ルクソール
ルクソール神殿
roxor
ルクソール神殿
駐車場からの移動に使う華麗?な馬車
幅102m、奥行き52mの空間に
高さ32mの大円柱が134本が
そびえたつ大列柱室だ。
数百年にわたって何代ものフアラオ
によって受け継がれ豪華な神殿となって
いった。
夜には「音と光のナイトショー」が行われ
古代の神殿がライトアップされる光景は
実に幻想の世界だ。
BC1200年頃
BC1300年頃
ツタンカーメンの墓内部
棺までの通路と奥の棺
全ての墓に通路から奥まで壁画や古代文字が描か
れている
王家の谷への道
墓の入り口
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メムノンの巨像
西岸観光の最初に
出会う遺跡
1922年11/4、ハワードカーターが発見したこの墓は幸いにも盗掘にあっていなかった。
豪華な副葬品に反して墓そのものは質素であった事からツタンカーメン王は不慮の死によって急遽造られたとの見方だ。推定18歳だった。
金塗りの三重の棺の中に収められていた。
外側の棺は純金200kgをつかい最高の細工の施されたものだった。
そしてカーターが感動したのは少年王の后が形見としておいたと思われる干からびた一束の小花であったと言うロマンも語られている。
テーベの後ろに広がる小さな谷が 王家の谷である。当時は険しい岩場の中の渓谷だった。
トトメス一世(BC1500年頃)が従来の
慣習を破って葬祭殿と埋葬場所を分け財宝と共に埋葬されている場所を秘密にする事にした。
この谷の歴史は略奪と盗掘の歴史でもあった。グルナの住民はほとんどが王墓からの盗掘で生計を立て又、職業として何代も受け継がれていったと言う。
1881年にこの盗掘業の家系が発覚し長い尋問の末、ラムセス二世他の古代の偉大なフアラオの ミイラが発見されたそうだ。この話も実に遠大なものだ。
エチオピアの庭
ラムセス二世のオベリスクと巨像
アモンホテプ三世の中庭と柱頭
ラムセス二世のオリベスクは二本立っていたが右側のは
1833年にフランスが持ち去りパリのコンコルド広場に立て
られた。
ルクソール神殿から3km程の所
に有り、ここの中央部にある。
第一塔門までの両側には多数の
スフインクスが並び導いてくれる。
アモン神殿