死闘1 壮絶!マレッドフィンガーとの闘い!

2002年8月8日
今日も体育館で城南バレーボールクラブのコーチ!というか玉拾いいというか、とにかくお手伝い。いつも、小学生の緩いボールに付き合っていると、元ハンドボールゴールキーパーとしては日に日に

何か刺激が欲しくなる!

強力なスパイクが取りたい!

へんてこな欲望がこみ上げてきた。

そうゆう時にちょうど、会社から今年入社のバレーボール経験者の新人が見学しにきた。まさに、くもの巣に飛んできたトンボ。そいつに「スパイク打て!」と練習の合間に当然強力なスパイクを打たせる。

取る!!!快感!


そんな快感に浸っているとき、ふとしたことで左小指を突き指した。「また、いつもの突き指だろう!」と思っていた。しかし、

これが悲劇への始まりだった...


2002年8月10日
あい変わらず、第一関節が見事に曲がったままであった。これはきっと

腱が切れている!まっすぐに伸ばしたほうがいい!

と、以前同じような症状を克服した城南バレーボールクラブの川島コーチに言われた。そして、そのときにつけていたギブスを借りた。大リーグボール養成ギブスならぬ

突き指逆エビ固めギブス

これを装着すると、曲がった第一関節が見事にまっすぐに矯正される。しかしこれが

マジで痛い!

これは自殺行為である。自分では絶対できない。ということで、手っ取り早くかみさんにたのんだ。

かみさんは、「痛い?」とか聞くこともなく、ぐぐっとギブスをしめ突けた。



おわぁーーーー!X100


私の小指にもう一つ心臓ができたのは、言うまでもない。


2002年8月20日
今日も私の小指には、突き指逆エビ固めギブスは稼動中であった。

今日は、妙に腰も痛くヘルニアでは?と思い、医者に言ってレントゲンを撮ってもらうことにした。そのときにかみさんが

「ついでに指も撮ってもらえばぁー」と軽く言った。

内心「んなもん、撮っても無駄じゃ!」

と思った。しかし、かみさんの言った一言で



とんでもない事態が!



医者はまず腰のレントゲン写真を見て

「腰が曲がっている..(あーでもないこーでもない)」

続いて小指のレントゲンを見て

「んー!これは簡単には行かないなー。骨が折れてますなー、ここ。
マレッドフィンガーってんだけど!」

は?なにその、ジャイアントロボの必殺技みたいなの?と思った。見ると、第一関節の根元あたりのところの骨にイボみたいな骨が写っていた。剥離した骨である。

うげ!単なる突き指が骨折とは!ついでで撮ったレントゲンがとんでもないことになってしまった。

医者はすかさず
「今度簡単な手術するから来て。硬線入れるから!」

単なる突き指は、手術が必要な緊急事態へと陥った。


2002年8月29日
絶好のオペ日和。なんと言っても、今日初めての部分麻酔を経験する。
オペ室に入室し横たわる。ブッ太い針の麻酔注射(容量が小指の3倍くらい...)を小指の根元にズボッとさされた。痛いというよりは、

曲がっている針のほうが怖かった!

麻酔が終わった小指を見たら根元がピンポン玉くらいにパンパンになっていた。それを看護婦がモミモミして指に浸透させていった。

やがて、小指は歯の治療のときの麻酔状態みたいにビリビリになってきた。

小指は布でさえぎられ、直接見ることはできなくなった。代わりに逆側にX線のモニター画面を見ることができた。当然、私も見れた。

先生は、電動ドリル見たいなのを取り出した。

「おい!まさかそれ使うのかぁー?」

先生はそのドリルに硬線をセットし始めた。

看護婦が「先生!(硬線太さ)1.2mmですね!」

先生が「1.0mmでいいよ!」

だと。私は

「この看護婦!間違えるな!このドアホ!」

と心の中で叫んでいたが、オペ室ではまったくの無意味であった。
先生はドリルの電源をいれた。

ウィーン!

まさに、ホラー映画の世界!


痛みはないが、妙な振動だけが腕に伝わってくる。モニター画面の黒い針金が私の小指の骨にブッスリはいっていった。しかも、2本。モニター画面を見ながら、放心状態に陥っていた。願いは一つ。

はよ!終わってくれー!

先生が2本入れ終わって「ちょっと角度が悪いかな?」

とかモニターを見ながら微調整を模索していた。

「いい!いい!角度OK!オレが許す!」

とオペの終了を切に願った。

約25分でオペ終了!私の指には針金が2本見事にささっていた。まさに

焼き鳥状態!

その夜。麻酔が切れた指にはまた、心臓が現れたのは言うまでもない。


2002年8月30日
麻酔がきれて眠れない夜をすごした。私の指には露出した針金が見える。この針金が、何かに触れるたびに

激痛が走る!

まさに骨が露出状態!当然指は包帯でがんじがらめ。オペの翌日と言うことで経過を確認のため、先生に見せた。当分薬飲んで消毒して置いてくださいとのことだった。

だめモトで先生に

「先生!温泉入ってもいいですかぁ?」と聞いた。

「指つけなきゃいいよ!ちゃんと消毒しておいて!」

との返事。多少すくわれた。絶対だめ!と言われると思ったのに意外な答え!よし、ついでに

「先生!スポーツしていいですかぁ?」と聞いた。

「当分スポーツ中止!」

と死刑宣告された。がーん!インディアカの試合も、バレーボールの手伝いもダメになった。


これより約1ヶ月、私はヤケ酒につかるようになる。


2002年9月26日
じっとがまんの1ヶ月が過ぎ、今日は私の指からあのにっくき針金が取れる日!
とうとう指が完全復活する日がきた。

思えば、この一ヶ月、aのキーが押せず本当に苦労した。その苦しみも今日で最後!
喜びいさんで病院に行った。

きっと針を抜くからものの3分くらいで終わるだろう!
と思っていた。

が、世の中そんなに甘くはなかった。

診察室で私の指を見た先生。何を思ったのか、

「じゃ、向こうの部屋に行って!」

と命令。向こうに行って見ると。5つ目玉のライトがこっちを見ている。ここってもしかして

手術するとこ?

「じゃ麻酔するから。」

先生が言った。また、あのぶっ太い麻酔の注射を思い出した。

「えっ?麻酔しなきゃだめなんですか?」
と最後の抵抗をした。




「麻酔しないと、もっといたいよ!」




と先生が言った。先生の一本勝ち。私はなすがままになっていた。

しかし、今回はこの歴史的1ページを後世に残すべく、デジカメを手術室に持ち込んだのだった。

世にまれに見る変な患者!

看護婦も笑っていた。そんななか、ブッ太い針の注射が登場。即、指に根元にブス!ブス!と2発。
根元がすごい膨らんだ。しだいに指の感覚がなくなった。
そこで先生がピンセットで針を抜こうと試みたが、針が以外に指にめり込んでてなかなか抜けない!

「ちょっと切開するから!」

先生が言った。
おえー3分ですむはずの治療が切開だとよ!

私の心の中では、半分あきれ返っていたが、何も反論できなかった。としているうちに既に指は切られていた。
感覚がまるでない。さすが麻酔の力! バンザーイ!

それでもなかなか抜けない。先生がピンセットで針をつまんではスカる振動だけが、指に伝わってきた。
先生がそのうち
「おい!あれもって来てくれ。」

看護婦が持ってきたのは、おっきい
ペンチ!

一般家庭では絶対使わないサイズのおおきい奴。

「そんなもんもってくるな!この看護婦!」

と思っても、助けがくるわけがない。私は完全にまな板の上の魚状態!

そのペンチでひと抜き!

「とれた!」

血が多少は出たらしい。

こうして、3分で終わる予定の治療が15分かかった。長い長い時間がようやく終わった。


2002年10月18日
左が私の小指に入っていた硬線である。記念にとっておこう!と当初は思っていたが、

どこにいったかわからない!

なくしてしまった。別にどうでもいいけどぉ。


悪夢の硬線撤去オペから約1ヶ月が経った。当初は腫れぼったかった小指もだいぶいい感じになってきた。

硬線がとれてうれしかったこと。

1、aのキーが打てるようになったぁー!

2、髪の毛がまともに洗えるようになったぁー!

3、温泉にまともに入れるようになったぁー!

などなど。でもやはり


早く身体を動かしたい!




思えば、インディアカ、バレーボールから遠ざかってやく2ヶ月!身体が完全にうずうずしてきた。まさに




ラオウ伝説の復活の日




を身体が待ち望んでいた。ということで、その後の経過を見てもらうために病院に行った。

先生いわく

「まだ曲がってるねー。そのうち真っ直ぐ伸びてくるよ!」

おいおい!真っ直ぐのびなかったらどーーしてくれるんだよぉ?

しかも「1ヶ月後、もう一回来て!」

だと。ということは、まだ完治じゃないんだぁ。しかし、今は先生を信頼するしかない。

そして本題。


私「先生、スポーツしてもいいですか?」



先生「あー?いいよ!」

やったー!




この言葉を待っていた。2時間ランニングして、そのあと即ビールを飲んだような爽快な感じ!

ということで、早速夜インディアカの練習ではしゃぎまくる。



2日後、全身を筋肉痛が襲う....


2002年11月15日
約1ヶ月経過。先月

「そのうち真っ直ぐのびてくるよ!」

という先生の言葉を信じたのがまずかった。

真っ直ぐなんないじゃないかーー!

早速診察。

先生「んー、どうだい?まっすぐなったかい?」

オレ(無言で見せる)

先生「あーちょっと後遺症が残っちゃったねぇ。もう少し伸びてくると思うよ。」

もう、おめーの言うことなんか信じるかぁーー!

でも、パソコンのキーボードもちゃんとできるし、バレーのオーバーハンドパスもできるし、まぁいいか?

オレ「でも日常生活で支障がないから、いいスゥよ!」と言った。

オレはなんて寛大なんだぁーー!

自分を自分を褒めてあげたーい!


これでよしとしよう。

さあ、保険だ!保険だ!あとはかみさんの仕事。




8月8日からのマレッドフィンガーとの闘いは、ふなきさんの対固めで遺恨試合に終止符を打った。




いくぞー!
1、2,3 ダー!


ふなきさんの死闘はまだまだ続く。

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