NIGHT OWL




「お客さん、ここには何の用で?」
「仕事さ」

 ヨーロッパの小さな町、そこからさらに郊外へと通じる寂れた道路を、一台のタクシーが客を一人だけ乗せて走っている。
 やたらと気さくで口の軽い運転手は、後ろに座っているコート姿の乗客に何かと声をかける。
 その乗客、鋭い目つきの30をまだ過ぎてはいないであろう男は、それに応じてあれこれと答えている。
 

「こんな何も無い所に用なんて、何の仕事なんです?」
「ちょっとした調べ物でね。友人から頼まれてイヤとは言えないのがキツイ所」
「はは、そりゃ大変だ。ここいらの生まれじゃないみてえだが、どこから?」
「アメリカの方から」
「アメリカ! また遠くからわざわざ………」
「あんただって、タクシー運転手なんてしてたら遠くまで行くだろ?」
「違いない、この間なんか法王の葬儀に行きたいからバチカンまでなんて言われてよ〜」
「そいつは大変だ。行ったのか?」
「まさか。そんな遠くまで行ったら女房に怒られちまう」
「所帯持ちは大変だな」

 和やかに話しているように聞こえるが、その実、乗客の男が自分の詳細を何一つ話していない事に運転手は気づいていない。
 ましてや、外国から来たはずの男が、手荷物一つ持ってない事にも。

「おっと、そろそろですぜ」
「おお、こんな田舎までご苦労だったな」
「なあに、仕事ですから」
「ここまででいい。幾らだ?」
「しめて92ユーロでさ」
「OK、つりはチップで」
「毎度ありぃ」

 100ユーロ札を渡してタクシーから降りた男は、にこやかに手なぞ振りつつタクシーが完全に視界から消えるのを待つ。
 視界からタクシーが消えてからきっかり10分、周辺に気配が無いのを完全に確認すると、羽織っていたコートからGPS端末を取り出した。

「さて、2km程戻るとするか」

 現在位置を確認し、男は今来た道を歩いて戻っていく。
 男の名は、アーク・トンプソン。
 職業、私立探偵。
 そして、Tウイルス・バイオハザードの体験者…………



 夜が更け、山間の林には夜風と夜行性の動物達の息遣いのみが響く。

「そろそろ行くとするか」

 木の根元に腰掛け、時を待っていたアークは立ち上がって衣服のホコリを払う。
 GPSとライトを取り出し、目的地までの距離と方角を確認すると、彼は極限にまで光量が落としてある奇妙なライトで足元のみを照らしながら歩き始めた。
 しばらく歩いた所で、彼の歩みが止まると、ライトを前方へと向けて左右へと動かす。

「やっぱりあったか」

 ライトのビームが、木と木の間に伸びるビームを照らし出している。

「どれどれ」

 ビームが伸びている根元、木の洞に見せて設置してある対人センサーへとアークは手を伸ばすと、懐から取り出した偏光フィルタを素早くセンサーへと貼り付けて無効化。
 悠々とセンサービームを抜け、先へと進んでいく。

「さて、今度はどんな代物だか……」

 思わずボヤきながら、アークは依頼をしてきた友人の事を思い出す。
 学生時代からの友人であったはずの男、そして地獄を生き抜いた男。
 彼とは違う場所で、同じ地獄を見たアークは、いつしかお互いを堅く信頼しあう仲になっていた。
 彼は、今でもその地獄を根絶するために戦っている、そして自分も。

「あれか」

 月明かりに照らされ、一つの大きな建物が見えてきた所でアークは足を止めると、コートの下から多機能双眼鏡を取り出し、建物を観察。

「こんな山の中に、わんさと監視装置つけてやがるか………どこから入ろうかね?」

 双眼鏡越しに見える無数のセンサー郡に、アークはしばし黙考。
 ふとそこで、研究所のそばにひときわ大きな巨木がある事に気づく。

「ワイルドに行くか」

 センサーに注意しながら、アークは巨木に近寄るとそれに登り始める。
 途中、巣穴から顔を出したリスと鉢合わせしたが、そのまま目的の建物より更に高い場所まで登ると、腰のベルトに仕込んであった特殊ワイヤーを取り出し、なるべく太目の枝にセットする。

「そういや、大学の学祭でレオンと二人でやってポテトサラダの山に突っ込んだ事があったな。あん時は教授にえらい怒られた…………」

 僅かな郷愁を感じつつ、アークは背後に向かって勢いをつけて跳ぶ。
 ワイヤーで吊られた体は、背後にある程度進んだ所で、振り子のように前へと進む。
 そこでアークはバックルのスイッチを入れ、ワイヤーを一気に伸ばす。
 勢いのついた体は、伸びたワイヤーごとアークの体を運び、それが目的の建物の端まで届きそうな位置でアークは再度バックルのスイッチを押し、枝にセットされていたコネクタを解除。
 宙へと舞ったアークは、バランスを保ちながら建物の屋上へと無事着地する。
 ワイヤーを瞬時に手繰り寄せ、そのまま手際よく屋上入り口のドアへと近寄ると、それに張り付き、センサーの有無を確認。

(ここには無しか………それとも、偽装されているか)

 しばし悩むが、ドアが妙に古びている事から無しと判断、アークはピッキングツールを取り出すとカギを開け、素早く建物内へと進入する。
 周囲のセンサー郡に反して、建物内はいたって普通の通路が広がっていた。

(上部は偽装、本命はやっぱり地下か)

 そばに階段を見つけると、アークは物音を立てないように静かにそれを下りていく。
 一階まで降りた所で、足音に気づいたアークは身をかがめて気配を押し殺す。
 そんな彼の隣を、ライト片手の警備員が通り過ぎていく。

(こんな山の中の建物、しかも夜中に警備員常駐か。やっぱり当たりだな)

 警備員が通路の角を曲がった所で、アークはその後を追い、角で壁に張り付いて警備員の様子を伺う。
 アークに気づかず、警備員は唯一明かりが点っている部屋へと入っていく。
 ドアが閉まった所で、アークはそっと部屋へと近づき、聞き耳を立てる。
 中から複数の話し声が聞こえるのを確認すると、携帯ガスマスクを取り出し、それを装着すると小型スプレーを腰のポーチから出してそれをドアの隙間から室内へと流し込む。
 分解が早い代わりに、気化性を高めてある催眠ガスが室内に充満していくのを待ち、中から完全に声が聞こえなくなってからアークはドアを開けた。

「ホントによく効きやがる………レオンの奴どっからこんなモン………」

 先程の巡回していた者も含めて、三人の警備員がジャーキーとトランプ片手に熟睡しているのを確認すると、アークはそこが警備室であるのを確かめ、設置されている警備システムをチェック。

「地下実験室に、資料保管庫。どっちかだな」

 目的の場所を頭に叩き込むと、警備システムを操作してこれから一時間の全警報を遮断。ついでに寝ている警備員からIDカードを奪うと、目的地へと向かう。
 しかし、彼がその場を離れた後、建物の状態を示す警告ランプが一つ点灯したのに、気づく者はいなかった。



 エレベーター内のスロットにIDカードを入れると、短い電子音と共に行き先ボタンの下にいきなり地下を示すボタンが表示される。

「B3と」

 目的の階を押すと、アークは懐のショルダーホルスターから愛用のサイレンサー付きグロック17を取り出すと、マガジンを抜いて残弾を確認。
 フレームのほとんどがポリマーで作られた軽量と扱いやすさに重点を置いて製作された銃を、スライドを引いて初弾を送り込むと懐へと戻す。

「使う事が無ければいいんだが………」

 呟いている間に、エレベーターは目的地に到着。
 ドアが開く前に素早くアークはドアの脇に身を隠し、ドアが開ききると鏡を使って通路を確認。
 異常が無い事を確認すると、ようやくエレベーターから降りた。

(研究員居室がB2、この時間なら寝てると思うが……)

 足音を立てないように、慎重に気配を殺しつつアークは通路を進んでいく。
 すぐに資料保管庫を見つけると、IDカードをスロットに通し、室内へと侵入。

(! 明かりが!)

 部屋の隅に明かりがあるのに気づいたアークは、資料棚の影に隠れて様子を伺う。
 差し出した鏡には、デスクを前に座っている白衣姿が映っていた。

(どうする? 騒がれたらおしまいだ………)

『ここで行われている研究の調査』が依頼だった事を踏まえ、アークが息を殺しながらデスク前の人影の処置を考えつつ、更に様子を伺う。
 が、その内にその人影が微動だにしてない事に気づいた。

(………まさか?)

 聞き耳を立てると、デスクの方から定期的な寝息が響いてきていた。
 そっとデスクへと近づき、慎重に相手の様子を伺う。
 そこには、デスクライトを付けて資料を広げたまま、資料に突っ伏して居眠りしている若い男性研究員の姿があった。

「……………」

 アークは無言で何か無駄な労力を使った事を感じつつ、研究員の顔に催眠ガスを吹き付けて完全に眠らせた。
 ついでに、男が枕にしていた資料を取ると、内容を確認。

(! これだ!)

『プラーガの寄生部位における特性変化について』とタイトルが付いている資料に目を通しながら、アークはそれを次々と小型カメラに撮影。
 全てを撮影すると、資料を再度研究員の顔の下に戻し、他に資料が無いか物色を始める。
 次々と出てくる資料をアークは次々と撮影し、また元の場所に戻すのを繰り返す。
 大まかな所が終わった所で、警備システム復帰までの時間が15分を切っている事に気づくと、その場を後にし、実験室へと向かう。
 実験室の扉の前で、アークはカード用スロットの下にパスコード入力用のテンキーが付いている事に舌打ちした。

(長くなければいいんだが)

 アークは腰のポーチから小さなスプレーを取り出すと、それをテンキーに向かって噴霧。
 即座に小さなモノクル(片眼鏡)を取り出し、テンキーを見た。
 噴霧された薬品が、押された形跡のあるテンキーに付着している指紋のたんぱく質と反応して色が変わっているのをモノクル越しに確認。
 色が変わっているのは三つ、その内一つだけ色が濃い事から、四桁と判断してモノクルを外した。

(2、5、8が二回。さてどう並ぶか)

 四つの数字を並べ替えながら入力を繰り返し、六度目の入力で扉が開く。

「! こいつはまた………」

 アークの口から思わず声が漏れる。
 研究室内にはいくつかの培養槽が置かれ、その中には30cm位の体に、その1・5倍はある節足を持った奇怪な虫が浮かんでいた。

「ホントに寄生虫か? デカ過ぎるぞ………」

 その《プラーガ》という名の虫がかつてのTウイルス以上に危険な存在だと聞いていたアークは、嫌悪感に顔をしかめつつも実験室の物色に入ろうとした。
 そこで、足が床に広がる水溜りを踏んだ。

(水?)

 足元を見たアークは、広がっている水溜りと散乱しているガラス片やコード類を発見、それが何を示すのかを悟ると同時に、グロッグ17を抜いた。

(実験体が脱走している! しかも、オレが警備室からここに来るまでの間に!)

 緊張から出る唾を飲み込みながら、アークが周囲を細心の注意で探っていく。

(ドアはロックされていた、通気口にも変化は無い。奴は、室内に潜んでいる!)

 グロッグ17を周囲に向けながら、アークはゆっくりと壁際へと近寄っていく。
 背が壁へと着いた所で慎重にドアへと向かおうとした時、耳に微かな音が響く。
 ふとすれば聞き逃しそうな、小さな唸り声に。

(上!)

 グロッグ17を壁際の培養液タンクへと向けるのと、その上に潜んでいた物が襲い掛かってくるのは同時だった。
 サイレンサー越しのくぐもった銃声が響く中、それはアークへと襲い掛かる。
 首筋に牙を突き立てられそうになるのを、とっさに片腕をかざしてそれに噛み付かせたアークだが、勢い余って床へと押し倒される。
 そこで、ようやく襲い掛かってきた相手の姿を見た。

「黒ヒョウだと!」

 それは、ネコ科有数の猛獣だった。
 しかも、その背からは寄生したプラーガの触手がうねり、先端が鋭い刃となった触手がこちらを狙っていた。
 よく見るとヒョウの首に首輪があり、そのプレートには《OZE(オセ)》と刻まれている。


「この、野郎!」

 強引に寄生ヒョウ―オセを蹴り剥がし、ついでに9mmパラベラム弾を相手の顔面に叩き込む。
 しかし、オセは弾丸をまともに喰らい、砕けた頭蓋から片目が頬に垂れ下がった状態になっても変わらず唸り声を上げ続けている。

「ケルベロスよか厄介な奴だな………」

 防弾仕様になっているコート越しとはいえ、牙が突き立てられた腕から流れ出した血がコートの中を湿らせていく。
 歯噛みしながらアークはグロック17を構えるが、オセは素早く身を翻し、実験機材が載ったデスクの下をすり抜けたかと思うとその姿を隠してしまう。

「……ちっ」

 舌打ち一つすると、アークは腰のベルトからフラッシュグレネードを手に取る。

(どうする? 確か母体を破壊するか、寄生されたプラーガを殺さない限り、死なないとレオンは言っていた。今の装備じゃ、とても倒せそうに無い………)

 何か使える物はないかとアークは周囲を見回す。
 そこで、壁際に『EMERGENCY(緊急用)』とペイントされたボックスと、その中に収められているマグナム・リボルバーが目に飛び込んでくる。

(あいつなら!)

 決断は一瞬。アークはフラッシュグレネードのピンを抜いてオセが潜んでいると思われる辺りへと投じると、ボックスへと向けて駆け出す。
 その背後を狙ってオセが飛び出すが、炸裂した閃光をモロに食らって悲鳴をあげながら床へと転がり落ちる。
 その隙にアークはボックスの表面をグロック17のグリップで叩き割り、中のマグナム・リボルバーを手に取った。

(マテバか、またマニアックな銃を)

 マテバM2006M、シリンダー上部から発射する旧来のリボルバーと違い、シリンダー下部から発射する事でマグナム特有の反動を抑えるという極めて珍しいタイプの銃を手に取ったアークは、即座にそれをオセへと向かって構える。
 閃光をマトモに喰らって未だ床の上でのた打ち回っているオセに向かって、ためらい無くトリガーを引く。
 ダブルアクションで発射された357マグナム弾が、オセの首筋へと突き刺さる。
 絶叫を上げるオセに、アークは二発目、三発目と連続で357マグナム弾を撃ち込んでいく。
 しかし、絶叫を上げるオセの背から振り回された触手が、アークの胸元をかすめていく。

「こ、のっ!」

 更に弾丸を打ち込もうとした時、突然オセの背から触手が、正確には寄生していたプラーガが抜け出す。

(!?)

 放たれた四発目は最早抜け殻となった黒ヒョウの屍に突き刺さり、抜け出した培養槽の物よりも大きなプラーガがアークへと飛び掛ってくる。

「くっ!」

 飛び掛ってきたプラーガが虫の者とは思えない牙の生えた口で噛み付こうとするのを片手で制しながら、アークはマテバをプラーガの胴体へと向けた。

「これで終わりだ!」

 357マグナム弾が、プラーガの胴体に大きな風穴を開ける。
 力を失ったプラーガが、アークの上から床へと落ちて鈍い音を立てた。

「なんて厄介な奴だ………」

 いつの間にか吹き出ていた頬の汗をぬぐい、アークは状況を確認。

(間違いなく響いたな…………仕方ない、逃げるとするか)

 散らばっているオセやプラーガの体組織を素早く持参していたカプセルに取ると、アークは実験室を抜け出す。
 階段の方から何か人の声が響いてくるのを聞きながら、目に付かないようにエレベーターへと潜り込むと、最上階を押す。
 エレベーターが動きだした中で、アークは腕の傷口に止血パッドを貼り付け、応急処置。
 にわかに騒がしくなってきた研究所の最上階へと出た所で、アークは屋上に飛び出し、腰の特殊ワイヤーにアンカーをセットして射出させる。
 入る時に使ったのと同じ木にアンカーが引っかかったのを確かめると、アークは屋上から一気に飛び出す。
 ワイヤーに吊るされたアークの体は、振り子のように大きく動いて研究所から放たれる。

「邪魔したな」

 木へと飛び移ったアークは片手を上げると、その場から一目散に逃げ出した…………



「間違いない、研究は行われていた」

 翌日、一晩中歩き通しで疲れた体を引きずるようにして歩きながら、アークは衛星電話で依頼の完了を伝える。

「すでに臨床段階にまで研究は進んでいる。ああ、一戦交えてきたからな。あれは随分とてこずりそうだ」

 相手の返答を聞いて、アークは苦笑。

「間違えるなよ。お前の、じゃなくてオレ達の新しい敵だ。ああ、分かってる。サンプルは後で送ろう。じゃあな」

 電話を切った所で、ようやく町並みらしい物が見えてくる。

「さて、次の依頼が待ってるな………」

 肩をすくめると、アークは町へと向かって歩いていった…………


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