったからではなくて、欲しかったものが買って貰えなかったからなんだと思う。実際、帰ってきたらあとでまた買いに行かしてやるとか思ってるし。いざってときに使えなかったことで腹を立ててるんだと思う。
 「……ったくあのバカっ……!」
 腹を立てながらでもブチブチ言いながらでもあいつの分の食事を用意して盛り付けてやってるのが、ちと滑稽だが料理に罪はない。まさか流しに捨てるわけにもいかないだろう。
 「ぜってぇあとで買いに行かせてやるっ」
 盛り付けの終わった皿を文句と一緒にダイニングテーブルに乗せたそのときである。
 インターフォンが鳴った。
 内廊下を進むその最中に鍵が差し込まれ、『ただいまぁ』と荷物をぶら下げた赤也が玄関に立った。
 「先輩、はいこれ頼まれてたヤツ」
 「お前の携帯、繋がんねんだけど」
 「え、うそ……」
 「オレ、頼みたいもんがあったんだけど」
 「あ、……電源切れてる……」
 ポケットから取り出した携帯を見つめながら赤也が呟いた。そしてぱかっと開けると電源を入れていた。
 今ここで入れてどうすんだよ。もう遅いっての。
 「あーあ頼みたいもんあったのによ!」
 嫌味っぽく吐き出して、持ち上げた荷物を抱え、部屋へと戻っていく。
 「え、なに欲しかったんすか?」
 うしろから赤也もついてくるがオレは無視してやった。
 「なんで電源を切ったんだよ」
 「え? や、よく覚えてないっすよ」
 「ほお、都合のいい頭だ」
 「ちょっとなんすかその言い方。すげぇ感じ悪いっすよ?」
 「んなの当たり前だろ。頼むことあったのに使えなかったんだ腹も立つってもんだ」
 「仕方ねえじゃん。電源切ったの覚えてなかったんだから!」
 「逆切れすんじゃねえバカ赤也!」
 「先輩だってちっさいことで腹立ててるじゃないっすか! わざとやったわけじゃねえのにそんな怒られても困るっすよ! 電源切れたみたいですとしか言い様ねえのにさ!」
 「るせえ! いざってときに使えなかったてめえがいけねんだろが! なんの為の携帯だ! 電波が届かない場所なら仕方ねえって思えっけど今回のこれはてめえのチョンボだろが! そのてめえに腹を立ててなにが悪い!」
 「うっわ…………久々に聞いたよあんたの俺様的発言……」
 冷蔵庫の前で仁王立つブン太がくわっと歯を見せつつ怒鳴ると、うなじに手を当てた赤也から呆れたような顔が返ってきた。それでも態度を変えないでいると溜息までもがつかれた。
 そして。何を言っても牙を剥かれるとでも思ったのか。反論しようとする様子が赤也から失せていった。
 「……わかりましたよ、今から行ってくるっすよ。で、なにが欲しかったんですって?」
 案の定、反論はせずにそんなことを言い出した。
 しかも取り出したサイフの中身をここで確認しようとまでした。
 オレはそれを見て、『もういいよ』と突き放した。
 実際、ケチのついたことに今さらぐちぐちとは言いたくないと言う気持ちが胸の中に広がっていたのだ。
 だが赤也の方は納得出来ないらしく、
 「いいっすよ。走って行ってくるっすよ。欲しかったもんてなんなんすか?」
 「もういいって言ってんだろっ」
 「よくねーよ。あれだけケチつけられたんだ。行くっすよ。行かなきゃこっちの気が済まねえっての」
 もういいと言っても赤也の中で納得がいかないのだろう、足が既に玄関へと向かい始めている。赤也待てと呼び止めてもその足は止まらなくて。ついに靴に足が突っ込まれ『で、なんなの?』と憮然とした言葉が引き止めようと伸ばしたオレのその手を空で止めてしまった。
 「……だから、……もういいんだって……」
 赤也の失敗を責め立て詰っていたくせに相手が突っ掛からなくなった途端、オレの中でも言い過ぎたかもしれないと言う、気が咎めてくるような気持ちが沸き始めていた。だが引っ込みがつかないままのところに赤也がもう一度買いに出ようと動き始めたことでオレはいよいよ焦り始めた。
 最初から素直に詫びて『じゃ、今から買いに出るっすよ』と険悪な風が吹く前にあいつがさっさと家を出ていたなら別に呼び止めたりも『もういい』とも言わなかった。だけど険悪な空気を残したまま出て行かれるのはどうしたって気分が良くない。
 「靴、……脱いで上がれっ……」
 本当はここで素直に『ごめん、オレが言い過ぎた』と詫びるのが仲直りへの一番の道なのはわかっている。だけどそれがわかっていても口に出来なかった。これはもう性格なんだから仕方がない。
 「でもあんた買って来て欲しいもんがあるんしょ」
 「だからもういいって言ってんだろっ……!」
 オレが困ってるのをわかれと腹の中で響かせながら腕を掴み、靴もまだきちんと脱いでいなのに上がれとばかりにそれを引っ張った。
 「ちょっ、待って……! 先輩っ……靴っ……!」
 「あとでお前が雑巾掛けとけ!」
 「オレ一人だけでなんてイヤっすよ。あんたも手伝ってくださいよ」
 引かれるままについてきながら赤也が言う。口調には、さきまでの刺刺しかったものはもう見えない。このまま部屋に入れて靴を脱がせばもうこの話はされないと思う。赤也はこれでも聡いところもあるのだ、ここまでしたオレの行動にケチをつけるようなことをしてしまうような愚か者ではない。
 「ちょっと、聞いてます? 先輩?」
 「聞いてる。安心しろ。あとでちゃんと見ててやるよ。それよりさっさとメシ食え。せっかく温めてたのに冷めちまったじゃねえか」
 「見てるだけかよ……つーかそれはオレのせいとは言えないっすよ?」
 室内に踏み込んだ途端、引いていてはずの手が逆にぐいっと引かれた。
 よろけるようにして躯が赤也の腕の中へと収まる。テーブルの上に用意されているものが目に入らなかったのだろうか。冷めると言ったってのに。
 「赤也……お前なぁ……っ」
 こういうことはあと、とにかくさっさと食ってくれ、でねぇといつまでたっても片付かねえだろが。
 そう言ってやるつもりだったのだが……塞がれてしまっては無理だ。
 それに、ただ触れるだけの優しいものとは違った。躊躇うこともなくオレの舌を絡め取るとその舌先を吸われたり歯列をなぞられたり……熱い濡れた塊に躯が芯から蕩けてしまいそうだ。
 「ん……んっ……」
 熱く、激しく。
 熱い塊に口腔内をかきまわされているうちに全身のちからがじわじわ抜けて。
 猛々しく翻弄しつつ、赤也の指が、背中の真ん中のラインだとか脇腹だとかを滑らかに撫でる。たったそれだけのことで、あちこちで火が点いたように躯がかあっと熱くなった。伝わる温もりもなんだか気持ち良くて。このまま赤也を誘って床に沈むのも有りかもしれないと思ってしまう……。
 「ん……」
 それに次に赤也が何を口走るかが……わかるのだ。
 「……先輩……」
 額をこすりつけてくるその欲情した顔を間近で見つめることになった刹那、背中が疼いた。
 「オレ、さきに先輩としたい……ね? しよ?」
 掠れた囁きととともに再び唇が重なって。
 軽く吸って離れて。
 今度は角度が変わって。
 今度のはねっとりと吸われて。
 舐め合い。絡め合った。
 いつのまにかオレも赤也の首に腕を回していて。縋った。
 「……あ……赤也っ……」
 口腔内で味わった熱さと同じ熱を持った舌の先が、顎の敏感な部分を舐めた。触れた途端に、躯は正直でびくんと震えた。
 「愛してる」
 鼻の先で低く囁かれた。
 オレも、欲しいと思った。
 もっとダイレクトに。もっともっと、直に赤也の熱を感じたい。
 「赤也」
 オレは首に掛けてあった手のひらにちからを込め、ぐっと、その首を引き寄せた。
 沈んでこい。
 赤也。
 オレのところまで……!

 

 

 


END
(04.08.05)


 

相変わらずラブラブやねえ。

つーか、ますますブン太の主婦度に磨きがかかってまふ。

や。なんだかんだで赤也を食わすブン太に激ラブ。料理ちゅうか家事のこなせる男はいい男であるよ。床上手よりも貴重なりよ。つーてもブン太は床上手でもあるけどね。

や、彼はなんだかんだでスーパー主婦・丸井ブン太なりよ。

つーか、主婦でもなければあの赤也は飼い殺せんいう話や。

赤也はなんだかんだ言うてもブン太の手練手管にメロンメロン。

受けが実権を握る。これ、赤ブンでは真理なり。

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