長野県木曽路『奈良井宿』
以前から『シミズヒデキ』の両親の実家は長野県だと言ってきたと思う。
父方の親戚はホトンド東京に出てしまっているのだが、母方の親戚は長野に残っている人達が多い。
そんな《長野に残ってる組》の人達が住んでるのが木曽路『奈良井宿』である。

最盛期には《奈良井千軒》とまで言われ栄えた宿場町…
今回は長野県木曽路『奈良井宿』のレポートをお届けします♪

  
●奈良井宿1『中山道六十九次…今と昔。』
江戸時代までは江戸と京都を結ぶ最も重要な街道だった《中山道》。その中の木曽十一宿と言われるのが、通称『木曽路』と呼ばれるものだ。
木曽路は『贄川宿』、『奈良井宿』、『薮原宿』、『宮ノ越宿』、『福島宿』、『上松宿』、『須原宿』、『野尻宿』、『三留野宿』、『妻籠宿』、『馬籠宿』の十一宿からなる。

『シミズヒデキ』
の母の実家がある『奈良井宿』は、そんな木曽路の中で一番の賑わいをみせた宿場町だったみたいだ。
鳥居峠と権兵衛峠の《峠越え》を控えて宿をとる旅人が多かった為で、昔は『奈良井千軒』と呼ばれるくらいの賑やかさだったと言われている。
 

あの有名な『新撰組』も、京都に向かう時にココを通ったらしいし…
古い街並みも手伝い、当時を想うのが楽しくなる場所が《木曽路》なのである。

思えば《中山道》《東海道》も、今となってはJR中央本線、JR東海道本線に取って代わってしまったが本質的にはなんら変わってナイのかも?
今も昔も、人々の重要な『街道』である事には間違いなさそうだ。
昔と違うのは、それこそアッという間に到着出来るようになったと言う事。(^^ゞ
古人の苦労を思えば、本当に一瞬で行けるような感じです。新幹線もあるし。


当時の人が新幹線や特急電車に乗ったら何て言うのだろうか…

『便利たぁ思いますが…あっしは、こんな『旅』なんざ詰まらねぇでやんすねぇ』


とでも言われてしまうのだろうか?たはははは…ごもっともだ…(;´▽`A``
『時間』という《制約》に(1分1秒の単位で)縛られる事が少なかった当時の人から見れば、今の《旅》は何て味気ないモノだ!?と思うかもしれないですね。