メリー・ホプキンは1950年5月3日イギリス、ウェールズ地方の南にあるグラモーガンのポンタードゥと言う所で生まれました。テレビのオーディション番組に出て勝ち抜いて行ったメリーをツイギーが観ていて、ポール・マッカートニーに電話を掛けてとかで、ポールは早速メリーに連絡をとったのだそうです。
まだ18歳だったメリーは、ウェールズの田舎町から母親と一緒にロンドンに出て来ました。そして、ポールと食事をしてその後スタジオに行き、ポールにすっかり気に入られたメリーは、当時ビートルズがやっていたレコード会社、アップルからポールのプロデュースでデビューする事になったのです。
メリーは1968年8月、ポールのプロデュースでデビュー・シングル、「悲しき天使」をリリースします。そして、これがいきなり各国で大ヒットとなり、ゴールド・デイスクに輝きます。
翌年、ファースト・アルバム、『ポスト・カード』をポールのプロデュースでリリースし、シングル「グッバイ」もヒットします。「グッバイ」はポールがメリーの為に書き下ろした名曲で、その後、「ケ・セラ・セラ」などもシングル用にレコーディングしますが、メリーがリリースに反対し、結局イギリスでは発売されず、フランス、アメリカ、日本でのみ発売されました。ここからプロデュースはポールからミッキー・モストに代わりシングルを4枚出し、セカンド・アルバムからはプロデュースがトニー・ビスコンティに代わります。
メリーはアップルからは2枚のアルバムを出して、レーベルを離れます。その後、セカンド・アルバム、『大地の歌』のプロデュースのトニー・ビスコンティと結婚しました。
本アルバム、『THOSE WERE THE DAYS』は邦題が『ベスト・オブ・メリー・ホプキン』となってますが、最初、本アルバムはメリーがアップルから離れた後の1972年にシングルを集めたアルバムとしてリリースされました。当時ビートルズもそうでしたが、原則としてアルバムとシングルで曲がダブらない様にしてた為、アルバム未収録の曲がかなりあったのです(ファースト・シングルの「悲しき天使」は、アルバムの『ポスト・カード』に入ってますが、イギリス盤の『ポスト・カード』には入ってませんでした)。そして、1995年にCD化にあたって、メリーの監修の元、セカンド・アルバムの中の数曲と、アナログには収録されなかった数曲が足され、再発されたのでした。
このアルバムでは、1曲目、2曲目、7曲目、8曲目、10曲目がポールのプロデュース、3曲目、4曲目、5曲目、6曲目、9曲目がミッキー・モスト、10曲目、17曲目がトニー・ビスコンティとなってますが、私のお気に入りはなんと言ってもポールの作、2曲目の「グッバイ」です。ギターもポールが弾いたと思われますが、このコンプレッサー(テレフンケンU73と思われます)がギンギンに掛った音、たまりません。それに途中、メリーの歌にギターでハモって行くとこなんて、ホントにグッと来ます。
そして、ドリス・デイ(プロデューサーのテリー・メルチャーのお母さん)が歌って有名な「ケ・セラ・セラ」では、プロデュースがミッキー・モストに交代してるものの、アレンジとギターでポールが参加、ドラムはなんとリンゴ・スターと言う豪華なメンバーで“控えめ”にプレーしてます。
ただ、メリー自身はこの頃の作品が、自分がホントに演りたかったトラッド・フォークの世界とはかけ離れてると感じてたそうです。私としては、「グッバイ」の様な曲をもっと聴きたかったのですが……。