『若き日の詩』
 つれづれなるままに、若き日に書きとめた詩らしきものを整理してみました。振り返れば、22、23歳の頃のことで、何を今更って感じですが、この年になると、「人は想い出に生きる・・・・」という言葉が何故かしっくりくるのです・・・・。拙い詩ですが、読んでいただけたら幸いです。

それでは、『黄昏はやさしく扉をひらく』 1976年(昭和51年)4月と 『悪魔は月夜ではなく』 1977年(昭和52年)10月からの抜粋です。

『黄昏はやさしく扉をひらく』 

 「青空」

それは夏の日、
素足で歩いたアスファルト
太陽の熱で溶けたコールタール

あらゆる物が太陽の下で輝く
砂埃の舞う春、
村外れの小さな森へ通じる長い道

星が無数に輝き
澄み渡る秋の空、
果てしなく広がるしじま

そして、
冬の日の悲しみを感じさせない
青空。

 「死」

雨は激しさを増し
騒音から抜け出た
一台の車から
降りる死体。

そこそこと
帰路に着く人々は
交差点の信号に
立ち止まり
素知らぬ顔は
楽しい会話。

涙を拭う
瞳は
暗闇に
部屋の燈は
開け放された扉から
迎える。

 「燈」

雨降る夜の孤独
遠ざかる車の音
ガラス戸の響き
寒い部屋。

 「冬への風」

紫の山
収穫の後の穀物
寂しい秋
冬。

 「愛」

時のなかに眠る青空に
涙するあなたの瞳を
拭った時
青空が見える。

 「黄昏はやさしく扉をひらく」

私の心は
ガラスのように、悲しく
私の心は
風のように寂しい
悲しい心に時は静かに眠り
悲しい心に
黄昏は
やさしく
扉をひらく。

 『悪魔は月夜ではなく』 

 「宗教のギマン」

暗い
悪魔の翼が
重く私の肩に伸しかかる
ある人は、居直り自分の殻に包まリ
ある人たちは天に願いを賭ける
残忍は、翼のはためきとなり
とある宗教は悪魔と共に
狂信する、
でも
私の肩から、悪魔の翼を
払い除ける天使が
私の傍らにいる。

 「ブルーは嫌いだ」

キリコの絵のように
遮られた感じの建物の上は
事務室、
シャッターが開けられた
定期便からの荷を
透明な秋の日と
転職だって。

あれから幾度か職を替えたが
どこも同じ
ガラスの窓越しに
暮れ行く前の都会の街並みが
キリコの絵のよう。

こんな世界はブルーで
ちっとも良くない、
こんなブルーは
ちっとも良くない、
ちっとも
良くない。

 「涙」

それは、夏の日、素足であるいたアスファルト
太陽の熱で溶けたコールタール。
きみの笑顔にテトラポット。

しかし、涙は、何の想い出も残さない。

 「ふるさと」

稲刈りが終り、干された稲穂と柿の木に差し込む夕陽には、小さな故郷があり、
桃色の夕焼けは美しい。秋の陽は、さやから実を拾う少女を見詰め、冬を間近
に控えた家々は、秋の暖かな陽に、部屋からの影を追い払い、さんざめく落ち葉
が舞う校庭にて、風を切る少年の横顔。

 「夢」

ガラス窓から僕は、紅葉にくすぶる鉄橋を見ていました。
桃色のドレスが風に乗り、暖かな陽ざしを運んでき、ガラス窓の向こう、
一人の女の人がこちらを向き微笑んだようでした。

僕、ぼくですか。僕は名もないひとつの影であります。

 「悪魔は月夜ではなく」

その
部屋に
閉じ込められた
私の気持ちは誰も知らなかった
ガラス窓を一枚隔てた
その目には見えない識域が境界線だった
私は世間を甘く
嫌、私は
無知だった、世間知らずだったのだ
私は部屋がひとつ空いているからの返事に
そこに入ってしまった。

その頃は、月夜が孕む悪魔よ
窓辺に影を落とし
私を呼ぶのか
と、
月夜のせいにしていたが
問題は月夜ではなく、その部屋の
その家の持主だったのだ
私はその家主に
長い間、精神分裂寸前にまで
悩まされつづけられたのである。

今になって、
いつも窓辺から眺めていた
月夜が私を救っていてくれたことに
気付く、何故なら
私がその館を出てからというもの
私は自分自身を、自己を知り
月夜の安息にしみじみと
心からひたれる身になった
自分を感じられるのです。

・生きるということに悩んでいた若き日々でした。残されたスケッチから、暫し、過去にタイムスリップした若き日の自分です・・・・。

2025-02-23

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