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 「……暑い……!」
 うだるような熱気を足元からゆらりゆらりと起こすアスファルトを一歩、また一歩と進みながら、暑いと愚痴を零すオトコを背にひっつかせたまま日吉は刻んだ皺の溝を、じわりじわりと深めていった。
 暑いって言うならくっつくなよ! タコが吸い付くみたいにしてそうやって張り付いてるから暑いんだろうが!
 でも言ってもきっと聞きはしないのだ。だから日吉も黙るしかなく。そのせいで暑いだけでなく精神的不快感まであってイライラは募っていく一方だ。
 「……暑い……暑いよ日吉……なんで日本の夏ってこんなに蒸し暑いんだろね……」
 知るか!
 「もうさ、部活始める前から体力削られるよねこの蒸しっとした暑さには……」
 俺は! お前にピタリ貼り付かれて重しをしょって歩いてんだ! 体力が削られてってんのはてめえじゃねえ! 引き摺って歩かなきゃなんねぇこの俺だ!
 「……暑い……ねえ、時間まだ平気なんでしょ? 体育館で休んでこうよ。別にクーラーが効いてるってわけじゃないけど日差しからは逃げれるじゃん? ね?」
 「……いい加減にしろ! うるさいんだよさっきから! そんなに休みたけりゃお前一人で休んで来い!」
 「えーっ、俺は日吉と一緒でなきゃヤダ」
 「だったらしつこくいつまでも人の背中にくっついてねぇでしゃきっとしろよ! 普通に歩いたなら早くに部室へと辿り着けるだろうが!」
 「えー……ヤダ。だって俺いま日吉不足でこうして補給してる最中だもん」
 暑いのはこちらも一緒だ。だと言うのに恨めしそうに背中でそうやってごちゃごちゃされたのでは敵わない。たかだか四日、夏季講習だとかで会えなかっただけで会った途端これってどうなのだ。職員室の前でばったり会うや『あ! 日吉!』の一言だけで抱きつかれてしまったのが運の尽きとも言うのだろうが、何気にうざさに拍車がかかっていてそろそろいい加減投げ飛ばしてやりたくなってきている。
 お前が暑い暑いうるさいのは人にべったり張り付いてるからだと窘めてやるも、
 「俺が暑いって言ってるのは日差し。日吉の体温は心地良いもんだよ」
 なんて返すし、人の話なんか鼻っからまともに聞く気なんかないらしい。
 でも俺が暑いからせめて横に来い、とあとに続けて頼んだって、
 「ヤダ。俺はここがいい」
 と、頑なだ。
 ホントに勘弁してくれと……、むしろ辛抱している日吉の方こそが天を仰ぎ、喚いてしまいたいくらいだ。
 「おっ」
 職員用の玄関へと差し掛かったその時、手前の来賓室のドアがすっと開かれて中から宍戸と忍足が出てきた。いち早く気付いたらしい忍足と目が合い、二人が会釈をするとニヤリと口元が上がった。なにやってんだと、あきれたような声でたずねてきたのは宍戸だ。日吉はもう面倒臭いと言う気持ちしか起こらずむすっと口を結んだ。
 「相変わらず仲ええねんな」
 「違います。まとわりつかれてこっちは迷惑してんです」
 「だったらさっさとひっぺ返せよ。見てるこっちまで暑くなってくんぞ」
 「だったら宍戸先輩が引き剥がして下さい。俺がなに言っても聞く耳持ってくんないです、このバカは」
 遠慮はいらないですから、さあどうぞとくるりと背を向けて引っ付くそれを差し出すと、宍戸よりも早く鳳が喚いた。
 「宍戸さん! 邪魔したら呪いますよ!」
 それを聞いて忍足が声を出して笑った。
 「お前は細木のおばちゃんか」
 「誰なんですかそれは?」
 「有名な占い師さんや。知っとるやろ日吉?」
 日吉は眉間を寄せながら頷いた。
 「ええ。この間もテレビでやってて見ましたよ」
 「ああ、あれな。オレも見たぜ」
 呪うからと宣言を出された宍戸も頷いた。
 「結構面白いよな、あのおばさん。けど鳳、……」
 宍戸が伸ばしたその腕が……鳳の目の前で止まった。
 「お前にそんな力なんかねえだろが。どう呪ってくれるって?」
 「痛っ!」
 どうやらびしっと、デコピンを喰らったらしい。
 痛いと唸る鳳を背負ったまま日吉は、もう一発くらいくれてやってくださいと頼んだ。
 「もしもこいつがなんらかの方法で先輩を呪ったとしても安心してて下さい。あとで呪い返しってのを教えますから」
 「ひどいよ日吉!」
 「お前こそが俺にひどいことをしているってわかれ!」
 忍足が、また声を出して笑った。
 「相変わらずやねぇ……」
 「つーか夏場にこれはうぜぇだけだろ」
 宍戸は呆れたように肩を竦め、日吉に同情するような眼差しを送って寄越した。
 「で、なんでそないなことになったん?」
 歩き出しながら、それでもまだぴったりと貼り付いたまま歩く姿に忍足から疑問が投げられた。宍戸も、日吉を見た。日吉は答える前にまず、うんざりと溜息を零した。説明するのもなんだかもう面倒臭くて勝手に推測してくれてかまいませんから何も聞かないでやって下さいと、いっそ言おうかと思ってしまった。
 すると、……そんな心の内での嘆きが察してもらえでもしたのか、
 「や、言いたないんやったらべつに語らんでもええよって」
 と、忍足が言ってくれた。
 そう言ってもらえると助かります……日吉は感謝を込めた眼差しを送った。
 だが宍戸はさすがダブルスを組んでいるだけのことはある。
 「どうせ久し振りだとかなんとか言っていきなり抱きつかれたんじゃねえの?」
 鳳の質を実に良く知っていた。
 「ああ、そう言うたら日吉もここ四日間ほど部活に顔出してなかったんやってな。講習か?」
 「ええ……短期の方を申し込んで昨日で前半を終えたんです。忍足先輩と宍戸先輩も確か講習受けるかもしれないとか言ってましたよね。結局申込み、したんですか?」
 「ああ。オレは短期の方をな。けど宍戸の方は結局長期で申し込んだわ。な?」
 「ああ」
 「じゃあ、芥川先輩とかは?」
 「ジロー? しとらんみたいやよ。跡部もやけど、滝とかもしとらんし」
 忍足がそう紡ぐと、宍戸が含みのある笑みを浮かべたその表情を鳳へと向けた。
 「そういや鳳、日吉が受けてるのに今年はお前講習受けてねえよな。なんでだよ?」
 「ちょっと宍戸さん、……」
 おとなしくしてる子をわざと突付かないで下さいよと、日吉は即座に宍戸のちょっかいを諌めた。
 だが宍戸は悪びれた様子もなく、
 「あ? オレはなんでだと、聞いてるだけだぜ?」
 と逆に日吉で遊ぼうというような色を見せて、緩めたその口元を更に上げた。
 「……」
 実は日吉は鳳には『今年は講習は受けないつもりだ』とウソをついて申込みをしていたのだ。もちろん牽制のつもりでついたものである。
 結果的にはうまく鳳をだませたのだが、事実を知ってからはウソつきに始まって人の気持ちをもて遊ぶなんて卑怯だとまで言われてしまう始末。それはもうネチネチと。
 でも日吉だって、申込み書を提出しに行く段階になると急に良心が痛み出したりして、本当は長期で申し込みたかったのにギリギリのところで短期の方の講習に選択し直したのだ。……それなのに蓋を開けてみれば……講習の前半が終わってみてこのべったりである。これならへたに策など練らずに素直に一緒に申込みをしておけばよかったと、今になって悔いている……。
 自身でも後悔し始めていると言うのに横から他人の手が突付いてむし返されるのは正直望むものではない。
 「日吉がズルイ手を使ったからですよ。ね、日吉」
 ほら……こうやってまた責められてしまうからそこには触れて欲しくなかったのに……。
 「ズル? なにされたん?」
 「なにって、……鳳には今年は受けないかもしれないって言ってただけですよ……」
 「騙したってわけか、やるじゃねえか日吉も」
 「なに言ってるんですか宍戸さん、騙すなんて、こんなやり方卑怯ですよ」
 「けど鳳、お前さん騙されんなんて相当うざがれとる言うことやで。やのにまたそないにぴったり貼り付いたりしたって大丈夫なん? いい加減堪忍袋の緒も切れて三行半突き付けられんとちゃうんか?」
 忍足が楽しげにからかうと、鳳は無言で日吉の躯をきつく抱き締めた。だが日吉は、今日ばかりは甘やかすまいと心に決めていた。
 「暑い! あんまりぴったりくっつくな! 投げ飛ばすぞ!」
 だがそんな脅しにも、
 「ヤダ! 投げ飛ばされんのもヤダ! 四日振りなんだから今日ばかりは日吉が我慢してよ!」
 まるで駄々っ子のような態度を取る鳳に、宍戸も忍足もご愁傷様と言って大笑いをした。日吉は舌を打ってから『笑ってないでこいつをどうにかして下さいよ』と改めて二人に助けを求めた。
 だが、
 「詰めが甘かったっちゅうことやね」
 「ま、ある意味自業自得ってことだな」
 と、面白がってしまってまったく役に立たなかった。
 「…………」
 もはや苦い顔をして堪えるしかないのか。
 暑さもさることながら、役に立たない二人の先輩の相手もそしてうざい鳳の相手も一切したくなく、自分を取り巻く環境全てが劣悪だと、より一層日吉はげんなりとなった。
 その口をきく気も失せてしまった日吉に、と言うより誰へともなく思いついたような声を宍戸が出した。
 「あ、なあなあ」
 日吉はもちろんだがみんなが宍戸に注目した。
 「アイス食いたくねえか? どうせ部活が始まる時間までにはあと少し余裕あんじゃんか。オレが買いに行くからお前ら体育館の前で待ってろよ」
 「おっ、なんや気前ええやん」
 「ばっか。あとで回収すんに決まってんだろ。立て替えておいてやるんだよ。おい、お前らなに食いたい?」
 「オレ、氷系ならなんでもええわ」
 「俺はバニラがいいです!」
 「氷とバニラな……で、日吉は?」
 「え、や、べつに……」
 「遠慮することないだろが」
 そう言うや宍戸の視線が不意に鳳を見上げた。
 「鳳、こいつの好きなのってなんだよ?」
 「ちょっと先輩! なんでそこでこいつに聞くんですか?」
 「だってお前が素直に答えねえからだろ」
 「だからって……」
 「日吉はシャーベットが好きなんで、それお願いします!」
 抗議の声を遮ってでかい声で答えた鳳に、日吉は唸って項垂れた。
 この先輩にしてこの後輩ありと言うことか。
 人の話を聞かない身勝手さを恨みつつも、だが暑さですっかりと気力も枯れてしまい日吉はそれでお願いしますと、覇気無く付け加えた。
 じゃっ、ちょっくら行ってくるわと買出しに離れる宍戸を見送ってから、日吉は鳳をくっつけたままで、忍足はそれを眺めてはニヤニヤしながら、並んで三人は体育館へと向かった。
 体育館を使用する部活はいくつかあるが、曜日と時間で組み表が作られており、今日の午後二時からはバレー部が使用することになっていた。だが館内にはいまだにまだネットも張られてはいなかった。
 「なんやまだ始まっておらんやったら入ったってかまへんやろ」
 「や、でもバレー部の人は居ますし、やっぱり遠慮しといた方がいいですよ」
 「外のあっちの隅に行きませんか? 中だって湿度はあるわけだし、屋根があるんだから日差しは避けれるんだから外でもいいじゃないですか」
 中を覗き込む二人に伝え、日吉は先に歩き出した。
 当然鳳もくっついてくるわけなのだが、直射されないだけ外に居た時よりはましだと思う。
 そうして建物の一番端っこまでやってきて三人は並んで石の階段に腰を落とした。
 「……くそ、背中が汗でびっしょりだ……!」
 あきらかに背中だけが濡れている感触がするのが気持ち悪くて、うしろに回した手で裾を摘んで風を送り込みながら日吉はむっすぅと顔を顰めていく。
 「お前だって腹んとこ汗かいてんだろが。よく平気な顔していられるな。気持ち悪くねえのかよ?」
 「え? 俺? うん、汗はかいてるけど別に気持ちは悪くないよ。だって日吉の温もりだし」
 「あっそ……」
 聞くんじゃなかったと、内心で零してから流れてくる汗に気づき、日吉はシャツの袖でその額の汗を拭った。
 裏の樹木からしてくるのか、やけにセミの鳴き声をここでは聞く。そう思いふと後ろを振り返ると、端に座っていた忍足からこんな言葉が飛んできた。
 「どしたん? 背中が寂しくなったんか?」
 「まさか!」
 日吉はドキリとした。
 確かに、それまであったものがなくなって急な喪失感みたいなものは感じているが、別に寂しいなんてことはない。へんなこと言わないでくださいと、強い口調で言って、それをきっかけにして日吉は前を向いた。
 「このバカがまた調子に乗ったらどうしてくれんですか」
 「そう言うけどお前やってこれが張り付くのを黙認しとったやん」
 「バカ言わないでください……黙認なんかしてません。何を言っても聞く耳を持ってもらえなかっただけですよ」
 「それやったら投げたったらよかったやん。武道やってんやし、得意やろ?」
 「そんなことしたらケガしますよ。流すことなんて出来ないですから、素人を地面に叩きつけることなんて出来ません」
 「ほんなら払うっちゅうのは?」
 「払いも同じですよ。外でなくて体育館の中でって言うんでしたら……まあ、加減して投げてみますけど」
 鳳から、ウソっ、と驚くような声が上がった。
 「本気で言ってるの日吉?」
 「当たり前だろ。見ろよこの背中……こんなぐっしょりになるまで張り付きやがって……」
 「だからそれは日吉が不足してたからじゃん」
 くくっと、忍足が笑い出した。
 「ほんまに仲ええなぁ。やー……熱い熱い……」
 日吉の躯に孕む熱の温度が、その言葉に反応してかあっと、上がった。
 「……このばかっ……お前もう何も喋るな……頼むから……」
 頼むと、日吉は項垂れながらか細い声を落とした。
 からかっているのだろうことはわかるが、正直いい気持ちはしない。
 触れて欲しくない部分もあるわけで。
 簡単にそこを突付いては欲しくないわけで。
 もうホントに勘弁してくれと、誰へと言うことではなく日吉は俯いたまま零す。
 宍戸が戻ってきたのは、丁度そんなタイミングの時だった。
 「宍戸! こっちや!」
 帰って来た姿を見つけたのだろう、不意に忍足が声を上げた。
 「なあ、中ってもう部活始まってんの?」
 「ん? まだみたいやで」
 「そっか。じゃあ顧問とかがうろうろする前にこれ食っちまおうぜ。ほいこれが忍足でこっちが鳳な。で、……シャーベットなんだけどオレンジしかなかったんだけどこれでも平気か?」
 「大丈夫です。すみません」
 日吉の手がそれを受け取ると、宍戸はそのまま日吉の横に腰を落ち着けた。袋に残った最後のそれは宍戸のだ。ガサリと袋から出てきたのはあすぎのバーアイスだった。日吉はそれを見るや「あ……」と声を上げていた。
 かじろうとしていたまさにその時に声を聞き宍戸が「え?」と振り返る。
 「あ、……いや、べつに……」
 「なんだよ、日吉?」 
 「いえ、その……」
 「あっ。もしかしてこっちが食いたいとか?」
 軽く差し出すような真似をした宍戸にこくんと、日吉は頷いた。
 「それも……好きなんです」
 「あ、そうなんだ。じゃ、取り替えるか?」
 「え、でも……」
 「オレは別にどっち食っても構わねえし。お前がこっちが食いたいって言うんだったら取り替えるぜ?」
 「でもやっぱり悪いですから、いいです……」
 「構わねえって言ってんのに。よし、じゃあホレ、一口食ってみろよ」
 シャーベットの蓋を開けようとしたところすっと差し出され、日吉も手を止めた。
 「そのかわり日吉の手の中にあるそれも一口な?」
 「いいですけど……じゃあ、どうぞ……」
 お互いがまだ口をつける前でもあり、二人は気兼ねなく交換が出来た。
 暑さのせいなのだろう、既に上の部分から色がはっきりとし出してきている。それの左部分に、日吉は噛り付いた。硬さはまだ充分にある。がりっと口の中に転がすと、ちょうど匙を口に運んだところであった宍戸に、ありがとうございますと浅く頭を下げ、反対の手に持ち直してから差し出した。
 ところがだ。
 「宍戸さん、これ俺にください! そのかわりこれあげますから!」
 「鳳!?」
 それを手にしたのは鳳だった。
 いきなりのことで日吉はただ驚き奪われたアイスが食われるのを呆然と眺めることしか出来なかった。
 「ちょっ、お前……」
 それは宍戸のだと言っても、だから下さいって言ったじゃんと、暴挙であることを理解している様子はなく。あずきも結構いけるね、なんてのんびりともしていた。
 「あー……いいんだって、日吉……」
 「でも……!」
 「ええからほっとき」
 礼を欠くのをなにより嫌う日吉は納得がいかないでいるが、左右の先輩よりほっとけと言われてしまってはその言を無視して彼らの前で奪い取ることもまた出来ない。
 「……なんでですか?」
 「なんでってそんなの決まってるじゃないか」
 「お前には聞いてない!」
 「まあまあ……落ち着けって日吉。それより鳳、こっちはこのまま日吉に返していいのか? それともお前に渡すべきなのか?」
 「は?」
 なんで鳳に聞くんですかと、それは俺のですと日吉はへんなことを言い出す宍戸に抗議を出した。
 しかし、宍戸はそれがな……と言葉を捜して忍足に視線を投げると「だってなぁ?」と彼にまで同意を求めるのだった。
 「このまま返してやりたい気持ちはあるんだけど絶対また奪われるぜ?」
 「せやね」
 「当たり前じゃないですか」
 「おい! 鳳!」
 どうして当たり前なのか。そこで頷かれることが腑に落ちない日吉はカップに手を伸ばす鳳を睨みつけるが……
 「ん。これ……美味しいね。はい、日吉も食べてみなよ」
 と、その程度くらいでは物言いにもならないのか、少しも意に介さなかった。
 そればかりか宍戸から奪ったアイスを順調に片していくのである。日吉は頭が痛くなってくるような感覚を覚え、唸りながら俯くと額に手を当てて『考える人』のポーズを作った。
 「早く食べないと溶けるよ?」
 鳳に言われはっとアイスを見つめる。確かに、少し溶けかかっている。この暑さだ。仕方がない。
 匙を手にしたその時、宍戸が言った。
 「お前もホント大変だな……」
 なんだか同情されているように感じる口調である。顔を上げると、
 「や、だって……回し食いも許さねんじゃあ色々と大変じゃん」
 回し食い? 許す? 許さない? なにを言っ……っ!
 そこでようやく日吉にも合点がいった。
 「おっ。なんやなんや今度はそっちで日吉までが溶けてきてるやん」
 カップを握ったまま固まっていた日吉を忍足がそんな風に称した。
 「あー……こう暑くっちゃな……」
 「や。つうかそこにおるでかいのから熱い風が吹いとるからなんとちゃう? それでなくてもさっきまでずっとしょってたわけやし。おてんとさんと体温であっためられておったからなぁ」
 左と右から頭の上で交わされる言葉に、うわぁっと、日吉は何度となくと叫びを上げてしまいそうになった。本人を前にしてなんてデリカシーのない人たちなのだと、恨めしくもなった。
 「日吉、溶けてるよ? 早く食べちゃいなよ」
 誰と誰の話をされているのをわかっていて泰然としているのか、勝手にカップからすくって口に入れ出す鳳に、だが気力が無く日吉は『はぁー……』と溜息をついてもう好きなようにやらせた。
 あと何日か、こんなバタバタが続くのか。
 講習に出ていた方がなにもかもが自分の為にもなったし静かに過ごせてもいた。
 昨日までのことなのに、もう懐かしい。
 早く後半が始まってしまえばいい……。
 そうすれば平穏な日々がまた戻ってくるのだ。


 しんみりと耽る日吉の背後では、相変わらずセミの声が聞こえている。そして横の鳳も煩く語り掛けてきている。先輩二人もあれこれと茶々を入れてきて煩い。

 日吉は胸の中でこっそりと指を折った。
 どう数えても後半が開始されるまでにはあと五日もあった。

 

 

 


END
(04.09.09)


 

過ぎ行く夏を鳳若でしめてみました。相変わらずラブラブな二人です。

先輩にいじられて日吉は大変だけど逆にトリは生き生きとしてくると思うのね。隠しているよりも色々とお披露目したいタイプです、彼は。だから日吉は毎日胃痛に悩まされている。頑張れ若!

最近ふと気付いたの。二人の世界であれこれさすよりも先輩らと絡めた方が動かしやすいかも。や、今さらだよね。もっと早くに気付けっての。つーか、日吉が愛されキャラだと最近になってやっとわかってきた。

よーし。これからはいじめちゃうぞっと。

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