死闘4 オリンピックイヤーの悪夢!左膝内側々副靭帯損傷との闘い!
2004年 4月4日(日)
やっちゃった!
子供が所属するバレーボールチームに付き合って、ジャンプした後の左足1本での着地をしたときであった。明らかに左膝内部からの何ともいえないジーンとした痛み!
この痛みは4年前シドニーオリンピックの年、インディアカで右膝後十字靭帯(PCL)を断絶したときに似た痛みであった...。
そしてアテネオリンピックの今年。4年前と同じような痛みが左膝に走った!
一抹の不安がよぎったが、そのままの状態で夕方まで練習につきあった。これで、明日まで痛みが減らなかったらもしかして...
2004年 4月5日(月)
痛い...
このコーナーを続けてくれ!
と言わんばかりに左膝からの痛みがちっとも減らない。左膝は明らかに腫れている。朝、ふとんから置き上がろうにも、左足でふんばりが効かなく立ち上がれない。
うわぁー。起きれないぃー!と寝ているかみさんの上にボディプレスをしようと思ったが止めた。
しかし、
ヤバイ、本当にヤバイ痛み
今年こそは入院も無く静かな1年を過ごそうと思ったのに...疫病神は、今年私が前厄であることを忘れてはいなかったらしい。
あー、お金ケチらないで佐野厄除け大師に行っとけば...
佐野には行ったが、ラーメン食っただけ。その記憶がかすかに蘇っていた。
痛いものは痛いんで、今日の所はとりあえずビッコして歩こう!
4年前の後十字靭帯を切った時の経験上、病院のたらい回しを避けるべく、このときお世話になった群馬県では有名なスポーツ整形外科を有するZ病院にいくことに即決。
この日は定時退社して、Z病院に行って予約手続きをした。
痛みは左膝の内側。足の角度(あぐらをかくような角度)によっては、激痛が走る。明らかに4年前より痛い!
階段を上がる動作が痛い!
今回の敵は手ごわい。
肉体格闘家 ふなきさんは強大な今回の敵に武者ぶるいしていた…
2004年 4月6日(火)
有給休暇を取り、朝一番でZ病院のスポーツ整形外科へ。前日予約をしていたので3番目にコールされる。
担当医はDoctor A。前回私が後十字靭帯を切ったときにオペってくれた先生である。ちなみにこの病院のスポーツ整形外科には、有名なDoctor K(←野茂のことではない)がおりますが、私はあえてDoctor
Kをはずした。単純に人気が高いので、待ち時間が長くなるのがいやだったからである。
1時間待ちのスペースマウンテンには絶対のらない
私の短気な性格から言って、人気のDoctor Kをはずすのは当然の作戦であった。
Doctor Aの診察室へ入る。
A 「こんにちは!(カルテを見て)ふなきさんは以前ここにきたことがありますよね?」
ふなきさん 「はい。後十字靭帯を切ったときにきました。」
(中略)
A 「なるほど、今回は違うところですね。では、こっちに仰向けに寝てください。」
Doctor Aは仰向けになった私の左膝を押したり、ひいたりして検査した。この方法は明らかに後十字靭帯を確認する方法(4年前に経験済み)。
次に左足を、あぐらをかくような角度に曲げる
「おわぁーーーー!!!!」
激痛が走る!明らかに前回とは違う部位に痛みが走る。
A 「はい、いいですよ。内側の靭帯が損傷している可能性がありますね。まずは、レントゲンをとってみましょう。(看護師に)ニーブレスして!」
何?ニーブレスって?もしや
膝を使ったプロレス技!
と思ったら、看護師さんが左足全体を固定するでっかいサポーターを持ってきた。
ニーブレス装備!
うーーーー足が固定されたぁー。まさに
大リーグボール養成ギブス。
しかし、足につけられたから
大リーグボール養成ギブス右投手用。
膝は全然曲げることはできなくなったが、曲げることによる痛みはなくなった(当たり前)。ぎこちなく歩きながらレントゲン室へ。待ちもなくレントゲン室へ。
レントゲン室にはレントゲン技師さんと、あきらかに新人らしい奴が2人いた。そーいえば今は4月。新卒者が元気に仕事をしていても不思議ではない。
レントゲン技師 「ふなきさん、じゃこっちに立ってもらえますか?」
レントゲン技師はカメラのセットをしはじめた。そして、新人に手取り足取り
レントゲン技師 「膝の場合はこう。この角度になるように、こうセットする。」
とかなんとか説明していた。つまり私は
人間標本!
朝っぱらから、レントゲン技師と新人の格好の獲物にされてしまった。参考に正常な右足も撮られて合計6枚くらいの撮影であったろうか?
レントゲン撮影はスムーズに終了した。
しかし、4年前の経験上、レントゲン如きでは靭帯の損傷はわからないことを私は知っていた。レントゲンは単に骨のチェックのみなのである。
現像したレントゲン写真を持って Doctor Aの診察室へ。そこで、撮ったばかりのレントゲン写真を見てみる。
そこには、毎朝納豆メシと夜のビールで成長した、ぶっ太い骨が写っていた。
A 「骨は大丈夫そうですね!」
当たり前じゃー!
言わずと知れたこと!高額なレントゲン撮影代が無駄になった...。
(続き)
A 「じゃ、MRIで検査してみましょう。いつ予約しますか?」
ふなきさん 「めんどくさいんで、今日できませんかねー?」
A 「んーー、午前中は一杯だから13:30なら大丈夫ですけど…」
ふなき 「それにしましょう!」
本日は午前半休の予定で午後は会社に出る予定だったが、これで心おきなく
全日有給休暇となる。
午後に仕事の予定が何があったか、ちっともチェックをしなかった。MRIの検査まではまだ1時間半もある。ここは一時院外に待避。迎えにきたかみさんとラーメン食ってから、また13:30にまた病院にくる。
MRI検査室に直行。
検査技師 「ふなきさんですねー。こちらのほうで財布、携帯等の金属類をはずしてくださーい。」
靴をスリッパに履き替えて、何も高価な物などないのだが財布、携帯、カギ、めがねを取り外す。MRIの診察台に横たわる。検査技師が来て、テープで足を固定する。固定されると、MRI検査装置の内部へと診察台がスライドする。まるで
ドカンの中で寝っころがって天井を見た感じ。
検査技師「はーい。じゃスタートします。約20分くらいで終了しまーす。」
ビッビッビッビッ
ガガガガガガー
バッバッバッバッバッ
市街戦だぁーーー
寝ようと思ったが、うるさくて眠れやしない。そうしているうちに約20分経過。本日の検査終了!
静寂!
世界に平和が訪れた。
これで検査料金も安ければもっと平和なのに...。
検査前に取りはずした財布他を身に付けて受付へ。
受付 「ふなきさーーん!えー本日7○○○円になります。」
あ゛ーーーーあ、高!でもしゃーないか?
財布を取るために下をむいたら、下半身になんとなく違和感を感じた。
あーーMRI室のスリッパをはいたまま受付に来ちまったぁー!
受付の前に座っている皆さんの目の前をコソコソ隠れるようにMRI室へ戻って靴に履き替える。こうして波乱の一日は終わった。そして、私はニーブレスを付けて車を運転して家へ帰った。
(後日談)
ニーブレスをしたまま車の運転をすると、道路交通法に違反するみたいです。
おー やべ!
2004年 4月7日(水)
朝。出勤である。ニーブレスをしての初出勤。当然移動手段は当然
かみさんタクシー
日頃は自転車通勤であるが、自家用車の中でTBSラジオを聞きながら通勤するのは、楽なもんである。
しかし、会社の正門を降りると周囲の目がニーブレスをつけて歩く身体のでかい男に集中しているのがよく分かった。
ニーブレスで歩くと会社が、いかにバリアフリーで無いかが良く分かる。取りずらく、下足入れ。入り口のデカイ段差。
それでも何とかエレベータがあったので3Fの事務所には、不自由なく行く事ができた。事務所では皆さん私の足を見て気にはなっている模様。しかし、だれ一人として私に言葉をかけてくる者はいなかった。
私のニーブレス姿を見て庶民はおじけずいたのだぁー!
勝った!
多少、優越感に浸る。そのうち声をかけてくる若い奴らがでてきた。
ニタニタ笑いながら質問してくる。
質問はだいたい以下の二つに分類することができた。
「ふなきさん、今度は何やったんですか?」
ってヤツと、あとは
「ふなきさん、誰と闘ったんですか?」
というヤツ。
どーして誰も、「大丈夫ですかぁー?」と言ってくれないんだぁー!
ふなきさんに大丈夫?と声をかけても意味が無いことを庶民は知っていたのだった。
悲しい...
2004年 4月8日(木)
今日はMRI検査結果のでる日。午前半休をとってZSK病院へ。前回予約を入れてたので1番手でコールされる。Doctor Aと質疑
Doctor A「この前のMRIの結果ですけど、内側の側副靭帯(MCL)がのびてますね。」
MRI画像を見ると確かにMCLの部分が白くくっきりと浮かび上がっているではないかぁ。
「はっきり白く丈夫そうに見えるんだからいいんじゃねーかぁ?」
と思ったが、この状態が損傷状態らしい。
A 「前回のPCL(後十字靭帯)と同様、損傷の程度の確認と、半月板損傷の場合の修正のため、関節鏡による検査手術をする方向にしたいのですが、いかがいたしますかね?」
心の中は決まっていた。
「お願いします。」
A 「大体手術後は3〜4週間程度のギブス固定とリハビリがあると思いますので、今回は約1ヶ月程度の入院となります」
がーん!PCLの時は1週間程度の入院だったのに、今回は1ヶ月の入院。
あーー仕事がぁ、入院費が、バレーの試合がぁ、スカパーがぁ...いろいろ頭の中をよぎったが入院の意思はかわらなかった。
A「(予定表を見ながら)じゃ入院は来週の13日で、手術は翌14日ということでいいですか?」
「いいでーーーす!」
復活へのロードマップは決まった。看護師から入院の手続きの説明を聞いて、今日のところは終了。
A 「あ、松葉杖使ってくださいね。」
左足の保護の為、ニーブレスして更に松葉杖を使う羽目に。受付にいく。
受付 「ふなきさーーん、松葉杖使用料が5000円になります。」
なんでそんなに高いんじゃー?
受付 「返却時に5000円は戻ってきますから。」
つまりラムネのビンシステムであった。清算を済ませてから会社へ。松葉杖で事務所に侵入。周囲の視線がさらに集中。若い奴が
「ふなきさん、どんどんすごくなってきますね?」
「うるさい!ドドドド!」
といって松葉杖をコブラ風にマシンガンに見立てて打ちまくる。
撃破
この日一日中、ドドドドドとか、ズドーーンとか言って松葉杖で遊んでいた。
2004年 4月9日(金)
ニーブレス、松葉杖と重装備になってしまったので、通勤は当然かみさん運転の自家用車で送り迎え。
ウチに帰ってくると、ウチのマンションの奥さん連中がわたしを発見!
「あれ?子供じゃなかった?おとーちゃんも?」
この言葉の意味するものは...。
時は1ケ月前の3月にさかのぼる。下の娘(6歳)を連れて、太田の群馬こどもの国へ。日曜日ということもあり、遊びまくる子供がうじゃうじゃ!
遊具が混んでようが子供には関係なかった。あっち行ったり、こっち行ったり。監視する方もだんだん疲れてくるが、子供はノンストップで遊びまくる。一番気にいったのは冒険の砦(たしか)と呼ばれる所。
迷路のような木製の砦をどんどん登っていって、ながーーーい滑り台から降りてくる。
「よし行ってこい!」
娘、喜んで滑っておりてくる。
「もう1回行ってこい!」
娘、喜んで滑っておりてくる。
「よし、もう1回」
娘、喜んで滑っておりてくる。
......二桁以上繰り返す。
「もうやめるか?」
「やだ!」
娘、喜んで滑っておりてくる。
「疲れたろ?」
「大丈夫!」
娘、喜んで滑っておりてくる。
「もう帰ろ?」
「やだ!」
娘、喜んで滑っておりてくる。
負けたぁーーー!
つまらんことには無関心、しかし一旦集中するととことん熱中する典型的B型の娘。
B型のわたしと妙に血のつながりを感じた。
「もう行くか?」
「やだ!ちょっと水のみたい。」
娘は冒険の砦から歩いてきた。このとき、娘は何十回と滑った滑り台で結構つかれていた。そして、歩いてきたところは下り坂になっていた。
一瞬に気の緩み。
ぐきっ!
娘に右足首は、ハイヒールねーちゃんがよくやるグキっ状態と同様になった。
いきなり泣き出した。この娘が、えへらえへらしないでいきなり泣き出すのはよほどのことである。
数日後、医師の診断が下った。
右足首靭帯損傷!
この時期、
親子で靭帯を切っていたのだぁーーー。
なんというアホ親子。
妙に血のつながりを感じる。
それも濃いーーーーーB型の!B型は痛みを伴う血液型かもしれません。
2004年 4月13日(火)
入院の日。とうとうその日がきてしまった。今日から長期の有給休暇が始まる。今年一年の有給休暇が足りるかどうかは、この時点で頭の中にちっとも入っていなかった。多分たりるだろう!くらいしか思ってなかった。
AM 9:30
ZSK病院の受付へかみさんと共にいく。即、看護師がやってきて3Fの313号室へ案内される。6人部屋のうち、入院していたのは2人のみではあるが、刑務所に新入りとして入っていく気持ちには変わらなかった。
ベットは窓際の一番奥。窓から埼玉と群馬をつなぐ大動脈、いわゆる上武道路がよく見えた。周りは畑。東側には大きい牛舎。窓をあけると当然
牛くさい!
窓際のベットは窓を開けて新鮮な空気が吸えるメリットがあるが、風向きによる牛の臭いと常に格闘しなけらばならないデメリットがあった。
家から持ってきた洗面具、タオル、着替え等をバックから取り出し、所定の場所に置く。かみさんはなんとお菓子まで準備してきてくれていた。さっすが!
といっていきなりチョコレートを食い始める。ペットボトルのお茶を飲み始める。ほとんどピクニック気分。
んーーーー、ひまだ。
「おぅ、テレビカード買ってこい!」
早速かみさんをパシリにして、テレビカードを購入。1000円で800分。セコイ儲け方だ。
どうせなら
有料番組見せてくれー!
早速、日頃は見ないワイドショーをベットに寝っころがって見始める。そうしているうちに看護師さんが登場。ちなみに今は看護婦さんとは言わないで看護師さんと呼ぶらしい。男の人もいるから。
看護師さんは、これからのスケジュールを説明してくれた。今日は、問診、足毛剃り、風呂、断食、下剤を飲む、のスケジュール。そして明日のオペは朝9時のトップバッターであることが判明した。
やったー。イチィロゥースズッキー!
うっしゃー!やったるで!妙に気合が入ってきた。よし、それまではとりあえず
お菓子を食べておこう!
ベットに寝っころがってボリボリ!
AM10:00
突然のナースコール
「ふなきさーーん、麻酔科の方で問診がありますので、1Fの麻酔科へ来てくださーい。」
せっかくいい気分で、お菓子を食っているときに、くそーーー!
松葉杖でえっちらおっちら歩きながら、1Fの麻酔科の診察室へ。先生は前回のPCLのオペの時と同じ先生であった。
麻酔先生 「こんにちは。ふなきさんですねー。今回麻酔をするにあたっての諸注意をしたいと
思います。麻酔には全身麻酔と部分麻酔というのがありまして...(クドクド)」
おかしい。
前回は問答無用で全身麻酔だったのに、今回は全身麻酔と部分麻酔とが選択できるみたいだ。
密室で何やられるかわからないのを不安に思う患者のために、選択肢を増やしたのであろう。この時点で、オペ中の雰囲気が把握できる部分麻酔をチョイスする気運が、ふなきさんの中でメラメラの燃え始めていた。これは是非、デジカメでオペ風景を撮りまくるしかない!
ひそかにオペ室内の状況をデジカメ使ってレポートする壮大な計画が急浮上し始めた。先生の説明は
続く。
麻酔先生 「全身麻酔は、寝ている間に手術を終了するので、精神的な不安がありません。但し、のどから麻酔を吸入するので術後どうしてものどが荒れます。部分麻酔のメリットは、意識があるので術中に先生の説明を聞きながら進めることができます。但し、下半身に麻酔をかけるため排尿をすることができません。そのため、術中、述後、クダをいれることになります。
そのクダをとるのが痛いです! ...(クドクド)」
クダは痛いらしい!
はっきり言われてしまった。って、ことはやはり痛い。うううー
麻酔先生 「(クドクド)...これで全身麻酔と部分麻酔の説明を終わりますが、これを踏まえてふなきさんはどちらを選択しますか?」
「...全身麻酔...」
負けた。根性なし!クダの説明に負けた。
尿道へのピンポイント攻撃に非常に弱いふなきさんであった。
こうして麻酔方針が決定された。
(続き)
AM10:45
ベットでかみさんとしゃべっていると看護師がやってきた。
看 「ふなきさーーん、足の毛そりますねー。」
オペ前の足の毛そりの時間。看護師はベットの上に新聞紙を置いて、その上に左足をのせてしゃぼんの泡をヌリヌリしはじめた。カミソリはスーパーなので安く売っているいわゆる
貝印カミソリ。
床屋さんのカミソリと違って、貝印カミソリで剃っていくのは見ている方が怖い。しかしながら左足だけ剃ってもらうのもなんなんで
「あのーついでに右足もそってくんない?」
看 「カミソリ置いていくから、あとで自分でそってくださいねー」
一蹴り
看 「若い人なんかもよく、よくそうゆう人がいるんですよー!」
オレと同じ考えの奴がいるんだねー。
ひざのオペなのに剃る範囲はかなり広範囲なもんである。足の指の毛まで剃り始める。次に股間ぎりぎりのところまで
あ゛ーーーそこはーー!
といわんばかりのところまで剃り始めた。かみさん、無言。
AM11:00
看 「そんなとこですかねー。剃り残しはないですかね?」
「ここ!」
看 「あ゛」
そりそり。。。
看 「もーないですかねー?」
「んーーここもちょっと。」
看 「あ゛」
そりそり
「お前も見ろよ!」とかみさんにも指示。
かみさん「ここ!」
看 「あ゛」
そりそり
ちゃんとそれー!
AM11:10 左足の貝印エステは終了した。
(続き)
AM 18:00
夕食の時間。これ以降は水分はOK。しかし食いもんはいっさいダメ!まさに最後の晩餐である。
家にいるときは、でかいお茶碗で豪快に飯食っているのに、今はベットの上で小さ目のお茶碗で細々と食事ととる。
むなしい…
TVカードの残り時間を気にしながら、見るTVも余計にむなしい。
水分は22:00までなら取ってもいいが、それ以降はダメ。いつもなら家でビールを飲んでるころ。
あーーー発泡酒でいいから、ビールが飲みたい!
今まで毎晩飲んでいた発泡酒の淡麗が、恋しくて恋しくて…
ついでにその後飲んでいた、缶チューハイ カロリ レモン味も恋しくて恋しくて…
食事終了。早速、看護師さんが来て下剤を2錠置いていく。食後にいきなり下剤を置いていくのもいとむなしい。21:00になったら飲めとのこと。
消灯まで時間があるので、会社の友人からかりた「め組の大吾」のコミックスを1巻から読み始める。
没頭する。
なかなか面白い。
更に読みふける。
面白い!ここまで来るとノンストップのB型人間の本性が現れる。
どんどん読み続ける。
時間を忘れてガンガン読み続ける。やがて看護師がやってきた。
看 「はーーい、じゃ電気消しますよぉー!」
ん?あーーー、もう22:00だぁー!
水分とるのも忘れたぁーー!
下剤飲むの忘れたぁーー!!!
無情にも消灯。
...下剤を水なしでそのまま飲む。なんか下剤が下に落ちていないような…。なんか食道のどっかに引っかかっているような不安でいっぱいだった。
悩んでもしょうがないので横になる。向かいのヤツのイビキがうるさい!あー今日アルコール飲んでないのに、この時間で横になって熟睡できるだろうか?
2004年 4月14日(水)
...熟睡した。
問題なく熟睡した。
AM5:50
院内をうろつくじじい(←たぶん)の足音で目覚める。長い戦いの一日はこうして始まった。決戦はAM9:00。本日のオペのトップバッターである!
(続き)
AM 6:00
看護師さんが一人、こちらに近ずいてきたのがわかった。カーテンをちょっとあけて寝ているほかの患者を起こさないような小声で
看 「(小声で)ふなきさーーん、今日手術ですので、洗顔、歯磨き、髭剃りと便を出してくださーい。」
どうってことはない。普段やっていることを普通にやるだるだけだ。昨日の夜に飲んだ下剤はそれなりに効果があるみたいで、この時点で腹がギュルギュルしていた。(←ただ、腹が減っていただけかも知れないが...)
看 「あと、これに着替えてください。」
手術着。まさに、白装束を着て切腹を待つ気分。徐々にオペへのカウントダウンの実感がわいてきてなんだか、気分が盛り上がってきた。
洗面所で髭剃り、歯磨き、洗顔をしてウンチしてすべて準備完了。ベットで手術着に着替えて待つ。
それにしても腹がへった。
毎日、出社前に目覚ましテレビ見ながらセカセカ食べている納豆ごはんが無性に恋しくなってきた。
AM 7:00
看 「ふなきさーん、体温と血圧を測りますねー!」
無事終了!
看 「あと座薬を2錠いれますからねー。できるだけがまんしてくださいねー!」
おいおい、さっきしたウンチしたばっかりじゃねーか?もう出るもんかい!!
看護師は問答無用に座薬を2錠をわたしのケツにピンポイント攻撃した。
うーーー!やられたぁ!
そして点滴を左腕にセットした。座薬攻撃が速攻で効いてくるのかと思ったらそうでもない。
さっき出すもんだしたから、効かないじゃないかなぁ。
看 「じゃ、ふなきさん、搬入は8:35になりますからねー」
8:35には病室からオペ室へ移動することが判明した。
AM 8:00
再び、看護師がやってきた。
看 「ふなきさーん、8:35までに用をたしてください。あとT字帯をつけておいてくださいねー」
とうとうでましたT字帯!
おぺ、出産のとき必ずでてくるこのT字帯!
病院で必ず売店で売っているT字帯!
ふなきさん、心の叫び!
ふんどしだろーーーがぁ!
なんかT字帯だとかっこいい感じだが、実はふんどしの仲間と考えるとかっこ悪い。(ふんどしさん、ごめん)
とりあえずT字帯をベットの上でゴソゴソセット。ほかの患者はうまそうに朝飯食っているのに、こっちは仕切られたカーテンの内側でT字帯の取り説を見ながら、ゴソゴソゴソゴソ。
かっこ悪い。
日ごろT字帯なんて、付けたことないから結構むずかしい。しかも左手には点滴がセットされているので、手の自由がきかず、なかなかフィットしない。
別に、はみ出るほど本体が巨大なわけではないので
間違えないで欲しいーーーー!
T字帯との格闘を終えた。結構、大変。
(続き)
T字帯もセットしたし、では最後の用をたしにいくかぁ?点滴ホルダーに点滴をセットして、それをガラガラ押しながらトイレへGO。
座薬の効果を試すときがきた。
男子トイレの便器は3ツあった。真ん中は和式なので当然NG。洋式の2つのうち一つにはだれかが入っている。
ということで、必然的に残りの1ツに入る。目の前に最悪の光景が...
だれかがウンチを流してなーーーい!
こっちはオペ直前にスムーズにやることやらなければならないのに、何でこう人のウンチに邪魔されなきゃいけないんじゃー!
しょうがないから、できるだけ人のウンチを視界に入れないようにして(←でも、見てしまうんだよなぁ)水を流す。
あーようやく座れる。
便座に座ろうとするがこれがなかなかむずかしい。
左手が点滴、左足はニーブレス、しかも浴衣形式の手術着、つけなれないT字帯。
まさに
前門の虎、後門の狼
そして肛門の座薬
T字帯は下の方でひらひら。
うわぁー、便器に入ってしまうぅーー
手術着が入ってしまうぅーーー
点滴のクダがからまるぅーー
パニック。男子トイレの一角で、ガタガタ壁にぶつかりながらでかい体の男が必死に格闘していた。
外でおしっこしてた人は、「ウンチしながら何やってるんだろう?」と思ったに違いない。
さて、ようやく便座に座り用をたす。はたして出るか?
出た!
あっさりとでた。量的には少しだったが、恐るべし座薬効果。
AM 8:20
トイレからベットに戻ってきた。看護師さんがストレッチャーを持ってきて、すでに私を待っていた。
え?8:35なのでは。心の準備が...。
看 「じゃ、ふなきさん、T字帯をあと一つ、オムツをあと2つ、バスタオルを準備してください。」
「ここにあります。」
看 「じゃ、ストレッチャーに乗ってください。多少、弾みますから気をつけてください。」
「メガネとるんですかぁー?」
看 「とって下さい。」
くそー。オペ室をクリアーに見たかったのにぃ。ストレッチャーにのったら以外に横幅が狭いので、手が横に置けない。なので、胸の上で祈りをささげるアーメンポーズをとらざるを得なかった。
看 「じゃ、キャップを付けますからねー」
あみあみ帽子を頭にかぶる。
看 「じゃ、行きまぁーーす!」
ガンダム発進!
看護師はストレッチャーのストッパーを解除し、病室の外へ押して行った。
目の前を天井棟が下から上に移動して言った。まさに
ドラマの世界!
(続き)
ふ 「押すの重いでしょ?」
看 「んーー、そーでもないですよ。まだまだ上がいますよ。」
ストレッチャーはエレベータにのりオペ室のある階へ。そしてオペ室のドアが開く。
看 「ふなきさんです。よろしくお願いしまーす。」
オペ助手 「はーーい!」
とうとう闘いのワンダーランドへ。オペ室の中は緑色のオペ着を着た人が、右へ左へと忙しく動めいていた。まるで働き蜂。
そこへまんまと入ってきた無防備の一人の獲物!
獲物を目の前に緑色のオペ着の働き蜂たちは、さらに忙しそうに動き始めた。
オペ助手 「ふなきさーん、自分の名前を言ってください。」
ふ 「ふなきです。」
オペ助手 「今日、手術する箇所は?」
ふ 「左足です。」
オペ助手 「麻酔方法は?」
ふ 「全身麻酔です。(←催眠術です!とボケようかなっと思ったが、まじめな問答だったのでボケたら殴られそうなのでやめた)」
オペ助手 「じゃ、ストレッチャーからこちらに移動してください。」
私は寝たままストレッチャーからオペ台へと身体を移動させた。肌ざむい。朝一番のオペだった為か?とにかく全身ひんやりしていた。目の前にはオペのライトが合計10ヶこちらを照らしていた。(←ちゃんと数えたところが余裕である。)
オペ助手 「じゃ手術着を脱いでください。」
手術着もなくなり更に寒くなる。とうとう私の身に着けているものは、ちっちゃな
T字帯のみ!
オペ着を着ている助手は、マスクを付けてはいるが目元くっきりの若い女性。私の左右にそれぞれ1名ずつ私をじっくり観察していた。まさに、
T字帯だけが最後の砦!
がんばれー!T字帯!負けるなぁーT字帯!
このときだけは、T字帯をふんどしなどどバカにすることはなく、ただただ女性の目から最後のディフェンスをするT字帯を、全力で応援していた。
オペ助手は、T字帯のみの私の身体にバスタオルをかけた。一安心。
(続き)
右の助手は腕に血圧計をセットした。左の助手は点滴のセットと注射針を左腕に打った。ここから麻酔薬を注入するのだ。
右の助手が心電図のセンサーを3個、私の上半身にくっつけた。そしたら麻酔の先生らしき男性が「1ヶ目は○○骨の3番目、これは胸骨のここ。」とセンサーの位置を修正していた。私の目の前には、麻酔の先生、女性の助手が2名が、こちらをのぞきこんでいた。助手の1名は酸素注入マスクを手にとって、私の口の前5センチくらいのところで
「(マスク)つけるぞぉー!つけるぞぉー!」
と言わんばかりに構えていた。心電図が規則正しい発信音を鳴らし始めた。準備万端。
麻酔先生 「ふなきさーーん。大丈夫ですか?不安はありませんか?」
ふ 「・・・腹へった!」
助手2名 「はっはっは」
やった!オペ室で笑いを取ってしまった。
麻酔先生 「はっはっは。元気ですね。その元気があれば大丈夫ですね。ご褒美に左腕に看護婦さんの携帯電話の番号を手術中に書いておきますねー。」
やったー。じゃついでに
ふ 「すいません。じゃメアドも書いておいてください。」
助手2名 「はっはっは」
また笑いをとってしまった。
オペ直前に何会話しとるんじゃーー?
麻酔先生 「じゃ、ふなきさん。これから麻酔しますからねー。酸素マスクをつけたら大きく息を吸ってくださいねー。」
ふ 「はーーーい」
とうとう4年越しの復讐のときがきた。前回後十字靭帯を切断したとき、やはり全身麻酔をした。そのときは麻酔をスタートしてから意識がなくなるまで6秒。まさに秒殺。全身麻酔の恐ろしさを思いしらされた。
そして今回、またその時がきた。今回こそ10秒までがんばるぞーー!
麻酔が左腕の点滴の箇所から注入されたみたいで、注入されている部分がびりびりしてきた。と同時に、助手が私の口にマスクをセットした。
麻酔先生 「じゃ、大ーーーきく息を吸ってくださーーーい!」
よっしゃーーー。いくぞーーー!
0
1(息を吸うーーーーーーっ)
2(息を吐くーーーーーーっ)
やばい!!(この時点でだいぶ酔っ払ってきた)
3
4(2回目の息をすうーーーーっ)
5(息を吐くーーーーーっ)
6......
...............
前回と一緒じゃないかぁーーー!
全身麻酔の返り討ちにあい、玉砕。
AM 10:20頃
目が覚めた。オペ室から搬出される途中で目がさめた。もう、オペは終わってた(らしい)。以外に速く終わった。左膝の中がジンジンしていた。なんか膝の中をいじくられたというのが感覚的にわかった。
まさにUFOの中で人体実験されて戻されたのと同じ。
そして左足には足首から足の付け根のところまで頑丈にギブスで固定されていた。とりあえずオペは成功したらしい。
私はオペ室から回復室という別室に移送された。口には酸素マスクをしたまんま。左手には点滴をしたまんま。
ふと、オペ前の麻酔先生の言った「左腕に助手の携帯の電話番号を書いておく」という約束が思いうかんだ。
左腕をまくってみてみる。
何もなし。
嘘こきやがったぁーーー。
(続き)
回復室で天井を見続ける時間がスタートした。たった6秒で寝てしまった...なさけない。膝のことより6秒で寝てしまった自分が情けなかった(←俺はなんの為にオペしてるんだろう?)
回復室のベットの上で私は、膝の痛みより腰の痛みと戦っていた。とにかく
腰が痛い!
長時間廊下に立たされたあとみたいに、とにかく思いっきり前屈して腰を伸ばしたかった。しかしながら前屈などオペ直後のこの状態で許されているわけがない。しかも、枕はなし!何故か?頭を上げてはならないのだ!
しかしながら、この腰の痛みをなんとか緩和するしなければ精神的にも非常に苦痛であった。当然、点滴をしているので自由に動くことはできない。よって、寝ながら身体を「く」の字に曲げたり、逆「く」の時になったりした。
回復室のベットの上で、一人の身体のでかい奴が
エビの物真似をしていた…。
この腰の痛みは、今回のオペの苦しかったこと大賞に堂々エントリーできるであろう。
かみさんが回復室に入ってきた。オペを間に挟んで再会した夫婦。こーゆー場合ドラマの中では「がんばったよ!」とか言うのであろうか?本能で生きる典型的B型人間の私は、このとき素直に自分の気持ちをかみさんに打ち明けた。
「腹へった。」
これに尽きる。
腰は痛いが、とにかく腹がへった。思いっきり納豆ご飯を食ってみたい!普段食べてる朝飯が相変わらず恋しかった。回復室にはPM1:30までいなければならないらしい。当然、飯なし!体内の麻酔濃度を減らす為らしい。
あーーーとにかく腰が痛い!
オペの間に腰になんか変なものでも埋め込んだのか?膝のオペのはずなのに、何故か腰が無茶苦茶痛い!
PM1:30まではなんとかエビのポーズをしながら、この痛みと戦わなければならなかった。
オペを担当してくれたDoctor Aが来てくれて、オペの結果を報告してくれた。それによると
左膝内側々副靭帯が伸びておりギブス固定が必要。保存療法にて回復を図る模様。その後はリハビリし、足が曲がるまで回復できたら退院。約1ケ月を有するとの事。
あーーー1ケ月間。スカパーが見れないぃーーーーー!
(続き)
PM1:30
ようやく一般病棟に移動。ここでようやく枕を使うことがゆるされ、頭を上に上げることができた。この時点でベットを折りたたみ上半身を起こすことができた。腰を多少は曲げることができ、ようやく腰の痛みの30%程度は低減された。
また、ここへきてようやく水分をとることを許される。昨夜から断水状態の私の体にようやく自衛隊の給水車が到着したぁー!
かみさんの買ってきたポカリスェット500mlを一気飲み。
うめぇーーー!
力石 徹は蘇った。
世界で一番おいしい水分はビールと思っていたが、この一瞬だけはポカリスェットに軍配が上がった。ポカリよ!ありがとう。
私の身体は永遠に君を忘れないであろう。
看護師さんがきた。
看「ふなきさーん。水分はとりましたかぁ?おしっこ出したくなったらこれにしてくださいねー。」
「これ」っていうのは
シビン
である。あーこの年になってシビン様のやっかいになろうとは…。
看「もしおしっこが出なかったら、くだを入れることになりますのでねー。」
がーーん。
くだ!
またでた。くだ!
くだの2文字に非常に弱い私は、即、おしっこを出そうと全神経を膀胱に集中させる。集中させること約1時間。どうやら出る気配。相部屋なので他の人に気ずかれないようにカーテンを閉めて、シビンを挿入。なれない体勢なので、これがなかなかでてこない!
エネルギー充電不足の波動エンジン。
んんーーーーーー。でない!
一大事!くだが悪夢が目の前に広がる!
押し手も駄目なら引いてみな!で気張らないで、深呼吸深呼吸!思いっきりリラックスした。
ちょろ…
でたぁーーー!文明開化の音がしたぁー!波動エンジン始動!
あとはなるがまま、でるがまま。シビンに濃いーーー色のおしっこがたまる。完了!シビンの目盛をみる。
600ml。
さっき飲んだポカリスェット500mlにおつりを付けて出した。おおーポカリスェットよ。私の身体は永遠にあなたを忘れないはずだったが、とっとと忘れて身体の外に出してしまった。
再び看護師さんが来た。
看「あっでましたねー。よかった。」
とりあえず、くだの挿入を回避した。安堵のふなきさんは、ここでかみさんの持ってきた「カテキン式緑茶」と500ml飲みほす。
これがあとで、とんでもない事態をおこそうとは誰が想像したであろう。
PM 6:00
ようやく24Hrぶりに飯を食う。しかし、白飯ではなくおかゆ。オペ直後はおかゆらしい。量的には私の胃袋を埋めるにはほど遠いが、それでも一口一口を長い時間をかけてじっくり食う。
うまい!
またもや力石 徹は蘇った。
しかし、このころ腹の中がゴロゴロしはじめていた...
PM 10:00
消灯時間。長いオペの1日が終わった。看護師さんがライトを消して、他の人もTVを消す(←大抵、看護師さんが
いなくなったらまたTVをつけるが)私は今日は疲れたので、夜ふかしはしないで素直に寝ることにした。.......約10分経過
......ん? いてっ...いてててて...うぅぅーーー
なんと急に腹が急降下しはじめた。こんなときに下痢なんてぇ。
一つ思い出した。かみさんが持ってきた
カテキン式緑茶が原因だ!
オペ直後の左足は完全ギブスで動けないし、先生には今日1日は動くな!っていわれているし...うぅぅ
んんんんんーーー.......うぅぅぅぅーーー......(油汗)
暗闇の中、油汗をかきながらガタイのでかい男は、腹下りと孤独に戦っていた。とうとう耐え切れなくなり
決断!ナースコール!
ナースコールボタンを押す。看護師さんの声がスピーカーから聞こえてくる。
看「どうしました?」
ふ「ト、トイレに行きたい......」
看「はーい、今いきまーす」
懐中電灯をつけた看護師さんが部屋に入ってきた。私のベットのカーテンを開けて話しかけてきた。
看「おしっこ?」
ふなきさんは首を横にふる。
看「うんち?」
ふなきさんは首を縦にふる。ふなきさんは何故言葉をださないのか?だって、
部屋の中の寝てないほかの奴に筒抜けだからだぁーーーー!
最低。人生最大の屈辱。渡辺謙の前で切腹したいくらいじゃー。
看「歩いていいって先生言った?」
ふ「まだ...」
看「じゃここ(ベットの横)に簡易トイレ持ってこようか?座れる?」
ふ「んーーーわかんない....」
看「それもだめなら吸引する事になるねー。」
あーーーーまたしても究極の選択!しかしケツは待ってはくれない!
ふ「ト、トイレ持ってきて!」
看「うん。ちょっと待っててねー。」
あーーーーなんで、こうゆうときに(比較的)かわいい看護師さんが担当なんだろう。真っ暗な病室の隅っこでふなきさんは肉体的にも精神的にも奈落の底に突き落とされていった。看護師さんが簡易トイレを持ってきた。
看「はい!じゃ、これに座ってくださいねー。終わったら呼んでくださいねー。」
(比較的)かわいい看護師さんは、簡易トイレをベットの横に置いて部屋の外へ出ていった。私はもうがまんのレッドゾーンに突入していたので、即簡易トイレに座ろうと試みた。左足を完全に固定しているギブスでなかなかベットから降りられない!座るのが難しい!
約30秒じたばたして、ようやく簡易トイレに座わったぁーー!
*@**?**=**#」**‘*%*+**&*W##*(¥***
−−−−(ここからは北の国からの音楽を想像して読んでください)−−−−−
あぁーあーーーーあああああぁーーーーー...、
簡易トイレに座ったはいいけど、同じ部屋のほかの人はテレビは消しているが実は皆起きているわけで...
聞きたくもない排便の音を聞くはめになるわけで...
これを考えると、こっちも出る物もでなくなるわけで...
結局はなんとか用を足したが、自分はかなり落ち込んでいるわけで...
明日の朝、同部屋の人にどんな顔をして向き合えばいいかばかり考えていた。
暗闇だったのと、無我夢中だったので知らないうちに着ていた手術着の端っこが便器の中に入っていた
みたいで、そこが汚れてしまったわけで...
(比較的)かわいい看護師さんは親切に「着替え持ってくるからネ!」と替りを持ってきてくれた。
(比較的)かわいい看護師さんは汚れた手術着と用を足した後の簡易トイレを平然と持っていくわけで...
自分は情けなくウェットティッシュで手を拭くわけで...
今はとにかく布団で入って眠りたかっただけ。
長ーーーいオペの1日であった...。
2004年 4月15日(木)
AM6:00
院内をウロウロ歩き回るじじい(←たぶん)の足音で目覚める。昨夜のナイトメアは出来る限り忘れる事にした…。看護師さんがあったかいタオルを持ってきてくれた。そりゃそーだ!このギブスだったら動くこともできない。なので洗顔も当然できない。つまりこのタオルで顔を拭けということだ。
フキフキ...
不自由な身体がなかなかつらい!障害者の気持ちが良く分かってきた。今、東京ディズニーランドに行ったらきっとパレード最前列の障害者優先席で見れるのになぁ…とくだらない想像をしていた。
AM7:50
朝飯。ようやく米の飯にありつける。しかし、どうにも茶碗の飯の盛りが少ない。私の身体には、病院食はどうにも量が少ないのだ。
これでは絶対にやせる!
しかもビールを飲んでいないので
さらにやせる!
きっと退院のときはスリムになっているであろう。
AM9:30
財前教授の総回診の時間。白い巨頭ではないが、ここの病院も回診の時間が当然ある。早速ベットの上で漫画を読みながらスタンバイ。来てくれた先生は、昨日オペをしてくれたDoctor
A。この先生、音量のボリュームが低いのに早口でしゃべるの結構聞きずらい。聞き逃さないように、まじめに聞く。
A 「はい、痛みはどうですか?」
ふ 「ありません。」
A 「足(つまさき)を動かしてみて...指も...いいですね!」
その後、周りの看護師さんたちが左足ギブスの下に新聞紙をしき始めた。先生がとりだしたのは
でたぁー!
スプラッターカッター。(死闘2 参照)
Doctor Aは膝の部分約20cm四方をスプラッターカッターで切り込みを入れ始めた。その部分を取り除いて、オペをした患部をギブスをした状態でみれるようにするのだ。つまり
のぞき穴!
私のギブスにはまさに四角の小窓ができた。マジンガーZが超合金Zの一部を取り外し、内部パーツを交換しているのと等価である。
かっこいい(うっとり!)
入院中のアニメバカ親父は、自分の身体が今改造されている快感にひたっていた。Doctor
Aは小窓から見える患部を消毒し、ガーゼで保護。小窓をふさいで作業終了。
「左膝部、武器装備完了!作業員はドックから撤収。パイロットはオペレーション準備!」と勝手に空想していた。回診は無事終了。回診の後は点滴が待っていた。
スピードのヒロ似の看護師さんSDが登場!この看護師が
とんでもないことをしでかすのだぁー!
SD「ふなきさん、じゃ点滴しますからねー。左手だしてくださーい。(左手を)ぐっと握ってもらっていいですかぁー。」
なかなか手慣れて感じの看護師SD。浮かび上がってきた血管を確認しながら
SD 「んーーちょっと弱いかもしれないなぁー。じゃ刺しますよー。」
ブスッ!
SD「痛くないですかぁー?」
ふ「だいじょーぶでーす。」
この後SDは腕にささった針をあちこちと移動させ始めた。
まるで血管を探すように...
うすうす感じ始めた。
お前、ちゃんと刺してねーだろー!
SD「ん...ちょっと弱いかなぁーここ。ダメだなぁー。別の所にしていいですかぁ?」
人の身体で実験すんなぁーーーー!
SD 「申し訳ないですねー。」
ふ 「医療ミスだ!医療ミス!」
SD 「本当!医療ミスだよねー。もーーーし分けない。」
しゃべりが軽いので、どーーーも反省していない感じに思える。しょうがなく左腕の別の箇所を確認して、再度消毒するSD。
SD「じゃ今度こそいきますよー。」
ブスッ。
SD「痛くないですかぁー?」
ふ「だいじょーぶ。」
SD「今度はいったかな...?」
じっくり見ていると点滴特有のポタッポタッていうのが全然始まらない。恐る恐る
ふ「また失敗かい?」と聞いてみた。
SD「いやーーー、もうーーーしわけない!本当に申し訳ない!」
2回もスカるんじゃねーーー!
SD「いやーー何と言っていいか...じゃ次プロを呼んでくるからね。本当に申し訳ない!」
お前、2回も失敗している割には
なんでしゃべりが明るいんだぁー!
このマヌケ看護師SDに2回も失敗され怒りが八合目までに達する。数分後、SDがプロと称する看護師ADがやってきた。
ふ「お願いします。プロ!」
AD「いやー、プロだなんて...」
ADは先ほど2回も失敗した左腕をゴムで縛り、血管を浮き立たせて針を刺した。
AD「痛くないですかぁ?」
ふ「痛くないです。」
さっすがプロ。点滴は無事にポタポタと落ち始めた。
AD「じゃ、何かありましたら呼んでくださーい!」
ふ「はーい!」
これにて1件落着!.............になるはずだった!!
(続き)
3度目の正直でスタートした左腕の点滴をじっと見つめる。スタートしたはいいが、なんか違うなぁ。多少の違和感を覚える。
刺さった針のところの皮膚が多少もっこりしているような...。
気にせず目を閉じる。
ふと見てみるとさっき多少もっこりしていた部分が、だんだん大きくなり更に盛り上がり始めてきた。
これに比例してだんだんビリビリと腕が痛みだしてきた。
もっこりはドンドンでかくなってきた。これこそまさに
北斗神拳!
ってことは、
私は既に死んでいる?
やばい!無茶苦茶痛くなってきた!
(写真とっている場合じゃねーーー!)
ナースコール!
来たのはSDでもADでもない別の看護師。
看 「あーーー、もれちゃったねーー!」
もらすなぁー!!!!
たかが点滴で3回も失敗しやがった!
医療ミスだぁーーー!
看 「じゃ、ちょっと右にしますかねー。」
看護師は左腕から右腕にターゲットを移動して針を挿入。今度はすんなりできた。点滴は今度こそ問題なくスタートした。さて、この左腕のもっこりしたエイリアンはどうしよう!
看 「じゃいまタオルもってきますからねー。」
もっこりした箇所をあったかいタオルで温めるともっこりが直るらしい。早速あったかいタオルで左腕を抑える。
昼前には点滴も終わり、もっこりも元に戻った。
2回も失敗した看護師SDの名前を他の患者に「こいつヘタだから気をつけろ!」といいまくる。
PM 2:00
今回は午後の回診。ギブスに開けた小窓から先生が患部を消毒。
ふ 「先生!そろそろ手術着とっていいですかぁ?」
先生 「そーだね。午後の点滴がおわったらいいですよ。」
やったぁ!ようやく普段着に戻れる。取り替えたいのは手術着というよりも、今となってはついているんだかいないんだかよく分からない
T字帯!
既に凧のしっぽ状態にヒラヒラとしていたので、スースーして風通しがよかったのだ。
PM 4:00
午後の点滴が終了。カーテンを閉めてそそくさと着替え。看護師が持ってきてくれたあったかいタオルで身体中をふきまくる。風呂には入れないが、これが唯一のアカとり手段!隅の隅までふきまくる。
T字帯はとっととゴミ箱へポイ!
さらばT字帯よ!もう会うこともなかろう!(おそらく)
ようやくハーフパンツとTシャツの普段着になる事ができ、松葉杖で堂々とうろつくことが可能になった。
ふなきさん、ちょっぴりレベルアップ!
4月16日(金) オペ後2日目
ようやく普段着に着替えて自由度は増したはいいが、午前1回、午後1回の点滴のみはまだ継続して受けなければならなかった。この点滴の時間が非常に暇なのである。
何もすることもなくただ天井を見るのみ。あまりに暇なのでTVを当然つける。ボケーっと見ているだけで800分1000円のカード度数がすぐに減る。しょうがないのでTVのスイッチを切って外を見る。私のベットは窓際だったのでひたすら外を見るしかなかったのだ。
外には埼玉と群馬を結ぶ上武道路があり、それを行き来する車が朝から晩まで良く見えた。点滴中もひたすら車を見続けた。
ここでふなきさんはひらめいた!上武道路を往来する業務用車両のうち、一番車両数の多いのはどれか調べよう!
ふなきさんの暇つぶし交通量トトカルチョがこの日スタートした。
さっそくかみさんをパシリにして、病院の売店でノートを購入させる。ルールは以下の如く。
1)私が知っている業務車両であること。
2)上下かまわずカウントすること。
3)カウントする時間は、ふなきさんが外を見ている時のみとすること(当たり前だ!)
以上、ふなきさんの独断と偏見の固まりである壮大な暇つぶし作戦が始まった。
AM10:00 午前の点滴がスタート。
ボケーっと外を見つめ、業務用車両が目の前を通過するごとにノートに「正」の字でカウントしていった。
これが結構おもしろい。
点滴中でも妙に緊張感がみなぎってきた。
よーーーし来たぁー「引越しのサカイ」
次こんかぁいー「出光」
「赤帽」が「アート引越しセンター」を抜いたぁー。
院内、公営ギャンブル。
PM 0:00 チョット前
点滴終了。
看護師さんがきて、点滴をはずす。はずすときに私のノートをちらっと見た。
看 「なーにやってるんですかぁ。あっはっは。」
笑われた。
しかし、看護師ごときの笑いには微動だにしなかった。すぐに昼飯が運ばれてきた。飯を食いながらも当然継続。
来たぁーー「ゴミ清掃車!」
車が来たら持っていたハシをすばやくボールペンに持ち替えて、ノートに「正」の字を作っていった。
飯くらいちゃんと食えーー!
PM 4:00
まだやっていた。ここで午後の点滴の時間。別の看護師が点滴をセットしているときに、やはりこのノートが目に入った模様で、突然笑い始める。そりゃ笑うわなぁ。こんな暇なことやってるんだから。
PM5:00
点滴終了。でも気合でまだ続ける。なんか24時間テレビの寛平ちゃんの気持ち。
PM6:00
夕飯の時間。だんだん暗くなってきた。つけるのもだんだんアホらしくなってきた。
熱しやすく、冷めやすいB型人間の典型!
ということで、車両も暗くて見えなくなったのでここで壮大なプロジェクトは終了。お疲れさま。ビールでも飲みたい気分だが、今飲んでは医者に殺される!
そして本日の結果発表!
3位 集団検診車、献血車
(総評:朝 複数台がドドドーっと行ったと思ったら、夕方ドドドーっと帰ってきました)
2位 セブンイレブン
(総評:時間に関係なくコンスタントに往来してました)
そして第1回、左膝内側々副靭帯損傷記念(←記念してどうする)
暇つぶし大賞は!
優勝 西濃運輸
(総評:そりゃそうだ。すぐそこに配送センターがあるんだから)
以外にもローソン、SAVE ONとかのコンビニ系やヤマト運輸、日通等の宅配系が少なかった。
優勝の西濃運輸には、今固定しているギブスを差し上げましょう!
4月17日 (土) オペ後3日目
あーーー頭がかゆい!
オペ前日の13日から髪を洗っていないので当然、頭がかゆくなってくる。しかし本日晴れて
髪が洗えるーー日!
しかしながら、片足全体はギブス固定している状態で髪を洗うのも容易じゃない!イスに座って足を伸ばしてお湯を出して、頭にかける。
熱湯...
アジアジアジ...
片足が固定されているので、熱いというリアクションをするのも一苦労する。水で温度調節して花王メリットで髪を洗う。
天国。
普通の洗髪がこんなに気持ちがいいものとは!これで温泉に入ってビールを飲んで...というスペシャルコースにありつけるには、まだ遠い道のりであった。
今日からリハビリがスタート。リハビリと言ってもギブス固定された足をベット上で上げ下げするだけのものである。しかし、足全体のギブスは結構の負荷であり、数回繰り返すといい運動となる。
ここで体育会系バカ親父しかもB型の血がうずく!
更におもりをのせよう!
病室には備え付けの砂のうが1kgと2kgの2種類置いてあった。これをギブス固定された足をひきずりながらベットの上まで持ってくる。ベットに寝っころがってリハビリじゃー。砂のうをギブスの上にのせる。
1kg、2kgと増やしていくのも面倒じゃー。
二ついっぺんにのせて3kgにしちゃえー。
足上げスタート!1,2,3...
いいーー感じの負荷。ここちよい負荷。やはりウェイトトレーニングはこうでないと!(←この時点でリハビリとウェイトトレーニングを完全に勘違いしている)。約30分これを繰り返した。着ていたTシャツが汗ばんできた。初日のトレーニングは無事に終了した。
(この後、「負荷のかけすぎだ!」とリハビリの先生に怒られた)
4月18日 (オペ後4日目)
今日は入院をしてから初めての日曜日である。窓から見える職員の駐車場もガラガラ。先生たちも本日は休み。財前教授の総回診も今日はなーーーい!つまり
1日中、ひまなのであーーーーーる!
こーゆー日に限って無茶苦茶いい天気。動きたくて動きたくてウズウズしていた。
まさに、カブトムシのさなぎ状態!(←別にカブトでなくてもいいが)
しかし、左足に過重をかけての歩行はまだ御法度なので、松葉杖を使って院内をウロウロするしかなかった。病院内では同じような境遇の人がたくさんいるため、すぐに他の人たちと自然と会話ができるのは不思議なものである。話を聞いてみるといろんな奴等が入院していた。
1.トライアスロンで足の靭帯を切ってわざわざ岩手県から入院しにきた奴。
2.スピードスケートで半月版を悪くしてきた奴。
3.イニシャルDごっこで事故ってきた奴。
4.ボードでぶっころんで靭帯を切った女。
1の人はたまにリハビリがてら院外によく散歩しているのが日課であった。でも、帰ってくると顔がピンク色に染まっており
明らかにビールを飲んできた!
というのが見え見えの奴であった。
3の人は25歳くらいの若い奴。血気盛んでベットの周りはエロ本だらけ。看護師から要注意人物だ!と聞かされた奴だ。夜には駐車場で車イスでウィリー走行しているし...。結構、病院って無法地帯である。
日曜日は見舞いの方々もいっぱいくる。
PM 4:00 会社の同僚の鼻毛さん(ふなきさんの今日のぼやきコーナー参照)がやってきた。なんと
焼きまんじゅう 10個
を買ってきてくれた。病院食に物足りなさを感じるふなきさんにとっては、腹にたまる一品。早速食いまくる。しかし、さすがに食い切れずに他の部屋の人に少しおすそ分けした。隣の部屋のばーちゃん喜ぶ!サランラップまで取り出して「もう一個ちょうだい!」とおねだりしてくる。
さすが群馬のおばーちゃん!
ばーちゃんのベットの横で焼きまんじゅう談義。あーでもないこーでもないで約20分。しゃべりでどっと疲れた。これでまたひとつ他の人たちと交流ができる。なかなかおもしろいものである。
4月19日(月) (オペ後5日目)
暇な週末が終わって多忙な月曜日がやってきた。PM
3:00 いきなりナースコールで呼び出される。
看 「ふなきさーん!リハビリしますのでリハビリルームに来てくださーい!」
早速両手に松葉杖で行ってみると、老若男女、入り乱れていろんなリハビリ運動をしていた。
ふ 「どもー!」
看 「あ、ふなきさんですかー?こっち来てください。」
ふ 「はーい。(俺のこと)覚えてますか?」
看 「あ、はい。なんとなく...」
ふ 「4年前、後十字靭帯切ったとき」
看 「そーですよね!」
ふ 「オリンピック野郎ですから。次は多分、北京大会のときに(またここに)くるよ。」
看 「はっはっは」
冗談言っている場合じゃなーーーい!
リハビリといっても、ベットの上に横たわって足上げをやるだけ。但しオプションが付いていて、身体を横にしての横上げ、うつ伏せになっての後ろ上げもやることになる。ひーひーやって約20分。足全体がギブスで覆われている状態では、これくらいが精一杯。終了!
病室で寝っころがっている状態よりは、ヒマがつぶれてOKである。これより毎日1回、リハビリルームに行くことになる。あと何日間、ここにくることになるのであろうか?ゴールデンウィーク以降までいることは確か!
4月20日(火) (オペ後6日目)
本来であればスカパー無料開放デーの日。
しかし、今は病室でテレビカード表示のカウントダウンにおそるおそるテレビを見続ける日々。生き地獄。
外にでて会社の若い奴等にメールを送信。
『TVカード式TVをただで見る方法を教えてくれ!』
犯罪じゃねーーか?
でも昔、ラジオライフを立ち読みしたときにこのような特集記事を見た記憶があった。なので今回はそれを
実証するチャンス!
しかし、だーーーれも返信してきた奴はいなかった...。
今日はビデオ上映の日。ビデオというのは私のオペの模様を撮影したものである。ここの病院では親切に「見たい!」と言えば、見せてくれるのだ。
TUTAYAではレンタルできないまさに
人体解剖ビデオ!
せっかくのオペなんで記念に見ないともったいない。
PM4:20
Doctor Aがわざわざ病室に来てくれて、私とかみさんをビデオのある部屋に案内してくれた。早速ビデオスタート。
映し出された映像には四方八方が赤い壁のトンネルという感じの映像。これこそまさに私の左膝の内部であった。
やがて貝の殻みたいな円盤状の白いものが見えてきた。これこそ半月板!
見れば、亀裂もなく非常にきれいである。Doctor
A 曰く、多少のゆるみが見られるが半月板については問題ないという。
さて、内側々副靭帯付近の映像が見えてきた。映像とはいっても靭帯そのもの直接見れるわけではなく、靭帯付近の赤い組織を金属棒のようなものでつついて、その張り具合を確認している映像が映し出されてた。
結果、中程度の損傷つまり、半分切れている状態。
内側々副靭帯の中程度の損傷であれば、縫合手術をするまでもなく保存的治療(ギブス固定後リハビリ)で十分スポーツができるまでに回復するという。
ふなきさんは復活する見通しを得た!
次に後十字靭帯と前十字靭帯が見えてきた。この2本の靭帯は赤い組織の一部分から多少白い繊維状のものがでており、直接その姿を映像から確認することができた。後十字靭帯の部分は、赤い組織がブヨブヨしているだけで全く張りが見られない。
つまり断絶しているのである(←4年前に切って、そのまんま)。前十字靭帯は多少たわんでいるという。後十字靭帯が断絶しているため、膝の骨の位置が多少ずれる。その影響で前十字靭帯にたわみが生じているみたいであるが、スポーツをする上では問題はないという。
結論
内側々副靭帯 → 中程度の切断
後十字靭帯 → 断絶
しかし、保存的治療とリハビリで従来のスポーツが再度できる見通しを得た。わざわざビデオで解説してくれたDoctor
A さま、ありがとう。
おかげでまたスポーツができることを確認できて、希望がわいてきた。
PM 9:00 乾杯!ウーロン茶で...。
4月21日(水)(オペ後7日)
オペから1週間になる。いろいろあったが、今日で抜糸である。抜糸であるということは
今日でギブスがとれる!
ようやく多少は自由になる。朝メシ食って歯を磨いてベットで財前先生の総回診に時間を心待ちにしていた。
AM 10:00
総回診の時間。今日来たのは若い未婚の(←たぶん)の女性Doctor
K(←決して野茂のことではない!)。
K 「ふなきさーん、今日は抜糸ですねー。」
看護師さんたちは手際よくベット上に新聞紙をしき、その上に私の足をのせた。そして例のスプラッターカッターをセットした。野茂ではないDoctor
Kは、無表情にスプラッターカッターに電源を入れてギブスを切り始めた。
ウィーーン。ジジジジジーザァーーーー!
「ぎゃーーーーー!」
とりあえずお決まりのせりふ。先生、看護師さんたち笑う。同部屋の新入りが私の悲鳴でおののく。
カットは約3分くらい続いたであろうか?とうとうギブスは真っ二つ!
ひさびさに自分の左足が全部見えた。
やはりきたない。汗で臭い。
右足に比べて多少は細くなっているみたいだ。看護師さんたちは、即座にタオルで左足全体をフキフキしてくれた。
あーーー気持ちいい。
ギブスの中がかゆくて大変だった苦労もこの1瞬で報われた。そして抜糸。先生がハサミとピンセットでちょちょいのちょい。痛みもなくものの20秒程度で終わった。
K 「じゃふなきさん。今日からサポーターですねー。サポーターがくるまで、これで我慢してくださいねー。」
結局、真っ二つのギブスをまた左足にかぶせた。
PM 1:30
サポータが来た。バレーボールのときにしているサポータよりキツイ。足が曲げずらい感じがするがそれでもギブスにくらべればはるかに自由度が増す。とにかく左足が多少なりとも曲げることができる。このことは大きい。
しかし、なかなか恐くて曲げることができなかった。
膝に痛みというより、恐怖心のほうが先にでて動かすことが全くできない。
早速リハビリ室へ松葉杖を使い移動。サポータになったので、今日から左足を曲げる練習をしていくみたい。
まずは、ボール、クッションを用いて軽いリハビリを行う。十分ウォームアップした後に、現段階で何度まで曲がるか?をチェックする。
リハビリの先生が私の左足全体を抱えるように持ち、ゆっくり曲げていく。じーーーーっくり。
うぅぅぅぅーーーーイデ、イデ、イデデ!
しかし、記録作りになると執念を燃やすふなきさんは更にがんばる。
いでーーーーー!
記録ストップ。
120度
初めてのわりには結構曲がった。しかし実は90度近辺で凄く痛くなるのだ。その後は曲げるにつれて膝の皿の部分がコキコキと鳴っているのがわかった。明らかに以前の状態とは違っていた。
その後、左足へ1/3の荷重(体重)をかけてあるく歩行練習を開始。松葉杖状態ではあるが、両足を地につけて歩行することができるようになった。
ドラクエでダンジョンを抜けて、別世界を歩きまわるのと同じ気持ち。
早速、リハビリがてら外を散歩。この病院の近くの牛舎まで足を伸ばして牛を見てくる。
くさかった...
PM 9:00
面会時間をとっくに過ぎても3F 談話室には口少ない家族が休憩していた。この時間までいるということは
患者さんがかなりヤバイことを意味する。
そこへテレビカード度数をセコくけちろうとするふなきさんがやってきて
ふ 「すいません、テレビ見ていいスか?」
家族の一人 「ど、どーぞ。見てないんで。」
いきなり12chをつけてU-23 日本対ギリシャ戦を見る。しんみりしている家族の横で
「うぉー田中 達也ぁーー!やったー」
とバカさわぎしていた。しんみりした家族の皆さんも日本がゴールしたときは
「よかったねぇー」と喜んでくれた。日本代表のゴールは病院を明るくする。
4月22日(木)(オペ後8日)
6人部屋のこの部屋も気が付けばわたしが長老になっていた。大体1週間程度で退院するのであるが、私のリハビリは長くなりそうなので長老になって当然の結果であった。
リハビリの1つとして昨日からCPMというマシーンを使って、ベット上で足を曲げる運動もスタートした。今日のベット上でこれをやる。だんだん
ベット上でボケーっとしている時間が少なくなってきた。
看 「じゃCPMにセットするんでねー。ここに脚をのせてくださいねー。」
CPMに脚をのせる。
看 「じゃ曲げる角度を決めますからねー。痛くなったら言ってくださいねー。」
こー言われるとがんばってしまう私。脚が伸びた状態からCPMが徐々に曲げていく。
「う...う...」
看 「痛いですか?」
「まだまだ!うーーーー」
看 「痛いですかぁ?」
「んーーー!まだ!」
卍固め耐えるんじゃないんだから!
ふなきさんは決してギブアップはしなかった。
看 「まがりますねー。この機械90度までなんですよー。」
やったー。機械の限界値90度まで曲がった。
CPMに完全勝利!
あとは自動的にCPMが伸ばして、90度まで曲げてを繰り返してくれる。
看 「じゃスタートしますからねー。1時間!」
なぬーーー!1時間もーー?
CPMは約1分周期で左足を曲げては伸ばしを繰り返す。その間多少の痛みが膝に走るがそれよりも
暇だぁーーー。とにかく暇だ。
テレビカード度数低減の為に持ってきたラジオでTBSを聞きながらCPMをかけていたがいつのまにか寝ていた。
...看護師から起された。
ふ 「昨日、抜糸したから風呂にもう入れるんじゃない?」
看 「あっ、シャワーだったらいいですよー」
やった!シャワー解禁!
速攻でお風呂場へ。誰もいないお風呂場で身体中洗いまくる。
生き返った!復活に向けてまた一つレベルアップした。次の目標は風呂に入ること、そしてビールを飲む
こと(←脚を直すことが目標だろ!)
4月23日(金)(オペ後9日)
1/3荷重の歩行ができるようになって2日目。松葉杖2本を使って外を散歩。外を散歩と言っても近所の牛舎に行って牛くんの顔をチェックするだけなのだが。
今日も臭い...。
しかし、こいつらに罪はない。耳に番号札をつけられ、こいつらもいずれは焼き肉屋に並ぶのかぁと思うと多少かわいそうになった。そんな私を気にもしないで、柵から顔を出した牛くんは長い下を鼻の穴につっこんでなめていた...。
散歩が軌道にのり、牛舎から近くの国道50号へ。さらにその先のセブンイレブンへ。よっしゃ!ようやくここまで来た。でもこのコンビニ
酒がない!
リハビリと称した歩行訓練は、実は
ビールを買うために他ならなかったのだぁ!
ここにビールが無いとすると、こまった。1/3荷重で歩く範囲は決まっている。どうしよう。もう近所にコンビニなんてないぞ!明日は絶対にビールが無いとだめなのだ!
明日日本代表女子の 日本vs北朝鮮のオリンピックアジア最終予選と
A代表の日本 vs ギリシャの親善試合の炎の4時間スペシャルがあるのだぁ!
ビールがないと日本が勝てない気がする!
次なる作戦を考えて病院に戻る。
看護師から「国道50号にはでないでください!」と怒られた...。
4月24日(土)(オペ後10日)
今日はサッカー炎の4時間スペシャル!それまでになんとかビールを調達しよう。まずは午前中にやることはやっておこう!速攻で洗髪、身体をタオルで拭いて着替え、朝飯、回診と順調に終了。回診の後CPMを即予約。約1時間ほどCPMを実施。曲げる角度は130度の限界値で実施した。その後リハビリ室にてリハビリ運動を実施。
よし!午前中でやることはすべて終了した!
PM 0:00 昼飯。
食った後やることがなくなったので、寝る。zzz...
PM 3:00
よし!行動開始。
お金を持って松葉杖による1/3荷重歩行で病院外をウロつき始める。まずは国道50号にでる。(←昨日、看護師から怒られたことを全然守っていない!)何はともあれ地元の人に聞くのが一番!と思い、すぐ近くのガソリンスタンドがあったので、ひましている店員に聞いてみる。
「あのーーすいません。ビール買いたいんだけど、どっかにないかね?」
とても松葉杖を使っているやつがするような質問ではないが、店員さんは親切に答えてくれた。
「んーー、ここ(国道50号)をこっちにいくとセーブオンがあるんだけどそこは遠いよねー。じゃ上武道路の橋の下を通っていけば中島ストアっていう店があるから、そこに行って見てください。」
行くぜ!中島ストア!
松葉杖を突きながら酒を求めるバカ大人は、テクテク国道50号を歩き始めた。上武道路の橋をくぐっていくと
あったぁー。中島ストア。
こんなところに店があったのか?と思うくらいの所にあった。日本秘湯の会がまぼろしの温泉を見つけた気分。
さっそく自動販売機でキリン端麗500mlを3本購入。持ってきたショルダーバッグに入れて病室へ帰る。
PM 7:00
談話室に行き、日本 vs 北朝鮮戦の放映されるテレビ朝日にチャンネルを合わせる。同じ部屋にサッカー野郎が一人いたのでその人も一緒に呼んで観戦。買ってきた端麗を二人でかんぱーーーーい!
うめぇーー!
約1.5週間ぶりのキリンの味。
発泡酒がこれほどうまいとは!
しかし、看護師に見つからないように飲まなければならないのは、多少ストレスがたまる。試合が開始して20分。談話室へ看護師が歩いてきた。就寝前の検診である。
看 「ふなきさーーん、おかわりありませんかぁー?」
ふ 「ないよぉー」
端麗をソファーの下に隠して平静を装って言った。
気ずかれませんように...。
平静を保ちながら心臓はバクバクしていた。
看 「じゃ、脈をとりますからねー!」
こーゆーときに脈とるなぁーーー!
いーーーから、とっとといなくなれぇー!
普段はすぐ終わる問答が非常ーーーーに長く感じられた。
看 「ん?脈なかなかとれないなぁー」
早くたちされぇーー!
この看護師、なんかワザとやっているような...。なんとか看護師は立ち去った。酒臭さは感ずかれただろうか?
PM 9:00
日本 3vs0 北朝鮮。勝利!看護師もやってきてハイタッチ!(←酒、気ずかれないように)
日本の勝利は左膝への最高の薬となった。
4月25日(日)(オペ後11日)
日曜日
ひまだ...。
リハビリ室も休み、回診もなし、CPMもなし。ひまだ...。TVカードも朝からどんどん減っていく。
デカレンジャーなんか見てるからだぁー!
これではいけない。時間をつぶそう。リハビリがてら。散歩。散歩。
あ、また来てしまった。無意識のうちに...。(←十分意識している)
とりあえずビールを購入。
リハビリがてら散歩して結局ビール買っているだけじゃないかぁー!
その夜、サッカー 日本 vs ハンガリー戦でまた一杯!
うめぇーーー!
この日、同部屋のサッカー野郎は一時外出しやがった。医師が認めれば、一時的に外出が可能であることをこの日知る。よし。今度使おう。
4月26日(月)(オペ後12日)
AM 9:00
CPMをやる。最大値130度でやっても左膝にはあまり痛みはない。CPM終了後、リハビリ室へ。今日からチャリンコがスタート。5分間思いっきりこぐ。こぎまくる!
ストレス発散!
あーーーようやくここまで復活。リハビリの先生曰く、
「順調ですねー。とてもオペした後とは思えない筋肉の柔らかさですねー」
まさに松坂牛の肉!
しかしながら、左足の筋力不足は一目瞭然。先生も一目でわかるらしい。まだ、完全復活へに道は遠い。
先生 「ふなきさん、今日から1/2過重で歩行しましょう!松葉杖1本で歩いて結構ですよ。」
やったー!またしてもレベルup!
早速右手に松葉杖1本にして歩行。問題なし!
さらに散歩、散歩でならす。なんとなくR2D2の気持ち。松葉杖1本でまた自由度が増した。
ちょうどいい具合に今日はシャワーの日。洗面器を持って風呂場へ。両手で松葉杖を使っているときは物を持って歩行するのが、非常に困難であった。しかし、1本になったことで、洗面器を持って歩行することが簡単にできた。
シャワーも楽にできる。シャワーを浴びながら後ろの湯船が目に入る。
風呂だ!
今はシャワーしか許されていないのに風呂に入るのは、御法度である。
しかし、患部さえ湯に入っていなければ問題ないのでは?
格闘家にとっては精神的ダメージを癒すには、やはり風呂しかないのでは?(←いつから格闘家になった?)他に人もいないことだし、
入ろう!
即決。左足だけ外に出して湯船に入る。
最高!
4月13日、オペ前日に風呂に入ってから13日ぶりの風呂。勝手に生き返った!風呂からあがったらまたビール買いにいこうか?
PM 7:30
Doctor Aが病室へやってきた。
A 「調子はどうですか?」
ふ 「いい感じっす!」
A 「CPMもいいみたいですね。かなり曲がるみたいですから退院を5月1日くらいにしますか?」
ふ 「は、はい!」
やったー。退院内定!
祝杯じゃ。やはり中島ストアにこれから行くべきか?悩む...。
4月27日(火)(オペ後13日)
PM 2:00
同部屋の人から借りた「ツルモク独身寮」を読書。一応、仕事で使うむずかしい本を一冊持ってきたが、一度も開かれることはなかった。
やっぱ入院中は漫画に限る!
そんな読書中に、群馬県バレーボール連盟の前橋支部長 北村さんと、総務役員の中澤さんの美人の誉れの高い2名がお見舞いに来てくれた。
へへーー!とベットの上で土下座。
きれいなアレンジされた生花を頂きました。生花にはメッセージが
「早く現場復帰してください。試合に船木さんがいないとさみしいです!」
くぅー!オレは女性を悲しませてしまったぁ。罪なやつだぁ。
5月3日には前橋市の小学生バレーの大会があるので、それには顔くらいは出そうと心に誓った。
でも午後だけにしよう!
4月28日(水)(オペ後14日)
AM 11:00
前橋市の小学生バレーチーム、桂東ラビッツの高山コーチがお見舞いにきてくれた。お見舞いの中にはなんと
バドワイザー!
あ、ありがたい。高山さん、大好き!私を下男として使ってください。
PM 0:00
昼メシ。早速バドワイザーを隠れて飲みほす。
うめぇー!
昼に飲むビールもお祭り気分でうめぇー。あとは検温、脈で異常がでないことを祈り、とっとと寝る。
4月29日(木)(オペ後15日:退院2日前)
祝日。ゴールデンウィークがスタート。今日は回診も無し。リハビリもなし。ということは1日中 ひま...。
こんなところで青春をつぶしてはいけない!
実は本日は、県小学生バレーボールの審判伝達講習会の日。一応、ペーペーの審判部のふなきさんにとっては、参加必須の一大イベント。なので
今日は一時外出!
2日前から一時外出の申請をしていたので、今日はなんと一時外出の許可がおりていた日なのだ。実はDoctor Aに
「先生、この日講習会にでないと審判資格を剥奪されるので、絶対いかないとだめなんですよー」という
大うそこいて!
AM 8:00
迎えの車は8:15に病院の正門にきてくれる。早くメシを食わないと間に合わないのだが、いつもは8:00前には配られる朝メシがまだこない。やばい!
AM 8:07
ようやく朝メシがきた!5分で食うしかない。実は昨日からメシ大盛りをリクエストしていたので、当然今日の朝飯は
てんこ盛りーーー!
この時間がないというときにてんこ盛りー!
でも食う!
食えたぁーー!
人間なんとかなるもんだ!
8:17
車に乗る。胃の中でメシが踊っていた。約30分後、玉村町の会場に到着!見慣れたバレーボール関係者がゾロゾロ!私の松葉杖姿をみた方々から、いろんなお言葉が...。
「どーしたん?ふなきさん。大丈夫?」
「歩けるようになったん?よかったね。」
「靭帯かい?どこの病院?」
「サッカーでやったんかい?(←絶対バレーって聞いてこないね)」
「よー。オレの名前書いておいてくれ。オレ仕事言ってくるからよ!(某城南クラブ監督)」
講習会は無事に終了。昼メシを近所の中華料理屋でくう。
マーボーラーメン。
うまい!
やはり熱くて辛い汁ものは病院では食えないもんね。
当然、生中1杯付き!
PM 3:00
自宅に到着。何をするわけでもなく、睡眠。自宅に来たらいろいろしようと思っていたが、スカパー見ているうちに寝ていた。やはり病室で人目を気にして眠るのとは全然違う。いい気分で寝てしまった。
PM 6:00
帰宅したかみさん、娘とともに夕メシを食いに外出。ウロウロどこへ入ろうか考える。
PM 6:45
バーミヤンに入る。いきなり
生中1杯を飲む!
やはり、うまーーーい!(←飲んでばっかりじゃ)
しかし一時外出の門限はPM7時まで。生中飲み始めた時点でPM 6:55。やばい!全然ノーチェックだった。仕方なく店の外にでて病院のナースセンターに電話。
ふ 「あのーふなきですが、7時に変える予定なんですが、ちょっと8時頃になりそうなんですが、いいですか?」
看 「あ、いいですよー。気をつけてくださいね。」
あっけなく延長決定!これでゆっくり食事ができる。
ふ 「すいませーん!生中おかわり!」
安心しておかわりしてしまった...。
調子にのるんじゃねー!
PM 8:00
病院着。病室に入る。
ふ 「ただいまー!」
他の患者 「お!おかえりー。いい色しているねー!」
自分の顔を鏡で見た。
真っ赤っか!
やはり、あまり飲んでいないのか(←隠れて飲んでるくせに!)アルコールの回りが速い!今日はカーテン閉めて寝よう!と思いベットの上に目をやる。ベットの上には、今日私のるす中にお見舞いにきた会社の若い奴が置いていったお見舞いがあった。
スーパードライ 500ml 雑誌 つまみ
しかも
看護師がすぐにでも気がつく場所に堂々とおいている。
あーーー、見つかっただろうな。でも、飲んでいるところを現行犯に見られたわけじゃないから、いいか?
ふなきさんはスーパードライをわからないように茶色のスーパーの袋に入れて、共同冷蔵庫の一番奥に隠した。
PM 8:20
隠れるように寝る。
4月30日(金)(オペ後16日:退院前日)
ようやく長いトンネルを抜ける日が近ずいた。明日はようやく退院!今考えるとベットの上でボケーっとしている
暇な時間だけが、妙に長かった。しかし、退院前日ともなると、このボケーっとする時間も今日で終わりかぁと思う
と切なくなってきた。こうなったら
今日は思いっきりボケーっとしよう!
と心に決めた。朝メシ食ってボゲー!歯磨いてボゲー!リハビリやってボゲー!昼メシ食ってボゲー!
そのまま昼寝。
起きてからお菓子食ってボゲー!夕メシ食ってボゲー!
最後のボゲーの1日は無事にすんだ。明日の退院時間はPM1:00。普通ならば昼メシ食ってから退院となるが、昼メシをキャンセル。昼は病院メシよりやはり
激辛ラーメンを食おう!
と心に決めていた。
PM 7:00
看護師さんの回診。体調、脈を確認。問題なし。退院前はやはり前夜祭!昨日もらった
スーパードライ 500mlを飲もう!
共同冷蔵庫の奥からゴソゴソととりだす!よかった。見つかっていない。
ふなきさんはカッパえびせんをつまみにスーパードライを飲むのであった。長かったこの病室よ!明日はおさらばじゃ。
かんぱーい!
5月1日(土)(退院の日)
AM7:00 晴れ
絶好の退院日和。早速、外にお散歩。お世話になった牛くんに別れを告げる。牛くんは相変わらず長い舌で鼻の穴をなめていた。
AM7:30
TVカードもあと6時間分残っている。もったいないのでTVを見る。この時間帯、見るとすれば
セーラームーン
AM9:00
そろそろ、あまっている飲み物、菓子類の消費に走る。朝めしを食ったにもかかわらず、菓子1袋とジャバティー1本を消費。さて寝ようと思ったら同じ部屋の一人が
「これ、食べてください。今日、退院なんで...」
あ...この人午前で退院だったっけ。私の戸だなには「おーいお茶」と「お菓子2袋」が新たに追加された。
また、増えちゃったじゃないかぁーー!
そーしているうちに、私が入院していたときに同部屋であったU氏もわざわざお見舞いにきてくれて
「これ飲んでください」
ジュース2本
またまた、増えてしまったぁー!
お見舞いだから、断ることもできずありがたく頂戴する。結局、お菓子の消費はやめてTVカードの消費に全力を注ぐ。TV見ながら、身の回りの身支度をし始める。
退院は午後一番。もっと早くてもよかったが、アッシーくんのかみさんの都合により午後になってしまった。
PM0:00
TVカード終了。他の人達には食事が配られる。しかし、私は退院するので今日の昼飯はキャンセルした。そりゃそーだ!退院後は
辛ーーーい、雷らーめんを食うんだぁ!
周りが食事を終えるとき、かみさんが来た。かみさんの買ってきてくれたポカリスェットを同じ部屋の人に、別れの挨拶代わりに配る。
この1瞬を待っていたぁー。
いつのまにかこの部屋の長老になっていた私は、入院してからいつももらう役目(そりゃそーだ)。約8人くらいからもらっていた。本日、ようやくお返しができた。
長かった病室よ。さらば。
(今度こそ)2度とくることはないだろう。
ナースステーションにもお別れ。オペ直後のお腹の急降下のときにお世話になった、(比較的)かわいい看護師にも点滴がへたくそなSDにも挨拶をした。
今となっては懐かしい。しかし今考えると、今回はいろんなことがあった入院生活だった。
1Fに降りて清算。小泉首相ではないが、かみさんに丸投げ。清算も終わり外にでる。
やったぁーシャバの空気だぁー!思いっきり息を吸う。
牛くさい...
シャバの空気は、牛臭かった。
入院時の暇つぶしに書いた日記は、ここで終わる。
入院時の記載がやけに詳しいと思われた方もいるだろう。こんなものは、何かに書き留めておかないとすぐに忘れてしまうことは目に見えていたので、病院内の売店で買ったノートにいろいろ書いておいた。
退院後は普段の生活に戻るわけだが、通常の歩行自体は問題なかった。しかし階段の上り降りには注意が必要だった。恐怖感を覚えるのと、踊り場で身体をひねるときに左足に痛みが走る。平地でも段差がある箇所とかは、非常に注意が必要だった。退院はしたものの、まだ100%でないことは身をもって感じていた。
回復には左足筋力の回復が急務であったが、筋力回復を図るために特別にトレーニングするわけでもなかった。というか、仕事が忙しくてそれどころではなかったのだ。しょうがないので、せめて土日、娘の小学生バレーボールチームの練習のときにコートの外でスクワットをやったり、軽いフットワークをやったりした。当然、病院からもらったサポータを膝にして。
サポータは身体を動かすときに必需品となってしまった。これがないと、「また、切ってしまうんではないか?」という恐怖心が先にきてしまい、動くこともできない。とりあえず今は左足の筋力回復の為に、
ひたすらスクワット!
スクワット!とにかくスクワット!
合わせて膝への負担を軽くするべく減量をすることにした。どうやって減量?
酒を飲まないことにつきる。
入院前は84kgの体重だった。だいたい80kg弱がベスト体重だったのが、いつのまにか4kgも増えていた。これでは膝に負担がかかって当然!とりあえず全く禁酒すると死んでしまうので、毎日の晩酌を土日のみに押さえた。
5月下旬。検診の為に通院。サイベックスという機械で、左足と右足の筋力を測定してみるがまだ左足の筋力が低下している。左足でマシンを動かすのに、左足が痛い。左右完全にアンバランス。
ひたすら筋力回復に努めるしかない。スクワット。スクワット。
6月中旬。再びサイベックスの検査。結果意外にもOK!知らないうちに左足にも痛みが無くなっていた。
脅威的なふなきさんの回復力。
まさにトカゲのしっぽ!
リハビリの先生にも「曲がりもよく、筋力も回復しているので問題ありません」といわれた。
Doctor Aにも「スポーツやってもかまいませんが、サポータして注意してやってください」といわれた。
やったぁー。完治。
(かみさんが一斉に保険請求の資料を書き始める…)
7月中旬
不安ではあるがサポータをして子供のバレーボールチームの玉出しに挑戦。(ボールゲームをやっていた人は知っていますが、決して股間から玉を出しているわけではないので…)リハビリのスクワットとは違い、予期せぬ動作が生じる。左足を非常に気にながら、恐る恐るボール出しをする(間違えるといけないので「ボール出し」にします)。それなりに出来た。なんとか。但し、サポータをつけてもジャンプだけは恐くてできなかった。
8月上旬
いつのまにか体重が79kgとなっていた。酒を抜くだけで即、体重が減る私の身体っていったい...。
恐かったジャンプも多少は出来るようになった。後はバスケットリンクに流川
楓の如くダンクをかますだけだ!
そしてアテネオリンピックが開幕した。体操ニッポンが復活!そして、ふなきさんも復活!
左膝内側々副靭帯損傷との戦いに完全勝利!
いくぞー!1、2、3ダーーーーー!
では北京オリンピックのときにまた会おう!
会うかぁーーーー!
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