(コラム009)
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■企業の採用担当部長様
 大学生の就職戦線では折り返し点が過ぎてこれから終盤に向かう時期となった。わが校の学生諸君も一生懸命に就職活動をしていた人は、数社内定がとれている。売り手市場というが、現実はなかなか厳しい。私が担当しているある学生は39社の採用試験に落ちて、40社目でようやく内定をとることができた。毎日のように会社説明会や試験が続き、私のところに相談に来る時間も確保できないほどの忙しさであった。また、今度も落ちるのではないかという不安でなかなか眠れない日が続いたという。また、別の学生は最終面接で三日連続で不採用になってしまった。その学生はとても前向きにものごとをとらえられる素晴らしい資質をもっているので、きっといい出会いがあると確信はしている。しかし、さすがにそのときは私もショックだったし、当人はなおさらであった。
 不採用と決まった学生が相談室に来ると、敗因分析を一緒にすることがある。すると、集団面接であがってしまい、へんなことを口走ってしまったとか、グループディスカッションで思うように発言できなかったなどの話が出てくる。それらを聞いて、落ちたことに本人も私も納得することがある。そして、その失敗を次に生かすわけである。
 しかし、中には本人も不採用の要因がつかめないし、私が話を聞いても致命的な失敗はなさそうで、よくわからない。その学生が私からみてかなりのいい資質を持っている、その企業に合う人材だと思った時は、今後のアドバイスのしようがないケースもある。
 企業の採用担当者は他の大学生と相対的に見ているので、私の身びいきみたいな話にはなかなか耳を貸すわけにはいかないと思う。他の人と比べて、元気がないとか、志望動機が弱いといったことはあり得るからである。そのことは私も承知している。
 ただ、企業の採用担当の部長さんや取締役の方に一考をお願いしたいことがある。
それは、第一関門の書類審査のときから、採用担当部長や取締役の方が目を通して欲しいと願っている。一般的には、学生との最初のコンタクトに人事採用担当者が選考し、一次、二次と進むにしたがって、ようやく部長や取締役の方が面接することが多い。
 最初の関門に立ちはだかる採用担当者は年齢が総じて若い。ここに私は疑問や不安を持つのである。つまり、あまりにも若い社歴の人が、人の資質を観察するだけの深い洞察力を持ち得ているのだろうか、多角的な見方ができるのだろうかという疑問である。
 私はかつて長い間企業にいて、人材ということに強い関心も持って仕事に取り組んできた。その経験を生かして、いま大学でひとり一人の学生に接している。多くの学生の相談にのっていると、磨けば光る原石やきっといい仕事をしていくだろうという印象を持つ学生にしばしば出会える。そんなときに、優秀な学生が採用試験に落ちると、つい、企業は惜しい人材を失っているのではないかとさえ思うことがある。
 学生に人気の企業にとっては、部長や取締役がいちいち、最初の選考にかかわっていくのは非効率的だという考えは理解しないわけではない。しかし、「企業は人なり」とか「人材」を「人財」などとあてはめてメッセージを流している企業ならば、手間はかかろうとも最初から人の観察眼の力のある部長や取締役が選考にかかわるべきである。それが、ひいては、自社の成長を支えることにつながるのではないだろうか。(2008/06/08)


■生かされて生きる」
 昨日五月十日、NHK?BSで歌手松山恵子の特集番組を観た。私が中学生時代の頃、ヒット曲を連発し、活躍していた大歌手である。色気づいた頃、なによりあの愛らしい顔が好きだった。そして、歌のうまさはもちろん声質も好きだった。特にときおりしわがれ声が入る声質に味があった。
 『お別れ公衆電話』『未練の波止場』など数々のヒットを飛ばした人気歌手にも、自動車事故などで歌手生命を絶たれる危機に遭遇するなど、幾多の試練があった。売れない時代には、地方のキャバレーなどの出演が続いた。そのいわばどん底の時期にも、たとえ一人でも、酒の席であっても、自分の歌を聴いてくれる人がいれば、唄いたいと心から願ったと言う。
 能の世阿弥は、人の一生の中で、若さや時の勢いに任せてエネルギーを放出し続ける時期を花にたとえて「時分の花」と呼んだ。そして、その時期を過ぎて、加齢とともにその人の本質が花開く時期を「まことの花」と呼んだ。これを松山恵子に置き換えれば、ヒット曲を出し続けた売れっ子時代が「時分の花」であろう。そして、人生後半のキャバレー巡業以降の時代が「まことの花」であろう。「時分の花」はそれはそれで見ごたえがあるが、「まことの花」もいぶし銀の輝きがある。
 彼女が亡くなる数年前のステージで唄う姿が紹介されていた。往年の声は出なくても、一切の無駄な飾りをそぎ落として唄う姿は人間として、職人としてすごみを感じた。ステージから「お客さんが私を応援してくれるから唄い続けられる」のメッセージからは、ただ感謝の気持で、決して媚を売らずの人間性が出ていた。まるで悟りきった仏のようにさえ見えた。彼女にしてみれば、「生かされて生きている」との実感ではなかったか。
 私も先週同じような感覚になった体験をした。就職相談で指導してきた女子学生が相談室に来た。3社の最終面接試験結果の報告であることはおよそ推測できた。私は期待に胸がふくらんでいた。というのも、一生懸命に就職活動をし、本人の資質・能力を高く買っていたからである。だから、3社全部は無理でも、うまくすれば2社、最低でも1社は内定が取れると踏んでいた。ところが、彼女から出た言葉は「全部落ちた」。意外だった。それも一日違いに連続して落ちたことにショックを受けていた。それにもかかわらず相談室に来てくれた。来づらかったに違いないのに。安易な慰めは彼女には不要との思いもあったが、どうした言葉をかけてあげればよいかを考えるゆとりはなかった。「まだ募集している企業はあるから、二、三日休んでからまたやろう」としか言えなかった。日ごろ指導しているつもりが、こういう時に教えられる気がするのである。私自身が「生かされている」と感じる時だ。
 「生かされて生きる」の本質は「感謝」であろう。人間、一人で生きているようでそうではない。自分を取り巻くさまざまな人々によって支えられている。
 歌一筋に生き、多くの人に生きる勇気を与えた松山恵子は平成18年69歳で亡くなった。合掌。(2008/05/11)


■ラジオの効用


 最近、ラジオが好きになってきた。それも寝床で聴くラジオである。
以前、晩酌しない夜つまり休肝日の夜、少し寝つきがよくないときがあった。そのとき、携帯用のラジオを妻が聴いているのを思い出し、イヤホンを耳に付けて聴いていたら眠気をもよおし、すっと眠りにつけたことがあった。それ以来、日曜と月曜の休肝日にはラジオを聴くようになった。
 そして、今朝はなぜ四時頃トイレに起きてから目が冴えたのでラジオをつけてみた。そしたら、NHKでラジオ深夜便というものをやっていた。朝の四時でも深夜便なのだと思ったがどうやら真夜中からやっているらしい。これはこれでおぼろげに聴いているのも休日ならではでよかった。
 ラジオの良さを考えてみたら、いくつかのことがあるためではないかと思った。まずは、あのうるさいコマーシャルがない。それと深夜便が特にそうかもしれないが、ゆったりとしたアナウンサーの語り口調が静けさにマッチし、落ち着きをもたらすのだ。ラジオは目を閉じて聴くに限るようだ。精神的にとてもいい。それだけ、毎日をせわしなく感じているということだろうか。今夜もイヤホンを付けて眠ることにしよう。
(2008/04/20)


■熟年ゴルファーからのお願い
 
今日は、とてもうれしいサプライズがあった。
いつも行くゴルフ練習場でくじ引きがあり、妻と僕が一人ずつくじを引いた。わたしのははずれだった。ところが、妻が当たりを引いた。当たりと書かれた紙を見て、何等賞かなと思っていたら、なんとドライバーが当たったのであった。先着150人の抽選で一本しか当たらないものに当たったのである。びっくり仰天。係りの人も驚いた。早速、妻から権利を譲り受けた。買えば、89250円の商品である。
 ご存知のように、今年は、試合などにおいて、高反発ドライバーの使用がプロアマ問わず違反になることとなった。それまで、高反発のドライバーを使っていた僕は、新ルールに適合したクラブを買いたくて、どれにしようか研究をしていたところであった。
 早速、試打をさせて貰った。驚いた。今、使っている高反発のドライバーより飛ぶではないか。そして、自分の力に見合ったスペックのクラブを頂戴した。ああ、早く、本番で試してみたい。最近、思うのである。三年前に今のクラブを買い換えたとき、アイアンの番手が古いものと比べ、一番手は違うのである。飛ぶのである。よく、「ゴルフは道具ではない」というが、アマチュアのアベレージ・ゴルファーには道具だとつくづく思う。
 昨年、練習場のレッスンプロからも、昔のクラブでの打ち方と、最近のでは、打ち方も変わっているのだということを教えて貰ったことがある。やはり、自己流はだめなのであることが、この齢になってわかった。。
 さて、最近、ゴルフ場に行くと、熟年のカップルをよく見かけるようになった。僕も、2年前から妻とツーサム(ふたりでコースを回ること)で楽しんでいる。そこで、ゴルフ場関係者にふたつのお願いをしたい。ひとつは、ツーサムで回れる機会を多く作って欲しいということである。出来れば、割り増し料金がないのが望ましい。
 もうひとつのお願いは、食事時間のことである。現在、ほとんどのゴルフ場で次ぎのハーフまでの時間が大体50分くらいである。そうすると、正味の食事時間が30分ないことになる。これが、少し、せわしすぎるのである。例えば、トイレ、席に着き注文検討、注文。これで約10分経過。そして約10分くらい待つ。そして食事が20分くらい。そして、スタート7、8分前に席を立ち、トイレにいって後半に備える。
 前半上がってから、後半のスタートまでは1時間は欲しい。食べている時間は最低でも30分は欲しい。ゴルフを楽しみに来ていることは事実だが、食事も大いに楽しみなのである。経営面、効率面から考えると難しいかも知れないが、これから第二の人生のレジャーとしてゴルフを楽しみたい熟年のわがままな願いを聞いていただければうれしい限りだ。 新しい道具を武器に、昨年よりも一打でも縮めたいと願っている。そして、健康で妻と一緒に楽しめる幸せに感謝しながら、厚かましいお願いをゴルフ関係者の方に届けたい。(2008/03/16)


■相撲界の正念場

 いま、相撲界は正念場を迎えている。
 まずは、この間、17歳という若さで亡くなった時太山(ときたいざん)に対する暴行事件があり、時津風部屋の親方と兄弟子達が逮捕された。弟子を監督、育成する立場にある親方率先して暴力をふるった疑いが持たれている。開いた口がふさがらないとはこのことだ。 生前、危険を察知して、故郷に逃げ帰った息子を稽古が辛くて逃げ帰ったと判断したであろう父親は、息子を説得して部屋に連れ戻したという。
 いまとなっては、父親の無念さはさぞかしであろう。その後の、相撲協会の対応を見ていると、この部屋だけがこの親方だけが特別に悪者だったのだろうかとの疑問がわく。
時津風部屋と五十歩百歩の部屋はないのだろうか。情報開示について協会の姿勢がとても消極的な感がある。理事長の会見も説明責任を果たしていない。
 次に昨年からの朝青龍問題である。ここでは、横綱審議会と相撲協会、ならびにマスコミが過剰ともいえるほどのパッシングが続いている。これが仮に日本人の横綱だったら、これほどの攻撃を浴びせていただろうか。「朝青龍憎し」「外国人憎し」の心根があるみたいだ。なにか、アンフェアな気分になる。先場所において、朝青龍への声援もかなりあったと聞いている。「郷に入れば郷に従え」ということわざがあるが、相撲協会には、国技の名の元に外国人力士の考え方、不満を聞き取ろうとする姿勢はあるのだろうか。
 このふたつの事件から、文科省の保護の中、財団法人相撲協会の権威主義、事なかれ主義がはびこる古い体質が垣間見れる。
 日本相撲協会のホームページの組織概要に目的と運営という項目がある。そこには、「我が国固有の国技である相撲道を研究し・・・」とある。日本相撲協会がいうところの相撲道とはいったいどのような定義があるのか何も書かれていない。財団の倫理基準はどうなっているのか。また、所轄の文科省にしても、一連の事件の根底にある体質に対して、いままでどのように監督をしてきたのかその責任も問われる。
 相撲界がもっと透明性を高め、フェアにならなければ、相撲界に飛び込んでくる若者は減るだろうし、相撲ファンは離れるだろう。そのために、外部の識者を組織の中に入れて、コントロールの効く組織体に立て直して欲しいと願わずにはいられない。(2008/02/15)


還暦の岩盤浴初体験
 昨日、行田市にある天然温泉「古代蓮物語」にいってきた。温泉と岩盤浴のふたつを楽しむこととした。実は、岩盤浴は僕にとって初の試みだった。なにかしら、体中の毒?が汗とともに流れ落ちるようなことを聞いたことがあったので、新しい年を迎えたことだし、体内に、ぎっしりたまっているおりのような毒素を外に出したいと思った。
 さて、最初は温泉の方だ、岩盤浴の入場まで時間は一時間近くある。温泉は大好きなのだが湯につかっている時間はせいぜい20分の僕にとっては、少々長い時間だ。しかも、お昼の食事前だ。ひたすら時間が経つのをじっと待つ。
 岩盤浴は1時からなので5分前に部屋の入り口にくるように係りの人から言われていた。
お湯からあがり身体を拭いた。さて、どのように着替えればいいのかを聞いておかなかったので、清掃にきていた女性スタッフに聞いた。そしたら、岩盤浴用の召し物に着替えてくださいとのこと。確か、そのとき下着を穿いてといったので、それはそうだと古いパンツを穿いて、その上から岩盤浴用のパジャマを着た。
 そして、入場入り口で妻を待っていた。そしたら、妻いわく「下着は穿いていないよね」という。「いゃ、穿いている」「それは脱いでくるの」という。「えっ、じゃあ、そのパジャマの下、何も穿いていないの?」「あの人たちもみんなそう?」なにか赤面したくなった。「だったら係りの人に聞いてみてよ」と頼む。僕からはとても聞けない。そして、妻が係りの人に確認したら、やはり「スッポンポン」。「えぇっ」ああ驚いた。係りの人がいったのばパジャマのズボンを穿いてといったのだろうか。わかりにくい。もう一度脱衣場にいってパンツを脱いでくる。誰も見てないだろうなぁ。少し恥ずかしい。
 こういうやり方の説明がどこにもないではないか。岩盤浴を使う人はそんなこと知っていて当然との考えが施設側にあるのであろう。それはだめである。なんだって初めて利用する人はいるのである。そのような人のために丁寧な説明がどこかに書かれていなければならない。恥をかかせないように。そういうきめ細かいサービスがこれからの高齢化社会には必要ではないだろうか。
 藤原智美さんの『暴走老人』がいま売れているらしい。藤原さんによると、新老人が暴走する原因を一言でいえば、社会の情報化にスムーズに適応できないこと、らしい。岩盤浴のことで暴走する気はこちとらにはないが、社会の方が新老人に歩み寄ってもいいではないか。岩盤浴だってせいぜいここ十年くらい前に生まれたシステムではないのか。知らなくて当然である。人間、興味のないことまで全て知っていることなんてとうていできっこないのだ。と、少し吼えたくなる。
 そうこうするうちに、いよいよ入場だ。扉の向こうはどうなっているのか興味深々とともに少しどきどきし、不安になる。女性は左へ、男性は右へ進んでくださいと女性係員が説明する。そうなんだ、部屋は一緒なのだ。男女となるとなにごとも大概部屋は別なのだが。
 バスタオルは体の下に敷くのだと聞いていたので一番隅っこのコーナーに初体験と思われないようなにげに陣取る。木の枕がある。これって前の人も使ったのだろう。バスタオルをその枕からかけて敷いた。これも説明がないからよくわからない。そして、仰向けに寝てみた。暖かい。そしたら、女性のアナウンスが入り、これから開始しますとのこと。えっ、なにが始まるのか?対応できるかしらとやや不安。心臓の弱い人、お酒を飲んでいる人は退出してくださいとのこと。お酒は飲んでないからいいとして、心臓の弱い人?
これはたぶん心臓が不整脈などの病気を抱えているという意味なんだろうなあ。気が弱い人ではなさそうだと気の弱い僕は自分に言い聞かせる。
 すると、じわじわと前よりも熱くなってきた。このまま45分耐えられるだろうか。汗が目に入りそう。ああよかった、風呂で使ったタオルを持ってきて。これも説明があったわけではなかったが自分の用意周到さにひとりほくそ笑む。ん、満足。
 アナウンスによるとたまに寝返りなどを打ったほうがよいとのこと。そこで、最初にやったのが腹ばいに伏せることだった。それを思いついたのは少年のころの田舎の川原でやっていたことを想い出したためだ。僕が少年のころ、夏休みで泳ぐのは川だ。(川で泳ぐことを地元では"水浴び"といった)川の水は夏といえども冷たく、長い間泳いでいると体中が冷たくなり、唇が青くなりぶるぶるとしたものだ。そして、みんなで川原の熱い石ころの上に腹ばいになり、身体を温めて、また泳ぐのだった。
 60年分の汗が、毒がじわっと外へ出てくるようで気持ちよい。昔、周りの人にいやな思いをさせたことの数々の罪状が頭をよぎる。ああごめんなさい。今、悪い心持やたまった毒素を汗とともに流していますから、許してください。今度はいい汗を流すようにしますから、今回だけは許してください。
 岩盤浴の「浴は欲ではない」。そうだ、最近『求めない』なんて本も人気があるようだ。だめだなぁ、まだ欲の塊で。この間も、宝くじの1億円にもう少しで当たりそうになったのに残念とか。日経平均がもう少しあがってくれれば持っている株も儲かるのになどと欲があるなぁ。酒も飲み過ぎるしなぁ。ああ、お金への執着、持つことへの執着をこれからは少しそぎ落としていかなければだめだなぁ。熱さで脳みそがかき回されているのだろうか。岩盤浴にはなんだか素直な気持にさせる効果があるみたい。45分て意外とあっというまであった。これで500円は安い。還暦の岩盤浴リポートでした。(2008/01/13)


雑踏の中の安心と不安
 
正月の初詣に浅草とついでに銀座に出かけた。浅草はもちろん浅草寺にお参りするのが主目的である。当初、元日に初詣と思っていたのだが、あまりの混雑ぶりを予想していたニュースを観てしり込みし、三日に延期した。
 三日だし、それに午後ならば混雑ぶりも多少、落ち着くのではないかと楽観していたが、天気が良かったせいか予想に反して、人ごみは多かった。雷門から参拝する本堂まで横六、七人並んでいる隊列が遅々として前に進まない。その長さからいって本堂まで到達するのに恐らく三十分以上はかかるだろうと思った。息苦しさもあって、途中、脇道に入り、本堂近くまで歩いた。もちろん、途中からは入れてもらえないので本堂の脇からお参りをした。
 夕食までは時間があるので、落語を聞きたくて演芸ホールに足を運んだ。一応、出演者のタイムスケジュールは事前に調べてある。ところが、驚いた。入り口前の係員に入れるか聞くと、うんざりしたような、けげんそうな顔をして一言。「何時に入れるかわかりません。立ち見もできますが、背の小さい方は見えないと思います。観たかったら明日、八時にきてください」とのこと。こちとらが知らなすぎたようだ。やはり、寄席とかは平日に来るのがよさそうである。
 しかたなく台所用品や調理道具を売っている合羽橋商店街に歩いていってみたが、殆どの店が休みであった。それではとまた六区にまい戻り、花やしきという昔からある小さな遊園地に入った。入場料大人九百円。六十四歳のシニアならば四百円だった。惜しかった。きっと、お孫さんを連れたシニアの客を呼び込もうとしているのだろう。ここでは、ジェットコースターみたいな心臓に悪い乗り物は敬遠して、懐かしい射的に挑戦した。球五つで三百円。腕に覚えがあるので簡単と思ったが、的を落とすことはできなかった。おまけにラムネ菓子を貰った。このお菓子大丈夫かなと不安な気持になったので、食べる勇気はなく家のどこぞに飾ろうとポケットに押し込んだ。
 そして、ぶらぶらと商店街を歩いてみると、結構な人だかりで珍しいものを売っていたり、安い屋台などに人がたくさん入っていたりして、なかなか面白い。この浅草の猥雑さ、気楽さ、昔風の雰囲気が好きだ。なぜか心が和むのだ。学校を出て、最初の勤め場所が仏壇で有名な田原町で、よく昼飯を食べに来ていたせいかも知れない。
 この浅草と並ぶ昔からの名所といえば銀座である。しかし、この銀座は昔の銀座の面影をなくし、急激に街が変わってきている。いま、銀座で大きなきらびやかなビルが建築されるのを観ると、ほとんどがファッション関係の外国の会社なのである。目抜き通りにあるそれらの店の数と店の大きさには圧倒される。それら外国の会社にとって、日本の女性は最高のお客様なのだ。日本市場での売り上げは世界の店のなかでも群を抜いて売上が好調なのだ。街を歩いていても、ブランドで着飾った女性たちの数がやけに多い。
 元旦の初売りでも、銀座のデパート前に長蛇の列がテレビカメラに映し出されていた。なんと、前日の夕方から高価な福袋を目当てにあの寒空に徹夜で並んでいたのである。ここでも、主役は女性。福袋目指して売り場に突進し、奪い合っている。凄いエネルギーだと感心もするが、なにか見苦しさを感じる。いつかしっぺ返しがくるような気がするのは考え過ぎだろうか。こんな情景がこれからも観られるのだろうかと不安にもなる。
 折りしも、アメリカ人作家が書いた『ひきこもりの国』を読み終えたところだ。この本では、日本に大勢いるひきこもりの青年が生まれている原因に、日本の旧来からの慣習やシステムがあることことを指摘している。そして、世界から置き去りにされかねない日本に警鐘を鳴らしている。
 浅草の雑踏で安心を感じ、銀座で不安を感じた正月であった。今日の大発会での日経平均は大きく値下がりし、今年の政局、経済に不安の残るスタートとなった。昨年の世相をあらわす漢字は「偽」と私の予想と当ってしまったが、さて今年は?せめて「信」とか「誠」とか「正」とかになるよう期待したい。(2008/01/04)


■「昭和」の人気
 
最近、昭和という時代に関する話題をよく見聞きする。私自身も、先日、映画『ALWAYS三丁目の夕日』の続編を観た。まさか続編が公開されるとは思わなかったが、最初に観たときに、とても面白く、ほんわかな気分になった。続編だし、涙を流すことはないだろうと踏んでいたが、今回もだめだった。
 この映画は昭和34年の頃の物語という想定だ。それにしても、観客に若い人が結構いたのは意外だった。
 この昭和人気は映画に限らず、丸いちゃぶ台、ほうきなど、日常の生活用品にも及んでいるらしい。これらに注目している人たちは、昭和20年〜30年代に生まれた人たちに留まらず、それ以降に生まれた若い人たちにもいるようだ。
 昭和という時代がいま、世代を超えて、脚光を浴びているのはいかなる背景があるのだろうか。そのヒントは、現在の社会にあるのではないか。つまり、今の日本は、経済成長のおかげで、経済的にも物質的にも豊かになり、生活もずいぶんと便利になった。しかしその一方で、急がしさに追い立てられるような気分になっているような気がする。
 技術革新の進展に伴って、さまざまなことを知らないといけないようなプレッシャーがある。例えば、パソコン、携帯電話、銀行のATM、電車に乗るときのカードなどは確かに便利なのだが、覚えなければならないことも多い。知らないとなにか取り残されるような気になる。それらの情報提供などは、中高年に判りやすく流すなどの工夫が足りないので、なおさら置き去りにされている感じがする。
 中高年だけでなく若い人にとっても、便利や効率を手に入れた代わりに、ゆとりのなさや閉塞感、孤独感があるのではないか。昭和人気は現在の社会を映す鏡ではないだろうか。
 先日、機会があって、鎌倉と江ノ島の一日観光にいってきた。ずっと前からいつか訪れたいと思っていた場所である。というのは、私が昭和34年中学2年のときの修学旅行先が東京、鎌倉、江ノ島だったのである。そのとき東京を観たのは初めてであった。その後、東京は学生時代に住んだり、就職先も東京勤務でもあったので、東京には大して思い入れがなかった。ところが、どういうわけか、鎌倉と江ノ島には訪れる機会が一度もないまま、月日が過ぎていた。今回は観光目的ではあるが、中学生から高校、そして大学、社会人となって生きてきた自分というものを、その場所にいって振り返りたいと思った。そして、そのようなことができるのも、家族や周りの人たちの暖かい支えがあってこそと感謝の気持で一杯だ。
 昭和という時代をただ懐かしむだけではなく、便利だとか効率的だとかばかり追い求めないで、時には手間をかけてなにかをするということも意識して生活したいものだ。また、そういうことの価値を次の世代の若い人たちにも伝えるのが、私たちの役目だと思う。(2007/11/13)


■ごみ清掃に参加して

今日は朝8時半から11時半まで高麗川(こまがわ)のビオトープ近辺で不法投棄のごみ清掃に参加してきた。坂戸市として、市民のボランティアと一緒に高麗川の自然を守るためのごみ清掃は念願だったらしい。
 高麗川は埼玉県南西部から中部にかけて流れており、荒川に注いでいる一級河川である。昔、古老から聞いた話では、鮎がいたらしい。いまの川からはとても想像できない。
しかし、数年前から坂戸市がふるさとの川づくり運動などを通じて、坂戸の自然、環境などを守るため、さまざまな取り組みをしてきている。高麗川沿いの散策路の整備もそのひとつである。
 今日のごみ清掃はその一環で、市民有志約70名くらいが参加した。私たち夫婦も参加してきた。まず、市の係りから渡されたごみ袋ひとつずつ持ちながら、現場について驚いた。そこには、パソコンや人形、箱類、シャツなどの家庭ごみが大量に散乱していたのである。あっと言う間にごみ袋は満杯。そして、その先を進むと、今度は大型冷蔵庫、一斗缶、雨どい、テレビ、雨戸などがなかば土の中や草に埋もれているというすさまじい状態に唖然。ズックを履いてきたのを後悔した。やはり長靴を履いてくるべきだった。綿の軍手がすぐ汚れて、新しいのと交換する始末。不法投棄の多くは、家がらみの資材が多く、事業者が投棄したように思われる。
 予想以上の力仕事で、終わりの頃は腰が痛くなった。ただ、散会し、すぐお風呂に入り、いただいたおにぎりを食べていると、なぜか疲れとともに幸せを感じるのだった。
 今回の場所はいつも散歩する道路ではなく、少し奥に入ったところであったため、日ごろ目にしない。しかし、人目につかないところに、自分の勝手な都合で不法に投棄するという心持に腹が立つ。一緒に作業していた男性がつぶやいていたことにまったく同感であった。彼は、「最近の人間はなぜこんなにふうになったのだろう。私たちの先輩が天国から観ていたら嘆くだろうねぇ」と言ったのである。
 最近、公共心が薄くなったといつも感じることがある。それは、歩きタバコのポイ捨てである。毎日の通勤時、私の前を歩く若い女性は、駅に到着する前に側溝にご丁寧にポイ捨てする。また、背広をばりっと着こなしているおっさんは、毎日、改札直前に足元にポイ捨てするのである。近頃、キレる人が多いので怖くて注意もできないが腹立たしい。この人たちは、出勤時に自分の家の前やアパート前でも捨てるのだろうか。このタバコのポイ捨ても間違いなく一種の不法投棄である。
 自治体によっては条例で罰金を課すところがでてきたのは喜ばしいが、反面、そのようにしないとならないというのは悲しい。
 ごみの不法投棄にしろタバコのポイ捨てにしろ、やっているのはみんな大人である。その行為を幼い子供達は観ている。知らず知らずに教えられて育っているのである。子供達の教育再生が盛んに叫ばれているが、いま、むしろ大人の教育が必要なのではあるまいか。(2007/10/21)
 

■政治家として高い規範意識を
平成19年7月23日付け全私学新聞の論壇コーナーに大和山学園理事長の田澤昭吾さんが
「人間として高い規範意識を」という見出しで主張なさっていた。今回のコラムのタ
イトルは、このタイトルを拝借して、「人間として」を「政治家として」に言い換えて
使用した。田澤さんは安倍首相の教育再生に向けての心意気を示す言葉として衆院教育再生特別委員会での答弁を紹介していた。それは「すべての子どもに高い規範意識、学力を身につける機会を保障する義務を果たさなければならない」である。これにエールを送る気持ちで「人間として高い規範意識を」のタイトルになったようだ。
 これに反目する気持ちはないが、それよりもいま襟を正すべきは大人ではないか。特に政治家である。政治家のお金にまつわる不祥事や疑惑報道が後を絶たない。今度はよりによって官房長官に疑惑が持たれている。政治家への不信感がこれほど高まっている時代はかつてあっただろうか。
 先の参議院選挙は自民党の歴史的敗北に終わった。あの選挙前に新聞紙上やテレビなどのメディアがいっせいに自民党大臣の政治資金の疑惑を報じていた。今回の選挙は政策論争よりも「政治家とカネの関係」がクローズアップされ、その結果、自民党の敗北となったと言ってもよい。
 「政治家とカネの関係」は今に始まったことではないが、安倍政権になって、これでもかこれでもかと続く閣僚の資金処理の不正疑惑に強い憤りを覚える。これはいったいどういうことだろうか。昔と違って監視の目が強化されたために暴かれる機会が増えたためだろうか。それだけではない気がする。政治家の驕りがもたらしていると考える。
 国の舵取りを任されている議員一人ひとりの使命感、責任感の希薄さである。永い間、第一党として君臨している自民党。権力という垢が知らず知らずのうちに染み付いている。今回の敗北の要因もここにあり、国民との意識の乖離がはっきり浮かび上がったのである。閣僚の失言や資金疑惑についても、安倍総理の任命責任としては本質を見誤ってしまう。安倍政権の課題はこの疑惑解明に最大限の努力をするべきである。それこそ安倍総理が唱える「戦後レジュームからの脱却」ではないか。
 もとよりこれは自民党だけの問題ではない。野党を含めた全議員の問題である。子どもに訴える前に、国民から信頼される政治家として高い規範意識もっていただきたい。(2007/08/26)

■野球と平和を考える

 今日6日、第89回全国高等学校野球選手権大会が甲子園球場で開幕した。
我が埼玉県代表は名門浦和学院で初戦の対戦相手は、お隣の群馬県の前橋商業だ。選手たちはなんとなくやりにくいかも知れない。このような組み合わせになるのも、長く続いた東西のブロックに分けて対戦相手の抽選を廃止したためである。私はこの方式に賛成である。実力のあるところが勝ち上がるからである。ブロック同士だと例えば両校とも全国平均以上に実力があったとしても、どちらかが敗者となってしまうので二度と試合を観られなくなる。当然ながらこれからは九州勢同士とか東京同士の決勝が観られることとなる。楽しみである。
 故郷の新潟県からはこれも名門明訓高校が出場する。まだ新潟中越沖地震の復旧活動が続いている。仮設住宅に入れない人もいるという。何度も地震に合い、経済的にも精神的にも受けた打撃は計り知れない。そんな人たちのために明訓高校の活躍を大いに期待したい。浦和学院対明訓高校の決勝になればいいなぁ。
 甲子園の高校野球を心底愛し、若者にエールを送っていた阿久悠さんが先日亡くなった。彼の作詞した数々のヒット曲をテレビで観ていたら、転勤に明け暮れていたサラリーマン時代を思い出した。考えてみたら、彼のヒット作のお陰で、勤めていた会社が繁盛し、自身の家計も潤ったわけである。ありがとう!ご冥福をお祈りします。
 今日は、広島では原爆慰霊の記念式典が開催された。平和があるから野球ができるし、観戦ができる。このことを決して忘れてはならないと思う。この平和を日本だけが享受できればいいわけではない。広島市長の平和宣言にあるように、世界に向けて、核兵器の廃絶と戦争を引き起こさないことを日本の使命として言い続けなければならない。このことを愚直に言い続けること、そして次の世代にもそれを引き継いでいくこと、この行動こそが「美しい国日本」と世界から尊敬されていく根拠になり得るのではないか。そんな思いで今年の甲子園でプレーする選手たちに声援を送りたい。(2007/08/06)

■還暦の品格
 とうとう来たかという実感。七月二日は六十歳の誕生日であった。この六十歳というのが私にとってはとうとうなのだ。正直「もうそんな年か」である。五十歳の時とは違う思いである。五十歳の時はこの先もずっと働き続けていく途中なのでことさら、五十歳になったからといって感傷めいた気分にはならなかったように思う。あくまで歳をとるという通過点という意識なのだ。
 それにひきかえ、六十歳は通過点ではなく、一区切りの感じがするのだ。六十歳という言葉に真っ先につながる言葉は定年である。私の場合は、定年ではなくこれからも今の仕事をしていくので、定年ということに意識が向わなくてもよさそうなのだが、やはり、一応、仕事の一区切りという思いがする。
 満六十歳が還暦と思っていたが、どうやら間違っていたらしい。還暦は、数え六十一歳を迎える正月のときにそう呼ぶらしい。だから、誕生日が来ずとも還暦であったのだ。
 還暦の「還」は「かえる」「もどる」という意味がある。六十年で干支が一回りして、生まれた年の干支に戻ることから還暦というようになったようだ。「暦が還る(こよみがかえる)」ことから還暦となった。
 生まれた年に還ることから、昔は赤いちゃんちゃんこを着せて祝ったらしい。もっとも、この赤には魔よけの意味もあるとか。いずれにしろ、この還暦は一区切りなのだ。
 そう思うと、還暦を迎えたからといって、とうとうなどと少し残念な気持ちを持たなくてもよさそうだ。新生日本ではないが、これから自分の第二の人生がスタートできるのだ。喜ばしいことではないか。いままでやりたくてもできなかったことに挑戦できるかも知れないと思うとわくわくする気分にだってなれる。肉体的は衰えはするが、精神、気持ちにおいてはますます磨きをかけられるはずだ。

 気持ちといえば、詩人サミエル・ウルマンの『青春』の一説を思い出す。
・・・・・青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。・・・・・

 青春とは年若い時のことを言うのではない。やってみたいということがない時、その時すでに青春はないのだ。青春は若者の特権にあらず、誰もが持ち得るものだ。
 別の見方をすれば、還暦とはこれからの人性を覚悟を持って生きなさいと仏様に言われているのかも知れない。自らの生きてきた道を振り返り、これからどのように生きていくかを自問してみることも大切だ。そこで、いま流行の本『女性の品格』になぞらえて、自らの「還暦の品格(男性版)」を保つあるいは作るために心掛けることを考えてみた。

・言うべきことあらば、腹を立てずに異議を申し立てよ
・寛容せよ、只只寛容せよ
・「ありがとう」「ごめんね」「大丈夫?」と言おう
・なにが起ころうとも泰然自若でいこう
・花を愛で、雨、水、風、空気に感謝しよう
・男は黙って茶碗を洗う、風呂を沸かす
・掃除は口笛を吹きながら
・得意料理三つ以上できるよう精進しよう
・記念日を忘れないこと
・何事も八分目がよろしい
・無料配布のティッシュは貰わないこと

 さて、言うは易し行なうは難しいにならないよう、メモをいつも見える所にでも貼っておきましょうか。
まあ、いずれにしてもこれからは、世阿弥のいう若いときに咲かせる「時分の花」ではなく「まことの花」を咲かせ続けたいものである。(2007/07/04)
 

■「愚直」という言葉
 大学の図書館でなにか読みたいものがないかぶらりと立ち寄った。まずは、雑誌コーナーで月刊誌『MOKU』の四月号の表紙に特別インタビュー「愚直」のすすめというタイトルが書かれており、評論家金 美齢(きん びれい)さんが写真と共に登場していた。この「愚直」という文字に惹かれて借りることとした。この言葉に過去二度にわたり思い出があるからだ。
 一度目は、昨年のことである。ある教授から、「学生に職業意識を持たせたいので話して欲しい」と頼まれたのである。一時間くらいの話のなかで、時には愚直になって、一生懸命なにかに取り組みなさい、やるべきことがらから目をそむけないで、丹念に持続的にものごとに取り組むことは大事だよ、などと説いた。これは、何度も就職試験に落ちている学生がそれでもあきらめずに就職活動をしている姿に対して感動していること、その素晴らしさを伝えたかったことからである。その反対に、一度や二度試験に落ちたため、それでもう就職活動をしていない学生に対して、もったいないと感じることがよくあることを伝えたかったからである。
 私の話が終わった直後、その教授が学生にこう言った。「皆さん、いま愚直という言葉を聞きましたね」。「どんな字だか分かりますか」。そして、黒板に字を書き、「この言葉はみなさんあまり使わないかも知れない。でも大切な言葉なので覚えておいてください」。私は先生の話を聞いて、はたと思った。そうか、最近の学生にとっては、この言葉は死語に近いかも知れないと。
 ところがその後、そうでもないかもと思った。今年の春、甲子園球場を沸かしたあのハンカチ王子こと斉藤投手が早稲田大学に入学したときの写真とインタビュー記事が新聞に載った。斉藤投手が手にしている色紙には「愚直」の二文字があるではないか。嬉しくなり、くだんの教授にその記事をコピーして渡した。
 そして私は、今回『MOKU』四月号で三度目の「愚直」という言葉を目にしたのである。そこで、金さんはこう言うのである。「誰かが何かをやってくれるとか、よい話が棚ボタみたいに転がり込んでくるとか、そういう期待はさもしいと思う。宝くじみたいな話を待つよりも、自分で愚直に働きましょうよ。そのほうが確実だから。勤勉、一所懸命、仕事を大切に、そういう日本人の原点に戻って働きましょうよ」と。宝くじを性懲りもなく毎回買っているわが身としては、少し恥ずかしいが、我が意を得たりの思いであった。
 日頃学生と向き合っていて、探究心が弱いなぁと感じたり、馬鹿みたいに一生懸命取り組むとかをダサいと思っているのかなぁと感じている。そして、彼らは損得勘定には鋭敏だし、正解がはっきり分かるのは気持ちがいいみたいなのだ。損得で測れないことや正解がないところにこと面白さが潜んでいるのになぁと思うのである。
 以前NHKテレビの番組で「プロジェクトX」というものがあり、多くの働く人からの共感を呼んだ。感じ方は人それぞれであるが、ここでも「義務感からではなく使命に燃えて、愚直に取り組む姿」に人々は感動したのであろう。時代は変われど、本来日本人の資質の一つである「愚直さ」というものはやはり大切なものだと思うし、後輩の人たち引き継いでいきたい言葉である。(2007/05/27)


■『団塊オヤジの遠吠え』
 2007年も4月に入り、団塊世代の定年問題いわゆる「2007年問題」に関連した報道や記事を日増しに目にする機会が増えている。やれ、団塊世代をお客に取り込むチャンス、定年後の田舎暮らし、退職金の資金運用、ボランティア活動だの、その様は百花繚乱のごとくだ。やれやれ、この塊は死ぬまで騒がれていそうである。まぁ、昔からそうだったからいまさら文句を言わなくてもいいか。
 ただ、少しばかり気になるというか鼻につくというか、そんなことについて意見を言いたい。それは団塊世代の定年後の夫婦のあり方に関連してのことである。離婚による年金分割制度の改定ということもあって、とりわけ熟年離婚の話題が多いのでそれについて述べよう。
 最近、いくつかのテレビでも取り上げられていた。ある出演者が「男の人って12時きっかりになるとおなかがすくのね」と、夫の定年後に、お昼の支度をさせられている女性が笑いながら話していた。軽い皮肉を込めていらっしゃるので、ボクも一応笑った。一応ね。なぜ一応かって?だって、サラリーマンは職場でのお昼休み時間はきっちり一時間以内に食事と休憩を手際よく済まさなければ、午後一番の来客や社内会議に間に合わない。また、常に健康管理に気を遣っている身としては、不定期な時間に食事するのはあまり好まない。サラリーマンにそういう永年の職業病みたいな生活習慣があるのはやむを得ないことだと理解して欲しいのである。
 こういうのもあった。定年後の夫からの言葉と言えば「フロ メシ ネル」の三つであると。これは随分前から見聞きする言葉なんだが、こんな三つの言葉しか話さない団塊世代は数多くいるのだろうか。もっともっとボクたちの大先輩のことではないのか。「信じられな〜い」である。
 ある女性は「定年後、夫に三度のご飯の支度をすると思うとゾッとする」という。ああ、そんなに嫌なんだ。でも待てよ。これって三度の食事の支度をするのがいやではなくて、毎日家にいる目の前の夫と関わりたくないということを言っているのでないのか。だから、年金を半分貰えるチャンスを待っているのである。妻がこのような考えでいることを夫は知っているのだろうか。たぶん気配は感じいる夫もいるはずであると想像する。もし、その夫がですよ、定年になったら三度三度の食事を妻に頼まないで、自分でも料理教室にでも通って腕を磨くかなと考えていたとしたら、どうなのか。それらを確認もせずに三行半を突きつけたら、夫はどういう態度にでるのだろうか。
 「あなたは絶対・・・だ」「あなたはどうしてそうなの?」という「あなたメッセージ」のコミュニケーションのスタイルは、相手にとっては攻撃されている気分になるので、反撃に出たくなる。そうでなしに、「あたしはこう思う」とか「あなたはどんな暮らし方をしていきたいの」とか「・・・して欲しいのだけれど」とリクエストするとかはできないものだろうか。昔からそうだと断定せずに、あるいは思い込みを持たずに話してみてからでも、離婚という決断はできるはずである。
 もちろん、離婚がいけないなんてことはなく、早く離婚したほうがお互いのためということもあるだろう。しかし、考えておかなくてはならないのは、概して妻の方が夫よりも長生きすることである。長生きは得でもあるわけだが、一人でさびしく過ごす時間が長いということでもある。また、離婚を決意するときは健康でも、いつ病気になるやも知れぬ。半分の年金を貰えることになったとはいえ、離婚は妻にとってリスクあることを忘れてはいけない。
 定年後の夫婦のあり方を探る番組などで気になるのは、全体的に夫(男)のだらしなさ、いけないところなどをご親切にとりあげて解説しているのが目立つと思うのは、ボクのひがみか。また、「団塊オヤジよ!蕎麦を打っている場合ではない」などと声高に女性に主張されたりするのをえへらえへらと笑う気になれない。蕎麦を打ってなぜ悪い?みんなそれぞれ好きなことをやればいい。団塊世代だからといって、なにも同じ志など持たなくてよいではないか。よけいなお世話である。
 まあ、そうは言ってみても、女の側から総じて言われることは、男として夫として、ヒャッとするような覚えのあることも確かにある。でも、ちょっとねぇ、あんまりだという気がして、気の小さいボクは力のない遠吠えをするのである。ウォ〜ン!!!。(2007/04/16)
 

■只今
 先日、故郷に住む同級生のM子さんからお菓子が送られてきた。恐縮して、電話をしてみると、どうやら、私が編集長として発行している新聞を送り続けていることへのお礼のようであった。M子さんと話をしていて、はっとさせられた言葉に出会った。「つつがなく暮らしていけることが、どれほどありがたいことかとしみじみ感じている」「この地で生まれて暮らしていけることに感謝している」と言ったのである。私は「"つつがなく"とういう言葉は私自身も普段使っていないし、若い人にとっては死語になっているかも知れない」「いい言葉ですね」などと応えた。
 そして、童謡の「故郷」の二番の歌詞にも使われていることを思い出した。
・・・・・如何にいます 父母
     恙なしや 友がき
     雨に 風に つけても
     思い出ずる 故郷
 「つつがなし」を辞書であらためて調べてみると、「恙無し」と書き、「病がない」「息災である」「無事である」という意味であることがわかった。彼女は、無事で暮らしていることに感謝の念をもち、今を生きているわけである。
 このことをきっかけに次々と以下のようなことに繋がっていった。
 
 生きるとか、命とかということに考えを巡らしていたら、今朝のNHKラジオで旭川動物園園長の小菅さんの話が再放送されていた。ラジオ深夜便という番組で「いのちを伝えることということ」というテーマであった。小菅さんは、何十億年前に誕生した生命に思いを寄せ、動物から学びなさいと話されていた。

 先日、亡くなられた哲学者の池田晶子さんは著書のなかで、「幸せになりたいと思うことは、いま不幸せだと思っていること」と記している。いま、幸せだと思えれば、幸せになりたいと思わなくていいということを伝えている。

 アウシュビッツから奇跡的に生還したV・E・フランクルは、どんな劣悪な境遇にあっても、明日を夢見て「にも関わらず生きる」ことの大切さを残した。
 
 これら、一連の話には共通項、あるいは宇宙の真理としてみんな繋がっているのではないかと思う。宇宙の真理を表すと思われるものに「只今」という言葉がある。「南無の会」会長の松原泰道さんによれば、「只今」は、現代「只今帰りました」と使っているがもともとは仏教用語からきたものとのこと。「今は、今しかない、今を一すじに大切に生きよう」との教えが、日常の挨拶語として使われている見るべきと述べている。

 不易流行というが、時代は変わっても、真理は変わらないのである。(2007/03/17)

■勇気を引き出す魔法の言葉

 梅の便りが届く季節となった。この時期は、一緒に就職活動をしてきた学生が、あと一ヶ月で卒業するときでもある。就職を希望する学生もそのほとんどが就職先も決まっている。この時期になると、いつも思うのは、私の学生への就職支援がうまく機能しただろうかということである。自分なりに、昨年よりも今年と工夫しながらやってきたので、指導面で進歩はしていると思うのだが、反省点も多々あった。
 今年の一つの進歩として、「勇気を引き出す魔法の言葉」をまとめてみて、実際のキャリア・カウンセリングのときに使ってみようと試行したことである。学生を能動的に主体的に就職活動に向わせるために、意識して使ってみようとしたのである。これまでも、学生に安心感を与えための言葉をかけたり、勇気付けの言葉は投げかけてきたのだが、とっさにそれができなかったり、後から「ああ言えばよかったかな」と思ったりしていたので、いつでも、さっと使えるようにまとめてみようと思ったのである。
 まとめてみた「勇気を引き出す魔法の言葉」は次のとおり。
順番は特に意味はない。また、カテゴリー別に整理はされていない。
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・この字は、あなたの誠意を表しているね。
・この書き方、僕は好きだなぁ。好感が持てるよ。
・最後まであきらめないで頑張ったよね。
・最後まであきらめない精神力が勝ちを呼んだね。
・頑張っているね。
・流石だね。
・尊敬しちゃうよ。
・目に力があるね。
・君の勇気に感激したよ。
・君の楽しそうなその笑顔は、最高の武器だよ。
・いつも楽しそうにしている君の態度は素晴らしい。
・目標は人と比べなくていいよ。自己新記録を出すことに専念すればいいよ。
・「できる できる できる 私はできる」と唱えてやってごらん。
・「なぜ? なぜ? なぜ?と少なくとも三回は考えてみよう。
・自分が気づいたことを「なるほどリスト」に書き溜めていこう。
・連休の狭間なのに、セミナー(相談)に出てくる意志力は素晴らしい。
・肩の力を抜いてみよう。重い鎧は脱ぎ捨てよう。
・いい経験をするつもりでやってみようよ。
・君の人生の主人公は君だよ。自分で脚本を作って自分が演じるんだ。
・「控えめ」が必ずしも短所とは言えないよ。「奥ゆかしい」とも言えるんだから。
・わざわざ連絡、報告に来てくれてありがとう。
・捨てて得るものもあるよ。
・課題は一度に全部やらなくてもいいよ。「いまやれること」と「しばらく手をつけないこと」を整理してみたら。
・不安になったり、悩んだりすることはいけないことではないんだよ。それは、安心したい、解決したいという意志を持っているからなんだよ。
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これらは、よく使っているのもあれば、あまり使っていないのもある。今後、もっと引き出しを沢山持って、学生に向き合いたい。まだ発展途上なり。

あなたは最近、「勇気を引き出す魔法の言葉」を誰かから掛けられたことはありますか?あなたは最近、「勇気を引き出す魔法の言葉」を誰かに掛けたことはありますか?(2007/02/18)


■信じられない大人たち
 最近の大人たちが引き起こす事件やニュースを見ていて、ふと、いじめ問題のことが気になった。直接的に関連がないにも関わらず、底流ではあるいは間接的には関連があるのではないかと思ったのである。
 安部内閣の大臣が続々と不透明なお金の取り扱いで疑惑を招いている。先日も、文部大臣までもがマスコミでたたかれている。昨年、子どもたちは文部大臣にいじめにあった苦しい胸のうちを手紙で伝えた。それに対して、文部大臣は子どもたちにメッセージを送ることで応えた。そういう人が新聞で糾弾されている。その報道に対して、子どもたちはどのよう思いで受け止めているのだろうか。
 市民を守る警察官が逮捕されることも珍しくなくなった今日。子どもたちはどんな思いだろうか。また、老舗のお菓子メーカーが消費期限の切れた牛乳を使用していた事件。そのお菓子メーカーのお菓子を食べていた子どもたちはどう感じたのだろうか。
 大人たちが引き起こす事件が毎日のように報道されている。このような時代のなかで生きている子どもたちの心はどんなものだろう。
 大人たちは、言っていることとやっていることが違う。大人たちは子どもたちのお手本ではないのか。私たちは、いったいなにを信じていけばいいのか。こんな子どもたちの叫びが聞こえてくる。子どもたちは、表面はつくろっていても、いつかそんな大人になっていくのだろうかという言い知れぬ不安を抱いてはいないだろうか。その不安ゆえ、ストレスとなり、コントロールできなくなり、あるいはコントロールをしようとせず、弱い者に対して、からかいやいじめをすることで自分の存在を確認しようということはないのだろうか。
 子どものいじめ問題は子どもの世界だけの原因で起こっている問題ではない。家族も含めた大人との関係、社会との関係のなかで起きている。大人たちが作り出していることが子どもたちに鏡のように投影されている。周りの大人たちが信じられない。そのような不信と不安のなかで毎日を過ごしている子どもたちにはゆとりがなくなっている。そのような中、文科省は学力低下の歯止めをかけようと、夏休みを減らしたり土曜日も授業をやろうとしている。子どもたちはますます疲労し、「学力が上がったが活力が低下した」「学力も上がらずに、思いやり心が低下した」にはならないだろうか。(2007/01/20)