晴れてくれた。今日は朝から、竜門(龍門りゅうもんLongmen)へ。ここには石窟があり、敦煌(とんこうDunhuang)の莫高窟(ばっこうくつ)・大同(だいどうDatong)の雲崗石窟(うんこうせっくつ)と並ぶ中国三大石窟の一つである。494年に北魏の都が、大同から洛陽に移され、雲崗窟の代わりに彫り続けられたものだ。
ホテルからバスで、旧城内と新市街の境となっている西関(Xiguan)へ行き、そこから快速バスで、竜門まで。走るバスの窓の外には、のどかな田園風景が広がっていたが、竜門石窟は中国有数の観光地らしく、かなりの人でごった返していた。ほとんどが中国人。道の両側には、食べ物やみやげ物の屋台が店を広げている。この人々は、個人で営業しているのだろうか。みんな同じようなものばかりを売っている。
石窟はすばらしい。17mもあるという大きな廬舎那仏(るしゃなぶつ)は、どうやって彫ったのか想像できない。とにかく、歩道の脇やら、それぞれの洞窟の壁や天井など、あらゆるところに大小無数の石仏が彫ってある。「これでもかっ」ていうほど彫ってある。北魏の王様の、仏教への傾倒ぶりがうかがえる。
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フランス人のツーリストが10人ほどの団体で来ていた。ガイドの話を熱心に聴いていた。私たちは、一通り観て周ってから、外人接待用の休息所で、絵葉書を買った。いすに座って休憩していると、服務員の上司が現れ、先ほど絵葉書を売ってもらった服務員に、なにやら注意している。注意された服務員が私たちのところへやって来て、入場券を見せろという。券が外国人用のものでなかったので、申し訳なさそうにだが、出て行ってくれと言われた。
列車でもそうだが、中国の観光地の入場料は、外国人価格というのが存在して、券も特別なのだ。できるだけ外国人にお金を落としていってもらうための、外貨獲得作戦の一環だ。私たちは、外国人券ではなく、普通の券を購入していたので、追い出されたわけだ。もちろん普通の券(5角≒20円)の方がはるかに安い。購入するのは簡単だ。両个(liangge2つ)と言うだけ。
バスで西関まで戻り、そこから白馬寺へ向かう。中国で最初(68年)にできた仏教寺院だそうだ。広いというのを除けば、外見は京都や奈良などにある寺院と、大差はないように思う。何かの植物の種子なのだと思うが、白い綿のようなものが、たくさん舞い続けていた。
「中国は座るところが少なくて疲れる」とY君が言った。同感。地面に座ればいいのだが、服が汚れると困る。なるべくクリーニングには出したくないし、自分で洗うのも、できるだけ回数を減らしたい。
大きな黒塗りの車が入り口に止まり、どこかの国の偉いさんが、たくさんの護衛に囲まれながら、庫裏(くり)のようなところへ入っていった。こんなことがあると、もう大変だ。大きな人垣ができ、背伸びをしたり、もぐってみたり。どこでも同じだ。
門前の脇にあるレストランは、結構いけた。3元5角(約140円)くらい。ちなみに、少林寺もここから近い。
バスで洛陽賓館へ戻る。中国のホテルでは普通、部屋にお湯の入った魔法瓶とお茶の葉が数包み、ふた付きの縦長茶碗が用意されている。急須(きゅうす)や薬缶(やかん)といったものはない。ホテルごと、または日によって、お茶の種類が替えられる。ここでは、何かの花の香りのするお茶が用意されていた。お茶を飲むのもずいぶん慣れてきた。お茶の葉を茶碗に入れて、湯を入れて飲むのだが、初めのうちは、お茶の葉が口の中に入ってくる。手で口の中から葉を取り出さなければならないので、リラックス・タイムなのにくつろげない。しかし、コツをつかんでしまえば、こっちのもの。よく、ふたでふさいで飲むとよい、とか言うけれど、それでも出てくる。慌てずにじっと待っていると、葉が底に沈んでいく。そうすると、ふたは使わずとも難なく飲める。
明日は朝から、火車で西安(Xi'an)まで行く予定。座る席はないと思うので、少々不安。8時間辛抱できるか。今日はゆっくり休んでおこう。ホテルは朝8時に追い出される。
春夜洛城聞笛 Chun ye luo cheng wen di 李白 Li Bai | |
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誰家玉笛暗飛聲 | Shui jia yu di an fei sheng. |
散入春風満洛城 | San ru chun feng man luo cheng. |
此夜曲中聞折柳 | Ci ye qu zhong wen zhe liu. |
何人不起故園情 | He ren bu qi gu yuan qing. |
洛陽郊外の白馬寺で、舞っていた白い綿の正体がわかった。柳の花だった。白馬の毛などではなかった。柳絮(りゅうじょ)というのだそうだ。枝の垂れ下がらない柳の種子で、春から夏へと季節が移り変わるときに、飛ぶのだそうだ。
白馬寺の由来は、後漢の時代に、皇帝の命を受けた僧侶たちが、西域へ向かう途中、天竺(インド)から来た僧と出会い、経典を白馬に載せて持ち帰ったからだそうだ。唐代初期には、千人以上の僧侶が修行していたらしい。
柳花詞 Liuhuaci 二首 | 其一 | 劉 禹錫 Liu Yuxi |
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開従緑条上 | Kai cong lu tiao shang. | |
散逐香風遠 | San zhu xiang feng yuan. | |
故取花落時 | Gu qu hua lao shi. | |
悠揚占春晩 | You yang zhan chun wan. |
柳花詞 Liuhuaci 二首 | 其二 | 劉 禹錫 Liu Yuxi |
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軽飛不仮風 | Qing fei bu jia feng. | |
軽落不委地 | Qing lao bu wei di. | |
繚乱舞晴空 | Liao luan wu qing kong. | |
発人無限思 | Fa ren wu xian si. |
今日は西安までの移動だ。洛陽賓館を朝7時過ぎに出発。洛陽東站へ行く。洛陽に到着した日に、洛陽站まで出かけ、西安行きの硬座切符を買っておいた(こづかい帳の日付ではそうなっている。1人分16元1角:約645円)。洛陽站からの切符なので、本来は洛陽站まで行くべきなのだが、南京から乗った列車の切符は洛陽站までのもので、洛陽東站で途中下車したことになっている。簽字(qianzi)という乗り換え手続きをしてもらえば、東站から乗れるはずだ。何しろホテルからは、こちらのほうがはるかに近いから。
簽字は、洛陽東站の無愛想なおばさんに断られた。仕方がないので、バスで洛陽站まで。ここの待合室は、屋根のない駅前広場である。列に並んでいると、突然小さい子供が、大道芸のようなものをやりだした。何事かと思うと、お金をほしがっている。5・6人はいた。次から次へとせびりに来る。共産主義国家にこのような事態があっていいのだろうか。
洛陽火車站 |
列車は定刻を少し過ぎて到着。硬座で始発駅ではないので、席はない。車両の中のほうも込んでいる。連結部のところにバッグを置き、その上に座り込む。1時間もしないうちに次の駅に到着。ドドッと入ってきた人たちに、私たちのいた場所が占領され、次の駅までは立っていた。次の駅からは、またバッグの上に座れたり、座れなかったり。これの繰り返しで、8時間。思ったよりも我慢できた。窓の外には黄土高原が広がっていた。
移動中の食事は、前もって買っておいたパンとジュースが多かった。でも、このパンというのが、どうもいけない。カステラのあまり味のしないやつ、といったらわかってもらえるか。日本のように、いろんなパンは売っていないのだ。
列車の中でも、中国人は落ち着きがない。入れ替わり立ち替わり、コップや茶碗を手に手にもって、お湯をもらいに行き交う。ひまわりの種は、吐き出す。たんを飛ばす。卵の殻はその場に捨てる。このあたりは道徳観念の違いで説明がつくが、ご婦人が平気でするのは、見たくない。ひどいのになると、子供に列車内でおしっこをさせて平気でいる。もちろん、今はこんなことはしてないと思うが・・・。
定刻を20分弱遅れて(午後5時半過ぎ)、列車は西安站に着いた。かなり立派な駅で、どうかすると、上海北站より大きいんじゃないかと思った。駅を出ると、何かの紙が入っている定期券入れのようなものを示して、話し掛けてくる人がたくさんいる。いちいち取り合っていなかったので、何だかわからなかった。
西安の空は、どんよりと曇り、舞っている黄砂が目に入った。風も強い。今まで訪れた町は、あふれんばかりの人々が、思い思いに行動しているという印象を受けたが、ここ西安では何か異質のものを感じる。風をのぞいて、人々も時もゆったりと動いている感がある。3000年の歴史を誇る王都、シルクロードの起発点という先入観があるからだろうか。
西安車站は、西安城内から南北にのびる解放路が、北の城外に出たところにある。その解放路をバスで3区間南に、バスを降りて、西へ少し歩いたところに、宿泊先の人民大厦(renmindaxia)がある。受付はプレハブの工事現場の事務所のようなところ。どうも正式な受付は建設中のようだ。このホテルは、建物がいくつかに分かれている。西側の大きな建物に行ったが、私たちの部屋は東側の建物にあった。2日分で85元(約3400円)のツイン。充分です。夕食は同じ建物内のレストランへ。1人11元2角(約450円)。お任せコースだったと思う。ここは結構いけた。
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