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 俺って心が狭いのかなぁ……。
 鳳は独り言のようにソレをつぶやいた。通算四度目……いや、六度目になるだろうか。どちらかと言うと物欲が薄い方であるはずなのだが日吉が関わるとなぜかそんな悠長なことも言ってられなくなる。
 これが『恋の病』と言うやつか。
 ただ独占していたいだけなのにこの感情が俗に言う嫉妬……と言うものなんだろうか。
 唸りながら鳳はとうとう頭を抱えた。
 これまで付き合ってきたどのコにも抱かなかった感情であるだけにどう消化して相手と接していけばいいのかがいまひとつわからなくて、あれこれと悩み煩うことが多くてとても困っているのだ。
 「……」
 特に、自分以外の人間と喋っている姿なんて見たくのない光景だ。近づかないでと、焦れていっそ叫んで腕を取ってそこから連れ去ってしまいたくなる。
 だけどそんなことをしたら日吉からの怒りを買うのは必至。
 「……でも、ヤなものはヤなんだよ……」
 渦巻くどす黒い色した感情。身動きの取れないもどかしさ。溜まっていく一方の言いたいコト。
 そしてなにより募るばっかりの情。
 自分はいつからこんなに消極的なオトコになってしまったのかと、うんざりとした顔で鳳は溜息を漏らす。
 そもそも自分がこんな風にして溜息を零すようになったのだって日吉を好きになってからである。
 こんな風になるのは全部、日吉がいけないんだ……。
 これまでにも何度も呟いてきた言葉を、業を煮やして落としても、やっぱり今日も突風吹き荒れているような気持ちは晴れてはこない。
 誰が悪いということではないことくらい本当は鳳にだってわかっている。
 地団駄を踏んで、八つ当たりをしているようなものなのだ。苦しくて、もどかしくて、我とは無しにぽろりと泣き言が零れてしまうのだ。
 「長太郎」
 ちょうど膝に肘をついて頬杖をつこうとしていたその矢先に、コートの向こうから呼ぶ声が聞こえてきた。
 宍戸だ。
 忍足との試合が終了したらしい。
 「お疲れ様でした」
 「おう」
 こめかみから流れ落ちる汗。
 水滴をしたらした髪。
 ほのかに赤らんだ表情。
 それらからも、相当の運動量であったことが窺えた。
 「勝ったんですか?」
 たずねると、タオルから覗かせた目が、むっときつく絞られた。
 その眼差しから顔を逸らせ、ああ、と内心で鳳はそっと首を頷かせる。
 負けた、のか。
 「スコアは?」
 「忘れた」
 「そうですか」
 「それよりお前はなんなんだよ。試合もろく見てねえでなに頭なんか抱えてんだよ」
 珍しいこともあるものである。今までこんなこと一度もなかったのに、負けた試合を悔いるでもなく人のことに首を突っ込んでくるなんて今日は一体どんな心境の変化があったと言うのか。
 「あ? なんだよそのツラ」
 「や、だって宍戸さんが試合の後に人のことを気に掛けるようなセリフ今まで吐いたことなんてなかったものですから、ちょっとびっくりしました」
 「失礼なヤツだな。つーか、無視出来ねえほどお前があんまりに暗いんだよ。なんだよ、なにをそんなに悩んでるんだよ」
 宍戸のそれを聞いて、鳳は方膝をベンチの上に乗せ、その膝頭の上に顔を伏せてくっくと笑った。
 宍戸がなんだかんだで部内一周りをよく見ていることは以前より知っていたがまさか試合の最中にまで周りに注意が払えるほど気配りな人間だとは知らなかった。
 それにしてもよく見ている。
 負けたあとでも自分のことよりも後輩のことに気を回すなんて、彼も随分と大人になったものである。
 だが今の鳳には嫌味を言うだけの気力もなく、ただ伏せて鬱々と沈むことしか出来ない。
 「長太郎」
 そんな鳳に、慰めるかのように宍戸が頭を撫でてきた。
 一瞬何が起こったのかと突然の行動に鳳もびっくりした。だが状況の把握が出来てくると、自分もそれを嫌がってないこともあり、しばし好きにさせておくことにする。
 「ま、お前が言わなくてもわかっけどさ」
 しばらくして宍戸からそんな言葉が出てきた。
 「どうせ日吉絡みのことだろ?」
 鳳は顔を上げてじっと宍戸の顔を見つめる。
 彼が嫌そうに眉を寄せてからもしばらくじっと見つめていた。
 「だってそうだろが。お前がじたばたすることって言ったらあいつが絡んでることしかねえじゃん」
 「そんなに俺ってわかりやすいですか?」
 「日吉が絡んでるとそうだな、割と顔にも出るよな」
 それを聞いて鳳はがくりと肩を落とした。
 「俺って結構振り回されてますよね」
 すると、そうか? と否定するような言葉が返ってきた。
 「そうですよ!」
 顔を上げたあと抗議したが「そうかなあ」とそれもまた否定されてしまった。
 汗を拭いている宍戸を恨めしそうに眺めていると、いったいどうしたというのか、突然笑い出し始めた。
 「し、宍戸さん……?」
 鳳も、これにはびっくりした。いったいなにがそんなに可笑しいのか。
 「悪ぃ……や、だってお前がらしくもなく神妙なツラしてっからさ……」
 落ち込んでいるところへもってきて、自分が抱えているこの悩みの深さなんて誰にもわかってもらえないんだと遣る瀬無くなってきていた人間に対してらしくないとはあまりにも酷い言葉だ。
 それも目の前に居る人間にむかってそんなはっきりと言うなんて無神経なのにも程がある。
 恨み節たっぷりに酷いですと唸ると、だけど宍戸は笑いを延長させ、くっくといつまでも肩を揺らし続けた。
 「いい加減そうやって笑うのやめてください。いくら俺でも傷つきます、そんなことされたら」
 「悪ぃ……や、悪かった……」
 「そういう風に口先だけで謝られても気分悪くなるだけっすよ」
 「ごめん……つーか、べつにお前をバカにして笑ったんじゃねえから……」
 「そう言われても、ばかにされた気分ですよ俺は」
 「や、だからごめん。あれだよ。なんつーの、ふとお前が可愛く見えちまってそれでつい笑っちまったんだよ。言い方が悪かったよ。ごめん」
 鳳は先とはまた違った気持ちでびっくりした。
 宍戸の口は今可愛いとかなんとか、そういう言葉を発しなかったか?
 可愛い、と反芻しながら、不快そうに鳳の顔が歪んでいく。
 誰が? 自分が? どこをどう見たらそんな言葉が出てくるのか。
 「長太郎? どうしたんだよ、なんでそんな難しい顔してんだよ。なんか額にすげえ皺が刻まれてっけど、大丈夫か?」
 「だ、大丈夫なんかじゃないですよ……! 宍戸さんが気味悪くなるようなこと言うから……見てくださいよホラっ! こんなに鳥肌が立ってきちゃったじゃないですか……っ!」
 「うわっ! ばかっ! そんなもん近付けて見せんなよ! こっちまでっ……って見ろ! オレまで鳥肌ってきちまったじゃねえか!」
 「なに逃げてんですか! 発端は宍戸さんの言葉なんですからね! あんたもう最低ですよ! 笑ったりおかしなこと口走ったり!」
 ベンチの上にしゃがみ込む宍戸と袖を捲くった腕を突き出してにじり寄る鳳。きっと誰が見ても奇異に思うだろう。だがある意味箍の外れた状態に近い鳳には、周囲の目が注がれようが痛くも痒くもないのだろう。その証拠に……日吉には及ばないものの一応は礼儀を重んじ目上の者への尊敬も素直に示すことの出来る鳳が、宍戸をあんた呼ばわりしているのだ。冷静さを失っていなくては取れない暴挙であろう。
 宍戸の先に放った言葉は、鳳に理性を失わせるほどそれほどに衝撃的なものであったらしい。
 「うわぁ! 長太郎ばかっ! 寄るな! 見せるな! ひぃぃ!」
 「なに言ってんですか! あんたのせいでこうなったんじゃないか! ほら! 見てくださいよこれ!」
 だが、そんな二人が起こす騒動もピリオドが打たれる瞬間がやってきた。
 「鳳」
 誰あろう。日吉が二人の背後に立ち、声を掛けたからである。
 突然日吉が現れたことに鳳はびっくりして固まり、その固まった鳳の反応に宍戸もびくっとなった。
 「……よ……よぉ、日吉……」
 見下したような、否、彼にしたら素であるらしいきつく、睨みつけるような眼差しが宍戸と鳳、両名をじいっと捉えている。
 彼の目が、宍戸にはどうにも苦手だった。
 日吉と言う人間をトータルで見た場合には可愛い後輩だし、感情も好きと認識している。
 だが、目だけはどうしても苦手なのだ。
 「ほらっ! 長太郎! 呼ばれたぞ! なにぼけっとしてんだよ!」
 だからつい、鳳に救いを求めてしまった。
 咄嗟にと言うような感じで足で腰の付近を蹴って、固まっていた鳳にバトンを渡したのだった。
 鳳はあたふたと立ち上がって日吉の前で直立不動の姿勢を取ると、
 「……えっと、なに……?」
 おどおどした眼差しを向け、緊張したようなツラでお伺いを立てた。
 だせぇ……。その様子に思わず宍戸は心の中で呆れてしまった。
 まるで叱られる子供の姿とかわらない。
 なにをああもびくびくしてしまうのか。普段は押せ押せで日吉を引っ張っているくせになぜでだしはいつもああやって畏まったような態度を取るんだろうかと、いっそ最初から最後まで強引に強気で通せばいいものをそれが出来ないらしい彼の性質には宍戸も首が傾いてきて仕方がない。
 「あ、あの……日吉……?」
 「部長から伝言だ」
 「え?」
 「暇そうだからコートに入れって」
 「えぇ?」
 「忍足先輩が相手をしてくれるらしい。十分後に第二コートだそうだ。伝えたからな」
 さすが日吉だ。無駄がない。
 無駄話もしないで用事が済めばあっさりと背を向け立ち去ってってしまう。
 一方、哀れと言うか可哀想なのは鳳だ。
 短い会話にと言うかあっさりした態度にしょぼくれている。
 「……お前マジでだっせぇぞ……」
 慰めてやりたいけどとりあえず本当のことだから伝えておこうと思った。
 すると案の定、泣きそうなツラが振り返って肩もしょぼんと沈んだ。
 「……つーかさ、お前ら一応お付き合いってやつをしてんだろ? なのになんでお前いつまでもその萎縮グセ直んないんだよ……へたれもそこまでいくと悲しいモンが漂ってくんぜ?」
 「性分なんです……直せって言われてもそう簡単には性格は直せないです……」
 先までの勢いはどこへやら。日吉の登場ですっかりと元気が削がれてしまっている。
 ベンチに座ったはいいが、俯いたままラケットを握るその姿はしょぼくれた大型犬に見えなくもなく。
 「……すっかりとメロメロなんだな」
 可愛がってやりたいような思いが沸き、思わずくしゃりと髪を撫でてやった。もしも犬だったらその首に抱きついてよしよしと背中も撫でてやっただろう。
 だが鳳は突然のその出来事に肝を抜かれた。そりゃそうだ。
 日吉は除外するとして、それ以外の人間にいきなり頭を撫でられるなんてのは初めての体験だ。
 しかもそれだけでなく、メロメロとかなんとか死語らしきものまでいただいたのだから。
 「……し、宍戸さん……?」
 「うん?」
 「えっと……」
 「うん」
 「……なにをやってんですか……?」
 「撫でてる」
 「……なんで?」
 「愛しかったから」
 「は?」
 「あれ? 不服?」
 「いま、ぞくっときました……」
 「もしかして心震えちゃったとか?」
 「ち、ちがいますって!」
 「ばか。からかっただけだ」
 「……勘弁してください……」
 「お前ってホント、日吉が大好きなのな。マジでメロメロしてっし」
 「メロメロって……」
 「あ? 不服そうだな」
 「もっとほかに適した言い方があると思うんですけど……」
 「ああ、振り回されてるなって言われたいわけか」
 「わけもなにも。実際振り回されてるじゃないですか。見ててわかりません?」
 「そりゃお前の性分が原因なんじゃねえの? オレから見たら勝手にお前があたふたしてるようにしか見えねんだけど」
 「そ、そうかもしれませんけど……」
 「長太郎」
 それまで撫でていた……と言うか遊んでいたのだろう手がぴたりと止まって、不意に呼ばれたその声はそれまでと違って真面目っぽいものだった。
 その声に鳳が顔を上げると、
 「人を想う気持ちのすれ違いは、時計の針みたいなものなんだってよ」
 「は?」
 「だから、長い針と短い針の動きだよ。重なる瞬間もあるのにあとは離れてばっかだろ。それにあれは抜いたり抜かれたりして、それがまるで自分は追いかけてるつもりでも実際は追われてたりしてるもんなんだって。見方は千差万別。相手のことが見えてないのと一緒なんだってよ」
 「……それ、誰が言ったんです? なんか論理的なようでいて空想的でもありますね」
 「誰か有名な人が言ったかどうかは知らねえけど、クラスの女子が前にそんなこと言ってんの聞いたことあんだよ。でも言い得て妙だろ。ヘンに納得しちまう気起きてこねえか?」
 「……そう……言われればなんとなくそんな気もしてきますけど……」
 騙されているような気も残る気がして、素直に鳳は頷けない。
 想像するだけなら容易いが、どこかまだピンと来ないのだ。
 「なんだお前って案外鈍いんだな。お前だけでなくて日吉もちゃんとお前のことを想ってるって話をしてんだよ」
 「え、……」
 そういう話だったんですか、と鳳は初めて知ってどっきりだ。
 だが一体あの話のどこに日吉のことが触れてあっただろうか。覚えている限りでは皆無だと思うのだが……。えー? とやがて首が傾いでくる鳳に、またもやと言うか、今度は意味ありっぽく宍戸が笑い出した。
 「あー……これから話すことは日吉には内緒な?」
 「え? あ、はい……」
 「あいつさ、たまーにオレのことすげえ怖い目で睨むんだよ。お前、それ気付いてたか?」
 「え? 日吉が宍戸さんをですか? いえ、知りません。いつそんなことあったんです?」
 「だからたまにあるって言ってるだろ」
 「たまにって……何度かあるって言ってるんですか?」
 「そ」
 「ちょっと想像出来ないんですけど……そもそも理由自体思い浮かびません」
 「うん。大体があいつが居るのってお前の向こう側だから。それに多分あいつ自身も気付いてないと思う。知らずのうちに……こう、目角がぐぐっと立ってくんじゃねえの?」
 指を使って目尻を上げる真似をする宍戸に、それでも鳳は首を傾げた。やっぱり想像が出来ないのだ。あの日吉が先輩に対してそんな真似をするだろうか。自分を相手にならしょっちゅう怒るし睨んでくるし口の聞き方が悪くなるときもあるが、ほかの人間にそういう態度をとっているとこなど見たことがない。
 ないからこそむしろ自分だけは特別などだと自惚れていたのだが。
 「……なんか俺が知らない日吉の姿を先輩が知ってるなんて、いますっごく面白くない気分ですよ」
 「は?」
 「だってそうじゃないですか。ずるいですよ。いえ、羨ましいです!」
 「……」
 恨めしい気持ちで愚痴ると、呆れたような目で見つめられたが鳳はかまわずに続けた。
 だって日吉と付き合っているのは自分なのだ。
 どんな些細なことでも知りたいと思うのに、なんで他人に自分の知らない恋人の姿を語られて黙っていられるだろう。無理だ。むしろ知っていることは全部ここで吐かせてしまわなければあとで絶対後悔することになるだろう。
 「宍戸さん!」
 コートで対戦する相手はあなたです! 鳳は布告するや手を取った。そして跡部が待っているだろうコートへと、無理矢理に引き摺って向かう。
 「な、なに言ってんだお前っ……! 長太郎! おいこらっ!」
 「ダメです。あんな話聞いたらあんたを野放しになんかさせておけない。俺がコート入ってるときに日吉に近づかれるなんてことになったら困ります。だから相手してもらいます」
 「野放っ……! オレは野良犬かなんかかっ!」
 野良犬?
 そうかもしれない。
 勝手にウロウロされるのは目障りだし、あと色々と心配だし目の届かないとこに行かれるのも困る。
 「ついでにあとでじっくり話をしましょう。あんた、色々と知ってそうだ。その色々をぜひ、俺に聞かせてくださいね」
 暴れる宍戸をがっちりホールドしながら、しっかり脅しながらそれでも鳳は笑んだ。
 目が笑ってねえよ、と憮然とした表情で宍戸はがなるが、そんなのは当然だ。
 まさか部活中に他の部員の目もあるこんな場所で堂々と先輩に対して凄めるわけがない。襟首掴み上げて『さぁ吐いてください』と言ってやりたいのを抑え、この場は礼儀を守るためだけに顔に笑みを乗せただけなのだから。つまりは作り笑い。眼差しがきついのなんてそんなのは当たり前の話だ。
 「待て待て! お前なんか誤解してんぞ! と、とりあえず落ち着け! な!」
 落ち着け? 
 それは無理。
 だって俺、心狭いし。日吉が関わるとそんな悠長なこと言ってられなくなるし。
 暴れる宍戸に腹のなかでそう返して、はたと鳳は思い出し今度は本心から笑った。

 

 ああ、なるほど。
 これが『恋の病』と言うヤツか。

 

 

 


END
(04.10.02)


 

宍戸先輩はなんだかんだと後輩たちが大好き。否、世話焼きマン。

きっとじれったいんだよあの二人が。つーか、見ててこそばゆくなってくんだと思う。巷に溢れているバカップル以上にあつあつなんだと思うチョタピヨって。いちゃいちゃしてるわけじゃないんだけど、醸し出す空気がド・ピンクなんだと思うあの二人の周りは。

チョタは日吉が絡むと人がかわるよ。先輩もかまわず『あんた』呼ばわりします。や、宍戸はきっと危険人物と認定されたんだよ。だからだよ。

でも打ち合ってヤられてしまうといい。

そこまで世の中チョタに甘くはない。

で、若にやれやれと溜息つかれるんだけど最後は甘やかしてもらって復活するんだよ。

やー、ラブラブだわさ。

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