陽だまりの微笑み

第3章 『陽だまり』

 楽しい時の時間は速い。
 暇な時の時間は遅い。
 そして、あの時の一瞬は時間が止まったんじゃないかと思う時間だった。


 古くはあるが立派な造りの社。
信心の薄い俺でも思わず手を合わせたくなる気がするような、神秘さを感じる。
 だが、今の俺にはそんな光景など目に映ってなかった。

 陽だまりの中に、昨日と同じ巫女装束の先輩がいる。
 暖かな陽射しをあびて、膝の上に載せた子猫を優しくなでてやっている。
 その光の中で彼女が浮かべている優しい微笑みに、俺は完全に目を奪われてしまった。
 まるでその空間が一枚の絵として固定してしまっているんじゃないか、と思ってしまうぐらいの雰囲気だった。
 巫女さんはこっちに気付いてないのか膝の上で眠っているらしい子猫をゆっくりと撫でている。
 気持ちよさに反応して、身じろぎする子猫の動きを見て嬉しそうに微笑みがこぼれる。
 微かに首をかしげると、黒髪が揺れて頬へとかかる。
 その黒髪も陽射しを受けて、輝いているかのように見える。
 さっきまで考えていた謝罪の文句も、最初にかけるべき言葉もすっかり頭から消え失せていた。
 それどころか呼吸すら忘れていたんじゃないかと思う。
 他に見ている人がいたら、えらく滑稽な光景だろう。
 呆れるほどの馬鹿面下げた俺の表情に。

 何分ぐらい経ったんだろうか。
 不意に子猫が目を覚ますと、巫女さんの膝の上から飛び出していった。
「あ」
 その猫を追うように立ち上がろうとした巫女さんが、俺の事に気づく。
 数瞬の間。
 まるでこっちに気づいてなかった羞恥心か、予測してなかった事態に対して反応できなかったためか、少しの間硬直する。
 俺もどう反応していいかわからず、硬直している。
…………………………………………
 先に動いたのは、巫女さんだった。
 その表情が微笑から呆然、そして険悪な物に変わる。
「何しに来たんですか?」
 うわ、ナイス反応。
 見事に嫌われているよ、俺。
「いや、何ってその」
 ヤバイ、言葉が見当たらない。
 頭の中が真っ白だよ。今の俺。
 慌てた俺の行動をどう取ったのか、彼女は側に立て掛けてあった竹箒を手に取ると、俺に向けて木刀よろしく俺に構える。
「へ、変な事しようとしたら、こ、これで叩きますよ」
 ………………………………………………………………
 変質者扱いかよ。俺。そこまで酷い男だと思われているのか?
「いや、確かに昨日は悪かったけど。何もそこまで………」
 俺の言葉に、巫女さんのまなじりが更に上がる。
「何言ってるんですか、今日だって付け回すみたいにアチコチと居たくせに!」
「は?何?それ?」
 覚えが無いぞ、マジで。
「お昼休みの事ですよ、図書室にも屋上にも視聴覚室にも先回りするみたいに居たくせに!」
 マジ?そんなに行き違っていたの?
「いや、先輩それ勘違いしてるけどさー。俺、あんたの事探してたんだよ」
 俺の弁明に巫女さんは何を思ったのか、表情が青くなる。
「彼方……………まさかストーカー?」
「絶対に違う!」
 幾らなんでもそれは無いって。
「俺は昨日の事謝ろうとしてアンタの事探してたんだよ
!第一、他にもPCルームだの体育館だの校庭だの裏庭まで行ったんだ!昨日が初対面の人間の行く先なんて解るかー!」
 一息に言えるだけ言うと息が切れた。
 ハァハァと大きく息をつく俺を、巫女さんは憮然とした表情で見てる。
「おまけに何だ。俺が先回りしてただと、見かけたなら声かけてくれれば良いだろうが」
 いかん、頭にきすぎて無理に喋りすぎた。頭がぐらぐらする。
 思わず、そこにへたりこむ俺を見て巫女さんはやっと竹箒を降ろす。
「………そうだとしても、昨日あんな目にあって声かけると思います?」
 う。それ言われるとツライ。
「だからその、最後のアレは決して狙ってやったんじゃなくて、第一下着は見てないし………」
 一度は降ろされた竹箒がまた勢いよく跳ね上がる。
「見た事に変わりないんですよ?」
 巫女さんの口調がえらく冷たい。
 マズイ怒ってる。むっちゃ怒ってる。
「あ…………あのごめんなさい」
「言う事はそれだけですか?」
少しづつ竹箒が振り上げられる。
 やばい、カウントダウンか?
「み、見てません。昨日は何も見てませんです。はい」
「本当に?」
「見てないです、本当に。太もものほくろの辺りまでしか」
 言ってから気付いた。また一言余計だと。
 巫女さんの顔が、昨日のように真っ赤に染まる。
 や、やばい。
「やっぱり見てるんじゃないですかー!」
 絶叫と共に竹箒が振ってきた。
 何気に昨日の巨大熊ぬいぐるみよりも鋭いライン。
「のわぁぁ!ごめん、本当にごめん!」
 俺はスウェーバッグで初撃をかわす。
 が、振り下ろされた竹箒は地面スレスレで向きを変える。
「もう、謝ってもすみません!!!」
 巫女さんが一歩踏み込むと同時に足を刈るように竹箒が横向きに振り払われる。
「ぬおっ!」
 低いラインの2撃目をジャンプで交わす。
「逃げないでください!」
 足元を通過したかに見えた竹箒は、今度は直角に軌道を変えて高々と振り上げられる。
「てぇぇい!」
 気迫と共に見事なまでの袈裟懸けの3撃目。
「ちょっ!待っ!」
 さすがに今度はかわしきれない。
 俺は何かを覚悟した。
「覚悟ぉぉぉ!」
 してるよ、すでに。
 なんか妙に巫女さん格好いいし。
 切っ先(?)が俺に触れようとした時。
グゴオオオオオ。
 あまりにも間抜けな音が響いた。
 切っ先(?)が俺の数ミリ手前で止まる。
 俺も動けない。
 またも硬直状態。
 だが今度は数秒と持たなかった。
 グゴオオオオオ。
 再度響き渡る………………俺の腹の音。
「あ、あはははは」
 苦笑い…………ハズイ。
 グゴオオオオオ。
 3度目………堪忍して。
「人が真面目に怒ってる時に………なにふざけてるんですか」
 俺の直前で止まっている竹箒がプルプルと震えている。
「ふざけてねぇんだけど、俺」
 グゴオオオオオ。
「どう見てもふざけてますよ」
 グゴオオオオオ。
 ああ、もうどうでもいいよ……………
 俺はもう完全に何かを諦めた。さっき覚悟したばっかりなのにな………
「むぅ」
 巫女さんは構えたまま困ったよな表情を浮かべている。
 グゴオオオオ。
 再度、腹の音が響く。
 それを聞いた途端に巫女さんは竹箒を降ろす。
「あ?」
 状況が今ひとつ理解出来ない俺に対して、巫女さんは何か呆れた表情で俺を見つめる。
「本気でお腹減ってるんですか?」
「冗談で腹鳴らせるやつってのはいないと思う」
 その一言に巫女さんは苦笑。
「それもそうですね」
 先程まで構えていた竹箒をそっと側に立掛け、先程までの猛攻で乱れた髪を手で治しながら、思案する顔になる。
 助かったのか?俺?
「仕方が無いですから、少しこっち来てください」
 巫女さんはそれだけ言うと、向こうへと歩き出した。声を掛けようにも彼女はさっさと歩いていってしまい取り付く暇も無い。
 ひょっとして、まだ許されてない?
 別な場所で折檻されるんだろうか、俺。


 案内されたのは、お守りなんか売ってる社務所だった。
 外からは見えないが中は3部屋くらいあり、通されたのは入り口から一つ奥の休憩室みたいな所だった。
 畳敷きの5畳半ぐらいの部屋にいまや珍しい、ちゃぶ台と茶箪笥、部屋の隅には電気ポットがお湯を沸かしていた。
「どうぞ」
 そっけない態度で俺の目の前に、茶箪笥から出された菓子盆が差し出される。
「は?」
 俺は事態の変化についていけない。
 さっきは烈火のごとく怒っていたのに、今は歓待ってどういう事だ?
「悪いですけど、今こんな物しかないんで文句は無しですよ」
 こんな物呼ばわりしてる割には、菓子盆の中は煎餅にミニ羊羹、ミニパックの豆菓子に一口サイズのチョコレートと結構レパートリーに富んでいる。
「いいんすか?これ」
「嫌ならいいんですよ、別に」
 差し出された菓子盆が引っ込められそうになったのを、俺は慌ててそれを引き戻す。
「いえ、ありがたくいただきます」
 俺は目の前の菓子を遠慮無しに貪り始めた。
「どうぞ」
 巫女さんはそっけなく言い放つと、茶箪笥から茶筒や急須なんかを取り出してお茶をいれ始める。
 茶碗が2つあるから、一応俺の分もあるらしい。
が………
「ひゃんで、ひゅうに」
「口の中の物を飲み込んでから喋ってください」
まぁ、そうだ。
俺も何喋ってるか自分でわからん。
遠慮無しに菓子を詰め込んでる俺を、巫女さんは仏頂面で見ながら目の前に茶を差し出す。
「ひょうも(どうも)」
 差し出された茶を一度に流し込む。
「ちょっ!」
 巫女さんの叫びが聞こえたのは、灼熱の緑茶が俺の口と喉を焼いた後だった。
「!!@¥−!$#!?」
声にならない悲鳴が俺の口から食いかけの菓子と共に噴出する。
「ちょっと!大丈夫ですか!」
 大丈夫じゃない。
俺は畳の上で悶絶する。巫女さんが慌てて奥の部屋へと消えた。
見捨てられたかと思ったが、すぐに水の入ったコップを手に持って戻ってくる。
「っっっっ!!」
 そのコップを引ったくるように受け取って、水を口の中へと注ぎ込んだ。
「なんでそんなに彼方は落ち着きが無いんですか?」
 う、心底呆れられてる。
 巫女さんの視線は、さっきまでの冷ややかを通り越して完全に変わり者を見る目。
 正直、かなり痛い。
「いや、その俺としてもなんとも」
その弁解の言葉に更に呆れたのか、それ以上は何も言わずに奥の部屋から今度は布巾を取ってきて、ちゃぶ台の上を拭き始める。
「ああ、いいですよ。俺が自分で片付けますから」
 俺は慌てて片づけを手伝おうとする。が、
「彼方はコレを片付けてください」
 そう言いながら、菓子盆が押し付けられた。
「いや、だけど」
 俺の反論への返答は視線一発。
正直、何か言われるより痛い。
「………こちらを片付けさせていただきます」
 大人しく菓子を食い始めた俺を巫女さんは半分無視して、片付けていた。

 双方、一息ついたのは俺が菓子の半分を食った辺り、巫女さんがお茶をいれ直してからだった。
「まったく、まるでしばらく何も食べてなかったような感じですね」
 俺の指と口の動きが、まったく落ちないのを見た巫女さんの呆れたような口調。
「ひや(いや)」
 また口に物を入れた喋ろうとした俺に、視線一発。
 今度は大人しく(茶碗の温度を指で確認してから)茶を静かにすすって、口の中の物を飲み干す。
「いや、事実昨夜からあんまり食ってないから」
「え?」
 さすがにその通りだと思って無かったのか、巫女さんの表情が間抜けた物になる。
「本当に?」
「マジで」
「何でですか?」
「いや、話すと長い事に………」
 菓子を食いつつ、事の顛末を話す。
 巫女さんは静かに話を聞いていたが、その表情は次々と変化していった。

@呆気(昨夜から今朝の話)
A呆然(今朝から昼までの話)
B苦笑(昼から放課後までの話)
C微笑(放課後から今までの話)

 話が終わった頃には、菓子盆はすっかり空になっていた。
「……………って言う事で今に至っているもんでして」
 すっかりぬるくなったお茶を飲み干しながら、話を締めくくる。
 巫女さんの前にあるお茶も、いつの間にか空になっていた。
 空になった茶碗を掌で弄びながら、微笑のまま巫女さんは何か考えている。
 俺も何とは無しに、空の菓子盆を抱えている。
 なんとも妙な間が空いている。
『あの……』
 なにかを2人同時に言い出してしまう。
 また、妙な間。
 お互い、ちょっと気恥ずかしい。
 どうしたらいいのか、思案していた時。
「留美ちゃーーん、おみくじ頂戴」
 表の方から、どっかのおばさんの声がかかる。
「あ、すいませーん」
 慌てて表に向かいながら、ちらりとこちらを向く
「少し待っててくださいね」
 そう言いながら、出ていった。

「留美ちゃん、お友達かい」
「いいえ、違います」
「じゃ、彼氏?」
「それは絶対に違います」

引き戸の向こうから聞こえてくる会話を聞きながら、勝手に茶をいれ直して啜ってみる。
 実の所、さっきまでの話の間、ずっと巫女さんの表情の変化ばかり見ていた。
 不躾だとか失礼だとデリカシー無いとか思ったが、それでも目を離せなかった。本当は何を話したのかも、何の菓子を食べたのかも、あまり覚えていない。
 目の前の彼女を見ているだけで、何も考えられなくなっていた。
 あー、やばいな。これは
 こういう状態は非常に覚えがある。多少、というか、かなり苦い思い出含みで。
「何でだろうかなぁ」
 一人呟きながら、空になった茶碗に再度茶をいれる。出涸らしに近い茶しか出なくなってるが、まぁ味もわかんなくなってるし、いいだろう。
「お待たせしました」
 出涸らしを半分啜り終わった頃に、ようやく巫女さんが戻ってくる。
 おばちゃんの長話にすっかり捕まっていたのか、おみくじ一つに随分な時間がかかったもんだ。
「すんません、勝手に茶いただいてます」
「それはかまい……ま…………」
 俺の手元を見た巫女さんの表情が固まる。
 なにか俺やったか?
「何か?」
 とりあえず、残りの茶を一口啜る。
 その途端、巫女さんの表情がまた一変に変化した。もはや見慣れた、真っ赤に染まった顔。
「なんで、私の茶碗使ってるんですか?」
 口調は地の底から響くような静かな怒声。
「え?」
 改めて、今自分が使っている茶碗を見る。
 そういやなんか模様が最初と微妙に違う気が…………
「今、口つけてましたよね。それに」
 やばい、昨日のアレがデジャヴとして甦りそうだ。
「いや、これは本当に間違えて・・・」
 我ながら、なんだか弁解が言い訳がましく聞こえる。
「間違いって、そんなに何度も起きるんですか?」
 あー、こんだけ続けばそりゃ信用できんわなー。
「ええと、先輩。冷静になりましょう」
 とりあえず、問題の茶碗をゆっくりちゃぶ台に置く。
「話せばわかります」
 巫女さんの表情は変わらない。コレはかなりヤバイんですね。
「それで、何を話したいんですか?」
 巫女さんの拳には、かなり力がこもっている。この部屋には、クッションもぬいぐるみも無いが、いわば彼女のテリトリー。何が出てくるか分からない。
 言動は慎重をようする。
「えーと、こっちの茶碗の方がなんか美味しかったなー、なんて………」
 俺が自分の失言に気付くのと、巫女さんが部屋の隅に重ねてあった座布団に手を伸ばしたのは、同時だった。
「この変態!!!」
 座布団が回転しながら、俺めがけて飛んでくる。昨日の記憶も手伝ってか、最初の一撃は立ち上がると同時のサイドステップでかわした、が、狭い部屋の中なんでそれだけであっさりと部屋の隅にと追いやられる。
「ちょっ、待った」
 反論虚しく、2撃目、3撃目の座布団が飛んできた。
 俺は両腕を顔の両脇で固めてガードスタイル。
 2撃目、3撃目をガードするが、続く4撃目は、腕の隙間を縫うような縦回転で来た。
「ぬおっ!」
 ガードを変える暇なく、かなりの回転を伴った座布団が俺の顔面を抉る。
 衝撃でのけぞると、後頭部を壁に直撃のダブルパンチ。
 痛みでへたり込んだ俺の前に、長座布団を振りかざした巫女さんが迫ってきた。
 グッバイ、俺。

…………………………3分経過………………………

 巫女さんが荒い息を付きながら、長座布団を降ろす。
 俺は先程までの横暴に、一人床で涙していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
 今度はマジで死ぬかと思った、冗談抜きでマジ切れしてたよ、彼女。
「な、何で、あなたは、いつも、そうなんですか?」
 息が切れるのか、途切れ途切れで巫女さんが喋る。
 先程の折檻で体力使い果たしたのか、喋りながらもその場にへたり込む。
「私の事、いきなり変な人扱いしたり、優しくしたり、かと思ったら、その…………」
 何か言葉を選んでいるのか、しばらくの間
「変な事したり、謝ってくれたかと思うと、又………」
 深くて、長い、ため息。
「私、もう無茶苦茶です。あなたが来ると」
 口調には呆れてるのでも、嫌悪してるのでも無い気持ちが感じられる。
 ???
 そんだけ色々あるなら、俺の事嫌っても良いと思うんだがなl。なんかそんな感じしない。勝手な思い込みかもしれないけど。
「あの、俺の方は本当に先輩に嫌がらせしようとか、思ったわけじゃないですよ。」
 まぁ自分でも言い訳じみてるとは思うが。
「分かってます」
 え?
「何で?」
 微妙に痛む体を引き起こしながら、先輩の表情を伺う。
 なんか困ったような、苦笑しているような、妙な表情。
「嫌がらせするんだったら、苦労してまでここに来る必要無いでしょうから」
 何か、昔の事でも思い出したのか、少し遠い目をする。
「謝るためだけに、学校でも私の事探して、わざわざ探してまで家まで来たんなら、よっぽどのお人好しですよ」
 微笑しながら、少し乱れた髪を手櫛で直す。
 部屋に差し込む夕日が、長い黒髪に反射して巫女さんの表情そのものが、輝いているかのような錯覚を起こす。
 思わず、ボーっと、その表情に見とれてしまう。
「何ですか?変な表情でこっち見て」
 俺の馬鹿面に、巫女さんはまた呆れたような顔になる。
「いや、先輩って美人だなーって」
 何気な一言に、一瞬で巫女さんの顔が真っ赤になる。
「ま、またそんな変な事言って」
 ビックリするぐらいの慌て様で、すでに整っている髪をまた手櫛でいじくる。整えているっていうよりも、ただ、弄くっている感じでしかないが。
「今のは、俺の本心ですよ。先輩」
 あ、俺なんか恥ずかしい事言ってる。また、余計な事言ったか?
「うーーー」
 巫女さんは、面と言われたのがよっぽどきいたのか、ちゃぶ台に両腕を乗せ、そこに顔を埋める。
「正面からそんな事言う人なんて、いませんよ。普通」
 ぼそぼそと、呟くような声。
「俺も正面から良い人って言われたのは、初めて」
 ポリポリと後頭部を掻いてみる。
 なんだか瘤が出来てるような気がするが、あえて無視。
 体のアチコチが痛いが、コレも無視。
「むーーー」
 巫女さんは、まだ顔を埋めたまま唸ってる。
「もう一回言いましょうか?」
「む?」
 巫女さんが、腕の隙間からこちらを覗き込む。
「先輩は美人ですよ。間違いなく」
 うわ、言っちまったよ。また恥ずかしい事。
 まぁなんか自分で驚くぐらい、自然に言えた。
 巫女さんの腕の隙間から見える顔が更に赤くなる。また、顔を腕の中に埋める。今度は唸る事も無く、ただちゃぶ台に突っ伏している。

 数十秒間の間。

 何とか持ち直したのか、巫女さんがいきなり顔を起こす。
「うわっ」
 余りにも動かないので、心配して近付こうとしたところだったんで、かなり驚いた。
 くるり、と何か不貞腐れたような表情でこっちを振り向く。
 開口一番。
「翔さんの馬鹿」
「は?」
 よりにもよって馬鹿扱いですか?
「って!なんで馬鹿扱い?」
 俺の反論に、巫女さんは更にむくれた表情になる。
「馬鹿だから馬鹿って言ったんですよ!」
 何ゆえそんなにむきになる?
「いやー、確かに成績そんなに良くないけどさ」
 ああ、悪かったよ風とちがって頭悪くて。
「そういう意味じゃ無いですよー。もう」
 じゃあ、どういう意味だよ、おい。
「もう、今日は帰ってください」
 巫女さんはいきなり結論つけて、俺を戸口へと追い立てる。
「え、ちょっと。何でいきなり?」
 講義虚しく、背中を押されるままに外へと追い出される。
 いつの間にか、外は暗くなり始めていた。
「あー、こんな時間だったか。もう」
「あら?もうこんな時間だったんですか?」
 何気に意見が合ってしまった。
 なんとなくお互いの顔を見つめてしまう。ちょっと気恥ずかしい。
 巫女さんの方も一緒だったのか、少し目が会った途端に視線をずらして俯いてしまう。
「と、ともかく。もう暗いですし帰ってください」
 言いながら更に背中を押される。
「待った、ストップ。俺まだ靴も履いてないですよ、先輩」
 引っ掛けた状態の靴を何とかかんとか履きなおす。
「いいですから帰ってください」
 何事だ、まったく。人の事いきなり追い出そうとして。
 原因を考える。また何かやったか、俺?
 先程までの前後の行動を考える。が、いまいち良く分からない。
 まぁかなり恥ずかしい事やった気はするが。
「先輩ひょっとして、まださっきの事、気にしてます」
 何気ない一言に、背中を押す手が止まる。
「何の事でしょう」
 あまりにも空々しい惚け方。
 この人、人を騙すのは無理だわ。
「美人だって言った事で………」
 いきなり背中に衝撃が走った。
突き飛ばされた、と分かったのは2・3歩よろめいた後だった。
「な………」
 振り返ると、そこには今日、何度目か分からない真っ赤な顔をした巫女さんがいた。
 大当たり?
「変な事言わないで帰れーー!!!」
 怒鳴り声を背中に、俺は大急ぎで石段へと走り出す。
 2,3段降りた所に、来た時に見かけた子猫がうずくまっていた。
 石段を駆け下りる俺の方に顔を向ける。
 何気なくその視線を見つめ返す。
「ニィ」
 小さな鳴き声が俺を見送る。
 その鳴き声に釣られて、足を止める。
 視線を子猫から背後に向けると、巫女さんがまだこちらを見ていた。
「先輩、俺また明日来ますから」
「な?!」
 何か怒鳴られる前に、俺は石段を駆け下りていった。

 石段を降りきった先には、予想通り剛はいなかった。
 自転車の籠にはノートから破ったであろう紙にメモ。
『先帰る。これで借りはチャラな』
 ああ、これは剛の字だ。
 籠に入れっぱなしにしておいた、俺のカバンから筆記用具引っ張り出したんだろう。
「ま、確かにチャラでいいか」
 メモをカバンの中に突っ込もうとして、裏にも何か書いてあるのに気付く。
 ひっくり返してみると、なんだか見覚えの有る字が並んでいる。
「おい、これ今日の古文のノートじゃないか?!」
 カバンの中からノートを引っ張り出してみる。
 ちょうど下敷きの入っていたページが一枚、破られている。当人は何の気無しにやぶったんであろう。が………
「これ、明日提出なんだぞー!!」
 俺の絶叫は夕闇の空に虚しく響いていった。



 気持ちに対して言葉は不器用で、言葉に対して態度は正直だ。
 どれをとっても、人との付き合いには注意が要る。
 が、注意をしてもどうにもならない気持ちってのもある。
 言葉も態度も、どうにもならない気持ちってのが。




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