未必の故意?――TVドラマ「山おんな壁おんな」――

 初め、TVで流された「山おんな壁おんな」の番宣CMを観た時、そのイニシャライズされたシルエットロゴと共に、洒落たタイトルだと感じていた。
 ついつい初回の放送日(7/5)にはチャンネルを合わせている自分がいたし、実際、初回を観て楽しかったし、結構笑えた。殊に、深田恭子が食堂のテーブルに胸を乗せて食事をしている姿を見た伊東美咲が、こっそりトイレで化粧台の上に胸を乗せようとして(当然、乗らないので)思いっきり滑って顎を化粧台にぶつけるシーンには、思わず吹き出してしまった。
 深田恭子のボタン飛ばし(&胸見せ)と共に、伊東美咲の役者根性の凄さに感心させられもした。ここまで、自らの身体的欠陥(?)をコメディーに出来る――というのは、凄い事だ! (付け加えるなら、鼻の穴を広げる演技も中々の見物だった!)

 その日は、久し振りに毎週楽しみに出来るTVドラマが始まったと喜んでいた。
 が、翌日、ふと気付いた。
 買い物の為に街中を自転車で流していた時の事。すれ違う女性の胸を見て、おっ“山おんな”……おっ“壁おんな”……と考えている自分がいた。
 まあ最近、歳の所為か女性の身体に不躾な視線を送る不埒な“オジさん”ではあるのだが、問題はそこではない。(いや、それも問題かも知れないが…(^^ゞ)

 例えば学校で――、あるいは職場で――、“山おんな”と揶揄される事と“壁おんな”と指差される事とでは、根本的に違うのでは無いのか?
 本人の努力で直す事の出来ない身体的欠陥を中傷してはならない!
 ぼくはそう思っている。
 ぼくはイジメをした事もされた事も無い。ただ、子供の頃に身体的な特徴をあだ名にされて嫌な思いをした記憶がある。

 この「山おんな壁おんな」がまんが原作(高倉あつこ・作、講談社、イブニングKC)だと知ったのはTVドラマになってからだ。
 多分、原作まんがの作者は、このタイトルに思い至った時、「やったーっ!」と思っただろう。作品の成否はタイトルに大きく左右される。雑誌編集者もこのタイトルを是とした。
 しかし、そこまでなら、大した問題では無かっただろう。コミックスが何万部売れようが、それだけで、タイトルが全国区になる訳では無い。TVの凄さは、観ていない人にも、タイトルや単語をインプットさせる力がある事だ。ここに至って初めて《単語(あるいはタイトル)》は全国区となるのだ。

 これまで《それ》を表す単語は様々にあった。曰く《貧乳》、曰く《ペチャパイ》、《ナイン》、《洗濯板》……等々。そして《壁おんな》は、それら過去の単語と異なり“ちょっとお洒落〜な”囃子言葉になれるのだろうか?

 良識のある上司なら、部下の女性社員に向かって「貧乳」、「洗濯板」等という言葉を投げ掛けはすまい。が、若しかしたら、最近流行りの言い回しとして《壁おんな》という言葉なら「おっ洒落〜」と勘違いするかもしれない。
 《ノッポ》と《チビ》では、投げ掛けられた意味合いも、受け取る痛みも、決定的に異なっている……と思う。《侮蔑感》が、極端に言えば「ある」か「ない」か程の違いにさえ、思える。
 《山おんな》と《壁おんな》の場合も同様では無いだろうか?
 そして一番の問題は《貧乳》であれ《ペチャパイ》、《ナイン》、《洗濯板》であれ、そして《壁おんな》であれ、受け取る痛みに変わりは無いという事だ。例え、投げ掛けた側は「おっ洒落〜」なジョークの積りだったとしても。
 《山おんな》と呼ばれて不快感を覚える女性も、勿論いるだろう。しかし、《壁おんな》と呼ばれて不快感を覚えない女性は、多分皆無に違いない。つまりは、そういう事だ。

 それを「未必の故意」と呼ぶのは、法律用語としての解釈としては多分正確ではない。ならば、「無意識の過失」か? いや、「過失」はそもそも無意識だ。それでは、「無意識の悪意」とでも呼ぼうか。
 ともあれ、「山おんな壁おんな」が、年末の「流行語大賞」にノミネートされない事を願ってやまない。

(2007.7.7)


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