『sword girls』


(これは管理人の兄、岩手のボケ熊の作品です)



「オイ、お前!わたちと勝負しろ!」

 年端のいかない少女の声が道場の片隅で鋭く響いた。
 それを聞いた道場の中の大人たちは苦笑とともに声の方を向く。

「え、その僕ですか?」

 その声をかけられた少年は、声の主を見るとあからさまに戸惑う。その視線の先はずっと下向き、自分の腰ほどまでしかない少女に向けられていた。

「お前に決まってりゅ!」

 まだ怒声に呂律が追いついていない舌足らずの声と、肩まで届かないオカッパに切りそろえられた髪。剣道着こそ背丈に合わせてあるが、その手にはまだ余るような大きさの竹刀を握っていた。

「宗千華様、無理をおっしゃいますな。まだ貴方には無理です」

 一人の男性が苦笑と共に二人の子供の間に割って入る。

「無理じゃない。どっちも小学生だもん!」

 宗千華と呼ばれた少女は、自分の竹刀の切っ先を少年へと向ける。
 が、その切っ先は重さに堪えるのが必死で、当人がまっすぐ指しているつもりでも、ゆらゆらと宙をさまよっている。

「この物は六年生、宗千華様はまだ一年生ですぞ」

 別な男性がさらに仲裁に入る。周囲の皆がそれに同意するように頷いてみせる。

「六年も一年もないもん!」

 その一言と共に、間に立っていた男性の脇をすり抜け、宗千華は少年へと襲い掛かっていった。

「ちょ!待っ!」

 少年は咄嗟に手にした竹刀で防御しようとする。
 宗千華の切っ先の軌道を予測し、それを止めるべく構えられた少年の竹刀は、その役目を果たす事は出来なかった。

「隙ありっ」

 宗千華の竹刀は少年の脛をしたたかに叩きつける。

「痛!」

 痛みに少年が思わずひるんだ隙に、宗千華は自分自身が半ば振り回されるような勢いで次々と竹刀を振り回す。

「待って!宗千華様、ストップ!」

 少年の訴えにも耳を貸さず、宗千華は竹刀の届く範囲を次々と攻撃していく。

「とどめ!」

 大上段に振り下ろされた竹刀は、少年の股間を直撃した。

「おぐ!」

 少年はたまらずその場に崩れ落ちた。
 それを見やった宗千華は、肩で息をつきながらも震える手で竹刀をかざす。

「勝ってゃ」

 息も絶え絶えの勝ち名乗りに、周囲は溜息をもらす。そんな中、ひとり悦に入っていた宗千華の竹刀を、後から伸びた手が奪い取った。

「何をする!」

 後を振り向いた宗千華を、さらに別の手が襟首を掴んで持ち上げる。

「それはこちらの言葉ですよ、宗千華様」

 宗千華の視線を自分の視線に合うまで持ち上げた女性がにこやかながらも、怒気を孕んで睨みつける。

「し・・不知火」

 宗千華の視線が途端に宙を泳ぐ。

「この時間の修練を邪魔してはいけないと御館様にも言われてるじゃないですか」

 穏やかにたしなめる不知火の言葉を、宗千華は逆に睨み返す。

「いいんだもん、わたちは強くなるんだもん!」

 子供らしい駄々を捏ね始めた宗千華を不知火は呆れ混じりに見つめる。

「ちゃんと修行なさっていれば強くなれますから」
「一人じゃつまんないもん!勝負したいんだもん!」
「ダメです。まだ勝負は早いです。誰彼かまわずでは強いも何も」
「うるちゃーい!」

 まだ喚き散らす宗千華をぶら下げたまま、不知火は周辺に一礼した後に連れて出していった。
 道場を出てからもしばらく喚く声が聞こえてくるが、皆はまた自分達の修練へと戻る。

「大丈夫か?」

 先程、間に割って入った男性が少年へと声をかける。

「あ、はいもう大丈夫です」

 少年はようやく落ち着いたのか、その身を起こす。

「宗千華様にも困った物だ。自分よりも年上の人間にばかり勝負をふっかけてくる」
「そうなんですか?」
「あまりにもしつこいので、御館様に何度も怒られているのだがな」
「あの御館様に逆らうんですか?」
「御館様もけっして甘やかしてる訳でもないんだがな。それでも、な」

 少年は驚きと共に、自分の竹刀を見つめる。

「気づいたか」

 男性は少年の疑問に先に答える。

「僕は間違いなく初撃を防御したはずなのに、防御できなかった。どういう事なんですか?」

 男性は苦笑を浮かべながら、自分の木刀を構えてみせる。

「宗千華様はな、剣の才はもうお持ちなんだ。柳生の基本的な剣筋ならば攻撃も防御もすぐに分かる」

 男性の切っ先がゆっくりと振り抜かれる。

「おまけに素早い物だから、普通に基本的な構えだと直に隙を付かれてしまう。お前も、もう少し上達すればいなす事も出来るんだがな」
「末恐ろしいですね」
「本気で攻撃できる相手でもないしな。うまくやり過ごすしかない。せめてもう少し分別がつけばな」

 男性の再度の苦笑に、少年も同じように苦笑するしかなかった。


「離せー!不知火、まだ勝負するんだー!」

 懲りずに喚き続ける宗千華を不知火はそ知らぬ顔で宗千華の自室へと運ぶ。
 部屋に付く頃には喚きつかれたのか、むくれた顔になった宗千華を無理矢理座卓の前へと座らせる。

「今日の分の漢字の書き取りが終わっておりません。終わるまで勝負も剣の稽古もダメです」
「えー、書き取りつまんない」

 その一言に不知火の表情が険しくなる。

「御館様にも文武両道と言われてるでしょう。終わるまで夕餉は出しませんよ。早くしていただかないと側役の私が怒られますので」

 その言葉に、宗千華は渋々座卓へと向かった。



「ご馳走様」
「お粗末様でした」

 普段より遅くなってしまった夕餉の盆を不知火が運んでいくのを見た宗千華は、早速竹刀を手に取ると道場へと向かおうとする。

「どこに行かれるのですか?」

 その正面に盆を運んで反対に向かったはずの不知火が立ちはだかった。

「う・・」
「今の時間は大人の方の修練時間です。宗千華様は中庭で素振りの筈でしょう」
「でも・・・」

 まだ何か言おうとする宗千華を、不知火は睨みつける。

「・・・素振りする」

 大人しく中庭に宗千華が下りていくのを見た不知火は、盆を運びに姿を消した。


「不知火のバカ」

 一言つぶやくと同時に竹刀を振り下ろす。

「父様のバカ」

 また振り下ろす。

「みんなのバカ」

 その一言と同時に、手にしてた竹刀を地面にと放り投げた。

「つまんない」

 その場へと座ると、ぼんやりと視線をさ迷わせる。
 道場の方から聞こえる声が、空しく感じられて庭の池へと石を放り投げようと構えた時だった。
 渡り廊下を見慣れない人間が歩いているのが目に止まった。

「誰だ?」

 興味をそそられた宗千華は竹刀を手に取ると、そちらへと向かっていった。

 近づいてみると、見慣れない格好をした女性の二人組だった。
 和装はこの家では皆当たり前のようにしているが、その二人は全身が黒で統一され、胸のところに白色で星型の紋が付いている。
 宗千華の知識では『五芒星』という陰陽寮を意味する紋である事は理解できなかった。
 年の差のある二人は、親子なのか容姿が似ている。
 年長の女性は手に白木作りの刀を帯び、穏やかさと鋭さを感じる表情で渡り廊下を歩いていく。
 それに付き従うのは、宗千華と少ししか歳の違わないような少女だった。
 こちらは物珍しそうに周囲を落ち着き無く見回している。
 その様子を宗千華は物陰から観察する。
 やがて廊下の先、客間へと辿り着くとその中へと入っていった。

「変な格好」

 宗千華は戸口の正面から部屋の中が見れる窓へと移動して、障子の隙間から中を覗き込む。

「父様?」

 客間の中では、年長の女性と宗千華の父が何か話をしている所だった。
 何か難しげな表情をした父と、穏やかな表情を崩さない女性がしばらく話を続けた後、父は女性を伴って奥へと行く。
 女性はそれに付き従うが、同じように立ち上がろうとした少女に声をかけると、その場にとどまらせて二人で奥へと消えて行った。
 残された少女を宗千華はじっくりと観察してみる。
 落ち着かないのか、そわそわと周囲を見回すその顔は涼しげでありながらも妙に愛嬌があり、背中まで伸びた黒髪は首の後ろで水色のリボンで括られている。
 やがて見回すのに飽きたのか、客間の中を歩き回って置いてあるツボを覗き込んでみたり、掛け軸をひっくりかえして裏を見たり、と妙にせわしない。

「変な奴」

 宗千華に観察されているのに気づかないのか、段々と畳みをあちこち手で叩いてみたり、壁を片っ端から押してみたりしている。やがて偶然に床柱を叩いた途端、非常用に中に仕込まれていた日本刀が出てきた。

「・・・不知火に怒られるぞ」

 以前に自分が同じように床柱の仕掛けをいじって遊んでた時には、こっぴどく怒られたのを思い出した宗千華は、自分が怒ってやろうかと思って、一歩前に出る。
 が、少女の方は自分が出してしまった仕掛けに驚いたのもつかの間、おもむろにその刀を手に取ると、右手で正眼に構えた竹刀の背に左手を添える変わった構えを取る。
 それを見た途端、宗千華は目の前の少女も剣術の覚えがある人間だと理解した。
 そして


「それでは、こちらの方はお預かりしていきます」

 女性の前に置かれた細長い桐箱には、何枚もの御札が張られ、禍々しい雰囲気を漂わせている。が、女性はそれを恐れるでもなく穏やかな笑みを浮かべたまま桐箱を小脇へと抱える。

「よろしく頼みますぞ、氷室(ひむろ)殿」

 その女性の正面、この館の主にして柳生家の現党首である男性は、厳しい表情で桐箱を睨んでいる。

「しかし最近は随分とこのような妖刀まがいが増えた物だ」
「困った物です。陰陽寮の蔵でも収まりきらなくなりそうなので、増築を考えているとか」
「世が乱れてくる前触れやもな」

 男性は深く嘆息すると、視線を自分らが来た方向へと視線を転じる。

「もう一つの困り事も来たか」

 その視線の方向を釣られるように見やった女性は、その言葉の意味する所に気づいたのか困ったような笑みを浮かべる。

「どうやら、紹介するまでもなく話がはじまりそうですね」

 だが男性の方はさらにもう一度嘆息。

「それで済めばいいが」
「はい?」
「オイ、お前!わたちと勝負しろ!」
「え?」

 向こうから響いてきた声に、女性は首を傾げた。


「うわーごめんなさい。かってに弄ってごめんなさい。忍者屋敷ってきいたから、つい」

 刀を手にしたまま、その場にいきなり土下座して意味不明の弁明を始めた少女に、宗千華は虚勢を挫かれた。

「・・・ウチは柳生の屋敷で忍者屋敷じゃない」
「え?」

 土下座から頭をあげて目の前にいるのが宗千華だと気づいた少女は、ホッと胸を撫で下ろす。

「よかったー、怖い人が来たのかと思っちゃった」

 あからさまな態度の変化に、なんとなく面白くない宗千華は手にしていた竹刀で少女が手にしたままの刀を思いっきり叩きつける。

「痛っーい!!」
「わたちの事バカにするなー!」

 刀がすっぽ抜けた勢いで、指でもすりむいたのか、少女は涙目になりながら右手に息を吹きかけている。

「お前も剣をやってるな、勝負だ」

 竹刀を突きつけてくる宗千華に少女は困った笑みを浮かべる。

「確かに剣術やってるけど・・・私は小4だよ?お嬢ちゃん幾つ?」
「んな?」

 素で心配してる態度に宗千華は更に激昂、竹刀で今度は脛を思いっきり叩きつけた。

「痛い!痛い!」

 今度は脛を抱えて大騒ぎする少女に、再度竹刀を振りかざす。

「やめんか、宗千華」

 奥から響いた声に、宗千華の手が止まる。
 恐る恐る視線をめぐらすと、そこには先程の女性を伴った父親の姿があった。

「父様・・・」
「へ?」
 
 脛を抱えたまま宗千華と背後の男性を見比べた少女は、視線を何度か往復させて何かに思い当たったのか、ポンと手をたたく。

「柳生のお嬢様?」
「知らなかったのかー!」

 宗千華は再度竹刀を振り上げるが、急に手の中から竹刀が消える。

「あれ?」

 不思議そうに手の中を眺めていると、今度は肩を叩かれる。恐る恐る背後を振り返ると、手に宗千華から奪い取った竹刀を握り締めた不知火が立っていた。
 顔こそは笑っている物の、右目の上が痙攣しているかのようにひくついている。この状態は不知火が最も怒っている時だと宗千華は知っていた。

「素振りもなさらず、客人に暴力まで振るわれて、どのようなご理由がおありですか?宗千華様」

 不知火の手に握られた竹刀がミシミシと音を立て始めるぐらい、強い力で握られている。彼女の怒りがレッドゾーンに突入しているのを悟った宗千華は即座に目の前の少女を指差す。

「そいつが勝手に柳生家の物に手を出したから、私が叱ってやったんだー!」
「ああ、酷い!私がみんな悪い事にしてるー!」

 宗千華の言葉に即座に少女が反論する、が、他の3人は、少女の前に落ちている刀と柱の仕掛けが作動したままになっているのを見て大体の事情を察する。

「あの仕掛けはいい加減に変えねばならんな。子供のおもちゃになって仕方無い」
「以前もそうおっしゃられてましたよ」

 父の言葉に揶揄するような返事を返しつつ、不知火は落ちている刀を元に戻し、仕掛けをかけ直す。

「あらあら、すいませんね。ウチの娘が勝手に粗相をしてしまったようで」

 女性の方は苦笑しているのか、それとも本当に謝意があるのか、いまいち区別の付かない笑顔を浮かべたままだった。

「で、宗千華様」

 仕掛けをかけ直した所で、宗千華の方を振り向いた不知火の顔は先程とまったく変わってなかった。

「客人に注意と言われる割には、勝負がどうの、と聞こえたのですが?」
「う・・・」

 自分の言い訳があっさり見透かされた宗千華は返答に詰まる。が、意外な所から助け舟が来た。

「構わん。勝負してみろ宗千華」
『え?』

 父の意外な一言に、宗千華と不知火は同時にそちらへと首を向ける。

「よろしいですな、氷室殿」
「そちらがよろしいのであれば構いません」

 親同士で勝手に勝負する事が決まっていくのを、宗千華はぽかんと見ていた。

「ちょっと母さん、いくらなんでもこんな小さな子と勝負って」

 少女の方は明らかに当惑している。

「道場でよく下の子の面倒見てるじゃないの。同じ要領よ」

 勝負、といってもまるで緊迫感を感じていない母親の言葉に、少女はマジマジと宗千華を見つめる。

「お嬢様に勝っちゃったら、そこいらの忍者に始末とかされないよね?」

 心配げな言葉に、宗千華は再点火。

「私が負ける事なんかない!」

 ビシリと少女に人差し指を突きつける。

「決まりだな。道場は使用中ゆえ、そこの庭で準備を」

 父の言葉に、不知火はうなづき、手にしたままだった竹刀を宗千華へと返す。

「・・・不知火、これ折れてる」

 宗千華の言葉どおり、その竹刀は先程不知火が握り締めた部分がひび割れ、くの字に折れ曲がっていた。

「これは失礼を。別な物を用意してまいります」

 再度宗千華から竹刀を受け取った不知火がその場を去ると、それを見送った少女は恐る恐る宗千華に尋ねる。

「あの人、ひょっとしてクノイチ?」
「そうだ、不知火は私の側役のクノイチだ」

 自慢げに胸をそらしてみせる宗千華に少女はこっそりため息。

「苦労してそうだなー」
「なぬ?」


 僅か数分の後に、中庭には四隅に篝火が設置され、勝負しやすいように敷砂利は平らに直された上に庭石まで避けられていた。

「柳生の方はやはり仕事早いわねー」

 妙な関心をした母を脇に、少女は用意された竹刀の感触を確かめていた。

「なんでこんな事なってるんだろ?母さんの付き添いだけだった筈なのになー」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、いくつか型をこなしていく剣筋は鋭い。

「では宗千華様。御館様のお許しが出ましたので、ご存分に」

 宗千華に竹刀を手渡す不知火だが、その表情は厳しい。

「まだ怒ってる?」
「いいえ、別に」

 宗千華の問いに無感情に答える不知火に、心の中で恐れつつも、竹刀を手に勝負の場へと向かう。
 二人が中庭の中央で差し向かいに立つ。
 篝火の立てる音が緊迫感を増していく。

「それでは両者、構えよ」

 父の言葉に、宗千華は竹刀を上段に構える。
 それに対し少女は右手で正眼に構えた竹刀の背に左手を添える変わった構える。

「何だそれ?」
「これは光背一刀流の構えの一つ。ふざけてる訳じゃないよ」

 少女の揺るがない構えをみて、宗千華は原因の分からない不安を感じていた。

「始め!」

 父の合図と同時に宗千華は少女へと突っ込んでいく。

「やぁぁぁ!」

 手を狙った一撃。少女はそれを竹刀の切っ先を下へと向けて受け流そうとする。

「かかった」

 それを見越していた宗千華は受け流される勢いに自らをのせて、竹刀のぶつかり合った部分を支点に側面へと回りこむ。

「な?」

 驚く少女の、胴を狙って横なぎの一撃。
 それを横に飛ぶ事によって少女は回避。
 が、無理な姿勢で飛んだ事によって不安定な姿勢になった少女へと向かって宗千華はたたみ掛けようとする。

「あ」

 かすかな呼気と同時に、少女の姿勢がさらに一段低く、竹刀は地面すれすれに構えられる。
 宗千華の不安が大きくなると同時に、少女は宗千華が今まで見た事も無い動きを始めた。

「ああああああ!」

 低い姿勢から、少女の体はその場で旋回。
 構えられた竹刀が螺旋を描くように上昇していく。

「何だそれは?!」

 切っ先がかするより先に、急制動をかけた宗千華はバックステップで攻撃をかわす。
 着地するよりも先に旋回を終えた少女は、竹刀を両手持ちに変えると、最上段へと構えて宗千華の後を追う。

「くっ」

 地面にかすかに触れた足で地面を無理やり蹴飛ばし、さらに後方へと飛ぼうとする宗千華。

「やぁぁ」

 距離をとろうとする宗千華に対し、少女は握りをまた片手へと直し、体を半分倒すようにして一撃を放つ。

「うわぁ!」

 想定してなかったリーチの攻撃に、宗千華の口から驚きの声が漏れたのと、その手の竹刀が弾き飛ばされたのは数瞬の後だった。

「あ?」

 それに気をとられた宗千華はバランスを崩して仰向けに転倒してしまう。
 対する少女は無理な姿勢から放った一撃だったにも関わらず、何とか倒れずに踏みとどまった。

「それまで」

 夜空を見上げる格好となった宗千華には、父の言葉は届いてなかった。

「負けた?」

 ショックで立ち上がれない宗千華の上に影が落ちる。

「大丈夫?」

 自分に向けて手を差し伸べている少女の心配そうな顔を見た宗千華は、その手を払いのけると一辺に飛び上がり唖然としている少女に指先を突きつけた。

「お前!何だ今のグルグルってやつ?!あんなの知らないぞ?忍術か?お前も不知火と同じクノイチか、もしくはお化けの仲間か?」

 早口でまくし立てる宗千華に少女は苦笑。ゆっくりと立ち上がり、先程と同じ右手で正眼に構えた竹刀の背に左手を添える変わった構えをとる。

「クノイチでもお化けでもないよ、私は陰陽師。お化けと戦うのが私達の使命」

 そこで構えを解くと、舌を出しながら愛嬌のある笑顔を浮かべる。

「ま、私なんかまだまだ修行中なんだけどね。さっきの光螺旋も竹刀でしかまだ出来ないし」
「オンミョウウジ?ヒカリラセン?」

 聞いた事のない言葉に宗千華は混乱して突きつけていた指先を自分の額に押し当て、グリグリとえぐりつつ考え込んでしまう。

「宗千華、つまりはお前にはまだまだ知らぬ事が多い、という事だ」

 混乱している宗千華に、父は厳しい口調で告げる。

「自分の知っている事でばかり計っていては、剣士としての強さは得られぬ」

 言葉を繋げながら宗千華の元へと歩み寄り、落ちたままの竹刀を拾い上げて混乱したままの宗千華へと握らせる。

「己の剣で全てに勝てるようになるのは容易ではない。確かにお前は年齢不相応の才は持っているが、先程の通り、見た事も無い相手にはまるで無力なのだ」

 父の言葉の難しさに、宗千華は混乱しながらも、最後の『無力』である事だけは理解できた。

「う・・・」

 悔しさで、自分の目に涙が浮かぶのを感じた宗千華は慌てて袖で目を擦る。

「おい、お前。もう一回だ!」

 叫びながらもう一度切っ先を少女へと向ける。が、当人はいつの間にか不知火が用意していた茶を縁側ですすっていた所だった。

「何やってるー!!」

 宗千華の言葉に、少女は湯飲みを手にしたまま心底困ったような表情を浮かべる。

「止めようよ、宗千華ちゃん。お父さんの言う事聞いてたでしょ」

 本気で宗千華を心配しての返答だったが、宗千華は違う点で虚を取られた。

「宗千華・・・ちゃん?」
「うん、そう。なんかカッコイイ名前だよね」
「・・・ちゃん・・・・」

 呆気に取られていた宗千華が段々と怒気で顔を赤くしていく。

「ちゃんって何だー!私は柳生の娘だぞー!子供扱いするなー!!」
「そっちに怒るの?!」

 予想外の宗千華の反応に、少女は助けを求めるように母の方を向く。

「あらぁすっかり怒らせちゃったわねー」

 こちらは不知火の用意した茶菓子を齧っていた。まるで他人事のように娘の視線を無視。我関せず、とばかりに次の菓子を口の中へと放り込んで口を閉じる。

「母さんヒドイ・・・」

 隣で湯飲みに茶を足している不知火へとすがるような視線を向けるが、こちらはまるで聞こえてないかのように表情を変えず黙々と急須の茶葉を変えていた。

「えーと・・・」

 顔を真っ赤にした宗千華の対応を考えあぐねていた時だった。

「構わぬよ、そのままで」

 助け舟は以外にも宗千華の父から出てきた。

「いいんですか?当人怒ってますけど」
「父様、何で!」

 二人の問いに父は宗千華と少女を交互に見る。

「宗千華、この者は柳生一門の人間では無い。年齢でも剣でも下のお前では、子供扱いされても文句は言えまい」
「うく・・・」

 下唇を噛み締めた宗千華は、うな垂れると手から竹刀が零れ落ちる。

「どうやったら・・・」

 宗千華は搾り出すように言う。

「どうやったら勝てるようになる?」

 その言葉を聞いた父は、宗千華の落とした竹刀を拾い上げると、再度それを握らせる。
 そして宗千華の耳の脇に口を近づけると、囁く様な口調で話す。

「ここから右奥の池が見えるな」

 父の言葉に宗千華は頷く。父の言葉に視線をめぐらした先には母の趣味で鯉を放流している大きな池があり、築山の上から滝をもした水が静かに音を立てながら流れている。

「あの流水に映る月をキレイに二つに切ってみせよ」
「え?」

 それだけ告げると、父は宗千華へと背を向ける。
 宗千華はしばらく父の言葉にあった流水を見つめる。確かにそこには空に浮かんでいる三日月が写っていた。

「キレイじゃない」

 そこに映る月は水の流れによって常に揺らめき続け、歪んだ形にしかなってなかった。

「父上!さっきのは・・・」

 言いかけた所で、わずかに振り向いた父の鋭い視線が突き刺さり、宗千華は言いかけた言葉を飲み込んだ。

「母さん今の何?」

 呆然と二人のやり取りを見ていた少女が、母に尋ねてみる。

「あらー、もう口伝伝授ですか?手厳しい事」

 それを聞いた少女は宗千華へと視線を戻す。
 当の宗千華は精一杯難しい顔をして、池を見つめていた。

「口伝だけって、光背一刀流より厳しくない?可哀想だよ宗千華ちゃん」

 少女の心配をよそに、その口伝を伝えた本人は氷室の前へと立つとおもむろに頭を下げる。

「氷室殿にも娘さんにも、手間をかけさせてしまいましたな」
「いーえー、主に娘ですから」

 のん気に答えながら茶菓子を又口に入れる母を少女は呆れた目で見る。

「母さん気楽に言い過ぎ。宗千華ちゃん凄いよ、道場の子よりも少し強いから手加減できなくなる所だった」
「でしょうねー、あんな未完成の技まで出しちゃうんじゃ、直に追い越されちゃううわねー」
「う、それはありえるかも」
「それは買被りすぎですよ、氷室殿」

 三人で和やかな会話をしつつ、不知火が新たに茶を入れなおそうとしていた。
 
「おい、お前!明日だ、また明日に勝負しろ」

 妙に自信に満ち溢れた宗千華の宣言に皆の動きが止まる。

「え?」
「あらあら」
「やれやれ」
「あまり懲りておられぬようです、御館様」

 先程までの悩みが既に吹っ切れたかのように、宗千華はまた竹刀を握り締めている。
 その様子を、驚き・呆れ・苦笑・嘆息のそれぞれで皆が見返す。

「宗千華、一朝一夕には・・・」
「修行だぁぁぁぁ!」

 父の言葉も聞かずに、宗千華は池の方へと走っていった。
 その背を呆然と見送った4人は、その視線を再度の勝負を申し込まれた当人に集中させる。

「えーとー、どうしよう母さん」
「困ったわねー。もう帰らないとダメなのに」

 当惑する母娘に、父は頭を下げる。

「娘には言って聞かせますので、今日の所はお帰りいただいて結構です」
「でも・・」
「あら、折角ですから泊まっていただいたらいいじゃないですか」

 別の所から届いた意外な提案が出てきた。

「奥方様、お加減はよろしいので?」

 廊下の向こう、寝巻き姿の女性に不知火が心配げな声をかける。
 歩いてくる女性は、後ろに側役の女性をつれながら、にこやかな笑顔を浮かべて話の輪へと入ってきた。

「宗千華もすっかりやる気のようだし、せっかく他の子と積極的に付き合おうとしているのですから、少し我侭させてもいいじゃないですか」

 その女性、宗千華の母はそう言いながら再選を申し込まれた当人の頭を撫でる。

「よろしいかしら、氷室のお嬢さん。せめてもの歓待はさせてもらいますから」

 宗千華の母の言葉に、呆然と聞いていた少女はやっと自分の立場を理解する。

「ど、どうしよう母さん」

 もはや慌ててばかりの少女に、その母親はかわらず笑みを浮かべながら、その肩を叩く。

「折角だから、お言葉に甘えちゃいなさい。私はコレを届けなければならないから、貴方一人になっちゃうけど」
「ひ、一人?母さん、それはちょっと」

 少女の言葉に、母親は耳を貸さずに屋敷の主に頭を下げ返す。

「では娘の事、お願いしますね」
「すいませんな、すっかりお引止めしてしまって」
「それじゃ、部屋を用意させますので」

 その言葉を受けた側役が、準備のためにその場を後にした。

「何でこうなっちゃうんだろうなー?」

 あっと言う間に自分を差し置いて話が進んでしまった少女は、事の発端である宗千華へと視線をむける。

「このー!!」

 とうの宗千華は、池に向かって出鱈目に竹刀を叩きつけていた。

「何なさってるんですか宗千華様!」

 不知火の怒声が、屋敷中に響き渡っていた。



翌日

「38度7分。今日は絶対安静です」

 屋敷付の医者の診断に、宗千華はむくれていた。が、全身の虚脱感と頭痛が彼女に行動の自由を与えてくれなかった。

「夜中にずぶ濡れになるまで池で遊ばれるからです」

 不知火は半分怒って、半分心配しての言葉を宗千華に投げかける。

「遊びじゃないもん、修行だもん」

 宗千華の反論は、何とも弱弱しい。

「ともかく、お医者様の言う通りに今日は大人しくなさっててください」

 額の手拭を手桶の氷水で冷やし直して交換し、不知火は手桶を持って立ちあがる。

「水を替えてきますので、本当に大人しくなさっててくださいよ」

 念を押して不知火が部屋を後にする。部屋に一人残された宗千華は、天井の板目を眺めながら再度、父の口伝を思い出していた。

「月って、どうにゃったらキレイになりゅんだ」

 口に出してみて、自分の口と舌が熱のためにかうまく回ってない事に、さらに頭痛が増した気がして、頭まで布団をかぶる。
 まとまらない頭の中で、昨日の口伝がぐるぐると混乱の渦を巻いていた。
 しばらくの間、そうしていたが不意に気配を感じた宗千華は、布団から頭を出し障子の向こうに人影が現れたのに気づく。

「不知火?」

 声をかけてみるが、障子の向こうの人影は何を驚いたのか、慌てて離れていくが、直に戻ってきて少しの間うろうろしていたかと思うと、おそるおそるといった感じで障子がノックされる。

「宗千華ちゃーん、入っていい?」

 その声に宗千華は影が昨日の少女だと分かったが、熱で億劫になった頭に、どう返事したらいいのか思い浮かばず無言で返す。

「寝ちゃったのかな?入るよ」

 宗千華の思惑を無視して、少女は部屋へと入ってきた。
 部屋の中の布団に横になっている宗千華を発見した少女は、遠慮なくその顔を覗き込む。

「風邪大丈夫?」

 心配そうに自分を見つめる少女を、宗千華は睨み返す。

「何ひに来た」

 不機嫌な宗千華の口調に、少女は苦笑しつつも懐から何かを取り出す。

「お見舞い。風邪引いちゃったら勝負も何もないでしょ」

 自身の母親によく似た笑みを浮かべ、取り出した物を宗千華の枕元へと置く。
 それは白い紙で折られた紙雛人形だった。

「何だひょれ」

 頭に載った手拭が落ちぬように、首をめぐらせた宗千華は意図の分からない見舞品を眺める。

「本当は回帰祈願の呪でもやりたいんだけど、私ってば未熟だし、母さんに勝手に術使うの禁止されてるから、これは早く治りますようにって願掛けだよ」

 屈託の無い少女の笑顔に、宗千華は頭痛が少し治まったような感じがした。

「ありがとう」
「お、やっと怒鳴る以外の会話してくれたね」

 何が嬉しいのか、少女は手を叩きながら妙にはしゃいでいる。
 なけなしの思いで感謝の言葉を述べた宗千華は、なぜか気恥ずかしくなってまた布団の中へともぐってしまった。

「失礼します。宗千華様」

 そこに手にお盆を持った不知火が戻ってきた。
 部屋に少女の姿を見つけた不知火はお盆を抱えたまま一礼する。

「これはお客人、宗千華様のお見舞い感謝いたします」
「いいえー、友達ですから」

 少女の何気ない返答に、宗千華は跳ね起きた。

「誰と誰が友達だー!何時なったー!」

 全力で叫んだ途端に力尽き、布団に倒れこむ。

「絶対安静と言われたのに、何なさってるんですか」

 不知火が慌てて駆け寄って、傍らにお盆を置きつつ、宗千華をきちんと寝かしつける。

「うーー」

 良くなってきたかと思った頭痛がまた酷くなる。
 少女は苦笑しつつも、起きた拍子に脇へと落ちた手拭を拾い上げ、お盆の上に置かれている手桶の氷水へと浸す。
 不知火が宗千華をきちんと寝かしつけたのを確認すると、その額へと手拭を乗せる。

「ほら、マンガだと勝負した後はマブダチってのパターンじゃない」
「マンガ読んだ事なんてないから分かんない」

 宗千華の言葉に、少女は目を剥く。

「嘘!それじゃーテレビは?ゲームは?パソコンは?携帯は?」

 矢継ぎ早に出される質問に宗千華の方が圧倒される。

「御館様が厳しいので、そんな物はないのですよ」

 代わりに不知火が答えてくれた。
 それをポカンとした表情で聞いた少女は、ぐるりと改めて部屋の中を見渡してみる。
 和風で統一された宗千華の部屋には、確かに近代的な娯楽物がまったくなく、それどころか電化製品は明かりとなる蛍光灯だけだった。

「なんて時代錯誤な」
「うるさーい!・・・あ」

 少女のぼやきに再度跳ね起きた宗千華は、またも力尽きて布団に倒れこむ。

「何なさっているんですか、まったく」

 不知火が同じように寝かしつけ、またも手ぬぐいを乗せなおす。

「そんなに動きたいのでしたら、こちらの薬を飲んでいただければ直ぐにでも」

 そう言って、お盆に手桶と一緒に持ってきた蓋を載せた湯飲みを手に取る。
 それを見た宗千華の顔色が一瞬で変わった。

「不知火、わたち大人しく寝てるから薬いらない」

 先程までと打って変わって大人しくなった宗千華は布団の中に潜り込んでしまう。

「駄目だよ宗千華ちゃん、薬はちゃんと飲まないと」
「お客人もこうおっしゃってます。飲んでいただきますよ」

 不知火がてにした湯飲みの蓋を取る。
 その途端、部屋に強烈な異臭がたちこめた。

「な?!」

 少女が慌てて不知火から、正確には湯飲みの中の物体から距離をとった。

「その薬おいしくないから嫌」

 布団の中から宗千華が声だけ出すが、不知火は笑みを浮かべながらも左手で湯飲みを持ったまま右手を布団の中に突っ込み、宗千華を引きずり出す。

「さ、お飲みください。特性のブレンド秘薬です」

 少女が恐る恐る中を覗き見ると、そこには形容しがたい液体が満ちていた。黒っぽい液体でありながら、粘性によるものか妙な対流を湯飲みのそちこちで発生させ、流れの中で不自然な具合に色合いを変化させ続けていた。

「く・・く○は汁?」
「なんだそれ?」
「そんな怪しげな物ではありません。これは私特性の秘薬『不知火ZXO』です」
「はじめて名前聞いたぞ」
「よ、余計に怪しい」

 不知火は少しだけ少女を睨みながら、湯飲みを宗千華へと差し出す。

「効能は知っておられますね、宗千華様。冷めると飲みにくくなりますので、早くお飲みください」

 宗千華は近づいてくる湯飲みから、少しでも遠ざかろうとするが、その袖はしっかりと不知火に掴まれていた。
 助けを求めて、視線をめぐらせた宗千華は、こちらを興味深げに見ている少女に指を指した。

「おい、お前!友達だっていうなら、これ一緒に飲んでみせろ」
「へ?!」

 少女はその言葉に再度湯飲みを見る。その表情は恐怖に満ちていく。

「宗千華様!お客人に何をおっしゃ・」

 不知火の怒声が終わるよりも早く、少女はその手から湯飲みをひったくると、意を決した顔でそれを煽る。

『あ』

 一口、二口とそれを飲み込んだ少女の手から湯飲みが零れ落ちる。
 そして、それに釣られるように少女も崩れ落ちる。

「おっと」

 湯飲みと少女を同時に受け止めた不知火は、少女の様子を見やる。

「うーーん」

 何か意識が朦朧としている少女の口から、呻き声が漏れる。
 それを呆然と見ていた宗千華に、不知火は湯飲みを手渡した。

「宗千華様、お客人は言われた通りに飲んで見せましたよ」

 不知火は、怒るでもなく、ただ静かに告げる。
 不知火と少女とを見つめた宗千華は、覚悟を決めて湯飲みの中身を一遍に飲み干す。
 口の中に強烈な味が、鼻に強烈な匂いが突き刺さった、と感じた瞬間、宗千華の意識は途切れた。


 宗千華が目を覚ました時には、不知火の姿は部屋に無かった。

「うーん」

 その代わりに、宗千華の隣には座布団を枕にして、未だにうめいている少女の姿があった。

「おい」
「う?」

 宗千華の呼びかけに、目を閉じてうめいていた少女は、目を薄く開けて頭を宗千華の方へと向ける。

「宗千華ちゃん、起きたね。少し顔色よいみたいだから本当に効いたんだ、あの薬」

 少し無理したような笑顔をする少女に、宗千華は戸惑う。

「何で飲んだ?」

 先程感じた疑問を宗千華は少女にぶつける。

「何でって、友達の苦しみは分かちあうのが友情ってやつでしょ」

 そう言いながら親指を立ててみせる少女に、宗千華は益々困惑する。

「そうなのか?」

 宗千華の困惑した態度に、少女はため息を一つ。
 そして人差し指で、宗千華の額を軽く突く。

「そ・う・い・う・物なの」

 言い聞かせるように一言一言区切りながら、それに合わせて宗千華の額を突っついた少女は最後にその頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。

「宗千華ちゃんは、まだちっちゃいんだから、これから覚えていけばいいんだよ。友達の事も剣の事も」

 そういって笑う少女に宗千華は大人しく撫でられながら、その手の感触が嫌ではない事を感じていた。

「お前」
「ストップ」

 何か言おうとした宗千華の唇を、少女の指がふさぐ。

「友達ならお前じゃなく、名前で呼んで欲しいな」

 少女の言葉に、再度何かを言おうとした宗千華だが、口を開こうとしたまま首を捻る。

「あれ、ひょっとして名前教えてなかったっけ?」

 宗千華が首を縦に振る。
 少女は苦笑しながら、懐から小さな半紙を取り出すと、手桶の中の水に指をつけて、濡れた指で半紙に一つの字を書く。

「私の名前はね、結晶の晶でアキラ。氷室 晶だよ。よろしくね柳生 宗千華ちゃん」

 屈託なく笑う晶を見た宗千華は、少しためらってから、その名前を呼んだ。

「晶」
「うわ、いきなり呼び捨てだー、宗千華ちゃん」

 嬉しそうにしながらも大げさに反応する晶に、宗千華も嬉しげに胸をはる。

「いいだろう友達になってやる。だけど、ちゃん付けで呼ばれるのは嫌だ。他の呼び方がいい」
「えー、他の?」

 晶は困ったように天井を眺めながら、少し考えた後、何か思いついたのか手を叩く。

「それじゃ、宗千華だからチカでいいかな?私の事は晶だからアキって呼んでいいよ」
「うん、それでいこうアキ」
「これからもよろしくねチカ」


 二人の少女が仲良さげにしている様子を、少しだけ部屋から離れた廊下で聞いていた不知火は少女達がお互いの紹介話を始めた所で、その場から離れた。

「不知火さん、宗千華の様子どう?」
「風邪の功名って所ですかね」

 廊下の先でなにやら土鍋を持った宗千華の母に出会った不知火は、先程までの顛末を話して聞かせた。

「そう、あの子も対等に付き合える友達が出来たのね」
「これで先走る所も治るといいのですが」
「そうね、不知火さんの苦労もこれで減るといいわね」
「いえ、これしきの事」
「これからもお願いしますね」

 謙遜する不知火に、宗千華の母は笑みで答えながら宗千華の部屋へと向かっていった。

「宗千華、今日は体調がいいので母様がんばって宗千華に御粥作りましたよー」
「え、本当!」
「さぁ早く風邪が治るように、このバナナとミルクとアボガドの御粥で元気になりましょうね」
「このお屋敷はそんなのばっかなのー!」
「母様の料理を悪く言うなー。・・アキも少し食べて」
「たくさんありますよー」
『ひええ』



三年後

「始め!」

 道場の中では緊迫した空気が漂っていた、三年ぶりに年上の門下生に勝負を申し込んできた宗千華の雰囲気が大きく変わっていたからだった。

「せぃっ!」

 しばしの睨み合いの後、対峙していた少年が先に攻撃をしかけようとした。

「はっ!」

 鋭い呼気と共に、宗千華の姿が少年の視線から一瞬消える。
 それと同時に腹に強烈な一撃が叩きこまれる。
 勢いに踏ん張りきれずに、少年の体は宙を飛び2メートル程も滑空した後に仰向けに倒れていった。
 その様子に、周りの物は一斉に感嘆の声を上げた。

「す、すばらしいです宗千華様」
「まさか、その年で柳生の技を身につけるとは」
「普通ならば、あと三年は先だというのに」

 そのような声の中、宗千華は倒れた少年へと手を差し伸べる。

「すまぬな、まだ慣れていない技なので強すぎたかもしれん」

 三年の間に、子供とは思えない程の落ち着きを身に付けた宗千華が、詫びを入れつつ片手を差し出す。
 しばし呆然と倒れていた少年は、宗千華の手を借りて起き上がると、逆にその場で膝を付き宗千華へと頭を下げる。

「今の勝負、僕は宗千華様の気迫に手加減も無く打ち込もうとしました。が、逆に手加減されるべきは僕の方だとは、己の未熟をお教えいただき、ありがとうございました」

 そんな少年を、宗千華は軽く笑みを浮かべながら再度、手を貸して立ち上がらせる。

「では私にも一つ教えてもらえるか」
「なんなりと」

 宗千華の問いに少年はかしこまる。

「今の技はなんていう技なんだ?」
「ご存知ないのですか」

 少年はあっけにとられるが、何か言うべく口を開きかけた所に、別な所から返答が出た。

「流水に映りし月の刹那の静まりを一瞬にして斬る物なり。その技すなわち『水月』という」

 道場の入り口、様子を伺っていたらしい父の言葉に宗千華は頭を下げた。

「父様、ご教授ありがとうございます」

 その様子を見た父は黙って、その場を後にした。

「あの、宗千華様」
「なんだ?」

 頭を下げている宗千華に、少年は恐る恐るといった感じで声をかけた。

「まさか何も教えられずに会得したのですか?『水月』を」
「口伝は受けたぞ。後は3年間ただ剣を振るい続けた。それだけだ」

 その返答に周囲からもどよめきが起きる。

「専門の修練も指導も受けずに、そこまでとは」
「受けたとしても会得は容易では」
「御館様も随分とお厳しい」

 周辺の話に耳も傾けず、少しだけ乱れた服装を直すと、大きく息を吸い込む。

「明日から、私も皆と一緒にここで修練させていただく。異論はあるか?」

 堂々としたその宣言に周囲の人間はお互いに顔を見合わせるが、皆一様に納得した表情となると、古株の師範代が宗千華の前へと出る。

「先程のお手前、最早大人達との修練も可能とお見受けしました。我ら一同、宗千華様の修練での参加を心より歓迎いたします」

 師範代が頭を下げると、道場の全員がそれに習い一斉に頭を下げた。
 宗千華もそれに習って頭をさげる。

「ひとつ言っておく」

 皆が頭を上げきらない内に、宗千華は再度宣言を始める。

「手加減は無しだ。遠慮無く私を負かせてほしい。負ける事で得る物もある」

 その言葉に師範代の顔に笑みが浮かぶ。

「本当に成長なされましたな宗千華様」

 宗千華は師範代に笑みで返すと、道場の入り口へときびすを返す。

「修練には今夜から参加させてもらう」
「今からでも我々は構いませんが?夜となりますと実戦部隊組もいる厳しい修練ですが」

 それに対して宗千華は先程とは違う種の嬉しげな笑みを浮かべる。

「厳しいのは一向に構わん。今日はこれから友達が来るんでな、修練の前に一度負けておく事にする」



 宗千華は道場から自室へと戻る途中で、一時間ほど後に来るはずの友人が、既に縁側で茶を飲んでいる所に出くわした。

「少し早いんじゃない?」
「んー、陰陽寮でこっちに向かうヘリがいたんで便乗させてもらった」

 当の友人、晶は左手で湯飲みを持ってお茶をすすりつつ出された団子を一本平らげると、二本目へと手を伸ばす。

「こら」

 宗千華はその指を竹刀で軽く叩く。
 思わず指を引っ込めた晶は恨めしそうに宗千華を睨みつけた。

「これから立ち会おうって時に、間食取って動きを鈍らす気か?まだ敵わないとは言え、そこまで甘くみられてるつもりは無いぞ」
「う」

 注意された当人は、それを聞いて一瞬たじろぐが、それもつかの間、目にも止まらぬ動きで団子を掴み取ると、串の横から一辺に団子を口内に押し込む。

「むぐっ!」

 2、3度噛んだ所で無理に突っ込んだせいでノドに詰まらせ、目を白黒させて湯飲みのお茶を飲もうとする。が、その手に湯飲みは無く、慌ててその行方を捜す。

「人の話聞いてたのか?」

 自分のすぐ隣から、宗千華の声がしたので慌ててそちらを向くと、その手に湯飲みを奪い取った宗千華がいつの間にか立っていた。

「んんーー」

 その湯飲みを奪い返すべく、晶は手を伸ばすが、宗千華はたくみにそれをかわして湯飲みを晶に奪わせない。

「ふぐー!むー!」

 晶は必死に何かを言おうとしているが、口いっぱいに頬ばった団子が邪魔して言葉になってない。

「う!」

 その内に晶の顔色が段々と青くなってくる。
 さすがにヤバイと思った宗千華は、湯飲みを晶へと手渡すと、晶は一辺にお茶をあおりノドに詰まった団子を押し流した。

「し、死ぬかと思った」
「人の話を無視して食べるからだ」
「だって美味しそうだし、据え膳食わぬはって言うし」
「うちの修行中のクノイチがよくそんな話してるが、そういう意味なのか?」
「・・・その返答はチカがもう少し成長してから答えるよ」

 肩をすくめる晶に、宗千華は首を捻る。

「具体的にはいつ頃だ」
「×の前後が分かるようになったら」
「算数か?」
「どちらかというと美術と文学」
「何だそれは」
「分かったら教えるよ」

 納得がいかなかったのか、宗千華は大きく鼻息をならすと、更に残っていた最後の一本の団子を奪い取ると、晶と同じように一辺に頬張り、何度か咀嚼すると詰まらせる事無く飲み込んだ。

「あー!最後の一本!」

 騒ぐ晶の手から、今度は湯飲みを奪い取ると、茶を音を立てて飲み干す。

「これで条件は同じだ」

 袖口で口に付いた物をふき取った宗千華は、竹刀を晶へと突きつけた。

「アキ、私と勝負しろ」

 その言葉を受けた晶は微笑。脇に置いてあった白木作りの刀を手にする。

「姫氷(ひめび)を授かった私は一味も二味も違うよ」
「それでこそやりがいがある。私に勝てたら不知火に新しく団子を用意してもらうさ」
「それは楽しみね」

 二人の少女は、他愛ない会話を続けながら、最初の勝負の後も何度も勝負を交わした中庭へと向かっていった。

 その様子を影から見ていた不知火は、手に持っていた宗千華の分の茶と団子を乗せた盆を持ったまま、声を立てずに笑う。

「どうやら、新しく団子を用意しなければなりませんね」

 一人そう呟いた不知火は、元来た道へと取って返した。その姿が廊下の向こうに消えるより早く、二人の少女の掛け声が響き渡っていた。




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