装甲戦闘団シリーズ
キャンペーンシナリオ リプレイ

紅槍の騎士 バンパー物語
  第1部 1943年編

はじめに

 この物語は、EEGオリジナル戦術級戦車戦SWG装甲戦闘団シリーズの「親衛戦車軍東部戦線1943−45」を使ってプレイする「独ソ戦1944年キャンペーンシナリオ」と「独ソ戦1945年キャンペーンシナリオ(EEG誌で発表予定)」のEEG会員によるテストプレイを基に出筆したものです。

 従ってこの作品は完全なフィクションです。
 EEG関係以外の実在の人物、団体、史実等とは一切関係が有りません。
 また、某名作劇画や小説、映画に類似の箇所も有りますがゲームのリプレイ記事味付けの ためでありますので御容赦下さい。


ゲームについて

装甲戦闘団シリーズは、現在以下の作品が発表されています。

1.親衛戦車軍 東部戦線1943-45
    東部戦線スタートセット ¥1000

2.大ロシア電撃戦車戦 東部戦線1941-43
    東部戦線拡張用 EEG会誌ホ号付録

3.近衛戦車旅団    西部戦線1944-45
    西部戦線スタートセット ¥1000

4.砂漠の鼠      アフリカ1941-43
    西部戦線拡張用 EEG会誌ト号付録

5.剣の刃       フランス1941
    西部戦線拡張用 EEG会誌チ号付録

6.装甲戦闘団シリーズ追加ルール
    EEG会誌ヌ号記事(完売絶版)

7.装甲戦闘団シリーズ追加ルールネット版
    近日掲載予定

!注意 :「大ロシア電撃戦車戦」は「親衛戦車軍」の、「砂漠の鼠」「剣の刃」は「近衛戦車旅団」の拡張キットです。


登場人物の紹介

◆ダンエドモン・フォン・バンパー(1910-1945)◆

 バイエルン地方の古い軍人貴族家の長男として誕生。騎兵士官としてワイマール政権下の国防軍へ入隊したがエルウィン・ロンメルと出会い戦車士官へ転向する。
 第二次世界大戦の勃発によりポーランド戦で戦車小隊長として初陣を飾り、フランス侵攻戦では第7機甲師団の戦車中隊長として奮戦、ロンメルの長槍と渾名される。
 その後、東部戦線で伝説的な活躍の記録を残し、この功績によりヒトラー総統から武装SSのパンッァーマイヤーと並ぶ最優秀戦車指揮官と賞賛される。
 1942年12月に2級鉄十字章受賞、1944年5月に1級鉄十字章受賞、同年12月に騎士十字章受賞。1945年5月10日、ドイツ国内で戦死。
 戦死時の階級は中佐。
 父は、第一次、第二次世界大戦を通じて東部戦線に従軍したセイタロウン・フォン・バンパー。(ドイツ降伏時のドイツ国防軍第9軍司令官 中将 1880-1971)
 プレイヤは実はソ連軍好きの塙団右衛門氏。

◆ジェーノ・クボーダン(1920-1999)◆

 キール近郊に住む地方官僚の次男として生まれる。
 ポーランド戦開始を機会に国防軍へ入隊。フランス戦で戦車兵(通信手)として初陣後、ギリシャ戦へ参戦。独ソ戦開始時には戦車長、ブラウ作戦からは小隊長として東部戦線を転戦し、クルスク戦では負傷した中隊長に代わり代理中隊長として活躍するも自らも負傷。
 1943年8月に2級鉄十字章受賞、1944年12月には1級鉄十字章受賞。
 終戦後は、数年のソ連抑留をへて西ドイツ連邦国防軍へ復帰しドイツ戦車隊の再建に取り組む。
 1974年退役。退役時の階級は准将。退役後は、作家として活躍すると同時に右翼政治結社アトランチス党を結成し、バイエルン選出の国会議員となり祖国統一と反共産主義の運動に活躍し、タカ派政治家随一の策士として名を馳せる。
 著書に「ナチスの円盤兵器」「TLD」「必勝の方位学」等があり日本では、作家としても有名な人物である。
 プレイヤは策士で有名なジェノ皇子氏

「紅槍の騎士」

 タイトルの「紅槍の騎士」は、ダンエモンド・フォン・バンパーがフランス戦において第7装甲師団の先鋒部隊長として活躍し、ロンメルの長槍と渾名された事にちなんでバンパー戦闘団が使用していた非公式部隊エンブレムの「赤い塗料で描かれた騎士の槍」から取ったものです。






東部戦線の死闘 1943年秋−冬

プロローグ.老戦士の遺言
 私の名前は、ジェーノ・クボーダン。
 誇り高き元ドイツ第三帝国国防軍機甲兵大尉であり、西ドイツ国防軍退役機甲兵准将である。

 半世紀以上昔の、あの地獄のような戦いの日々は、人類の殆どにとって遠い過去の歴史となり辛うじて生き残った戦友達も殆どが逝ってしまった、そして新しい世紀を迎えようとする今、遂に私も本物の地獄へ向かう引き返せぬ病床へ身を横たえる時が来た・・・。

 しかし、その事に恐れはない、先に逝った戦友達に、そして私の尊敬する上官であり師とも兄とも慕ったダンエドモン・フォン・バンパー中佐に会いに逝く事ができるのだから。

 彼の地で再びバンパー中佐の下で戦い、地獄の悪魔どもを蹴散らして見せよう・・・地獄の悪魔がロスケ供より強いとは思えないから・・・。

 しかし、今は残された僅かな日々を使い、あの戦いの記録を伝えるのが私の義務であり任務であるのだ・・・私はその為に生き残ったのだから・・・あの地獄で・・・。

* * * * *

エピソード1.着任

 お世辞にも快適とは言えないが、暖かさだけは確保されていた貨車のドアが開け放たれると同時に私をロシアの雪混じりで凍てついた突風が手荒く歓迎してくれた・・・。

 私は、大ドイツ装甲擲弾兵師団の先任戦車小隊長として参戦したチタデレ作戦で負傷し、その後、本国へ送還され約3ヶ月間の促成戦車中隊長教育を受けた後、劣勢を覆い隠せないロシアの大地に再び戻って来たのだ・・・。
 20才そこそこで戦車中隊長とは、今でなら笑止の事態なのだが、当時はそれが普通だった・・・それ程多くのベテラン兵をロシアの大地は飲み込んでしまっていたのだ。

 私の配属先は、軍団直轄の国防軍第666独立装甲大隊を中核とした戦闘団だった・・・この装甲戦闘団は、優秀な装甲部隊指揮官として武装親衛隊のパンツァーマイヤーと共に著名な存在だったダンエドモン・バンパー大尉の率いる部隊であり、部隊長の名前を取ってバンパー戦闘団と渾名された強力で強運な部隊として国防軍戦場ニュースで度々その戦いが報道される有名な部隊で有った。

 優秀な戦車指揮官バンパー大尉に率いられたこのカンプグルッペは、クルスク戦やその後の後退戦での激戦に消耗し尽くしていた東部戦線所属の装甲部隊の中で数少ない有力な戦力を保有する火消し部隊として過酷な転戦を続けていた・・・。

 対戦車砲に乗車を破壊され負傷した中隊長に代わり中隊の指揮を取ったクルスク戦での戦いぶりを評価されたのか、私はこの精強な戦闘団の戦車中隊長を命じられベルリンから輸送機と列車を乗り継ぎ地吹雪の荒れ狂う中、再び戦いの大地へ降り立ったのだ・・・。

 「歓迎する。魔女の釜へようこそ。今は冷え切っているが直ぐに熱くなるだろう・・・熟練戦車指揮官は今や宝石より貴重な存在だ、なるべく長生きしてくれたまえ」  それが着任の報告を終えた私にバンパー大尉が投げかけた歓迎の言葉だった・・・。

* * * * * *

エピソード2.機動防御戦

 地吹雪が治まると、私に長旅の疲れを癒す間も与えず機動防御戦への出撃命令が出された。
 ソ連軍の旅団規模戦車部隊が吹雪のため乱れた味方の歩兵陣地を強襲突破し戦線後方へ侵入したのである。
 しかも有力な後続戦力まで有るらしい。今この敵軍の侵入を許せば戦線が崩壊する危険性があるのだ。

 我々は、偵察部隊を先行させ、貴重なパンター戦車隊を先頭に、主力のW号戦車とV号突撃砲を後続に、そして戦車部隊後方には、マーダ自走対戦車砲と装甲擲弾兵、そして少数のナースホルン自走重対戦車砲やV号戦車を配置する隊形で敵戦車部隊との会敵予定地点を目指し進軍した。
 そして私の中隊は、W号戦車2個小隊とV号突撃砲1個小隊、そして装甲擲弾兵で構成され、パンター戦車隊の左翼後方に位置していた。
 正規なら20両以上の戦車が所属している筈の戦車中隊だが苦戦の続く東部戦線では突撃砲を加えても辛うじて6割に届く充足率に過ぎないのが現実だった・・・これが軍団で最も戦車充足率の高い戦車部隊の姿だったのだ・・・。

 交戦は、会敵予定地点より手前で始まった。
 T34/76を主力とする敵戦車旅団は街道を高速で進軍して来たのだが、そのため行軍隊形のままで味方の偵察部隊の作る阻止線へ飛び込んでしまったのだ。
 戦力的には劣勢な偵察部隊の装甲車や軽戦車だが敵戦車の行軍隊列に横撃を加える事に成功し善戦する。 (行軍隊形は防御力が低下します。そのため低攻撃力の偵察部隊でも辛うじて対応可能)

 そして、その敵軍の混乱を突いて正面からパンテル戦車が、左右両翼からは私の中隊をはじめとするW号戦車とV号突撃砲、マーダ自走砲の部隊が、細長く延びた敵隊列を押し包むように猛烈な射撃を加えた。

 この攻撃に堪らず敵戦車隊が後退を始め、このままなら圧倒的な優位で勝てると安心しはじめた時、右翼に深く回り込んでいた味方部隊が有力な敵後続部隊と会敵した。
 この時の我々は、偵察を疎かにしていた訳では無いのだがバンパー大尉までが目前の戦闘指揮に忙殺されていて後手に廻ったのが災いした。

 敵の後続部隊は、重防御のKV1重戦車と大火力の新鋭SU85襲撃砲からなる有力な部隊であり、この敵部隊を正面から受け止めた味方戦車中隊は、一転して苦戦に追い込まれたのだ。W号戦車が撃ち竦められて混乱し、弱装甲のマーダ自走対戦車砲は次々と撃破された。

 このピンチにバンパー少佐は自ら指揮するパンター戦車中隊で正面を押さえ、さらに正面後方から最大火力を持つナスホルンの長砲身88ミリ砲でアウトレンジ射撃をさせ敵の進撃を食い止めると同時に私の中隊に敵右翼の森を迂回して後方遮断を命じた。
 パンターとナスホルンがKV1を次々と討ち取り、たまらず後退するSU85部隊の側面から私の戦車中隊が殴り込む・・・こうして敵部隊は大損害を受け撃退された。 (このゲームは、基本的に手近な敵を射撃しなければならないルールなので大攻撃力、長射程、低防御力のナスホルン等は前方で盾になる味方部隊が有るなら大活躍できます)
 こうして我が軍は、戦線崩壊の危機から救われたのである。しかし、これが猛烈なソ連軍の冬季攻勢の先触れだった・・・。

 ロシアの平原にはやい日暮れが訪れる頃、戦場には40両以上のソ連軍戦車の骸が点在していた・・・我が軍の損害、戦車自走砲全損12両、偵察車両全損8両、擲弾兵損害若干。弾薬補給を受けしだい作戦続行可能。

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