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玉川上水を、森田童子は歩いたのだろうか?
「まぶしい夏」の、“夏には窓に竹の葉がゆれて”という詩に、
玉川上水と竹をイメージとして結びつける事ができなかった僕は、
彼女が実際には玉川上水を知らずに
太宰からの連想で、それを書いたのかと考えた。
武蔵野を流れる玉川上水に、広葉樹の雑木林の風景ばかりを思い描いていたからだ。
先日、玉川上水沿いの道、杉並の富士見が丘から三鷹までを
実際に歩いてみて、知らないのは僕のほうだと分かった。
何ヶ所かに、確かに竹林があったのだ。
それだけの事で、何かを証明できるとは思わない。
けれども僕の中では、この歌の情景に、
作り物ではないリアリテイを感じる結果になった。
後に森田童子として歌い始める若い女性が、アパートの一室で、
自殺を図って睡眠薬を飲んだ友人、あるいは恋人を看病している。
そんな時、ひとは何を考えているだろうか。
実際的な事は何も考えられず、ただ呆然と思考停止の状態で
時が過ぎて行くだけではないか。そして後になって思い出すのは、
窓の外に揺れていた、竹の葉ばかりだったりする。
そんなものではないだろうか。
(3年ほど前に森田童子研究所伝言板に書いた文章です。
現在、僕は森田童子の作品のほとんどは、
実体験にもとづくものではなく、想像上の世界であると考えています。)
2002.7.21 たかし・Y