人類の誕生 | アフリカ東部、500万年前くらい、アウストラロピテクス(猿人) |
人類の特徴 | 直立二足歩行、道具をつくる(打製石器) |
原人現る |
180万年前くらい、猿人の2倍の脳を持つ原人誕生 言葉を使う、火の利用、毛皮などを身にまとう ヨーロッパやアジアへ、北京原人(50〜70万年前) など |
新人出現 |
約20万年前、洞くつに壁画(ラスコー・アルタミラ) 現代人の直接の祖先、クロマニョン人など |
旧石器時代・・・ |
狩猟(しゅりょう)・採集(さいしゅう) 打製石器や骨角器 |
新石器時代・・・ |
農耕・牧畜(ぼくちく)を始める→定住・集落 磨製(ませい)石器や土器 |
19世紀に、ダーウィンという人物が現れ、「種の起源」という本を書きました。“On the Origin of Species by Means of Natural Selection”というのが原題ですから、「自然淘汰(とうた)による種の起源」というのが正しいでしょうか。ああ、「淘汰」ね。これは、強いものが生き残り、環境に適応できないものが滅んでいくということだよ。
ダーウィンの考えは「進化論」といわれています。生物はしだいに進化してきた。人間も元をただせば微生物からだんだんに進化してきたものだ。という考え方です。人間のひとつ前は、お猿さんです。これは、多くの人に信じられている考えです。「これ正しい」と思う人、手を上げて。ほら、半分以上、3分の2以上の人が手を上げていますね。君は上げなかったね。どうなの? ああ、自信がないから上げなかったのか。 このように、進化論は一般的なものです。ここでは、その考え方にしたがってお話します。
アフリカ東部、ナイル川の源流部付近から現在の南アフリカにかけての地域、この地域には、うっそうとした森林が広がっていたわけです。この森林の木の上で、お猿さんたちが暮らしていました。木の上というのは、比較的安全なわけです。肉食獣の多くは木を登ってこられないから。ところが、気候の変化で乾燥してきて、森林がどんどん狭くなっていきました。ある程度の木がないと、お猿さんが生きていく食料が手に入らなくなります。しかたがないので、木の上の生活をあきらめ、草原に歩み出した。この草原で暮らし始めたお猿さんたちが、人類の始まりじゃないかといわれています。
最初の人類は、大きく猿人(えんじん)という種類に入れられています。猿と人間の中間という意味でしょう。この猿人の一種類がアウストラロピテクス、「南方の猿」という意味です。そう、オーストラリアも「南(の国)」という意味。アウストラロピテクスに戻ると、現代人の3分の1(約500cc)の脳を持ち、身長は130cm。〔道具をつくり、打製石器(だせいせっき)を使ったと考えられています。忘れていましたが、人類とお猿さんの大きな違いのひとつは、人間(猿人を含む)が直立二足歩行をするということです。立って歩くということですね。両手で、鉄棒にぶら下がったことがあるでしょ。お猿さんは、木の上で生活するうちに、いつもそんな姿勢をとります。考えてください。背筋(せすじ)がちゃんと伸びるでしょ。姿勢がよくなります。これが、地上に降りて二足歩行ができる準備をしていたんじゃないか、と専門家は考えています。
直立二足歩行は、より重い脳を支えることができます。脳も大きくなっても大丈夫なわけです。また、両手が空きますから、その手を動かすことも脳の発達に役立ちます。実際、約1000ccの脳を持つ原人(げんじん)という種類の人が現れてきます。約180万年前と見られています。やっぱり、アフリカで最初に出現したといわれますが、有名なのは北京(ペキン)原人やジャワ原人です。火を使い、言葉を話したとも考えられています。どうして「火」を使ったことがわかったかって? 北京原人の見つかった洞くつ内から、灰の層が見つかっているからだよ。それから、あごの骨も発達していたことから、言葉も話していただろうと想像されているよ。
このあと、ネアンデルタール人のような旧人(きゅうじん)というのも出現します。まあ、覚えなくていいです。
現代人の直接の祖先と考えられる新人(しんじん)が登場したのが、20万年ほど前。やはり、アフリカが早い。このころは、1500ccの脳を持っています。南フランスのクロマニョンで発見されたクロマニョン人(約3万年前)が代表選手です。スペインのアルタミラやフランスのラスコーの洞くつ壁画は、クロマニョン人が描いたとされています。牛や馬・鹿・いのしし・トナカイなど、たくさんの動物が描かれています。
新人は、高度な細工の打製石器を作ったし、その石器を木に挟み込んだり、弓矢を作ったりしたようです。けものの骨や角も使った槍・釣り針も使って狩りや漁をしました。大人の言葉で、狩猟(しゅりょう)・漁労(ぎょろう)といいます。木の実を取ったり、根っこを掘ったりするのは、採集(さいしゅう)といいます。この時代は旧石器時代と呼ばれています。打製石器ときたら旧石器時代と覚えて下さい。
次に、磨製石器(ませいせっき)を作り出します。土器(どき)も焼きます。この時代を新石器時代といいます。約1万年前くらいから始まります。世界同時というわけではありません。
新石器時代のもう1つの特徴は、農耕(のうこう)と牧畜(ぼくちく)を始めたことです。農耕とは、植物を植え替えたり、種をまいたりして、育て収穫するということです。そして、牧畜は、動物の肉や乳などをいつでも取れるように、その動物を飼いならしておくということです。これは、大きな変化です。当時は冷蔵庫なんかありませんから、食料はそんなに長く持ちません。食料が取れない時期が続けば、飢えて死んでしまいます。農耕・牧畜をすれば、ある程度食料の確保ができます。当然、生存率も上がり、余裕も出ます。この余裕が文明につながっていきます。
この新石器時代と旧石器時代を合わせた時期を、原始(げんし)時代と区分しています。食料も一族や集落で分け合っていたと考えられています。だから、一族内では、結構平等だったとされています。
文明のおこり |
大河流域。王が富と権力をにぎる。文字の使用。 金属器(青銅器・鉄器)をつくる。巨大な建築物。 |
メソポタミア文明 |
チグリス・ユーフラテス川。くさび形文字。 太陰暦(たいいんれき)。六十進法。 バビロニアのハムラビ王、ハムラビ法典。 |
エジプト文明 |
ナイル川。象形文字(絵文字)。太陽暦。 ファラオ(王)の墓→ピラミッド、スフィンクス パピルス |
インダス文明 |
インダス川。れんが造りの都市(モヘンジョ=ダロ・ハラッパ) 北方からアーリア人侵入(紀元前1500年ごろ)→カースト制 シャカ(紀元前6世紀)が仏教を説く。ヒンドゥー教起こる(4世紀) |
中国文明(黄河文明) |
黄河(こうが)・長江(ちょうこう)。殷(いん・紀元前1600年ごろ) 甲骨文字(こうこつもじ・亀の甲らや牛の骨に)。 |
中国統一国家 |
秦(しん)の始皇帝(しこうてい)中国統一。 はかりや文字・貨幣の統一。万里の長城。 |
シルクロード |
漢は領土拡大。西方との交易。孔子の儒教を国家の柱に。 絹織物・漆器・紙の発明。 |
朝鮮半島 |
一時漢に支配される。高句麗などおこる。 (稲作・)青銅器・鉄器・漢字・仏教を日本に伝える。 |
2002年度からの指導要領には、「『世界の古代文明』については、中国の古代文明を例として取り上げ、生活技術の発達、文字の使用などに気づかせるようにすること」とあります。言葉通り信じれば、メソポタミア・エジプト・インダス(インド)文明は、無視してもいいことになります。でも、教科書も完全無視という姿勢はとっていませんし、結構多くの中学校でやっているんじゃないかな。
とりあえず、中国からやります。あと、時間が余れば他の文明にも……。試験とは直接関係のない話もするので、多分そんな時間はないと思いますが……。
農耕と牧畜によって、人口は増えます。飢え死にする人が減ったんですね。これはいいこと。反面、持っている人ともっていない人の差ができます。貧富(ひんぷ)の差というやつですね。黄河というのは、「あばれ竜」というあだ名がつくほど流れを変えたんです。氾濫(はんらん)といって、川じゃないところに水が流れ出し、そこが新しい川になったりします。その洪水で人が死んだり、作物が流されたりします。そうしないように堤防を造ります。そんな大規模な土木工事には、優秀な指導者が要ります。こうした指導者やお金持ち(実際には食料持ちか)が王となります。エジプトでも、ナイル川がよく洪水を起こしました。文明が起こった場所には、大きな川があることに注目してください。
中国の伝説では、黄帝があらわれ、穀物栽培を教え、その後、堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)と引き継がれます。禹は、川の治水工事の指導力によって帝王になったといわれています。この禹によって夏(か)王朝が始められた、となっています。でも、実在は証明されていません。ですからテストにも出ません。
19世紀末に、北京のある学者が薬屋さんで「竜骨」という薬を買いました。「竜の骨だ」というわけですが、別に売る方も買う方も信じているわけではないので、薬事法違反には問われません。これ冗談なんだが、わからないよね。はい、はい、捨て置いて。家に帰ると、その骨に何やら文字のようなものが刻んである。専門家に解読を頼みます。薬屋さんに、「どこで取ってきたか」とたずねます。小屯村という現地に行ってみると、文字が刻み込まれた亀の甲らや獣の骨が、どんどん出てきます。これが甲骨(こうこつ)文字です。古代人は占いで行動を決めていました。牛や鹿・羊の肩甲骨(けんこうこつ)や亀のおなかの甲らを焼いて、ひびをつくります。そのひびの形で、やるかやらないかを決めました。その結果を記録したものが甲骨文字だ、と考えられています。甲骨文字はやがて漢字に形を変えていきます。3500年以上もあとの、我々日本人も漢字を使っていますね。このように、文化は時や場所を越えて伝わっていくものなのです。
さて、甲骨文字が刻まれた骨のあった辺りを本格的に発掘すると、王宮跡、墓、住居跡、青銅器などが見つかります。漢王朝の時代に司馬遷(しばせん)という歴史家が、『史記(しき)』という本を書いているのですが、その中には、夏王朝の後は、殷(いん)王朝が栄えたことが書かれています。殷王朝の歴代の王の名前も書かれています。甲骨文字の解読が進むと、そこに書かれている歴代の王の名前と、甲骨文字に書かれている王の名前とが、だいたい合ってるんです。こうして、殷王朝の存在は証明されました。殷は後の時代の人の呼び名で、自分たちは、商(しょう)と呼んでいたようです。テストに出たら、殷と書いてください。
殷の次は、周(しゅう)王朝ができました。周の支配する地域は広まりましたが、その分、目が行き届きません。各地を別々の親族や家臣にまかせる方法をとりました。時が経つにつれ、親戚も血が薄くなり、家臣も代替わりをします。やがて各地の支配者は、周王の言う事を聞かなくなります。独立してお互いの領地を侵し始めます。戦いが続くことになります。春秋・戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)と呼ばれる時代です。
この時期は、政治のやり方や戦争の仕方などに、自分独自の考え方を主張する人々がたくさん出てきました。諸子百家と呼んでいます。考え方もいっぱい出て、互いに「自分が正しい」と言い争っていたんですね。
この中に、儒教(じゅきょう)という教えを広めた孔子(こうし)という人物が現れます。「親や年上の人の言うことはちゃんと聞きましょう」、これは、儒教の影響からきています。儒教は、後の中国のいろんな王朝や朝鮮・日本にも影響を及ぼしました。支配者も、その都合のいい部分を活用し利用しました。『論語(ろんご)』という書物が有名ですね。時代劇では、侍の子どもが『論語』を読んでいる場面が時々あります。
ばらばらになった中国を統一したのは、秦(しん)の始皇帝(しこうてい)です。紀元前221年のことです。彼から皇帝という称号を使い始めます。皇帝の称号を使い始めた人なので、始皇帝。始皇帝は、今の官僚組織のようなものを全国にいきわたらせます。ばらばらじゃないんです。「全部、俺の号令のもと」、と命令するわけです。はかり・ものさし・計量ます・文字・貨幣(かへい・お金のこと)を統一します。今までは、地方によって違いました。これらを統一して、「ひとつの国」という考え方がいっそう強まったはずです。
北方の遊牧民族は、ときどき中国に入ってきて食料などを取っていきました。今までの王たちも、自分の領土を守るために、長城(ちょうじょう)といわれる防護塀を造って、遊牧民の侵入を防いでいました。始皇帝は、これらをつなげたり修理したりして、万里(ばんり)の長城を造りました。月から見えるただ一つの建造物といわれています。このときのは、今のものじゃないんですけど……。
始皇帝の墓の一部、兵馬俑坑(へいまようこう)、見てきましたよ。もう30年近く前ですが。いっぱい人が来てました。大きかったですが、それでも、彼の墓のほんの一部分なのです。兵は、一人ひとり顔が違うそうです。
秦は民衆に厳し過ぎました。カリスマ始皇帝が生きているときは、何とかもっていましたが、彼がなくなると、民衆の不満が爆発します。各地で反乱が起こります。世界最初の市民革命ではないかという学者もいます。
この反乱が一つに結びつき、秦帝国は滅びます。代わって劉邦(りゅうほう・高祖)が、中国を統一し、漢(かん)ができます。漢は、朝鮮半島の一部やベトナムの一部、西域にまで領土を広げます。西域を通って、インドや中央アジア・中東・ローマ帝国との交易が行われます。この交易に使われたのがシルクロード(絹の道)です。仏教が伝わったのも、この道です。中国からは絹織物などが運ばれました。絹はシルク。だからシルクロードなんですね。昔、NHKで『シルクロード』という番組をやっていました。シルクロード・ブームを巻き起こしました。今、また、新しい『シルクロード』シリーズやってます。『新・シルクロード』だったか。シルクロードは、オアシスの道という呼び方もあります。これは、砂漠の中のオアシス都市同士をつなぐ道という意味ですね。
朝鮮半島では、紀元前2世紀末に、漢の武帝が兵を進めてきました。楽浪郡(らくろうぐん:今のピョンヤン付近)など、朝鮮4郡を置いて朝鮮支配の拠点にしました。中国東北・朝鮮北部辺りに高句麗(コグリョ;こうくり)という国ができて、中国の王朝の支配を排除しました。
ギリシャ(ギリシア) |
ポリス(都市国家)建設。アテネ、スパルタ。 成年男子市民による民主政治。 芸術、哲学、オリンピア、パルテノン神殿 |
ローマ帝国 |
イタリア半島から地中海周辺を征服。 道路、水道、闘技場、浴場、ローマ字、法律。 |
キリスト教 |
イエス・キリストが始める。 人間は平等。十字架上で刑死。 ローマ帝国は初めはキリスト教徒を迫害。 4世紀末には、キリスト教がローマ帝国の国教に。 |
紀元前8世紀ごろ、地中海に面した、今のギリシャ(ギリシア)の辺りに、北方内陸の民族が移住してきました。一族ごとにまとまって、ポリス(都市国家)という国をつくり始めました。アテネとかスパルタが代表的なポリスです。アテネでは民主政治も始まりました。といっても女性や奴隷たちは政治に参加できませんでした。家のことは、女性や奴隷がやるので、余裕のある男たちは哲学(てつがく)や芸術・体育などに力を入れることができました。ソクラテスやプラトンは、「人はいかに生きるべきか」「良い政治とは何か」ということを考えました。また、オリンピアでは、運動能力や詩や演劇の能力を競い合いました。
紀元前4世紀には、ギリシャ北方のマケドニアに、アレクサンダー大王が現れ、ギリシャを征服しました。さらに大王は東へ進み、インドのインダス川の辺りまで勢力を伸ばします。東方の文化とギリシャの文化が溶け合ってヘレニズム文化が生まれました。今はここまでは教えないことが多いようです。
イタリア半島のポリスだったローマは、だんだん周りの地域を支配していきます。紀元前1世紀には、地中海を囲む地域を支配してしまいます。ローマ帝国の誕生です。ローマ帝国は、支配地に行きやすいように立派な道路を造ります。法律もつくります。水道なんかもつくります。コロッセオという闘技場なんかも造ります。ブルースリーの映画で……。
次は日本の原始時代。