ゆっくり寝ていたので、9時になってしまった。服務員が入ってきて、部屋の掃除をし始めた。ベッドメイキングも手馴れた手つきで、サッとやっていた。西安火車站を下見に、徒歩で出かけた。宿泊ホテルの人民大厦前の西新街を東に、すぐに解放路に出る。この解放路をずっと北に行く(1.2kmほど)と、突き当たりに駅がある。駅の手前に、美味しいと評判の解放路餃子館がある。食べていこうと中をのぞくと、満席だ。後から来ることにして、西安站へ。
着いた日にも書いたが、ここは本当に立派だ。エスカレーターまであるんだが、時々しか動いていない。エネルギーの節約か。母子候車室(待合室)という部屋があり、その英語の表札が“Mother waith Children”となっていた。おせっかいだが、「waithはwithでしょう」と紙に書いて、意見箱に入れてきた。
餃子館の前まで戻ると、先ほどより人が増えている。何と、道に行列をつくって待っている。白人も並んでいる。さっき並んでおけば良かった。パスして明日来ることにした。
公共バスで南門へ。陝西省博物館(Shanxisheng bowuguan)へ行こうとしたが、地図がいいかげんで(地図の見方がいいかげんだったという説もある)、違う方向に行ってしまった。屋台で肉まんを一個買って食べた。ちょっと小さめだが、1角(約4円)である。安い。なかなかいけた。肉まんは包子(baoz)という。
なおも歩いていると、うどん屋のおじさんが、刀削面(daoxiaomian)というのを食べていけと、しきりに勧めるので、食べることにした。汁はほとんどないのだが、その分濃い豆板醤風のタレがかかっている。これも好吃(haochi 美味しかった)。米のスープ付きで、3角(約12円)。ほんとに、このあたりだけで食事をしていると安く上がる。
先に食べていた兄ちゃんと話していると、違う人もやってきて、筆談となった。写真をとって、その写真を送るついでに文通をすることになった。歌舞団のヴァイオリン弾きだということだ。
またまた、對不起(Duibuqi. ごめんなさい)なのだが、とった写真のフィルムの一部が、空港の手荷物検査のX線でやられてしまい、ヴァイオリン弾きに送ってやることができなかった。
陝西省博物館は、長い歴史に培われた中国の偉大さがうかがえた。碑林というのが同じ場所にある。膨大な量の漢字が、石碑に刻み込まれていて、その石碑が林のように立っているところだ。全6室の漢字の林。漢の時代から隋・唐・宋などの時代の有名な書が刻まれていて、千以上の石があるそうだ。美しい字なのだが、いささか見あきた。屋外にまで、雨ざらしの石が置かれていた。あっ、そう、九州の志賀島で出土した「漢委奴国王」の金印の複製品があり、驚いた。歴史の教科書に出ているやつ。
南門近くの上り口から、城壁に上がってみた。上は平らで、ビルの屋上のようだ。幅は、私の出身小学校の屋上より広い。長さは、ズーッと続いている。西安市の中心部を、南北2.2km,東西3.5kmの長方形に囲っているのだ。全長11.4kmだ(勝手に地図で測っただけで、公式のものではない)。清の時代の城壁のようだが、唐の時代の長安城は、南北8.5km,東西9.5kmほどもあったそうだ。
ホテルに戻り、CITS(中国国際旅行社)に行くと、火車(列車)の切符がとれなかったという。本当なのか。何てことだ。ダメならダメで、もっと早く言って欲しい。そうしたら、こちらも何らかの手を打つことができる。安心して任せておいたのに。
仕方がないので、西門のさらに西にあるCAAC(中国民航)の予約センターへ向かう。もちろんバスで。予定が狂った分を調整するため、成都をパスして、昆明までの予約を取ろうとしたが、空きがないという。成都までのを買ったが、金曜日(4日後)の便である。合計で1週間ほど、予定より遅れることになる。
広大な中国に、時差がない?東部にあわせてあるのか、ここ西安では、午後9時を過ぎても、まだ明るい。
春 暁 Chun xiao 孟浩然 Meng Haoran | |
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春眠不覚暁 | Chun mian bu jue xiao. |
処処聞啼鳥 | Chu chu wen ti niao. |
夜来風雨声 | Ye lai feng yu sheng. |
花落知多少 | Hua lao zhi duo shao. |
大阪を出てから、今日でちょうど2週間。5月1日までは、ここ西安で過ごさなければならない。昨日買ったひまわりの種は、なかなかいける。カッパえびせんではないが、「やめられない とまらない」だ。しかし、ピーナッツなんかより、はるかにボリュームがないので、かえっておなかが空く感じ。手は黒くなるし、剥(む)くのも面倒だ。
昨日パスした餃子館へ。ここの餃子は、水餃子なのだが、注文する単位が「斤」などとなっているので、どれくらい頼めばいいのかわからない。2人で5角(約20円)分にしておいた。やや大きめのお皿1枚出てきた。やや少なかったか。1人で5角分くらいが適量か。中国人で、1人で2皿食べてるやつがいた。もちろん很好吃了(Hen haochi le. たいへんおいしかった)。
餃子館のすぐ近くに、解放飯店というホテルがある。火車站のすぐ前でもあるんだが、ここで明日の西遊の切符を買う。西遊は、西安市の西の郊外の観光名所をバスで周ってくれるツアーだ。私たちが泊まっている人民大厦でも、同じようなツアーの切符を買えるのだが、1.5倍から2倍するようなのだ。ただし高いだけあって、食事・ガイド付きのようだが。
公共汽車で動物園へ。動物園は市の東にある。金賜公という猿と、パンダ(熊猫)は、入園料とは別に料金を支払わされた。二重取りだ。パンダは1頭しかいなかった。「丹丹(dandan)」という名らしい。パンダの数も減ってきているようだ。動物園なんて、10年以上ごぶさただったので、ちゃんと1周りしてきた。やっぱり家族連れが多い。
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西安動物園の |
西安動物園の |
バス停に向かって歩いていくと、金花飯店という恐ろしく立派なホテルがあった。外面が総反射ガラスで、およそ中国に似つかわしくない。中をのぞいてみたら、ロビーを水が流れ、清涼感があふれている。奥は、レストランと喫茶室が一体となっている。女性の服務員は、チャイナドレス(旗袍 qipao)姿。旗袍姿でない人もスカートをはいている。かなり教育されているようで、応対が丁寧で洗練されている。私たちは、ロビーの椅子に座っているのにもかかわらず、注文をとりに来た。初めは中国語だったが、すぐにきれいな英語に変わった。Y君はビール、私はコーヒーを頼んだ。2人で9元5角(約380円)と日本よりは安いが、料金も一流。ボーイもコーヒーのおかわりを勧めてくるし、サービスも一流。このホテル内は、まさに別世界の感がある。こういう旅行の仕方もあるんだなー。
外に出ると、中国・アメリカ合衆国と、もう1つ知らない国旗が揚げられていた。たぶん外資系なのだろう。西洋系の宿泊客が、続々と大きな荷物を運び込んでいた。中国は現在、どんどん大きなホテルを建設中らしい。
半坡(Banpo)遺址へ。金花飯店の前の通りを東へ進むと、西安の東の郊外を南北に流れる川がある。その川を渡ったところに半坡村がある。その村の半坡博物館という敷地内に、その遺跡はある。中国には、新石器時代に仰韶(yangshao)文化というのが、あるのだそうだ。紀元前4000年〜2500年の話だそうだが、その村落跡が、例の体育館のようなもので覆ってあるのだ。出土した生活・生産用具の数は、1万点を超えており、いくつかの別の建物に陳列されている。ついでに原始社会史を、1通り学習できるようになっている。
半坡(Banpo)遺址 |
住居跡は、地面から30cmほど掘り下げてある半地下式の竪穴住居。5mくらいの直径をもつ円形で、柱を立てたと思われる穴が6つばかりあいている。墓地のようなものもあるようだ。幾何学模様(きかがくもよう)や人の顔や魚の描かれた土器も陳列されていた。この後、卵の殻のように薄い土器を焼く龍山(Longshan 竜山)文化につづくようだ。
今日は結構歩いたので、心地よい疲労感とともに、ホテルへ戻るバスを待っていた。柳並木の続く静かな田舎の道で。
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