その2


その2

《Sword Wolfina》


燃え盛る炎を背に、一つの足音が響いてくる。激しく炎上する建物を気にしないような足取りで距離を取ったそれは、ある程度離れると足を止めた。
その光景を見る者がいたとしたら、不可思議な感触に落ちたであろう。
それは、鎧を思わせるようなライト・パワードスーツに見を包んだ人物だった。
燃え盛る炎とはまた違う、夕焼けのような茜色のパワードスーツが、こちらを照らし出す炎に彩られ、まるで絵画のような風景となっていた。
しかし、そのスーツの手には、血に濡れた日本刀が握られている。
刃が炎を照り返して持ち主を映す。
似たような色で目立たないが、そのスーツもまた無数の返り血に塗れていた。

「ここもハズレか」

顔を覆うメットバイザーの下から、凛とした女性の声が響く。
茜色のスーツに身を包んだ彼女は、首筋に手を伸ばすと、メットバイザーの開放スイッチを押した。
ロックの外れる音が響くと、彼女はメットバイザーを外す。
その下から現れたのは、20代半ばくらいと思われる日本女性の顔だった。
スーツ装着の邪魔にならないようにか、漆黒の髪は肩口でそろえられ、色白の肌に細い目鼻口がそろい、全体的には物静かな雰囲気を持った女性だった。
だが、それはただ一点においてまったく異なる雰囲気となっていた。
彼女の右目を、刀の鍔が眼帯となって塞いでいた。
名のある名工の手による、年代物であろう鍔眼帯が、彼女の雰囲気を鋭い物へと変えていた。
よく見れば、開いている方の左目にも磨き上げられた刃のような鋭さがある。
隻眼の女性は、片手でメットを抱いたまま手にした刃を一振るいして血油を落とし、腰の鞘へと収める。

「服部の方はどうなっただろうか?」
「すでに終わっております。室長」

女性が呟いた時、いつの間にか彼女の背後に人影が現れていた。
全身に黒い密着した奇妙な装束をまとい、顔も頭巾で目以外は完全に隠している。
背に四角い鍔のついた刀を背負ったそれは、手に付いた多機能デバイス等の最新装備を抜かせば、正真正銘の〈忍者〉その物だった。

「結果は?」
「こちらもハズレです。最早、国内にあと可能性のあるテロ組織、カルト集団は存在しない物かと………」
「仲介者その他の可能性のある者の選定は?」
「陸幕と手分けして当たっておりますが、今だ可能性のある者は浮かび上がっておりません。中国公安やCIA、MI6でも同様の模様です」

忍者の報告に、女性はしばし思案。

「やはり、直接関係者に聞くしかないのか?」
「室長、まさか………」
「水沢の奴が使える奴を探しているらしい。あいつならば、何か知っているはずだ」
「それならば某(それがし)が」
「お前には後詰を頼みたい。私が行こう」
「室長!」

忍者の声に、狼狽が混じる。
しかし女性は意見を変えようとはしない。

「忍びが表立って動く訳にいくまい。私ならあいつと似たような存在と思われる。面倒がない」
「しかし!柳生の頭首ともあろうお方が…」
「宗千華様!」

そこに、また一つの影が現れる。
先程のとまったく同じ忍者装束、しかしこちらはやや小柄でくぐもっているが声から女性と分かった。

「バンクーバーのSTARS本部が謎の部隊に急襲を受けている模様!第三のバイオテロの可能性高しとの報告です!」
「なんと!」
「まさか、そちらで起こるとはな…………どうやら、迷う暇も無いようだ」
「それでは………」
「すぐに向かう。一番速い足は用意できるか?」
「Mシティの杉本財団本部にて、研修中だったSTARSメンバーが急行の準備をしている模様。合流されるのが一番かと」
「私が行くまで待たせれるか?」
「準備は整っております。あとは守門博士に連絡さえすればよろしいかと」

そう言った女忍者の頭上に、垂直離着陸型の高速戦闘機が現れる。
すでに搭乗用のラダーが伸ばされ、あとは乗り込むだけだった。

「後は頼むぞ」
『ははっ!』

二人の忍者がかしこまる中、女性は携帯電話を取り出しながらラダーへと向かう。

「待っていろ水沢。今行く」

小さく呟きながら、隻眼の女性は戦闘機へと乗り込む。
その目は、遠くにいる誰かを見つめていた…………




《(黒)マ○ア様がみてる》


「ごきげんよう」
「ごきげんよう」

都内でも有数の伝統を誇る、カトリック系女子校に今日も生徒達が登校してくる。
幼稚舎から大学までの一環教育と、キリスト教義に従った校則が、純粋無垢な淑女達を育て上げる、今時稀有な学校の静かな朝が始まる、はずだった。
突然爆音と共に、無数のバイクが校内へと乗り込んでくる。

「ヒャッハア!」
「おお、噂どおりお嬢様ばかりだぜ!」

無意味に派手な改造の施されたバイクに、こちらも無駄に派手な格好をした男達が乗っている。
いきなりの侵入者に、女生徒達が騒然とする中、詰め所から慌てて警備員達が飛び出してきた。

「なんだ君達は!ここは関係者以外…」
「うるせえ!」

モヒカンに皮ジャンのパンクルックスタイルの男が手にした奇妙な箱のような物を構え、トリガーを引いた。
射出された端子が警備員の一人に刺さると同時に、高圧電流が流され、警備員はその場で悶絶した。

「貴様!」

それが『テイザー』と呼ばれる国内では販売禁止となっているピストル型スタンガンである事に気付いた別の警備員が腰の警棒に手を伸ばすが、別の男がバイクをスピンさせ、その警備員へと圧し掛かる。

「がっ…!」
「ほらほらどうしたガードマンさんよ?」
「止めなさい!」

見かねた女生徒の一人が、同級生達の制止を振り切り、男達に注意する。

「この学園は生徒と関係者以外は立ち入り禁止です!即刻退去なさい!」
「おうおう、やるねえお嬢ちゃん。気の強い女は好みだぜぇ」

男達が下品に笑いながら、注意をした女生徒の周りを囲んでいく。

「オレ達は関係者だぜえ、何せあんた達の初めての人になるかもしれねえんだからなぁ?」

男の一人が、片手で女生徒の肩を掴むと、もう片方の手でいきなり女生徒の制服を引き裂いた。

「き、きゃあぁぁ!」
「さあ、サツが来る前に適当なのをかっさらってトンズラするぜ!」

男達が一斉に女生徒に襲い掛かる。
女生徒達が悲鳴を上げて逃げ惑おうとした時だった。

「ひゃはははは、あ?」

女生徒の制服を引き裂いた男の胸や腹から、いきなり何かが生えた。

「な、なんだこれは?」

疑問は、灼熱を伴った激痛となって男に回答を与えた。

「な、なんだああぁぁ!?」

男の体を、無数の銀色の杭が貫いていた。
よく見れば、それは杭ではなく、十字型で表面に細かな模様が刻まれた巨大なロザリオだった。

「あれは!」
「あの方は!」

女生徒達の顔が歓喜の目でただ一点、礼拝堂の上に立つ十字架と、その脇に立つ修道服姿の人影に集中した。

「始末屋!」
「貫き弁護士!」
「殲滅者!」
「天使の牙!」
「十字剣!」
「シスター」
『アレクシーナ・闇出瑠泉!!!』

数々の異名と共にその名を呼ばれた人影、眼鏡をかけたシスターが口を吊り上げ、肉食獣のような鋭い歯を見せた笑みを浮かべる。

「どうかしましたか、あなた達?早く教室に入らなければ、授業が始まってしまいますよ?」
「シスター・アレクシーナ!不審者が侵入しています!」
「まあ、なんという事でしょう。この方達は私がお帰り願います。早く教室へお入りなさい」
『はい!シスター・アレクシーナ!』

女生徒達は、シスターの一声で男達をまるで空気のように無視して昇降口へと向かっていく。

「ま、待ちやがれ!」

上半身裸に皮ジャン一丁だけをひっかけた男が、女生徒の一人に手をかけるが、次の瞬間男の腕に切っ先が鋭く研ぎ澄まされたロザリオが突き刺さる。

「い、いでええええ!」
「ここは敬虔なる子羊達の学び舎です。あなた方のような下賎な狼達の来る所ではありません」

シスター・アレクシーナは、礼拝堂の上から飛び降りると、異様な身軽さで男達の前へと降り立つ。
降りる拍子に修道服の裾が捲くれ、その下のガーターベルトと、そこに無数に付けられたホルスターとそれに収めれた無数のロザリオの姿が露になる。

「な、なんだてめえ!」
「私は番犬、無垢なる子羊を狙う狼の喉笛を噛み千切り、地獄へ送るが我が使命。Amen」

胸の前で十字を切るシスター・アレクシーナに、男達が異様な気配を察して怯む。

「よくも岩太を!」
「やっちまえ!」

男の一人が、怒声と共にバイクのスロットルを捻り、男達はそれを気に一斉に様々な得物を抜いてシスター・アレクシーナに襲い掛かる。

「神と子と聖霊の御名において、我が使命を果たしましょう」

シスター・アレクシーナは短い祈りと共に、口を吊り上げ、番犬の牙を剥いた。
瞬時にして足のホルスターから、全長15cm程の大型のロザリオが無数に抜かれ、投じられる。
投じられたロザリオは、一つ残さずその鋭利な切っ先を男の顔に、喉に、胸に、腹に、足に突き立てる。

「ぎゃあああぁぁ!」
「うあああぁぁぁ!」

断末魔の悲鳴と共に、男達がバイクから転げ落ちる。
喉や胸を貫かれた物は血反吐を吐き、中にはその場でケイレンを始める者までいた。

「このアマぁ!」

鉄パイプを振りかざした男がシスター・アレクシーナの頭を狙うが、太もものホルスターから抜かれた30cmある巨大なロザリオ、十字の下部が刃となった十字剣で鉄パイプを受け止めると、もう一つの十字剣で男の胸を貫いた。

「がはっ………」
「アツ!」
「ひ、人殺しぃ!」
「人殺し?あなた達のようなケダモノは人ではありません。私が住みかの地獄に送り返してさしあげましょう」

顔に付いた返り血を、舌で舐め取ったシスター・アレクシーナが十字剣を組み合わせて十字となした。

「このっ!」

再充電が完了したテイザーが向けられ、トリガーが引かれる。
しかしひるがえった十字剣が有線端子を中空で切り落とし、ついでに投じられた十字剣が男の額と胸を貫いた。

「あ?」

状況を理解出来ないまま、テイザーを手に持ったまま二本の十字剣に貫かれた男が白目を剥いて地面へと倒れる。
その場に、血溜まりがゆっくりと広がっていった。

「ひいいいぃぃ」
「に、逃げろ!殺される!」

残った男達が、慌ててバイクに跨ると、急アクセルでターンして命からがら逃げ出し始める。

「汝、姦淫を犯すなかれ。汝をつまずかせる部位があるならば、それを抉り出して捨てなさい、Amen」

聖書の一部を詠唱すると、シスター・アレクシーナは異様なまでの身軽さで再度礼拝堂の屋根へと登っていく。

「主よ、背徳の者を罰します。Amen」

シスター・アレクシーナは礼拝堂の十字架を引き抜き、それを肩に乗せて構える。
セーフティーを外し、出てきたサイトを覗き込み、逃げ出す男達に正確に狙いを定める。

「神と子と聖霊の御名において命ずる。土は土に、チリはチリに帰りたまえ。Amen」

聖句と共に、トリガーが引かれた。
十字架に内臓されていた20mmロケット弾が噴煙を上げて飛び、逃げようとしていた男達へと命中する。
天高く爆炎と煙が昇っていくのを見たシスター・アレクシーナは静かに胸の前で十字を切る。

かくして、今日もこの学園は平和だった。




《Bug OR Attack?》


「む……」

 カーテンから差し込む光が、オレの目を覚ましていく。
 1テンポ遅れて鳴り出した目覚ましを止め、布団から出ずに寝返りをうった時だった。
 オレの顔面に、何か柔らかい物が触れる。

「むう………」

 最初それが何か分からず布団を引っ張る。
 寝ぼけ眼をうっすら開け、何気なくそちらを見た。
 少し冷たいが、白い布で覆われた何か柔らかい物が二つ、視界に入ってくる。

「う?」

 何か疑問を感じながら、布団の中に頭を潜り込ませる。
 視界は何か布地のような物に移り、そこにはリボンの柄がプリントされている。

(これは確かお袋が買ってやった悪趣味なパジ……)

 おれはそこで一気に意識を覚醒させ、布団から跳ね起きた。

「ん〜…………」

 放り投げられた布団の下から現れたのは、パジャマ姿で寝ている犬耳付き少女………の姿をした我が家のハウスアンドロイドだった。

「何をしている!何をしていた!」
「あ、おはようございますマスター」

 オレの大声に、スリープ状態だったそいつはパジャマ姿で起き上がる。

「よく眠っておられましたよ。昨夜夜更かしし過ぎです」
「日曜だからいいだろ!いつからオレの寝床に入り込んだ!」
「普段のマスターの起床時間ですが」
「…………」

 オレは横目で先程止めた目覚ましを見た。
 時間は9時、オレの普段の起床時間は7時。都合2時間………

「で、オレの寝床で何をしていた?」
「年頃の少年の休日はこうして起こすものだとお父様から」

 オレは無言でドアを蹴破るように開け、廊下を走り抜け、両親の部屋をトビラを全力で開けた。

「クソ親父!あいつに何を…」
「おはよう、ようやく起きた?」

 そこには、お袋がにこやかな笑顔でこちらを見ていた。ただし、上下逆さで。
 その下には、畳と羽目板を外した空洞の上を跨るように腹ばいになった親父がいて、お袋の頭は見事に親父の背中に直撃している。
 完璧な垂直マッスル・ミレニアムだ。OLAPじゃないのは本気で怒ってる証拠だろう。

「何やってんだお袋………」
「ん、お仕置き。純粋な子に変な事教えたからね」

 逆立ち状態で首で全体重を支えながら、お袋が頬に指を当てて小首を傾げる。
 ……白目剥いてた親父がその衝撃でちょっとケイレンしたような。

「それで、どこまでしたの?」
「何がだ!」
「母さんは責任さえ取れば他はこだわらないから」
「何をだ!」
「女の子をあまり追い詰めちゃダメよ?力技に持ち込まれたら男に勝ち目なんてないんだから」

 それは今の親父の状況だろうか?
 なんか口からあぶくが溢れてきてるんだが………

「マスター、朝食できてますよ?」
「……他に何か言う事はないのか?」

 相変わらずパジャマ姿のハウスアンドロイドが、この間(親父が勝手に)つけたばかりの尻尾を振りながら、にこやかに微笑みかけてくる。
 ぬう、これはこれで…………

「じゃなくて!勝手に人の寝床に入り込むな!」
「分かりましたマスター、ではお父様に教えられた通り、ガウン一枚で上に覆い被さってから許可を求めればいいのですね」

 オレが返答する前に、お袋が親父の首とモモを掴んで更に力を込める。
 親父の背中から何かがきしんでいくような音が………

「それやったら製造元に欠陥商品だと言って返品するぞ…………」
「残念ですが、お父様が私をAI保護協会のテストモデルに登録しております。不用意な扱いはAI虐待ケースとして記録されます」
「いいかげんにしろ、このクソ親父!」

 オレの全体重を乗せたエルボーが親父の背中に突き刺さる。
 ……何かが砕けるような音が響いたな。

「ではマスター、冷めない内に食べてくださいね」

 ウインク一つ残し、トビラが閉められる。
 あとには、呆然としているオレと何か納得しているお袋、臨終カウントダウンの親父が残った。

「最近、益々可愛くなってきたわね〜」
「バグだろ、全然ロボットらしくなくなってきたぞ………」
「無表情なお手伝いさんなんて母さんはいやよ?息子が無責任なのはもっとイヤだけど」
「どういう意味だよ…………」
「あ、そうそうこの間当たった映画のチケット、あげるから二人で行ってきなさい。父さんは今日行けそうないし」
「あんなベタベタな恋愛映画、なんでオレが好き好んで見なけりゃならん!」
「それがいいんじゃないの。年頃なんだから」
「知るか!」

 怒声と共に、アルテイメットな両親を無視してオレは食堂に向かう。
 そこに用意されてたトーストとオムレツ(ハート型のケチャップは食う前に塗りつぶした)を咀嚼しながら、オレはため息をついた。

「…………どうしたらいいんだ」

 確かに日に日に人間らしくなっていくハウスアンドロイドと、何故か向こう側の両親に、オレは重い重いため息をはいた…………




《剣狼》


耳障りな音が、私の耳に木霊する。
機嫌の悪さが少し顔に出たのだろうか、この乗り物を操縦してる人間が引きつった顔でこちらを少し見た。
相手にせず顔を伏せると、安心したのかその人間はまた前を向いた。
多少うるさい事を除けば、この乗り物はすこぶるいい物らしい。
だが、やはり我が四肢を持って地を駆ける時の爽快感に比べればいか程の事があろうか。

我が主に仕えるようになって、大分時間が過ぎた。
まだ我が幼い頃、主の住処よりもずっと寒い所にいたような記憶がおぼろげにある。
はっきり覚えているのは、燃え上がる炎とその前に立つ人影、そしてそれらを前に小さく震えていた我だけだった。
恐らくそこで拾われたであろう我を、主は健気に育ててくれた。
我が爪牙が鋭くなり始めた頃、主は我に似た他の獣達がいる所に連れて行ってくれた。
そこで我は俊敏な四肢の使い方と爪牙を持った戦い方を徹底的に鍛えられた。
訓練は厳しく、我と共に鍛えられた獣達はある者は脱落し、ある者は力及ばず事切れた。
なぜこのような事をするのか、理解する気はなかった。
なぜなら、主はこれよりも遥かに厳しい訓練を己に化していたのをこの目で見ていたからだ。

二本足で立ち、道具を使う事で脆弱になった人間でありながら、主はまるで違う生き物だった。
その身に爪を持たぬ変わりに鋼の爪を持ち、それを縦横に振るう主は強く、美しい。
強き者に仕えるが獣の業ならば、我が主に仕えるのは当然の事。
誰より強く美しい主に弱く醜い者が仕える訳にはいかぬ、今でもその気持ちは変わらぬ。

目的地が近付いたのだろうか、乗り物の扉が開く。
操縦していた者の隣にいた人間が何か言いながら、金属で出来た箱を我へと渡す。
この箱を主の下に届けるのが主から言いつけられた今回の仕事。
それを何よりも鋭利に研ぎ澄まされた牙の揃った口で咥えると、牙にも劣らぬ鋭さの爪を持った四肢で外へと飛び出した。
かすかに主の匂いが遠くから漂う。
ならば、我はただそこへと一目散に向かう。
人は我をこう呼ぶ。
『剣狼』と。



《In the BAR》


小さな雑居ビルの一階にその店は有った。
寂れているわけではないが、流行っているわけでもない一軒のBAR。
何か斬新な物があるわけでなく、まるで特徴のないのが特徴とも言えるBARだったが、店内は小奇麗にされていてクラシックな装飾の中、静かにBGMが流れている。
その店に、一人の男が訪れた。

「時間どおりだな、水沢」

その店の奥、テーブル席に付いていた女性が手にしていたグラスを手に男を呼んだ。

「仕事が予定どおりに済んだからな。それにお前にしては珍しくまともな誘いだったからな」

男は手にしたメッセージカードを振って見せる。
そのまま女の向かいの席に男は座った。

「晶さんから聞いてたが、本当だったか……」
「ああ、これか」

女は自らの右目を覆っている刀の鍔を眼帯にした物に触れる。

「覚悟の印だ。これならどう見ても柳生十兵衛に見える」
「本気でやる馬鹿がいるか。お前の腕ならわざわざそんな自虐的な覚悟をする必要は無いだろう」
「女だというだけで見くびる奴がこの国にはまだいるからな」
「気にするようなヤワな神経構造はしてないだろう。無駄に感覚を減らしただけだ」
「……叱ってくれたのは氷室とお前だけだ」

小さく笑みを浮かべる女が指を慣らすと、バーテンダーが無言で彼女が飲んでいたのと同じカクテルを男へと運んでくる。

「FBI捜査官になって一年も経たないのに、もう海外出張とはな」
「マフィアとヤクザの裏取引でな。事情に詳しいという事で抜擢された」
「取引現場と事務所双方潰してきてか?」
「……随分と耳が早いな」

運ばれたカクテルに口を付けず、男は胡乱な目を女に向けた。

「それが仕事だ。こうして飲みに来る時間なぞ滅多にない」
「晶さんに誘われなければ買い物にも行かない人間がか?」

そこで、女の足元から小さな鳴き声が響く。

「おっと、起きたか」

男の位置から見えなかったが、女の足元、テーブルの下から何か大きなバスケットを女は取り出す。
それを開けると、その中にはまだ小さい灰色の毛色をした子犬のような生き物がつぶらな瞳でこちらを見ていた。

「ペットか。お前がそういうの飼うとは珍しい」
「氷室に、仕事が忙しいなら片時に相手してくれるのがいるといいと言われてな。名は太刀狛(たちこま)だ」
「随分と勇ましい名…」

その小動物をなでようと手を伸ばした男だったが、ふとその手が止まるとその〈子犬〉を見た。

「………ちなみにどこで拾った?」
「仕事先だ」

それだけ言う女に、男は生ぬるい目でその〈子犬〉をそっとバスケットから出す。
それは犬の割に目つきが鋭く、その足は大きめで爪も立派だった。

「犬じゃないだろ、こいつ………」
「飼ってみるとなかなか可愛い物だな」

男の問いに答えず、女はグラスを空けると次を頼む。

「何を飼うのも勝手だろうが、ちゃんとしつけろよ」
「無論だ。伊賀の忍犬養成所に話は通してある」
「……ペットじゃないだろう。それ」

恐らく飼い主に似たとんでもない〈愛犬〉になりそうな〈子犬〉を撫でると、男はそれをバスケットに戻した。

「こっちはペットなぞ飼う暇もないような忙しさだがな。課長が人使い荒くてな………」
「FBIの女モルダーか、一度会ってみたい物だ」
「やめとけ、ただでさえレオン長官とも仲悪くてこっちは困ってるんだ」
「分かった、菓子折り持って許婚が挨拶に来たと」
「おい…………」

そう言いながらも、グラスがまた空けられ、再度同じカクテルが運ばれる。

「飲まないのか?おごるぞ」

かなり強いカクテルなのか、女の顔には朱が挿し始める。
対し、男はグラスに手を伸ばすと、その端を指で弾いた。

「一服盛られてなければ、馳走になる所だがな」
「なんだ気付いていたのか」

空恐ろしい指摘に、女は悪びれもせずまだグラスを空ける。

「いつ気付いた?」
「運んできた時だ。ここは内調のキープハウスで、あのバーテンは恐らく伊賀忍だ。違うか?」

バーテンダーはその指摘に顔色も変えないが、女は微笑して新しいカクテルに口をつける。

「それらしい動作はさせてなかったと思ったが」
「体臭を消し過ぎだ。忍びなら体臭を消すのは常識だが、事バーテンダーともなると得意とするカクテルの匂いが体にしみつく」
「なるほど、憂慮しておこう」

グラスを空ける度にピッチが増していくのか、一息でカクテルをあおった女が空のグラスをテーブルに置いた。

「氷室とは何度も来たが、気付いてもいなかった」
「捜査官と陰陽師の違いだ。妙な事件ばかり任せられるから、人を見る目はイヤでも身に着く」
「欲しいな、その目も、お前も」

女はそう言いながら向かいに座る男のアゴに指をかけると、それを自らの方へ引き寄せる。
朱の指した顔で男を見ながら、その唇に己のを重ねた。
数秒間、その体勢を維持した女はゆっくりと唇を離す。

「……どこでこういう事を覚えた?」
「さてな」

とぼけた事を言いながら、女がペットの入ったバスケットを手に席を立つ。
キャッシャーにカードをかざして会計を済ました女が出て行った所で、ふと男は今まで顔色一つ変えなかったバーテンダーが驚愕の顔でこちらを見ている事に気付いた。

「そんな、室長があんな女らしい事を………」
「………おい」

中身が全く減ってないカクテルをバーテンダーへと返しながら、男は顔を歪める。

「ちなみに何が盛られてる?」
「睡眠薬と興奮剤を………通常の五倍で」
「あいつはオレを殺す気か?」
「さあ………」

バーテンダーも苦笑しつつ、新たなカクテルを男へと差し出す。

「どうぞ、私のおごりです。余計な物は何も入っていません」
「いや、やめておこう。長居すると何をされるか分からん。監視されながら酒を飲む趣味もないしな」

男がそう言いながらやや大きめな換気ダクトを見ると、そこに有った気配が慌てて遠ざかっていった。

「……日本に戻る気はありませんか?」
「今の所はな。やや忙しすぎるが、あちらの仕事も気に入っている。あいつにはそう伝えておいてくれ」
「分かりました。それではいい夜を………」

男はそのまま店を出ていく。
静かに夜は更けていった…………






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