死闘3 リターンマッチ!頚椎ヘルニアとの闘い!
2003年12月
群馬県もこの時期になると寒くなってくるものである。県民の人口に対する車の保有率日本一の群馬県に至っては、多分ほとんどの人が車で通勤。道路はあちこちで渋滞。
群馬なのに渋滞...
さて、雪国秋田うまれのふなきさんは?通勤距離がそんなにないこともあり
原ちゃり
春夏秋冬原ちゃり。燃費もいいし、渋滞もなんのその、時速50kmで走行してネズミ捕りの前を通過してもおとがめなし(←本当です。私は自ら体験した!)便利な移動ツールである。
そんなもんで、冬の寒い日でも元気に原ちゃりで通勤。
さすがに寒いと首元が寒くなるものである。当然、首を縮めて運転するカメ状態になる。首が極度の緊張状態を続ける。
本人は気にもしないで会社を目指す。
思えば、闘いはここから始まっていた...
年の瀬も迫ってきたある夜、寝るときに妙に枕の位置が気になりはじめた。
(もっとも寝像はもっと悪いが...寝像に関しては本人は全然気にならない!)
ちょっと左側に顔を向けないと楽に寝れない感じがしてきた。最初は別に気にならなかったが、妙に毎日同じ角度に顔を向けないと楽に寝れない自分が、妙に気になりはじめた。
そのうち首に違和感が出てきた。コキ!と音も出るときもでてきた。妙に肩が重苦しく感じ始めてきた。これはもしかして
水子霊!
と思ってはみたが、そんな記憶は全くないので(本当です!)とりあえず気にしないで年を越すことにした。
2004年1月 前橋初市
市内でだるまをうりまくる群馬のイベント。家族をつれて込み合う街中へ。混雑の中、子供の手を引いて歩くのもかったるくなってきた。ふなきさんはここで調子こいて子供を肩車をする。
ぐき!
首が多少鈍い音がした。
闘いのゴングは鳴った!
翌日から
でろーーーーーーん...
肩が重い。でろーーーんと重い。
2年前、私と闘ったあの症状が完全に目を覚ました。
2004年1月23日
その症状とは
頚椎ヘルニア
首のヘルニアである。普通の人は腰のヘルニアになるのだが、私の場合は大学時代、過酷なウェートトレーニングをしたおかげで腰は大丈夫!しかし、首は当時鍛えていなかったー!
頚椎ヘルニアはほうっておくと手足がしびれてとんでもない状態になってしまう。わたしの場合はしびれはなかったが肩の重さだけは顕著であった。
当然、仕事なんか手につかない。
仕事ができない。
実はしたくない!
とりあえずフレックスで早退して(やったーー!)即医者。医者好きのふなきさんは、速攻で某病院へ!実はそこは、前々回「死闘1、マレッドフィンガーとの闘い」を繰り広げた病院。
もう、2度とその敷居をくぐらんと思っていたのだが...いとも簡単に、また来ようとは。
受付で保険証を出す。
ふなきさん「よろしくおねがいしまーす!」
受付「はーい!」
駄目もとで前回の診察券もだしてみる。
ふなきさん「これ、前回のですが使えますかぁ?」
受付「えーと、使えませんねー。」
玉砕。備え付けの初心者用の問診アンケートに記載して提出し、待合室で待つ。
看護婦「ふなきさんどーぞ!」
ふなきさん「ほーーい」
私は診察室のほうへと歩いていった。近ずいてくる私の顔を見ると看護婦は、何かを思い出したみたいで
看護婦「あれ?ふなきさんって...前デジカメで撮ってたあの?」
ふなきさん「そーそーそー!」
なんと私は、前回のマレッドフィンガーのオペのときに、オペ台に寝っころがって自分の指をパシャパシャとデジカメで撮っていたアホ患者として知られていたのだぁー。
ちょっぴりかなしい。
診察室に入る。そこには、マレッドフィンガーを治療してくれた先生がリストラにも会わず、元気そうに座っていた。
ふなきさん「どもーー!お久しぶりッス!」
なんという緊迫感のない挨拶であろう。
ふなきさん「覚えてますかぁ?」
先生「んーーーと、あのマレッドだったっけ?」
ふなきさん「そーそー!これこれ!」
と今でも多少曲がっている左小指を見せた。
先生「あーーん。ちょっと曲がりがのこっちゃったね。70点の出来かな?」
100点にしろーーー!
ふなきさんと先生は、こうして久しぶりの再会を喜んだ!(喜ぶかぁーー!)
2004年1月23日 (続き)
先生「で、どうした?」
ふなきさん「えーー首がでろーーんと重いです。2年前の頚椎ヘルニアをやっと時と同じ感じです。」
先生「しびれはない?」
ふなきさん「おーけーッス!」
酒を飲みすぎたら、脳みそがしびれる!と言おうと思ったがマジで止めた。
先生「じゃ、とりあえずレントゲンとろうか?」
なにはともあれレントゲン室へ。寒い中上半身裸になり、レントゲン技師と問答。どこの病院でもレントゲン技師というのは無味乾燥なものである。患者のことはどーであれ、写真を撮るんだぁー!の冷血カメラマン。
技師「はぁーーーい。じゃこっちに座ってくださーい!体をピタッとつけてくださーーい。」
冷てぇーーーっつーーの!
レントゲンフィルムが立てられている台に体をピタッとくっつけると、誰でも冷たいワな。そんなことは気にせず技師は写真を取りまくる。
技師「はぁーーーい!じゃ撮りまーーす。動かないでくださーーい。...ハイ終わりましたー。じゃあ、診察室に戻ってくださーーーい。」
診察室に入り先生が出来上がったレントゲン写真を見る。首の骨を順番に数えていき
先生「んーー、4番、5番だね。」
ボウリングじゃねーーー!
先生「こことここの骨の間が狭いね。あと、若干曲がっているから。」
頚椎ヘルニアの前兆です。これがひどくなると手足にしびれがくる。私のはまだその段階までにはいたってはいない。
先生「仕事は何してるの?」
ふなきさん「会社員です。設計の仕事です。」
先生「デスクワークかなんか?」
ふなきさん「一日中PCを見てますよぉ。」
先生「肩が毎日緊張している状態だね。」
ふなきさん「はぁ...」
仕事ではあまり緊張していない。しかし、ウチでは常にかみさんに監視されているので緊張しているとは言えなかった...。
先生「...じゃ、リハビリしましょう。ストレッチャーとマッサージ。」
ストレッチャーというのは首にヒモをつけて、マシーンで上に引っ張る。つまり
首吊りマシーン
前回の頚椎ヘルニアのときもお世話になったこの殺人マシーン。まだ、現役でがんばっていたのであった。
先生「じゃあ10kgで」
これは首吊りマシーンの引っ張る力のことである。ちなみに前回の経験上10kgという引っ張り強度は私の強靭な肉体にとってはびくともしない、軽い負荷であった。
ふなきさん「先生、(10kgでは)たぶん全然効かないと思います。」
先生「まあ、最初だから10kでいこう。」
あえなく却下。前回の最高は16kg。これを今回は越えるべく虎視眈々と狙うふなきさんであった。
しぶしぶ奥のリハビリ室へ。
2004年1月23日 (続き)
リハビリ室での治療は試練の3番勝負!
勝負一 レーザー治療!!
勝負二 ストレッチャー!
勝負三 マッサージ!
これを延々完治するまで繰り返すのだぁー。まさに
虎の穴!
(タイガーマスク参照)
リハビリ室の長椅子に座っていると、看護婦さんが暇そうな私に気がついて
看護婦「レーザー?」
ふなきさん「…らしいです。」
看護婦「じゃこっちきて。」
ついにレーザー光線による近代未来戦争がはじまるぅーー!
看護婦に呼ばれたままレーザー治療装置がある小部屋に入る。中には、乾燥機くらいのレーザー照射マシーンが、今か今かと私がスタンバイするのを待っていた。シャツを首筋まで下ろしてまっていると、看護婦はその手にレーザー装置につながっている金属棒みたいなものを持ってその先端を私の首筋にくっつけた。
看護婦「発射!」 (←実際はこんなこと言いません)
ピーピーピー
ぐあ゛ぁーー! レ、レーザーがあぁぁぁー...
...ちっとも痛くない。
ピーピーピー
の電子音だけがむなしく響く。
なんなんだぁーー!このレーザーは?
首筋にくっつけられてる金属が若干暖かくなってきた。しかし、ちっとも近未来戦争という感じがしない。
あっけにとられた私は看護婦に質問した。
ふなきさん「あのーこれってレーザーでてるんですよねー?」
看護婦「でてるみたいンねー!(←群馬弁)」
ふなきさん「何レーザー使ってるんですか?」
看護婦「はっはっは。私はそんなのわかんないサねぇー!(←またまた群馬弁)」
お前ちゃんと治療しとんのかぁーー!
自分でも知らんレーザ―を照射すんなぁーーー!
約3分くらいの意味不明のピーピーピー攻撃が続いた後、次の対戦相手、ストレッチャーのあるほうへ歩いていく。そこには、多少無口なマッサージ師が立って私がくるのを待っていた。リハビリ室には合計6人くらいのマッサージ師が勤務しており、多少無口なマッサージ師はその軍団の中の一人。仮にマッサージ師零号機と命名しておこう。
零号機「...ストレッチャー?...」
ふなきさん「は、はい」
零号機「...じゃ、こっち座って...」
言葉すくなに私をコントロールする零号機。零号機は無言で淡々と私の首にストレッチャーをセットした。
零号機「...10kg?...」
ふなきさん「はい」
零号機「.....」
無言で淡々とやられると、10kgの軽い負荷のストレッチャーでも多少不気味に思えてくる。
「.....」。何も言わないで零号機はストレッチャーを作動させた。おいおい。「いきまーす」くらい言ってほしいものだ。
わたしのアゴにかかった皮のロープが上に上がり、わたしの首を上へと持ち上げる。しかし、10kgではぜんぜん上に引っ張られた感じがせず、そのまま約10分が過ぎた。
零号機「...マッサージ?...」
ふなきさん「そーですね。」
零号機「...じゃ、こっち...」
わたしは最後の対戦地、マッサージ軍団が仕事をしている場所へ移動し、椅子に腰掛けた。零号機はわたしの後ろに回り肩、首筋を念入りにマッサージし始めた。
横には別のマッサージ師たちが患者さんと楽しそうに会話をしながら、マッサージをしていた。
しかし、ふなきさんチームは
零号機「...んーー...ん!...んー...」
妙に力が入るときに「ん」の声と意気使いがわたしに聞こえるだけで
ふなきさん「......」
ちっとも会話なんかしてなかった。できる雰囲気ではなかった。
なんでウチラだけ無言なんだぁーー!
無言時間約10分
零号機「...シップは?...」
ふなきさん「お願いします」
零号機はわたしの首筋にシップを張った。
零号機「...はい...」
ふなきさん「ありがとうございます」
きっとマッサージ師零号機は、テレパシーで会話をする人に違いない。
こうして、頚椎ヘルニア撃退への戦いは切っておとされた。
2004年2月上旬
月がかわって2月上旬。今日を含めて3回目のリハビリ。受付に診察証を提出。
受付「ふなきさぁーーん」
ふなきさん「はーい!」
よーし!今日も元気にリハビリするぞー!
受付「今日診察券もってますかぁー?」
ふなきさん「あ゛...」
そっかー。月がかわったんだから診察券もってこなきゃならなかったんだ。
受付「次回持ってきてください」
ふなきさん「ほーーい!」
といって、絶対次回も忘れるーーー。
受付も終わって診察室へ。
先生「どーーーですか?」
ふなきさん「いやーー。まだヘンですねー」
全然緊張感のない回答である。
ふなきさん「先生!(ストレッチャー)もっと強くしてもらいたいんですけど...。この前やったら全然きかなかったんですよ」
先生「そう?じゃ...15キロ」
でたーーー。10キロから15キロへ赤丸急上昇!前回は10キロ→12キロ→14キロ→16キロ
と段階的にUPしていったが、今回はいきなり5キロの増加。
さすが先生。わたしがいかに頑丈な野郎であるか?ということが、すでにわかっている。
リハビリ室へ。効いているか効いていないかよくわからないレーザー治療を受けてから、ストレッチャーへ。今回は15キロ。さすがに15キロにもなると、首にもいい感じで負荷がかかってくる。
マシンが動き、首を吊り上げる。ううううーーーーーー...うッ!
これで直る!ってな感じのの引っ張り具合である。ストレッチャーは2台あって、今回は目の前に鏡がある
ストレッチャーに座った。ということは引っ張りあげられるてめーの顔が、鏡で見れてしまう。
引っ張られるたびのマヌケずら
オレはこんな顔をして治療を行けていたのかーー?
情けない。
ストレッチャーを終わってマッサージへ。
本日のマッサージ担当は、体格がよくてワイルドな感じがするマッサージ師、仮に初号機(←ほとんど
エヴァンゲリオン)といっておこう。
初号機「ひさしぶりですね」
ふなきさん「そーだいね!(←群馬弁)覚えてる?」
初号機「覚えてますよ。」
ふなきさん「再発した!多分、寒いのに首縮めてバイクにのって通勤してるからそれだと思う。」
初号機「仕事は何しているんでしたっけ?」
ふなきさん「ほとんど一日中PCの前に座って、仕事してますよ。」
初号機「じゃ、一日中肩が緊張しっぱなしですねー。少しでもいいから、肩を動かしたりして緊張を取る
ようなことをしないとだめですねー」
(中略)
初号機「ふなきさんは群馬でしたっけ?」
ふなきさん「おれ生まれは秋田なんさねー。」
初号機「全然なまってないですよねー」
ふなきさん「まぁ、高校卒業してからずーっと関東にいるからねー。今は群馬弁もうまくなったよー。
そーだんべー!とかそーだいねー!とか?」
初号機「結構、群馬の人って自分がなまっていることを知らないんですよねー。東京に行って堂々と群馬弁しゃべってたら、なんか違和感があってようやく自分がなまっていることに気が付くことがあるんですよー。」
ふなきさん「へぇー!」
くだらない話をしながら、約10分間のマッサージ終了!リハビリなのか?くだらない会話をしに来たのか?よく分からなくなって来た自分であったが、首は相変わらずでろーんとしていた。
2004年2月中旬
リハビリは相変わらす続けていた。ここで、何ゆえ今回頚椎ヘルニアが再発したのか?よーーーく考えてみた。
首がでろーーん状態になったのは冬。冬は寒い。寒ければ、首をカメのように引っ込める。引っ込める時はいつか?
通勤のとき。つまり
原ちゃりで会社にいくとき!
かみさんのラリアートをかわす時に首は引っ込めるが、それは極めてまれである。(←そんなのはない!)
通勤以外考えられない。そりゃそうだ!メットと服の間の首は無防備なので当然首を引っ込めて、寒さを防御!極度の緊張。
ヘルニアになって当然!
難解な原因は、ついに解明された。
(実はすぐわかる)
では対応策。
マフラー!
しかも、手編みの。男子たるもの、やはり手編みのマフラーにはやはりこだわりがあるものである。私は自慢ではないが、手編みのマフラーをもらったのは、約2年前にかみさんからようやくもらったのが、最後である。
しかもそのマフラーは、子供にいじられたらしく、ボロボロにほつれてしまっていた。
ということで小学生の娘に命令する。
ふなきさん「おい!今度マフラー作ってくれ!」
娘「えーー?やーだ!」
なんだー?てめー。実はまともにマフラーなんか作れないくせにー!(←だったらたのむな!)
まあ、ガキにたのむほうが間違ってたか?では本命のかみさんにたのもー!
ふなきさん「おい。今度マフラー作ってくれ。」
かみさん「そのうちね。」
かみさんの”そのうちね”は、絶対そのうちではない!
そのでかい(重い)ケツをあげるのには約1ヶ月はかかる。あーあ、おれのマフラー計画がァ...。
数日後、珍しくかみさんがでかい(重い)ケツをあげた。でてきたのはネッグウォーマー。
マフラーではないが、十分に首があったまる代物。無いよりはマシ。
とりあえず、こいつを装着して通勤。
あったかい!
快適通勤。やはり、朝の通勤の寒さによる首への緊張が原因であった公算が大きいことを実感した。
ネッグウォーマーをつけて、のほほんとした通勤が続いた。
数日後、のほほんとしすぎて車と衝突!バイクは大破。オレは不死身。
翌日から運動量豊富な、ネックウォーマー不要の自転車通勤。
日の目を見なくなったネックウォーマーは、脱衣所の片隅にほうりなげられたままである。
2004年4月中旬
桜まいちる群馬の春。ようやく暖かくなってきて、ちゃりんこ通勤も軌道にのってきた。
知らず知らずに首のでろーーーん状態は、いつのまにか気にならないようになっていた。
やはり冬の寒さによる、首への極度の緊張が頚椎ヘルニアを再発させたのであろう。
病院への通院もいつのまにか御無沙汰状態となっていた。しかし、今日は有給休暇もとったことだし、暇だから病院に行ってみるか!(←長島茂男的に、直感で行動してはいけない)
診察室へ
ふなきさん「どーもー!」
先生「どーだい?調子は?」
ふなきさん「いいーース!」
先生「しびれとかは無い?」
ふなきさん「ありませーーん!」
先生「じゃ、今日はマッサージして終わりにするか?」
ふなきさん「もう、じゃ来なくていいんですかねー?」
先生「うん。いいよ。」
ガッツポーズ。
看護婦笑う。
いつもながらの軽い会話であったがようやく開放されるときがきた。
15kgのストレッチャーでのマヌケ面も見収め。しっかりマヌケ面を観測しておこう。
では次は、元気にマッサージしてもらおう!今日の担当は初号機。
ふなきさん「サクラももう散ってきたねー」
初号機「そうですねー!」
ふなきさん「宮城の千本桜は見ごろかねー?」
初号機「どーですかねー?オレいったことないですから。」
(いつもながらのくだらない会話で10分経過)
ふなきさん「じゃ、どーもありがとう!もう、来ないからね!」
その時、横に居た女性のマッサージ師、弐号機がしゃべった。
弐号機「でも、いつも(Wカップとかの)サッカーの頃はここにきますよね?」
そっか!今年はオリンピックの年。でも、今年はもう
ふなきさん「こないよ!」
こうして、お世話になったマッサージ師たちに別れをつげ、もう2度と来るまいこの病院を後にした。
頚椎ヘルニアとのリターンマッチは、ふなきさんのジャーマンスープレックスホールドで遺恨試合に終止符を打った。
いくぞー!
1、2,3 ダー!
...しかし、この時私の左足はとんでもないことになっていた。
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