MARY HOPKIN 『THOSE WERE THE DAYS』

1. THOSE WERE THE DAYS
2. GOODBYE
3. TEMMA HARBOUR
4. THINK ABOUT YOUR CHILDREN
5. KNOCK KNOCK WHO'S THERE
6. QUE SERA SERA (WHATEVER WILL BE, WILL BE)
7. LONTANO DEGLI OCCHI
8. SPARROW
9. HERITAGE
10. THE FIELDS OF ST. ETIENNE
11. JEFFERSON
12. LET MY NAME BE SORROW
13. KEW GARDENS
14. WHEN I AM OLD ONE DAY
15. SILVER BIRCH AND WEEPING WILLOW
16. STREETS OF LONDON
17. WATER, PAPER & CLAY

 メリー・ホプキンは1950年5月3日イギリス、ウェールズ地方の南にあるグラモーガンのポンタードゥと言う所で生まれました。テレビのオーディション番組に出て勝ち抜いて行ったメリーをツイギーが観ていて、ポール・マッカートニーに電話を掛けてとかで、ポールは早速メリーに連絡をとったのだそうです。
 まだ18歳だったメリーは、ウェールズの田舎町から母親と一緒にロンドンに出て来ました。そして、ポールと食事をしてその後スタジオに行き、ポールにすっかり気に入られたメリーは、当時ビートルズがやっていたレコード会社、アップルからポールのプロデュースでデビューする事になったのです。

 メリーは1968年8月、ポールのプロデュースでデビュー・シングル、「悲しき天使」をリリースします。そして、これがいきなり各国で大ヒットとなり、ゴールド・デイスクに輝きます。
 翌年、ファースト・アルバム、『ポスト・カード』をポールのプロデュースでリリースし、シングル「グッバイ」もヒットします。「グッバイ」はポールがメリーの為に書き下ろした名曲で、その後、「ケ・セラ・セラ」などもシングル用にレコーディングしますが、メリーがリリースに反対し、結局イギリスでは発売されず、フランス、アメリカ、日本でのみ発売されました。ここからプロデュースはポールからミッキー・モストに代わりシングルを4枚出し、セカンド・アルバムからはプロデュースがトニー・ビスコンティに代わります。
 メリーはアップルからは2枚のアルバムを出して、レーベルを離れます。その後、セカンド・アルバム、『大地の歌』のプロデュースのトニー・ビスコンティと結婚しました。
 本アルバム、『THOSE WERE THE DAYS』は邦題が『ベスト・オブ・メリー・ホプキン』となってますが、最初、本アルバムはメリーがアップルから離れた後の1972年にシングルを集めたアルバムとしてリリースされました。当時ビートルズもそうでしたが、原則としてアルバムとシングルで曲がダブらない様にしてた為、アルバム未収録の曲がかなりあったのです(ファースト・シングルの「悲しき天使」は、アルバムの『ポスト・カード』に入ってますが、イギリス盤の『ポスト・カード』には入ってませんでした)。そして、1995年にCD化にあたって、メリーの監修の元、セカンド・アルバムの中の数曲と、アナログには収録されなかった数曲が足され、再発されたのでした。

 このアルバムでは、1曲目、2曲目、7曲目、8曲目、10曲目がポールのプロデュース、3曲目、4曲目、5曲目、6曲目、9曲目がミッキー・モスト、10曲目、17曲目がトニー・ビスコンティとなってますが、私のお気に入りはなんと言ってもポールの作、2曲目の「グッバイ」です。ギターもポールが弾いたと思われますが、このコンプレッサー(テレフンケンU73と思われます)がギンギンに掛った音、たまりません。それに途中、メリーの歌にギターでハモって行くとこなんて、ホントにグッと来ます。
 そして、ドリス・デイ(プロデューサーのテリー・メルチャーのお母さん)が歌って有名な「ケ・セラ・セラ」では、プロデュースがミッキー・モストに交代してるものの、アレンジとギターでポールが参加、ドラムはなんとリンゴ・スターと言う豪華なメンバーで“控えめ”にプレーしてます。
 ただ、メリー自身はこの頃の作品が、自分がホントに演りたかったトラッド・フォークの世界とはかけ離れてると感じてたそうです。私としては、「グッバイ」の様な曲をもっと聴きたかったのですが……。


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