朝、日が山にあたり始めた。とてもきれいだ。西側に開いた部屋の窓から、雪を頂(いただ)いた蒼山の峰々が輝いている。
朝日に輝く蒼山の峰々 |
朝食のため、カフェ・バーという名前の店へ。この店は、復興路沿いにある。全然カフェ・バーに見えないその店で、トーストを注文した。Y君は、ピザ。珍しいので分けてもらった。焼き方が違うようだが、まあまあいけると感じた。日本で食べたら、感想が違うと思うが・・・。インスタントのようだが、コーヒーもあった。ミルクを頼んだ。クリーミング・パウダーが、湯に溶かしてあった。
昼食は、Coca-Colaという看板のかかっている店で、3元(約120円)のステーキを注文した。生(なま)のキュウリに感動した。満足。
しばらく歩けば、南門から北門まで突き抜けてしまうほど、小さな大理城内に、驚くほど外国人がいる。村人も慣れているのか、まったく気にしていない。声をかけてくるのは、チェンジ・マネー目的か、物を売りつけようとする白族の娘くらいのものだ。
町全体から、資本主義の息遣(いきづか)いが聞こえてくる。小吃店(軽食屋)のおばあさんまでが、英語や日本語を学んだり、他の店に対抗心を燃やし、メニューを研究しているのだ。そのおかげで、外国人旅行者も居座りやすいのであろう。長期滞在者がたくさんいるという。もう1ヶ月もいるという大学生(東京六大学の1つ)もいて、私たちにも、それを勧めた。
旅行者に過しやすい街に変容することは、その街独自の文化を引っ込めるということになる。旅行者としては、喜んでいいのか、がっかりしなければいけないのか。漢民族の街で受けた、ぶっきらぼうな対応も、何か好ましく思えてきた。
自転車を借りて、
蒼山の峰々をバックに自転車にまたがる私 |
城外の耕地と蒼山の峰々 | 大理城内から見る蒼山 |
日本出発以来、「犬」という字を忘れていた。1頭も見かけなかったが、大理には、いる。襲っては来ないのだが、放し飼いはどうかと思う。それとも野良(のら)なのか。
大理の象徴ともいえる三塔寺(Santasi)へ。この寺は大理嵩聖寺というのが正式名なのだとか。大理城北門の近くにある。南詔国の晩期の9世紀に建てられたということだが、正確にはわかっていない。何度かの大地震で、三塔とも傾いている。真ん中の塔が一番高く70mあるそうだ。青緑の蒼山とその上に広がる濃い青空・白い雲を背景にして、クリーム色の塔が筍(竹の子)のように突き出ている。虫が地面から筍を見たら、こんな具合になるといったらいいか。変な例えになった。忘れてくれ。大理石を売るみやげ物屋が店を広げている。このあたりは、大理石がたくさん採れる。
蒼山を背にした三塔寺 | 三塔寺中央塔 |
昆明へ戻る長距離バス(遠郊汽車・長途汽車)の切符が、幸か不幸か、今日の夜のものしか手に入らなかった。そのおかげで、沙坪(Shaping)の白族バザールに行くことができた。このバザールは、週1回月曜日に開かれる。今日がその月曜日。
朝食をとってから、バスに乗り込んだ。大理は、南北に細長い
1時間ほどで沙坪に着いた。バスを降りるとすぐに、外国人目当ての露店が、5・6軒ほど店を広げている。布製品と金属製品の店である。この前を通過して、人々の流れに従って奥のほうへ。土ぼこりのたつ狭い道を、売り物や買った物・人などを乗せた耕運機が行き来する。道をふさいでしまい、歩きにくい。
バザー会場は、小高い丘一帯。丘の頂上付近、斜面、丘の下といった思い思いの場所に、さまざまな店がある。外国人とわかると、みやげ物屋が声をかけてくる。生きている豚や鶏なども取引されている。もちろん、屠殺された豚もぶら下がっている。丘の上に登ると、四方のあらゆる道から、続々と人が集まってくるのが見渡せた。みんな、手に背に、品物を抱えて丘に向かってくる。
沙坪バザーその1 | 沙坪バザーその2 |
緑の山と青い空、白い雲、それと同じくらいあでやかな白族の衣装。まるで色彩の勉強をしているようだった。
大理に戻るためにバスに乗る。沙坪と周城の間に、蝴蝶泉(Hudiequan)という泉がある。そこでは旧暦4月15日に、蝴蝶会という市が開かれるという。漢方薬が取引されるそうだ。そのころに、たくさんの蝶が泉に集まって来るらしい。
それには、言い伝えがあるらしい。その話は次のようなものらしい。
昔、北の川の上流の谷に、大蛇が住んでいた。これは人食い蛇で、村の人々を、さんざん苦しめていた。あるとき、二人の娘が大蛇につかまり、とらわれの身で、泣き暮らしていた。そのときに、ある男が現れ、大蛇を退治して、娘たちを救い出した。その二人の娘は、「お嫁さんにしてくれ」と男に頼んだが、断られてしまった。娘は二人とも、泉に身を投げて死んでしまった。それを知った男も、後を追って、泉に飛び込んだ。そして、三人は蝶になって泉から舞い上がり、飛び去って行った。それから毎年4月になると、たくさんの蝶が泉にやって来て舞うようになった。こうして、この泉は蝴蝶泉と呼ばれるようになった。
大理に帰ってから、風呂に入ることにした。ホテルには、風呂がない。一階にシャワー施設があるのだが、どうも使えないらしい。近くに、淋浴旅社という風呂屋があるので、そこへ行った。中に入ると、ムッとする汗の臭いが充満している。1人用の五右衛門風呂がいくつかあるだけで、1人1人、湯を入れ替えてもらって入るのだ。その風呂の中で、石鹸も使いゴシゴシ洗うようなのだ。湯は1回だけしか、入れてもらえないので、頭は洗わないことにした。さっぱりするどころか、かえって変な臭いが体についた気がする。
夕食を終えてから、昆明行きのバスに乗り込んだ。ここで知り合った長期滞在の大学生の兄ちゃんが、「おい、もう帰るのかよ」というようなビックリ顔で、見送ってくれた。
下関から、10人ほど乗り込んできた。このバスは、大理州汽車公司の車両で、行きの車より乗り心地が悪い。どうにか、ウトウトできた。真夜中12時過ぎに、南華(Nanhua)という所でバスが停まった。ここの食堂で、夜食の麺を食べた。この夜食代は、バス代に含まれていた。外に出ると、北極星の高度が低かった。北斗七星が大きくきれいに見えた。再び、バスに揺られて昆明へ。夜明け近くまでウトウト。
蝴蝶泉の伝説の話。最近では、次のようなものが定説になっているということだ。
泉の近くに、聡明で美しい娘がいた。その娘は、猟師の青年と恋人だった。美しさに目をつけた領主が、娘を無理やり連れて行ってしまった。青年は屋敷に忍び込んで、娘を救い出すが、領主の配下の者に追いつめられてしまう。逃げ場を失った二人は、泉に身を投げた。稲妻がとどろき、暴風雨となった。やがて、雨が上がると、泉の中から七色に輝く雌雄2匹の大きな蝶が舞い上がった。その後から、無数の小さな蝶が次々に飛び出してきた。その日が旧暦の4月15日。それ以来、毎年その日になると、無数の蝶々が飛んで来るそうだ。
Lonely Planet China's Southwest (Lonely Planet South-West China)
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