死闘2 終わりなき死闘!TFCCとの闘い!

2003年1月X日
1月のある日、群馬県全域に大雪が降った。家の前は10cm位の雪が積もった。雪が降ると

秋田生まれの血が騒ぐ!


早速、家の前の駐車場で
雪だるま作り。へたくその子供らに、きれいな雪だるま
の作り方を教えてあげる。おかげで3体も作ってしまった。

そのうち一つは、女性の雪だるま。おっぱいを付けたので。

雪国生まれというのは、雪が降ると必然的に雪かきをしたくなる。
そういえば子供の頃、オヤジ、オフクロが大雪降ったとき通学路までの細い道を朝早く雪かきしてたっけ。
まさに、
一子相伝。

しかし、ここは群馬の前橋。道路の雪かきするには量が少ない。雪かきするまでも
ない。でも、んんーーーなんかしたい。

秋田生まれの血が騒ぐ。

お!あれだ。ということで目に付いたのが車の上の雪。車を走らせるには、やっかいな
雪である。さっそくブラシが付いた長い棒(正式名判らず)で自分の車に付いた雪を落とす。

無事終了。

ついでにあの車もやってあげよう。と同じマンションのご近所さんの車に着いた雪も落とし始めた。

2台目終了。

調子に乗って3台目スタート。だんだん、慣れてきたものでブラシひとかきで、車の上の雪を一気に落とす作戦にでた。

親切で始めた車の雪下ろし。これが
完全に裏目にでる。

「おーーーりゃーーー!」



勢いよく落とそうとしたら、
雪が結構重い!


「グキ!」



右手首が横にくの字に曲がり、小指下部の手首部分に痛みが走る。

「いで、井出、イで!」

痛い!痛みを感じつつ、3台目終了。ここで飽きたので、子供のためにすべり台作りに移動。

雪の前橋の時間はまったり過ぎていく.....右手首に若干の痛みを残したまま。

これが、すべての始まりであった。


2003年2月X日
北国秋田生まれの私は、なんと車の雪おろしで怪我をした。

これでは御先祖さまに顔向けできない!

なさけない!
しかし、この痛み。数日で収まると思ったのになかなかなくならない。しぶとい。

一抹の不安がよぎった。ちょうど、娘が足が痛いといって通っていた整形外科についでにみてもらうことにした。
先生は、早口でキャプテンハーロックに出ていたヤッタランに似ていた。

定石どうりにレントゲン取って、診断。先生いわく

「これー直りにくいんだよね!
TFCCっていうんだけど。こーすると痛いでしょう?しばらく様子みましょう!」

ここで始めて英会話教室の名前みたいな病名を耳にする。

以前も同じような痛みをした経験から、多分すぐなおるだろう!と思っていた。先生も「様子を見ましょう!」
ということなので

様子を見る!
普段どうりにしていい!
スポーツも可!

というふなき式必勝方程式が成立した。

ということで、多少の痛みにもかかわらず

小学生バレーのコーチはするわ

インディアカの試合にはでるわ


のスポーツをがんがんやってしまった。

しかも、インディアカの県大会では優勝してしまった!

B型人間の私は、自分のスポーツ欲望を満たしながら、かなり腕を酷使してしまった。


ときは流れ...


痛い!ちくちく痛む。通勤時に使うバイクのスロットルを回すのも痛くなってきた。

会社で使う測定器を運ぶ時も痛い!
まして、バレーボールのスパイクなんぞは...。

完全に生活に支障が出始めた。

先生の言うととうり、様子を見てたらとんでもない方向に動き始めた。


2003年2月27日
痛みは減る気配はなかった。車でハンドルを切る時も、痛くなってきた。
更にお湯を入れた、桶を片手で持つことができない!風呂もまともに入れなくなってしまった。
スポーツもできない!

まさに泥沼のイラク情勢である。

これは、同じマンションに住む通称「こてこてさん」から、厄払いのための饅頭をもらったために起こっているに違いない!来年は、私が厄年なので饅頭1ダースにして返してやろう!

しかしながら、なんとか直さんといかん!少なくとも、上の娘が小学生バレーをあと2年続けるのだから、いやがうえにも付き合わなければならぬ!

ちょうどそのとき、今度は下の娘が「ばね指」なる指の関節を直すオペをすることとなり(→ウチは家族で病院にお世話になりっぱなしじゃ!)、大きい病院に入院することとなった。

これはいい!ついでにオレの腕も見てもらおう。ということで、早速診察してもらった。
応対する整形外科の先生は3人。さすが大病院!その中の診察室2にエントリーした。入ると女性の先生であった。

まずは、お決まりのレントゲン写真をとる。ほれぼれするくらいのきれいな骨である。まったく問題がない!

しかし、逆の腕を撮ると曲がった小指が写るのだー!

(誰の挑戦でも受ける 死闘1参照)

先生 「んんー、骨は大丈夫そうですねぇ。」

当然!

先生 「(痛い)ここの部分は、軟骨とか靭帯とかがあってそこが痛んでいるんですよぉ。」

オレ 「病名はなんてうんですかぁ?」

先生 「
TFCCインジャリーっていうんだけど、詳しく見るのであればMRIで見たほうがいいですねぇ」

オレ 「即やってください!」

3年前、左膝靭帯を切断している私にとっては、ひさびさのMRI検査である。なつかしい!

しかし、出費がかさむので

かみさんは絶対怒る!

先生 「じゃ、MRIの予約入れときますので、それまで安静にしててください。」

ということで、先生は私の右手をぐりぐり包帯のようなもので巻いていった。包帯で固定するのかぁ?と思ってたら、あーら不思議!この包帯、硬くなるではないですか?完全にギブス状態になってしまった。

んーこれでは、
メシが食えないし、風呂にも入れん!

ウンチを拭くときには、多分、

ウンチがギブスについてしまう確率大!
史上最低のシナリオであった。



ナーバスになっているとき、先生はゴソゴソとデッカイ機械を取り出してきた。

電動のこぎりである。

ウィーン!

ス、スプラッター!

始めて目の前に見る体験型B級ホラー映画に、びくびくしていた。

頼むから、肉を切らないでくれー!

看護婦 「先生、ここ、こぉー切った方がいいんじゃない?」

先生 「んんー、そぉーだねぇー。」

図工の時間じゃねぇーんだから!

しかも、こっちはびくびくしているのに



会話が非常に緊迫していないー!



いつのまにか、私の右腕には取り外しのできるギブスができていた。

翌日からこのギブスをつけて出社!

私を見たみなさんの約87%が


「あれ?ふなきさん、またなんかやったん?」


が第1声であった。

しかし、この硬いギブス。ワイシャツの袖をあげると丸見えになり目立つ。

ここぞとばかりに

ズドーン、ババババー!ズキューン

等の擬音とともに
ハインリッヒ(サイボーグ009)、コブラ、ガッツ(ベルセルク)の真似をする。

しまいには、
若い奴らにラリアートをかます!

いつまでも、ポジティブに生きる性格であった。


2003年3月11日
今日は待ちに待ったMRI検査の日。どんな検査結果がでるか?楽しみである。

MRI検査室にいくと、いきなり浴衣に着替えた。○○温泉とは書かれていない、非常に面白みのない浴衣である。(←これって浴衣って言っていいのかぁ?)

そして、MRI検査装置に寝っころがる。

先生 「うるさいんで、これつけてください!」

ヘッドフォン

なにも聞こえてこないやつ。せめて
9時のNHKニュースやJ−POPカウントダウンを流す配慮が欲しい。

手をテープで固定し、いざMRIの中心へスライド-!

目の前10cmには、無味乾燥なMRIの壁が。

せめて、NOVAの広告くらい印刷してもらいたい。

ババババー。ガーーー。バッバッバッ。ブーーーー。

いろんな擬音が聞こえた。ヘッドフォンをしていても結構、大音量である。
この大音量の中、


私は寝てしまった。


昨日の酒も少し残ってたので...


20分後、私はMRIから開放された。そして診察の時間。

これが右手首MRI写真である。親指は右上、小指は左上、下は腕である。

円の中に白い集合体があるが、これがたまった水である。軟骨がダメージを受けて周辺組織を破壊し、水となっている模様。

先生 「んーこれ以上は関節鏡で見ないとわかりませんねー。」

てことは、


またオペかぁー!

3年前 左足後十字靭帯


2年前 痔(これもオペ?)


去年 左手小指

そして激動の2003年 

ここにきて、毎年オペをうける私。まさに



年に一度の紅白歌合戦状態!



これでは毎年、



小林 幸子みたいに期待されてしまうー!



先生 「また、来週来てください。そのとき判断しましょう。それまで痛み止めを注射しておきますから」

また、へんな所に注射だ。

先生は私の手首にズボーと深く注射した。しかし私には、手首くらいの注射にはびくともしない免疫があるため、きわめて平然としていた。なぜなら、



痔の麻酔注射のほうがすごーーーーっく痛いからだぁー!



痔を体験していない皆さん。是非一度、体験あれ!




地獄が待っています。


2003年4月15日

安静にする期間がもくもくと続いている。いままで週1回は通院し、手首にぶすぅーとステロイドの注射をしていたのであった。

ん?
ステロイド?ということは



ドーーーーーピング!




やばい!私は将来、ハルクホーガンのように


はげるぅーー?


最悪のシナリオである。私の体は、注射攻撃によってどんどんボロボロになっていってたのだ!



手首への注射は合計で4回か?一見痛そうに見える。しかし、さほど痛いとは感じなかった。本当は痛いかもしれない。なぜなら、私には超痛かった痔への注射を克服した免疫ができているため、痛い注射も痛いと感じない体質になっているのだぁー。それにしても、ギブスで安静にしてから約1ケ月にもなる。そろそろ、なおってもいいはずなのだが全然痛みが減る気配がない。

ふなきさんを苦しめる今回の痛みは、なかなか強豪である。今日は、2週間ぶりの診察である。

先生「どぉーですかぁ?」

おれ「だめですねー。」


先生「そーですかぁ?」


いきなり、会話が終わるようなこのシナリオ。先生は私の手首を確かめるように、いろいろ手首を押してみた。

おれ「あ、そこ、そこ」(←変なことを想像しないように!)

先生「ここが、痛いですかぁ?」


いろいろ触りまくった先生の結論。

先生「いままでTFCCと思ってたのですが、もしかして
尺側手根伸筋腱腱滑膜が傷ついている可能性もありますねーーー」

でました、
北斗神拳奥義


尺側手根伸筋拳(←腱)!!
しゃくそくしゅこんしんきんけん



もしかして私は、かつてラオウにつかれた秘孔によって手首が痛んでいるのかもしれない!ということは、来週あたり


ひでぶぅーー!


そんなぁ。せめて2週間後のGWに万座温泉に浸かってから、ひでぶぅーしたいよー!!

先生「来週、像影剤を注射して、痛みの個所を探してみましょう」

像影剤!ぞーえーざい

次週、ふなきさんのからだは、またヘンテコな注射でさらにポンコツになっていくのであった。


2003年4月24日


今日はなんと像影剤検査の日。
よくわからんが像影剤なる薬品を手首に注射し、レントゲンを取って不具合のある箇所を特定するらしい。

実は昨日は、前橋に新しくできた餃子の王将に行く予定だったが、像影剤検査時の体臭が気になる為行けなかった。

ひじょうーーーに悔やまれる。

レントゲン室に入る前に、看護婦に右手首を洗剤とたわしでガリガリ洗われた。しっかりフキフキしたあと、緑の布をかぶせられ完全に手首は外部との接触ができなかった。

これはまるで、マレッドフィンガ−との死闘の際、オペ前に行われた儀式と一緒であった。
つまり、造影剤検査なるものは、単なるレントゲン撮影ではなく


結構
大掛かりなものであることをここではじめて気が付いた。



レントゲン室に入るといきなり横に寝かされた。先生、看護婦ともに、レントゲンから体を守るツルツルの前掛けを付けていた。かなり固そうに見える。多分、鉛かなんかが入っていて放射線を遮るのであろう。しかし、これを見た私は東京ディズニーランドのパレードで見た

不思議な国のアリスのトランプ兵
を思い出してしまった。

先生、看護婦は慎重に装置のセットアップをしていたが、私は頭の中にでてくるトランプ兵野郎の妄想を消し去るのに真剣だった。

先生が


「ふなきさーん、レントゲンやるんで
大事なとこを隠しますからねー!」



大事なとことはまさしくチン○。




横たわっているので、手首は自然と腰の横にくる。つまり、レントゲンを照射すると手首だけでなく腰にも照射されるので、
種無し野郎になってしまうのだーーー!

これはやばい。二人の子供がいるのでこれ以上製作予定はないが、とりあえずチン○保護は重要である。

看護婦が、放射線ガードを持ってきて


「はーい!じゃ、これを
に置きますからねーー!」



腰じゃねーだろ!チン○じゃ!チン○!はっきり言ってみぃ!



と心の中でわめいていた。

私の手首は緑の布の一部からしか見ることができなくなり、(まさに手術!)先生の準備完了をひたすらまっていた。


先生「ふなきさん、じゃ
局部麻酔するからねー!

レントゲンよけの重装備しているわりには、非常に
軽いお言葉。注射を受けても、麻酔が効いているのか
効いてないのかよくわからない。

先生はモニターを持ってきて私の手が見えるように、ガラス越しの別室にいる女性のオペレータにベッドのスライドを指示していた。

先生「もっと上」

オペレータ     逆に動かす...

先生「もうちょっと下」

オペレータ     行き過ぎる...



まじめにやれぃ!このオペレータ!



そんなことしているうちに、像影剤なるものが手首ふかーく注入される。局部麻酔してても、かなり深く入る注射に多少いたみを感じた。

先生は私の手首をねじっては、

先生「はーい1枚!」

さらにねじっては

先生「ここで一枚!」

さらに一枚、ここでも一枚

まさにグラビアアイドル



先生「はい!終わりましたー!」

めでたくクランクアップ。


先生「
TFCCが痛んでますねー。まぁ詳しいことは向こうで説明しましょう」

レントゲン室をでて、診察室へ。目の前に出てきた数十枚のレントゲン写真。


先生「デジカメで撮るならこれがわかるでしょう」


先生はなんと、HPの為を思って
ベストショットを推薦してくれたのだぁー。

先生「ここに像影剤が漏れているでしょう。ここは普段もれていけない箇所なんですよ。(写真の白いとこ)ということはTCFFが損傷しているということです」

先生「まあ、はっきり言って
重症ですね。

がーーーん。たかが雪かきの軽い痛みが、バレーボールのやりすぎで重症になってしまったーー!これは予想外。

先生「3週間保存的な治療を行いますので、ギブスします。ギブスしてもバレーボールつかって運動なんかしないでくださいね!」

事実上の死刑宣告。わたしがボールを触れない。ミックジャガーのいないローリングストーンズと一緒や!

ところで北斗神拳奥義 

尺側手根伸筋腱
はどーなった?

先生「そのうたがいもありますので、やはり保存的治療でいきましょう」



.....ギブス決定!



2日後、問答無用のギブスをされる。ギブスしての予期せぬ弊害ベスト5。

第5位 バイクのスロットルがまわしずらい ← はっきり言ってあぶない!

第4位 文字が小学生レベルまで落ちる。 ← こーゆーときに、重要書類のサインがあるんだなー。

第3位 はしが使いずらい ← 今日、ラーメンをフォークで食った。情けない。

第2位 風呂にまともにはいれない ← 現在、買い物袋を手に巻いて、入ってます。

第1位 うんちがふきずらーーい!
 ← もしギブスについたら最悪のシナリオ。

ということで、ウォシュレットがないと生きていけないところまで、落ちてしまいました。
復活できるのであろうか?


2003年5月16日

長かった。本当に長かったこの3週間。まともに風呂にも入れず、まともに運動もできず、まともにケツもふけずの3週間だった。

ギブスも汗で多少臭いがする。

しかし、今日は
ギブスとおさらばする日

朝、速攻でメシを食い、燃えるゴミを置きに行って、子供が学校に行くのを見送って8時。診察の9時までには、まだ時間がある。

ここでこの前の高山vs永田のプロレスを見て、更に気合を入れて盛り上げる。

9時。病院へGO!診察室には5分くらい待ってすぐ入れた。

これはラッキー!今日一日はいい事だらけに違いない!

3週間ぶりに先生と話あう。
先生「どーでしたかぁ?」

オレ「よく、わかりまへん!」


そりゃそうだ!動かせないんだもんなぁ。
まさか、
「うんち拭きずらかったス!」と堂々といえないもんなぁ。
そして、即ギブスを電動ノコギリで切断。御開帳!

久々に右手の皮膚が、外気にさらされた。なんと、皮膚に多少張りがない。多少退化してしまった。
で、早速手首を動かそうとした。


「う、うごかん。ちっとも....」

このオレが自分も手首を動かすことができなかったのだ。まさに

イリュージョン!夢と魔法の王国!

先生「急には動かせないですよ!除々に動かしていけばいいですよ」
そうなんだ。でも、ギブスさえとれればこっちのもの。

ふっふっふ

ふぁっ ふぁっ ふぁっ(Fade Out...........)






ラオウ伝説復活!





「じゃ、今日は尺側手根伸筋腱の箇所に注射しますから」。先生曰く。私の腕はどちらかというとTFCCより尺側手根伸筋腱の損傷の方が度合いが強いみたい。まあ、いい。注射でもなんでもしてくれい。ラオウは既に復活したのだぁー。

ぶすぅーーー!



先生「じゃ、あと当分
シャーレつけておいてください!」

はぁ?シャーレってあの
着脱式のギブス?



なにそれ?聞ーいてないよ。
ラオウ復活の日を待ちわびてた私は、いきなり
へこんでしまった。
まだまだ、固定期間をとらなくてはならんみたい。

先生「お風呂入るときと自宅でPCするときくらいはとってていいですよ。」

ってことはほとんど今までどうり、なにもできない状態!へこんだ私は先生に言われたまま、着脱式ギブスを装着し、会計へ。

「ふなきさーん、今月保険証の提示がないので次回持ってきてくださーい!」

あっ。持ってくるの忘れてた!
ラオウ復活の日を待ちわびていた私は、更にへこんだ!

その日の夜。ようやくギブスを取って風呂へ。脱衣所で横にあった体重計が妙に目に入った。久々に載って見る。



がーん!3kg増えている。



ギブス状態だったので運動もろくにしてなく、その上酒をガバガバ飲んでたので当然増えてしまった!



ラオウ復活伝説どころではなくなった...


今日一日はいい事だらけに違いない!と思った今日は

最低の日になってしまった.....


2003年6月27日

かなり久々の更新になってしまった。別にサボっていたわけではない。



ハイロウズネタが忙しかったからだぁー!



5月16日装着の着脱式ロケットパンチギブスは、お風呂の時以外は常時付けていた。運動は当然禁止!
インディアカもダメ!バレーボールのコーチもダメ!ストレスがたまってたまって!

ストレス発散のため丁度、前橋に来たハイロウズのライブに行った。
楽屋に遊びにいったら、盟友、甲本 ヒロトからサインをもらった。

やったぁ。でも、多少汗で黄色に変色してきたこのギブス。おかげで



捨てられなくなってしまったぁーー!



最近、腕の調子もよく運動したくてしたくてウズウズしてきた。
この日は、午前半休を取って病院へ!別にフレックス10:30出社でもよかったのだが、こーゆーときはきっぱり午前半休とるのは社会人として基本なのだ!

ギブスのおかげで以前の痛みは消えていた。しかし、長い期間ギブスをしていたので手首が完全に曲げることができないための痛みが多少残る!

しかし、ラオウ復活伝説のためには

この程度の痛みでじたばたしている時間はないー!


先生「どーですかぁ?」


オレ「いーんじゃないですかねぇ?」



なんともしまらない会話である。




オレ「先生!そろそろ運動してもいいですかねぇ?」

先生「バレーボールやるんでしょ?んーー(考える)。装具つけて様子みながらやってみますか?」

オレ「え?じゃ運動してもいいですか?」

先生「装具つくるまで絶対ダメ!」


またしても先生をおこらせてしまった。

先生「装具は保険効くからね。7割は戻ってくるから。でも最初は全額個人負担だから。



33000円です。1週間後持ってきて。じゃ、お大事にー!」



かみさんの財布がお大事にー。


2003年7月のいつか(←忘れた。)

整形外科というのはなかなか混んでいるもので、診察に呼ばれるまで一苦労である。しかし、今日は速攻で呼ばれた。なぜなら今日は、診察不要の装具を作る日だからである。
しかも、33000円の!

あぁーー。
33000円

されど、
33000円

ベビースターラーメンが660個食える。

ガチャガチャが330回できる。

せこいたとえである。


診察室に入ると義肢屋のおやじが、見習いの若いにーちゃんと共にスタンバっていた。

「えーー、ふなきさんは右手でしたっけ?じゃ、型とりますからまず手を洗いましょう。」

早速タワシでゴシゴシ。タオルで拭いたあと、右手にガーゼをぐるぐるに巻いて、白いドローっとした石膏で塗りはじめた。こーゆーことをされると、落ち着きのない私は手を動かしたくなるのであった。さっそく、石膏が固まりかけた手のひらをちと動かす。

義肢屋のおやじ「あ、動かさないで!」

早速おこられた。

まるでガキである。

義肢屋の親父は石膏を伸ばしながら、

「こう、ここ、ここのカーブが大切なんだよね!」

と若手のにーちゃんにえらそうに教えていた。若いにーちゃん、ボケーと見ながら横につったっていたが
やっぱりひまそうにしていた。

それにしてもこのおやじ、石膏を扱うをいうのにワイシャツにネクタイ姿。よくわからない。社会人であることは認めるが、汚れるものを扱っているのだから、それなりの格好してもいいのではないか?

早速、スラックスに白い石膏が数箇所ついていた。

「このおっさん、実は下手だったりして!」

とか

「あー、ズボン汚して。かみさんにしかられるなぁ」

とか、アホな想像をしているうちに固まった型をカッターで切って一件落着。

義肢屋のおやじ「じゃ、来週まで仕上げておきますので!」

ふなき「はーーい」

義肢屋のおやじ「じゃ、ふなきさん。装具の費用
33000円になります。」

厳しい現実を受け入れなければならない、ふなきさんであった...。その日の夜、かみさんにチクチク言われながら、ヤケ酒を飲んだのは言うまでもない。

お前ら、33000円分のかっこいい装具作れよな!


2003年8月のいつか(←忘れた。)

義肢屋の親父から腕の型を取られてから1週間。とうとう、33000円の装具を拝見する日が来た。いつもの如く、診察室に入る。

義肢屋のおやじ「こんにちはーふなきさん。そーすると、これになりますー!」

目の前に装具が現れた!なんと

近未来スケルトンタイプ!

斬新なフォルム!


人造人間キカイダー。


さすが33000円投資した甲斐があったぁー。

つけてみると、ピッタリフィット。プラスティック製なので、多少やわらかいが手首はきっちりガードされ、負荷のかかる手首の動作は、制限されていた。
義肢屋のおやじ!ちゃんと仕事してるじゃあーりませんかぁ?汗取りの布を腕に巻き、スケルトンギブスを腕に装着してみると、まさにピッタリフィット!

かっこいい!(一人でうっとり)

スケルトンのギブスに
LEDライトと多少の機械が入ってれば、もっとかっこいいのにぃ。とアホな想像を勝手にしていた。

当然、
グレネード弾やカッターも出ればもっとかっこいいのにぃと想像していたのも、言うまでも無い。


その後湧き上がる不気味な笑み
ふっふっふ!ふぁーふぁーふぁ!(本日もしかして復活の兆し!いける!)

ギブスをして診察室へGO!

先生「どーですかぁ?」

ふなき「いいーんじゃないですかぁ!」


相変わらずしまらない会話である。しかし、今回は完全復活のかかった大事な診察である。言動に注意しながら会話を続ける。
先生「手首に負荷のかかる動作をするときは、そのギブスをつけておいてください。」

ふなき「先生、これつけてバレーボールとかやっていいですか?」

先生「んーー。どうしますかねぇ。まぁ、(ギブス付けて)あんまり無理しない程度に動かしてください。」

その一言を待っていたーーーーー!(国連安保理のお墨付をもらったアメリカの気分)
いくぞーーー。早速、近未来スケルトンギブスを装着して、娘のバレーボールクラブの練習へ
父兄のみなさま「あれ?どーしたん?それ!」

ふなき
「かっこいいーーーべ?」

自慢してどうする?すっかりスケルトンギブスでなりあがっていた。では、早速、運動、運動!

恐る恐る、アンダーハンドパス。

お!お!
いけるんでないかい?多少バランス悪いが、相手にボールが届く。

恐る恐る、オーバーハンドパス。
手首が固定されているため、多少不自由。でも、
いけるんでないかい?

動ける!ボールをいじれる!あとは、スパイスじゃ。よーし!そのままインディアカの練習へ!

インディアカのメンバー「あまり無理しないでね!」とみんなが言う。

ふなき「おーけー!」と返事をしたが、
ほとんど無視!恐る恐るスパイク!

パシ!お!打てるなぁ。更にバシ!打てる打てる。思いっきりバシ!バシ!バシ!アタックができるぅーーー。

やったぁーーー!スポーツ解禁!そしてラオウ伝説復活。

思えば、冬の車の雪かきからなんと半年も経っていた。長かった。まじで、長かった。感動に浸りながら、インディアカに興じる。


翌々日、筋肉痛で自滅!全身がなまっていた....。


2003年9月
日に日に手にかけていく負荷は重くなっていた。負荷といっても別に重いものを持つわけでなく、手の可動範囲を除々に広げていった。バレーボールやインディアカの練習で。

思いっきりスパイクとか、思いっきりレシーブとか。

だましだましやってても基本的にボールがくると、瞬間的に体が反応してしまう元ハンドボールGKの職業病のために、結局はだますとこができなく、いつの間にか
最大限のプレーをしていた。



最大限のプレー?

ということは



完治!!


いつのまにか完治!!



知らぬうちに温泉に入って、重い風呂桶をもってもぜんぜん平気になっていた。

小学生バレーの選手を持ち上げてもぜんぜん平気になっていた。(かみさんを持ち上げるのは平気ではないかも知れない...)

長かった。本当に長かったこのTFCCいんじゃりー。約半年は手の自由がきかなかった。
今、完治した手を見るとあのときの痛みがうそのようである。

最終的にオペをしないで、静養による保存的治療を進めてくれた病院の先生のシナリオどうりになった。

先生えらい!今度一杯おごるよぉ(←しかし、先生は別の病院に移動してしまった...
                      ふなきさんのTFCCを治した名医はいずこへ)

それでは総括。TFCCいんじゃりー対策

1.いつまでも
自分は若いと思わないこと。

2.いつまでも
昔のプレーができると過信しないこと。

3.
雪かきには気をつけること。

4.痛かったらとにかく
休むこと。

5.設備がしっかりした病院の整形外科にいくこと。




2003年1月からのTFCCとの闘いは、ふなきさんの卍固めで遺恨試合に終止符を打った。




いくぞー!
1、2,3 ダー!







そして2004年1月、あの持病が目を覚ました...


ふなきさんの死闘はまだまだ続く。

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