this・・・


「なんだかあっという間でしたね・・・」
「あの姉貴が、こんなにもあっさりと行くとはなぁ」
「まだ、信じられないです」
「先走る人だったからなぁ」
「もう、会えないんですね」
「うーん、どうだろう」
「何で、否定してくれないんですか」
「姉貴の事だからなぁ、確かに簡単に帰ってこれんだろうけど」
「あんなに遠い所に行ったんですよ」
「まぁ二重の意味で遠いだろうなあ」
「そうなんですか?」
「嫁いだ挙句に、旦那の留学に付いて行ったんではなぁ」
「D・Tですから、新婚状態も百倍加圧ですね」
 馬鹿な事を言いながら、俺は結婚式場帰りの礼服『高機動仕様』を脱ぐべく部屋へと向かった。
「あ、着替えたらお茶いれますから」
 君はそう言いながら、自分もドレスを着替えるべく部屋へと引っ込む
 ちなみに親父の礼服は『重砲撃仕様』だった。
 君とお袋は普通のドレスだった・・・・・・
 主役の姉貴が、その代わり『近接格闘仕様』『遠距離攻撃仕様』『電子戦仕様』『飛行仕様』などのウエディングドレスのお色直しをやりまくっていた。
 よくああいうのをもらってくれる男がいたもんだ。
・・・・卒業式の1時間後に結婚式ってのは、色々狙いすぎだと思うが。
 部屋で私服に着替えた途端、意味も無く疲労感に襲われる。
「姉貴達は今頃、海の上か」
 両親が姉貴の事を祝うよりも、相手の男に同情しまくってた気がするが、まぁ姉貴の一人勝ちだろう。
「自分の将来か」
 床に放り投げたカバンから、一枚のプリントを引っ張り出す。
『進路希望調査』
 一番最初にデカデカとそう書いてある。
「姉貴はいきなり永久就職しちまったけどな」
 最終進路希望で進路指導の教師にいきなり結婚話題ぶちかまして、ビビらせたって話だったな。
 おまけに相手は同級生だし。
「義兄さんと呼ばんとダメか?」
 あの人は進路は進学って扱いだけですむんだろうか?
 余計なオマケが付いてはいるが。
「だけどなぁ・・・」
 姉貴があんな風に笑うのは初めて見た気がする。
 今まで一緒に暮らして、それでも知らない事がある。あの人は姉貴のそんな所を知っていたんだろうか?
 相手の事を誰よりも知っている、っていうのは簡単な事じゃないと思う。
 好きだからこそ、知らない事があるんだから。


「ふぅ」
 私自身が知らぬ間に疲れていたのか、思わず、ため息が出てしまいます。
 結婚式。
 私が始めて体験した行事ですが、とても数え切れないくらいの思い出が出来ました。
 咲耶さんの嬉しそうな恥ずかしそうな笑顔や、次々と服装を変えるお色直し。周囲の人達の笑顔と、旦那様と奥様の少し寂しそうな顔。
 連合の人たちが知っていた、交際当時の2人の話にそろって赤くなる様子や(じゃっかん1名、総長さんの話は咲耶さんがよほど聞かれたくなかったのか、話の途中に砲撃かまして中断させてましたが)学校の先生方の苦笑いの混ざった祝辞。
 とても新鮮で面白い体験でした。
「結婚・・・・・」
 正直、私にはまだ上手く結婚という事が理解できません。
 まだ、私が女性としての進化ができてないせいなのかも知れません。
「好きな人と一緒になる事・・・」
 咲耶さんと旦那さんになる方のお互いを見つめあう笑顔が、とても眩しかったのは分かります。
 でも、それを自分で置き換えようとすると、途端に分からなくなってきます。
「何ででしょう」
 ドレスを脱ごうと、背中のファスナーに手を伸ばすと何か柔らかい感触がします。
「?」
 手にとって見ると、それは白い花びらでした。
「ブーケの花・・・」
 結婚式のイベントとして行われた、ブーケのプレゼント。
 空高く放り投げられた花束は、色々な争奪戦(砲撃や怪光線、重力制御にロケットパンチなど。なぜか女教師の皆さんが一番必死でした)を経て、偶然にも私の手の中に収まりました。
 それを見た咲耶さんが、嬉しそうな顔をしていたのが気になりました。
 その花束は、玄関の花瓶に生けてきました。
ブーケを受け取った人は、次に結婚できるジンクスがある、と聞きました。
でも、自分がそうなるのはやっぱりピンときません。
「今、一緒にいるだけじゃダメなんでしょうか?」
 私にはまだ、答えが出せそうにありません


「結婚式の引出物の紅白饅頭ってのは分かるとして」
甘ったるくなった口に茶を注ぎ込む。
「一人につきサッカーボール大の饅頭が2つってのは無理があると思う」
 おまけにしっかり薄皮。餡子だけで何キロあるんだ?
「旦那様は平気で食べてましたけど、さすがに少し・・・」
 テーブルの上には、君が食べやすいようにと切り分けた巨大饅頭がまだ3分の2以上有る。
「オヤジは式の最中に3つは食ってたからな・・・」
 糖尿病にならん事を願う。肝臓だけ義体化ってのは勘弁してもらいたい。格好悪すぎる。
「でも義兄さんもウエディングケーキ一人で半分食って見せてたからなぁ」
「痩せの大食いって本当にあるんですねぇ」
ドラム缶サイズのケーキを体のどこに収めてたかは謎だ。あれで両腕義体の姉貴と生身で力比べできるらしい。
 連合の事務役じゃなかったか?あの人。
「けど困りましたねぇ」
 君の視線の先には余った引き出物の箱。
 全部で5つ。よって饅頭はあと10個・・・・・
「残りは親父に頑張ってもらうか」
「そうですね」
 賞味期限は明日だけど。
 とりあえず少しでも協力するべく、もう一切れを口に入れる。
「何で親ッてのは子供の結婚式に無茶やろうとするんだろうなぁ」
「そうなんですか?」
 君はお茶を濃い目にいれなおしながら、聞いてくる。
 あー、結婚式の経験ないからなぁ。
「従姉妹の結婚式じゃ『新郎VS新婦の父 電流金網地雷浮遊爆雷&自由砲撃デスマッチ』やってたし、引き出物は金杯(『異議あり!』の文字入り)・銀杯(『待った!』の文字入り)のセットだったしなぁ」
「はぁ・・・そうなんですか」
 君の困り顔はまぁ当然だろう。一人娘を嫁に出す親の気持ちはさすがに想像の範疇外だ。
「さすがに義父のパロ・スペシャルに5分も耐えた新郎の判定勝ちだったし、最後には認めてたようだけど」
「結婚式も色々なんですねぇ」
 君はそう言いながらお茶を一口。
 なんとなく、その表情に戸惑いが見えるのは気のせいか?
「自分の将来か・・・」
 まぁまだ高校生の身で、そこまでの心配はまだ少し早いか?(身内にいきなり例外作られた気がするが)
 とりたてて心配すべきは堅実な自分の進路か?
 君の未来はどうなんだろう?


「自分の将来か・・・」
 そう呟いたまま、貴宏さんは黙り込んでしまいました。
 私にもその言葉の意味が深くのしかかってくるようです。
 自分の将来。
 私は自分が進化する事が自分の将来だと、そう思ってました。そうすると、その先には何があるんでしょう?
 漠然と咲耶さんと同じような結婚式を連想してみますが、やはり漠然として想像がつきません。
 貴宏さんは、どう考えているんでしょう。
「あの・・・」
 私が口を開いた途端に電話が鳴り響きます。
「あ」
 立ち上がろうとした貴宏さんを制して、私が電話口に立ちます。
 ですが、電話を取ろうとした途端にベルが鳴り止んだかと思うとFAXが送られてきました。
「何でしょう」
 吐き出されたFAXに目を通します。
『暴走娘は空に無事送り出した。この足で少し寄り道して帰るので、今夜は遅くなる。夕飯は適当に2人で食ってくれ。
パパとママより
PS 饅頭を全部食ったらヌッ殺す BYパパ』
 旦那様と奥様からのようです。何で電話でなくFAXなんでしょう。
「んー、何がパパとママだ、まったく」
 脇からFAXを覗き込んだ貴宏さんが呆れた声で、FAX用紙を千切るとゴミ箱へと放り込みます。
「電話の方が簡単だと思うんですけどねぇ」
 私の言葉に貴宏さんが神妙な顔で、頬を掻いてます。
「多分、電話かけるのが無理なんだろう。2人して今頃泣いてるだろうから」
「?そうなんですか」
 私にはあの2人がそろって泣いてる姿は、少し想像が出来ません。
「なんだかんだ言っても娘送り出したんだからなぁ、なんとなく想像つくし、そんな声聞かれたくないんだろ」
 そうなんでしょうか?
 だとしてもそれが想像できるのが驚きです。
「多分、今頃姉貴も・・・」
 そう呟きながら、そっぽを向いてしまいました。
 咲耶さんがいなくなる事に悲しくなるのは私だけでなく、皆さんそうなんでしょうか?
「ゴメン、少し部屋行ってるから晩飯の時に呼んで」
 そのまま私に顔を向けないまま、飛び出していきました。
 何でこちらに向かないのか、察しはつきます。
「ハイ・・・」
 それを見送って部屋に一人残された私は、なんだか妙な不安感が急に湧いてきます。
 それがなんだかハッキリしないのが、余計に不安です。
「何でこんな気持ちになるんでしょう・・・」


 大股で階段を駆け上がり、部屋のドアを乱暴に閉めてからやっと安心できる。
「や、やばかった・・・・・」
 気が緩んだせいか、自分の足に冷たい感触がするのにやっと気付く。
「らしくないよなぁ、やっぱ」
 自分の頬を伝わり落ちた涙が自分の足を濡らしている。
 手でそれを拭い取り、ついでにティッシュでハナをかむ。
「勘弁してくれよなぁ、まったく」
 まさかあんなFAXだけで自分の涙腺緩むとは思ってなかった。今は落ち着いたのか涙は止まっている。
「見せられないよなぁ、やっぱりこういう姿っての」
 両親そろってFAX送ってよこした原因が自分の身に振りかかるとは。
 落ち着くために深呼吸を一つ、二つ、三つ。
 沈静化した頭に先程のプリントの事が甦る。
 視線の先、机の上に置いたプリントにもう一度目を通す。
「姉貴は、同じ時期に何考えていたのかな」
 少なくとも、結婚でなかったのは確かだと思う・・・というか思いたい。
 ため息をつきながら、プリントを置いた机の隅に白い封筒が置いてあるのに気付く。
「何だコレ?」
 出かける前まではこんなのはなかった気がする
 手にとって見る。
 表には何も書かれておらず、ひっくり返してみる。
 そこには鉛筆書きの文字。
『我が弟へ』
「姉貴?!」
 見覚えのある字に間違いは無い。あわてて中身を取り出して見る。
 中には飾り気の無い白い便箋に、同じ鉛筆書きの文字で一言。
『頑張れよ』
 何をがらでもない事やってんだか・・・
 そんな事を思いながらも、自分の顔に笑みが浮かんでいるのには参る。
 どうやって俺より先に家を出発した人間がこんな封筒を残したかしらんが。思わぬ行動起こした物だ。
 苦笑しながら便箋を仕舞おうとした時に、裏側にも何か書かれているのを見つける。
『なお、恥ずかしいのでこの文書は読後に自動的に消滅する』
 オイ。
 俺が慌てて手を離すのと、便箋と封筒がいきなり燃え始めるのは同時だった。
 1秒とかからずに、かすかな灰をのこして両方とも燃え尽きてしまった。
「恥ずかしいなら書くなよ、こんなの」
 あやうく火傷するとこだった。
 やっぱり姉貴は姉貴だった。
 呆れてる所に、今度は机の上になにか降ってきた。
「今度はなんだ?」
 机の上に振ってきた白い石のような物を摘み上げる。
「痛っ!?」
 指先にいきなり激痛が走る。摘んだはずの石がなぜか指先にくっ付いている。
 机の角にこすりつけて引っぺがすが、指先には白く跡が残っている。
「まさか、ドライアイス?」
 猛烈に嫌な予感がしたので、上を向く。
 天井にテープで貼られたドライアイスの塊が2つ。
 まさか、封筒と一緒にドライアイスを貼り付けて、時間がくるとドライアイスが気化して封筒が落ちてくる仕掛けか?
「何時の時代の密室トリックだよ、まったく」
 あまりの事に、俺は呆然としていた。
 その呆然と見上げた顔めがけてドライアイスの塊が振ってくるのに、俺は気付いてなかった・・・・・


「これで終わり、と」
 洗った急須と茶碗を棚に仕舞い、残ったお饅頭にラップをかけて冷蔵庫に仕舞います。
 夕飯は2人分だけでいいので、時間もまだありますし、買い物に行く必要もないでしょう。
 手持ち無沙汰になってしまいました。
 なんだか、じっとしていると先程感じた妙な不安感が又押し寄せてくるような気がして、なんだか怖いです。
「どうしたんでしょう?」
 何に対しての不安なのか漠然としすぎてて分かりません。
 何か気を紛らわせようと、自分の部屋へと向かいます。
「ウギャアア!」
 廊下を歩いていると、貴宏さんの部屋から悲鳴が響いてきました。
「マスター?!」
 慌てて悲鳴のしたドアを開けると、額になにか白い石のような物を貼り付けた貴宏さんが、部屋の中で暴れていました。
「ど、どうしたんですか?」
 私が声をかけると、勢いよくこちらを向いて一言。
「コレ取って!早く、早く」
 指差したその先には、額の白い石。
 訳も分からず、それに手を伸ばします。
「ダメだぁぁ!」
 あと少しで指が触れようとした途端、急に貴宏さんが身を引いて、私から離れたかと思うと、額を石ごと柱へと打ち付けました。
 ゴギョ!
 なんだかとっても危ない音がしたかと思うと、石はキレイに額から砕け散っていきました。
 石が床に散らばるのと同じ速度で貴宏さんも崩れ落ちます。
「な?な?な?」
 崩れ落ちる貴宏さんを慌てて受け止めます。
 男の人の重みに、私は耐え切れずに一緒に倒れんでしまいました。
「大丈夫ですか?」
 床に座り込むような格好になった私に、貴宏さんがのしかかるような形で伸びています。
「それ、触っちゃダメ、ドライアイスだから」
 言われてみると、確かに床に散らばった小石から白い霧のような物が出ています。
「何で、ドライアイスなんか有るんですか?」
 私の質問に貴宏さんは上を指差します。
 見ると、天井には一塊のドライアイスがテープでくっつけてあります。
「なんですか?あれ?」
 言ってるそばから、その一つも天井から落ちてきました。まっすぐに机に落ちたかと思うと、重い音を立てて砕ける事もなしに机に張り付きます。
「ちくしょう、あの姉貴。戻ってきた時に覚えてろ・・・」
 なんとなく誰の仕業か分かりました。どういう意味でやったのかは分かりませんが。
「額、大丈夫ですか」
抱きかかえるような格好になった貴宏さんの額を覗き込みます。
 さっきまでドライアイスのくっ付いていた所は、まだ白いままです。
「痛いですか?」
 そっと額に触れてみると、まだ少し冷たいままです。
「冷たすぎて、痛みも感じな・・い・・・」
 触れている額が急に熱を帯び始めました。
「あの、急に熱くなってきましたけど?」
 心配で抱きかかえる腕に力がこもります。
「いや、その・・」
 熱はますます上がってきます。顔が真っ赤になるくらいに。
「大丈夫ですか?すごく熱を持ってきてますよ?」
「だから、その、離してくれないかなーって」
 言われてから気付きました。
 抱きかかえた顔を、私の胸に押し込んでいるという事に。
「あ!その、ごめんなさい!」
 2人とも慌てて距離をとります。
 今、私の顔は貴宏さんと同じく真っ赤になっている事でしょう。
 さりげなくトンデモ無い事をしてしまった気がします。
「あ、あははは」
「うふ、うふふ」
 2人そろって恥ずかしさを誤魔化すための空笑いが出ます。
 その体勢のまま、2人そろって動けません。
 少し困ります。次の行動をどう取ったらいいのか、というのは。
 二十秒経過。
 不意に何かを思いついたのか、貴宏さんが手を打ちます。
「お、俺ちょっと薬買ってくるから!」
 それだけ言うと後ろ手でドアを開けた途端、出て行ってしまいました。
「あの、マスター、薬ならあったんですけど・・・」
 そう呟いた時には、玄関を閉める音が聞こえてきた時でした。止める間もありません。
 家の中には私が一人、残されてしまいました。
「何をしたかったんでしょう、咲耶さんは?」
 机の上には、まだドライアイスの塊が乗っています。
 片付けなければならないんでしょうけど、流石に触れない物は片付け様もないです。大人しく気化するのを待ちましょう。
「いなくなっても、まだ騒々しい人ですね」
 なんとなく、足が咲耶さんの部屋へと向かいます。
 数メートルと離れていない部屋の前。
 ドアにはプレートが一枚。
『関係者以外立ち入り禁止(ただし掃除はよろしく)』
 さらにプレートの下に、昨日までは無かった紙が一枚貼ってあります。
『嫁行って来ます(ただし私物の勝手な転売禁止)』
「咲耶さんらしいですね」
 苦笑と共にドアを開けます。
 一歩踏み込んだ途端に驚きました。
 今まで私が片付けなければ、足の踏み場も無かった部屋がキレイに掃除されています。
 床には乱雑に転がっていた多種多様な物が一つも無く。
 ベッドは布団が片付けられてマットレスだけ。
 タンスから溢れていた衣類はキチンと整理されてます。
 部屋の主が下着姿でも閉めた事無かったカーテンは閉ざされ、部屋は薄暗くなっています。
「昨夜、なんだか騒がしかったのはこの為だったんですか・・・」
 夜中まで何か物音がしてましたが、てっきり普段の鍛錬だとばかり思ってました。
「らしくない事していきましたね」
 咲耶さんの決心が見えます。どれだけ本気でこの結婚に望んだのか。
 視線を巡らすと、机の上には散らばっていた筈の筆記用具がキレイにペン立てに修められ、一番大事にしていた家族で取った写真と、連合の皆さんで取った写真、その2枚を入れた写真立てだけが無くなっています。
「やっぱり、これは持っていったんですね・・・」
 一抹の寂しさを感じながら、机のふちをなぞってみます。
 丁寧に布巾がかけられたのか、ホコリ一つ残っていません。
 半周までなぞって、ペン立ての側まで行った時に何かがペン立ての下に挟まれているのに気付きます。
「何でしょう?」
 ペン立てをどけて見ると、そこには白い封筒が一つ。
 表には鉛筆書きの文字で。
『我が妹へ』
 ドキン、と心臓が高鳴ります。
 前に一度だけ咲耶さんが私の事を『妹』と呼んだ事が有ったからです。それにこの筆跡は間違いなく咲耶さんです。
 震える指先で、封筒を開けて見ます。
 中には鉛筆書きの白い便箋が数枚。

『シンディへ
いきなりな呼び方でビックリさせてゴメン。
貴女はどう思ってたか分からないが、私はずっと以前から貴女の事を妹だと思ってた。改めて言うのも恥ずかしいんで、言ってなかったけど、今度会う時はできれば私の事を姉と呼んで欲しい。
妹の進化を最後まで見届けられないのは残念だけど、私にとってあの人は家族と同じぐらい大事な人だから付いてく事にする。
きっと貴女は最後まで進化できると私は信じてる。
そして、もう一つ。
貴女の弟への感情も私は知っている。
ただ、その気持ちについて貴女自身が気付いてない事もある。
だけど、それは貴女が自分で答えを出さなければいけない事だと思うから、ヒントだけ書いておく。
『LOVE OR LIKE ?』
この質問に答えられれば、貴女はきっと大丈夫だと思うから。
最後に一言。『アリガトウ』と言わせてもらいたい。
私の大切な妹へ

PS この文書は恥ずかしいので絶対に誰にも見せない事。あなた自身はこれを読み直す事が必要だと思うから』

 読み終わる頃には私は泣いていました。
 咲耶さんの気持ちが嬉しくて、泣かずにはいれなかったから。
「私こそアリガトウございます。咲耶さん」
 そう言ってから首を横に振ります。
「アリガトウ・・・姉さん・・・・・」
 あふれ出る涙を袖で拭います。それでも止まりません。
 手にした便箋を泣きながら封筒に仕舞い込み、ポケットに修めます。
 なんだかせっかく姉さんが片付けた部屋を、このままだと涙で汚してしまいそうなので、部屋を出ます。
 霞む視界で、自分の部屋へと駆け込みます。
 そのままベッドへと倒れこみ、ひとしきり泣きつづけてました。


「あー、くそあの野郎。なにが『やっぱり姉さんいなくなったから今度の常連はお前か』だよ、まったく」
 怪我なんぞ滅多にしなかった姉貴が、何を買いに薬局の常連だったかは追及しない事にしたけど。
 痛む額に、薬局で塗ってもらった薬と貼ってもらったバンソウコウが随分目立つ。
「格好悪」
 極力人通りの少ない道を選びながら、家路を急ぐ。
 なんだか色々姉貴に文句言いたくなったが、あの便箋の一言が頭に浮かんで、何も言えなくなる。
「結局、最後まで姉貴にゃ勝てんのかねぇ」
 我が家が見えてきた時に、妙な事に気付く。
「なんで灯り点いてないんだ?」
 空はすっかり暗くなってきているのに、窓に一つも灯りが無い。
「ただいまー」
 玄関にはカギがかかってないから、留守って訳ではないと思う。
「シンディ?」
 台所を覗いてみるけど、そこには人の気配は無し。
「部屋か?」
 いい加減、夕飯の準備しててもいい頃なんだけど。
 2階へと上がってみると、なぜか姉貴の部屋のドアが開きっぱなしになっていた。
「?」
 とりあえずドアを閉めると、見慣れたプレートの下に一枚の張り紙。
『嫁行って来ます(ただし私物の勝手な転売禁止)』
 何考えてんだか、まったく。
「だったら嫁入り道具に持っていけよ」
 まぁ行く先が留学先のアパートだから、荷物を減らしたかったのは分かるが。
 持っていった荷物は大型バック一つ。
 普段、旅行のときは色んな物を持ってく姉貴が、それだけの荷物に修めたって事はなんだか、姉貴の本気具合が感じられた気がする。
 思い立って部屋の中を覗いてみる。
「なんでこんなキレイなんだ?」
 まさか姉貴が片付けたんだろうか?信じられないけど。
 だが、そこにも君の姿は無い。
 とりあえずドアを再度閉める。
 その時に君の部屋から物音が聞こえる。
「何だ部屋か」
 君の部屋の前へと立って、ドアをノックする。
「シンディ、そこにいるの?」
 声をかけた途端に、中から派手な音がする。まるでベッドから転げ落ちたような。
「大丈夫?」
 思わずドアを開けようとすると、逆に中から凄い力で閉められる。
「な、なんですか。マスター」
 なんだか随分と慌て声のような気がする。
「いや、家のなか真っ暗だから、どうしたのかと思ってさ」
 おまけにドア開けさせまいとしてるし。
「す、すいません!ちょっと色々ありまして」
 なんだか今度はどもってるし。
「本当に大丈夫?なんだか様子おかしいけど」
 言いながら、ドアノブを引っ張るがやはり中から閉められる。
「だ、大丈夫ですっ。なんともないですから、はい本当に。そ、そういえば額の方は大丈夫ですか?」
「いや、薬局の奴の話だと薬塗って一晩経てば大丈夫だろうってさ」
「そ、そうですか。良かったですね、大した事なくて」
「いや、それよりもなんでドア閉めるの?」
 中から息をのむ音が聞こえる。
 続いて深呼吸。
「ごめんなさい、少しそっとしておいてもらえませんか?」
 中から、か細い声でお願いされてしまう。
 なんだか、こっちが悪人みたいな気がしてくる。
「・・・なんだか分からないけどゴメン。事情あるんだね」
「ハイ・・・」
 返事は随分と弱弱しい。
 何あったんだ?一体?
 しばらく一人にした方がいいのか?
「なんだったら晩飯買ってくる?」
「すいません・・・・お願いします」
 何があったか知らないが、そっとしておいてあげるのが良いと思う。
 問題は晩飯買ってくるのに先立つものだが・・・立て替えておこう。薬代使ってしまったんで貯金箱開けざるをえないが。
「それじゃ、すぐに行ってくるから」
 その場を離れ、自分の部屋へと向かう。
 時間がたったせいか、部屋の中のドライアイスはキレイに無くなっていた。が・・・
「ぐお!息苦しっ!!」
 気化した二酸化炭素が部屋に充満していたので、窓を開けて空気を入れ替える。
 外はもはやすっかり暗い。
「・・・コンビニでいいか。時間かかるし」
 一通り空気を入れ替えてから、窓を閉めて机の上の貯金箱へと手を伸ばす。
「さっき直撃しなくて良かった・・・」
 カギを開けて、中からなけなしの紙幣を2枚取り出す。
「立て替えてもらえるよなぁ・・・」
 我ながらけち臭いが、切実なので仕方がない。
 貯金箱を机へと戻しながら、その上のプリントに気付く。
「忘れてたな、そういや」


 玄関が閉まる音を確認してから、私は部屋から出ました。
「今の内に・・・」
 さっきは慌てました。いきなり帰ってこられても、こっちはトンデモない状態でしたから。
 洗面所へと向かい、鏡に自分の顔を映します。
「やっぱり」
 ずっと泣きつづけた私の顔は、すっかり目蓋が赤くはれてしまってました。
「ヒドイ顔」
 自分で自分の顔に苦笑しながら、蛇口をひねり水で顔を洗います。
 冷たい水の感触が何度か顔を刺激すると、頭の中が冷えてきた気がします。
 そばにあったタオルで顔を拭いて、もう一度、鏡を見ると先程よりは酷くない顔が映ってます。
「見せられないですよね、さっきの顔」
 苦笑しながら、タオルを置いて台所へと足を向けます。
 暗いままの台所についてから、自分のさっきのやり取りを思い出しました。
「そっか、夕飯頼んじゃったんでした」
 顔を見られたくない一心で適当な答えをしたのを今更ながら後悔します。
 さっき出ていったばかりの貴宏さんが戻ってくるまで、しばらくかかるでしょう。又、何もする事が無くなってしまいました。
 自然と足は自分の部屋へと向かいます。
 力なくベッドへと腰掛け、灯りのつけていない部屋から窓の外の夜景を見ていると、近所の家にともる灯りの下に色々な人が家族として暮らしている事に何か不思議な感覚にとらわれます。
「家族・・・」
 ポツリと呟いた言葉に、胸の中にチクリと痛みが走ります。
 その痛みに息を飲み、自分の両手で自分の胸を押さえます。けれど、痛みは収まる事無くまた小さく痛みます。
「また・・・・」
 胸を押さえた両手をほどき、ベッドから立ち上がると、書き物机へと向かいます。
 そして、上に置かれた小物入れの奥からカギを取り出して、机の引き出しにある鍵穴へと差し込むと簡単に棚は開きました。
 そして、自分でも驚くほどゆっくりとした動作で一番上に置かれた封筒を取り出して、中の便箋を広げます。
 もう何度も読み返した文書を、窓から差し込む微かな灯りでもう一度読み返します。
 頭の中に全文入ったと思える文書の中の一文で、目は止まります。
『LOVE OR LIKE?』
 姉さんが私に残していった問いかけ。
 その意味する所が私の中でグルグルと渦巻いています。
 LOVE。
 LIKE。
 2つの単語の意味は分かります。分かるから混乱しています。
「姉さん、私はどう答えたらいいんですか?」
 便箋を机の上に置くと、引き出しの中にもう一度手をいれると別な物を2つ取り出します。
 一枚は4人で撮った家族の写真。
 一枚は貴宏さんと私の2人だけが映った写真。
 どちらも私の宝物です。
「私のこの気持ちは、どっちなんでしょう?」
 2人で撮った写真を手にとって見ようとしましたが、途端に胸にまた痛みが走りそうになります。
 モヤモヤした気持ちのまま、机の上に広げた物を再び仕舞います。
「私は・・・」
 胸の中の答えが見つからないまま、私の足は今度は貴宏さんの部屋へと向かいました。
 位置のせいか、ずっと暗い部屋の中で手探りでスイッチをいれて部屋に灯りを点けます。
 机の上のドライアイスは、すっかりなくなってましたが、冷やしたせいでか、水滴が机のアチコチに付いてます。
「拭かないとダメですね」
 水滴に指を伸ばして、それを机の上でかるく伸ばして苦笑します。
 指先を離そうとした時に、机の引出しから何かがはみ出しています。
 白い何かのプリントが、仕舞い損ねたのか閉じた引き出しの隙間から出ています。
 それを仕舞おうと、引出しを開けるとプリントに書かれた文字が目に飛び込んできました。
『進路希望調査』
 ズキン、とまた胸が痛みます。
 悪いとは思いながらも、そのプリントを取り出すと書いてある文面に目を通します。
『第一進路希望  進学 希望進学先 N工業大学 建築学部』
 ボールペンで書かれたその部分を見た途端、私の中で急に何かが崩れるのを感じました。
 この大学の名前は知っていました。旦那様が通っていた大学です。そして、ここからは遠く離れていた事も。
 崩れていった向こうに貴宏さんが離れていく様子が見えた気がします。
 まるで姉さんが行ってしまったように。
 けど今度は違います。
 まるで自分の中の何かが全て消えてしまうような喪失感。それが私の中を全て埋めています。
 自分の中の不安と、胸の痛みの理由がハッキリと分かります。
 私が貴宏さんの側から離れたくない、という事に。
「嫌」
 自分の口から自分の気持ちがこぼれます。
「嫌」
 涙が溢れてきます。さっきの姉さんの手紙を見た時とはまったく違う理由で。
「嫌です・・・嫌ですよ・・・・・」
 プリントを握り締めたまま、私はその場に座り込んでしまいました。


「春の新作、マッシブ弁当か。トンカツとステーキとテンプラが付いて、ご飯が付いてないってのは問題ないか?」
 どうしようもない独り言を呟きながら、家へと近付くと俺の部屋に灯りが点いているのが見えてきた。
「?なんで俺の部屋だけ?」
 別に掃除とかなんかの用事がある訳でもないと思うんだが。
「シンディ、大丈夫かな?」
 さっきは大分様子がおかしかったから、心配だ。
 なんでああいう風になったかが分からないのが、余計に心配の元だし。
「まさか、姉貴がよけいな事してったんじゃないだろうな」
 同じようにドライアイスのトリックとか。
 思い出した途端に額が痛む。
 コンビニでも、レジのおばさんが笑ってたし。
「ただいまー」
 玄関で声をかけるが、またしても返事は無し。
「シーンディー、晩飯買ってきたよー。チャイナ・ドラゴン弁当でよかったー?」
 大声で言うが、やっぱり返事は無し。
「俺の部屋で何やってんだ?」
 弁当を台所へと放り込むと、部屋へと急ぐ。
 まさか俺みたいに怪我してたら、と思うと気が焦る。
 早足で階段を駆け上がり、大股数歩で部屋へと飛び込んだ。
 真っ先に目に入ったのは、こちらへ背を向けて座り込んでいる君の姿。
 こちらに気が付いてないのか、向こうを向いたまま微かに震えている。
「シンディ?」
 声を掛けた途端、ピクリと震えるとこちらに振り向く。
 その顔に俺は驚いた。
「泣いて・・るの?」
 俺の問いかけに、君は表情をさらに大きく崩すと、いきなり俺へと飛び込んできた。
「ウ、ウワアアアア!」
 俺の胸に顔を埋めた途端に大泣きを始める君。
「ど、どうしたの?」
 大いに狼狽しながら、飛び込んできた君を優しく抱きしめる。
 が、君はそれを振り払うと涙でグシャグシャになった顔を俺に向ける。
「コレ、見ました」
 そう言って、手に握っていた何かを差し出す。
 それは出掛けに書いていったプリントだった。
「あ」
 しまった筈だと思ったが、出ていたか?
「本当ですか?コレ」
 そう、そこに書いた希望先はココから遠く離れた大学だった。
「本当だよ」
 その返事に君の顔が悲しみで歪む。
 何か言われるかと思ったが、ここまで過敏に反応されるとは思ってなかった。
「何で?何でですか?」
 君の問いかけには、何か悲壮な物が混じっている。
 冗談や嘘がつけそうもない気がして、俺は全てを話す事にした。
「俺、親父と同じ設計士を目指そうかと思ってるんだ」
 君が何か言おうとするのを手で制して、言葉を続ける。
「どうせ、親父と同じ道目指すなら、親父を超えたいから、それだと親父と同じスタートラインにって・・・」
 言葉の途中で、君が下を向いてしまう。そして、プリントごと俺の服の裾を握り締める手に更に力がこもる。
「・・・です」
 小さな声。
「嫌です」
 今度はハッキリとした声。
「私の前からいなくなっちゃ嫌なんです!」
 叫びと共に、強く抱きつかれる。
「自分勝手で我侭な事言ってるの分かってます!でも、どうしようもないんです」
 涙でぬれた顔が又、俺の事を見上げる。
「好きです。あなたの事が、マスターとしてじゃなくて、家族としてじゃなくて、一人の男性として」
 その言葉に、その感情に、そして、その涙を、俺は驚くほど静かにそれを見つめていた。
 そして、俺を見上げる君を力強く抱き締める。
「俺もだよ、シンディ。ずっと前から君の事を一人の女性として好きだった」
 驚くほど自然に、言葉は出てきた。
 君は一瞬、ポカンとした表情で俺を見る。
「本当・・・ですか」
 問いかけに、俺は更に強く君を抱き締める。
「好きだ、シンディ」
 その一言に君は微笑んだまま、更に涙をこぼす。
 そして、両手を俺の背中にと回すと強く抱き締める。
「私も好きです。あなたの事が大好きです!」
 お互いに、お互いを見つめあったまま、いつまでも抱き締めあっていた。



 けたたましい目覚し時計の音で、俺は目を覚ました。
 ぼやける頭で、時計を見ると時刻はすでに危険な時間を示していた。
 昨日の卒業式の片付けに呼ばれていた事を思い出す。
「ヤバイ!」
 布団から跳ね起きて、台所へと向かう。
 昨夜は、あのままお互いに一言も発する事無く、抱き締めあっていたが、親父たちが帰ってきた音に慌てて離れると、そのまま有耶無耶な格好で晩飯を食って、風呂に入り、床に着いた。
 お互い、思いもかけない告白をした格好だが、あの後は別にどうという事も無く、普段どおりだった。
 少し早めに帰ってきた両親が恨めしく思えたが。
 駆け足で台所へと向かう、なんで君が起こしてくれなかったのかが謎だったが、台所に来た途端に謎がさらに増えた。
 朝食が無かった。
「あれ、シンディ?」
 台所を見回すが、君の姿は無い。
 まるで昨日と同じだ。
 疑問で頭を埋めて、台所から出て学生服を探すが、それも見当たらない。
 普段ならどちらも君が準備しておいてくれているのに。
 首を捻りながら、君の部屋へと向かう。
 ドアの前に立つと、中から物音がする。軽くドアをノックする。
 途端に中から何か慌てふためく音が聞こえてくる。
「シンディ?」
 ドアを開けようとすると中から凄い力で閉められた。
「な、なんですか?」
 君の声が、ドア1枚隔てた向こうから聞こえる。
「いや、朝食と服・・・」
「あっ!」
 なんで、そこまで慌てる。
 ドアも開けてくれないし。
「すいません、朝とお昼買って食べてください!服は居間のハンガーにありますから!」
 様子がかなりオカシイ君。昨日よりもヒドイ。
 なんでだ?
「どしたの?なんか様子が・・・」
「すいません!帰ってきたら説明します!お願いですから、今は勘弁してください!」
 何か知らないが随分と切羽詰っている。
「あー、分かった。それじゃ後で聞くから」
「すいません」
 ドアから離れて、俺は迫りつつあるタイムリミットに間に合うべく、駆け出した。



 結局、一日ずっと不安と疑問に追われて、ろくな事が出来なかった。
教師には怒られ、クラスメートにはからかわれた。
 失敗は連発し、何事もうまくいかなかった。
「昨夜、告白したんだよな。なんでそれで避けられるんだ?」
 もうちょっとで妙な方向に行きそうになる考えを、根性で引き戻して家路を急ぐ。
「ただいまっ!」
 蹴破らんかの勢いで玄関を開け、台所へと向かう。
 そこには何か料理している君の姿。
「あ、お帰りなさい」
 なにゆえか普段より三割増ぐらいの君の笑顔。
「シンディ、大丈夫か?今朝のあれは何?説明ってどういう事?」
 俺の畳み掛けるような質問に、君は急に恥ずかしそうな顔をして視線を横に向ける。
 つられて横を見ると、テーブルの上には山のようなご馳走と、その中央に山と盛られた赤飯が準備されていた。
「つまり、あの、そういう事なんです」
 君の恥ずかしそうな言葉。が、今ひとつ理解出来ない。
「えーと、どういう事?」
 君は俺から一歩離れると大きく深呼吸。
 それで落ち着いたのか、さっきよりも更に割増の笑顔。
「私、今日で女性へと進化できたんです」
 女性への進化。
 その意味する所を理解した俺が、逆に恥ずかしくなる。
「じゃ、じゃあ今朝・・・」
 口調がしどろもどろになってるのが分かる。
 君が恥ずかしそうに頷く。
「今朝いきなりでしたから、私もビックリしました。奥様が仕事休んで色々と世話してくれまして・・・」
 それからちょっと視線をずらす。
「なんで急に進化できたのかって聞かれたんで、その昨夜の事全部話しちゃいまして・・・」
 何ですと?!
「こう言ってました。『女性として一人の男性を好きになれたのがきっかけだろうって』」
 ああ、そうか。やっぱり君の進化が止まってたのは俺の責任か・・・お袋に言われるな帰ってきたら、色々と。
「あー、そのシンディ。何だ、その」
 君の何かを待っている視線。
「おめでとう」
 その一言を待っていたのか、君は嬉しそうに微笑む。
「マスター、あと一つだけ私の進化が残っているんです」
 君は俺に数歩近寄る。
 あと一歩で触れ合う距離にまで来てから、視線を下へと向ける。
「人としての時間、つまり年齢を持つ事」
 そう、機械は壊れる時まで姿を変えないが、人は時間と共に変わっていく。人と機械の間の最後の1ピース。
「でも、今の私ならどうすれば良いのか知ってます。」
 下を向いたまま、更に一歩。
 俯いた頭を俺の胸へと押し付ける。
「マスター、昨日の言葉、ずっと信じていっていいですか?」
 何かの確認のための言葉。
 俺は君を軽く抱き寄せる。
「一つだけ、条件つけていいかな?」
「ハイ」
 俺のお願いに君は俯いたまま、頷く。
「マスターは、止めにしてもらえる?」
 君の体に微かに力が篭る。何かを決意してるのか、もう1度深呼吸。
「貴宏さん」
 ドキンと来た。待ち望んでいた、その言葉に。
「好きです貴宏さん。これからもずっと」
「俺も好きだよシンディ、ずっとずっとこれらかも」
 君が紅くなった顔でこちらを見上げる。
「私の時間のスイッチ、入れてもらえますか?」
 そう言って君は、こちらを見上げたまま目を閉じる。それの意味する所を知った俺は、鼓動が急速に早くなるのを感じる。
 チラと横目で台所を確認。アルコール類が無い事と君からアルコールのニオイがしない事を確認する。
 それだけで俺の覚悟は決まった。
 何の言葉もなく、俺は君と唇を重ねていった・・・



 あの時から私は、一人の人間としての時を刻み始めました。
 2人で一緒の色々な時間を過ごしました。
 色々な所にデートに行きました。色々な体験をしました。一緒に笑って、泣いて、たまにケンカして、それでもすぐに仲直りして、貴宏さんは希望校に合格して、大学にすぐ側のアパートを借りて通いました。私と一緒に。
 色々あって、私の時計が数年の時を刻んだ今、もうひとつの時計が動き始めました。


 両手でお茶とお菓子の入ったトレーを持って、仕事部屋へと向かいます。
『爆・仕事中』と書かれたプレートに苦笑しながら、片手でトレーを持ち直し、バランスを崩さないように注意しながらドアをノックします。
 中からは返事は無し。
 もう一度だけノックしてから、返事がないのにも関わらず中へと入ります。
 思った通り、中では電話中でした。
「だから、分かってないだろ!このクソ親父!今回の設計コンセプトは『ドキッ!市長もビックリ、ドキドキ庁舎 ポロリもあるよ』だろうが、変形合体ぐらいじゃインパクトが・・」
 そこまで話して私に気が付いたのか、いきなり受話器を戻して、電話を切ってしまいます。
「あーらら、いいんですか?今のお父様でしょう?」
 私の言葉も聞かずに、散らばった図面を蹴飛ばしながら私へと駆け寄り、トレーを奪い取ってしまいます。
「シンディー、こんな事いいって言ってるのにー」
 ジト目での非難。でも私も慣れてしまってます。
「大丈夫ですよ、少し動いた方が良いんですから」
「だけどさぁ・・・」
 貴宏さんの視線は、下におります。
 すっかり大きくなった私のお腹へと。
「心配しなくても、この子はちゃんと産まれてきますよ。彼方と私の子供ですもん」
 貴宏さんは照れた表情で頬を掻きます。どういっても心配性なのな治らないようです。
「まぁ、そりゃ分かったつもりなんだけど・・・なぁ」
 男の人はこういう所は慣れる方が無理なんでしょうか?
「ほら、姉さんの場合、義兄さん全然心配してなかったじゃないですか」
「姉貴、一番上が男の子だったから、あと十二人の妹を作るとかフザケタ事言ってたからなぁ・・・」
 貴宏さんの苦笑に私も笑ってしまいました。
「じゃ、お茶にしましょうか」
「そうだね」


 あの時から私の気持ちは変わっていません。
 ずっと彼方の事を愛しています。
 そして生まれてくる子供も愛していくでしょう。
 たとえ、どんなに時が過ぎても。この子が好きな人を見つけて私達から離れていく時が来ても、私は愛していける。
 ずっとずっとこれからも、彼方が好きだから。




THIS HAPPY END。




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