「日吉」  「鳳……」  「あ、もうゴミは捨て終わったの? まだだったら付き合うけど」  「なんでお前こんなとこまで来てんだよ。お前の班は来賓室を掃除するんだろ。一人だけこんなとこまで来てさぼってんなよ」  「さぼったんじゃないって。部屋が使用されてて今日は掃除しなくていいって先生が言ってくれたんだよ。それでさっき教室戻ったら日吉んとこはまだ誰も戻ってなかったから聞いたらゴミ捨てに行ったって言うからさ……で、そのゴミは捨て終わったの?」  「ああ。で? わざわざ俺を探しに来た本当の理由は?」  「はは」  「誤魔化してねえでさっさと吐け」  「まあまあ。それは戻りながら、ね。あ、一緒に持つよ」  「……」  鳳の機嫌の良さそうな調子に、日吉は即座に警戒する。それは第六感みたいなものだがこれが意外と良く当たるのだ。  「はは、やだな。そんな身構えないでよ。実はさ、今日すごい雨じゃん? 朝から降ってるのに全然止まないし止みそうな気配もないしさ。でね、部活もないわけだし相合傘して帰りたいなーって思ってるんだけどダメかな」  「お前、……話が全然繋がってないぞ。雨で部活がなくなったのはわかる。止みそうにないのはまあ俺もそう思うし……だけどどうしてそこで相合傘をしたいってことになるんだ?」  「え、べつに深い意味なんてないよ。しいて言うなら雨つながりってことでまとめてみたってことかな?」  「……」  なんだそりゃ……日吉は呆れ、もはや突っ込むのも億劫になり黙してしまった。バカだバカだと前から思っていたがやはり鳳の考えることは理解に苦しむと日吉は思う。  「そういうわけなんで相合傘して帰ろうよ」  「さっきは『ダメかな?』とお伺いを立てていなかったか? それが急にどうして帰ろうよと誘われなくてはいけない?」  「そりゃあ俺がどうしても相合傘して帰りたいからだよ。実は俺今日さ、大き目のカサ持って来てるんだよね。並んで歩いても肩が濡れる心配はないからさ、ね?」  「……」  どうしてこいつの頭はこう下らないことばかり考え付く回路を持ってしまったんだろうと、日吉はもうすっかりと呆れるばかりだ。  「ねぇ〜日吉……」  「気色の悪い声を出すな。ひとつ聞きたいことがあるんだがお前のカサに入った場合俺が持ってきているカサはどうなるんだ?」  「勿論俺が持つよ。だから、ね?」  ついには痺れを切らしたか、お願いと、鳳にあいている方の手を使って強硬な態度でもって頼み込まれてしまう。そんな鳳に日吉も、お願いにも聞けるものとそうでないものがあることをわかって欲しいと思う。  「……」  「ねえねえ〜日吉〜……ね? ね? ね?」  俺が承諾するまでこうやってずっとうるさくお願いされるんだろうなぁ〜……と考えている日吉に再び痺れを切らしたのか……突然鳳がゴミ箱を揺らし始めた。鳳はなんとしても日吉から了承を取り付ける気だったのだろう、日吉がやめろと注意を与えてやめさせるまで駄々っ子のようなその行為は続いた。  「……ったく、わかったよ……」  じっと顔を見るその行為は、無言の圧力だと思った。日吉だってこんなくだらないことをいつまでも言い合うなんてイヤだ。だから不満も残るが、言い出したらきかない性格なのを慮り、この問題にケリをつける為に日吉が手段として選択したのは、自分の方が折れてやると言う、鳳を喜ばすことになるだろう道だった。  「やったぁ! じゃあ昇降口で待っててね。俺ちょっと呼ばれてて職員室寄ってかなきゃいけないからさ」  「……わかった」
    そして放課後。    「じゃ行こうか」  「ちょっと待て。ここからなんて俺はいやだぞ。せめて正門を出てからにしてくれ」  「なに言ってんの。差してたカサをわざわざたたんで俺の方のカサに入るとこ見られたらそれこそもっとヘンに思われるよ? なんでどうして昨日こんな光景を見ちゃったんだけどいったい日吉どうしたんだよってきっと明日色んな人から突付かれちゃうかもよ? そういう話は回るのも早いと思うだよね。先輩たちの耳に入るのだって早いと思うよ? そしたら黙ってない人たちばかりだからわざわざ教室までやってくるかもしれないし。そういうことになっちゃってもいいの?」  「………………」  まぁよく動く口だと苦々しく見つめていたが、言われた内容には悲しいかな、日吉にも思い当たることが色々とあって反論できなかった。  「どう? イヤだろ? だったら……ほら帰ろう?」  カサを開いて促す鳳のその顔は、蟠りのある日吉とは違い、とても嬉しそうだ。  憎たらしいと思った。  「……」  「なにやってんのさ。ほら早く」  「…………」  「日吉、来いって」  「………………」  「日吉」  「……何度も呼ぶな。聞こえてる。ったくうるせぇ……」  日吉は……溜息を零しつつも隣に並んだが……早足になるのはこれはもう仕方がないことである。  「ねえ日吉なんで今日に限ってそんな早足なんだよ」  「長く見世物になってやるつもりはない! ぐたぐた言うんだったら出ていくぞ」  「ごめんなさい。俺が日吉の速度に合わせます。文句なんか言いません」  「ちっ」  「へへ、でも、なんかすごい嬉しいや」  「…………」  素直に喜びを表現してくる鳳に、日吉の方が恥かしくなった。  そんなこと言ってて照れくさくならないのだろうか。そういうことがすらすら言えちまうなんて信じられねえと、男のくせにでれでれっとした面を見せる鳳を見ていると、自分には真似が出来ないと思うせいもあってか、自分勝手に振舞っているようにしか見えないし、そのせいでイラついてもくる。  ああ! もうクソッ!   イライラ感が募りついに、日吉は、腹の中で口荒く吐き出した。  いつまでそうやってニヤけてるつもりでいるんだこのバカは……! ここは通学路なんだぞ? 氷帝の生徒が通るんだぞ!? 誰かに見られる前にそのバカ面はやめてくれっての!   ……バカトリ、バカトリ、バカトリ、大バカトリめっ……!  そしてそう言う自分もまた同じくして愚か者である。まんまと鳳のさきほどのセリフに耳をくすぐられてしまって面と向かってそれを言ってやれないのだから。  しかも文句を垂れているあいだじゅうこそばゆい思いが消えなくて、ずっと自分は背中がむずむずしていたのだ。こんな格好を見せてしまって自分は滑稽である。結局こうやって自分は鳳に振り回されてしまうのだ。  それでもなんとか平静さを装って日吉たちは敷地内を抜け、生徒の数がぐんと減った通りも無事抜け切って住宅街に入るとようやく日吉の方でもちらちらとではあったが周りを見られるような余裕が出てきた。  「あ。ちょっと日吉。そっちの肩が濡れてるじゃん」  「え……? ああ……これくらいかまわない」  「なに言ってんの。俺がかまうんだって。ほらもっとこっち寄って」  「……」  怪しい、咄嗟に日吉はそう言いたげな目でもって鳳の顔を見つめる。  まさか肩なんか抱こうと考えているのではないか。日吉はそういう風に疑っている。  「やだなぁ、安心してよ。ほら、よく見て? こっちの手はカサを持ってて使えないし何も出来ないって」  「……」  言われてみればそれもそうである。いくら鳳でもカサを持つその手でそんな不埒な真似が出来るわけがない。  「安心した? なら、もっと寄って?」  「ぁ……」  肩がぶつかった。ぱっと、反射的に鳳のことを見上げてしまう。  「え? なになに? 俺の顔になんかついてる?」  「いや、……」  日吉はこそばゆい思いで視線を外した。どうやら神経質になっているのは自分一人だけらしい……。  「なんでもない……」  「日吉、無理を言ったのに付き合ってくれてありがとうね」  「な、なんだよ急に……」  「いや、ほら、そろそろ別れなきゃいけない道に来たからさ、……」  鳳は今歩いている道をそのまままだ真っ直ぐと進み、一方日吉は右手に折れて自宅へと向かう。あと五歩ほど歩けば到達するその角の家の前で別れるのが二人の常だった。  「ああ、もうそんなとこまで来てたのか、……」  「気付いてなかったの?」  「……ちょっと……ぼぉっとしてた……」  「……なんなら今日は家まで送っていこうか?」  「いい。こんな雨が降っているんだ、まっすぐ帰れ」  「残念。はいこれ。日吉のカサ」  「ああ。それじゃお前も気をつけて帰れよ」  「ん。あ。ちょっと待って日吉」  「なっ……っ……」  それはわずか数秒の出来事ではあった。それでも確かに日吉は鳳にキスをされていた。  「……」  びっくりしていて言葉を出せない躯にかわって、公道でなんてことしてくれんだと、笑顔を作る鳳に見据えた目が恨めしそうに詰め寄る。  「大丈夫だって。この雨で人も出ていないし用心して一応このカサでガードもしていたから誰の目にも触れていないよ」  「……くそっ……うっかり気を抜いたばっかりに……」  「まぁまぁ、そんなむくれんなよ。キスなんて何回もしてるじゃんよ。それに舌入れたわけじゃないんだし。さっきのなんて全然軽いもんだったろ? お願いを聞き入れてここまで付き合ってくれたお礼だよ」  「……無理を言ったのに付き合ってくれてありがとと言ったその口でそういうことを言うんじゃねえよ。殊勝な態度取るから一瞬くらっときたと言うのに……くそっむかつくっ……」  「はは」  「笑う場面じゃねえだろがっ」  「だって日吉真っ赤なんだもん。可愛いなぁ。カサ持ってなかったら抱き締めてるよきっと」  「もう二度相合傘なんてしねえ!」  持っていたカサを雨の中でばっと開いて、逃げるようにして鳳のカサの中から抜け出す。躯が火照り出し、落ち着きを失っていくのが自分でもわかる。近い距離に居たくない、そう思った。  「でも俺がカサ忘れたときには入れてくれるよね? 見て見ぬ振りなんてしないよね? カサは今日みたいにまた俺がちゃんと持ってあげるから!」  「知るか!」  鳳は、照れも恥じらいもしなかったが言われた日吉は恥かしくてこそばゆかった。足早に歩いてその場から逃げ出そうとしたが為に、ばしゃばしゃと雨が跳ね上がって裾をドロが汚していた。だが今日ばかりは汚れることも構わなかった。ズボンの替えならある。予備があったことも彼を大胆にさせた。  「バイバイ!! 日吉!」  「カサを忘れたとしても入れてなんかやるもんか! お前なんか濡れネズミになって帰れ!」    「…………畜生……!」  唇にいつまでも鳳の温もりが残っているような気がして、日吉は幾度となく唇を舐めては拭い、雨の中、温もりを消し取ろうと長いことカサの下で躍起になっていた。  だがそうやってムキになったせいで唇の皮が剥けてしまい、今度は違う理由で唇を舐めることになり、むしろ唇に触れる機会を増やしてしまった。  日吉は、ぴりっと走る痛みに小さく毒づく。  「……くそっ……!」  唇に触れるたびに思い出してしまうのだから堪ったものではない。  「……ムカツクんだよ! くそぉ……!」  自業自得とは言え踏んだり蹴ったりの日となった今日を招いたのはまちがいなく鳳であり、そんな鳳の口車にうまうまと乗ってしまったことは勿論忌々しい限りなのだが、あのとき断固として断っておけばよかったのだと、彼の中では悔いも大いに残る。  「……飛び出す前に一発くらい蹴っときゃよかった……!」  日吉は、痛むのもかまわずに唇を噛んだ。  これだけ人を不愉快にしておきながら帰り際にひどく満足そうな笑顔を見せ、そればかりか戯言まで残して能天気にも鳳は手を振ったのだ。どこまでも恨めしい男だと、そんな風に思うだけで日吉は自分の中で忌々しさが増すのを知った。
    
 
 
 
 
 
 
 
 
  END
   
   相合傘ねぇ、いいよね。荷物を持ってもらうよりも相手が差すカサに入れてもらえると泣けてくるくらい嬉しくなる。きっと日吉もそんなにイヤではなかったはず。  |