「ノモンハン戦車戦1939」 デザインノート
by 世紀末覇者
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○10年ぶりの目覚め
本作品は、もともと1993年末に発表した「大ロシア戦車戦 1941(完売絶版)」のシステムを利用する戦闘級戦車戦SWGのバリエーションとして考案されたものをリファインしたものです。
当時には、「大ロシア戦車戦 1941」の続編として「ブラウ作戦1942」、「フランス電撃戦1940」、「ポーランド侵攻1939」、そして「ノモンハン1939」が企画されていたのですが、「大ロシア戦車戦 1941」の余りの不人気に御蔵入りしていたのです。
この「大ロシア戦車戦 1941」は、アバロンヒル社の「トブルク戦車戦」とホビージャパン社の「戦車戦2」を手本としてデザインした戦闘級戦車戦SWGでした。
その最大の特徴は、練度や運用技術、そして情報通信技術や指揮統制技術と言ったソフトウェアに優れるドイツ軍と、T34中戦車やKV1重戦車等の兵器個々が重装甲、重武装でハードウェア的に優れるソ連軍の戦いを非対称型フェイズ構成のシステムで再現するものでした。
このシステムは、バルバロッサ作戦時の戦車戦を再現するのに適していると、一部のベテランゲーマーや戦車マニアの皆さんに絶賛していただきましたが、何しろドイツ軍の最強戦車が50mmKWK38搭載の3号中戦車と75mmKWK37搭載の4号中戦車でしたから、一般的な戦車ファンやゲーマには、完全にそっぽを向かれてしまいました・・・。
なにしろ同時期に発表した1943年以降の戦車戦を扱う「鋼鉄の巨獣」シリーズと比べて販売数対比が8対1以上の散々な結果でしたから、大抵のSWGでは、オーバラン可能か自動除去対象になってしまう程の惨敗でした・・・昔、とある模型雑誌で某模型会社の社長さんが戦車模型の売れ行きは、主砲砲身の長さにかかっている・・・主砲砲身が長ければ長いほど売れると言っていたのを思い出したものです・・・トホホホ。
しかし近年、ソ連邦の崩壊を受けてノモンハン事変に付いてソ連側の記録が公開されはじめた事もあり、また平均年齢の高年齢化によるものかゲーマに戦史通?が増え始めた事もあり、この状況なら受け入れて貰えるのではないかと考えデザインを再開し、何とか完成に漕ぎ着けたのが本作品でした。
○ノモンハン戦車戦の疑問
また、近頃になってノモンハン事変に付いて私が以前より疑問に思っていた事についての記述がある資料が登場し、私の疑問に対する回答が示された事も、この作品を完成させる上で大きな力となりました。
その私の疑問とは、どうして日本軍戦車隊は、こうも弱かったのかと言う事です。
ノモンハン事変における日本軍の戦車に対するゲーマや戦車・戦史ファンの一般的な認識は、強力な45oカノン砲M1932を装備するBT5高速戦車やT26戦車に散々な目に遭わされ、一方的な敗北を被ると言うイメージが完全に定着しており、1000mをこえる遠距離で、ばたばたと倒される描写が戦記物小説ばかりでなくノンフィクション分野ですら散在していますし(元某衛庁高級職・・・つまり本職の出筆した記事にすら見られる程でした)、SWG最盛期に日本で発売された某戦闘級戦車戦SWG等では、日本戦車が全滅するまでにソ連戦車を1〜2両撃破できれば勝ちと思える程の惨状でした。
しかし、私は兵器や戦史を研究し、またEEGの活動として「大ロシア戦車戦1941」や「鋼鉄の巨獣」のデザインを経験していく中で、それがどうしても納得できなくなったのでした。
何故なら、カタログデータを見たとき、確かにソ連戦車の装備する45oカノン砲M1932は、距離1000mで垂直に置かれた約50oの装甲鋼鈑を貫通可能な、当時の戦車砲として強力無比な存在で、日本軍戦車の装甲を簡単に貫通できるのですが、逆に低貫通力で有名な日本軍の九〇式57o戦車砲や九四式37o戦車砲でも近距離ならソ連戦車の装甲を貫通できるだけの威力を有していることに気付いたからなのです。
○ハードから見た状況
太平洋戦争において米英戦車に全く効果が無かった事で有名な低貫通力の日本軍戦車砲用徹甲弾ですが、九七式57o戦車砲用の九二式徹甲弾(徹甲榴弾)が射距離100mで約30o、射距離500mで約23o、射距離1000mで約15oの貫通性能を持ち、九四式37o戦車砲用の九四式徹甲弾(徹甲榴弾)が射距離300mで約25o、射距離700mで約15oの貫通力を持っていたと記録されています。
また、八九式中戦車に搭載された短砲身の旧式砲である九〇式57o戦車砲ですら射距離100mで約20o、射距離500mで約15oの貫通力を持っていました。
もちろんこれは恒例の半数貫通力(砲弾の貫通力を試数の半数が貫通する厚さで表す事・・・19世紀末以降の一般的な砲弾貫通力の表示方法)でしょうから命中弾が必ずこれだけの貫通力を持つものではありません。
また、よく指摘されるように当時の日本は、被帽付徹甲弾等の高性能徹甲弾を第二次世界大戦終結まで配備する事ができなかったばかりでなく列強諸国に比べ冶金技術も低く、特に陸軍向け規格の鋼材により作られた砲弾や装甲の強度は、共に列強諸国の平均より低質だったとされる問題もあります。
このうち高性能徹甲弾の問題については、同時期の戦車砲弾として被帽付徹甲弾は未確立の技術であり、また海軍用中大口径弾では被帽付や被帽頭付までが実用化されていた事や、徹甲榴弾の開発においては積極的で高いレベルにあった事もあり、造れないのではなく造らなかったのではと考えられる部分もあるのですが(もちろん政治的な問題や戦術ドクトリン的な要因も絡んで造らないと考えられる)、金属材料それ自体の問題は、工業技術の根源的要素のひとつである事から大きな問題と考えられます。
例えば米軍の捕獲兵器調査によると目安として10〜30%程砲弾強度が低いとされていますし(貫通力として考えた場合、被帽付徹甲弾でないための割引分が混同されている事も考えられますし、航空機用や艦艇用等の一部鋼材等には世界平均に達するカタログデータを有する物もあり、一概に何%低いとは言い切れない事もあり問題を複雑化しています・・・まあ、全体的には低めなのですが・・・ただし、指で押すと曲がると酷評される誉発動機の冷却フィンのように、強度を必要としない金属部品−強度があればより良い−に対する誤解から生じた酷評もあります)。
この低い砲弾強度は、直接的に目標装甲への貫通力低下につながります。つまり強度低下=(イコール)貫通力低下と考える事ができます(実は弾着速度等によって影響は著しく異なります)。
しかし、この質的劣勢を考慮して、米軍の調査の最大値である30%の低下で貫通力を修正してみても、最低でも上記の7割程度の性能が残っていると言う事になります。
つまり、低く見積もっても九〇式57o戦車砲用の徹甲弾は、射距離100mで約14o、射距離300mで約12oを貫通できる可能性があると考えられるのです。
ただし、砲弾の貫通時の特徴として弾着速度が450m/sを上回る高速徹甲弾が表面硬化装甲へ弾着すると弾頭破砕と言う物理的に通常の貫通と別の現象と、それに伴う貫通力低下が発生するため、この計算には別な修正が必要となります。
この弾頭破砕が発生する弾着速度450m/sは、経験則から求められたもので、砲弾や目標装甲の強度や種類により変化するものです。
例えば実際に鍛造装甲鋼鈑であるニセコ鋼鈑を目標とした射撃試験で九七式57o砲から発射された九二式徹甲弾が、射距離350m(弾着速度約330m/s)で弾殻亀裂を発生させ(それでも貫通力は約25mmを上回っていたと記録されています)、九四式37o砲用の九四式徹甲弾も射距離270m(弾着速度約390m/s)で弾殻破砕を発生させた(こちらも貫通力は約20mmを上回っています)と言う記録もあります。
まあ、実際の理論と必ずしも同じとは言えませんが(別の要素も入ってくるため)、砲弾の強度が列強平均の7割とすれば弾着速度が320m/sをこえたあたりで弾頭破砕現象が発生すると考えられますから、この射撃試験結果は、米軍の調査と近い状況を表しているとも考えられます。
これに対して、ノモンハン事変におけるソ連軍の主力戦車であるBT5高速戦車は、前面装甲が13〜15o程度なのですから、貫通力がカタログデータ通りとして九七式57o戦車砲なら1000m程度の遠距離で、九四式37o戦車砲でも700m以内なら有効打を与える事が可能だし、砲弾の強度不足等を鑑みて貫通性能を低く見積もっていたとしても九七式57o戦車砲なら500m以内で、九四式37o戦車砲でも300m以内なら有効打が発生する可能性が極めて高いのです。
また、前面最大装甲厚さが25mmと、より重装甲のT26歩兵戦車に対しても側後面ならかなりの遠距離から日本戦車が放つ砲弾で装甲が貫通可能と考えられますし、重装甲の正面に対しても車体装甲は16mmと若干薄いですし、バイザーブロックやハッチ、そしてリベットやボルト等の装甲接合部のような脆弱部もありますから(後に説明します)効果が全くないわけではありません。
加えて、この砲弾や装甲の強度問題について忘れてならないのは、日本だけでなくソ連の砲弾や装甲も列強諸国、特に独英米と比べて性能が低いとされている事があります(ソ連の場合は独ソ戦においての捕獲品の多くがドイツ軍によって調査された資料がありますので皆さんも御存知の事と思います)。
1930年代末頃に登場し、頑強な装甲防御力を誇るT34中戦車やKV1重戦車の活躍に代表されるように、ソ連冶金技術、特に鋳造装甲技術は、世界屈指の域に到達しようとしていましたが、それ以前に開発され生産されていたBT系列の高速戦車が有する装甲鋼鈑は、質的にそれ程の性能ではありませんでした。
そしてなにしろ実際のノモンハン事変での対戦車戦闘に関して残された記録の中に、BT5高速戦車に対して九四式37o砲の九四式徹甲弾が、射距離約700mで有効打撃を発生させられるとの記述が日ソ双方に残されており、ここまでの考えを裏付けてくれました(近頃、このソ連側の情報が開示された事で彼我双方の情報による比較が可能になりました)。
また、この記録は、ソ連製の装甲鋼鈑に対してならば日本製砲弾の性能が大きく低下しない事も裏付けています。つまり鋼材の強度問題は、日ソの徹甲弾の貫通力と装甲の強度についてのデータに、大きな差はないと考えられるのです(冶金工学の進んでいた米英独と比べるとなると、データをそのまま使うのは危険です)そのため本作では日本の砲弾貫通力やソ連の装甲防御力に特別な修正は加えていません。
それら装甲鋼鈑の質的問題に加え、先にも少し触れましたがBT5高速戦車やT26歩兵戦車は、1930年代前半頃の技術で作られており、1930年代末の技術で作られたT34中戦車やKV1重戦車の防御力より構造的に劣る要素が多くあったのも確かです。
例えば装甲の接合方式があります。当時、ノモンハン事変に投入されたソ連戦車の多くは、1930年代前半の技術で作られた、装甲鋼鈑をリベットやボルトで接合する方法で車体が組み立てた戦車だったのです。
この装甲をリベットやボルトで装甲鋼鈑を接合する方式は、装甲鋼鈑の溶接技術が未熟なために選択される事が多いのですが(その他に追加装甲や二重装甲の取り付け部等に使用されるケースもあります)、この方式は日中戦争や第二次世界大戦において醜態を晒した日本やフランスの戦車と同様に、砲弾が命中したり、至近距離で榴弾の爆圧を受けると、例え装甲が、それを跳ね返し、耐久し得たとしてもリベットやボルトの一部が破壊され、車内へ飛び散って乗員を傷付けたり、車体との接合個所が破断して使用不能になると言った形で戦車の戦闘能力を著しく奪い去る事があります。
特に弾着により車体内部でリベットやボルトが飛び散る現象は、小銃弾や機関銃弾の弾着でも発生し得ますから始末におえません(日本戦車も日中戦争等で酷い目に遭っています。装甲に守られながらも血達磨になって戦う日本軍戦車兵の記録が多く残されています。米英独仏伊の戦車も例外ではありません。世界的に見て1930年代までの戦車の宿命と言えるかもしれません)。
また、ソ連軍の一部戦車にはリベットやボルトを使用しない一歩進んだ溶接構造が使用されている物もありました(BT高速戦車系列だけでなく、T26歩兵戦車系列にもある)。
こちらならリベットやボルトの一部が飛び散ると言った事はありませんが、それでも装甲表面に保有運動エネルギの大きな砲弾が弾着したり、至近距離で榴弾が炸裂すると、それにより発生した衝撃が装甲に伝播し、溶接面が剥がれたり、衝撃応力で装甲内側に取り付けられた各種構造材や装備の一部が飛び散り乗員を傷つけたり、酷い時には砲弾の誘爆を発生させる可能性すらがありました。もちろんこの現象は、リベットやボルトで装甲を接合した戦車にも当然のように発生します。
なにしろこのような弱点は、名戦車として名高いT34中戦車ですら持っていたのです。
T34/76型は、車体正面ですらこの状況が多発し、T34/85型でも砲塔側面等で同様の事態が発生しました。このため独ソ戦初期には、貫通力的に見るとKWK38中砲身50mm砲より劣る筈の4号戦車や3号突撃砲のKWK37短砲身75mm砲が、T34中戦車相手にKWK38より有効との評価を受ける事もありました。ただし、このような状況はソ連戦車ばかりでなく、ドイツ軍のティーガーT重戦車の初期型でも砲塔側面等で同様の事態が発生しています。
そしてあのケーニヒスティーガーやヤークトティーガー、そしてスターリン2型と言った怪物的重装甲戦車でも、敵弾は貫通しないが、内部の乗員は伝播した衝撃や、その影響による内装品の破壊でヘロヘロになると言った形で影響を与える程でした(装甲厚100oを上回る化物達までもがです)。
また、ノモンハン事変当時までのソ連戦車が使用していたガソリン式発動機は、簡単に炎上する事で有名で、歩兵に火炎瓶や手榴弾で機関部付近を攻撃されると装甲は破られなくとも簡単に火災を発してしまう代物でした。もちろん砲弾の爆風でも同様の効果がありました(火炎瓶は、その油分がエンジン部で炎上するが、各種爆風はエンジン部の漏れ油等を発火させる。もちろん火炎瓶の方が火災としての威力は大きい)。
このため張鼓峰事件やノモンハン事変では、日本軍歩兵が、火炎瓶や手榴弾の肉迫攻撃で多数のソ連戦車を撃破しています。特に低速のT26系歩兵戦車への攻撃は効果的だったようです。
したがって機関部付近に手榴弾より炸薬量の多い戦車砲の榴弾を直撃させれば、充分に火災を誘発させる事が可能だと考えられるのです。
まあ、榴弾を使った対戦車射撃が実際に行われたかは別ですが(当時のドクトリン的に実現しない可能性が高い)、これらの事から全く役に立たなさそうに思える低弾速の九〇式57o砲ですら、ある程度はソ連戦車に効果があったと推測できるわけです。
つまりソ連戦車の主砲弾を浴びた日本軍戦車の装甲が貫通され酷いことになる事実に間違いは有りませんが、交戦距離や状況によっては、日本戦車の主砲弾を浴びたソ連戦車も様々な形で酷いことになる可能性が極めて高いと考えられるのです。
しかも、機動力において日本戦車を大きく優越するとされるBT系列の高速中戦車も、確かに走行速力では、日本軍戦車のそれを大きく上回りますが、その高速を生み出すクリスティーヌ式サスペンションは、高速性と走破性こそ高いものの旋回時の小回りや、振動安定性では決して高い性能を持つものではありませんし、ソ連戦車の車外視察能力の低さや、電波通信機材等のコミニュケーションシステムの不備は惨憺たる状況で情報入手を極めて困難にしているものでした(実は日本軍戦車も大きな違いがあるわけではありません・・・ですから逆に後記する搭乗員の連度等のソフトが大きな能力差を生み出すともいえるのです)。
このようにハードの比較では、日本軍戦車が必ずしも圧倒的な不利に有ったわけではなく、中近距離なら敵戦車の正面からでも有効打撃が与えられる分だけ、太平洋戦争において米国のM4シャーマン中戦車やソ連のT34/85戦車と対峙させられた日本軍戦車隊の苦闘と比較してノモンハン事変の日本戦車隊は格段に恵まれた状態だったと考えられるのです(敵兵器の能力が劣る事により相対的に自軍兵器の能力が向上しているだけなので虚しいと言えばそれまでです)。
○ソフトから見た状況
そして数量的優劣の問題と言った作戦戦略的を除いて考えるなら、ハード性能の比較結果が互角に近い状態ならば、その戦いの勝敗を決するのは、ソフト性能の差です。
この時、ソ連軍戦車と対戦するのが練度だけで見れば、当時世界でも有数の存在とされた大日本帝国陸軍戦車隊なのですから勝機は充分にあると推測したのです。
この当時の日本軍戦車隊の練度は、例えば射撃能力では、九七式中戦車の弾速が遅く弾道が山なりの九七式57o戦車砲を使った行進間射撃(移動後に急停止して射撃する。つまり移動と速射を繰り返す実戦的な射撃)で、射距離500mの距離における半数必中界(射撃した砲弾の半数が必ずその範囲に入る範囲:軍隊において火砲の命中率を算定する基本データのひとつとなる)が1m以下(戦車が目標なら命中率は最低でも50%以上)、完全な停止射撃では0.5m以下(戦車が目標なら命中率はほぼ100%、バイザーブロック等が狙撃できる!)と極めて高いレベルにありました。
弾速の速い九五式軽戦車の九四式37o戦車砲ならこれ以上の成績も望めるでしょうし、弾速が若干遅く、車体構造等で安定性に劣る八九式軽戦車の九〇式57o戦車砲とて戦車兵達の連度が円熟期を迎えていたこともあり大きく劣るものでは無い筈です。
これは、評価方法等にも違いがあるでしょうがドイツのティーガー重戦車(88oKWK36)やアメリカのM4シャーマン中戦車76mm備型(76mmM1)と言った高初速で弾道性能に優れた長砲身カノン砲と優れた照準システムを装備した戦車による射撃と比べても優るとも劣らない極めて高い能力です。
ただし、当たり前の事ですが低弾速度の57o戦車砲では、弾道が著しく山形になるため500mをこえたあたりから高弾速のカノン砲装備戦車と比べると射撃結果が著しく低下しはじめます。
また、評価方法(データ取得時の射撃状況)等の違いに付いてですが、太平洋戦争における米英戦車との交戦において、主砲弾の低威力は、悲劇的な問題でしたが、射撃の命中率、特に近距離での命中率に付いては、極めて高いレベルに有ったことが確認されていますので近距離なら大きな差はないと考えられます。
これに対して、この時期のソ連軍戦車の射撃は、その光学機器の性能やシステムとして見た場合の機械的完成度の低さに加えて、大粛正の影響により戦車兵の練度が低いこともあり、有効射程や命中率、発射速度の面で芳しくない状態であり、そのため1941年のバルバロッサ作戦を例としても判るように第二次世界大戦前半でのソ連軍戦車の有効交戦距離は、砲の性能にかかわらず500m以内の近距離がほとんどでした。
ソ連軍戦車の射撃に付いては、ノモンハン事変でのデータや、BT戦車系列の射撃命中率が不明なので、主砲の初速が似たT34/76中戦車(弾重が重いため遠距離での弾道性能はこちらの方が優れているだろう)を参考とすると、500m程度の距離で双方完全停止状態の、まるで射撃試験のような最良の射撃条件(日本の射撃条件が行進間射撃だった事を考えてください・・・)で戦車を目標とした76o砲M1940の命中率が約80%程度とされていますので(そして実戦では5%〜10%程度に激減しちゃいます・・・それが実戦と言うものなのですが)、それより二世代も前に開発され、簡素な射撃照準システムと砲安定システム(車体構造を含む)しか装備していないBT5高速戦車やT26戦車は、当然ながら日本軍の射撃技術と比べ同程度か、かなり低いレベルにあると考えられます。
ちなみに第二次世界大戦における戦車砲の対戦車射撃での平均命中率は8%程度とされていますし、ソ連軍の戦訓には、T34中戦車が装備する76mm砲は、ドイツ軍三号戦車が搭載する50mmKWK39と比べて近距離での命中率が劣るため距離をとって交戦せよと言うのもあります(こちらは貫通力や発射速度、戦車兵の資質等も含めて導かれたものだと思います)。
ですからノモンハン事変を扱った一部書籍にある、日本戦車は1000m以上の遠距離で次々と命中弾を受け撃破されたとする記述は、実際には当時の光学式照準システムでは極めて難しく、照準する砲手に神業的技量が要求される事なのです。
まあ、独ソ戦におけるドイツ軍戦車兵や対戦車砲兵になら神業的技量の持ち主が稀に登場しますが、これは高初速の大口径砲(代表格が88oKWK36ですね)と優れた光学照準装置、そして優秀な操作兵が揃って可能なものですから、当時のソ連軍戦車兵の多くが、これだけの技量を持っていたとする事には大いに疑問があるとする事に反論は少ないと思います(独ソ戦初期のソ連軍戦車兵の技量を思い出してください・・・)。
しかも当時の日本戦車は、小兵が多く、被弾投影面積が小さい・・・つまり命中させるのが難しいと言う問題があり。日本側の戦闘記録には、それを充分に活用するため地形の凹凸を利用して砲塔だけを稜線から覗かせて砲撃したとするものがあります(地形利用の砲撃は、装甲防御力が弱いソ連の装甲車隊等も実施しているようです)。
しかもソ連戦車には、射撃命中率の問題だけでなく、人間工学の無視と練度の低さにより初弾発射速度も含めた主砲発射速度が極めて遅い大問題があります。
カタログデータでは、6〜8発/分程度とされていますが、実質的な発射速度はその半分か1/3の2〜3発/分程度であることが多いのに加え、初弾発射速度の遅さに付いては定評があり、独ソ戦初期に装甲の薄いBT系列やT26戦車が、初弾発射速度と発射速度が共に速いドイツ軍戦車に先手を取られて、満足な射撃を行う前に次々と撃破される事態が多数記録されています。
ちなみにT34中戦車の前面装甲とKV1重戦車の全方向の装甲は、ドイツ軍戦車砲の徹甲弾に耐えられるだけの装甲防御力を有していたため、撃ちまくられても射撃の機会を得ることができました。
これに対して日本軍戦車は、同じく人間工学を無視した設計だった事に大した違いは無いのですが、陸海軍を問わず日本軍の伝統とも言える「兵器性能の不満足な部分を人命で肩代わりさせるために訓練だけは怠らない」による余りありがたくない思想により練度だけは、桁違いに高く、加えて発射速度を維持するため砲弾の軽く小さい57mm短砲身砲や37o砲を選択していただけに、訓練ならば、流石に12〜16発/分以上の発射速度を持つ米国のM4シャーマン中戦車のそれには及びませんが、ドイツ軍のW号戦車に匹敵する6〜8発/分程度の速射が可能でした。
それも二人用砲塔や一人用砲塔で可能としていたのです(75mm級の砲弾を発射する米独の戦車と比べて、扱いやすい小口径の軽量砲弾を使用と言った有利な差が有ります・・・また当然ながら実戦での発射速度は4発/分程度でしょう・・・それでも実戦でのW号戦車に匹敵します)
○日ソ戦車比較の結論
つまり、上記のように射撃の有効性等を考慮した両軍の各種条件を含めて推測すると基本的な交戦距離が500m程度に落ち着くのです。
そして、この距離でハードの比較をした場合、日ソ双方の戦車が共に装甲防御力が不十分な状態となります。確かに命中弾により致命傷を受ける可能性では、ソ連戦車が有利なものの、どちらも危ないと言う意味で、その差は小さく、そうすると先に相手に直撃弾を与え、加えて多数の直撃弾を与えられる方が有利になると考えられるのです。
つまり近距離命中率や発射速度等のソフト面で優越していたと考えられる日本軍の方が、ある程度有利で、ソ連軍が同数から倍程度の戦力までなら、かなり善戦できていたのではないかと考えられるのです(圧倒と言い切れないところが悲しいですが・・・)。
○ソ連崩壊による資料の公開
ソ連が崩壊して数年の月日が過ぎると、当時のソ連側の情報が公開されはじめ、先に取り上げたもの以外にも、私の考えていたことを裏付ける資料が日本でも次々と紹介されました。
詳細に付いては、各書籍を参照していただくのが一番なのですが、それまでの通説を覆す特徴的なものを簡単にまとめると以下の二件となります。
張鼓峰事件やノモンハン事変におけるソ連軍戦車の損害数は極めて多く、ノモンハンでは最低でも日本軍の3倍以上の数を失っている。加えて戦闘地域が最終的にソ連側占領地となっているため、回収再生(戦車とはそういうものです)されたものは、別にカウントされている事が多数あると考えられる。
この中には、歩兵の肉薄攻撃に破壊された物や、故障放棄された物も多いが、日本軍戦車による撃破も含まれていると考えられる。
張鼓峰事件やノモンハン事変でのソ連軍歩兵の損害は、実際には日本軍の数倍に達することが判明した。つまり歩兵戦術では日本軍が優位にあった。
この歩兵戦術の優位は、対戦車戦でも発揮され張鼓峰事件では歩兵の肉迫攻撃により多くのソ連軍戦車が撃破されている。続くノモンハン事変でも同様の歩兵による肉迫攻撃が成功しており少数例を除きソ連軍に戦術の変更や連度の進歩が有ったとは考え難い。
○ソ連軍の得た戦訓
また、ソ連軍は、このノモンハン事変(張鼓峰事件を含む)とスペイン内戦、フィンランド冬戦争等の戦訓から戦車戦闘について以下の方針を打ち出し、T34系列の中戦車とKV系列の重戦車の開発の参考とし、戦術的ドクトリンを変更したと伝えられています。
1.発動機は、榴弾や火炎瓶での火災を発しないディーゼルとする。
2.装甲は、前面だけでなく全方向に必要最低限は満遍なく厚くし、装甲強化のために被弾傾斜を考慮する。
3.戦車は対戦車戦闘の主役としても重要な兵器であることが判明し、戦術的ドクトリンの変更が行われた。
4.歩兵の携帯する対戦車火器の配備数を増加させる。
スペイン内戦、ノモンハン事変、フィンランド冬戦争の中で、ソ連と対戦する敵側が満足な戦車を保有していたのは、日本軍だけであることから、対戦車戦闘での戦訓の多くは、対日本軍戦車との戦闘で得た物ではないかと考えられます。
つまり戦術レベルでの様相は、それまでの定説と大きく違い、日本軍戦車隊は、戦術レベルでは善戦しえたであろう事がここでも推測されたのです。
これにより、私たちはノモンハン戦を扱うSWGのデザインを再び始めようと思いました。
その手始めにデザインしたのが、今回のノモンハン戦車戦1939です。
○作戦レベル以上では代わらない状況
もっとも、状況が変わったのは戦術レベルだけの事であり、言うまでもなく作戦レベル以上では、戦域の無謀な拡大、兵力の逐次投入、補給の無視、不利な地形での会戦固持等、幾つもの致命的な失敗を犯しているためノモンハン事変が日本の勝利終わる可能性は全くありません。
しかも戦車隊だけを見ても日本軍は、戦車隊を歩兵部隊の直援任務に投入し、敵前線の突破を強行させて擂り潰しています。これは確かに同時までに想定されていた戦車隊本来の役目なのですが、問題は対戦車戦が可能な兵器の投入数に圧倒的な差が生じている状況下で、敵軍と正面からがっぷりと挑ませてしまった事にあります。日本軍戦車隊が大した活躍も無く壊滅的な損害を受けた理由が、ランチェスタの戦略理論を用いるまでもなくこれで説明できます。
つまり戦術レベルの多少の優位など揉み潰してしまう程の劣悪な状況へ正面からぶつけられてしまったのです。
作戦レベル以上において、事前の情報収集が足らず、状況把握も不満足な状態で数量的に圧倒的な相手に正面から攻勢を仕掛けてしまったのですから、多少の戦術的な優勢が吹き飛んでしまったのは、至極当然な事としか言いようがありません。
また、作戦レベルでの手違いや手抜き、そして組織的問題を原因とする障害により最前線では歩兵部隊との協調に様々な困難が発生し、戦車部隊の進出に歩兵の追従が遅れ、対戦車砲の発見や制圧ができず(随伴歩兵の重要な任務のひとつです)、戦車部隊が敵陣を占領しても保持ができない(こちらも同じ)等、戦車戦術としては、初歩レベルのミスが多数発生しており、戦車隊が一段と窮地に追い込まれていた事も確かです。
もっともこれは、この時期なら間違いなく世界で最も進んだ戦車運用方法を研究していた筈のドイツ軍ですらポーランド侵攻戦等で同様の問題を発生していました。この時期は、戦車部隊の近代的な機動戦術の黎明期だったのです。
しかし、ノモンハン事変の大勢に付いて論じるなら、これまで書いてきたように戦術レベルにおいて互角以上の能力を持っていたと考えられる戦車隊の責任は、当然ながら些細なものに過ぎません。根本的な問題は、作戦レベル以上の指導層、つまり高級指揮官の指導や決断の悪さ、もしくは能力の低さにあったのではないかと考えられます。
様々な機会に疑問を感じる事なのですが、太平洋戦争敗戦後の戦いの評価とされるものに、陸海軍のどちらの戦においても、敗北の責任を軍指導部をはじめとする指揮官達の誤判断や資質的な問題によるものとせず、兵器に押し付けてくる事が多く見られます(もちろん当時の日本が様々な事情により結果的に兵器開発に多くの失敗があった事も間違いありません。でも、それだけが原因ではないでしょうと言う事です)。
特に技術者のひとりとして見た時、戦車や対戦車砲が弱かった、零戦は時代遅れになっていた、対潜能力を無視しすぎたと言った兵器を叩く話の多くについて詳細に検討するとオペレーションリサーチ(既製の物に対してハードの改良でなくソフトの改良で効果を得ようとする方法)の不足や使用方法の根本的な認識不足によるものが含まれているように思います。
また、日本の軍隊が、特に官僚的だったためか、オペレーションリサーチの成功による成果を軽く見ているとしか思えない低い評価と言うものもあります。
その一例として豆鉄砲扱いの一式機動速射砲(47o砲:一式47o砲として九七式中戦車改や一式中戦車にも搭載)が、硫黄島戦や沖縄戦では地形や囮部隊との連携を駆使して米軍のM4シャーマン戦車を多数撃破していたり、比島や本土上空等の米軍が艦隊からの管制を受けられない状態で発生した空中戦で、零戦が天敵のF6F戦闘機と互角以上に戦い得た例も多くあるのです。
まあ、人の問題としてノモンハン事変の辻参謀やインパールの牟田口参謀は、それなりの批判を受けていますが、状況を省みない判断と言う意味では、海軍の小沢提督や神参謀等もそれなりの批判を受けてもよいのではと思えるのですが、名将の誉れ高い存在となっている事には疑問も残ります。
また、例えノモンハン事変の時に、日本軍が八九式中戦車や九五式軽戦車の代わりにティーガー重戦車やM4シャーマン中戦車を保有していたとしても、戦域の無謀な拡大、兵力の逐次投入、補給の無視、不利な地形での会戦固持等と指揮官が犯してはならない失敗のオンパレードだったあの戦いでは、ノモンハンの悲劇は、間違いなく発生したのではないでしょうか?
しかも、陸軍における戦車の開発と保有量整備に与えた影響については、戦車を弱く扱い難い物として軽視し、歩兵による白兵戦主力主義を重視したとするどころか、戦車戦における戦術的優位の自信が、現用戦車でも余裕がある物と考えられて新型戦車の開発が後回しとされ、ひいては日本軍の機械化を遅らせてしまったとも考えられるのです(あの新物好きの石原莞爾中将がノモンハン事変後も戦車の開発に積極的な立場を取らなかった理由のひとつが、これなのかもしれません・・・)。
つまり、日本軍に戦車戦力への軽視と歩兵戦力への過信を生みだしたと言われるノモンハン事変ですが、戦車に付いてだけで見るなら実際は全くの逆で、戦車戦力と歩兵戦力の過信が生みだされ、鋼鉄の棺桶(戦車)と前時代の鉄砲(三八式小銃)が充分に有効と思いこみ、加えて太平洋戦争緒戦期の米英植民地軍を相手とした圧倒的な侵攻が、その過信を確信させ、その全てが太平洋戦争中期以降に多発する悲劇を招いたのではないかと考えられるのです。
そして作戦レベル以上では全くの大敗だった戦いだったにもかかわらず、戦術レベルでの勝利感を得てしまった日本陸軍は、「悲惨な勝利より栄光ある敗北を愛す」とまで言われる国民性や、官僚主義化し過ちを認めたがらない軍組織にも後押しされ、敗戦からのみ得られるとされる「敗戦は新しい軍隊を育てる」「有益な戦訓は勝ち戦からは生まれない」等と言われる成長の芽すらも得る事ができなかったのではないかと考えます。
こうしてノモンハン事変は、戦術レベルから戦略レベルまでの全てにおいて、日本陸軍に全く利益をもたらす事の無い悲惨で無益な戦いとなってしまったのではないでしょうか・・・。
○そしてゲームとして
少々本題から外れましたので、最後はゲームの話に戻したいと思います。
この「ノモンハン戦車戦1939」は、以上のような当時の状況と私の考えを盛り込むためは、ハード優勢とソフト優勢の戦いを再現した「大ロシア戦車戦1941」と同等なシステムを持ちながら、実際の状況的にハードでは、対等に近い状態であるため、ソフト優勢対数的優勢の戦いを再現する作品となりました。
このような本作品のシステムについては、自分なりに有る程度満足しているのですが、今回は時間とコンポーネントの問題でオミットしてしまった事項が2つあります。
それは、コマンドコントロールの問題と、戦意に付いての問題です。
○コマンドコントロールについて
今回取り上げるコマンドコントロールとは、簡単に言うと司令部もしくは指揮官が、交戦する彼我の様々な情報を入手し、それを分析して指揮下の部隊に命令を下し、その新たな命令が指揮下の部隊へ伝達する行為をゲーム的に表すものとして考えます。
もちろん情報や命令の正確な伝達は、軍隊の作戦行動において最も重要で、そして最も難しい事柄のひとつといえるでしょう。
ちなみに本作を含めた多くのSWGでは、プレイヤが指揮官や司令部の立場となり情報を分析し、命令を下す事になります(もちろん指揮官から末端の兵卒までを一人でこなすゲームもあります・・・シミュレーションとしてあれなのですが・・・)。
ですからSWGにおいてコマンドコントロールをシステムとして再現するべき部分は、情報や命令の伝達の巧さに関係する部分と、情報を収集して司令部へ伝達し、そして命令を実際に実行する指揮下部隊の能力のふたつで再現される事になると考えられます。
また、SWGにおいて自分が担当する司令部や指揮官より上位の司令部(作品によって政府であったり国家指導者であったりするかもしれませんが・・・)から伝達される情報や命令については、事前の彼我戦力情報(セットアップ情報等)や勝利条件がこれを再現していると考えられます。
つまり本作では中〜大隊長程度(主に中隊長もしくは増強中隊の選任指揮官)の地位の司令官の立場がプレイヤの担当となり、上位司令部から伝達された情報と命令を受けて作戦の指揮を行う事になるわけです。
ところで中〜大隊長程度の指揮官が、実際に得られる情報や下せる命令と言う物はどの程度の物なのでしょうか?。
例えば、先にも書いてきたように日本軍の活躍を助ける形になっていたソ連軍戦車の外部視認能力の悪さや歩兵の質の低さは、指揮下の部隊個々の情報入手能力を阻害していますし、通信装置の不備も含めた車両間連絡および歩兵との連携能力の悪さは、指揮官と末端部隊との情報や命令の伝達が阻害されている事になります。
つまり、部隊個々は少ない情報しか得られないし、指揮官には、その少ない情報すらが満足に伝わらないと言う悲惨な状態となります。こうなると指揮官が確実に得られる情報は、自分が見通せる範囲内と言う状況にすらなってきますし、もちろん各部隊間の情報伝達も同様の悲しい状態となるため間に視界を遮る丘や森等かあると近接する友軍の状況すらわからない事になります。
そのため最前線で戦う部隊は、特に戦術レベルの戦況について自軍が勝っているのか、負けているのか、わけがわからない事になってしまい、取りあえず目前に出現する敵を叩き続けるしかない状態に陥りますし、前線の指揮官は辛うじて把握できた情報を駆使して、辛うじて把握している部隊へ、把握した範囲内で戦況に適合した命令を下す事しかできなくなるのです。
つまり前線の指揮官や部隊は、情報不足の濃霧の中で混乱に次ぐ混乱の苦闘を続けるわけです。これは通信設備が、当時としては贅沢な程装備されていたWW2末期の米軍ですら戦っている本人たちが満足の行くレベルに達する事はありませんでした(完全に満足が行く情報や命令の伝達が達成されるのは今世紀の中頃の事でしょうか?・・・今現在、米国をはじめとする諸国が必死に取り組んでいます・・・)。
また独ソ戦後半において極めて劣勢に立たされたドイツ軍が、伝説的なまでの機動防御戦を次々と成功させ戦線の崩壊を遅らせる事に成功した理由のひとつが独ソ両軍のコミニュケーションレベルの違いにある(指揮官や兵の資質と言った物も当然あります)のではとも考えています。
ところが本作を含めたボードSWGは、この問題をどう表現しているでしょうか?。
現状のボードSWGでは、プレイヤの有するあたかも神の視点と呼べる立場から見た情報により、多くを知っている状態で命令が下せる状況になっている部分があり、戦術級シミュレーションとして、この大きな問題の再現性が欠けていると考えられるのです。
ただし、この問題については、神の視点で情報を得、神の立場で命令を下せると言う部分がゲームとしての面白さを司っている面が有り、それは実際の戦場では欲しい情報の一部すらも得られないと言う現実を再現するシミュレーションとしての面と相対する事になるため戦術戦闘級を扱うボードシミュレーションゲームにおいては避けられない矛盾要素となっているのは確かです(私は、これらのボードシミュレーションゲームのシステムは、20世紀の作戦級レベルの陸戦を再現するのに最も適したものであると考えています)。
この問題について本作では、指揮下部隊の能力のうち、命令の実行能力については、移動システムや射撃システムに差を持たせる事で再現しています。
また、情報の収集と伝達については、実際のノモンハン事変でも様々な理由から日本軍の側も車両間連絡や随伴歩兵との連絡は充分ではなく、戦車隊が歩兵の支援等を受けられなかったと言った事実もあるので、両軍共にそれらの戦況に与える影響は、ルールとして再現しなくても小さいものになるよう消極的ですが割り切って考えています。
しかし、この割りきりにより神の視点と神の命令が、両軍に均等に与えられるものとなっているためゲームとしてのバランス的には充分に相殺していると考えられるのですが、シミュレーションとしての矛盾は全く解消されていません。それが気になるところです。
もし、このコマンドコントロールのシステムを追加できれば、少数の対戦車砲に苦しめられ攻勢を押しとどめられた日本軍戦車隊の苦闘や歩兵肉迫に大損害を受けるソ連軍戦車隊の難戦、稜線ひとつで近接する戦場の様子すらわからない前線指揮官達の苛立ちと恐怖等が再現できると思うのですが、いかんせんボードゲームでは、プレイビアリティの低下やソロプレイ性の喪失等の大きな問題を伴いますので、その問題を含めて如何に処理するかは極めて難しいのです。
コンピュータや第三者の審判としての介入が解決方法のひとつに考えられますが、これはプレイヤに与えられた神の力を奪うもので有り、SWGのゲームとしての魅力を大きく下げる危惧もあります・・・この問題については、今後も煩わされる事になるのでしょう・・・。
ですが私自身は、シミュレーションウォーゲームに、ゲームとしての特徴(勝敗率の均等性や攻守のバランス等)より、例えば歴史上のある時点において、そこに居合わせた人物の立場を擬似体感できるアイテム(ある意味でRPG的です)としての特徴を求めているので(その意味では一方的に攻めるだけ、守るだけの状況も厭わない)、この問題は、ライフワークとしていつまでも考えていきたいと思っています。
○戦意について
また、戦意に付いては、特に損害に対する戦意の維持に関係する士気のルールを加えることで、数にものを言わせて勝利を求める大雑把なゲーム的展開の牽制とすることも含めて重要だと思っています。俗に「大軍に兵法無し」等と言われますが、それも程度の問題だと言うことを表現したいわけです。
例えば、ドイツ軍のW号H型中戦車5両が護る防衛線に対してソ連軍のT34/76中戦車20両が攻勢を仕掛けると仮定して考えたとき、ソ連軍は、遠距離で一方的に5両程度を失うとしても、その後に距離を詰めれば中近距離の戦闘で3対1の数的優勢を得られ、その結果として友軍が全滅する前に敵を殲滅可能だから勝利を手中にできると考え、しばしば一か八かの無謀突撃を試みるプレイヤがいます。
これは一面的には正しいとも言えるのですが、実際を考えた時、やはりおかしいと考えたわけです。
また、戦意の問題を考える上での問題に、本作に登場する軍隊がソ連軍と日本軍とであり、このふたつの軍隊は、当時の列強諸国軍の中でも突撃を御家芸としているイメージの強い軍隊である事が、意外とプレイヤに無謀突撃を選ばせてと考えられる部分もあります。
確かにソ連軍は、特に第二次世界大戦末期のドイツ国内侵攻戦において、米英に遅れられないと言う戦略的理由から大損害を伴う無謀としか思えない攻勢を幾度も仕掛けています(この時期に比べれば、それまでのモスクワ防衛戦やクルスク戦と言った難戦も生易しいと言える程の彼我損害比率の大きな損害が発生している事からも説明できます)。
この損害の発生理由には、ソ連軍の戦略的立場や軍事制度に原因があるばかりでなく、兵士達が祖国を踏み躙った敵国に対する復讐心に突き動かされており極めて戦意が旺盛だった事にも一因があるのは確かです。
これは戦術レベルにおいて攻撃側の損害が多い戦いと言うのは攻撃側の戦意が高い事を表している事が多いのです。攻勢時に攻撃側の戦意が低ければ、敵の防戦により発生する損害が少ない段階で攻勢が勢いを失って挫折し、相対的に損害が少なくなる傾向にあるからなのです。
面白い事に守勢時に防御側の戦意が低いと簡単に崩れ、敗走の混乱の中で損害が多くなるのと逆の理由により発生する現象なのです。
また、逆に攻勢時に発生する自軍の損害が多く、加えてバンザイ突撃や爆弾三勇士に代表される無謀突撃的行為が多々行われたと言われる日本軍についても、太平洋戦争中期以降に多発した破れかぶれな突撃を別とすれば、その損害発生の原因のひとつが極めて高い戦意にある事は確かで、この戦意の高さは防御戦時には粘り強い抵抗を可能にしています(太平洋戦争中期以降の突撃ですら粘り強い抵抗の後の事である例が多いのです)。そして日本軍がノモンハン事変や張鼓峰事件でソ連軍相手に極限とも言える逆境の中で粘り強い戦いを可能としていた理由の大きなひとつが戦意の高さである事は歴史に記録されています。
このように戦争の行く末が定まったとすら言えるこの時期の状況で、あれほどの大損害を出し得る極めて戦意旺盛な軍隊であるソ連軍や、そのソ連軍すら梃子摺る程の粘り強い善戦を見せた日本軍に戦意の問題を問うのは、確かにナンセンスと思うかもしれません。
しかし実際には、そのソ連軍ですら指揮官を失ったり、部隊が大きな損害を受けた場合は、最前線で戦っている部隊の戦力低下と兵士達の受ける精神的ストレスは極めて大きく、次の攻撃のための態勢を整え、士気が崩壊する事を防ぐために、後退して部隊を再編成するのが常識的と言えます(確かにソ連軍は、このような理由で後退してきた部隊を立て直さずに無理やり戦力として投入する傾向もあるから損害が増える一面もあるのですが・・・無停止突撃戦術と言う恐ろしいドクトリンも有ったし・・・)。
また、日本軍にしても攻防双方の状況において、ただただバンザイの叫びと共に無謀突撃を繰り返す野蛮な烏合の衆のイメージ(米国映画とかの演出は散々ですね)は実際の姿ではなく、支援火力や投入兵力の増強ばかりでなく、敵防御拠点迂回や夜間浸透攻撃を得意とし、防御戦においても待ち伏せや後方迂回逆襲までを用いて可能な限り粘り強く戦う優れた能力を持つ軍隊だったのです。
なぜなら連続した戦術的攻撃や防御の積み重ねである作戦と言う物の中で、無謀突撃等の損害を省みない行為を多用していたら、戦力の消耗や士気の低下等で総合的に見て作戦参加部隊の戦力は低下し、作戦における所望の戦果を得る事が不可能となってしまうからです。
確かに作戦レベル以上では、良い所が無いと思われている(実際は評価できる事もあるのですが・・・)大日本帝国陸軍も、その程度の近代的な戦術ドクトリンならば列強諸国と比べて遜色ないレベルを持っていたのです。これは、張鼓峰事件やノモンハン事変、そして中華戦線から硫黄島戦、沖縄戦までの多くの戦場での記録から証明されている事です。特に増援も補給も満足に得られない中華戦線で、多くの部隊があれ程広大な戦線を戦い続ける事ができた理由のひとつにこれがあると考えています(ただし、相手が弱すぎたと言う一面は否定しきれませんが)。
ですからノモンハン事変を扱う本作においてすら戦意と言う物は戦場の雰囲気をシミュレーションするために重大な要素のひとつだと考えたわけです。
私は、この士気の問題は重要だと考え、士気ルールを盛り込んだ戦闘級戦車戦ゲームをデザインしたいと思っております。そのため本作品についても後日追加ルールとして発表したいと考えています。まあIJNにあった保護水準レベルのルールでも意外とゲーム展開に大きな影響を与えるのではないかと期待しているのですが・・・まだまだ暗中模索の真っ只中です。
取りあえずデザイナである自分自身が見ても未完の部分がある作品では有りますが、当時の雰囲気をある程度再現できていると思いますので、一度、この作品で、ノモンハン事変における日本軍戦車隊の苦闘を体験してみてください。
以上
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