活動できる中国での最後の1日となった。みやげは、ほとんど買っていない。今日1日は、買い物に費やす。要領よく。
まず、貿易中心(センター)。次に、東方大厦(東方賓館の間違いか)、中国酒家とまわり、
上記のあと、記述なし。疲れて眠ってしまったと思われる。
ウーロン茶や筆、木画などをみやげ物として購入。木画は大きいので、宅配便で送ってもらうように頼んだ。
どこかのホテルで、漢英詞典を購入した。あまり読まない本や使わない辞書を、つい買ってしまうクセがある。結構立派なのに15元(約600円)と安かったので手が出た。重いので、これも送ってしまおうと思った。ホテルに帰ってから、従業員のお姉さんに、郵便局の場所を聞いた。ホテルの窓から見えていた。火車站と汽車站の間にあった。ごった返す人をかき分けて服務台へ行き、何とか郵送したい旨を伝えた。別の服務員のところで、包装紙とひもを買い、その場で包装した。他の中国人のやっていることを見て、それをまねた。墨と筆を借りて、自分の宛名を書いた。船便にしたが、本代より高くついた。
今日は、香港への移動日。ちょうど1ヶ月中国で過ごしたことになる。
広州発九龍行き特快列車 |
昨日同様に、上記の他には記述なし。
朝食を済ませ、広州火車站へ。この駅から3時間余り、特快列車に座っていれば、直接香港の九龍駅へ運んでくれる。当時香港は、イギリス統治下だったので、中国出国ということになる。列車に乗る前に出国手続きをした。私はすんなり済んだが、Y君は上海でのラジオの盗難事件のため、少々詳しく調べられた。もちろん、密輸に絡んでいるはずもなく出国できた。
この列車は、快適だ。椅子がゆったりとやわらかい。免税で買えるようで、酒・タバコやみやげ物をワゴンに積んで車内販売をしていた。窓の外は、豊かな田園地帯が広がっていた。
経済特区の深土川(Shengchuan「土川」は1文字)は、近代的なビルが立ち並んでいた。その間を、列車はすり抜けた。
九龍駅からは、タクシーに乗った。荷物があるので、ひとまずホテルへ行ったと思う。Fuji Hotel という名のホテル。香港は、土地が狭いので、アパートやホテル代は高いそうだ。高級なホテルではないが、1泊150香港ドル(HK$=約三千円)ほど支払った。中国本土とは違い、チップの心配も必要だった。
昼食には、マクドナルドのハンバーガーを選んだ。おいしかったー。その後で、旅行会社のオフィスへ行き、日本に帰る飛行機のチケットを手配してもらうように頼んだ。キャセイの名古屋行きのビジネスしかないという。それでお願いした。4万円ほどした。
明日の夜の「夜景とジャンボ・レストラン」のツアーを申し込みに、豪華なホテルに行ったと思う。夕食は、「昴(すばる)」という名の日本レストランへ。カツどんを食べた。千円ほどもしたが、感激した。日本料理はいいねー。店内では、香港人と思われる人々が、日本のカラオケ曲を熱唱していた。
夜は、男人街へ出かけ、安い衣類や小物を買った。たくさんの人出があった。
半島から見た 雨に煙る香港島 |
朝からあいにくの雨。いきなり募金をしてしまった。この募金は、赤い羽根ではなく、小さなシールをくれる。シャツの胸のところに、そのシールを貼ってもらって、香港人になったつもりでネイザン・ロードを歩いた。感心なことに、若い香港人は、ほとんどこのシールを付けている。ジェントルマンの国イギリスが、統治している土地なのだ。
今日は主に、東尖沙咀地区(Tsim Sha Tsui East)を歩いた。ほとんどが、新しい建物だ。このあたりもショッピング・センターが多いところで、同じような店がやたらと並んでいるので、見分けがつかない。商品も同じものが多かった。香港の商品の量の多さは驚きだ。
朝マック。商品名ではなく、朝食はマクドナルドでとった。
本屋でディスカウントされていた、入門用の薄い英仏辞典を購入。
夜は、前日に申し込んであった「夜景と水上レストランのツアー」。あいにく、視界が悪く、夜景は100万ドルとはいかなかった。レストランの食事は、同じツアーの人と同じテーブル。帰国途中のアフリカ勤務の商社マンや、香港の工場に勤務している、若い日本人2人などと食事をした。ほとんど仕事ばかりで、香港のことはあまりわからないと、若い2人は言っていた。それにしても、食事はせかされるように進み、あわただしかった。
水上レストラン |
Lonely Planet Hong Kong & Macau: City Guide
D09 地球の歩き方 香港 2012~2013
まったく記述なし。
ほとんど1日買い物。フラフラっと入ったドラッグ・ストアWatson'sでは、女性店員に巧みに薦められ、女性用香水を2びん買ってしまった。あとは、ジーンズと靴をそれぞれ専門店で。
「中国の大理から昆明の夜行バスで、一緒になった日本人カップルと香港の道で出会った」とY君に教えてもらったが、思い出せない。
Duty Free Shoppers では、日本の女性観光客が、やや日本語のつたない店員に、「もっと日本語を勉強しなさい」と注意していた。
空港で、飛行機の発着を見ていたら、「Gメン'75」を思い出した。
機内で香港人スチュワーデス(当時はそう呼んでいた)と話した。「やっぱり、東京へのフライトが好きだ」という。「名古屋線は、あまりうれしくない」とのこと。また、「名古屋空港から、車で1時間半ほどかかるところに家がある」と伝えたら、「信じられない」という反応があった。中国への返還前、香港は東京都の半分くらいの広さ。そのうち、人がすんでいる部分は限られていた。車で30分以上かかるなどは、考えられないのかもしれない。
飛行機は途中、台北で給油してから日本へ。無事に帰国。
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