会員の調査研究から
(8)シオアメンボとシロウミアメンボ長崎県佐世保市九十九島で確認した
(10)長崎県佐世保市と北松浦郡世知原町のヤマアカガエルとニホンアカガエルの分布について
(12)水田を生息地とする長崎県佐世保市世知原町のミヤマアカネ個体群の観察記録
(13)長崎県北松浦半島及び平戸島の河口域における紅藻類の分布について
(14)ヤマアカガエルの新産地
(15)亀の子島のヒロハネム (384KB)
(16)2014年ミヤマアカネの保全状況
(17)オキヒラシイノミガイの産卵記録
(18)宇久島のシマモクセイ
(19)北松浦半島の植物観察記録(9)
(20)北松浦半島のタイリンアオイの分布
(21)長崎県におけるツシマケマイマイとナカダチギセルの新産地
(22)長崎県初記録のヤベカワモチ
(22)北松浦半島の植物観察記録(10) (612KB)
(23)小森川のアブラボテと産卵母貝 (80KB)
大谷拓也
南九十九島に面した牽牛崎の西側に小穴という小さい入り江があります。奥行きが約100m、幅10mあまりで、日野から狭い道を通って車でも行くことができます。この入り江は浅いので大潮の干潮時には湾内は干上がり、対岸の元ノ島まで渡れそうなくらいです。「佐世保市レッドデータブック2002」の調査の際に、津田先生からこの場所を紹介されてはじめて見に来ましたが、入り江の両岸には広葉樹が薄暗いほど茂っており、穴という表現がぴったりの雰囲気でした。干潟でまず目に付いたのはカニたちで、干上がった漁船の近くで多くのハクセンシオマネキやチゴガニが活動していました。その後、調査のために何度も訪れましたが、来るたびに新しい発見があります。
昨年4月14日に干潟を調べてみました。正方形の方形枠を設けて、2m2の面積を深さ30cmほどスコップで掘って、泥といっしょに出てきた生物を採集して後日詳しく調べましたので、その結果を紹介します。
調査した面積2m2の干潟には、二枚貝ではマテガイ26個体、シオヤガイ37個体、カガミガイ3個体、オキシジミ3個体、アサリの仲間2個体、そして甲殻類ではスナモグリの仲間が85個体生息していました。このうちシオヤガイは佐世保市レッドデータブックで絶滅危惧TB類に、またマテガイは同じく絶滅危惧U類に指定されている希少種でした。アサリの仲間はヒメアサリのようですが種まではわかりませんでした。スナモグリの仲間も種までわかりませんでした。
湾内には枯れ葉が落ちていて、見た目では富栄養化しているようでしたが、海水の流通がよいためか、あまり還元化されていませんでした。調査した2m2の干潟に生息していた生物の重量は合計683gでした。これは1 m2あたり340gの二枚貝や甲殻類が生息していて、これらの生物が海水中のプランクトンをろ過し、沈殿してきた有機物を食べているということになります。
昔は内湾の浜にはたくさんのマテガイがいたのに、近頃めっきり見なくなりましたが、小穴では健在でした。
小穴で採集したマテガイのサイズ別の個体数を図に示します。
この図を見ると、殻の長さ(殻長)が60〜80mmの比較的大きい貝が多いのがわかりますが、40mm未満の小さい貝もいることから、小穴では繁殖したマテガイが着底していて再生産していることがわかります。頼もしい限りです。
小穴にはこのほかにもカニ類としてハクセンシオマネキ、チゴガニ、アカテガニ、ヤマトオサガニ、マメコブシ、フタバカクガニが生息しています。さらに貝類ではツメタガイ、テングニシ、ナガニシ、サルボウ、アサリ、バイ、オオヘビガイ、ハボウキ、さらに棘皮動物のヨツアナカシパン、トゲモミジなども見られます。また、夏の終わり頃には甲羅の幅が数センチに育ったタイワンガザミ(ワタリガニ)の稚ガニが、たくさん水際を泳いでいます。
2年前まで、小穴の入り口にある干潟にはコメツキガニが多数生息していましたが、護岸工事により干潟がなくなったためにコメツキガニも消滅しました。また砂が堆積してきたので復活するかもしれませんが、残念なことです。入り江の奥はだいぶ昔にすでに埋め立ててあり、片側は道路になっています。それでも小穴には、人の手の入っていない自然のままの海岸をもつ九十九島の面影があり、大切にしたい佐世保の自然環境のひとつだと思います。
(大谷拓也)
大谷拓也
相浦川は隠居岳付近を源流とする佐世保市内ではもっとも長い川で、九十九島に面する大潟町に注いでいます。河口には広大な干潟が形成されていて、クルマエビやガザミ(ワタリガニ)をはじめさまざまな貝類も棲息しています。その中にはハマグリもまだ多く残っています。ハマグリは淡水の影響を受ける内湾の比較的細かい砂の干潟に棲息していますが、そのような干潟は埋め立ての対象になりやすく、また、各種の排水の影響をもっとも強く受けるところでもあります。また、アサリなどに比べて、塩分や砂の粒度などの好む範囲が狭いため、各地で減少しているという話を聴きます。したがって、相浦川の河口のハマグリは全国的にも貴重なものだといえそうです。
この干潟では、大潮の干潮時頃には家族連れなどで多くの人出があり、ハマグリを始めカガミガイやシオフキ、バカガイなどを採っています。中には2cm程度の小さいハマグリも持ち帰る人もいて、モラルが疑われます。 4月中旬に約1時間かけて採集を行って調べたハマグリ86個体の殻の長さの組成を下図に示します。横軸が殻の長さ(殻長)で、縦軸が、そのサイズの個体数です。これを見ると、2cmくらいの貝ばかりで4cmを越す貝はほとんどいません。この日は干潮時に計数したところ178人の人出が観察されました。このような人出が大潮の毎に何日も続くと考えると、個体群のサイズが小さくなっているのは、捕りすぎによるものだと考えられそうです。
ハマグリをはじめとする二枚貝は、植物プランクトンの珪藻などを濾しとって食べており、そのろ過量は膨大な量であるという研究もあります。二枚貝は人間の活動により生まれた過剰な栄養分を浄化する役目も果たしているといわれており、大切にしたいものです。
ご存知の方も多いと思いますが、数年前までは佐々川の河口の干潟でも大量のハマグリが採れていて、多くの人でにぎわっていましたが、採り尽くしてしまったのか、近頃ではほとんどいなくなったそうです(最近わずかに回復しているという話もあります)。干潟域の生息環境は特に変わっていないようなので、乱獲としか考えられません。短期間に採り尽くしてしまうのではなく、長く続けて貝掘りが楽しめるよう考えねばなりません。そのためには、ハマグリが育つすばらしい浜を大切にするとともに、産卵期がいつ頃なのか、浮遊幼生がどのように着底しているのか、着底した稚貝の生残率はどのくらいなのかなど、これらの海域におけるハマグリなどの生物に関する基礎調査と情報収集が必要だと感じています。
長崎県生物学会誌 55,2002
川内野善治
長崎県生物学会誌 55,2002
川内野善治
ドロアワモチ(ドロアワモチ科) Onchidium hongkongense Britton
体長3p、体高1.2p。長楕円形で膨れやや柔らかい。外套背面は黒色で不規則な稲妻斑を持ち、弱いイボ状の突起があり、眼点も存在する。明瞭な触覚がない。足は黒褐色で、腹面のほとんどを占める。
太平洋側は和歌山県以南,日本海側は長崎県対馬以南,琉球列島,ホンコンを経てシンガポールまで分布。大きな内湾の奥の平坦な砂泥干潟にすむ。干潮時は干潟表面を匍匐し,干潟表面の藻類をたべる。満潮時は深さ数十cmまで砂泥の中に潜り込むことがある。岡山大学農学部の福田宏助教授によれば、九州以北ではかつて知られた産地の多くですでに絶滅し,健在産地は現在数箇所しか知られていないとのことである。佐世保市のレッドリストでは絶滅危惧IA類 (CR)とされている。
県内における生息地の調査中であるが、これまでに6ヶ所の生息地が分かったので紹介する。佐世保市俵ヶ浦半島や下船越町の生息地以外では、何れも湾の奥で波の影響がほとんどない小河川の河口干潟の例が多く、佐々川や相浦川などの大きな河川では生息の確認ができなかった。
そして、生息地は中潮の満潮線付近でハクセンシオマネキの生息地と同じレベル(標高)であり、ナガミノオニシバやハマサジの生育地より若干低い場所である。垂直分布は十数センチではないかと考えられ、極めて限定された場所にしか生息しないことが窺える。河口の場合はフトヘナタリやカワアイなども同所に見られる。
体色が生息地の砂泥の色と極めて似ており、慣れないと探せないが、砂泥上を匍匐しながら採餌するとともに排泄をするために、糸状に排泄物が残る。これを目安に探すと容易に見つけることが出来る。
佐世保市の産地
@下船越町
下船越町の遊水地で、水門で海と隔てられているが、水門が完全に閉まらないため、海水が流入する。海水に浸かる部分はシバナが生えヨシがまばらに生育している。他の生息地とは若干異なるが常に山側からは淡水が流れ込んでいる。黒っぽい砂泥地に生息する。
A俵ヶ浦半島
俵ヶ浦半島の海岸林より、水が染み出ている場所に生息する。図鑑では外套背面は黒色とあるが、ここの個体群の体色は茶色である。これは生息地の砂の色と同じであることから、保護色を持つこともあるのかもしれない。
北松浦郡
@江迎町
川の河口で江迎湾の入り組んだ湾の一部で、黒っぽい砂泥地に生息する。
A小佐々町
小佐々浦の最も奥部、つづら川の河口の黒っぽい砂泥地に生息する。ここでは河川改修時に魚巣ブロックが使われているが、この中に溜まった砂泥上に生息するものが多い。
平戸市
@紐差町
安満川河口の左岸側の黒っぽい砂泥地に生息する。
A下中津良
若宮浦に注ぐ中津良川の河口域に生息し、ナガミノオニシバやハマサジ群落より僅かに低い部分に生息する。黒っぽい砂泥地に生息する。
西彼杵郡
西海町
多似良川の河口域で左岸に生息。ナガミノオニシバやハマサジ群落より僅かに低い部分に生息する。黒っぽい砂泥地で樹木の影になる部分に見られる。
北松浦半島における分布
長崎県生物学会誌 53,2001
川内野善治
はじめに
タケノコカワニナ Stenomelania rufescens(Ma-rtens,1860)は、本州(関東地方以南)・四国・九州に分布する固有種である。生息地は川の河口などの汽水域の泥底で、殻長20〜80mmになる。和名の通りタケノコの形に似た巻き貝である。
本種は、環境庁第4回自然環境基礎調査(1993)によると、三重2、徳島7、愛媛1、高知2、熊本7、大分4、宮崎2、鹿児島6、沖縄1の計32箇所で生息が確認されている。
一方、WWF Japan Science Report(1996)によると、「絶滅寸前」とされている。そして、現存する生貝の産地は著しく少なく、愛知県矢作川河口・和歌山県冨田川河口・兵庫県富島川河口・高知県高知市−赤岡町周辺・熊本県玉名市の有明海沿岸・同県湯涌町不知火海周辺・鹿児島湾沿岸に産地がある程度で、他には情報がないとされ、30年以上前には生貝が見られていた瀬戸内海周防灘、日本海響灘、玄海灘では近年絶滅したと思われると記載されている。
なお、有明海のいきものたち(2000)によると、熊本県玉名市菊池川で絶滅、同市境川の河口が有明海唯一の産地とされている。
本県では堀川安市(編著)の長崎県産貝類目録 (1964)に大瀬戸町での記録があるがその後の報告はなく現状は不明である。
タケノコカワニナの発見
佐世保市棚方町の都市計画道路「相浦−棚方線」予定地でウラギクの保全作業を行っている際に変わった貝を見つけた。東京大学博物館の佐々木猛智さんに同定を依頼したところタケノコカワニナであることが分かった。
棚方町の生息地は幅40〜100p延長50m程の溝状の潟地。以前は干潟であったが埋め立てられ、干潟の端が溝状に残されている。この溝状の場所で、泥の中に半ば潜っている本種を発見した。
県北振興局都市計画課が「ふるさと自然の会」の要望を受け棚方町の貝類の生息調査を岡山大学の福田宏助教授に依頼した。調査の結果タケノコカワニナはわずかな範囲に約400個体が生息する事がわかった。
北松浦半島での分布
棚方町のタケノコカワニナの生息地の水質調査を行っていた調査会社が佐々川でも本種を確認していたことが後日分かった。私も現地で確認したが個体数は30個体前後であった。
他の河川にも生息する可能性があると思い、北松浦半島の河川を調査した。
以下に産地を記す。
河川名/所在地/3次メッシュコード/河川延長(2級河川部)/目視による大まかな個体数の順に記載する。
@相浦川/佐世保市木宮町/4929-65-23/20km/1000個体)
A宮村川/佐世保市長畑町/4929-46-95/5.2km/50個体
B小佐々川/北松浦郡小佐々町/4929-64-79/4.1km/20個体
C江迎川/北松浦郡江迎町/4929-75-60/9.7km/50個体
D鹿町川/北松浦郡鹿町町/4929-74-59/4.9km/300個体
E志佐川/松浦市/5029-05-06/11.5km/4個体
以上の6河川で確認した。
生息地はいずれも緩やかな勾配となった高潮線の上部付近である。しかも川の流れを直接に受けないわんどのような場所。もしくは緩やかな曲がりの内側のヨシが生えているような場所である。同じ場所にはイシマキガイやカノコガイなどが生息している。
本種は幼生期をベリージャー幼生として過ごすために海水の行き来がスムーズでなければならない。上記の産地はいずれも堰や樋門がない河川である。小佐々川の産地は堰のすぐ手前のわずかな部分に生息していた。
いずれも比較的大きな河川の汽水域に生息し泥の中に潜っている事も多く目視だけでは確認しにくい。また、生息域はわずか数メートルから十数メートルの範囲である。このようなことが本種の確認例の少なさの原因であろう。
タケノコカワニナの生息域は河川の延長からすると点でしかなく、高潮線の上部付近にわんどの様な場所が必要であり、非常に微妙なバランスの上に生息している。
このようなことからちょっとした圧力により絶滅する危険が非常に大きく河川の掘削・堆積物の除去・改修にあたっては最新の注意を払う必要がある。
一方、本種はベリジャー幼生期を経ることから生息環境を新たに整えることにより生息地の拡大や回復も十分に考えられる。
文 献
佐藤正典編(2000).巻貝類T(福田宏).有明海の海のいきものたち.海游社:120-121pp
WWF Japan Science Report Vol.3 (1996).日本における干潟海岸とそこに生息する底生生物の現状:23pp
堀川安市(1964).長崎県産貝類目録.長崎県生物学会:85pp .
第4回自然環境基礎調査(1993).環境庁:30-31pp
長崎県生物学会誌 48,1997
川内野善治
はじめに
河口の浚渫や干潟の埋立、護岸工事等にともない緩やかな傾斜をもつ干潟が少なくなり、ハクセンシオマネキ Uca lactea lactea De haan の棲息地が各地で消滅し、個体数の減少や絶滅に至っている。このため環境庁では「日本の絶滅のおそれのある野生生物」において希少種に選定している。
著者は北松浦半島における本種の分布地を調査しているが、棲息地が限られているため、棲息地が人工的に造成できないものか常々考えていた。今回偶然ではあるが、浚渫泥を捨てた場所が干潟となり、本種の棲息が確認されたのでこの場所と状況を紹介する。 絶滅のおそれのある野生生物は保護が急務であり、その参考として欲しい。
雄:甲長11.8o・幅17.5o、雌:甲長11.5o・甲幅17.8o。甲は横に長い四角形。鉗脚は雌では左右ともに小型で相称、雄では著しい差がある。大鉗の左右比は1:1。大鉗はやや扁平し、表面が白いことが和名の由来である。内湾や河口で小潮の満潮時に潮につかるくらいの泥の混じった砂地に浅い孔を作って棲息する。干潮時には孔から出て集団で活動し、大鉗を振り動かすが、このとき白い大鉗が良く目立つ。
観察をしていると大鉗を振りかざして相手を威嚇し、互いに大鉗をかみあわせてけんかをするのがよく見られる。夏の繁殖期に雄は熱心に大鉗を振り雌を誘う。また、大鉗を振りながら体を上下に小さく動かす動作をすることもある。雌が反応を示すとさらに熱心に大鉗を振りながらあとずさりをして自分の巣孔へ誘う。続いて雌が雄の巣孔へ入ると雄が巣孔の蓋をする。この巣孔の中で交尾がおこなわれる。この頃は雄の巣孔の入り口には蓋をするための泥が用意されている。
メスは交尾後卵を抱いたまま約1か月でふ化させ、ふ化後にゾエア幼生として海に放つ。ゾエア幼生は比較的広い海域でプランクトン生活を送り数回の脱皮を経て成長し、メガロパ幼生となる。そしてメガロパ幼生はそれぞれの生活圏へむけ泳ぎ寄る。本種の場合は約1か月で干潟などに到達し、そこで生活をおくるようになる。
2,佐世保市内の棲息地
佐世保市にはトノコ島(2か所)・下皆島(西側)・高島(東側)・早岐瀬戸(3か所))・日宇川河口(7か所)・轟湾(2か所)・庵浦の7か所、北松浦郡には佐々川河口(左岸・右岸)・小佐々町小佐々浦・江迎町江迎湾奥部の3か所の棲息地がある。
佐世保市で最も干潟が発達している早岐瀬戸は本種の棲息地として期待したが、泥質部が多く棲息環境が整っておらず2〜10uほどのコロニーが3か所で見られるに過ぎなかった。
3,棲息地の条件
これまでの調査で棲息地は河口域より島の入江などの波静かな場所が多かった。これは河口などの棲息地がなくなった結果であろう。
本種の棲息地の環境を考察すると、棲息地の条件として次のような共通点があった。
@小潮の時の満潮線付近に棲息することから、満潮線付近がなだらかな海岸であること。
A泥の混じった砂地で深さが40p以上あること。
B人がのっても沈まない程度の硬さであること。
C波が静かな穏やかな海域であること。
D水質はさほど気にしないと思われる。
(日宇川河口での BOD:平均8.3 ppm 最大24ppm 最小3.7ppm)(塩素イオン:最大19,400ppm 最小9,900ppm)しかし、水質が悪化の一方であると堆積する有機物の量が多くなり砂泥質が泥質化してくると考えられる。そうなるとハクセンシオマネキからチゴガニやヤマトオサガニの棲息地へと変化するであろう。
4,棲息地の造成による保護
轟湾の奥部にある轟クリーンセンター地先の海岸には面積約40u、オス65個体のコロニーがあるが、佐世保市港湾部による湾全体と轟クリーンセンターの立て替えによる埋立の計画があり、いずれこの棲息地は消滅する。
ここから東に約300mの海岸に、平成3〜4年にかけて市の港湾部が相浦魚市場新設に伴う航路部分の浚渫土砂を約3200u(80×40m)投棄しているが、そのうちの約240uが砂分の多い砂泥干潟となっている。この約240uの砂泥地に、当初1年間は目に見える生物は見られなかった。しかし、平成5年10月には数個体のコメツキガニが観察されるようになった。そして、平成6年5月にはハクセンシオマネキのオスが数個体観察され、平成7年7月にはオス75個体が観察されるようになった。
本種の棲息地は小潮の満潮線付近の、しかも砂泥地という自然界の微妙なバランスの上に成り立っており、本種の保護のために人工的に干潟の造成を行っても定着させることは極めて難しいと考えていた。しかし、今回偶然ではあったが、浚渫泥を捨てた場所が干潟となり、本種が棲息し始めた。
海流などの影響を受け、この干潟が消滅しない限り、新たな棲息場所となることが考えられる。このことは人工的に干潟を造成すれば、本種の保護が可能であることを示唆している。造成した干潟が海流等の影響により永続的に安定した棲息地として確保できるとは限らないが、保護のために試る価値は十分にある。本種の幼生期間は1か月程であるから、幼生が漂着できる範囲に干潟を造成すればよい。
今回の例から、ハクセンシオマネキが棲息できるようになるまでには、造成後3年ほど時間がかかっているため、既存の棲息地が消滅する以前から計画を進め、観察を続ける必要がある。今年の調査では当場所が海流等による浸食の影響を受け、平成7年より砂泥地の面積が減少しているようである。今後引き続き観察する必要がある。このようなことから、安全のため一カ所ではなく数カ所の干潟を造成することが必要であろう。
*雄の個体数は双眼鏡によりカウントした数値である。
文 献
武田正倫(1978)カニの生態と観察.45−46. ニューサイエンス社.東京
三宅貞祥(1991)原色日本大型甲殻類図鑑(U) .保育社.162PP .東京
平成3年度版佐世保市の環境(1992)佐世保市 環境部環境保全課編集.91−178
Balanophora tobiracola Makino
(ツチトリモチ科)を佐世保市黒島にて発見
長崎県生物学会誌 48,1997
川内野善治
本科には約15属100種ほどがあり、熱帯地方に多く、塊状の地下茎を持ち樹木に寄生する。和名キイレツチトリモチのキイレは鹿児島県喜入の地名に因んでいる。国内の分布は九州南部・琉球であり、宮崎南部を含めた、九州西海岸に分布する「九州西廻り分布型の植物」のひとつである。
長崎県植物誌(外山1981)には「県内の分布地は長崎市本河内水源涵養林・長崎市金比羅山・愛宕山・彦山・飽の浦・木鉢・小榊・福田・小瀬戸・三重、野母・脇岬・西彼大島・松島・平島(崎戸町)・中通島(若松町)、有川町頭ヶ島・新魚目小串である。」、「宿主はトベラが最も普通、ついでシャリンバイ、希にネズミモチであることを高橋がつきとめた。近年、鹿児島県甑島でハマヒサカキに寄生したものが見つかった。」とある。
著者は西彼大島町の百合岳付近で1991年にシャリンバイとトベラに寄生している本種を初めて見たが、その数の多さに驚いた。ここでは比較的暗く湿度の高い場所に多く生育していた。大島から北の海上に佐世保市黒島が見える。黒島にはモクタチバナ・サツマサンキライ・ハマサルトリイバラと3種の北限の植物が生育している。この島にも本種が分布している可能性が高いと思い、1994年から調査をしていたが、1996年12月3日、すでに花期は過ぎていたが、2ヶ所でトベラに寄生している合計8本を探すことができた。これにより、これまでの西彼大島に代わり黒島が北限となった。
西彼大島では道路から離れた林の中であったが、ここでは道路際の林内で見られた。しかもかなり乾燥した場所で環境的には前者とはかなり異なっていたし、個体も小さいものであった。生育地はタイミンタチバナ優占の低木林で、クロキ・ヤブツバキ・ヒサカキ・シャリンバイ・モチノキ・カクレミノなどが見られ、林床にはホソバカナワラビが生育していた。
余談であるが、増補改訂牧野新日本植物図鑑には「ツチトリモチは地下茎からトリモチを作る」とあるので、大島で採集したもので試みたが、本種からはトリモチはできなかった。また、図版では本種とリュウキュウツチトリモチが入れ替わっていることに気付いた。
文 献
北村四郎・村田源(1976).日本原色植物図鑑.316-317. 保育社.東京
中西弘樹(1996).九州西廻り分布植物:定義,構成,起源;植物分類,地理.47:119PP
外山三郎(1981).長崎県植物誌.長崎県生物学会.47PP
牧野富太郎(1995).増補改訂牧野新日本植物図鑑.61-62.北隆館.東京
シオアメンボ Asclepios shiranui Esaki,1924(アメンボ科)とシロウミアメンボ Halobates matsumurai Esaki,1924(アメンボ科)を長崎県佐世保市九十九島で確認した。
長崎県生物学会誌 53,2001
川内野善治
<シオアメンボ>
これらのアメンボ類は共に沿岸性であり、生息地域が限られており、絶滅の恐れが高く環境庁のレッドリストではシロウミアメンボを絶滅危惧T類(長崎県でも同様)、シロウミアメンボを絶滅危惧U類(長崎県ではT類)に選定している。
九十九島内の波の穏やかな入り江で以前からアメンボがいるのは知っていたが、昨年9月と10月に3種のアメンボを初めて採集し長崎女子短期大学池崎善博教授に同定を依頼した。その結果シロウミアメンボ・シオアメンボ・ケシウミアメンボの3種であることが分かった。
シロウミアメンボ・シオアメンボ・ケシウミアメンボの3種が、またシオアメンボとシロウミアメンボの2種が同時に見られる場所、シロウミアメンボだけが見られる場所などまちまちであるが、いずれも泥底で水深が浅く波が穏やかな入り江に見られる。
シオアメンボが入り江の奥部でのみ観察されたのに対しシロウミアメンボは水深がある程度ある入り江の入り口や離れた場所でも見られた。また、シロウミアメンボに比べてシオアメンボの生息場所はかなり少なかった。
これまで確認した場所は(表1)の通りであり、九十九島一帯はシオアメンボとシロウミアメンボの貴重な産地と考えられる。昨年の調査は九十九島の一部でしかも佐世保市内に限って実施した。北松海域や沿岸にも生息していると考えられるので、今後より広い地域での分布調査を行い産地を明確にする必要があろう。
(表1)
和 名 |
産 地 |
3 次メッシュコード |
シオアメンボ |
トコイ島 |
4929-74-28 |
シオアメンボ |
松浦島 |
4929-55-64 |
シロウミアメンボ |
高島 |
4929-74-26 |
シロウミアメンボ |
上樫木島 |
4929-74-38 |
シロウミアメンボ |
トコイ島 |
4929-74-28 |
シロウミアメンボ |
トコイ島 |
4929-74-38 |
シロウミアメンボ |
上小高島 |
4929-74-29 |
シロウミアメンボ |
トノコ島 |
4929-74-29 |
シロウミアメンボ |
元の島 |
4929-55-94 |
シロウミアメンボ |
松浦島 |
4929-55-64 |
謝 辞
本報告をまとめるにあたり、現地の調査及び沿岸性アメンボの同定をしていただいた、池崎善博さんに厚くお礼申し上げます。
長崎県生物学会誌 55,2002
川内野善治
長崎県佐世保市と北松浦郡世知原町のヤマアカガエルとニホンアカガエルの分布について
長崎県生物学会誌 53,2001
川内野善治
はじめに
著者は1989年から県北地域における両生類の分布調査を行っているがアカガエル科のニホンアカガエル Rana japonica Guntherとヤマアカガエル Rana ornativentris Wernerの佐世保市と北松浦郡世知原町における分布をほぼつかむことができたので報告するとともに、繁殖期に観察できた行動等も報告する。
調査方法
主に繁殖期と幼生が見られる12〜3月にかけて、繁殖地の水田や浅い溜池で卵塊・幼生・成体を探した。卵塊での確認は広瀬文男・富岡克寛(1974)による方法で、次のように行った。新しい卵塊の場合ニホンアカガエルの卵塊は(図1)のように手で持ち上げることが出来るが、ヤマアカガエルは(図2)のように持ち上げることができない。
(図1)ニホンアカガエルの卵塊 (図2)ヤマアカガエルの卵塊
夜間の調査を行うと卵塊の下にオスがいる場合が多く、確実に種が同定できる。なお、卵塊の場合には幼生の頃に再度観察に出かけてより確実に同定した。幼生ではニホンアカガエルの背面に一対の黒斑(図4)があるのに対しヤマアカガエル(図3)には無いことで判断した。
(図4)ニホンアカガエルの幼生 (図3)ヤマアカガエルの幼生
●ヤマアカガエルについて
ヤマアカガエルは山口(1967)によって北松浦郡世知原町国見山での生息が報告がされているが、その後の報告は無かった。著者は1990年に世知原町で本種を確認している。
ヤマアカガエルは佐世保市東部の標高100mから東北部の標高450mにかけてと世知原町の標高240〜510m付近にかけて繁殖地があり、産卵地は水田やその水路と浅い溜池である。
繁殖行動は「ドンク日和」と呼ばれる小雨の降るような暖かい夜に行われるが、著者の観察によると多くは湿度が高く夜間の気温が5℃以上の時に行われる。2月中旬〜3月はニホンヒキガエルの繁殖期と重なる。ときには一緒に出てきたヒキガエルにも抱接する個体がいるなど観察していて飽きないものである。
世知原町の平河原池では、2月の暖かい日が数日続いた後に溜池内に数十匹単位に集まり活発に泳ぎながらオス同士が抱接したり、離れたりの行動をしながら盛んに鳴くのが1992〜1993の2年間観察された。1992年には3カ所で合わせて235匹ものオスが集まりこのような行動が観察された。
この行動は夜間ではなく昼間であり、5〜10分続きしばらく休む。このような行動が暗くなるまで繰り返された。しかしこの間メスの姿は数匹しか見られなかった。この時の賑やかな鳴き合いは佐世保自然ガイドブック(1996)に添付のCDに納めている。この年はこの後に寒波が襲来し浅い水溜まりに潜んでいたヤマアカガエルが数十匹死んだ。その後のドンク日和には先に死んだ個体に多くのオスが抱接しているのが見られた。動かない死体をメスと思ったのだろう。きびしい自然の一面を見せられたものである。
ところが放流されていたブラックバスの成長とともにこの池ではこのような行動の観察はできなくなり、本種の卵塊(最大で138卵塊)、個体数ともに激減し現在は十数個の卵塊しか見られなくなった。ただ同場所で見られるヒキガエルの卵塊数には大きな変化はない。
本種がブラックバスに補食されている現場を目撃はしていないが、減少の原因はブラックバスによる補食と思われる。なお、佐世保市木原町(標高100m)には唯一両種が繁殖する水田がある。
●ニホンアカガエルについて
ニホンアカガエルの分布はヤマアカガエルよりかなり広いが、佐世保市中部から西部には分布地が少なく、世知原町には生息していない。
本種の産卵は低地の水田やその水路が主であり、ヤマアカガエルのように溜池では観察したことがない。
日当たりのよい暖かい場所では12月から産卵が見られ、3月まで続く。繁殖地は海岸から標高約250mまでであった。
繁殖行動はヤマアカガエルより夜間の気温が高い時に多く10℃を越える場合が多い。1匹のメスに2〜3匹のオスが抱接するなどの行動は見てて楽しい。鳴き声はヤマアカガエルの様に大きくなく静かで、聞き耳を立てなければ聞こえない場合もある。
分 布
それぞれの分布地を3次メッシュコードと(図8)に示す。<>くくりは成体の確認でそれ以外は繁殖地。
■ヤマアカガエル
@ 佐世保市:戸ヶ倉町4929-66-33,34、<大山口越4929-66-13>、里美町4929-66-14,24、<隠居岳4929-66-04>、木原町4929-56-89,<97>、柚木元町4929-66-50,61、心野町4929-66-15
A世知原町:開作免4929-66-82、上原免4929-66-81、平河原池49-29-66-72、赤木場免4929-76-02
国見山4929-66-74,<84>
●ニホンアカガエル
@ 佐世保市:棚方町4929-65-43、竹辺町4929-65-34、福田町4929-65-16、横手町4929-56-96、4929-66-07、木原町4929-56-89、庵の浦町4929-55-45、俵ヶ浦町4929-55-44、針尾島堤山・田頭・宮浦4929-56-21,31、南風崎町4929-56-04、宮津町釜浦4929-46-84、瀬道町4929-56-27、針尾中町4929-46-80,90、<船越町4929-55-66>、崎辺町4929-55-58
( 図8)■ヤマアカガエル ●ニホンアカガエル
終わりに
近年水田が放棄され産卵地が減少したり圃場整備によりそれまで産卵地であった水路がコンクリート化され水が溜まらなくなったり水田が乾燥するようになった。また世知原町の平河原池のようにブラックバスの放流により産卵数が激減した場所もあるなど彼らの繁殖に対する圧迫が続いている。
謝 辞
1997年からは佐世保版レッドデータブック編集委員の遊佐匡子さん、大島通弘さん、佐崎謙一郎さん、津田美智夫さんには寒い中一緒に調査をしていただきました。本報告を行うにあたりお礼申し上げます。
文 献
山口鉄男(1975).長崎県の生物.長崎県理科教育事務局
広瀬文男・富岡克寛(1974).ニホンアカガエルとヤマアカガエルの卵塊の比較.遺伝.28.3:108-111
川内野善治(1990).長崎県におけるヤマアカガエルの再発見.長崎県生物学会誌.長崎県生物学会:41-43
五島列島から姿を消したニホンミツバチ
久志冨士男
私が日本固有種のニホンミツバチを飼い始めて20年余りになる。この20年の間に少しずつ自然界からニホンミツバチの生息数が減ってきているように思えてならない。巣分れの時期に私の仕掛けた「待ち箱」に入る新群の数が少なくなってきているのである。原因は地球の温暖化であろうと漠然と考えていた。
昨年の春、高校の同窓会のおり、希望者だけで五島旅行を行なった。福江島の鐙瀬の近くに菜の花が咲き乱れていた。私はニホンミツバチの姿を探したが全く見つからなかった。近くに養蜂家がいるらしくセイヨウミツバチの姿はあった。福江港の近くにレンゲ田があったのでバスを止めてもらい調べたが、やはり見つからなかった。20年ほど前には五島にはニホンミツバチがいたのである。新聞記事で見た憶えがあった。春に、山に巣箱を仕掛けておき、秋にミツバチを全て焼き殺して蜜を採る話であった。「そんなことをしたらハチが可哀想」と思った記憶があった。
今年二月下旬再び福江島に行った。それは福江島の真ん中にある山内診療所の宮崎昭行医師から、五島にニホンミツバチを復活させたいので協力してくれとの要請があり、再調査に出かけたのであった。菜の花畑にはまったくニホンミツバチの姿はなかった。絶滅の原因は判らないまま、協力を約束して別れた。
三月上旬、梅の咲くとき、私は上五島も同じなのかどうか調査に出かけた。全島をバイクで走り回ったが、ついにニホンミツバチは1匹も発見できなかった。梅には小さなアブが来ていたが菜の花にはどんな昆虫も来ていなかった。不思議だったのは人家の傍の八朔がたわわに実を着けている事であった。私は出会う老人毎にニホンミツバチの消息を尋ねた。ほとんどの人から「昔はいたが最近は見かけない」という答えが返ってきた。そして「私の弟が昔飼っていた」という人に出会い、有川町今里郷の宇野久夫さんに行き着いたのである。
「十数年前まで家の裏で飼っていた。奈良尾の人から一箱貰ったのが始まりであった。段々増えて8箱になったが、それ以後減り始め3箱になった。ところがその年、ハチたちは元気がなく、蜜も貯めなかった。スズメバチに襲われたがハチ数不足で戦えず全滅した。それ以後自然界からも姿を消した」
これが宇野久夫さんの説明である。原因は判らないが、ただその年は梅,桜、桃などの花つきが悪かったようだとのことであった。五島列島で何万年あるいは何十万年か生き続けてきたニホンミツバチが十数年前に突然絶滅したのである。他にも飼っている人がいたかどうか尋ねたところ、知っている限りでは2人いたが亡くなられたとのことであった。巣箱が残っていたら見せてもらいたいと言ったが、もはや朽ち果てて残ってはいなかった。ただ巣箱を置いていた場所には案内してもらった。
十数年前というのは私にも記憶がある。私の持っている20群ほどが全て死滅した年と重なるようである。その年は暖冬で、ハチは花がないのに飛び回り、貯蜜を消費した。そして春になっても梅や桜の花がほとんど咲かなかった。分蜂が殆どなく、半数の群が梅雨を乗り切れなかった。残った半数も次々に倒れ、そこにスズメバチが現れ、残った全ての群に止めを刺した。
私はこの年、ニホンミツバチは日本列島から絶滅したと思った。ところが翌年の分蜂期に、どこかで生き残っていた群の分蜂群が、死滅した後の空き箱に2群入ったのである。現在私は40群持っているが、それはこのときの2群から始まったものである。
五島における絶滅の原因を探るべく、私は五月中旬再び上五島に渡った。椎の花が咲く時期である。上陸して直ぐ原因が判った気がした。幾重にも連なる山を見ると、緑一色である。九州本土では椎の花で山全体が白くなっている時期なのである。杉や檜の造林が山全体、頂上まで進んでいる。その杉や檜の間の所々に椎の白い花がある。前回は色が同じ緑なので気づかなかった。雑木がなくなり、それが生み出す食料の蜜が枯渇して絶滅したのである。
私は再びバイクで全島を見て回ることにした。この度は一泊しての調査である。八朔には2種類のマルハナバチが来ていた。家の周りに植えている程度の果樹であればマルハナバチで間に合う。庭先の梅も結実していた。今は過疎地で大規模農業をおこなう人はいないので、ミツバチ不在の問題が表面化していないのだろうが、もし、瓜類を大規模に作ったり、大果樹園を経営しようとしたら、それは不可能であろう。もしセイヨウミツバチを導入しようとしても、環境がミツバチを養えないので、養蜂家は来ない。(現在福江島には北海道の養蜂家が入っていて、初夏に大型トラック3台で北海道に運ぶそうであるが、梅雨と冬には砂糖水で給餌をしなければならない。下五島には養蜂家は入っていない。)
この過疎地に道路網だけは張り巡らされている。杉や檜を切り出すための林道であろう。斜面を切り通して作ったガードレール付きの舗装道路である。青方から海岸沿いに北上してみたが、奈摩湾に至るまで1人の人間にも1台の車にも出会わなかった。こんなところで事故を起こしたら気づいてもらえないと思うと恐ろしくなった。山が険しくケイタイも通じない。そんなところも両側の斜面は経済林で覆われている。雑木を切り払っての造林がなされたわけである。しかし枝打ちも間伐もされないで放置されているらしく、林の中はどこも見通せない。広大な地域を人手不足で管理ができるはずはない。経済林が経済的価値を生み出せないのではないのか。
それどころか、雑木がなくなり、ミツバチもいなくなれば雑木の実も減り、それを運ぶ小鳥も来なくなる。やがて経済林は台風で倒れ、山は荒廃する。海に流れる雨水は栄養が乏しくなり、魚も獲れなくなるであろう。食物連鎖の環の一つを壊したようである。何とかして早く雑木の森を回復し、ニホンミツバチを復活させないと人も住めない島になる恐れがある。
宮崎医師との約束は果たせそうにない。食糧不足の土地では結局は死滅するであろう。
上五島に調査に行く前は、絶滅の原因を探るだけでなく、私の群を移して、五島にニホンミツバチを復活させることができないか調べるつもりもあった。そして、北魚目半島の番岳以北には造林がなされていないことを発見した。あまりに斜面の傾斜が強く、植林出来なかったのであろう。ニホンミツバチが生きていけるかどうか、番岳の北斜面にある大水地区の雑木の森を眺めながら考えてみたが、やはり面積が足りない。2,3群では近親婚で滅びる。20群以上では過密になる。それにこの斜面は北西に面しており、冬は冷たい風が海から吹き付けるに違いない。
五島から帰ってきて、自分の周りを経済林の割合の観点から観察し直してみた。そして驚いた。五島ほどではないが、かなりの部分が経済林に覆われているではないか。
私が属している「日本蜂研究会」の報告では大隈半島からも宮崎の椎葉からも今年ニホンミツバチが消滅したという報告があっている。日本では僻地、過疎地ほど造林が進んでいる。
6月25日、私は天草にも調査に行ってみた。造林がそれほど進んでいないのを見て、この島は大丈夫だと直感した。すぐにムクロジの花に賑やかな羽音を響かせているのを見つけた。
今年は春の訪れが例年より2週間遅れ、梅は種類によって少しずつ開花の日時が違うのであるが、今年は一度に咲いた。そしてニホンミツバチの分蜂開始も2週間遅れ、分蜂数も少なかった。分蜂をおこなった群は全体の4分の1で、しかも殆どが1回きりであった。例年だと3分の2が分蜂し、2,3回行う。ニホンミツバチの分蜂ほど自然環境の状態を正直に反映するものはない。今後ちょっとした気候変動でニホンミツバチは全国的規模で突然絶滅する恐れがあると思っている。温暖化が進んでいるので、どんな気候変動が起こるか予想できない。絶滅危惧種に指定する必要があるのではないだろうか。
有川郷の旭岳の山腹で上五島の典型的な造林の状況 山の上まで道路ができている(東シナ海に面した白水郷辺り)
川内野 善治
ニホンアカガエルは県内に広く分布していますがヤマアカガエルの分布は佐世保市に限られ、これまで三河内町、黒髪町、里美町、柚木町、世知原町の山間部、吉井町五蔵岳山麓まで分布していることがわかっていました。
両種の分布調査は1月〜3月の繁殖期が最も適しています。この期間は産卵に出てきた成体や卵塊、幼生が見られる期間だからです。産卵場所としてニホンアカガエルは水田や水の流れない水路を利用しますが、ヤマアカガエルはこれらに加え浅い溜池も使います。
昨年、小佐々町の調査で両種の卵塊と幼生が見つかりました。これに続き今年になり成体が見つかり、生息が確実になりました。
ヤマアカガエルのこれまでの生息地を見ると一定の自然林の塊がある山間部でしかもある程度標高がある場所でした。しかし、小佐々町では海岸から1キロほどのしかも、標高30m程の2つの場所で見つかっています。そのうちの一つ、葛篭(つづら)では水田の水路にニホンアカガエルと同所に産卵が行われています。
これまでも木原町では両種が混在する場所がありましたが、標高は120m程でした。小佐々町の産卵地はヤマアカガエルとしては最も標高が低い場所になります。
小佐々町の地形を見ると、平地が殆ど無く海岸近くから田んぼがあり、そして直ぐに山地へとつながり、自然林の塊も結構広く残されています。しかし、高い山が無く奥行きもないために水田の位置も低くこれが、低地で産卵(最高で150m)する要因となっています。
両種ともに産卵地の環境を見てみると、近くに生息場所としての自然林がある場所です。しかし、ヤマアカガエルの方がより広い自然林のある場所に限られるようです。そして、良好な採餌と産卵環境さえ整えば生息は標高と関係ない種だと思えます。
一方、ニホンアカガエルは海岸近くの水田にも産卵場所があります。もちろん近くに良好な林があることが条件で、産卵地の最も標高が高い場所は萩坂町の標高150m程で、標高100m以下が殆どで平地を好むようです。
このように、ニホンアカガエルの分布は山地に及ぶことはありませんがヤマアカアガエルは生息環境さえ整っていれば、平地にも生息が可能であり、このことを考えるとヤマアカアガエルは林地開発により山間部へ追いやられたのではないかと思えます。林地が里に広く残っていた頃は両種とも同じ場所で仲良く産卵をしていたと思います。
オス 抱接