戦艦セント・アンドリュー級(英)

 セント・アンドリュー
 セント・ビンセント
 セント・ジョージ
 セント・パトリック

 本級は、サー・ユースタス・ダインコートにより設計された計画艦名N3級と呼ばれるポスト・ジユットランド型戦艦の切り札的存在の艦で、米国のサウスダコダ級を上回る戦闘力を持つ巨大中速戦艦である。
 また本級は、フューリアスに続き世界で2番目に近代的な長砲身18インチ砲を搭載するために建造された艦でもあった。しかもフューリアス級が、18"/40 Mark1型単装砲2基2門しか搭載せず、しかも船体の構造的耐久力不足のため斉射が不可能な実験艦的性格の艦だったため実用性がほとんど無く、加えて第一次世界大戦の戦訓により防御力を速度のみに頼った弱装甲の主力艦が実戦に耐えられない事が明確となり、そのため短期間で航空母艦へ改修されてしまった事を考え併せると世界最初の実用18インチ砲搭載艦だったと言える。
 計画初期には、基準排水量48、800トン、全長250m、全幅32.5mで設計されていた本級だったが、18インチ砲の円滑な運用を行うために設計が変更され、最終的には基準排水量53、500トン、全長260m、全幅34.8mに船体サイズが拡張された。
 特に本級の全幅は、英国戦艦としてはじめて完全にパナマ運河の通過可能幅をこえており、本級がこの全幅を採用したのは、英国が米国と完全に袂を分かつ決意をした事の表れだとして各国の外交筋や大新聞に騒がれた。
 しかし、本級の建造中に海軍制限条約が発効されてしまっため政治的妥協策としてインビンシブル級と同型の16"/45 Mark1型3連装砲塔3基を船体前半分へ集中装備した基準排水量50、800トン、最大速力24.2ノットの中速戦艦として完成させられた。この変更のため同型艦全ての完成が1年程遅れている。
 ただし、防御力は最初から18インチ砲搭載艦として充分なだけ施されており、特に装甲の厚さは主砲塔正面457o、同天蓋203o、同基部支持筒381o、水平防御甲板203o、舷側装甲帯381oと強固なものだった。
 また、完成時に搭載されていた補助兵装は、インビンシブル級と同じく副砲に6"/50 BL Mark22型連装砲塔8基、対空対水上近接防御火砲として4.7"/40QF Mark8型単装高射砲6基と4"/45 QF HA Mark5型単装高角砲20基、そして船体内に固定式24.5"固定式魚雷発射装置2基である。
 本級の最高速力が25.0ノット以下と低めに抑えられている理由は、ひとつには18"砲を搭載するために船体容積の多くが使用されて機関部が制限されたためであるが、その他にもフッド級やインビンシブル級と言った大出力高速艦の機関整備費と燃料費の大きさに困り果てていた海軍省が、主力艦には低速でも整備費や燃料費や小さく、航続力の大きい艦を望んだためだと伝えられている。
 そして本級は、就役から約10年後の海軍制限条約失効を待ち艦影が一変する程の大改装を行い、その主砲を18"/45 Mark2型3連装砲3基に換装し、加えて水中防御力向上と主砲性能安定のためのバルジ装着や対空火砲の強化、機関出力の向上等を行い基準排水量54800トンの18インチ砲搭載艦として再就役している。
 この時、大改装の指揮を取ったのは、退官後に古巣のアームストロング社へ戻っていたダインコートであった。
 当時の造船常識から見て、後の大和型すらを部分的に上回る装甲と18インチ砲9門を持つ戦艦の基準排水量が54、000トン程度に収まったのは、排水量に対して過剰武装気味の米日戦艦と比べても驚愕すべき事で有った。
 しかし、ダインコートによる設計は、先にシンビンシブル級でも成功した主砲塔集中配備方式や極度の集中防御方式の採用、速力性能を低めで我慢する代わりに得た容積の小さい機関部、そしてそれまでの英戦艦より格段に広い船幅の採用により54、800トンの基準排水量で18インチ3連装主砲塔3基の搭載と、18インチ砲弾対応の防御力を持たせることに成功していたのである。
 ただし、本級の搭載した18"/45 Mark2は、1920年代に開発されたものであるため、1940年代に就役したライオン級や日本の大和型が搭載した18"砲と比べて主砲弾重量が1割程軽い1、325s程度しかなく、そのため初速は760m/sと速いものの中遠距離での貫通力が劣っていた。
 また、大改装完了後の公式試験において18インチ砲の一斉発射時に発生する強烈な衝撃波と火炎が主砲塔に挟まれた艦橋部に大きな影響を与える事が判明した。
 特に中遠距離目標を射撃するために、主砲砲身に仰角をかけての一斉発射では、強化ガラスであるにもかかわらず艦橋の開口部にある窓ガラスの多くが砕け散り、更には外装の薄い鋼鈑にまで歪みが生じる程であった。
 そのため艦橋部外鈑の強化や、窓等の開口部を保護する鋼鈑製の覆いの装着等の対策が施されたが、それでも緊急時以外は、中遠距離目標に対する大仰角射撃が禁止され、実質的に交互射撃のみしかできなかった。
 しかし、それでも最大射程38、500mの長射程に加え、米国の長砲身16インチ砲Mk2やMk7よりも威力に優れた砲弾を中遠距離で約9.0発/分、中近距離なら約13.5発/分の速度で発射できる18"/45 Mark2型3連装砲は、当時としては充分に強力な砲であった。
 また、大改装時に4.7"/40QF Mark8型と4"/45 QF HA Mark5型の単装高射砲を廃止し、代わりに4.5"/45 OF Mark3型連装6基と2pdr Mark8/M6型8連装機関砲6基が搭載され、対空対水上近接防御火力が増強された。
 これらの補助火砲のうち艦橋部へ配置された4.5"/45 OF Mark3型連装砲2基と2pdr Mark8/M6型8連装機関砲2基は、すべてが爆風除けのシールドを装着している。
 加えて、バルジ装着や喫水の増大等で基準排水量が3000トン以上も増加し、54、000トンに達したため、機関部の最新の物に換装して機関出力を118、000馬力まで向上させていたにも関わらず最高速力は23.0ノットにまで低下している。ただし、バルジ内へ増設した燃料タンクの効果により航続力は21ノットで5、000海里、15ノットで8、000海里と延伸されていた。
 このように極めて優れた性能を持つ本級だが、1940年代のレベルで見ると、自慢の防御力についても砲撃防御力を重視し過ぎており、極度に詰め込んだ設計をしているため、船体に脆弱部分が多く、余剰浮力が排水量の割りに少ない等、総合的な耐久力に問題点があった。
 そのため航空攻撃や夜戦等の乱戦で発生する非主要防御部分への小さな打撃の連打による破壊や火災、浸水の累積が痛打となる事も多く、あまり打たれ強い艦とは評価されなかった。
 また、その最高速力は23ノットしかなく、低速故に作戦行動に制約が多く、強大な攻防力を有しながら使い勝手の悪い戦艦であった。
 このため当然ながら本級は、後に登場した大和型やライオン級、ノースダコダ級に及ぶものでは無かったが、それでも1941年9月の第二次世界大戦開戦時には、間違いなくサウスダコダ級や駿河型と並び世界最強戦艦のひとつであった。

 基準排水量 54、800トン 満載排水量 61、500トン
 最大速力 23.0ノット 航続力 15ノット/8000海里
 武装 18"V×3 6"U×8 4.5"U×E 2pdrMG[×E
艦載機×2 カタパルト×1他

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